(――ぁ、バターの匂い…)
食欲、というものはなんとも正直なものだ。
ふわりと漂ってきた匂いに心地良いまどろみから引き戻されて、薄っすらと目を開く。
春の暖かな日差しと開いた窓から滑り込む風のせいでいつの間にかうたた寝していたみたいで、ぼんやりと天井を眺めたのち、ジラール邸のリビングのソファを独り占めするような体勢のまま、あたしはうーんとのびをした。
少しだけ固くなった身体がほぐされて、それは大変気持ちがいい。
すん、と鼻を利かせるとやはりこの芳ばしい匂いは夢ではなかった。 寝ぼけた頭でも想像できる。 ふわっふわのホットケーキとかそういうの。 それだけで幸せな気分になれるあたしってばなんて食い意地がはってるのかしら。 でも、レシィの作るホットケーキはギブソンが唸るほど美味しいのよ。
(たのしみー…)
若干ニヤけてしまったあとで、またうとうとと目が閉じた。
「――ご主人さま、おやつができました〜…、あっ」
バターとハチミツがのったホットケーキの皿を手に現れたレシィは、はっと口を押さえた。
緊張で、尻尾がぴんと真っ直ぐにのびる。
まるで見てはいけないものを見てしまったかのように慌て、きょろきょろと周囲を見渡すが彼以外は誰もいない。 そうか、他の人は部屋にこもったり、出かけたりとして今この場には自分たちしかいないのか――すやすやと気持ちよさそうに眠る主の姿を再度確認して、彼女を起こさずにすんだことに、ほっ、と肩の力が抜けていった。
極力、音をたてまいと足音を忍ばせ、そろそろとの眠るソファまで近づく。
香ばしい匂いをたてる皿をテーブルに置いて、レシィはソファの前にちょこんと座りこんだ。 起こそうかどうしようかしばし迷ったあと、小声でそうっと呼びかけてみる。
「…ご主人さま〜…おやつができましたよ〜…」
「ん〜……レシィ…?」
「はい、ご主人さまの大好きなホットケーキです〜」
「……ホットケーキ……」
しかし、レシィの声に応答しただけでは起きなかった。
また寝息をたてて夢に沈む主のために、レシィはそろりと離れるとブランケットを手に戻る。 肩まで覆うようにかけてやるとの寝息がより深くなったような気がした。
そういえば昨日は夜遅くまで本を読んでいたなぁと、夢うつつに見た彼女の横顔を思い出す。
(よく眠ってるなぁ…)
まるでそこが定位置であるように、レシィは再びソファの前にちょこんと座りこんですぐ目の前で眠る主の寝顔をじっと見つめた。
まるで見惚れるように見つめてしまっていることに、幼いレシィ本人は気づかない。
(――、かわいいなぁ…)
睫毛の影を落とし、深く深く熟睡するこの人は自分より年上で。
どちらかというとレシィのほうがにカワイイカワイイと撫でくりまわされるのだが、レシィもこの人がかわいい人なのだと思ってしまうときがある。 きれいな人だとも、思ったこともある。
そのこと友達のバルレル(しかしバルレル本人に友達と認められていない)に言うと、そんな馬鹿なと言いたげに「ハッ」と鼻で笑われてしまったのだが、何故だろう。 他の人はそう思わないのだろうか。 レシィの世界でも美しい獣人の女の人はたくさんいたけれど、この人ほど”きれい”だと思ったことはない。
(…でもこの人が、僕のご主人さまなんだ)
デグレアとの戦いは確かに怖い。 恐ろしい。
でもそれを上回るほどこの人の隣にいられることが、何よりもうれしかった。
角を失ったことで群れに加わることもできなかったメイトルパの世界を惜しむより、この人と過ごす日々を失うことのほうが惜しい。
泣くことより、誰かと笑っていられることが。 自分の作ったものを「おいしい!」と幸せそうに食べてくれるこの人の姿を見られることのほうがこんなにも、こんなにもうれしい。
「ご主人さま…」
だいすきです。 だいすきです。
できればあなたの隣に、ずっと置いてほしいです。
力の弱い僕でも、「だいすき」だと言ってくれるあなたのそばに。
もし、何年か経って。
この想いが、何かの形に変化してしまったとしても。
あなたの傍にいたいと願う心だけは、きっと、ずっと変わらない。
食欲、というものはなんとも正直なものだ。
ふわりと漂ってきた匂いに心地良いまどろみから引き戻されて、薄っすらと目を開く。
春の暖かな日差しと開いた窓から滑り込む風のせいでいつの間にかうたた寝していたみたいで、ぼんやりと天井を眺めたのち、ジラール邸のリビングのソファを独り占めするような体勢のまま、あたしはうーんとのびをした。
少しだけ固くなった身体がほぐされて、それは大変気持ちがいい。
すん、と鼻を利かせるとやはりこの芳ばしい匂いは夢ではなかった。 寝ぼけた頭でも想像できる。 ふわっふわのホットケーキとかそういうの。 それだけで幸せな気分になれるあたしってばなんて食い意地がはってるのかしら。 でも、レシィの作るホットケーキはギブソンが唸るほど美味しいのよ。
(たのしみー…)
若干ニヤけてしまったあとで、またうとうとと目が閉じた。
「――ご主人さま、おやつができました〜…、あっ」
バターとハチミツがのったホットケーキの皿を手に現れたレシィは、はっと口を押さえた。
緊張で、尻尾がぴんと真っ直ぐにのびる。
まるで見てはいけないものを見てしまったかのように慌て、きょろきょろと周囲を見渡すが彼以外は誰もいない。 そうか、他の人は部屋にこもったり、出かけたりとして今この場には自分たちしかいないのか――すやすやと気持ちよさそうに眠る主の姿を再度確認して、彼女を起こさずにすんだことに、ほっ、と肩の力が抜けていった。
極力、音をたてまいと足音を忍ばせ、そろそろとの眠るソファまで近づく。
香ばしい匂いをたてる皿をテーブルに置いて、レシィはソファの前にちょこんと座りこんだ。 起こそうかどうしようかしばし迷ったあと、小声でそうっと呼びかけてみる。
「…ご主人さま〜…おやつができましたよ〜…」
「ん〜……レシィ…?」
「はい、ご主人さまの大好きなホットケーキです〜」
「……ホットケーキ……」
しかし、レシィの声に応答しただけでは起きなかった。
また寝息をたてて夢に沈む主のために、レシィはそろりと離れるとブランケットを手に戻る。 肩まで覆うようにかけてやるとの寝息がより深くなったような気がした。
そういえば昨日は夜遅くまで本を読んでいたなぁと、夢うつつに見た彼女の横顔を思い出す。
(よく眠ってるなぁ…)
まるでそこが定位置であるように、レシィは再びソファの前にちょこんと座りこんですぐ目の前で眠る主の寝顔をじっと見つめた。
まるで見惚れるように見つめてしまっていることに、幼いレシィ本人は気づかない。
(――、かわいいなぁ…)
睫毛の影を落とし、深く深く熟睡するこの人は自分より年上で。
どちらかというとレシィのほうがにカワイイカワイイと撫でくりまわされるのだが、レシィもこの人がかわいい人なのだと思ってしまうときがある。 きれいな人だとも、思ったこともある。
そのこと友達のバルレル(しかしバルレル本人に友達と認められていない)に言うと、そんな馬鹿なと言いたげに「ハッ」と鼻で笑われてしまったのだが、何故だろう。 他の人はそう思わないのだろうか。 レシィの世界でも美しい獣人の女の人はたくさんいたけれど、この人ほど”きれい”だと思ったことはない。
(…でもこの人が、僕のご主人さまなんだ)
デグレアとの戦いは確かに怖い。 恐ろしい。
でもそれを上回るほどこの人の隣にいられることが、何よりもうれしかった。
角を失ったことで群れに加わることもできなかったメイトルパの世界を惜しむより、この人と過ごす日々を失うことのほうが惜しい。
泣くことより、誰かと笑っていられることが。 自分の作ったものを「おいしい!」と幸せそうに食べてくれるこの人の姿を見られることのほうがこんなにも、こんなにもうれしい。
「ご主人さま…」
だいすきです。 だいすきです。
できればあなたの隣に、ずっと置いてほしいです。
力の弱い僕でも、「だいすき」だと言ってくれるあなたのそばに。
もし、何年か経って。
この想いが、何かの形に変化してしまったとしても。
あなたの傍にいたいと願う心だけは、きっと、ずっと変わらない。