「あっちゃー…大変な事になってるなぁ…」
他人事にはしてはいけないのだろうが。
口からつい、他人事のような呟きがこぼれてしまった。
いやぁでもね、ほんとまずい、まずいよ。 どうしよう。
事態を引き起こしてしまった張本人としては、眼下で起こっている光景にはさすがに冷や汗が浮かぶのを自覚せざるを得ない。
聖王国とは違って召喚術を民間に開放している帝国領では<召喚獣>というものは財産で、召喚獣そのものがそれほど珍しくもないのだが、さすがにこの状況――大から小まで。
さらには飛行型からスライム型まで、普段では滅多にお目にかかれない召喚獣たちが鳴き声を上げながら春の宵に更けるトレイユの町を疾走しているという――この展開にはどんな豪胆な冒険者も恐れおののき、ドン引きすること間違いないだろう。
召喚獣に慣れたアカネだってドン引きした。
それに良かれと思いやった事がここまで大変な事態に発展するとは思わなかったので、そのドン引き率も半端じゃない。 もももももうほんとどうしよう。
ライたちに怒られる。 きっとすごーーく怒られる。
「うーん、ローカスみたいにできたらカッコイイのに、アタシって義賊とか向いてないのかなぁ」
悪をこらしめ、弱き人々を助ける義賊。
<影>としての本質とは正反対の<光>の正義。
そういったものには結構憧れを持っていて、そういうものになれたら素晴らしい事なんじゃないかと思っていたがこれがなかなか難しい。 守らなければいけないものが増えてまったく手が回らないのだ。
意外とローカスも苦労していたんだなぁと不機嫌そうな顔ばかりの長髪男を思い出す。
人助けついでに、金品を蓄える悪人たちからサイジェントや聖王国に帰る旅費なども稼げればとも考えていたのだが……これもうまく行かなかった。 人生ってままならない。
「っはー…人助けって簡単じゃないんだねえ」
これをやってのけたハヤトたちってほんとすごいわ。
ぼやくようにそう呟いて、テイラーやグラッドが町の警備団を総動員して事態の収拾に励んでいる姿に肩をすくめる。
手伝いたいのは山々だが、ここでアカネが手伝いに混じったとしても召喚獣と一緒に捕獲されるのは間違いない。 さすがにそれは嫌だ。 何日かは反省しろとか言われて留置所に拘留されるのは目に見えた。
絶対ご飯とか不味いよ。
「それじゃ、あとはグラッドたちにまかせてアタシはとっとと雲隠れしちゃいましょーかね、っと」
ほとぼりが冷めるまで森にいよう…そんな事を考えながら、アカネは闇に溶け込もうと身を翻す。
鮮やかな橙色のマフラーが暗闇に溶け切れずとも気配を殺すのは得意だ。
誰にも気付かれぬよう屋根伝いを駆け抜け、アルサックの樹木が連なる道を横目に家々の外壁を難なく上りきり、細い弧を描く三日月の空を飛ぶようにして世界を疾走る。
事件のおかげで今夜は随分と賑やかな夜だ。 頬をなでる春の風が気持ちいい。
どこからともなくふわりと触れる花の甘い香りにほんの少しだけ食欲が疼いてしまう。 ああ、だめだめ。 この時間の食べ物は乙女の天敵なのだ。
「でもお腹空いた〜…やっぱライに何か作ってもらお…」
三秒ほど悩んでみたがやはり食欲には勝てない。
<忘れじの面影亭>へと方向転換した、その瞬間――アカネの足は動きを止めた。
「――っ!」
違う。
動きを止めたんじゃない。縫い付けられたように ”動かない”のだ。
ぞくりと背筋を駆け抜ける悪寒、指先まで痺れるような殺意に呼吸を忘れる。
しかし本能は敏感に危機を感じ取って行動に出ていた――反射的にその場から跳んだ一瞬の間の後、視界の隅で何かが飛来した。 それはガッ!と鈍い音をたて屋根板をえぐるように突き刺さる。
細いナイフにも似た黒い刀身。
それは自分が持つ苦無(クナイ)と全く同種のモノだと理解が辿りつくより前に、豪雨のごとく降る刃が呆然とするアカネを猛襲した。
「っな――!」
驚愕に零れる声とは裏腹に、身体は柔軟に対応していた。
腰に差した刀を抜いて降り注ぐそれを瞬時に打ち落とす。 しかし、刃の雨は止まない。
町中に満ちる夜闇の影から次々と放たれる刃は月明かりに姿を晒されるアカネだけを確実に狙い、彼女が逃げ行く先を予知するかのように追い続けるのだ。
黒い刃はアカネの足場を危うくさせ、脚をかすめ、頬をかすめ、マフラーを裂く。
間接的な負傷は無意識に気力を削られていく最も有効な攻技――駄目だ。 これだけ攻撃されているのに相手の位置がまったくつかめない。 屋根上という見晴らしのよい地形にも関わらず襲撃者の居場所が分からないのは不利だ―――アカネの思考が対峙するのをすぐに諦め、逃走という手段に切り替わるまでほんの二秒もかからなかった。
赤い屋根板を滑りながらの急停止。
振り向きざまに白刃を閃かせ、群れて迫る黒刃を打ち払うとすぐさま転がるようにして屋根から落ちる。 そのまま人気のない裏路に着地して瞬時に現在地を把握。
数ヶ月もの間、小さな町で薬売って過ごしていれば看板一つで自分がどこにいるのか理解できるというもの。
とにかく広い土地に出るか、テイラーたちのいる人気の多いに場所に戻るかどうかしないと…!
「誰か分かんないけど、ここは逃げるが勝ちってね…って、ひえぇッ!!?」
素っ頓狂な声が飛び出た。
地理を把握し、駆け出そうとする行動に出るまでほんの数秒しか経っていない。
しかし襲撃者はことごとくアカネの先を読んでいるのか。
休む間もなく降る黒刃の雨に紛れ、ぶわりと広がった巨大な網の姿が、アカネの視界全てを埋めた。
四隅に重石のついた網は投下された勢いのままアカネを絡めとるようにして襲いかかり自由を奪う、しかし、持ち前の火事場の馬鹿力…もとい渾身の力で刀を振り上げそれを引き裂いてアカネがくぐり抜けてみせると、それすらも見越したかのように再び、刃の雨。
いくらなんでもしつこすぎる!
「く…っこ、のぉ!」
いつでもとどめをさせるだろうに、どこか試されているようにも感じて気持ちが悪い。
試している余裕があるならどうぞご勝手に。 こっちは本気で倒しに行ってやる!と元来の負けず嫌いに火がついて思考を反撃に転換。
恐怖にぶれぬ白刃を右手に構え、路地奥に溜まる暗闇と黒刃の群れに向かって臆さず地を蹴り上げてアカネが猛攻する。 放たれた刃はさらに袖を裂き、頬を掠め、耳元で風を切るように耳鳴りを響かせるも鳶色の瞳の光は揺れない。
その瞳に恐怖はない。 その走りに躊躇いもない。
だが心を殺したわけでなく、彼女が生きて受け継いで、得たものたちが彼女をそう在らせる。
<影>となるべき忍にはあるまじき在り方。 しかし。
「―――」
闇にひそむ<影>が、かすかに笑った気配がした。
同時にゆらりと、動く気配。
それは喜劇に笑んだ三日月の明かりの下へと滑るようにして出で、夜の春風が漆黒の髪をふわりとさらう。
<影>の、静かな声が世界に囁いた。
「―――、本気でいきます」
え。
呆然とした声が、口からぽろりとこぼれる。
しかし囁きが鼓膜に届いたと同時、白い刃が<影>の手元で青白く輝くのを見た。
曇り一つない刀身は、<彼>の愛刀。
抜き身のそれは特別な動作もなくただ真っ直ぐにアカネの右肩へと突き出される。
<彼>は本気だ。 本気で、弟子のアカネの肩をその刀で貫こうとしている。 なぜ、という思考が一瞬脳裏を掠めるも、本能がそれを一蹴した。
(――甘えるなッッ!!)
自分は忍だ。 忍なんだ!
甘やかされて修行して、それで一人前と胸を張れるわけないじゃん!
甘ったれた考えを吼えるように声を出すことでそう一喝すると自分の愛刀をしかと握り、渾身の力で振るう。 重い衝撃を重ねあうようにしてぶつかる刀身。
<彼>の刃がアカネの肩を貫く寸前になんとかそれを弾き返すことに成功――カキィンッと甲高く響く音が空気を震わせたことが何よりの証だ。
しかし、 弾いただけで痺れを覚える手と、地面を踏む足が頼りなくよろめくのは相手が自分よりも格上だからか。
圧倒的な実力差は何年経っても埋まる気がしない。
過去の修行、彼の強さを思い出した途端、一気に、いやごっそりと気力が削がれた。
無我夢中の状況から現実に返ったアカネに、<影>は美しい笑みを絶やさない。
「―――いい反応です。 腕を上げましたね、アカネさん」
「…な、ななな、な、んで…?!」
<影>の全てが、月の光に浮かび上がるようにして姿を現す。
長く、長い漆黒の髪。 濃緑の着物は闇と溶け合い、影と見紛うほど黒に近い。
白い肌を持つ端整な相貌は和んでしまうほど穏やかものだが、眼帯に覆われたそれは夜の空気と合わさってどこか物々しい雰囲気を漂わせている……いや、もしかしてもしかしなくとも、これは眼帯とか雰囲気とかどーこーよりも、怒っている気配がムンムンではないか?
それは長年、共に過ごしてきたアカネだからこそ分かる直感だった。
だが何故、サイジェントか聖王国にいるはずの師がこんなところにいるのだ……混乱を極めた頭は片っ端から白く染まり、どうしようもなく心を乱した。
「アカネさん」
「はっ、はぃぃぃ!!」
「私が、何を言いたいか分かりますね」
一生かけて地獄で修行したとしても勝てる気がしない師は、ゆるやかに微笑を携えたまま静かにそう尋ねる。
しかし疑問系ではない。 師の言葉は確実に何かを促している。
(な、なななに? なんなの? なんかすっごい怒ってるんだけど…?!)
そこまで考えて初めて、周囲の状況に意識が向いた――町は今、召喚獣たちの鳴き声や騒動が拡大したのか随分と賑やかなものになっている。
自警団の命令する声。 荒れる獣を静めようとする召喚師たちの詠唱。
民家からは不安の気配、子供の泣き声までも――全て、他ならぬアカネが招いた状況を、師の言葉を借りてこれ以上ないくらい理解してしまい、冷や汗が浮かんで背中を伝った。
「あ゛ーーこれは、その、いやっ違うんですよ師匠ぉ!!」
「今から三十分以内に全て片付けてきてください。 でなければ――――――」
青ざめた弟子に見せる師の笑顔は、最後まで崩れることなく完璧だった。
「不肖の弟子が皆さんにご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ございませんでした」
シオンさんが<忘れじの面影亭>に帰ってきて、まず第一声がこれだった。
お茶を飲んで一息ついていたテイラーさんやグラッドに向かうと、衣服の汚れもいとわずに膝をつき、シオンさんは深々と頭を下げた。
頭を下げながら、制限時間内に見事騒動を治めて真っ白に燃え尽きているアカネの後頭部をも押さえつけ、同じように頭を下げさせるのも忘れない。(「へぶっ」といううめき声からどうやら顔面をぶつけたようだ)
「修行という名目で旅に出させたのですが、この未熟者にはまだ早かったようです。
これから滞在期間の間、私共は誠心誠意、町のためにお手伝いなどをさせて頂こうと思っております。 お詫びというのも心苦しいですが今までのこと、今日のことをどうかご容赦いただければと……アカネさん。
貴女も謝りなさい」
「ず、ずびばぜんでじだぁぁぁ〜もう、もう二度どじばぜん…!」
口から魂が抜け出ていくような、今にも死にそうな顔でアカネが謝る。
久しぶりに見たアカネは…なんというか、枯れ木のように憔悴していた。
再会の喜びを分かち合いたいけど、シオンさんの笑顔(いつもの五割増)を見るととてもそんな空気じゃなさそうだ。
(相当怒られたのね…ご愁傷様…)
暴走もほどほどにね…とナムナム念仏を唱えるのは、一足先に<忘れじの面影亭>のカウンターテーブルに落ち着いたあたしです。 捻挫で一緒に行けなかったのは残念だったけど、行かなくて正解だったかもしれない。
やれやれと肩を竦めてから、内心ハラハラしながらテイラーさんの横顔を見やる。
枯れ木のようなアカネを見て彼の怒りも大分落ち着いたようだ。 さっきみたいに怒り心頭!の色はない。
「うむ…まあ、反省してくれているのであれば何も言う事はないな」
「彼女も一応、我々が見過ごしてしまった犯罪を見つけてくれたわけですしね…」
哀れみのこもった目でアカネを見つめながら、許してくれるテイラーさんとグラッド。
アカネも悪気があってやっているのではないだと分かってくれたようで(それがまたややこしいことではあるんだけれども)、あたしはほっと胸を撫で下ろした。
(良かったー。 無事に事が収まりそう…)
やがて世間話に花を咲かせるようになった彼らの姿を横目に見ながら、彼らの話が終わるまでミルリーフの髪を編み込んだりして遊んでいれば、ホットミルクを持ってきてくれたフェアがどこか楽しそうな声でこっそりと囁いた。
「機嫌直って良かったですね。
グラッドお兄ちゃんはともかくテイラーさんって怒らせると本当に怖いから」
「(怖いんだ…!)…そ、それは、許してもらえて何よりだわ…。
でも、アカネはフェアたちにも何度か迷惑をかけてたみたいで…ごめんなさい」
きっと高値で薬を売ってたんだろうなあと思うと大変やるせない。
うう、アカネ…相変わらず元気そうなのは良かったけどフォローの言葉が思いつかないよ。 心の中で謝り倒していれば、フェアは屈託なく笑って。
「ううん、大丈夫! アカネってやってる事は無茶苦茶だけどほとんど空回ってるから!」
っちょ、アカネェェッ年下の子にここまで言われてるって普段何をやらかしてるのォォォ!
心の叫びがあたしの体の中で木霊する。
聞きたいようで聞きたくないような、そんな気持ちに揺れる心をぐっと押さえつけた。
しかし本当に、フェアの慣れた様子だとアカネは誰に対しても相変わらずらしい。
<忘れじの面影亭>の人々から普段のアカネの事、この町のこと、フェアたちのことなどを興味深く聞きながら“アカネの暴走がどうかシオンさんの耳に入りませんように”と心から祈った。(大問題だ!)
「さて、問題も解決したことだし私も屋敷に戻るとしようか」
「では途中まで見送らせていただきます…さん、先に部屋で休んでもらっても大丈夫ですか?」
「あ、うん。 昼よりは歩けるようになったから大丈夫。 それに、この子達が部屋に連れていってくれるみたいで」
苦笑してそう言ったあたしの言葉に、シオンさんは「なるほど」と頷く。
どこかそわそわとした様子であたしの服の袖を掴んでいるミルリーフ。
「早く行くぞ!」とあたしの手を引っ張るリューム。
「……、こっち」と鍵を持って先導するコーラル、という竜の子供たちの姿はシオンさんの口元を微笑みに変えた。
「それでは可愛らしい案内人さん、私の妻をよろしく頼みますね」
「おー!」
「はーい!」
「…はい」
子供のたちの頭を撫でて<お願い>をする、シオンさんと子供たちの光景。
それは誰が見ても心を和ませ、些細な事が目に入らないほど、とても穏やかにしてくれるものだったので。
「…ううぅ、これからしばらくはタダ働きだなんて…ますます聖王国に帰れないぃぃぃ…」
アカネの哀れな呟きは、誰の耳に届くことなく消えていった。