「そういえば、さんは龍の”逆鱗”というものを見たことがありますかねぇ?」
「……は?」
それは突然に振られた話だった。
正直、唐突過ぎて何を言いたいのかよく分からない。
「いきなりなんなの…?」
事の始まりは、夕焼けの赤がまだ淡い色の時刻だった。
気持ちのいい陽光を十分に吸いこんだベッドシーツを取り込む手を止め、何を企んでいることやら…と眉をひそめてあたしはシンゲンに振り返る。
【 忘れじの面影亭 】の客の一人である彼はどうやら暇を持て余しているらしく、「手伝いますよ」とカゴを持ってあたしの傍らに立ち、次々に重ねられていくシーツの重みをまるで感じていないように、飄々と言葉を続けた。
「いえね、ふっと思ったのですよ。 セイロンにも”逆鱗”はあるのかなぁと」
「げきりん…? ああ、龍の顎にある逆さに生えた鱗のことね」
他に、偉い人を怒らせたことを”逆鱗に触れる”とも例える。
龍の顎には本当に逆さ鱗があるのかどうかも知らないけど、こういうのって確か故事から生まれたんじゃなかったっけか――そんな事をぼんやりと考えながらシーツの取り込みを再開していれば、シンゲンはにこやかに口元をゆるめて笑った。
相変わらず胡散臭い。
「さすがさんですねぇ。 御主人たちの父上もシルターンに詳しい人みたいでしたが、さんもなかなか通じていらっしゃるようで」
「いやぁ、通じてるって言われるほどのことでもないんだけどねー……(…まあ、ケンタロウさんとはある意味で同じ世界の出身だしなぁ…)」
「それで、その”逆鱗”のことなのですがね」
本題だ。と言わんばかりに、両腕にカゴを抱えながらシンゲンは、ずずいっとこちらに身を乗り出してくる。
必要以上に近い位置に寄せられたシンゲンの顔に思わず、ぎょっと身を引いてしまった。
好みのタイプでもなんでもないけど、この人、顔は良いんだよね。 顔は。 いきなり接近されたらさすがに驚いてしまう……っていうか、なんなの。 さっきから何なのこの人。
邪魔したいのか手伝いたいのかよく分からないんですけど。
「シンゲン……あたし、仕事中なんだけど」
「まあまあ、そんな顔をしないでくださいよ。
次はどんな歌をうたおうかと考えている途中でふっと思いついた、ささやかな興味ですよ」
ええぇぇ、また、歌うの…?
今度はものすごくガッカリした気持ちを隠そうともしないあたしの顔に、シンゲンはまるで気付きもしない………あたしはこの男にこそ切実に空気を読んでほしいよ。
KYな侍だなんてウザがられること山の如しで、トレンドにも何にもなりゃしないよ。
「いやぁ、昔からずっと気になってはいたんですよ。
鬼妖界の神事にたずさわっていない自分の身分では、静かなる龍神にはおいそれと近づくこともできないものですし、龍人族は人間の里でも高貴なる者として尊ばれていたので”逆鱗”の有無の確認なんてさせてもらえるわけがない――そこで、さんの出番というわけで」
だから、何であたし……いやいや、ここでそんなツッコミをしてしまえば本格的に絡まれるのは確実だ。
これはもうスルーしかない。 逃げきれてこそあたしの勝利だ。
「あ、そろそろ夕食の支度の手伝いに行かなきゃ。
ってことでシンゲンまたねー、手伝ってくれてありがと! ほんと助かったわ、ものすっごく助かったわーそれではアディオス、グッバイ、また会う日まで〜!!」
「おっとさん、話の途中で逃げようだなんて卑怯ってもんですよ」
シンゲンの話をスルーしてカゴを奪って逃げようとしたのに、そうはさせまいとシンゲンがカゴを持つ手に力をこめて「ふんぬ!」と地面に踏ん張った。(ちょ、何で抵抗すんのあんた…!)
お互いにカゴに持ち合うような形になりながら、グググッと対峙することしばらく――とうとうあたしが根負けして、はぁっと溜息を吐いて力を抜くことに。
だめだ、やっぱり体力差が物を言う…!
「あたしにどーしろって…?」
「いや、ちょいと確認してきてほしくて。
セイロンの顎下を見たところ何もないですが、もしかしたら身体のどこかにあるのやも…」
「えらく”逆鱗”ネタに食いついてくるわね……でもわざわざあたしが確認しなくても、シンゲンがセイロンを押し倒せば早いんじゃない?」
それはそれである意味すごい絵面だけど。
まぁ、どっちもイケメンなので大丈夫なんじゃないかしら……なんて、ものすごくテキトーかつ他人事な感じで答えてやると彼も同じことを想像してしまったのか。
さすがにシンゲンの顔が引きつった。
「いやぁ、それはちょっと……仮にも故郷で神聖視されている龍人族の若様なので」
「あたしにその若様を押し倒せってーか!」
「いやいやいやいや、さんなら大丈夫ですって。 セイロンとも仲が良いじゃありませんか」
「断る!」
「即答?!」
「だってなんか嫌な予感しかしないし、何より気が進まない。 セイロンが嫌がることはしたくないもの」
それに、本当に”逆鱗”というものがあるならそれはセイロンにとって大切な物なんじゃないか……そんな事を考えると、さすがに躊躇われた。
恋人でもないのに身体のどこかにあるかもしれないものを「見せて」だなんて、とても言えやしない。
(どうせ、あたしの片想いですけどねっ)
見せてもらえる資格がない事にすねながら、不意に、セイロンの姿を思い出す。
彼の、驚くほどの豪快さ。 友人への想いに尽くす誠実さ。
気持ちがいいほどさっぱりしたところには好ましいとさえ感じている―――最初は、自分にはない物を持っているセイロンのそんなところが羨ましかっただけなのに、いつの間にこんな気持ちを持ってしまったのだろう。
この宿で共に過ごすうち、セイロンの笑顔を見る度になんだかとても嬉しくなってきて。
気がついた時には、<憧れ>だったものはすでに<憧れ>だけでは片付かなくなってしまった……自分が思っていた以上にこの気持ちは大きく花開いてしまっていて、今だ枯れることはなく咲き続けている。
(あーもう、好き過ぎて困る…)
自然と熱くなる頬を押さえて、呆れ混じりにため息が出た。
他の誰よりも、ほんの少しだけの特別な感情。
でも、それを持っているのはあたしだけなのだから、余計にバランスに困る。
セイロンからすれば””という人間はライとフェア、他の御使いたちと同じくらいの仲間意識がある程度だろうし、やっぱりそんな、”逆鱗”など大切なものを見せてもらえるわけがない。
……って、いうか。
「死んじゃう! あたし死んじゃうから!!
”逆鱗”って人が触ると殺されるって話があるものォォォうっかり触っちゃったりとかしたらどうすんの! ゴメーン★じゃすまないわ、死んじゃったらあんたどう責任とってくれるわけ?!」
「いだだだだっさん両耳引っ張るとか地味に痛いんで勘弁してくださいよっ」
カゴを持っているため両手が塞がっているシンゲンが、情けない悲鳴をあげる。
それでもぎゅーーーっと両耳を引っ張るあたしの手を避けるように飛び退いて離れると、シンゲンはほっとしたように溜息を吐く。
「お〜いたた…」と困ったように眉を下げた顔はどこから見ても人畜無害なのに、これで刀を握らせたらとんでもない剣客になるのだからすごい。 これもシルターンの神秘か。
「ぁいたた…まったく、ひどいじゃないですか」
「いや、あたしの方が困ったから。 眼鏡侍の好奇心で殺されるとか冗談じゃないわよ」
「うーん、でも本当に、さんなら絶対大丈夫ですよ。 その辺は保証しますって」
自信満々とでも言いたげに、にっこり笑顔でシンゲンが断言する。
まったく、その自信はいったいどこから出てくるんだか……。
「何を根拠にそう言えるわけ?」
「ほら、昔から言うじゃぁないですか。 龍は処女(おとめ)を好むって……あ゛っ」
(まったく、シルターンの侍ってみんなああいうムッツリばっかりなのかしら!)
ずんずんと足音荒く、取り込んだシーツを抱えたまま宿の廊下を突っ切った。
すれ違う宿客は皆あたしの形相に驚きながら道を避け、「なんだなんだ」とでも問いたそうな目であたしの背中を見送る。
しかしあたしはそれどころではなく、羞恥と怒りのあまりに熱を持った耳の熱さにへらへらと笑うシンゲンの顔を思い出して、余計に怒りが込み上げるばかりだ。
まったく、よくも真正面からあんな事が言えたもんだ。 だいたい龍が処女を好むだなんて聞いたこともない。
(ああもう、もっと強く叩いときゃ良かった!)
この怒りは、清々しいほど澄んだ音をたてた平手の一撃では消化されなかったようだ。
脳内に浮かぶシンゲンの顔をしこたま殴りまくるシュミレートをしながら、一つ一つ、部屋をノックしては入室する――今日取り込んだシーツを宿の客室にそれぞれ整えて、回ること。
いわゆるベッドメイキングだ。 この作業が最後の仕事で、これが終わればご飯を食べてお風呂に入って、あとは気持よく寝るだけなのだ。 働いて食べて寝る。
なんて健康的な生活なんだろう。
「えーと、リビエル終わったし、アルバも終わったし、次は…セイロンの部屋だけか」
フェアから渡された名簿の控えに目を通して呟いた、セイロンの名前。
その名の音に、先ほどのシンゲンとのやり取りが頭の中にぽんっと浮かんだ。
龍人族にも”逆鱗”があるのだろうかという、シンゲンの好奇心――そりゃあたしだって、興味がないと言えば嘘になる。 それが好きな人の事ならなおさらだ。
ものすっごく気になる。
(でもなぁ、怒られるのもアレだしなぁ…まさか着替えを覗くわけにもいかないし)
そもそも、本当に”逆鱗”なんてものが存在するのだろうか。
あたしの世界には龍なんてファンタジーの世界の生き物だったし、龍が実在している本場のシルターン出身のシンゲン本人も見たことがないなんていうくらいだから、かなり確率の低い話のような気もする。
「…あるのなら、そりゃ、見てみたいけど」
ぽつりと落ちる呟きは、なんだかんだで気になっている証拠。
しばらくその場に突っ立って、さんざん悩んだ挙句に「一応、聞くだけ聞いてみようかな……」と、少しオドオドした足取りでセイロンの部屋に向かうあたしは昔も今もチキン野郎です。
はい。
そうしてシーツを胸に抱えたまま、あたしの足は彼の部屋へ。
セイロンの部屋は他の御使いたちよりも少し奥まった位置にある。
他の客室と変わらない装飾の扉の前に立ち、念のためにと部屋番号もきちんと確認。 ドアノブに不在の札も出ていないから本人はいるんだろうけど……すーはーっすーはーっと深呼吸してから三回ノックの後、扉に向かって声をかけた。
「セイロン、シーツ取り換えにきたよー」
「――――ああ、今、開けてやる。 少し待っておれ」
いつものように、ちょっとだけ上から目線の返答。
でもこれがセイロンという青年で、今ではこれが彼の”普通”なのだと知っている。
セイロンは、自ら望んでシルターンからリィンバウムにやってきた。
話を聞くと、<龍>と名のつく生まれからか物心つく前から多くの人に敬われ、かしずかれて育ってきた。 そんな環境にいたから誰に対してもこんな風なんだとか。
普通ならそんな人は毛嫌いされてしまうものなんだろうけど――でも彼の場合、それが嫌味にならないところがポイントかな――と、惚気のようなそんな事を考えている間にも扉はゆっくりと開かれて、セイロンの綺麗な顔が視界に映った。
彼の目があたしの姿を認めると、その唇はゆるやかな笑みに緩む。
「いつもすまんな、よろしく頼む」
「う、うん。 それじゃ、シーツ取り換えるからちょっと入らせてもらうね」
…ほんと、嫌味にならないなぁ。
くすみも澱みも何もない真っ赤な髪と、赤い瞳と、赤髪からのぞく龍属の証の金色角はすっかり見慣れてしまったものなのに、心の準備もなく不意に目にすると、その端正な相貌に見惚れてしまいそうになる。
ああもう、どんだけセイロンが好きなのかしらあたしって。 なんだか恥ずかしい。
どきどきそわそわと落ち着かず緊張しながらセイロンの後ろについて、部屋に踏み込んだ――そのとき、ふわりとただよう優しい香りに鼻腔をくすぐられて、つられるように顔を上げた。
(……なんだろ?)
ほんのり甘い、優しい香りだ。
匂いの元をたどるように室内を見渡せば、すぐにその元が目に入る。
ベッド脇のサイドテーブルの上にちょこんと乗った、藍色の小さな香具から薄白の細い煙筋が立ち上っており、そこから匂いが部屋中に広がっているようだ。
「それってお香? いいにおーい」
「うむ。 先日に町の小道具屋で見つけてな。 売り物ではなかったのだが、香具の造形が美しかったので店主に無理を言って譲ってもらったのだ」
「うん、すごく綺麗な藍色だね。 これって何の匂いかな…」
部屋中が香の匂いに満たされても不快感は感じない。
それどころか、優しい甘さに心が和んでしまう。 シンゲンに覚えた怒りだって急激に薄らいでしまったから、ものすごくリラックス効果が高いんだろう。
この香りに包まれて眠れば良い夢が見られそうな気がする。
「あたし、この匂い好きだなー」と顔を近づけてその香りを楽しんでいれば、背ろにいたセイロンが小さく笑った気配がした。
「ん? なに?」
「いや、気にいってくれたのなら何よりだ」
ぱらりと開いた扇子で口元に浮かんでいるのであろう笑みを隠して、セイロンは笑う。
このお香のおかげなんだろうか。
なんだか今のセイロンはいつもより嬉しそうというか、ご機嫌みたいだ。 シーツを整えるあたしを横目に見ながら、鼻歌まじりにお香を表面を撫でている。
(うん――今なら、見てみたいなーって、軽い感じで聞けそう)
険悪な空気になりそうなら、すかさずシンゲンにそそのかされたと言えばいい。
実際そそのかされたし。 諸悪の根源は彼なのだ。 そんでもって、セイロンにフルボッコにされればいいよ。 そうすればあたしもすっきりして一石二鳥。
ぜひ眼鏡が吹っ飛ぶほどボコっていただきたい。
「ねえ…セイロン、ひとつ聞いてもいい?」
「む? どうした、改まって」
神妙な顔つきのあたしを見て、セイロンの目が不思議そうに丸くなる。
赤い瞳にまっすぐに見つめられてどきまぎしながら、「あー、その」と言葉をにごす。
どうしよう。 本当に聞いても大丈夫なんだろうか。
迷惑じゃないかな。 困らせたりはしないかな――そう考えると面と向かって言いづらくなってきた。 なので、セイロンにぱっと背を向けて、シーツを整えるふりをしながらあたしはその言葉を口にしてみた。
何気ない質問に聞こえますようにと、心の中で祈りながら。
「ええと、セイロンの”逆鱗”が見てみたいなーって」
カタ、ン―――…ッ。
そんな軽い音をたてて、セイロンの手から扇子が床に落ちた。
(え、セイロン…?)
あのセイロンが扇子を落とすなんて…と、驚く。
でもそれ以上に、扇子を落とすほどまでに彼のほうが驚いたのだ。 落とされたまま拾われることのない扇子の姿が、彼の驚きの度合を代弁していると言っても過言ではない。
ただただ絶句している様子の、セイロン。
何が起こったのかいまいち理解できていない、あたし。
硬直したように動かない二人がいる部屋にやんわりと降り注いだものは、薄いヴェールに覆われたような、そんなささやかな沈黙だった。
なんとも言えない、微妙な雰囲気が混ざった静けさ。
この部屋からだと食堂は離れた位置にあるから、夕食時独特の賑わいもやや遠く。 忙しなく店内を走り回っているであろうライとフェアの、オーダーを取る元気な声さえもこの沈黙に薄められて遠く聞こえる。
なんだか、この部屋だけが切り取られた別の空間のような錯覚しそう。
(な、なに…?)
―――この異様な静けさ。 一体、何が起こったというのだろうか。
胸の中でじわじわ膨らみ始める不安に思わずセイロンを見つめれば、彼の、あたしを見つめる目はいつまでも大きく見開かれたままで、”とんでもない事を聞いてしまった”とでも言うような目で凝視してくる。
「あ、の…、セイロン…?」
やっぱり聞いちゃまずかったかな…と、思わず不安そうな声で名前を呼んでしまう。
その声にはっと我に返ったようにセイロンが息を飲んで、床に落ちている扇子に視線を下げた後、まだ動揺していることを隠せていないぎこちなさで扇子を拾い上げた。
いつでも堂々としているセイロンが、こんなに戸惑ってる姿は今まで見たことがない。
やっぱり聞くことすらいけない内容だったのかああぁぁぁシンゲンの馬鹿ァアアァァ……!! っていうか、どうしようどうしよう。 なんか変な汗が出てきた! これはもうごまかすしかない!
「と、突然変なこと言ってごめんね! その、さっきのは、聞かなかったことに…」
「い、いや…まさか、そなたにそう言ってもらえるとは思ってなかったからな。 驚いてしまった」
ごほん、と一度、妙な咳ばらいをしたあと、セイロンはふうと一息を吐く。
その姿は緊張をほぐそうとしているようにも見える。
でも、セイロンが緊張なんかするのかな”ととても失礼な事を考えながら彼の行動を見守っていれば、彼は簡単な深呼吸を繰り返したあと、どうすればいいのか分からず突っ立っているあたしの両肩にそっと手を置いた。
「?」
「とりあえず、そこに座るがいい」
え。 とセイロンを見上げる。
それと同時に、整えられたばかりのベッドにすとんっと座らせられた。
座りこんだ反動でベッドがギシッと軋んだ音をたて、その音が無性に恥ずかしくなって思わず俯いてしまうと、低くなったあたしの目線に合わせるようにセイロンが床に片膝をついて跪いた。
「せ、セイロン?」
驚きを隠せない。
だって、セイロンが膝をつく姿なんて見たことがない。 リュームたちに丁重な礼をするけれど、それは頭を下げるものであって膝をついた礼ではない。
なのに――セイロン。 なんで、あたしに膝なんかつくの?
「あの…?」
「うむ…――我はになら構わぬと思っていたが、そなたは後悔はしないか?」
突然の問いかけに、あたしは目を丸くしてセイロンを見返した。
後悔? 何を後悔するというのだろうか。
”逆鱗”を見てしまうこと?
――でも、セイロンの事を知ることができるなら後悔なんてしない。
他の人よりも、どんな女の子よりもセイロンの秘密を共有できるならかまわない……三白眼の赤い目で真摯に見つめられ、どきどきと忙しなく鳴りっぱなしの胸の服を握りしめて、あたしは「うん」とセイロンの目を見つめ返す。
「…後悔なんか、しないよ?」
そう。 後悔なんかしないんだ。
いまさら種族の違いなんかにだって、悩まない。
セイロン。 あなたと出会ってから、たくさんのものをあなたからもらったの。
――セイロン。 あなたの事を、もっともっと知りたいよ。
そうしてはにかむように笑えば、セイロンも嬉しそうに目を細めて「そうか」と頷いた。
自信満々の笑みとは違う、ほんの少しあどけない、素朴な笑顔だ。
これを可愛いと思ってしまうあたしは相当重症なんだろうなぁ。 つける薬も飲む薬もないよ。
「ならば、そなたに我の”逆鱗”を見せよう」
低く呟かれた声と共に、しゅっと軽い音をたててセイロンの赤衣が床に落とされる。
手慣れたように赤衣の下に着ていた黒い上着も脱ぐと、セイロンの肌があたしの視界に現れた。
あたしはてっきり、”逆鱗”は首元にあるものだと思っていたから、何の躊躇いも恥じらいもなく脱ぎ出すセイロンに思わず「えぇっ」と驚きに声を洩らして両手で顔を覆うと(ああでも、つい指の隙間から見てしまうっ)、セイロンは困ったように苦笑して。
「我の”逆鱗”は背中にあるのだよ」
「そ、そうなの?」
「個々によって”逆鱗”が生える場所は異なる。 喉や腕、足や腿にも生える者もいるからな」
なるほど。 それでセイロンは背中に生えたってことか。
納得に冷静さを取り戻せば、セイロンがくるりと背を向けた。
軟弱さとは違う白さを持った彼の背中の、肩甲骨の中央の部分――その場所に、セイロンの髪色と同じ小さな赤色を見つけてあたしの意識はすべてそこに集中する。
「見たか? これが我の”逆鱗”だ」
「わー、すごい…」
これがセイロンの”逆鱗”なんだ…。
男の人の裸の背中だということにも構わず、顔を寄せて食い入るように見てしまう。
それは、とてもきれいな赤色の鱗だった。
龍属の証のように、小粒の宝石みたいな鱗が肩甲骨の中央に小さく密集している。
その中にたったひとつだけ逆さに生えた鱗を見つけて、あたしはさらに顔を寄せた。 人間の皮膚にはない、鱗の形状をした赤色はどこからどう見ても有り得ないものなのにそれは何の違和感もなくセイロンの肌に溶け込んでいて、なんだか不思議。
特に、逆さに生えたそれだけは周りの鱗と何かが違うのだと分かる……こうして見ているだけで、これが彼の<大切なもの>だと感じる。
「触れても良いぞ」
「えっ、いいの? お……怒らない?」
「我が良いと言ったのだ、怒るわけがないだろう」
あっはっはっは、といつものように笑うセイロンを見ると本当に大丈夫みたいだ。
むずむずと沸き立つ好奇心を抑えきれず、彼の言葉に甘えておそるおそるセイロンの”逆鱗”へと指を伸ばす―――感触は、他人の肌に触れているのと何も変わらない。
ただ、触った瞬間に感じたひやりとした冷たさが、”逆鱗”が他の皮膚とは異なるものだと示している。
「感情が高ぶると龍気が全身に廻ることから熱を持ち、わずかに光ることもある。
昔から<万病に効く妙薬>、<不老不死が得られる>などとも勝手に囁かれてはいるが、龍人族にとっては四肢がもがれようとも角が落ちようとも守りきらねばならないほど、尊い御宝だ」
「そうなんだ……すごく、きれいだね」
セイロンの髪と目と同じ、澱みもくすみもないきれいな赤色だ。
彼が至龍になって、龍の姿になったらきっと、とてもきれいな龍になるんだろうなあ……なんて、ぼんやり想像していれば、セイロンが「そろそろ良いか?」と背中越しに聞いてきたので、慌てて背中に寄せていた顔を離した。
うう、夢中になり過ぎてすごいガン見してしまった。 変に思われてたらどうしよう。
「み、見せてくれてありがとう。
…でもそれだけ大事なものならどこにあるかなんて滅多に言えないね。 盗られたりでもしたら大変じゃない」
「その通り。 だからこそ、成人した龍人がこれを見せてもよい存在は限られるのだ」
セイロンが呟いた次の瞬間。
眩しいほどにきれいな赤色が、気がつけば目の前に迫っていた。
(――、え)
下から覗きこむように近づいてくる、セイロンの顔。
それはやがて、互いの吐息が触れ合う距離にまで距離を縮めてきて――その事に、ようやく気がついたと同時に覚えた息苦しさは、ゆっくりと押しあてられた唇の柔らかさは、あたしの思考を真っ白に染め上げて何も考えられなくなってしまった。
「…ッ、ぇ…、ぁ、あのっ?」
今、何されたの? 唐突に起こったことが信じられなくて、聞き返すような声が出た。
けれど返って来たものは言葉ではなく、やわらかな唇。
再び小鳥の戯れのように啄ばまれては、じっくりと味うように繰り返される。 思考することをやめてしまった今では五感だけが現状を伝えて、あたしの熱を高めていく。
――セイロンがまとう香の匂いが、眩暈を誘うほどに近い。
彼の名を呼ぼうにも、今のあたしの唇はまともな言葉すらも紡げない。
幾度も重なり合うやわらかい感触はいつまでも離れず、あたしの頬に添えられたセイロンの手や、さらりと髪を撫でる指先は、あたしの声も理性も次々と奪っていった。
「っ…セイ、ロ……ッ」
……何が起こっているのだろう。
あたしは、いま、セイロンと何をしているの?
そんな疑問が次から次へと湧いて出て、けれど答えはセイロンの行動に思い知らされるばかり。
どうにか押しとどめようとセイロンの肩を抑える手もやんわりと絡め取られて、てのひらでしっかりと握り合う形に繋がる。
まるでセイロンに、”離さない”とでも言われているよう。
その事が嬉しくて思わず、握られた手をぎゅっと力を込めて返せば、彼が吐息で笑ったのがわかった。
「――、我は今からそなたを抱くぞ」
薄い微笑みを浮かべて出てきた言葉に、ぎくっと体が強張った。
いや、だって、これからされるであろうことをストレートに突きつけられては固まるしかない。
そんなあたしの心情をまったく知らないセイロンは繋ぎ合っていた手は解き、あたしの両肩に置いて、ぐっと押しこんできた。 強い力に逆らうこともできず、成す術もなく倒されたあたしの上にセイロンが圧し掛かってきて、全てが冗談ではなく本気なのだと確信した。
「せ、セイロン、…ゃ、待って…!」
「怖がらくてもよい。 我に身を委ねるといい」
「そ、そんなこと言われても…っ」
見上げる位置にいる自分が恥ずかしくて、どうしようもなく頬を火照らせるあたしを見たセイロンは「あんまり煽られると困るのだが」と小さく笑って、唇を重ねてきた。
ほんの少し角度を変えて深みを増し、柔らかい舌に絡め取られてしまえばもうだめだ。
ぎゅっと目をつむって苦しそうに口づけを返すあたしをみる熱帯びた目や、服のボタンにかかるセイロンの指先に思わず身が竦むのに、絶え間なく寄せられる唇とやさしい声に力が抜けていく。
(…きもち、いい)
苦しかっただけのキスが、次第に甘やかな情欲を連れてくる。
自分がおかしくなりそう。 なんとか引きずりこまれまいと、ぎゅ、とシーツを握り締めて理性を繋ごうとしても、その両手をセイロンの首後ろに回されたらますますお手上げだ。
あたしの身体は完全にセイロンに覆われて、セイロンしか見えなくなってしまう。
「はぁ、はぁ…、セイロン…っ、ぁ…」
「想像していた以上に…そなたの声は耳に心地よいな」
からかうように首筋に触れた息の熱さに怖くなって、ぎゅっと唇を噛んだ。
もう、いつものセイロンはここにはいない。
今、目の前にいるのは、あたしの知らない部分のセイロンだ。
ってか……なんで、こんなことになったんだっけ?
「セイロン、どうして…」
「ん…本来なら、より正確な真円を描いた月夜のほうがそなたの負担も軽減されるのだろうが…我が、その夜まで待てそうになくてな」
「まだまだ修行不足だ」とあたしの頬に頬を寄せて笑うセイロンに、あたしは首を傾げるしかない。
真円を描いた月の夜? 負担軽減? なんのことなんだろう。
さっきからセイロンが言ってる言葉が何を指し示しているのかよく分からない。
――そうして戸惑っている間にも、するりと腹部を滑り落ちる指先が目指す場所に気がついて、慌てて制止の声をあげた。
「ぁ、ちょっ、だ、だめっ……やっぁ…!」
薄い布越しからセイロンの指が秘部を撫でられ、びくっと身体が跳ね上がる。
誰にも触れられたことのない場所に、セイロンの指が触れてる――その事に急激に込み上げる羞恥に強く赤髪を引いて押しとどめようとも、今度は胸の下着を引き上げられ、零れおちるようにあらわになった裸の膨らみがセイロンの視線にさらされて、内心で悲鳴が出た。
(やだ、やだ…っ!)
もうどうすればいいのか分からない。
手で隠す暇もなく、セイロンの指に、舌に、淡く色づいた蕾をからかうように触れて舐め取られると全身の肌がぞくりと粟立ち、疑問ばかりに埋め尽くされた思考が一気に溶解した。
混乱する意思と熱に昂る身体についていけずに、くらり、と眩暈がする。
「ぁ、あ…っ、セイロン…っだ、め」
ぐっと乳房を掴まれて形を変える胸の先に、歯を立てられる。
その瞬間にじりっと走る甘い痺れに全身を震わせて、セイロンの愛撫に悦んでいることをしっかりと伝えるとより「素直で良い」と褒められた。 でも、こんな事で褒められたって何も嬉しくない。
恥ずかしいだけで、セイロンの顔をまともに見られないのに。
「や、…っセイロン…」
触れられて主張を始める胸の蕾をいじりながら、下着越しに秘部を撫でる指に何も考えられなくなる。
呼吸が、一定じゃなくなる。
体が、焼けるように熱い。 なんとか熱を放出しようと息を吐いても、熱い息が出ただけで、体の熱が鎮まることはなかった。 助けを求めるように、乳房を食んだセイロンを見下ろしても、彼は熱帯びた眼差しを返すだけでやめてもくれない。
「…そろそろ、よいか」
ぽつりと、吐息混じりに呟きが落ちる。
それが一体どんな意味での言葉だったのかいまいち聞き取れず、蕩けるような目でセイロンを見る。
そうすれば、胸の蕾を丹念に味わっていたセイロンが顔をあげて目を細め、あたしの唇にゆっくりと唇を重ね合わせると、そぅっと開かせて、丁寧な動きで舌を絡めてくる。
脅えるあたしを慰めるように、ゆっくりと、慈しむように…その部分にいつものセイロンの姿を見つけられた気がして、ふっと力が緩んでいった。
「んっ…ふ、セイロン…」
「ッ……」
「…ぇ、…あ―――っ!?」
息が、止まった。
いや、出来なくなった。 あまりにも、自分の今の状況が衝撃的で、また、息がつまる。
(う、そ…っ)
キスしている間に、セイロンの指が、あたしのナカに。
その事実に、夢見心地のような気持ちよさは急に現実味を帯びて、ゆっくりと入り進む感覚に全身が固く強張った。
くちゅ、と濡れる音に信じられない気持になる――なに、この音。セイロンが指を進ませる度、動かす度に、粘着性を帯びた、音が。 やだ。 厭らしい。
なんで。 恥ずかしい。
そして窮屈な場所をゆっくりと広げられていく痛みにたまらず唇を離し、セイロンの腕にすがって訴えた。
「っ、ゃ…セ、イロン…、いた、ぃ…ッ」
「…ゆっくりと身体の力を抜くのだ。 でなければ、そなたが辛いぞ」
「ん、ぅぅ…!」
いたい。 いたいよ、セイロン。
まだ指しか入っていないというのにそんな言葉すらも声にならない。
身を捩ろうにもがっちりと腰を掴まれて逃げられない。 ゆっくりと奥を掻き混ぜられるそれにとうとう涙がこぼれ落ちて、シーツにじわりとにじんで消えていく。
せっかく整えたシーツ。 あたしのせいでぐしゃぐしゃだ。
「む、やはりまだ、指も辛いか…」
昂ってか、ほんのりと頬を染めたセイロンは困ったように眉を下げ、少し考え込む。
動きが止まったことで痛みは和らいだけれど、胎内に入り込んだままのセイロンの指が苦しくて、一度こぼれた涙が止まらない。 ぼろぼろと子供のように涙をこぼして、ひっく、と小さくしゃくりあげてしまう。
「セイ、ロン…ひ、どい…」
「うっ、む…やはりマナが強く満ちる真円の夜を初夜にしたほうが…いやしかし、このまま据え膳というのも我の性に合わん…」
すえぜん? と日常ではあまり聞くことのない単語に訝しんでいると、セイロンの手が、ふわり撫でるようにあたしの髪に触れた。
見上げた先のセイロンの目がいつもと全然違うくらいに熱を孕んでいて、ギクリとする。
ドキリじゃない、ギクリだ。
思わず涙も引っ込むほどの強い眼差しに射抜かれてしまってたまらず身じろげば、胎内に収まったままのセイロンの指が奥に当たり、「んっ」と声が零れおちた。
けれど今度は、だいぶ痛みが薄い感覚。 痛みのみしか与えられなかったさっきまでのものとは違う別種の感覚に戸惑うように声をこぼすあたしの反応に、セイロンはふっと口元を緩めて頬を寄せてきた。
「――すまぬ。 やはり一日でも早く、そなたを我のものにしたい」
(ええええええぇぇっ…?!)
ど……どどどどどうしよう。
もう、何を言えばいいのか分からない。
まるで愛の告白みたいな言葉。 あたしがセイロンの事が好きだと知っててそんなことを言うのだろうか。 そうだとしたらかなりズルイ。 その言葉はずるいよセイロン。 セイロンにその気がなくたって、勝手に勘違いしてしまうよ。
「セイ、ロ……ン、んん、っ……ひっ、ぁう! やッぁ――なに、これ…っ」
セイロンの指が奥の膣壁に触れた瞬間、喉奥から悲鳴がせり上がった。
再び始まった指の抽出の痛みの中に今まで知らなかった感覚の一部分見つけて、そこから体温が狂ったように熱を上げて身体中に広がっていった。
どこかにさらわれそうな、引き寄せられるような何か。
それに抗う術もなく、どうしようもなく引きずり込まれることが怖くてセイロンの背にすがっても、あたしの変化に気がついたセイロンは執拗にそこを責め立てて、手が濡れるのも構わずにぐちゅぐちゅと厭らしい音をたてながら奥を突き、追い詰めてくる。
「ここが、そなたの良いところらしい」
「や、だめっ、そこ、っは、…ぁ…!」
腕を掴んで止めさせようにもセイロンは全く止まらない。
次第に早くなっていく指の抽出に、再開された胸への愛撫に本格的に泣き出しながら、啼きながら、セイロンの下で悶えることしかできず、ちかちかと明滅する視界が徐々に白ばみ、全てをさらいあげる波が目前まで迫ってくる。
「はぁ、はぁっ、せ、セイロ…ん、ンッぅ」
「…っ」
乱れ始めたあたしの姿に興奮しているのか、セイロンの呼吸のペースは少し早くて。
上気した頬の赤みがいつもの飄々とした雰囲気とかけ離れてて、新鮮だ。 なんだか、かわいいよセイロン。 余裕のない、男の子みたい。
そんな事をぼんやりと考えながら喘いでいれば、セイロンが深く息を吐いた。
混ぜる指を止めぬまま、空いた手でぐっと足首を掴まれあられもなく脚を大きく開かせられる。
腰にまとわりついたスカートはもう何の意味ももたない。
セイロンの愛撫によって濡れた内腿に舌が這わされる光景に、両手で顔を覆って逃げようとしても、やわらかい熱の塊が肌を犯す感覚にびくんっと背が弓なりに反り返って悦びを示し、セイロンに伝えた。
―――セイロンの舌使いに、指使いに、気を失いそうになる。
いや、いっそ気絶してしまいたい。
セイロンにこんな事をされる自分の姿なんて、今までずっと有り得ないものだと分類されていたのだ。 どうしていいか分からない。 セイロンがあたしに与える熱や感覚の全てが気持ち良すぎて、壊れそう。
「せ、セイロン…ぁ、あ、…も、…だめ…っ」
「ああ、あと少しの辛抱だ…」
快楽にうち震えるあたしをなだめるように、セイロンの手がやわらかくあたしの頭を撫でた。
ぎこちない動きで、でもやさしい、撫で方。
頭を撫でるだけなのになんでこんなぎこちないんだろう……もしかしたら、こんな風に誰かの頭を撫でた事なんてないのかな……そんな事を考えてしまうくらいセイロンのそれに違和感を持ちながら、あたしの嬌声は止まらない。
「あ、ぁ、ッ…ン、やぁっァ…!」
突き落されそうな感覚が急に怖くなって、ぎゅ、とセイロンの背にしがみつく。
薄っすらと汗ばんだ背に触れたとき、じわり、と不思議な熱があたしの指先に触れた。
セイロンの身体よりもずっと熱い、<何か>。 痺れるほどの伝わる熱に一瞬だけ意識を引き戻されてぼんやりと思い浮かんだものは、逆さに生えたセイロンの”逆鱗”。
”感情が高ぶると龍気が全身に廻ることから熱を持ち、わずかに光ることも――”
(きれい、だろうなぁ…)
今はセイロンの下にいるから見えないし、見ている余裕もないけれど。
あの逆さ鱗が光を放つその光景はきっと、世界で一番きれいものとしてあたしの目に映るんだろう。
――いつか、見てみたいな。
赤く光る鱗の美しさを想像して、とても幸せな心地になっていれば。
「っひ、ァ、あ、あッ…ぁっ―――…!」
迫りくる白い波の果てをついに迎え入れて、あたしの腰は揺らめいた。
呑みこまれてしまえば理性なんてあっという間に瓦解して、何も考えられなくなる。
セイロンの指をきつくきつく締めつけながら収縮する胎内の、ゆっくりと引きつつある情動に、ふわりと浮かぶのは龍人族の青年への恋心。
(セイロン…)
まどろむような感覚に包まれながら、蕩け切った目でセイロンを見上げた。
そうすれば、あたしの身体から零れ出た体液で滴るほどに濡らした手に舌を這わせているセイロンの目と、視線が絡まる。
「――そんな目で見られると、少々困る」
額に、慈しむようなセイロンの口付けが落ちた。
触れた唇が、熱い。
それにしても、「困る」だなんて言ってるのに全然困っているようには見えないんだけど……そんな疑問があたしの表情ににじみ出ていたのか、セイロンは「本当だ」と呟いてまた一度、自分の指先を舐め取って。
「前戯だけでこんなに煽られては、処女(おとめ)のそなたに無理をさせてしまうではないか」
「っ…な!」
本日二度目の処女(おとめ)発言に、色んな意味で衝撃を受ける。
っていうか、なんでみんな、そんなにぴったりと当ててくるの?! しかも、よりにもよってセイロンに真っ正面からそんな事言われるなんて…!!
(っていうか、目、覚めてきた…!)
一度絶頂を迎えたため多少の疼きや脱力感はあるものの、セイロンの手によって昂っていたあの時に比べたらだいぶ平静さが戻ってきた。
再び愛撫を開始しようとしたセイロンの腕をがっつりと掴み、引きとめる。
まさか急に、こんな風に止められるとは思わなかったのだろう。 情欲に濡れたままの目が、戸惑いを含んであたしに向けられる。
「? どうしたのだ」
「どうした、じゃないよっ。 何で、こんなこと…!」
冷静な思考と”悲しい”という感情が今になって戻ってくる。
何がきっかけでこうなってしまったのか分からない。
でも、セイロンがあたしのことを好きでもないのにこんなことするなんて――なんだか余計に泣きたくなって、胸が詰まって言葉はそれ以上出てこない。
なのに、セイロンは。
「何故、だと? 想い合っている男女ならば当然の営みではないか」
さらりと、そんなこと言ってくれた。
その言葉に込み上げかけた涙はぴたりと止まって、あたしの思考は完全に停止。
………あれ、なんかいま、すごいこと言われたような気がする。
「え、…い、いま、なんて?」
「む…そなたはさっきから待てだの嫌だの言っておるが、一体何を気にしているのだ?
―――確かに、龍と人の交わることは稀ではあるが、前例がないわけではない。
それに、そなたほどの強い魂の輝きを持った者を妻に迎えるなら里の者も歓迎してくれるだろう。 だから何も気に病むことなどないぞ」
「つ、つつつつ妻ぁ?! ちょ、何それ……?!」
やっぱり何か変だ。
あたしとセイロンの間で何かが食い違っている。
何かがおかしい。 何がおかしい?
「ま、待って、これって……ひゃっ!」
「これ以上は待ってられぬ。 我を、あまり焦らしてくれるな…」
濡れそぼつ場所をゆるやかに撫でられ、身体がひくんっと打ち震える。
楽器を奏でるようにセイロンの指があたしの身体で水音を奏で、充分に解されてやわらかくなったその部分に満足気な笑みを浮かべると、彼は自らの腰紐を解き緩めた。
シュッと響く衣擦れに思わず、かぁっと頬が火照り出す。
「まさかそなたを、こうして抱ける日がこようとはな」
「せ、セイロン……っ」
「我には先代との約束や、課せられた使命があるため今すぐは無理だが…いつかは共にシルターンに戻り、そなたと夫婦(めおと)になろうぞ」
うわああぁぁっめ、夫婦…!? 夫婦って言った今?!!
呆気にとられているうちに、セイロンの手が積極的な愛撫を重ねてくる。
逃れようと身をよじっても逃がしてくれるはずがない。
内腿を濡らすほど解されたその場所にセイロンの熱がぐっと押し当てられれば、あまりの熱さに、ぶるりと身を震わせて悦んでしまう。
「ぁ、セイロン…っ!」
「……愛している、。
この命が続く限りそなたの眩い魂は、我の全てを賭けてでも守ろう――――…」
「らーららっ、ら〜♪
…んー、いまいちですなぁ。 もうちょい、このあたりの音程を…」
ベベンッ♪
三味線の弦を弾いて、自らの声と音程の調節に意識を添える。
と”逆鱗”の話をしていて思いついた新曲の歌詞は<龍と乙女>の恋唄に合わせて作ってみたものの、曲と歌の音程が合わないせいでやはり不評だ。
だがこの曲だけはぜひ歌詞を添えて聞いてもらいたいところであるので、シンゲンなりに何度も練習や工夫を重ねているのだが…。
「…シンゲン、客が逃げちまうから歌の練習は外でやってくれよ…」
「おやご主人、そう言わないでくださいよ。 今回の歌はですね、結構特別なものでして」
うんざりとした表情のライに、シンゲンは自信満々の笑みを向けた。
この幼い少年店主に自作の歌詞が一体どういった意味をこめて作られているかをとくと説明しようとしたところで、不意に、ドダダダダッ…!と激しく地面を踏み鳴らしながら駆けて行くような音が【
忘れじの面影亭 】の食堂に響き出し、二人は「ん?」とそろって天井を見上げた。
「なんだこの音…」
「誰かが大暴れしているんですかねぇ」
しかも、なんだかこちらに近づいてきているような気がする。
「一体、何の音ですの?」とリビエルやアロエリまでもが外から戻ってきて、誰もが皆、宿へと繋がる食堂の扉をじっと見つめた。 そして。
バァンっっ!!
吹っ飛ぶほどの勢いで扉は開け放たれ、そこに立っていたのは――。
「せ、セイロン?」
ライが驚いた声を上げた。
何故ならば、常に堂々として、顔を俯かせることのない彼の顔が、今は表情が伺えぬほど俯いたままで。
しかも、いつもは身なりをきっちりと整えているというのに、今は赤衣を脱ぎ、黒い上着をはだけさせたままの状態だ――わずかに見える裸の胸にリビエルやアロエリはぎょっとした表情で固まっている――正直言って、こんなだらしのない格好はセイロンらしくない。
まったくもって、らしくない。
「せ、セイロン…どうしたんだよ」
「―――店主よ、先に詫びておく」
呼びかけるライに一言だけ、そう詫び置き。
次の瞬間には、セイロンはシンゲンの間合いへ滑り込んでいた。
唐突に目の前に現れた赤い影の出現に「おや?」と呆気に取られているシンゲン。 無防備な者へ、だが容赦など一切無く問答無用でセイロンは片足を旋回させた。
「おわぁ!!?」
珍しく慌てた悲鳴をあげて、シンゲンは咄嗟にしゃがみ込んでそれを避ける。
ドガァッ!!と壁に叩きつけられるセイロンの素足。
だがさすがは拳士というべきか。 木の壁にめり込む痛みなど露ほどにも感じていない素振りで足を引き抜くとそのまま、しゃがんだままの状態から立ち直っていないシンゲンへ踵を振り上げた。
「ヒーッ?!」
ドゴォンッ!!と再び木床にめり込むセイロンの足。
無残にもぽかりと空いた二つの穴に、そして、怒涛の勢いで繰り出されるセイロンの襲撃に誰もが驚きの表情を隠せないばかりか身動きすらもとれなかった。
っと、いうか――あのセイロンが怒りに駆られて暴走している…?!
「次は避けるでないぞ――命までは取らぬから安心してこの一撃を受けるが良い」
「そんなぎらぎらした目で言われてもねぇ…一体、なんだって言うんですか」
「ほう、しらばっくれると言うのか。 己は何もしていないと?
そんな言い訳をするとは侍の刀を持つ者として呆れるな――そなた、に”逆鱗”の話をしてそそのかしたではないか!」
稀に見るセイロンの一喝に、シンゲン以外の者たちはひゃっと肩を竦めた。
そして”逆鱗”というリィンバウムでは聞き慣れぬ単語で、顔を引きつらせたのはシンゲンだ。
「あ、あれ?本当に確認しちゃったんですか?」となんとも申し訳なさそうに頭を掻いている。
「そなたとてシルターンの世界の人間……。
我ら龍人族の”逆鱗”が何たるものか、知らぬわけがなかろう」
「あははははは、いやー、まさか、そんなっ。 ちゃんと知っておりますとも!
あれですよね、奥さんになる人以外には見せちゃだめだっていうやつでしたよね!」
「そこまで分かっているなら、当然、その意味も理解しておるのだろうな…」
ずごごごごっ。
セイロンの身体から怒りの感情がにじみ出て、血のように赤いオーラが見える。
今にも激戦を繰り広げてしまいそうな二人にとても口を挟める雰囲気もなく、ただ傍観することしか出来なかったライが、同じく唖然としているリビエルに問いかけた。
「んー、”げきりん”って何か知ってるか?」
「ええと、…龍人族には、”逆鱗”という逆さ鱗が身体にあるみたいですわ。 それは<龍気の源>、<龍の怒り>、<龍の宝>ともされていて、龍人族にはとても大切なものらしいのですけど……」
「それで、なんでセイロンの奴はあんなに怒っているんだ?」
アロエリは退屈そうに果実をかじりながら、話の続きを促す。
「うーん」と考え込んだリビエルだったが、セイロンが出てきた扉からふらふらとした足取りで現れたに、驚きに目を丸くして駆け寄った。
「?! ど、どうしたんですの?」
「ん…大丈夫…、セイロン…は?」
小さく呟いて、とろりとした瞳のままでセイロンの姿を目で追った。
――なんだろうか。 この違和感。
にしてはひどく…妙な、艶があるというか、着崩した服や薔薇色に上気した頬は彼女が<女>であることをとても強く、強調している気がする。
性別に特別な意味をもたない天使のリビエルでもの姿に何故かドキドキしてしまうし、いつもと違う彼女が放つ艶めいた色にあのライでさえも、かぁっと頬を染めて顔を背けた。 頭から湯気が立ち上りそうだ。
そんなの姿を見たシンゲンが、「まさか…」と執拗に追ってくるセイロンを見て。
「まさかアンタ、”逆鱗”見せてって言われた後ですぐ押し倒しちゃったんですか?」
図星をさされた龍の怒りのボディブローが、侍の腹に見事決まった。