命が眠る暗闇の中で、月より眩い光を帯びて空に咲くのは花だった。

 ヒュウッと細い音を伴って空へ打ち上げられ、花が開花するその一瞬。
 心の臓を打つみたいに、ドォン!と力強い音のあと、 鮮やかな色彩が目に強く焼き付く。 それは懐かしい感覚を呼び起こす――子供の頃、誰もが一度は目にするであろうそれはとても身近なものだったのだ。 童心に返るように、その色彩には何度だって魅せられる。

「きれーい…」

 とても近い距離でそれを見上げながら、感嘆の声がこぼれた。
 同時に、満足感にも満たされる…うーん…我ながらなかなか上手に着火できてたんじゃない? これ。 なんて、自画自賛しながら。

(豊漁祭の花火もきれいだったけど…)

 秋のさわやかな夜空に微かな残光を残し、宙に溶けて消えていくそれはなんとも儚く、故に美しいもので。
 ぼんやりと眺めている場合でもないのにいつまでも見ていたいほどきれいだったから、つい、少し前の夏の出来事を思い出す。
 あれも、本当に美しい花火だった。
 長年に技巧を磨き上げ、職人の手で作られた鮮やかな色彩は、ファナンの浜辺から見た豊漁祭の花火と比べても遜色(そんしょく)のない―――ああ、そういえば、戦争が終わった後の六年間も<彼>は飽きもせずあたしの傍にいてくれて、”こんなモンの何が面白いんだか”とか文句を言いながら結局は同じものを何度も見てくれていたんだなあ、なんてことまでも思い出す。


 ―――バサァッ!


 そこで唐突に、無遠慮に割り込んできた音に思考を中断された。

 心に響くほどの音を持つ花火とは違う。
 重く、力強い翼音だ。 鳥よりも重厚な余韻がある。

 けれどその音が”誰のものだろう”なんて、考えもしない。

 何故ならば、翼の持ち主が<彼>であるのはあたしにとって必然なのだ。
 空気を震わせて吹く風が見上げるあたしの髪を乱暴にさらって頬を撫で、クリアな視界を妨げる。

「――わっ、ぷ…!」

 優しい秋風ではない、叩きつけるような風圧。
 ”持ち主の性格が出てるわね…”なんて呆れながら空を仰げば、思った通り―――今だ止むことなく夜の空に咲き続く花火を背に<彼>はいた。

 月光に触れて鈍い光沢を浮かべる黒の双翼は、空から浮き上がるように広く伸びていた。
 周囲の怒号や喧騒を酷く心地良い調べのように長い耳に通し、燃え盛る炎と同じ赤髪と身に纏う赤衣が風に遊ばれるそれは、軽やかに踊る舞のよう。
 精悍な顔立ちに並ぶ三つの目は、鮮やかな花火と対照的な妖光を灯している。
 それは<在るはずのない存在>である彼自身の存在を幻想ではなく現実的なものへと塗り代えて、彼の登場を目にした周囲の人間に畏怖の念を抱かせた。

 そう、彼は<恐れられる存在>だ。
 彼もまたそれを当然のように受け入れて、呆然と佇むあたしをじっと見下ろしていた。

 彼は悪魔だ。
 魔王と呼ばれるほどに強い力をもつ、霊界サプレスでも高位の悪魔。
 真の姿を取り戻した彼が気を抜くと、周囲に影響が出る。 彼自身からこぼれる強い魔力にあたしの肌がびりびりと痺れを感じて、それは決して気持ち良いものではないけれど、あたしの中に恐怖という感情は、まったくなかった。



 だって、彼とはずっと一緒にいたのだから。(慣れって怖いなぁ)



「…バルレル、遅い」


「うるせェ、さっさと片付けるぞ」



 お互いに、怪我はないか。 大丈夫だったか、の一言もなく。



 ぶっきらぼうに差し伸べられた手を渋々とると、紅蓮の悪魔は牙を剥いて不敵に笑った。












 あたし達がこの町にいる事の発端は、二週間前にまで遡る。

「―――どうか、お願いできないかしら?」

 それは、<傀儡戦争>時にとてもお世話になったファミィさんの一言だ。
 ファナンに呼び出されたあたしとバルレルは、自警団と兵士の目をかいくぐってファナンから逃亡した悪徳商人の集団捕縛と誘拐された女性たちの救助を、金の派閥の議長であるファミィ・マーン直々に「お願い」された。

 宿場町トレイユは、帝国領域の中にある山岳地帯の町だ。
 聖王国領と未だに対立が続いている部分があることを考慮して、派閥に属さず、聖王国の正式な住人でもないあたし達が選ばれたのだと言う。(道中に検問などもあったから、今思えば無難な人選だった)

 もちろん、あたしは快くそれを引き受けた。
 彼女には日頃から良くしてもらっている恩もあるし、手伝えることがあるなら手伝いたい。

 一方、バルレルは不満そうにしてはいたが何も文句は言わなかった。
 それがなんとも珍しくて、その時は目を丸くしてバルレルを眺めてしまったものだ……彼自身が本気で嫌な事は、相手が神や魔王やファミィさんであろうともきっぱりと拒否をすると思うから、不満な顔はともかくとして、バルレルの中にも多少は「付き合ってやろう」という気持ちがあったのだろう。

 それはとても心強かったし――― 一緒に来てくれて、少し、嬉しかった。
 (調子に乗るから絶対言わないけど)




 そうしてバルレルを護衛に、あたしは聖王都を旅立った。

 脇目も振らずに進んだおかげか、かかった月日は二週間。
 その間にも海を越え山を越え、あれよあれよと時間が過ぎ――トレイユも目前となったそこで、思わぬ展開。

「――オイ、あいつらじゃねえのか」
「…わー…追いつくもんんだねー…」

 身を隠す草葉の陰で唖然とする。
 脇目も振らずに進んだおかげか、宿場町トレイユへたどり着く直前に偶然にも逃げていた集団を追いついてしまった。

 太陽は今日も変わらず沈む。
 薄暗くなり始めた世界の中、鬱蒼と覆い茂る森の中で更に身を潜めるように天幕を張るガラの悪い男の集団がいた。 それだけでも十分胡散臭いのに、天井を幌(ほろ)で覆って格子で囲い、檻(おり)の中で俯いている複数の女性の影が見えるとくれば、リーチを通り越してビンゴだ。

 彼女たちの顔はやつれ、既に泣き喚く気力もないのか諦めて塞ぎこむ姿はとても痛々しい。
 少しでも早く助けてあげたかったし大きな騒ぎになる前に決着をつけたかったのだけれど……ファミィさんの情報曰く、トレイユの町中にも彼らの隠れ家があるらしくまず先にそこを見つけ出さなければならなかった。


 それにはどうしたものかと首を捻って。(バルレルは欠伸をしていた)(少しは考えてよ!)
 ぱっと思いついたのは、なんとも安直で無謀で無鉄砲。

「あたしがあいつらに捕まればいいのよ!」
「…は?」

 幸いにも、誘拐されるのは女性ばかりだ。
 くわえて不景気なこのご時世だ。 例え売値がバーム一枚でも商品が増えれるとなれば、商人は嬉々としてあたしを捕まえてくれるだろう。 そして、連れ帰ってくれるに違いない。

「んで、バルレルはこの手紙を持ってテイラーさんに今の状況を知らせて。 念のため蒼の派閥のミントさんにも協力してもらいましょ…こっちはポワソでも大丈夫かな」
「へいへい」
「返事は、はい!でしょ」

 そうして隠れ家を発見次第に花火を打ち上げ全てを暴いてやろうという、急場で思いついた―――バルレルは止めないのだからあたしの無謀さを止める人は他におらず―――作戦実行。
 偶然を装って姿を見せたあたしは、あっという間に捕えられる。

アイタタタタタッ、ちょ、痛い!イタイイタイ!(やっぱやめときゃ良かったー!)」
「はぁ、はぁ、この女、逃げ足速ぇ…っ」
「無駄に手こずらせやがって! オラ、とっととぶち込んで行くぞ」

 旅装に加え女一人というおかげか、疑われず檻に突っ込まれて心底安堵した。
 檻に入れられて安心するとかどうかと思うんだけども、緊急事態なのでそこはスルーだ。

(っていうか、今更自分で言うのもなんだけど…だ、大丈夫なのかしら)

 正直言って、急場で仕立てた作戦だっただけに不安ではあった。
 失敗すればあたしもそのまま売り飛ばされてしまうのだ。 今まで何度か危険な目にもあったけれど、この展開だってシャレにならない。
 商人たちに捕えられ、無理矢理に詰め込まれた馬車が軋む車輪の音は元々持っていた不安を充分に煽ってくれたし、同情と哀れみの眼差しを向けてくる周りの女性たちの悲愴さが漂う目にも冷や汗が出た。 胆だって冷えた。

(バルレル…上手くやってよね…いやもうほんとお願いしますバルレルさまァァアッ…!

 空からも隠されてしまう幌付の檻の中で、あたしの心の叫びが木霊した。
 緊急事態で意地を張ったってしょうがないし、素直に助けを求めたほうが至極無難だ。 プライドをかなぐり捨ててでもこれは助けてもらったほうがいい選択肢なのだと、あたしの全ての細胞が満場一致で可決する。 ということでバルレルさまー! 助けてくださぁーい!!


(で、でも、もし)


 間に合わなかったらどうしよう―――しかし、そんな心配は杞憂だった。


 あたしの叫びが届いたのか。
 隠れ家を突き止め、商人たちの後をこっそりとつけていたペコが持ってきてくれた花火を盛大に打ち上げたあと、間を置かず、バルレルは飛んで駆けつけてくれた。(それこそ、文字通りに)

 登場の仕方はなんとも彼らしく、月を背景に堂々として尊大。
 獲物を目の前に舌なめずりをする猛獣のようで、妙な迫力と妖艶さには背筋がぞっとする。
 そんな悪魔の出現に逃げ惑う悪徳商人達を愉快そうに追い掛け回し、追いかけて追いかけて追いかけて……散々ビビらせ苛め抜いて満足した途端に、あっという間に捕まえてしまった。 真性のドSである。

(でも、ファミィさんが「うっかり取り逃がしちゃった」っていうからどんなものかと思ってたけど…)

 本当に”うっかり”だったらしい。
 相手はそれほど強くもなく、捕縛にかけた時間は30分ほどだったか。
 そうしてあたしや皆が無事なのも商人たちを一網打尽にできたのも、バルレルがいてこその結果だ。 当然、彼にはきちんとお礼をしなければならないと思っている。


 …思ってはいるのだ、が!


(バルレルを、テイラーさんへのメッセンジャーにしたのは唯一の失敗だった…)


 平和になった穏やかな六年間の中で久しぶりに、深く後悔した。

 問題はその後にあった。
 やっと無事に戻れたと思いきや、今度は町の責任者であるテイラー・ブロンクスにしかめっ面で出迎えられるわ皮肉を言われるわで散々だったのだ……彼の言葉の中に聞き流すことの出来ない言葉がポンポンと出てくるのだから、さすがのあたしの顔色もガレアノやキュラーにも劣らず真っ青になる。
 そりゃそうだ。 議長の使者の片割れが、メイドを脅したり客室のソファに寝そべって酒をかっ喰らったり暴言を吐いたと云々を聞かされてしまえば、嫌でも青くなるものだろう。

「も、申し訳ございません…! ば、バルレルも」
「アァ? こんなヒゲに下げる頭はねーよ」
アンタァァァアアアアァ!!!

 何度も頭を下げて謝ったものの、しばらく滞在予定するこの町での穏やかな人間関係を築くには時間がかかりそうである。

 ――――――ああせめて。
 バルレルが召喚したポワソをミントさんではなく、テイラーさんに送ればよかった……。











「と、まあ、こんな感じでした」
「…へぇ〜、そんな騒ぎになってたんだな」

 それはまるで感心するような。 そうでないような。

 興味深そうに方耳をこちらに向けつつ、銀のトレイをくるくると回して遊んでいた少年は、始まりから終わりまで全ての説明を終えたあたしに「なるほど」と納得したように何度も頷いて、カウンターテーブルにカップを置いた。
 鼻腔をくすぐる甘い香りはホットココアだ。 湯気だった飲み物のカップに触れると、液体の熱がカップを通してあたしの手にじんわりと染み入ってくる。

「深夜に花火が上がって、やたら賑やかだなとは思ってたけど」
「いやそれはその…オ騒ガセシテドウモスミマセン…」

 幼い顔が心底呆れ返っていたので、項垂れるあたしの謝罪の言葉もカタコトになる。
 町人の安らかな時間に叩き起こしたのは間違いないのだ。 大迷惑にも程がある。

「こんな時間にすげぇ顔したオーナーに呼ばれた時は何ごとかと思ったけど…そういうことか。
 っていうかあれ、相当怒ってる顔だぜ」
ヒイイィー! や、やっぱり?! 町で穏やかに過ごせなくなる?!」
「いい人だとは思うけど、結構根に持つほうだからなあ。 会うたびに嫌味は言われるかも」

 恐怖を煽るコメントに、ホットココアのカップを持つ手がぶるりと震えた。
 湯気をたてて揺れるそれは誠に、大変、美味しいのだけれど、今では恐怖のあまり味が分からない。 感覚が麻痺してしまっている……どうしようコレ無事に生きて聖王国領域に戻れるかわからない全くもってほんとどうしようコレ!(錯乱)

「ど、どどどどどどうしようバルレル…! というか、どうしてくれるのよバルレル!
 二週間もかけて頑張ってやって来たのに次の日にはUターンしなきゃいけないフラグって! どんだけハードな旅行なのこれ! 正直キツイんですけど!」

「ッケ、俺が知るかよ」

 カウンターテーブルとは少し離れた丸テーブルに堂々と足を預けて占領し、5本の酒瓶を並べ一本一本を確実に制覇していっているバルレルはあたしの叫びを一蹴した。 完璧他人事である。(どこまで自由な悪魔なのアンタはァァァ…!!

「ま、ヒゲがナンかしてきたらそれで返り討ちにしてやるけどなァ。 ヒヒヒヒッ」
「うーん、オーナー負けそうだなぁ…」
「ちょ、だめ! それは駄目!」

 最悪な想像ばかりが脳内を駆け巡り、青い顔をしてぶるぶると脅えるあたしに気がついたのか。
 料理人兼宿屋の主人でもある少年は「おっと」と口元を抑えたあとで、取り繕うように言葉を紡ぐ。


「ま、あんまり気にしなくていいんじゃないか?
 子供でもないイイ年した大人なんだから、そのうち機嫌も直るだろ」


 正直、頭を抱えたくなる。(というか苦笑いで取り繕われても何の効果もない…!)
 けれど確かに彼の言うとおり、そのうち機嫌が直ってくれるのであればこちらとしては大変ありがたいが―――その前に―――思わず、少年をじっと見つめる。

 見つめられてか今度は逆に、青い瞳がきょとんと見返してきた。


「なに」
「…ライっていくつ?」
「14だけど」

 あっさりと答えた幼い顔の表情は告げられた年齢よりも大人びていた。
 この世界でも珍しい銀色の髪と、達観しながらそれでも無垢な青い瞳が印象的だ。 大人に比べて小柄で華奢な肩は年齢に相応しいけれど、言動の一部一部は大人へと昇華されたもので、アンバランスなその具合には背伸びをしているようにも感じられる。

 さて、皆々様へのご紹介が遅れました―――彼の名はライ。
 テイラーさんの紹介で、あたしとバルレルが遅めの夕食と宿をとらせてもらうことになったこの建物…【 忘れじの面影亭 】の主の片割れだそうだ。 町中からは少し外れた小高い丘に位置するこの宿は、人間だけでなく四つの異界の住人が居候していたりお客だったり家族だったりとなんとも珍しい、異世界大集合住宅でもあるらしい。


 ――――――召喚獣と人間が仲良く暮らす宿。
 それを聞くと何だか、かつてのジラール邸やモーリン道場を思い出す。
 傀儡戦争が終わってから旅の仲間はそれぞれの道を歩み始めて、二年に一度、三年に一度としか会えないことも増えてきて、一緒に旅をしていたあの頃がとても懐かしい。

(そのうち手紙書こうかなぁ)

 彼らのおかげで人間と召喚獣が仲良くなる喜びと、大切さを知った。
 だからライと、ライの影でもじもじと恥ずかしそうにくっついている女の子(角や尻尾があるから召喚獣なんだろうな)の間にある親愛の雰囲気を感じ取って、嬉しい気持ちになる。

「でも本当に、こんな夜中に騒いでごめんね。 その子もライも眠ってたんじゃない?」
「俺は明日の仕込みしてたから起きてた。 こっちのチビは寝てたみたいだけど」
「そっか。 …起こしてごめんね、お名前は?」
「…み、ミルリーフ、です…」

 丸い頬をぽおっと火照らせて、言葉が返る。
 それがあんまりにも可愛い仕草だったものだから思わず微笑んでしまうあたしと目が合うと、きゃっと悲鳴をあげて隠れてしまった…うわ、シャレにならないくらいマジで可愛いんですけどテイクアウト希望ハァハァ!!

「バルレルにもこんな可愛気があったらいいのになー、特にちっさいバルレルの方に可愛気要素追加を熱烈希望」
「犯すぞテメエ」
「コラァァアアア子供の前でなんつーことを!!!」

 思わず椅子を蹴倒して立ち上がるあたしに、ライとミルリーフは意味が分からずきょとんと首を傾げた。

 無垢なリアクションを返されて、羞恥のあまり頭に血が昇る。
 耳まで真っ赤になったあたしの反応が面白かったのかバルレルは愉快そうに笑ったその後―――不意に、誰もが一目は奪われるであろう秀麗な相貌は歪み、愉快から不愉快なものへと変化した。

「バルレル? …あ」


 …忘れてた。

 バルレルに関する問題はここだけではなかった。


「…、えーと」
「ったく、リビエル…用があるなら入って来いよ…」

絶対、イ ヤ!! ですわ!


 威嚇するように声を上げて、小さな白翼がバサバサと羽ばたいた。
 眼鏡の奥の淡い菫色の瞳は隠す事もできない嫌悪と不満を宿し、どうにかしたくてもどうにもできない…そんなものどかしさを現すように、出入り口の壁に爪をたててがりがりと引っかいている。 まるで、爪とぎをしている猫のようだ。
 彼女の視線は食堂のテーブルに足を乗せて悠々とお酒を飲むバルレルに向けられている……なんかもう、目線だけで呪われそうなくらい念のこもった睨み方だ。(天使なのに!)

「っ何で、どうして、<凶嵐の魔公子>がこんなところにいるんですのっ?!」
「リビエルー、他のお客さんもいるからもうちょっと静かにしてねー」

 キッチンの奥から、ライとよく似た容姿の女の子が顔を出した。
 ――なるほど。 あちらがフェアか。
 見た目はまだ幼いのにリビエルを見つめる眼差しはライと同じく大人びて、自立した強い意思の光が青瞳に瞬いている。

「それに、ミルリーフやリビエルは早く寝なくちゃいけないんじゃないの? 明日はラウスブルグに戻るから朝早いんでしょ〜?」
「そ、それどころじゃありませんわ。 ライもフェアも、どうして平気でいられるんですの?!
 <凶嵐の魔公子>は私たち天使の間でも特別危険視されている存在で、<暴力と争乱を司る悪魔王>とまで言われているのに…」

 周囲にどうにか納得してもらおうと言葉を紡ぐリビエルに、バルレルの苛立ちは頂点に達してしまったようだ。
 長い耳がぴくぴくと動き、横顔は仏頂面で完全に不機嫌モード。
 ま、まさか暴れるつもりじゃないでしょうね…!


「――さっきからうるせェチビだな。 つまんで追い出してやってもいいんだぜ」


 おぉ、バルレルにしてはまだ穏やかな物言いだ。
 けれど迫力のある三つの魔眼にジロッと睨まれ、天使はびくりと肩を跳ねさせ「ひゃっ」と悲鳴を上げてその場に座り込んでしまった。
 見目の良い外見から二人が生きてきた時間の判断は出来ないけれど、彼女の反応だけで二人の力の差を理解することは出来た…バルレルのほうが、強いのだ。

 しかしどうしようもない力の差があったとしても、種族の相性はどうにもならないらしい。
 相手が敵わないと分かっていても、相手がちっぽけな存在だとは分かっていても、目の前に存在するだけで互いを宿敵としてみなす本能が備わっていて、バルレルとリビエルは見事その本能に従って互いを不愉快に思い嫌悪している。
 天使と悪魔は対立する種族だとは知っていたけれど……本能レベルで出来てしまっているその溝は、他者がどうこう言って簡単に埋めることが出来ないほど本当に深いのだろう。

 お酒を飲んで上機嫌だったのに、バルレルの顔はますます不機嫌なものになっていく―――同時に、身に纏う空気も変化し始めた。
 不愉快さを隠し切れないように強い魔力がこぼれ、またもあたしの皮膚に痺れを与えてくる。

「バルレル…っ」

 そのことに、背中に浮かぶ冷たい汗が流れ落ちるのを自覚した。
 ここ最近ふとしたはずみで魔力が流出する回数が増えている気がする。

 ”もしかしてまた魔力強くなってる…?”とその力強さに戸惑った、そのとき。



「――そう怒れるな、<凶嵐の魔公子>殿」



 高潔さをにじませる、凛とした声がその場に響いた。

 それは、腰を抜かしたままのリビエルの背後から。
 肌触りの良さそうな衣擦れの音をたて、シルターンの赤い衣装を優雅に着こなした青年が座り込んだ天使の傍に立つ。 静かな足運び、場に立つその姿だけでも充分に品の良さが伺えるのだから彼の独特な容姿の通りにこの青年は只者ではないのだろう。
 赤髪の間から覗く角が、彼が人間ではないと告げていた。
 聡明な光を宿す三白眼は彼の登場を怪訝そうに見やるバルレルの魔眼に物怖じもせず受け止めて、「ふむ」と呟きながら扇子を開き、口元を覆って納得するように頷きを繰り返したあとで、足元の天使を見下ろした。

「リビエル、大丈夫か?」
「え、えぇ…大丈夫ですわ。 セイロン」
「そなたが警戒するのも無理はないな。 確かに、これほどの力の持ち主ならばこの町など容易に消し飛ばすことも可能であろうよ」

 あたしの思考が、停止した。

「…な、バルレルは、そんなことしないわ!」

 ガタンッと音をたてて荒々しく立ち上がり、龍人族の青年の前に立って睨み上げる。
 唐突に立ち塞がるあたしにセイロンは驚いたように目を見開いたが――逆に、今度はしげしげと、大層物珍しい生き物を見るようにあたしの顔を覗き込んできて「ほう」と感嘆の声をこぼした。
 あたしはというと、凝視されて思わず身を引いてしまう。

「な、何よ」
「これはまた珍しい魂の持ち主であるな。 娘、<凶嵐の魔公子>の主はそなたか?」
「違うけど…と、友達よ!」
「ほうほう、このような力ある悪魔を友人と呼ぶ人間とは…まこと、珍しい」

 「あっはっは、仲良き事は美しき哉」と、この場を綺麗にまとめて、やはり物珍しそうにあたしを眺める。
 な、なんかミョーーーーに絡まれるなぁ…!

「しかし、なるほど。 となると悪魔についてはこちらの認識不足という訳か」
「せ、セイロンッ。 認識不足じゃなくて、これは事実で」
「だがそこの娘にとっては御主の言う事実と違うのだろう?
 存在する命の数だけ思想も思考も、見る目も違うのは当然のこと。 遥か昔の悪魔と天使の因縁や過去の大戦での悪魔の所業を考えればそなたの気持ちも分からないでもないが…」

 セイロンの手が、座り込んだままのリビエルの首根っこを掴んで持ち上げた。
 小さな身体はあっさりと宙に浮いて、外見にそぐわぬ時間を生きて形成された知性的な菫色の瞳は自分が何故浮いているのか上手く理解出来ずに丸くなり、今この時だけ外見に見合った幼い子供のように見えた。 なんか可愛い。

「ああして怒ってくれる相手が傍にいるのだ。 問題もなかろう」
「ちょ、ちょっとセイロン! 降ろしなさい、自分で歩けますわーー!」
「それでは邪魔をしたな店主よ。 御子殿も、明日に備えてゆるりと休まれよ」

 喚く天使を小脇に抱えたまま優雅に礼をする器用さに、逆に感心してしまう。
 不思議な空気を持つ龍人族の青年にすっかりペースを乱されて呆気に取られていれば、ふと、立ち去ろうとしていた彼の赤い瞳はあたしのほうへと向けられて。

「娘」
「ひぇっ」

 またも無遠慮に顔を寄せられ、青年から薫る香の匂いがものすごく近くなった。
 品のある高貴な香の匂いだ――――唐突な接近に内心飛び上がらんばかりに驚いて素っ頓狂な声を出して固まってしまえば、顔を寄せられた首元で、すん、と鼻を鳴らす音が聞こえた。
 その音に思わず、カァッと頬が赤らんでしまう。
 良く知りもしない異性に匂いを嗅がれるなんて恥ずかしい以外の何物もない……え、もしかして臭いのあたし? なんか出てるの? だとしたらものすごく死にたいんですけど。

「な、ななな何す」
「娘、魔公子殿とは懇意の間柄なのだろう?」


 あたしの目が、点になる。


「わずかだが―――魔公子殿の匂いがするぞ」


 バルレルの、匂い。


 その意味を聞き返さなくても理解した。


「……っっ!!!!」

 脳裏にフラッシュバックするバルレルとの行為に耳まで赤くしてしまえば、セイロンはそれを見透かしたように悠々と扇子を仰ぎ、喉奥で愉快気に笑った。
 その瞬間に、あたしの羞恥は限界に達した。
 なんて無神経で遠慮のない男なんだ――殴りかかろうとして拳を固め、腕を振り上げようとしたけれど。

「え、わっ…?!」

 いつの間にか背後に立ったバルレルに阻止されてしまった。
 大人のバルレルの大きな掌だ。
 よく知る固い感触に我に返ると、あたしの背後に立ったバルレルはセイロンにニィっと笑った…あたしがセイロンと(一方的に)モメている間に毒気を抜かれてしまったのか、彼から滲み出ていた荒々しい雰囲気はすっかり消え失せている。

「と、止めないで! 殴らせて! この、デリカシーのない男の頭を…!」
「勝手に言わせとけ。 ヒヒッ、一部は本当の事なんだからよォ」
「あああぁぁデリカシーのない男がここにもいるぅうぅ!!…って、ちょ、何するのよ!?」

 じたばたと暴れる体はあっという間に肩に担がれ、やたら上機嫌なバルレルは部屋を出た。
 旅の荷物は既に持ってくれているようだ。 担がれた肩の上から次第に遠ざかる食堂の扉に目を向ければ不思議そうな表情のフェアとライとミルリーフの姿が見えていたけれど、それも、バルレルが角を曲がると完全に見えなくなってしまった。

「や、ちょっと、降ろして!」
「部屋に連れて行ってやってんだろうが。 大人しくしてねェと…」

 言葉の続きが彼特有の笑い声に消えてしまって、嫌な予感が胸に沸いた。
 とにかく、抵抗のつもりでバルレルの広い背をどんと叩くけれどビクともしない。 それすらにも愉快そうにバルレルは笑うだけだ。

「だいたい今日の作戦は何だァ? トリスにさえあんなアホな考え出せねえよ」
「う、だって、こんな事したことなかったからどうすればいいか…それに、バルレルだって何も言ってくれなかったじゃないっ」
「ヒヒヒ、あんまりにも自信たっぷり言われちまったもんだから言うのも馬鹿馬鹿しくてなァ」

 そんなことを言われてしまったら自分の単純さを余計に思い知らされる。
 にやにやと笑うバルレルの顔にだんだんと腹がたってきて「う、売り飛ばされたらどうしてくれるのよ!」と自分の浅はかさをバルレルに擦り付けるように怒鳴ってしまうと、あたしを担いで離さない赤い悪魔はにやりと笑みを深めて”ヒャハハ”と笑った。
 いつも思うんだけどその笑い方ほんと怖いからやめてほしい。


 やがて、抵抗する気力がすっかりなくなってしまった頃。

「ここか」
「え?」

 【 忘れじの面影亭 】の内部に沿って連なる扉の一つに、彼は立ち止まっていた。
 チャリ…と小さく響く金属音の後に、鍵を開ける音が耳に届く。 どうやら、バルレルが言っていた「部屋」とはあたし達が泊まる部屋であったようだ。
 肩から降ろされて部屋を見回していれば、荷物を床に放り投げたバルレルの瞳があたしに向けられて。


「おい、こっち向け」


 投げられた言葉と同時、乱暴に掴まれた腕が引かれる。
 唐突なそれに抗うことも出来ず引き寄せられたあたしの顔はバルレルの胸板にぶつかり、大きな手に後頭部と顎を掴まれ驚きに零れた声は噛みつくように飲み込まれた―――重なる唇は甘いなんてもんじゃない。 問答無用で蹂躙される。

「ン、んんっ!」

 角度を変えて深さ増す口付けに呼吸を乱され、強く抱かれて足のつま先が浮きそうになる。
 唇を抉じ開けてすぐに絡み付いてくる舌はあたしの言葉や意思なんて関係なく口内を掻き回し、厭らしい音をわざと聴かせるように響かせた。

 聞きたくない、と首を振ろうにも固定されて動けない。
 そうして息苦しそうに気に歪むあたしの顔を愉快そうに眺めては、彼は一方的にキスを楽しむのだ。
 こっちがいっぱいいっぱいになればなるほどバルレルは喜ぶ…いや、悦ぶ。 そうして一方的に楽しまれる行為は次第に一方的ではなくなって、あたしの理性が溶けて磨り減る度にあたし自身も夢中になっていく。 そうなればバルレルの思惑通りになってしまうのは分かっているのに、あたしには逆らえない。

「ん、ん…はっ…ぁ、…」

 飲み込めきれない唾液が口の端から伝う。
 胸板に手をついてわずかに顔を逸らすことを許されるのは一瞬で、すぐに元に戻されて味わうことを繰り返される。 戦争が終わってこの六年間に何度キスをしても慣れず、意識はあっという間に奪われてしまう。
 ――ふと、臀部を撫でられる感覚に気が付く。
 細く、柔軟な動きで撫でるそれはバルレルの尾だ。 体の線を舐めるように辿る動きに思わず、肩がびくりと跳ね上がる。

「バ、バルレルッ」
「ヒヒヒ、楽しくなってきただろ」

 楽しめる余裕がなんと恨めしい。
 なだれ込む様に寝台に押し倒されて、視界が半転する軽い衝撃に思考が一度停止した。 その隙に薄い唇が首筋に落ちて熱のこもる吐息が吹きかけられると、くらり、と酔ったように目眩が起こる。
 喜悦を含む相手の瞳に上手く反論する単語さえも見つけられない。

「た、楽しくって」

 それでもどうにか言い募るあたしの体を包む服が、慣れた手つきでするすると解かれていく。
 露にされる肩。 落ちていく衣服。 粗雑な物言いからは信じられないほど丁寧に思えるその動きに、自分の胸の鼓動が早くなっていくのが分かって、もどかしい愛撫に堪らず吐息を零してしまった。

「はっぁ、…っや…」
「オイ、顔隠すな」

 腕で目元を覆うそれが気に入らないのか、すぐに引き剥がされてバルレルの首へ先導される。
 端整な相貌がいつもよりもずっと近くに寄せられたことが嬉しくて、目に焼き付くように鮮やかな赤髪に手を差し込んでまさぐると、抵抗なく受け入れる動きを褒めるように頬へ口付けを落とされた。

 その間にもバルレルの両手は動きを止めない。
 膨らんだ胸を揉みし抱き、淡く色づく蕾を食むように咥内に含んでじっとりと味わう。 赤い舌が先端を弄る卑猥な光景は神経を通して知らされるため目を閉じても無意味で、情欲に濡れた声が、あたしの喉奥から込み上げて放たれる。

「ぁ、ぁあっ、バル…やぁ、っぁ」
「いつもより良く啼くじゃねえか…まあ、最近はこの面倒事にかかりきりだったからなァ?」

 そういう彼も、いつになく饒舌だ。
 吸い付くような音をたてて乳房を噛まれ「ひっ」と声をもらすあたしを見る目が、妙に熱い。 二人きりの旅の間は一切抱き合わなかったから、彼も興奮してくれているのだろうか。
 あたしの肌を味わうみたいにゆっくりと舌をすべらせながら、大きな手の平は肌をひたすら撫でまわる。

「ん、ンン…! ば、バル…ど、して」
「あ?」

 胸から顔を離すバルレルを、ふやけた視界の中で見つめた。
 いつの間にか大切になってしまった悪魔の端整な相貌に、その存在に堪らなくなって、奥底から甘く疼く情動に、はしたなく声をあげてバルレルを強請りそうになる。

 けれどわずかに取り残された羞恥でそれをぐっと我慢して、どうにか言葉を続けた。


「どうして、一緒に…来てくれた、の…?」


 それは、彼がファミィさんの頼みを引き受けた時からの疑問だった。
 先ほどから商人捕縛の事件を「面倒」だと繰り返していたのだから、それは本心だろう。 何に対しても、誰に対しても自由気ままで縛られないバルレルがそんな「面倒」を黙って引き受けてくれたことがとても不思議だった。

 しかし、バルレルはその質問があまりお気に召さなかったようだ。

 質問を無視して愛撫を再開する。
 硬くなった胸の先端をからかうように舌で突いて弄び、強張りが緩んだ足の間に身体を割り入れてくるとそのまま大きく開かせてきた。 慌てて閉じようとしても力強い腕が太腿を掴んで閉じる事を許さない――無防備に晒された場所に、赤い瞳の視線が落ちる。

「ひゃっ…バルレル、やだ、っ」
「いちいちくだらねえこと聞いてくんじゃねえよ」
「くだらなくなんか――」

 しかし次には、言葉は悲鳴になって部屋に響いた。
 彼のほんの少しの愛撫でしっとりとした潤いを帯びている部分――敏感な中心を指の腹で撫でられ、背中が綺麗に仰け反った。 その背中を救うように抱きながら、あたしの茂みを探って見つけた小さな芽をぐりっと弄られると、愛液がどっと溢れたのを自覚する。

「あっ…!」
「ほんとヤラしい女だな、テメエは」

 にやにやと笑う顔がなんだか悔しい。
 キッと睨みつけても効果はなく、今度は強くいじられてつい泣きそうな声が出た。 脳が痺れるような快楽に、思考の全てを真っ白に塗り替えられてしまう。

「やぁ! そこ、、やっ…!」
「オラ、もっと啼けよ」
「ぅあっ――ひ、ァあッ…! バルレ、ゃ、あっ」

 ゆっくりと押し進められる長い指にバルレルが望んだ通り、開いた唇から啼き声がこぼれた。
 異物の進入に驚いた身体は最初こそ抵抗をする動きを見せたけれど、すぐにすんなり受け入れる。掻きまわすようなバルレルの指の動きにひたすら熱をあげて受け入れるあたしを、褒めるようにもう一度、バルレルの唇があたしの頬に触れてくる。
 片方の手は掻き乱すように秘奥を犯しているのに、その一方で後頭部を抱え、あたしの髪を長い指に絡めて感触を楽しみながら口づけを繰り返すというバルレルの器用さには感心する。(本当は感心するべき部分ではないけれども)

「ば、バルレルっ…」

 すぐ傍にある首に腕を伸ばし、熱を帯びる頬を撫でる。
 子供の姿の時とは全然違う…男の人らしい頬のライン。 見目良い相貌に相応しいすべらかな肌がいつも羨ましい。 何を食べたらこんなに綺麗な肌になるんだろう。 これもサプレスの神秘か。

「はっ…、ァ、っ、…んっ」

 全然関係のないことばかりを片隅に考えながら与えられる快楽に体や足を震わせながら広い背にしがみつけば、ふと、繰り返されていた口づけが止んだ。
 途切れた唇を感触に霞んでいた焦点を合わせ、とろりと濡れた眼差しで見上げる―――そこには、今までに見せた事がない表情をしたバルレルが。


「バルレ、ル?」

「―――――テメエ一人にしとくと、どこで野垂れ死ぬかわからねえからな」


 憮然としながらも、呆れを滲ませる三つの魔眼。
 そのどれもに、隠しきれない情欲の光が見える。

 呟いた言葉が何を言いたかったのかもう一度聞きたかったけど、求めているのは自分だけではないのだと知らせるそれに胸の奥がきゅうっと締め付けられて、”何が言いたかったんだろう”と思案する思考は消滅した。

 ただ、目の前の悪魔がどうしようもなく欲しい。
 そっと唇を寄せて触れ合うと、貪るように返された。 彼らしく強引に。 けれど、ちっとも嫌じゃない。

 濡れそぼつ場所から指が引き抜かれ、もどかしい喪失感に体を震わせて仰け反る。
 ぐいっと膝裏を抱えられた足は奥底に植え込まれた快楽の余韻にびくびくと痙攣を繰り返し、快楽にうち震えるあたしをじっと見下ろす視線を肌に感じながら、霞んだ思考でバルレルを待ちわびた。 六年という月日の中で幾度も重なり触れ合う身体は最早与えられる快楽に従順で、自分ではどうにも出来ない。

「…バルレル…、好きよ」

 想いをのせてもう一度、形の良い唇に自分からキスを贈る。
 重なる唇を音をたてて吸い上げるとバルレルの体が離れて、すぐに、汗でぬめる膝裏を掴み直し胸にくっつくまで足を抱え上げられた。
 抱えるはずみで反り起ったバルレルの硬い熱が下腹部に当たる。 けれどそれはあたしの濡れた場所を押し付け直され、バルレルが腰を動かすと、互いの熱が触れ合う場所からぐちゅ、と厭らしい音が聞こえた。 期待に、興奮に、息が弾む。

「ん、ぅっ」
「…力、抜いとけよ」

 掠れた声に誘惑される。
 それだけでこれから何が起こるのか、何を得られるのか理解してぎゅうっと目を瞑った。
 真っ暗になった視界はバルレルの顔さえも映さないけれど、押し付けられた熱が潤う泉の入り口をゆっくりと行き来していく感触は敏感になった神経を通して伝わってくる。
 まだ入れられてもいないのに、焦らすように擦り付けられる彼の熱さに体が溶けてしまいそう。

「はっ…バル、……好き、…ん…、っ」
「…、大悪魔にそんな言葉が言えるのはテメエくらいだな」

 そりゃ確かに―――バルレルとあたしは全てが違う。
 それは種族とか存在とか、生態とか、持っている常識の全て。 だって、サプレスでは彼らが魂だけの存在でもあるだなんてそんなこと言われても想像がつかないし、<幽霊が溢れている>と解釈するのもどうも違う気がするし。

 けれどこうして触れる唇は確かに、あたしのものと同じ感触で。
 この人は大勢の人々が恐れる<悪魔>だと何度知らされても<バルレル>というだけで何度でも 愛しくなれると思う――――セイロンには友達だと言ったけれど、あたしは本当はこの人が好きなのだ。

(…長いなー、あたしの片思い歴)


 ―――そう。

 時たまセイロンのように恋人関係に間違われるけれど、この恋は実っていないのだ。


 確かに、こうして抱かれている。
 バルレルは乱暴な抱き方もしないし、あたしだって合意の上だ。
 でも”この恋は実っていて両思いか?”と聞かれてしまえば答えは「ノー」で、”恋人か?”と聞かれてしまえば「友達です!」と答え、先ほどのセイロンの質問の「懇意の間柄か?」にバルレルは「一部は本当」だと言った――――それはつまり身体だけの関係を指す――――だから、今のあたしの恋に名前をつけるならば<片思い>に尽きる。

 バルレルとは、一緒に旅を続けて、命を賭けて戦って、この六年も同じ時間を過ごしてきた。
 最初こそは”あたしのこと好きでいてくれているのかなぁ”なんて浮かれていて、やっぱり言葉とか欲しくて、今は言ってくれなくてもあたしが何度も言えばそのうちふとしたはずみで「好きだ」って言ってくれるんじゃないかなんてそんな風に期待して、諦めずにいたけど―――――二年前になってやっと、理解した。


 バルレルはあたしを<ただ抱いている>だけなのだと。



「ぁ、やぅっ――ァ、あぁ…っ!」
「っ、狭ぇ…、力抜けって」
「…ッできな、ぁ、や、ぁっ…… ぁっ、あ」

 密着した体はいつものように熱い。
 バルレルが胎内へと侵入した部分から熱と疼きと甘さが手足へ広がって、視界がぼやけて点滅する。
 ず、ず、と揺さぶられただけで達しそうになって慌ててシーツを握り締めれば”俺に掴まってろ”と手を太い首へと誘導してくれたので、遠慮なく抱きつかせてもらった…ああこれで、「好きだー」なんて言ってもらえたら最高なのに。 幸せで死ねるのに。



 こんなに優しくしてもらえて、傍にいてもらえるのにあたしの片思いだなんてありえないよバルレル。



「――…ンッ、ん、バルレ、ルっ…!」

 全身を揺さぶるほどの激しさに目眩がする。
 でも、もっと求めて欲しくてはしたない声で彼を誘っているのに、いつも、わずかな理性で考えてしまう。

 もしかして他の人に重ねられてるのか…なんて最悪な想像。
 いつだってそれが頭の中を駆け巡る。
 もしそうであれば相当酷い男だ。 見損なうわ。 ケーベツするわ。

 でも。 でもでもでもでも。



「好、き」



「…っ」



「バルレル、すき、だよ…」



 理解して、二年経ってもこれなのだから、あたしも相当しぶといな。



 けれども、少しでもこの気持ちが彼に伝わっていればいい。








 あなたに好きになってもらって、一緒にいたいよ―――バルレル。


















 それは、快楽が全てを支配する瞬間だった。

 一際高い啼き声あげ、蜜で濡れながら穿つバルレルを強く締め付けては意識を失った。
 くたりと崩れ落ちて寝台に沈む身体は汗と精液にまみれ、肌には紅色の華が咲き乱れている。 普段の彼女を知る人間がこれを見れば嫌でも<女>を感じるだろうし、<女>として意識をせずにはいられなくなるだろう。
 淡い月光と浴びて泥のように眠るその姿を三つの目で見下ろして、乱れきったシーツを肩にかけてやる。
 秋季だと言えど冷ややかには変わりはないし、人間の身体は酷く弱い。 ここに彼女を良く知る人物はいないのだ。 寝込まれでもしたら後々面倒なことになる。

「―――」

 無言で、彼女の火照った頬に流れる髪を撫でてやる。
 くすぐったそうに身じろぐ仕草に一度息を吐いて立ち上がると、情事の余韻を漂わせたままバルレルは部屋の外へ出た―――を起こさず、足音を殺して、ゆっくりと扉が閉まる。


 部屋の外の空気は清らかで、冬に似ていた。
 【 忘れじの面影亭 】全ての住人は今度こそ本当に寝静まったのか誰の気配もなく、窓は風でかすかに揺れながら月光を廊下の内側へと招き、青白い光が夜の深みを容赦なく跳ね除けて世界の灯りとなって、バルレルの横顔を照らした。


「テメエのことは気に入ったが―――盗み聞き、てのはイイ趣味じゃねェな」


 照らされた美貌は愉悦を含んでいた。
 その言葉に呼応するように、暗闇から浮かび上がる緋色の影はセイロンだ。 先ほどの食堂で見た陽気さは影を潜め、ただ静かに、高貴なる者に相応しい静かな眼差しを向けている。

「魔力が、上がっているな――あの娘を糧にしているのか」
「さァな」
「…まったく…魔公子殿は全てをはぐらかす厄介な御仁だ。 おかげで判断をつけかねる」


 討ち取るべきか。 放置しておくべきかをな。


 セイロンの呟きは秋の空気に静かに溶ける。
 不穏な単語の羅列だ。 だが、逞しく肉付きの良い上半身を晒したまま窓枠にもたれ、にやにやと愉快そうに笑ってセイロンを眺める悪魔はその胸のうちをわずかも零さない。 見せない。 おそらくにも、彼の心の奥を理解できない。 だが。 彼らを見ていてひとつだけ、分かったことがある。

「あの娘を、悲しませるような事だけはしてほしくないものだな」
「何だァ? やけにアイツを気にかけるじゃねーか。 惚れたか?」
「そうではないが ……多少、羨ましくはあるな」

 彼に向けられる信頼は曇りなく。
 彼に向けられる愛情は本物だった。
 一人の女に愛されている悪魔におぼえたわずかな羨望を嗅ぎ取られたか、バルレルの魔眼が剣呑な光を帯びてセイロンを射た。


「アイツは俺のモンだ――――手ェ出したら消すぞ」


 瞬間、周囲に漂う空気がびりっと震えた。

 窓はがたがたと揺れを増し、外の世界を穏やかに吹いた風が険しくなる――暴力と争乱を司る悪魔王の象徴である三つ目の魔眼が不気味な赤光をこぼし、零れ出る魔力の濃密さがリィンバウムに影響を与えているのだ。 強すぎるその力はセイロンの首筋に一粒の汗を浮かべ、向けられる威圧感に項垂れ膝をつきたくなる衝動に突き動かす。

(これが、リビエルが恐れる悪魔王)

 恐ろしいまでの潜在能力と、彼自身が元から持つ魔力の濃度。
 さらに、強い魂を持つを抱くたびに魔力が上がるとなると、この二人は最悪最凶の組み合わせだ。 を傍らに置いたまま本気になったこの悪魔が敵に回れば世界は瞬く間に火の海になるだろう……この町も一夜にして消滅し、すべてが灰と化すだろう。

(どうする。 今ここで、滅するか。 封ずるか)

 それが出来るかは、問題ではない。
 やらなければ世界は火に染まる――そんな最悪な想像ばかりを、目の前の悪魔はセイロンに抱かせる。
 



 だが、次の瞬間にその想像は打ち砕かれた。



「―――バルレル…?」



 部屋の扉の向こうから、酷く心細そうな声が届く。
 寝台が軋む音のあとで、シーツの音。
 裸足なのかぺたぺたと幼い子供のような足音のあと、ガツ、と何かにぶつかった音に重なり「ぎゃ!」と悲鳴があが何かが倒れる音がした――どうやら、転んだようだと推測が出来るのだが、彼女が名を呼んだことで空気の震えが消失したことのほうが驚いた。

「ば、バルレル…どこ?」

 痛みを堪えてか涙混じりの声で、は悪魔の名を呼び続ける。
 は、彼が自分を抱くたびにあがる魔力の脅威に気付いていないのだろうか。
 いや、気付いていたとしても彼女は、この悪魔から離れることはないのかもしれない。 そこで、セイロンはバルレルへと視線を戻し――内心、動揺した――しかしその動揺を悟られぬよう素知らぬ顔を装って、セイロンは溜息をついてバルレルに背を向けた。

 目の前にいた悪魔にあれほど恐怖心を煽られていたというのに。
 今ではこんなにも穏やかに苦笑している自分がまた、可笑しかった。

 何故ならば、あれほど荒くれた魔力が彼女の声で静けさを取り戻したのだから―――。


「行ってやるがいい。 そなたを探している」
「ッケ、言われずとも戻ってやらァ」

 セイロンの苦笑の意味を知ってか、悪魔の顔はまるで苦虫を噛み潰したようだ。
 吐き捨てるように言葉が投げられたあと、扉が閉まる音。
 そうして世界はいつもの夜に姿を取り戻す。 鈴虫が軽やかに鳴き、星が瞬き、木の葉を揺らして冬の訪れへの準備をするようにと、生ける全ての命に告げている――――。





「面白い二人だ」






 世界の誰もが考えもしないだろう。






 たった一人の人間に世界が救われている、なんて。

6 years later - Autunno 2 -

あとがき
後編だけで12日かかったってどんだけ。
最初がちょっと入れすぎたな…自分のMOEを詰め込みすぎた…本当はさんが悪徳商人たちに立ち向かうシーンも書きたかったんだけど、長くなりそうだったので削除。自重という言葉を新年に刻もう。
 
妄想満載ですが取敢えずお楽しみいただければそれだけで報われます。
エロをもっと色々と書きたかったのに。笑。次にチャレンジします。バルレルですごく書きたいエロネタがあるんだ…
新年から邪ですよちょっともう。

バルレル編はこんなぎこちない二人の設定で。
6年一緒にいてまだ片思いかよと思わせて実は両思い。
お互い想い合っていても、バルレルはそういう言葉は言わなさそうなマイイメージ。
なので行動で表現してるけど、一向に気付かないさんでした。笑。

Autunno(アウトゥンノ)・・・・意味:秋。
2008.1.1