失礼いたします。 と一言断りをいれ顔をうつむかせた彼女の頬と小さな肩、細い背の上にさらりと揺れる長い黒髪がこぼれ落ちるのを見た。

 <審神者は顔と名を知られてはならない>。
 あってないようなそんな規則を馬鹿正直に守り、常に目を隠す包帯越しの目視の後、彼女は無骨な鋏(はさみ)で切った清潔な布を手にし、空いた方の手と傷の具合をはかる指が血濡れた肉体の輪郭をたどってゆく。 いまだ鮮血がおさまらぬ有り様に怯むこともなく黙々と手入れをはじめるその動作を、同田貫正国もまた目を逸らさず見つめた。

 <手入れ部屋>と呼ばれる一室の中央に座した彼の身体は血まみれで、傍には傷ついた刀剣が置かれている。
 刀も体も錆びた臭いを放つ要因そのものであるにも関わらず彼女はその傍らに近く寄り添っており、息をするだけで…いや、何をしなくとも彼女の薫りも体温も感じられ、それだけで熱を上げた己の身を自覚し同田貫は顔をしかめた。
 そんな彼の変化を感じたのか、顔を上げた彼女が気遣わしそうな声で問う。

「痛かったですか?」
「…なんでもねえ」

 痛覚など些細なことだ。
 そんなものより、肌を撫でる手指のほうが問題だ。 それをこの女は分かっているのかいないのか――いつもの無愛想な表情の下、一方的に煽られている同田貫の思惑など露ほどにも知らぬ彼女はまったくいつも通りで、慎重に、丁寧に、同田貫の血を拭い包帯を巻いて行く。
 刀の神である彼からすれば肉体の治療というものの回復は微々たるもので、本体さえ手入れしてくれればほぼすべて解決するのだが、それを振り払うことなくされるがままになっているということは、恐らく、自分はこの時間が嫌いではないのだろう。 戦場に立つ瞬間とまるで正反対の、ぬるま湯に浸かっているようなこの時間をいつの間にか許すようになるくらいには――主だからと、その理由だけでなく、物を大切にする彼女は命を殺す刀にすらその心を砕くのだと分かってしまったから。

(こういうのを惚れた腫れたっていうのかねえ)

 たかが女ひとりにどうこうなる…などと、そういった感情を多少軽んじていただろう自分がまさかその当事者になるとは予想もしていなかった。
 人の身はなにかと面倒くせぇなァ。
 思わず、しかしわざとらしくハァァ〜と疲れたように息をもらせば彼女はすぐに反応した。 やはり、気遣わしげな視線が向けられる。

「お疲れですか? もう少しで終わりますから…次は、あまりご無理をなさらないでくださいね」 
「誉れは一番多く取っただろーが」
「そうですけれど…心配してしまいます」

 同田貫正国という刀は戦うことが本能とし本質であると言としている。

 それを分かっていながら無意味に繰り返すこの問答も心地好い。
 ――気遣われるのが嬉しいなどと、ずいぶんと酔狂な刀になってしまった。
 だがそれでも、彼女の不安に曇る表情すら好ましいと思うのだから仕方がない。 瞳の色も名も知らないが、いつかすべて暴いてしまいたいのだ。
 自分だけがこの女の全て知り尽くしたいと望む欲は、戦をしてどれほど敵を殺したとしても振り払えるものでもない――今なら、<神隠し>をする神の気持ちが少しだけ分かる気がする。 歪んでいようが真っ直ぐであろうが、相手をどうにでもできる神の力とこんな心を理性ひとつで抑えているのだ。 そこに同意があろうとなかろうと、隠してしまった者たちはその答えに行き着く前にさぞかし苦悩したことだろう……となれば、成程。 名と顔を隠すという規則とやらもあながち無駄ではないのか。 まことの名と、顔を知らねば隠すことができないのだから多少の抑止力にはなるか。

(まあ、俺はまだ戦がしてぇから隠しはしねえけど)

 いまは、ただ純粋にこの女の顔も名も知りたいだけだ。
 その包帯の下にある瞳はどんな色をしていて、どんな風に目を細めて笑うのか。
 彼女を存在を示す名の音はどんな響きをもつのか――自分はいつかその名を呼べるだろうか。

「同田貫さん?」
「……」

 だが、そうは言っても。
 むやみやたらに心配をかけるのも、同田貫の本意ではない。 ので。

「…まあ、なんだ。 あんたを置いて折れはしねえよ」

 そっぽ向いたままそう告げると、彼女はしばし無言になった。
 同田貫がこんなことを言うと思わなかったから驚いたのだろう。 その気持ちも分かる。 彼自身もこんな台詞を言う日がくるとは想像もしていなかった。
 似合わねえことをした。 そんな、とてつもない後悔にいつものへの字口のまま「早く手入れしろ」とつい乱暴に彼女を促してしまえば、包帯を握りしめた彼女は、不意にその口元をゆるめ。


「――はい、信じています」


 あなたは強くて、決して折れない刀ですから。

 たおやかな笑みでそう言われ、慈しむ指先に肌を撫でられ…同田貫は眉根をしかめた。
 怒ったわけではない。 ただ、どんな顔をすればいいのかわからない。 寄せられた信頼に返す言葉がどうしても見つけられず、燻ってばかりの想いだけが募った。
 しかしこのままやられっぱなしと言うのもなんで、悪戯心というかそれに似たものせいか、開き直った同田貫は彼女の許可もなく無遠慮にずいっと顔を寄せると包帯越しに不思議そうな視線が返り、美しい面立ちをした彼女の淡い色の唇が、耳に心地好い声で彼の名を呼ぶ。

「同田貫さん…?」
「一番多く敵を斬ったんだ。 褒美、くれよ」
「褒美…ですか。 珍しいですね、何か欲しいものが――」

 言葉を最後まで言わせず、その口唇を塞ぐ。
 やわい実でも食んだような感触と直に伝わる他者の体温に背筋がぞくりとし、本能を揺する感覚に肌が粟立った。
 無意識に、下腹に力が入る。 流血で失われていた熱も上がる。 奥底からじりじりと込み上げる奇妙な感覚がたまらず、甘い花蜜をすするように彼女のそれを吸えば、ぴくん、と細い肩が震えたのが分かった。
 その反応が少しだけ愉快で、微かに唇を離し金色の瞳をわずかに開いて彼女の様子を盗み見ると、どこか惚けた表情でこちらを見る彼女の、淡い色の唇は旨そうなほど甘い色になって同田貫をさらに深みに誘いこもとうしているようだった―― 一瞬、あらゆる手段をもって彼女の名を暴いてやろうかという思考がよぎる――だが、同田貫の胸を押しとどめた細い手にその思考はもろく崩れ去ると、彼はゆっくりと彼女から離れ。

「…嫌だったら悪かったな」
「え、………え、と、」

 離れたといっても近く寄り添い合っているのには変わらず、端から見れば睦み合う男女の姿そのものに違いない。
 それに気付き身じろいでわずかに距離を取ろうとする彼女を逃すまいとして長い黒髪を握り締め、さらさらとした手触りを弄ぶ彼が珍しく悪巧みの笑みを浮かべ「これ以上は出来ねえよ」とそう言えば、金色の目にそれだけではないある種の熱のようなものを見つけてしまった彼女は逃れることもできずうつむいた。

 ――あんたでもこんな顔するのか。
 普段であれば、何が起きようとのんびりとしたペースで受け流してしまう相手が愛らしいほど取り乱す様を見、戦にでも勝利したような、たいそう満足した顔で同田貫がさらに離れようと身を引きかけた、そのとき。



「……嫌では、ありませんでしたから…」



 ぽつりと届いた小さな声に、彼は為す術もなく全身を赤くして固まった。

同田貫正国の敗北

好きだあああぁぁ好きだあああ田貫いいいいいやっと書けたあああああ!!
もうマジでSU KI !! 末永く!! 爆発してください!!!!!
もうガンガン攻め込んでくれたらいいと思うぜ!!(他人事)
2016.0701