聖女キサナを蝕んでいた<闇>が、光を放ちながら解けていく――。
その光景はまるで吹き荒れる光の嵐だ。
勢いが凄まじいそれは魂の怨念の集合体であるエグゼナにはひとたまりもないらしく、黒い思念は唸り声をあげながら噴き上げるようにして聖女の身体から次々と吐き出され、力強い光に分解されて消滅していく。
キサナという器が壊れたことで、エグゼナが今まで喰らい続けていた魂たちの輝きが行き場を失い暴走し、糧としていた魂で構築されていたものが、魂によって解放されようとしているのだ。
エグゼナの力が弱まり、禍々しい闇色に染まりきった茨(いばら)の壁も、茨の棘(とげ)もその茎もぼろぼろと音をたてて崩れ去り、灰と化して霧散していく。
太陽の光に焼かれるように崩れ落ちて消えていくそれはこの物語の完結を示唆しており、エグゼナが消えていく光景に呆然としながらもあたしの口からは呟きがこぼれ落ちていった。
「……終わった、んだ」
あたしたち、全部を終わらせることができたんだ。
レオンとエイナと力をあわせて、エグゼナを倒したんだ。
これで、この世界の歪みは修正される。 レオンもエイナも、ノヴァだって、本当の自分の身体を取り戻すことができる――ゆるりと込み上げてくるのは達成感だったけれど、それはすぐに、不安へと塗りかわった。
「レオン!!」
悲鳴をあげたみたいなあたしの声が光溢れる空間に響き渡る。
けれど声を荒げずにはいられない。
何故ならエグゼナを消滅させた光が、世界の中心にそびえ建つこの”転生の塔”のすべてを包むだけでなく誰にも止められないまま肥大化して膨れ上がり、倒れこんだまま動かないキサナの傍に立っていたレオンをも飲み込もうとしたからだ。
「レオ…っわ…!?」
「、来るな!!」
レオンの制止を無視して駆け寄ろうとしたところで、光をまとう強い風に全身を叩かれ、立っていられず弾かれた。
受身も取れず全身をしたたかに打ちながらそれでもなんとか起き上がると、目も開けていられないほど眩しい視界の中でレオンを探す。 眩し過ぎる世界では人間の方向感覚というものはほとんど機能せず、あたしは方角も、感覚も、レオンの姿も見失ってしまった。
「レオン! エイナ―――ッ!!」
光と灰を蒔(ま)き散らし唸るように吹き上げる風にあたしの声がかき消される。
強風に全身を打ち付けられ、立ったままでいられるのも難しい。
それでも両腕で顔面を庇いながら地面を強く踏みしめて、光の波の向こうにかすかに見える広い背にむかって思い切り叫んだ。
精一杯、繰り返し名を呼んで、光で見失わないように焦点を定める。
いまここで”彼”を見失ってしまったらもう二度と会えない――そんな気がして仕方がない。
(全部終わったのに…、なんでこんなことになるの…?!)
唇を噛み締め、目を細めながら光の波を睨みつける。
光の勢いは衰えることもなく、ますます激しさが強くなるばかり。
この光が一体何を意味するのか本能的に理解して、足元が崩れ落ちていくような恐怖心に肌がざわめいた。 エグゼナを浄化した光はまだ、何かをしようとしている―――?
(まさ、か)
怖い。
怖くて、たまらない。
これから何が起こるのか、知りたくない――恐怖におののくあたしはやがて、目を見開いた。
光の中に、レオンの姿を見つけた。
良かった。 無事だったと安堵するのもつかの間で、彼の異変に気付くのにそんなに時間はかからなかった……光に包まれたレオンの姿をしかと視認して思わず、泣きそうな声で叫んでいた。
…光に解けていくのは、”エグゼナだけではなかった”。
「れっ、レオンッ!!」
胸の内に込み上げる喪失感に泣きそうになりながら、すがるように手をのばす。
でも、離れた場所にいるせいで、伸ばした腕は聖女キサナに寄生したエグゼナを払った青年には届かない。
次第に、レオンの身体がエグゼナとまったく同じように分解していく。
その光景にあたしは息の仕方も忘れて、唇を震わせるしかなかった。
その間にもレオンの髪の毛先が、指先が。
身に着けている鎧が、細かく砕けていくように光の破片を撒き散らして、彼の存在そのものが消えようとしている。 レオン自身も驚いて自分の身体を見下ろしているけれど、彼自身も成す術もなく見守る事しかできず呆然と立ち尽くしている。
―――やだ。 なんで?
レオン、エイナ、どうしてあなたたちまで?
やっとその疑問が浮かんだそのとき、白髪の少年の姿が脳裏を過ぎった。
一つの身体に、二つの心。
その魂は、本来在る身体へ戻るべきなのだとノヴァが言っていたことを思い出す。
(これが、これが…<転生>なの…?!)
でも、あたしは何ともない。
あたしは彼らと、違うから。
なら、あたしだけ置いていかれるのは間違いない―――!
(…っ、…こんなのってない…!)
この世界で初めて目覚めた瞬間から、あたしの全ては真っ白で。
この旅も、真っ白なままの記憶から始まった旅だった。
あたしが唯一覚えているのは、変わり行く空の色だけ。
朝の白。 昼の青。 夕の赤。 夜の濃紺…その記憶が、何を意味するのか知りたくて。
それ以外のものも埋めたくて、旅をすることで繋ぎ合わせようとしたけれど、結局あたしの記憶は何にも取り戻せないままこの旅は終わろうとしている。
何一つ、取り戻せなかった。
自分という存在が何であるかすら、分からないまま。
けれどいつからだろう…記憶なんてものが、どうでもよくなってきたのは。
彼らと旅をするうちに、白い記憶は鮮やかなものへ変化を遂げた。
楽しいこともあった。 悲しいこともあった。
寂しさも、悔しさも入り混じり、長く続いたこの旅路の果てにあたしの記憶が適当に転がっていればそれでいい。 いっそ、記憶がないままでも構わない。
本当の自分を知らなくてもいい。 ただ、この旅がいつまでも続けばいい―――そんなことを望むようになった。
失くした記憶は重要ではなくなってしまった。
だって、 レオンとエイナが”あたし”という空っぽな存在を埋めてくれたから。
レオンのことを好きになって、白い記憶はカラフルな想いに埋め尽くされてしまった。
「―――レオン、エイナッ…!!」
解けていく。
溶けていく。
こうして呆然としている間にも、レオンが消えていく。
彼の剣が。
彼の鎧が。
彼の腕が。 足が。 だめ。 消えてしまわないで。
どれもこれも大事なの。 一部も欠けて欲しくない。 大切なの。 大切で大切で仕方なくって、その腕に抱きしめられることをどんなに夢見たことだろう。
風に身体を押しやられて動けないこの身は、ああ、なんて呪わしい。
早くレオンを助けなくちゃ。 やめさせなくちゃ。
「いや…だめ、やめて…っ!」
それは死への恐怖と等しい感覚。
腕をのばしても届かず、彼の元へ行こうとしても圧倒的な力に阻まれる。 ああ、あたしはなんて無力なんだろう。 好きな人を守ることも…彼の近くに行くことすらも、できないなんて。
歯を食いしばって光に挑んでも、<転生>を許されないあたしは光に拒まれ弾かれてついには壁に叩きつけられた。
「!」
「―――…はっ…ぁ!」
遠くに、レオンの声。
叩きつけられた衝撃に息が詰まって、意識が遠のきかける。
地面に崩れ落ちる身体をなんとか支えるも、レオンの消滅は進行する一方。
目の前で消えていくのを止められないのが悔しくて、寂しくて―――涙が、でた。
(…お願い)
お願い。 お願いします。
彼を消してしまうならあたしも一緒に消して欲しい。
だって、何のために召喚獣の名前の欠片を集めたの? 何のために強くなったの?
エイナという友達を、レオンという好きな人を守るためだけにあたしはここまで頑張ってきたのに……手の中で握り締めることしかできないサモナイト石が、ただ悲しい。
「レ、オン…」
頬を伝う涙の熱さで余計に自分の無力を思い知らされ、俯くしかなかった。
喉奥から込み上げる嗚咽を堪えきれずに吐き漏らして、心を引き裂かれそうな痛みが辛くて胸をかきむしる――あたしはなんで、この旅がどんな結末をむかえるのか考えもしなかったのだろう。
こんな結末なら”転生の塔”を目指すんじゃなかった。
一番大切なものを失うくらいなら、ずっと旅をしていればよかったのだ。
「―――、」
荒れ狂う世界の中で、彼の声ははっきりと届いた。
それに導かれるように顔をあげてレオンを見つめれば、彼は、自分の身体が欠落していく様を目の当たりにしているにも関わらず穏やかな表情であたしに微笑んでいる。
レオンは、やさしく笑っていた。
すべて受け入れた殉教者のように、怖いほどに優しくて静かな微笑み。
こんな顔して笑うレオンなんて見たことがない――ううん、見たくなかった。
「泣くな」
「…無理だよ、そんなの…!」
「大丈夫だ。 俺たちはすぐに会える」
「なにそれ、そんなこと言わないで――!」
ああ。 こうして言葉を交わしている間にもレオンが消えていく。
あたしの前からいなくなってしまう。
消えてしまう。
「あたしを置いて、<転生>なんて、しないで…!」
「…すまない」
レオンは全部受け入れている。
彼が受け入れているのなら、きっとエイナも同じだ。
一つの身体に二つの心を持つ彼らは今、本当の自分の身体に戻ることを理解しているのだろう。 理解もせず、受け入れたくないと駄々をこねているのはこの場であたし1人だけ。
(だって、何も、伝えてない)
レオンに、何も伝えられていない。
ずっと言いたくて言いたくて、でも言えなかった。
重荷になるのが嫌で伝えられなかったコト――誰よりもあなたが好きなのだと、そんな、たった一言。 でも、あたしの全てをひっくり返してしまうほどとても大切な、一言。
「レオン、あ、たし…、」
失う恐怖に言葉が詰まる。
この気持ちを伝えるというのに羞恥心は皆無だ。
今のあたしは、ただ必死で、必死で、レオンを失いたくなくて、ただそれだけで気持ちを伝えようとしてしまっている。
「―――、」
だというのに、再び紡がれたレオンの声があたしの言葉を止めさせた。
何も言うなと首を横に振って彼はまた、優しい笑顔を見せて目を細める……どうして、そんな酷いことをするの?
この気持ちを伝えることすら許されないというのだろうか。
それなら本当に悪い男だ。 あたしにこの気持ちを抱えたまま生きていけというのだろうか――貴方がいなくちゃこの気持ちには意味がないのに。 だから、聞いて欲しいのに。
「すぐに会える」
「…ウソっ」
「嘘じゃない。 約束する」
ゆるりと紡がれる力強い言葉たちに、気持ちが溢れてとまらない。
離れたくない。 約束なんかいらない。
生まれ変わって真っ白になった貴方をどうやって見つけろというの。
「俺の全てを賭けてもいい――約束する」
琥珀色の瞳が真っ直ぐにあたしを見つめて。
確かな意志を込め、彼はもう一度その言葉を繰り返した。
「…む、無理だよレオン。 だって<転生>するんだよ…っ」
この塔の本来の役割は、輪廻の輪から外れた魂を再び輪のなかに戻すこと――この世界じゃないどこかの世界に、あなたは行ってしまうんだよ。
そんなの、会えるはずがない。
ぶんぶんと首を横に振るあたしを見かねてか、いつものように”やれやれ”とため息を吐くと、レオンは光に解けて消えた片足をずるりと引きずって歩き出す。
「レオ、ン?」
「そっちに行くから、待っていろ」
吹き荒れる光の一部として同化しかかっているレオンは、この強風の中でも動けるらしい。
剣は地面に置いたまま、あたしのほうへ。
重傷者のように片足を引きずって歩くその姿は痛々しく、見ていられなくて思わず、ふるふると首を横に振ってその歩みを止めようと言葉をこぼした。
「レオン、だめ、歩いたら…」
「ならそんな顔するな――置いていけない」
「置いてかないで………ずっと、そばに、いて…っ」
涙声でそう訴えるあたしにレオンが目を見開いた。
彼らしくもなくぱっと頬を朱に染めて、目を泳がせて”すごい殺し文句だな…”となんとも複雑な面持ちで呟きながらも、レオンは座り込んだままのあたしを目指して歩くことをやめなかった。
途中で片足が完全に解けてなくなると、「うわっ」と声を上げてバランスをくずして転倒する。
それを見てひっと息を詰めたのはあたしだ。
<転生>の影響でとても不安定な存在となってしまったレオンが、何かの拍子に今すぐ消えてしまうのではないかと思うと気が気ではない。 無理なんかしないでほしい。
消えてしまうことを止められないのなら、少しでも長くあたしの前にいてほしいのに。
「れ、レオン、やめて…」
「くそっ、歩きづらいな…」
そりゃ片足がないんだから無茶を言わないで。 でもってこれ以上無理しないで。
そんなあたしの願いを彼はあっさりと聞き流して、みっともなく倒れた自分に苛立つように毒づきながらそれでもまだ残った両腕を使い、這うようにあたしのそばまで身を寄せた。
そんなレオンが見ていられなくなって俯(うつむ)くと、目元を隠すあたしの前髪を、レオンは手のひらでぎこちなく撫でて(指先はもうなかった)前髪を払い、あたしの額に自分の額を重ね合わせた。
「…あ」
「本当は、もっと別の事がしたかったんだがな。 今はこれで我慢する」
別のこと?、と涙で濡れた目を瞬かせるあたしにレオンは苦笑した。
そのまま、すり…と額を擦り合わせると、琥珀色の髪とあたしの前髪が境目もなく混ざり合う。
ぴったりと触れ合う額からレオンのぬくもりが直に伝わってきて、ほんの少しだけ気持ちが落ち着いた…レオンが、いつもより近い場所にいる。 ただそれだけなのに、こんなにもあたしは安心してしまって、もっと泣きそうだ。
せめて、もっとそのぬくもりを感じたい。
そう思ってもあたしは、その身体を抱きしめることができなかった。
触れてしまったら消えちゃうんじゃないかと、彼を失う恐怖に痺れて指一つ動かすこともできない。 その事をきっと一生後悔すると分かっているのに身体が動いてくれない。
本当はもっと傍に寄り添って、隙間がないくらい抱きしめたかったのに、涙ばかりがこぼれ落ちていく。
「レ、オン…」
「、俺を信じてくれ」
「……レオン…っ」
「必ず会えると約束する―――だから、お前も覚悟しろよ」
「………、覚悟? 覚悟って、なに…?」
思わぬ宣戦布告(?)に一瞬だけ、涙も忘れてレオンを見上げれば。
彼は、いつもと変わらない…だけれども、どこか吹っ切れたようなそんな表情でにやりと笑った。(あ、こんな顔初めてみた)
「二つの心が宿った体の腕じゃない。
俺は、本当の自分の腕で、お前を思い切り抱きしめるからな」
琥珀色の約束 1
「………レオンの、ばか」
ただ1人残されたあたしの呟きは、降り注ぐ光の雨に解け、消えていった。