ただ
ただ あのときは必死だったんだ
本当に 本当に、必死なだけだった
何も知らなくたって
何もわからなくたって
別れなんていつも唐突なんだと知っているからこそ 必死になった
この洞窟に入ったとき、嫌な予感がしたわけですよ。
「あ」
がこん。 と音がした同時に、立っていた足場が急に失せた。
同時にふわり、と、自分の体が急激に重くなる。
地面がある限りは感じることのない重力を身に受けた次の瞬間に響き渡ったのは、声のトーンが裏返って「ひぃやあぁぁぁぁ」と唇から零れ出て行くあたしの悲鳴だ。
足元には、さっきまではなかった大穴が暗闇を体内に秘めてぽっかり口を開けており、何かの唸り声のように響く水音にぞっとしながらも足場を失ったあたしはただ、その暗闇の中へ落ちて行くしかなかった。
そう、ただひらすらにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ・・・!
「ッ!」
暗闇に落ちて行くあたしへと腕を伸ばすのは、こんなに薄暗い洞窟内にも鮮やかなオレンジ色の髪と琥珀の瞳が印象的な旅の仲間だ。
いつもはどこかむっつりとした顔ばかりなのに、落ちて行くあたしを見るそれはかなり、切羽詰った表情だ。
レオンにしては珍しい。
伸ばされた腕は間一髪であたしを掴んでくれたけれど、勢いは殺されていなかった。
落ちて行くあたしの重みにずるり、と音をたててレオンの体が大きく傾ぎ、堪えるように「っく」と声を洩らしながら大穴の淵に手をかけ、落ちて行くあたしをどうにか引き上げようと腕に力を込めてくる。
力強い腕の力に、あたしも必死にすがりついた……イヤアアアア落ちるううううううう。
「れ、れれれレオーーン! 助けて助けてタスケテたぁぁぁすけてぇぇぇぇぇーーー!!落ちる! 落ちるーーーーーーー!!」
「わかって、る! …離すな、…ッ」
「は、離したくないけど…ッ!」
あたしの腕を掴んでいるレオンの手が、ずるりと滑っていくのが見えた。
それにつられてレオンの体はますます穴から身を乗り出す格好となって、それでもあたしを引き上げようと歯を食いしばり、表情を苦痛に歪ませる……あたしの重みをどうしても引き上げたいのに、でも、重力には勝てない。
悔しい……表情から、彼の、そんな気持ちがひしと伝わって。
(ああ、どうしようどうしようどうしようこのままだとレオンも落ちる!)
自分と自分の好きな人の命の危機に泣きそうに顔を歪めながら見上げる視界には、必死で、とても必死に引き上げようとしてくれているレオンの、苦痛の、焦燥の表情。
そしてその背景にある紫がかった彩色の天井岩と、洞窟を照らす不思議な光が瞬いた。
(ああ、どうしてこんなところに来てしまったんだ)
――――ここはキノコ谷の奥にひっそりと存在していた<朽ちゆく祭壇>の中心部だ。
獰猛な召喚獣がはびこっている洞窟で、危険極まりない。 それでもここに足を踏み入れた理由を思い出してあたしは”あー”と胸中に呻くしかなかった。
確か、キノコ溢るるルガント村の男が薬草を探しに行ったきり行方不明とか何とかで。
だからあたし達が探しに行こうということで。
そうしてこうして踏み入れた<朽ちゆく祭壇>。
逆にあたし達のほうが危ないんですけどーーーーーーー!!
ていうかあたしがこんなことになったからレオンまでこんなことになってるんですけどーーーーーー!! 責められるべきはあたしか?!
(うああぁぁあたしの馬鹿ー! 馬鹿ー! い、いやそれより、どうしようどうしようどうしよう!
このままじゃ)
嫌な想像が頭の中でふわりと浮かんだ。
それは一つの結末だ
(このままじゃ――――”レオンも落ちる”!)
あたしの足元で唸り声のごとくゴオオオと響く水音から流れは相当早いようだけど、幸いにも水だから助かるかもしれないと胸に淡い期待を膨らませた。
しかしすぐに、それはあっさりと打ち砕かれる……そういえばあたし、記憶ないから泳げたかどうかもわからないんだった……これはもう、記憶喪失前のあたしの運動神経の奇跡に賭けるべきなのだろうか?
そんな考えがぐるぐると脳内を巡っていく。
心境的にはギャンブラーと呼んで頂きたいほどの大博打になりそうだ。
(…あーあ、もう、なんてツイてない…)
なんてミスをしてしまったんだろう、あたしは。
これから、もっともっとレオンとエイナと一緒に、この世界を見て廻れるかと思ったのに。
(……ああ、そうか)
別れなんて、いつも突然だった。
レオンやエイナと同じく、記憶のないあたし。
けれどそれでも知っている。 別れというのもはいつも突然。
知っているけれど――レオンとエイナは死なせたくないなあと、強く思う。
だから。
「レオン、ごめん」
ぽつりと呟けば、レオンの瞳が見開かれた。
なんて綺麗な琥珀の瞳なんだろう。 今際の際に見るには最高かもしれない。
「エイナをよろしくっ」
自分で驚くくらいに、自然な笑顔が顔に浮かんだ。
好きな男を他の人に託す言葉なんて死んでも吐いてたまるかとか思ったのに、そんな言葉も自然にするりと零れ出て行った。
ああ不思議。
死ぬときは、もっと醜く、汚く死んで行くと思っていたのに。
「っ…!」
自ら、その手を振りほどく。
あっという間に解かれた繋がり――――それと同時に身に受けるのはひたすら落ちて行くだけの、重く、重い、重力。 体が、全てが暗闇の中に落ちて行く。
最後まで見上げた視界には、やっぱり驚愕の表情を浮かべてあたしの名を叫ぶレオンと、やっぱりその背景にある紫がかった彩色の天井岩と、洞窟を照らす不思議な光。
――――<朽ち行く祭壇>。
その名に相応しく、獰猛な召喚獣がはびこっている洞窟。
けれども、この洞窟はとても美しいのだと今気がついた。
岩の色は霊界サプレスを思わせるように淡く綺麗な紫で、その洞窟内を照らす灯りは天然の光苔。 ぼんやりとしたその灯りは見惚れるほどに温かだ。
今際の際にしてはなんと美しく、嬉しい光景か。
(好きな人の顔が見れて、死ねるなんて幸せだわね)
……まあ、死ぬのはすごく嫌ではあるのだが。
でもレオンが死ぬかもしれないとか思うと、なんだかそれは、すごく嫌で嫌でたまらなくて。
意外と尽くせるタイプなのかと、自分の新たな一面に苦笑すれば――――次には見つめていた瞳を驚愕に見開いてしまった。
後を追うように、躊躇いもなく穴の縁から飛び降りる男の姿を目にしたからだ。
「レ――――?!」
名前は、叫ぶことが出来なかった。
落ちるにつれて洞窟内に大きく響く水音に掻き消されて、次の瞬間には全身が冷たい水に叩きつけられた。
体は、飛び跳ねた飛沫と泡立つ水泡に包まれて、共に水中へと深く沈んでいく。
次に理解するのは息苦しさと、身動きできないほどまでの急流の激しさだ。 それに喘ぐように水を掻き分けても、水面に顔を出す事もできなかった。
……予想外に冷たい水が、あたしの体の熱を奪い、やがては全てを蝕んでいく。
次第に薄れていくあたしの意識。
水中の中でも、深く、深く、呼応するように響く急流の轟音をどこか遠くに聴きながら。
そして朦朧としていく世界の中で、あの、美しい光景をぼんやりと思い浮かべながら。
急速に遠ざかっていく意識をそのまま手放すしかなかった――――。
唸り声に相応しい流れを紡ぐ急流に、レオンは抗うことなく飛び込んだ。
ざぶん、と水の音をたてて一度、深く、深く、体が水の中に沈んでいく。 鎧が重く、体が重く、動くことすらもままならぬ身体を必死に動かして水を掻き分け、唯一の灯りである光苔がぼんやり照らす世界へと顔を出した。
ざばぁっとけたたましい音をたてながら飛沫が散るも、唸り声の前にはその音すら、ささやかなものに過ぎなかった。
「はぁ、はぁ、…・っ…!」
酸素不足に視界を濁らせながらも水を掻き分け、彼女の姿を見つけようと目をこらす。
水面に人影はない。 琥珀の双眸を通してそれを素早く理解すると、レオンは一度、息を深く、吸い込んだ。
心の中では”どうしてこんなことに””だから気をつけろと言ったのに”と彼女を叱責する気持ちばかりだが、再び深く息を吸い、ザブンと水中へ潜る。
水泡と共に舞い戻った水世界は、光のない、暗闇に包まれた世界も同然だった。
だがそれでも、先ほどよりも比較的緩やかになった水の流れを身に感じる。 どうやら穏やかな流れの水域に辿り付いてしまったらしい。
”探すなら今だ”と水を掻き分け、ぐるりとあたりに目を凝らせば。
水の中にゆらりと沈む、流されるままのの姿を見つけた。
完全に意識を手放しているとわかるその姿に、先ほどまで沸いていた怒りはすぐに収まり、次には”死ぬな””死ぬな”と何度も念じながらその体を抱き締めて、動きを鈍らせる水を必死で掻き分け、水面へと浮上。
視界の隅に岸を発見すると、朦朧とする意識を奪われまいと今一度、冷たい彼女の体を抱き締めて心を奮い立たせ、懸命に手で水を掻く。
ゆっくりと、少しずつ、流れに流されていかないように逆らって、岸を目指す。
目的の場所はとても遠く見えて、レオンの体力は水に削られる岩のごとく磨り減っていき、水を掻く手もだんだんと鈍い動きを見せ始めた。
(くそっ…!)
心の中で毒づいて、それでも懸命に、懸命に水を掻く。
死なせてたまるか。 まだ、死ぬな。 これから、一緒に、世界を見て廻っていくのに。 記憶を共に取り戻そうと約束したのに。 なのに彼女だけここで消えてしまうなんて。
(冗談じゃない…!)
琥珀の双眸が、ぎらりと殺気だって輝いた。
それは、生と死の狭間に立たされたものが宿すことが出来る、生への渇望だ。
かじかむ身体を叱咤するようにぐっと唇を噛み締めて(血の味が口内に広がったが、気にしない)、纏わりつく水を払うかのように前へ進めば、レオンの願いが届いたかのように彼の手が岸へりを掴んだ。
それに勢いをつけて自らを引き寄せ、ぐったりして動かぬの体を岸に上げてから、震える腕で自分の身体をぐっと持ち上げた。
ざばぁっと大きな飛沫をたててレオンの体が持ち上がる。
鎧が、かなり重い。 全身が疲労感に包まれて、とても、とても重い。 全てが。
首にかけてある<常夜の石>がほのかに光を放ち、呼びかけるように点滅をしているのが視界の端に見える。
だがレオンは”まだだ”と低く呟くと、琥珀の双眸をぴくりとも動かぬへ向けた。
「…・」
息をしていない。
けれど死んではいない。 水を多く飲んだのだと理解すると、エイナに変わる時間も惜しかった。 レオンは一つ深呼吸をしてから、人工呼吸の法に則って鼻を塞ぎ、彼女の顎を浮かせる。
そして青く、冷たくなった唇に、同じくらいに冷たくなってしまった自分の唇を重ねた。
レオンの酸素が彼女に通るようにと角度を変えて、彼女へと吹き込む――――初めて触れる彼女のそれは決して甘いものではなく、酷く冷たく、背筋がぞっと凍りつく思いがする。
氷のような冷たさ。
それでも何度も、何度も繰り返す。
心の中で、生きろ、生きろと彼女に呟く。
”レオン、ごめん”
そう笑った顔は、あまりにも残酷なものだった。
何の未練もなしに逝くのだと言わんばかりでとても嫌な笑顔だと、心底思った。
「…生きろ…」
生きろ。
生きろ。
別れは唐突なものだと、彼女は笑っていたけれど。
(生きろ)
けれど唐突な別れは認めない。
死なせてなんてやるものか。
一人だけ。 先に逝くだなんて。
させるものか、そんなこと。
人の心を散々踏み荒らしておいて、勝手過ぎるではないか。
「――ごほっ…!」
身体が一度大きく痙攣してから、水が吐き出した。
むせ返るように咳き込みながらもはようやく息を吹き返す。 生気を取り戻していくその姿にそれにどっと安堵しながら、吐き出した水を再び飲み込んでしまわないようにする必要があると判断すると、躊躇することなく濡れた顎を掴んで再び口づけ、彼女の口内にある水を吸い出そうと先ほどよりもより深く重ねる。
そうすると、口内に溜まっていた水がからレオンへと移り始めた。
ぬるい温度の、水の味が口内に広がってゆく。
「、ん…っ」
そのとき、鼻にかかったような声が零れた。
吸い出す行為に舌同士が触れあい、普段では感じられないようなそれに彼女は敏感に反応すると、濡れた睫毛を小さく震わせて顔を歪めた。
その表情には、突然訪れた未知の感覚に脅える色が浮かび、びくりと身体を震わせるとは、口づけの苦しさに抗うかのようにレオンの鎧の胸に手を当てて押し戻そうと力を込めた。
その反応に驚いたのはレオンだ。
(な)
ほんのわずか触れただけなのに――――零れたそれはあまりにも、想像以上に自分の鼓膜を甘く叩いて響いて。 そこで初めて、朦朧としていたレオンの意識が鮮明なものにへと晴れていった。 晴れていくそれに慌てて彼女から身を離すも、脳裏に過ぎた自分の考えに、ただただ愕然としてしまう。
(お、俺は、何を)
これは、人命救助の措置のはずなのに。
奥底から湧き上がる羞恥に身体が急速に熱くなっていくことを理解しながらも壁際にまで後退すれば、背が、ドンと壁についた。
その反動に思わず、口内に溜まり吐き出すはずの水をごくりと飲み込んでしまう。
何をしているんだ自分はと思うよりも、咳き込む苦しさがレオンを襲う。
「げほっ、ごほっ、ごほっ…!」
今
自分は、何を
何を、思った――――?
” ”
心の奥で自分の心が、ひそりと答えを囁いた。
それを振り払うように首を横に振るも、囁きはいつまでも、レオンの中に甘く残る。
甘く。 甘く――――優しく、なのに衝撃なまでに、響く。
”いとおしい”
首にかけてある、<常夜の石>が物言いたげに瞬いていた。
一つのカラダを二つのココロで共有してしまっている相方に何を言われるのかを何ととなく察知してうんざりと顔を歪め、飲み込んだ水が喉の奥へと落ちて行くそれを感じながらもレオンの身体はぐらりと傾いて。
彼は、自分の身体が地面に倒れる音を聴いた――――。
続