相手が、どんな風に自分を想ってくれているかなんて。
言葉にしてくれなければ、大変分かり辛い人もいるわけで。
―――ヒュンッと風を切る音をたて、空気が引き裂かれる悲鳴をあげた。
朝鳥がさえずる静かな森の中に響くその音は、静寂に溶け込めぬ荒々しさがある。
音を聴覚で受け止めながら片足を軸に一歩踏み出し、さらに木刀を振り下ろす。 ただそれだけのシンプルな型をひたすら繰り返し、リューグは木刀を振り続けた。
これは昔から続く、彼の日課だ。
木刀のほど良い重みで腕の筋肉を軋むようになったら、今日の鍛練終了の合図。
引き結んだ唇を緩めて集中を解き、自然と上がる息を調整しながら額に流れ落ちる汗を腕で拭う。 くしゃりと赤い髪がかき上げられ、精悍な顔立ちが露になったそれにはかつてあった子供の頃の面影はほとんど残っておらず、年相応の大人の顔立ちになりつつあった――しかしそこには、どこか納得がいかない色が浮かんでいる。
怪訝な表情のままリューグは木刀の先で地面を軽く削ったあとで、もう一度その刀身をながめた……やはり納得がいかないのか、小さな呟きがぽつりとこぼれ落ちた。
「シンゲンの剣筋はこんなんじゃねえな……確か、もっと」
体内にこもる火照りを呼吸することで静め、澄んだ空気を肺に送り、目を閉じる。
瞼の暗闇の向こうに、胡散臭さを醸し出しながらそれでいて、和やかな笑顔を浮かべる男の立ち姿を脳裏に描く。
リューグが一度だけ見た、シンゲンの抜刀。
ルヴァイドやシャムロックのように豪快ではない、流水のようになめらかな動きで相手を打ち倒す姿は感心するものがあった。 やはり同じサムライということもあってカザミネと同種の動きだが、それでもシンゲンにはカザミネにない繊細さがある。
動と静で分別すればわかりやすいだろうか。
「…真っ直ぐ、切る。 叩くんじゃねえ、断つように」
瞼に焼きついた刀の軌跡を追うよう、ゆるりとした動きで木刀を沿わせる。
とにかくシルターンの剣術に興味をそそられ、こうして鍛練の型をいつもと違うものに変えてみたわけだ。 繊細でありながら確実に断つという刀独特の奥深さを完全に理解したわけではないが――これが、なかなか面白い。
模索しながらの鍛練に、リューグはひたすら熱中した。
気がつけば太陽は予定していた位置よりも高く昇って朝食の時間を過ぎようとしており、そのことに木刀を振るっていた腕を止めた。
そろそろ戻らなければならない時間だ。
そこで、離れた位置にある宿屋に置いてきた旅の相方であるの、”朝食までにはちゃんと帰って来てって言ったのに”と呟いた不満そうな顔を想像して、彼には珍しい苦笑が込み上げた。
(まぁ、あっちも早々と起きられるはずがねえけどな)
昨夜に記憶した、いつまでも耳に残る彼女の甘やかな声にそう確信しながら、リューグは木刀とタオルを片手にのんびりとした歩調で帰路につくのだった。
「―――あ、リューグさんおはよう!」
【 忘れじの面影亭 】の食堂も落ち着いてきた頃合いなのか、皿を片づけに回るフェアの笑顔が視界に飛び込んできた。
簡単に挨拶を返しながらカウンターに席に着くと、朝食のメニューを受け取る。 さっと目に通しながらオーダーしたところで、メモをとっていたフェアが不思議そうに首を傾げた。
「今日はリューグさんにしては遅めの朝食ですけど、さんもゆっくりですね?」
「さっき部屋に戻ったらのん気に寝てやがったからな。 そのまま置いてきた」
「あはは、寝過ごした〜!って飛び起きそうっ」
バタバタと食堂に駆け込んでくるの姿を想像してか、フェアはくすくすと笑う。
彼女の屈託のない笑顔につられてリューグも小さく笑っていると、不意に、視線を感じた。 真横の位置から真っ直ぐに突き刺さる好奇の視線に、とてつもなく…目を合わせたくないような、そんな気持ちになりながらリューグは顔を歪め、席を二つぶん空けた位置にいる女召喚師に目をやった。(別に睨んだつもりはないが、昔からそういう風に見えてしまうので仕方がない)
「…何か用かよ」
「ううん、何でもないよ」
「ならこっち見んな」
「じゃあ、ちょっと聞いてみたかったことがあるんだけど、いいかな?」
二つ分空いていた席が、彼女が移動した事によって隣合わせに埋められる。
リューグは女召喚師――ミントと、彼女の護衛獣であるオヤカタの接近に内心身構えながら、またも嫌そうに顔を歪める。 別に、彼女の事が好きでも嫌いでもないが、その好奇心に満ちた目には嫌な予感しか覚えない……これだから召喚師は扱いにくいのだ。 自分の興味をくすぐるものにはどこまでも忠実でなれるから。
「リューグくんって、ちゃんの事をどう想ってるの?」
「……は?」
突然の問いに、リューグは目を瞬かせる。
その反応にミントはくすっと微笑みながら、カウンターテーブルでムイムイと鳴いているオヤカタに青い果物の実を食べさせながら言葉を続けた。
「好きなんだなぁっていうのは分かるんだけど、リューグくんの中のちゃんってどんな感じなのかなぁって」
……何が言いたいんだ、この女。
いやそれより、恥ずかし気もなくそんな事を聞かれても、どう答えろってんだ。
「何でテメエにそんな事言わなきゃいけねえんだよ」
「ただの興味かな。 ……それに、ちょっと参考にもしたいし……」
ほんのりと頬を染めてぽつりと呟くミントの表情に、リューグは怪訝そうな目を向けた。
……なんとなくだが、これは答えるまで解放してもらえなさそうな気がする。
というか、参考にとはどういうことだ。 他人の恋愛相談なんて面倒臭いことこの上ないので付き合いたくもないのだが。
「あ、ミントお姉ちゃん、それ私も聞きたいな!」
「あんなにも仲がいいと聞きたくなるよね」
「……」
……どうやら、話題は確実に奇妙な方向へと流れつつあるようだ。
一方的に盛り上がる黄色い声を受け流し、無言でパンにかじりつきながらカウンターの端にいるライを見やるも、ライは”無理”と首を横に振るだけだ。
”自分には、長年の付き合いのある彼女たちを止めることはできない”と、試みる前から白旗を振って降参する姿にリューグはがっくりと項垂れるしかない。
「ね、ね、リューグさん教えてよ! 教えてくれなきゃこのホロホロ鳥のソテーはあげられませんよー」
「笑顔で客を脅迫してんじゃねえよ…」
「ひどいなぁ。 好きな人のことについて教えてほしい、って言ってるだけだよ?」
とうとう無言で水を飲み始めるリューグの隣で、女同士が盛り上がる。
ライはさっさと退散してしまっただけでなく、盛り上がりの輪に不思議そうな顔のグラッドや御使いたち、竜の子供たちが加わると賑わいはますますヒートアップ。
食堂は異常な盛り上がりに包まれて、リューグが好む静けさはいまやどこにも見当たらない。
「何だ何だ? 何を楽しそうにしてるんだ?」
「ほう、なにやら面白そうな話だ」
「ミルリーフ、おねえちゃんすきー」
「リューグさん、早く教えてくれないとソテー冷めちゃうよー?」
「何だ、男のくせにはっきりしない奴だな」
「人間のそういった部分には興味がありますわ。 ぜひ詳しく、事細かに言ってくだされば……」
最初はわいわい、ガヤガヤ…程度だったのに。
いつの間にか、小さいのから大きいのまで集まって来てああもう朝からうるさくって敵わない。
しかし怒鳴るのも無駄な体力を使うしそもそも何故自分がこんなにも暇人たちに絡み倒されなければいけないのか―――。
しばらく悶々と耐え忍んだものの、それはほんの少しの瞬きの間だった。
とうとう、ぶつん、とリューグの中で何かが切れた音を聞く。
「〜〜〜口やかましくてお節介で、すぐ厄介事に首を突っ込む考えなしの女!!
これで満足かテメエら!! 満足したらさっさと散れ!! 俺をテメエらの遊びに巻き込むんじゃね……、?」
椅子を蹴倒しながら怒鳴り散らしたその途中、リューグの言葉は途切れた。
何故なら、あれだけ騒いでいた宿屋の住人たちが急に静かになったのだ。
しかも誰もが目を丸くして、リューグではなく、別の位置に目を向けている………とてつもなく。 半端じゃない、ここ最近にはなかった史上最悪レベルでの嫌な予感が、胸から喉奥まで一気にせり上げる。
警鐘に似た音が、頭裏でガンガンと鳴り響くのを聞いた。
そして、それを確定するかのように、怖いほどに明るい声がリューグの背にかかった。
「…へえー、そんな風に思ってくれてたんだぁー」
その声に確信する――今、振り向けば絶対に、あの笑顔がある。
にぃぃぃっこりと口元は笑っているのに、目は全く笑っていないという、あいつの顔。 どう考えても怒っているとしか思えない、あいつの笑顔が。
「………」
何も言えないまま、リューグはそろりと背後へ振り返る。
思ったとおり、妙な迫力を背負い笑顔のまま立っているがいた。
彼女はリューグににっこりと微笑んだまま(やっぱり目は笑っていない)、ずいっと顔を寄せてくる。 唇が触れ合いそうな距離でありながら、鼻先に刃を突きつけられているような錯覚はあながち間違いではない。
「口やかましくて、お節介で、すぐに厄介事に首を突っ込む考えなしの女…ねぇ。
まあ、当たっているとは思うけど、でもリューグがそこまであたしの事を想ってくれているなんて思わなかったわ〜。 すっごく嬉しい。 もう、好きって言ってくれる以上に嬉しいかもしれないなぁ?」
「…そーかよ」
やっと出てきた言葉と言えば、ただそれだけだった。
間近にあるの目にただならぬ怒りめいたものを確かに感じ取りながら、やや引きつり顔で答えてやると、の笑みより一層、深まって。
「…なんて、言うわけないでしょ! リューグのバカぁぁーーッ!!!」
怒り狂ったの平手打ちは、ルヴァイド以上の瞬発力でリューグを襲ったのだった。
相手が、どんな風に自分を想ってくれているかなんて。
ぶっちゃけ、素直に言わなければ不毛な喧嘩の元にしかならないのだ。