突如として銀世界に咲いたその赤は、とても鮮やかに見えた。









(…だ、だれ…?)

 霞む視界の中で、くたびれた外套が雪混じりの風に揺れている。
 その隙間から伸びる腕はしなやかな筋肉がついて逞しく、ルシアンを担ごうと身を屈めた商人の頭を脳天から鷲掴んだまま締め上げる大きな手の平は、雪が舞うこの寒さを知らぬように強く軋んでいた。
 商人が震えるように痙攣を始めても、その軋みは鳴り止まない。
 罰するように、ただひたすらその力を込めて締め上げる。

「あ、ぐっ、がぁぁっ」

 鷹の爪のごとくの締め付けに、商人の頭がみしみしと不気味な音をたてている。
 やがて、ルシアンの胸倉を掴んでいた男の手が少年から離れると小さな体は再び、雪の上にどさりと投げ出された。
 しかし痛がっている場合ではない。
 慌てて起き上がり商人を見ようとして―――そこで初めて、鋭利な瞳と目が合った。

「ひっ…」
「……」

 怯むようにこぼれた声に、応える言葉はない。
 その代わりに青年の、商人の頭を掴んでいた手が外れる――刹那、手が拳へと変化して、脂汗と苦痛が浮かぶ横面を容赦なく打ち払った。

「がっ…!」

 どしゃあ!と雪に倒れる商人に目もくれず、音を合図に外套の裾を翻して赤が疾走(はし)る。

 次に目指す先はリシェルを担ぐ大柄な男だ。
 赤髪の青年は足元の雪を滑るように駆け抜けると、躊躇なく武器を構える男の前に躍り出る。
 赤の隙間から覗く、ただならぬ空気を纏う鋭い瞳に射竦められたのか真正面からの対峙にわずかな怯みを見せる男の様子を歯牙にも掛けず、雪の欠片を撒き散らしながらその足を、男の股間めがけて振り上げた。

「〜〜〜! おう゛…っ!」

 ―――低く、痛ましげな呻き声が、思わず両手で顔を覆ったルシアンの耳にまで届いた。

 これは、強烈だっただろう。
 男性の致命的急所を容赦なく蹴打されたのだ。
 あまりの激痛に、担いでいたリシェルを雪上に放り投げると可哀想なほど小さく蹲り、苦悶の呻き声を白い世界に滲ませ、大きな体がぶるぶると震える様は男が受けたダメージがどれほどすごいものだったのかを如実に物語っている。
 あまり品のいい話ではないが、ルシアンも同性としてはわずかばかりの同情を抱いてしまう。

「…っあ、そ、そうだ! 姉さん大丈夫?!」
「いたたた…ん、だ、大丈夫…」

 雪に座り込む姉弟へと、青年の目が一瞥に向けられる。
 彼らはそこで初めて青年の顔を間近に見た――リシェルたちよりは年上だが、物々しい雰囲気に反してかなり若い男だった。 齢二十を越えているだろうが、 町の駐在軍人のグラッドよりは下かもしれない。

「あの、あなた、は」

 少年からおずおずと向けられた言葉を、外套を翻す音で跳ね返し青年は再び雪上を駆けた。
 今度はこの青年の仲間であるらしい彼女を取り戻そうとしているのだろう。
 しんしんと降りしきる雪に構わず、歴戦の戦士を思わせる迫力のある面に見据えられて怯む男へと距離を詰める―――それこそ、獲物を追い詰める獅子のように。

「く、来るなぁ!」

 鈍く光る刃先を震わせて、女を担いだまま突き出される短剣が獅子の目を潰そうとする。
 しかし、浅く首を傾けることでそれを避けると、薄く血を滲ませる頬に構うことなく外套の下で握り込まれた拳を繰り出し、真っ直ぐに突き出された拳打はパァン!と乾いた音をたてて男の眉間にぶつかった。

「ふがっ…!」
「ひえっ!?」

 反動に、女を担いだまま反り返り、二人は雪にまみれながら倒れ込んだ。
 もみくちゃになりながら倒れてくる人間に驚くように粉雪が舞い上がり、男は動かなくなってしまったものの顔面から雪に倒れた旅人の女は「うぇ、冷たっ」とよろよろと体を起こした。

 その彼女の目の前に、青年が立つ。
 女もまた青年を見上げ――そして、怒ったように眉を吊り上げる。


「もう! 遅い…」

「―――この、バカヤロウ!!」


 彼女の怒りに、更なる怒りを上塗りするように響いた怒声。
 あまりにも激しい怒りに、その場にいた誰もがひっと肩を竦ませた。
 それは直接怒鳴られた旅人の女も例外ではない。 びくりと肩を竦ませて身を固くし、強引に腕を掴んで立たせる青年に脅えるような目を向けた。

「危ねえから、店の中で待ってろって言っただろうが!」
「う、で、でもリューグ」
「帰ってくるのがあと少しでも遅かったらどうすんだ!
 だいたい、テメエはただでさえ隙だらけなんだ。 そこんところをもっと自覚しやがれ!」

 怒りの感情が空にまで届いてしまったのか。
 リューグと呼ばれる青年の感情に空気がびりびりと震え、あまりの剣幕にルシアンとリシェルは口を挟むことも出来やしない。
 ああ言っているからには彼は彼女の仲間なのだろうが……それにしたって、恐い。 恐すぎる。 自分たちが怒られているわけでもないのに泣きそうだ。


 しかし女は少し怯んだだけで、次には毅然と言い返した。


「あたしは、リューグがすぐ戻るって言ってたのに、遅いから!
 リューグったら喧嘩っ早いし、目つき悪いからガラの悪い連中に絡まれてるんじゃないかって」
「テメエ…好き放題に言ってくれるじゃねえか」

 ひくひくと頬を引きつらせて、リューグが女を睨み下ろす。
 しかしそこで初めて彼女の真っ赤になった頬や耳、掴んでいる腕の指先の赤さにはっと息を呑むと、咎めるような視線を向けた。

「…オイ」
「…なによ」
「何時から外にいた」

 女は、俯いて応えない。



「―――



 名を呼び、彼女の頭を胸に引き寄せる。
 突然の抱擁に驚く声を耳にし、そこで初めて、はぁ…と安堵の溜息がリューグからこぼれた。
 ―――それは、張り詰めた糸が緩んだような溜息だ。
 彼女の髪をぐしゃぐしゃと掻き回して、抵抗することなく引き寄せられるまま腕の中におさまったの、衣服の上からでも伝わる冷え切った体を労わるように小さな背中をさすってやる。

 ぎこちない撫で方だ。
 けれどそれでも確かな優しさがそこにある。

「…宿が、どこもいっぱいだったんだよ。 それで遅くなった」

 ”結局、部屋も取れなかったしよ”と憮然と呟いて、背中をさする優しさに彼女の強張った体が解れた事を確認すると、わずかに体を離し、俯いたの頬に両手を伸ばして視線を合わせる―――彼女の、ほんの少しだけ泣き出しそうな瞳と目線が重なる。
 目尻から今にもこぼれそうなモノを見つけて思わず低く呻き声を漏らすと、重なった目線は合わせてきたリューグのほうからすぐに外されて。


「…怒鳴って、悪かった」


 ぽつりと、謝罪が落ちた。

 言い過ぎてしまったことを気まずそうに詫びてくるその様子には笑って、頬を撫でる手に手を重ね、冷え切った互いの手からじわりと滲む温かさに安堵するように目を伏せた。

 それはもう、泣き出しそうな顔ではなかった。

 相手への信頼が滲む淡い微笑だ。

 微笑に眩しい宝物を見つけたように目を細めて、リューグの手が、重ねられたの手を取った。


「――こんなに冷てえじゃねえか」


 かじかんで赤くなった指先に、唇を押し付ける。
 物語に登場する王子のような恭しさはないが、それでも彼なりの優しさと、相手への想い――――まるで、どうしようもなく込み上げてくる愛情のようなもの――――が込められていることが、慈しむその触れ方で分かる。

 しかし。

「ぎゃー! ルシアン見ちゃだめ!」
「ね、姉さん?」

 その光景にぎょっとしたのは、口を挟めなかったリシェルとルシアンだ。
 リューグとの関係がどういったものであるかを理解したのだが、彼らは自分たちがいることを忘れているのではないだろうか。
 耳まで真っ赤になったリシェルは慌ててルシアンの両目を塞ぎ、彼らの悲鳴に彼らの存在を思い出したが「ギャー!」と髪の毛を逆立てながら悲鳴を返すと、全力でリューグを突き飛ばした。


 完全な不意打ちを避けることも出来ず、リューグの体は見事雪の中に突っ込むことになる。


「ッテメエ、何しやがる!」
「ひ、ひひひ人前でやめてよ! っていうか、あんたはそういうキャラじゃないでしょーが!」
「…はあ? きゃら、って何だよ」

 不思議な響きの単語に首を傾げるリューグだったが、彼もそこでようやく姉弟に目を向けた。
 別の意味で顔を真っ赤にした姉弟が「見てません、何も見てません!」とブンブンと首を振って否定すると、何事もなかったかのように外套の雪を払う。

「何も見てねえんだとよ」
気を遣われてるからァァァ! 明らかに気を遣われてるからこれェェェ!!」

 いけしゃあしゃあと返ってきた返事に、はそれどころではないようだ。
 可哀想なくらい耳も頬も顔中を真っ赤にして、「この天然タラシー!」と仰け反りそうなほど頭を抱えて悶絶している…端から見るとかなり不気味だったが、リューグはいつもの事だと特に気にも留めていないようだ。 慣れているのだろうか。(失礼)


(…そういえば、さっき、宿がいっぱいだったって言ってたなあ)


 助けるつもりが助けられて。
 仲がいいのか悪いのかよく分からない、不思議な二人組み。
 しんしんと降り続ける雪に構わずぎゃあぎゃあと言い合う恋人たちを傍観しながら、ルシアンはふと、リューグの発言を繰り返す。

 降り出した雪にも関わらず、賑やかだったトレイユの町だ。
 朝の天気を知っている旅人はとうの昔に宿を取っているだろうし、先ほど到着したばかりの旅人たちも皆一斉に宿屋に殺到しただろう。 この近辺は既に満室になっているのかもしれない―――町外れにある、【 忘れじの面影亭 】を除いては。



「あのー、宿がないならオススメのところを紹介しますけど…」



 おそるおそる掲げられた提案に、旅の恋人たちはぴたりと言い合いをやめた。















「し、死ぬかと思った……!!


 ぜえぜえと荒い息切れを起こしながら、力尽きたように寝台にダイブする。
 そのままぐったりとして動かなくなったあたしを尻目に、荷物を片付けているリューグが呆れの溜息を吐いた。
 彼にしては珍しく、にこりともしない仏頂面にはわずかながら同情さえも見える。

「テメエも大変だな。 召喚獣に好かれる体質なんてよ」
「いや、これはこれで嬉しいんだけど…でも、子供の体力には勝てないわ…」

 絡まれていたところを助けようとしてくれた姉弟の名前は、リシェルとルシアン。
 オススメとして紹介してくれた町外れの宿はなんとも珍しい、人間も召喚獣も関係なくお客様として迎える宿屋だった。

 【 忘れじの面影亭 】の主人の名前は、双子の姉弟フェアとライ。

 彼女たちはとびきりの笑顔であたしたちを歓迎してくれた。
 うん、そこまでは良かった。 良かったのだけれど、あたしの体質が災いしてか彼女たちが預かる三匹の竜の子供たちに妙に懐かれ、構われ、追いかけ回され―――天国だか地獄だか判断つけがたい状況に陥った。(リューグは助けもせず、黙々とご飯を食べていた)(この薄情者ー!)


「うー…お風呂入って、顔洗って、着替えないと…」


 さすがに少ししんどい。
 寒さと旅の疲れに疲弊した体に鞭打って身を起こし、くたびれた外套をハンガーに吊るす。
 その時、ちょうど部屋の明かりを全て点け終えたリューグが戻ってきた。
 鏡越しにリューグの顔を見たあたしはある物に気がついて「あっ」と声をあげると、寝台に腰掛けてブーツを脱ぐリューグの前に立った。

「何だよ」
「…大丈夫? これ」

 頬に浮かぶ、赤い線。
 あたしを助けるときにつけられた短剣の怪我だ。 触れた切っ先にわずかに血が滲み出たのか、冷気に冷えた頬にこびりつくように赤が浮かんでいる。

「どうってことねえ」
「怪我は怪我よ、よく見せて」
「おい、顔を掴むなっ」


 多少の抵抗に構わずぐいぐいと顔を掴み―――赤い線が浮かぶ頬にそっと唇を落とした。


 薄く閉じた傷を開かないように、羽根で撫でるようなキスだ。
 リューグもまさかそう出るとは思ってもなかったのだろう。 彼にしては大変珍しい、きょとんと目を丸くした表情が可愛かったり可笑しかったりして、あたしは声をあげて笑ってしまった。

「リューグは不意打ちに弱いねぇ」
「…六巡りしても、口の減らねぇ女だな」

 ―――六巡りとは、六年前のことを指す。
 六年前のことと言えば、あたしとリューグが出会った年であり、聖女や禁忌の森の秘密を巡って聖王国全土を巻き込んだ”傀儡戦争”が起こった年でもあった。

 口に出すと、あの戦争から六年が経ったのかと感慨深いものがある。

 月日は偉大だ。 その間に旅の仲間たちの環境もめまぐるしく変わった。
 あたしの人生だって180度変わった。 あの時は迫る敵の襲撃を乗り切るのに必死だったから、今こうして、仲間だったリューグと一緒に旅をしている自分がいるなんて考えもしなかっただろう。


 リューグを好きになることだって、きっと、考えもしなかった。


 出会いの数だけ可能性が生まれてくると言うけれど、まさしくその通りだ。


 戦争を終え、リューグと一緒にいることを決意してから六年。
 姿を変えてしまうにも充分な時間だ。
 当時十七歳だった彼のわずかなあどけなさはすっかり消え失せてしまったけれど、こうして不意をついてやるとたまにその名残が出てくる。
 いつもの仏頂面はあどけなさを隠すためにわざとしてるんじゃないかと疑ったこともあった、でも、この仏頂面も彼の素面なんだろう。 皆は「無愛想だなあ」なんて、あまりのリューグらしさに苦笑するけれど、でも、あたしはそんなところも好きだった。

「ん…助けてくれて、ありがと」

 感謝を込めて、傷だけでなく目許や額に口づける。
 なだめるように髪を撫でながらそれを繰り返していれば、「誘ってんのか」とどこか楽しそうな問いが投げられた…そんなことを意識していたわけじゃないのにそう言われて、顔中にカアッと血が昇ったのを自覚。

「…アンタね、人がせっかく感謝を込めたキスしてるってのに」

 そういう風に見られるなんて心外だ。
 思わず、半眼で睨むようにリューグを見下ろしてしまう。

「惚れた女に迫られたら、男はそう取るもんなんだよ」
「わっ―――」

 冷え切った腕を捕まれて、脱ぎ捨てられた外套が広がった寝台に倒される。
 この後の展開なんて考えずとも理解できた。
 身を起こそうとする体を体で阻まれ、逃げる意志を挫くように押し付けられる口づけに言葉すら出てこない。

 ただ、くぐもった声だけが見慣れぬ天井に響き渡る。

「んぅっ…! ん、っー!」

 じたばたともがく足を意味深に撫で上げられて、ぎゅうっと目を瞑って暗闇に逃げた。
 長い時間、外でリューグを待って冷え切った体がぐっと熱を上げたのが分かる。
 けれどそれでもまだ冷ややかなあたしの身体に、名残惜しげに離れた唇から情欲混じりの呆れの溜息が零れ落ちて、どこか咎める眼差しに見下ろされた。

「芯まで冷やして、待ってたのかよ」
「ん、違…」
「店の中で待ってたらこうはならねえだろ…本当に考えなしのヤローだな」


 そっけない物言いに、なんだか、ほんの少しだけ泣きそうになる。


 でも、”宿を探してくるから”と置いていかれて。
 その間にリューグに何かあったらと思ったら、怖くなって仕方がなかったのだ。
 雑貨屋の窓から見た雪はとても綺麗だったけれど、白く美しいその光景はそんな錯覚を起こさせた。 だから堪らず外に出て、でも迂闊に歩き回ってはぐれるのも嫌で、どうしようもなく外で雪を眺めながら待った。



 旅をして宿を探すたび、こういう事は何度かあった。



 でも、リューグがいないのがこんなに寂しいことだなんて、今日ほど思い知らされた日はない。



「ひっ、く…」

 わずかに零れた泣き声と、情けなく歪む眉にリューグが気づく。
 身体を撫でていた手が頬に移動して、冷ややかなまま紅潮したそれを両手で包み込んだ。 ごつごつとした手に涙が滲んで濡らしてしまうと、”もう怒ってねえよ”と慈しむ口づけが瞼に落ちる――それは本当に優しい触れ方。

「リュ、グ…」
「怒ってねえが――心臓に悪い。 だから次は店の中で待ってろ」

 なだめる言葉にあたしは首を横に振った。
 両腕を彼の首に巻きつけて、ぎゅうっと引き寄せてその温もりを抱きしめる。

「置いて、かないで」
「…」
「傍に、いて…」

 なんでだろう。 今日のあたしは、やけにリューグを恋しがる。
 雪のせいか。 寒さのせいか。 よく分からない。
 どこかぼんやりとした思考に浮かされながら、リューグの温もりを求めている。



「リューグ…おねがい」


「――――っ、それは、こっちの台詞だ…」



 息を呑む音と共に返る言葉のすぐ後で、噛み付くように唇を貪られる。
 言葉の意味を模索する暇はない。 頬を包んだ両手は身体を這う手に変わり、息も出来ないほど繰り返される唇の重なりの合間に衣類を全て剥ぎ取ろうと暴れ回って、荒々しい衣擦れの音を響かせた。

「テメエも、俺の傍にいろ…ンっ」
「ふ、んぅ、っ、ぁ…」

 防寒に着込んでいた物がひとつひとつ剥がされて、背筋に駆け抜ける悪寒に震えが止まらない。
 …って、あれ、何でこんなに、寒いんだろう…。

「…、?」

 小刻みに震える体をいぶかしむ様に、熱を孕んだリューグの瞳があたしを見た。
 薄着になった全身に針先を突きつけられているような、ぴりぴりとした痛みが収まらない。
 快楽ではない別物の感覚に、今度は視界がぐるぐると回る錯覚を覚えて、「あれ」と間の抜けた声が出た。

「――熱、出てるじゃねえか!」
「へ、熱…?」
「なんかやたらしおらしいと思ったら…クソッ、こうしてる場合じゃねえっ」


 ちょ、何それ、人の殊勝な態度をそんな風に思ってたのか。


 あんまりな言い草にむっと腹立てたものの、リューグはあたしを見ちゃいない。
 下に敷かれていたリューグの外套であたしの身体をくるんだあと、彼が寝台を飛び降りようとする気配に慌ててリューグの腰にしがみついて引き止めた。

「おいっ、放せっ」
「ん、行かないでって、言ったじゃない…っ」
「氷とタオルと、水をもらいに行くだけだっ」

 普段はとても落ち着いているのに、こんなにも取り乱してくれるのが嬉しい。
 リューグとはよく喧嘩もするし、たまに本気で憎らしくなる時もあるけれど彼なりに大切にしてくれているのが分かる――あたしの身を案じてくれているのも分かる――でも、今はやっぱり離れてほしくないから、熱に浮かされた思考のまま腰に抱きついた手をまさぐって、リューグのベルトを探し当てた。
 そうすれば、酷く驚いた顔が、後ろから抱きついたあたしに向けられる。

「なっ…」
「いいから…傍に、いて」

 金属音をたてて外れる金具を解いて、リューグの熱を衣越しに撫でやる。
 背後から抱きつかれたまま硬い感触を愛しむように触れられて、びくりと揺れる広い肩。
 淡い期待に喉が上下する音も聞こえて、もう一度”今だけでいいから、傍にいて”と彼の腰元から祈るように囁く。

「ねえ、だめ…?」
「今はそういう場合じゃねえだろ…」
「…………シて、あげるから…」
「!」

 ぼんやりとする思考の中で、ただ、ただ、リューグのぬくもりが欲しかった。
 どこでもいい。 何でもいい。 ただ、この人に触れたかった。
 リューグの背中の服を少しだけまくって、常に真っ直ぐな姿勢をくずさない背骨にちゅ、と口づける。 手は、硬さを増していくリューグの熱をさすって、後ろからやわらかく握りこむとリューグの腰がわずかに跳ねた。 喜んでほしくて、どこにも行かないでほしくて、太腿に手をついてリューグの前に回り込もうとすれば、息をもらした彼の手に勢いよく肩をつかまれて、あたしの方があっけなく押し倒される。

「わっ」
「っ、この…っ!」

 やはり力では敵わない。
  怒られるのだろうかと一瞬の恐怖が胸を過ぎるも、それは杞憂に過ぎなかった――――赤らんだ頬と、情欲に満ちた眼差しで見下ろされればリューグがそれどころではないと教えてくれる。

「そういうコトは、元気な時にやってもらいてえもんだな…」

 低く掠れた声に、胸の奥が震えた。
 唇を掠めるように口づけられたかと思えば、リューグはあたしの膝裏を掴む。 そのまま何の予告もなく足を開かせられて反射的に彼の胸を押しとどめるも、彼の指が急くようにあたしのナカに入ってきて、窮屈なその場所を拓こうとする。

「ん、ぅっ、ぁ…待って、リュ、…っ」
「なんでこんなに濡れてんだよ…すぐ、奥まで入る…」

 ぐちゅ、と音をたてて自分の体の奥底を暴かれて、羞恥に、かぁっと頬が熱くなる。
 彼に言われなくとも、今の自分の状態はあたしが一番よく分かっていた。 熱を出しているはずなのに、弱った病人のはずなのに、体のだるさを押し殺してまであたしの体はリューグを欲しがっている。 本当は病気じゃなくて、欲情してるだけんじゃないかとちらりと疑うも、どんなに体を熱くさせられても悪寒は消えないから、熱はあるんだろうなと思う。

「は、ぁ…っリューグ、…んッ」
「悪ィが、薬は後だ――先に、俺がテメエをもらう」

 こくこくと頷くあたしを抱き起こして、リューグの膝の上へと招かれる。
 服は脱がされることなく着たまま、下着だけ足から引き抜かれた。 慣れた手つきでするりと抜け落ちていくそれを他人事のように見つめながら、あたしの腰をぐいと抱き寄せるリューグの肩口に顔を埋めた。

「…寒くないかよ」
「…へいき」

 悪寒はするけど、これから得られる物への期待のほうが勝る。
 しっとりと濡れそぼつ場所にリューグの熱が宛がわれて、支えられた腰がびくっと跳ねた。 それが怖がっているわけではないとでも言うようにリューグの首に腕を回して示すと、すぐ耳元で、リューグが息を吸ったのがわかる。

「ん、――は、ぁっ…ぁ!」
「…っ、」

 腰を落とされて、リューグを受け入れながらゆっくりと落ちていくあたしの体。
 全身の肌が粟立つ。 窮屈そうにあたしの中を押し進む硬さに一瞬、息が詰まるけれど、彼がほんの少し動いただけで堰を切ったように声が溢れ出す。 ”隣にきこえる”とリューグにたしなめられても、首を横に振って抑えることができないことを伝えると、唇を塞がれた。 それでも結合部から漏れる音は、抑えようがなくて。

「ぁ、…はぁっ…あ、んぅっ…!」
「っ…」

 下から突き崩すように奥を刺激されて、すぐに理性が飛んでいった。
 溢れ出る声をどんなにリューグに飲んでもらっても、混ざり合う音はどうしようもない。
 熱情のままに体を重ねて、やがて全ての服が床に落ちて一糸纏わぬ姿になっても、外の雪が本格的な吹雪に変わり、ひゅうひゅうと哀しげな声をあげる風の音に傾ける耳もなくただひたすら、互いの肌と、互いの快楽を求め合う。

「リューグっ…ぁ、あ……!」
「っは、……もう、少し…気ィ失うんじゃねえぞ…っ」

 あたしは夢中だったけれど、リューグは熱で身体が弱っていることは忘れてくれなかったようだ。
 リューグを受け入れた体を抱きしめる力は強かった。 でも、いつものように性急に動き出すことはなく、途中で何度か、荒くなった呼吸を必死で整えるあたしを辛抱強く待ってくれた―――口下手で無愛想で、目つきが悪いもんだからたまに怖がられるけど、本当は心優しい人なんだよと彼を恐れる人に言ってあげたい。




 そう、本当に優しい人。



 多分この人は、あたしがこの世界で見つけた”宝物”なんだ――――。





 切ない声で呼ばれる名前に幸せな気持ちになりながら、やがて、あたしの意識は深く沈んだ。















「――悪ィな、こんな夜中に起こしちまって」

「いえいえ、気にしないでください。 …さん、早く良くなるといいですね」


 そうしてにっこりと笑ったあどけないフェアの笑顔に、リューグも柔らかい微笑で返す。
 熱を出したの看病にと、宿の主人である少女に水と氷が欲しいと頼んだのだ。
 深夜に起こされたというのに嫌な顔を一つせず提供してくれた少女にいつか礼をしようと思いつつ、タオルと水の入った桶と、氷の詰まった袋を持って台所を出て、蝋燭の灯りを頼りに廊下に向かう。
 ―――雪はまだ、止んでいない。
 荒々しさはわずかに収まったものの、それでもゆっくりと散る白は窓の外の世界を銀で埋め尽くしてもまだまだ気がすまないようだ。 夜明けには収まるかもしれないが、当分は降り続けるだろう。

 大粒の白をぼんやりと眺めながら、一人ごちる。


「……六年経ってもがっつくとか、修行が足らねえな」


 盛大な溜息が、堪えきれずに吐き出された。

 ―――がリューグの熱に触れた瞬間に、理性が一気に消し飛ばされた。
 日に日に艶を増して女性らしくなりつつある彼女の、昼とは違う夜の顔は六年も月日を共にしてきた今でも充分にリューグを惹きつけて放してくれない。
 いつだって脳裏に焼きついて離れない悩ましい声に「あー、くそ」とゴツゴツと自分の頭を殴りつつ、部屋に戻ろうと再び歩を進めた、その時。


「―――、誰だ」


「…安心しろ、危害を加えるつもりはない」


 逞しい羽音をたてて、大柄な影がリューグの前に立ち塞がる。
 鍛え上げられた上半身を剥き出しに、頭部を緋色鮮やかな飾り羽で覆って、その腰には人間ではないことを示す鷲のように大きな翼が伸びていた。
 ――目も、幾千の戦いを潜り抜けた戦士の目をしている。
 この宿は召喚獣も客として招いているという話も聞いていたし、先ほどの食事の時も竜の子供や天使の姿も見たから特別驚きなんてものは沸いてこないが、彼がリューグを待ち伏せていた事実は確かなようだ。

 こんな夜更けに、わざわざリューグ一人を狙って尋ねてくるとは一体何のつもりだか―――。


「俺の名はクラウレ。 メイトルパの有翼亜人種セルファン族の戦士だ」
「…で、俺に何の用だ」


「用があるのはお前ではない――お前の女についてだ」


 重圧のある声で告げられた内容にリューグの片眉が上がり、警戒心が濃厚になる。
 だがクラウレはその警戒心をあっさりと無視し、真っ直ぐにリューグを見つめる。 何かを探り出すように、何を考えているのか読み取れない表情で。

 静かに、問う。



「あの女は――人間、か」



 至極当たり前の事実を、この男はあえて問いかけてきた。
 リューグではなく、に向かって。
 声を荒げるわけでもなく、ただただ、何かの再確認のように。

 昔のリューグなら、ここで激昂して殴りかかっていただろう。
 まるで彼女が人間ではないのではないかと疑い、確認してくることが彼女への侮辱だと思い込んでいたからだ。
 は人間だ。 なのにそれを疑うなんて、彼女が傷づいた顔をしたらどうしてくれる。
 その問いかけ自体がその時はとてつもなく不快で不愉快で堪らなくて、相手の顔が潰れるまで殴りかかっていただろう。



 けれどもう、あの時から六年も彼女といたのだ。



 ―――脳裏に浮かぶ愛しい笑顔に笑みを返すように、穏やかな表情で答えを返す。



「ああ、人間だ」



 そう、人間だ。

 嬉しさに笑って、理不尽に怒り、寂しさに泣いて。

 リューグが恋をして、愛した人間の女だ。



 だが、もし、そうでなければ―――。




「―――仮にそうでなくとも、俺には関係ねえ」

「…」

「そうであろうがなかろうが、あいつが俺の惚れた女だってのには変わりはねえよ」




 そう、彼女が、”人間”でなくとも。



 レルムの村がまだ健在だった頃。
 彼女が、美しい森の奥で見つけたリューグの”宝物”には違いはないのだ―――。




「………、そうか」

 重圧を帯びていた声は、途端に柔らかくなった。
 肩の力を抜くようにクラウレがふうと溜息を吐くと、リューグに「すまなかった」と詫びてくる。 唐突な変化についていけず思わず不審な表情を浮かべれば、クラウレは、リューグが思っていたよりもずっと柔らかい微笑を浮かべて。


「彼女を見た時、言いようもない感覚を感じたからな」

「…感覚?」

「―――ああ。 懐かしい、故郷だ。
 彼女がお前に向けた笑顔に、俺は故郷の森の中にいる安らぎを覚えた」



 そのことに喜びを感じているような気配を漂わせたあとで、クラウレは去って行った。



 ……大きな背中が去り、置き去りにされてしばらく。



「…マジかよ」

 が召喚獣に好まれやすい体質だとは知っていたが。
 まさか、あの屈強な男をあそこまで優しい表情にさせてしまうほど、惹き付ける威力があろうとは…こんなところでぼやっとしている場合ではない。
 リューグは早足で部屋に戻り、ノックもせずに荒々しく扉を開け放った。

!」
「……ん? リューグ…」

 どこかぼんやりとした返事をしながら、はのろのろと身体を起こす。
 タオルと氷と水をテーブルに置いて彼女の両肩を掴むと、リューグは真剣な眼差しで彼女の顔を覗き込み、戸惑う瞳に構わず。



「鳥男に隙を見せるんじゃねえぞ、分かったな?!」


「……は? 鳥男??」



 が、疑問符を浮かべた頭で首を傾げたのは言うまでもない。











 雪はまだ、降り続ける。


 世界を白に染め上げても、それでもなお、降り止まず。



 けれど。



 その後に必ず訪れる、目覚めの春を待っていた。

6 years later - Inverno 2 -

あとがき
こんな感じで彼らはトレイユにやってきたんですよーとニュアンスで理解していただければそれでこの設定シリーズの意味は成されたと思います。とかいいつつ大半は私が書きたかっただけですがねハアハア皆大人とか最強の萌…!(落ち着いて)
あとはちょこちょことほのぼの短編とかかな。サモ4キャラを絡ませながら進めたいです。vv

さん設定についてはサモ2連載を読んでいないと「お?」となるかもしれませんが、
さんには召喚獣に好かれたり何かがあるんじゃないですか」みたいな感じで思っていただければ。
(どこまでフリーダムなのアンタ)

リューグは、前半はリューグっぽさが出せたかなーと。
闘技都市みたいなん行った後だからレベルかなり高いんじゃないかと。好き過ぎる。

後半はなんかもう恋する23歳みたいな。
ボーイズビーアンビシャス!次第に結婚を意識するといい。
そしてこの二人はお互いを宝物とか思っていればいい。妄想妄想!

ゲスト御使いのクラウレ。大好きです。
何故サモ4はクラウレEDを作ってくれなかったんだ…一途で真面目でいい人じゃないか…。
Inverno (インヴェルノ)。意味:冬。
2008.4.14