深みを帯び、鮮やかに染まる葉色は様々で。
どれも暖かな葉色を揺らす冷風は、冬への仕度に取り掛かる証。
宿場町トレイユは、実りの秋を待っていた。
「えううぅぅ〜〜〜お嬢様の、バカァ…」
それは心底恨めしいとでも言うような、震えながらの呟きだった。
怯えを含む赤い瞳が、暗闇が満ちる周囲をおどおどとさまよう。
木々が擦れあう度にビクリと震えるのは、召使いの衣装に包まれた華奢な肩。 鮮やかな色葉が落ちた土の地面を上質の革靴で踏みしめてゆっくりと進む足取りは何とも頼りなげだ。
「なにもこんな時間に追い出さなくてもいいじゃないですかぁぁ〜…」
鬱蒼と覆い茂る森の中で、嘆くメイドがいた。
冬が間近に迫っていることを知らせる冷風が彼女の髪を撫でてさらい、頬にかかる艶のある藤色の長い髪を払いながら空を仰ぐ。 煌々と輝く満月は常と変わらず、青白い光を散らすそれを目にした赤瞳から怯えは消えて、安らぎの色が浮かび上がった――森の雰囲気は不気味だが、月は彼女にとって安らぎの象徴だ。
見上げる瞳は自然と優しくなる。
(でもでも、リシェルお嬢様ったら酷いですわ。 マツタケが食べたいから採ってきてだなんて…)
幼少の時から見守ってきた令嬢の願いに、メイドの彼女――ポムニットが逆らえるはずがない。
”それもこれも、シンゲンさんが「秋の季節はやっぱりマツタケご飯ですよ」なんて言うから…”とブツブツと呟く不満も途切れない。
シンゲンの話に目を輝かせたのは好奇心旺盛のリシェルだ。
あれからやたら「食べたい」と連発していたが、今日の深夜、思いついたようにメイドの彼女に命令が下ってしまった事実は正直いただけない。 寝ようと思っていたのに何たる非常識な。
(それにそれにっ!
たいだい、私はマツタケというものがどんなものなのか知りませんのにっ)
ポムニット、リシェル・ルシアン姉弟の憩いの宿屋の客である、シルターンの侍・シンゲン曰く「キノコっぽいもの」という訳だが、そんな不明確なアドバイスだけでどうしろというのだろう。
キノコにも毒性を含むものもあるし、書物で読んだ遠い異国の話では「ぱわーあっぷきのこ」というものがあるようで、どんな小人もそれを食べると身体が大きくなるらしい。
それを手に入れて姫を救った武勇伝があるとかないとか。 世界は本当に広い。
ああしかし、考えれば考えるほどなんという暴挙。
怒りたいやら泣きたいやら、そんな感情をごまかすため思考をぐるぐる巡らせるも―――やがて、可憐な唇から諦めたように溜息が零れ落ちた。
こうなったら適当にキノコを見つけて、シンゲンに試食も兼ねて見分けてもらえばいい。
彼が毒になろうが巨人になろうが、か弱いメイドをこんな夜の森に追い出した無神経な侍を気遣う必要なんてないのだ。(毒になってもミントさんがいれば大丈夫ですものっ)
「それにしても、今夜の月は本当に綺麗…」
出て来てよかったと唯一思える点が、木々の隙間から覗く月だった。
秋と冬は空気が澄むというが、まさにそれだろう。 しんと冴え渡る優しい暗闇の中でぼんやりと浮かぶ月には人を詩人にさせるような、そんな神秘性がある。
籠(かご)とスコップを置き、地面についていた膝を真っ直ぐにして立ち上がった。
ふわりと揺れる長い髪とスカートの裾を風に遊ばせて、ポムニットの目がいつもより眩い光源を見上げた後、ゆっくりと息を吸い込む。
肺に滑り込む空気は冷ややかなれど、心地よい。
両手を広げ、降り注ぐ月光を全身に浴びて心の安寧を得ていた、その時。
「―――ッ!!」
一瞬呼吸をすることを忘れ、急かされるように黒いスカートを揺らして振り返る。
背後に影はない。
だが、立ち並ぶ木々が一斉にざわざわと騒ぎ始め、周囲の動物や虫の声が消えたことで異常を確信するには充分だった。
彼女がじりっと靴底を踏みしめて周囲を睨んでいる中で、言い知れぬ不穏な空気が漂い始める。
穏やかな静けさが保たれた森から全くの別物へと変化した空間から、今すぐにでも逃げ出したい。 帰りたい……ささやかな願い。 しかしそれは、許されなかった。
「っ!」
唐突に、こちらに向けられた凶暴な魔力の気配に背筋がざわっと逆立った。
ポムニットはその場から一歩身を退き、再度身構える―――刃先を突きつけられているように肌がちりちりと疼く。 それはポムニットには良く知る感覚だ…いや、よく知る、というよりは同質に近いとでも言うべきか。
濃厚なサプレスの匂いを醸し出すそれに、全身から汗が噴出す感覚を得る。
じわりと乾き始める咥内を潤すように込み上げる唾を飲み込んで、警戒するように忙しなく周囲を見回すも、何の影も捉えない。
しかし、これは間違えようもなく。
(これは、サプレスの悪魔――)
迂闊だった。
こんなに接近されるまで気づけなかったとは。
きゅっと眉を寄せ、大口を開けて広がる暗闇に目を凝らすもやはり何の影も見当たらない。 仮に見つけることが出来て、この魔力の前に彼女が立ちはだかったとしても、反抗する間もないまま容赦なく叩き潰されるだろう。
(でも)
多少離れているとはいえ、この森から宿場町トレイユは近い。
ここでポムニットが森に潜む悪魔を倒さなければ、次の標的は確実にトレイユになる。 強いてはトレイユの住人たちの<魂>になる――ようやく訪れた平穏が、再び崩されてしまう。
それだけは駄目だ…込み上げる感情に今一度、喉を鳴らす。
決意を固める赤い瞳が爛と輝きを帯び、召使いのレースキャップと彼女の美しい髪が彼女自身のサプレスの魔力にざわりと揺れ、まだ見ぬ相手に対抗の意思を見せつける。
すると、凶暴な存在の気配が、動いた。
「――――、どこ見てやがんだよ」
「?!」
愉快そうな笑い声が真後ろから届き、ポムニットの髪がグイと引かれた。
乱暴に引っ張られて革靴のつま先が浮き、乾いた咥内から「きゃぅっ」と哀れな悲鳴が上がると、背後に立った悪魔がさらに喜悦の音を響かせて哂ったのが分かった。
髪を掴まれて、涙が滲む。
ぼやける視界の隅で彼女が見たものは、烈火の赤だ。 燃え盛る炎のように鮮やかな赤髪が揺れたことを視界に認めると、紅蓮の悪魔は「ん?」と声を上げて怪訝そうに彼女を見やり。
「テメエ、半魔か」
「っぁ」
大きな手に顎を掴まれて上向きにされる。
赤色がより間近に見えて、ポムニットの瞳に背後に立つ悪魔の姿がようやく映った――端整な顔立ちの悪魔だ。 三つの魔眼は彼が持つ溢れんばかりの魔力を帯びて妖艶に輝き、声にも魔力が宿っているのだろうかと考えてしまうほど、耳元で囁かれる低い声に意識を奪われそうになる。
「ヒヒッ、どうりで悪魔臭ぇと思った」
「っ」
悪魔臭い、の言葉に涙がぽろっと零れ落ちた。
――彼の言うとおり、自分は人間と悪魔の間に生まれた存在。
今更自分の出自を恨んだり後悔するつもりもないし、悪魔がキライと言う訳ではないが、それでも長年抱え続けてきた悩みを無遠慮に晒されたうえ、彼女がどう考えようと、どう努力をしようとしても彼女の身体から悪魔の匂いがするという事実が哀しかった。
ひっく、とすすり泣きを上げると、悪魔が彼女の髪から手を放す。
成すすべもなくどさりと崩れ落ちる華奢な身体を愉快そうに見下ろした後、悪魔は、痛みに打ち震える彼女の髪をぐいと引き掴んで顔を上げさせた。
「半魔、テメエに聞きたいことがある」
「っ」
「すぐそこに、町があるだろ。 そこで一番偉い人間のところまで案内しな」
―――でなければ町の人間を殺す。
言葉にしなくとも、そう思わせるほどの迫力が目の前の悪魔にあった。
きっと、この悪魔にはそれが可能なのだと、警鐘が鳴り響く本能から彼女はそれを理解できた。
「わかり、ました…」
だから、ポムニットはそれに逆らうことができなかった。
テイラー・ブロンクスは、久しぶりに腸が煮えくり返る思いを感じていた。
ここまで気分を害されたのは、彼の悪友(親友などではない、絶対に!)であるダイバ・ケンタロウに馴れ馴れしく接されたり、テイラーの初恋の人であるメリアージュをケンタロウに掻っ攫われたことくらいだろう。
他にも色々と不愉快な思いをしたことはあるが、ケンタロウ絡みはほとんど神経を逆撫でされていたような気がする。 天敵、という言葉はもしやこの為にあるのではないだろうか。
「も、申し訳ありません旦那さま…」
後ろで大変申し訳なさそうに、メイドのポムニットが涙目で謝っている。
おどおど、びくびくと肩を震わせているその姿を見ると、彼女は目の前のコレに相当恐怖を植え込まれてしまったようだ――テイラーがぎろりとポムニットを睨んだ後で、ブロンクス家で一番上等の客室に設置されたソファーでに寝転び、上等な酒を飲んでは気分良さそうに居座っている悪魔を見やった。
そんなテイラーの手には、金色の液で印を押された一通の手紙が。
「…つまり貴様は、金の派閥の議長ファミィ・マーン様が遣わした使者、ということか?」
自分の口から出てきた言葉が真実などと、到底認めたくもなかった。
だが、悪魔が持っていた全てを語る書状を何度眺めても、言葉の羅列はテイラーの言葉通りだった。 どうやらファナンで問題になった、女性を誘拐し人身売買を繰り返す悪徳商人の集団がこちらの町に逃げ込んできたということで、その報告と救援も兼ねて遣わされたのが目の前の悪魔―――バルレル、らしい。
問われたバルレルは、ポムニットに用意させた酒のつまみに手を伸ばすついでにチラっとテイラーを見やったが、興味なさそうに酒に視線を戻してしまった。
使者らしからぬあまりの不遜さに、悪友によって鍛え上げられた忍耐は水の泡となり血管は今にもぶち切れそうだ。 不満ばかりが口をついて出てくる。
「ファミィ・マーン様は一体何を考えてこんな悪魔を使者に…」
「知るか。 あのオンナに聞けよ」
「聞けるものならとっくに聞いとるわ!
それにポムニット、貴様も少しは抵抗をしろ! こんな怪しい輩をあっさり連れてきおって」
「むむむむ無理ですよぉぉ! あんな上級悪魔に抵抗なんかしたら、私のようなしがないメイドなんてプチッ!と潰されてしまうのがオチです〜!!」
「えええい、メイド根性を見せんかー!」
唇をぶるぶると震わせながら怒鳴るテイラーに、ポムニットはレースキャップに包まれた頭を庇うように手で覆って身を竦めた。
脅えるメイドに鼻息を荒くしつつも、握り潰していた書状を開きの最後の一文字までに目を通す――途中、今の状況と異なる点を一箇所見つけて思わず、テイラーは文字を追う目を留めた。
「おい、悪魔」
「んだよ」
「これには使者は<二人>いるということだが、もう一人はどこにいった?」
ファミィ・マーン議長からの使者は<二人>で、人間の女性だと記されている。
どうやら正式な使者はその女性のほうらしい。 となると、バルレルは彼女を護衛する者だということだ……正式な使者でもないのに酒を飲んで寝転ぶなどとどこまで不遜なのだ、この悪魔は。
悪魔はテイラーの指摘に舌を打ってあからさまに毒づいて見せたものの、渋々と口を開く。
上質なブランデーの香りが漂った。(私の酒だというのに!)
「ここに来る途中で、商人共の野営地点を見つけてな。
この町に隠れ家があるはずだっつーことで、そいつが囮になったんだよ。 隠れ家に到着したら何か合図でも送ってくれるらしーがな」
「な、何だと!?」
「今頃どーしてんだろうなァ? ヒヒッ」
笑っている場合ではないだろ う が ァ ァ ァ !
―――そう怒鳴りたいのを必死で堪え、テイラーは深呼吸をして沸き立つ怒りを抑え込んだ。
今は怒りに血管をぶち切らせている場合ではない。
金の派閥の議長であるファミィ・マーンが直々に証印を押すほど信頼を得た使者が危険に晒されているのだ。 ただのメッセンジャーとして残されて役に立たない悪魔と口論をするのは時間と労力の無駄使いだ。
考えろ、考えて考えて、彼女を救い出さなければ!!
「夜分に失礼しますテイラーさん! 実は」
「いいところに来たぞグラッド!」
「は? ぁ、いやその」
無礼承知で上がりこんだ駐在軍人の目が、大喜びで歓迎されて丸くなる。
ぽかんと口を開けたまま固まったグラッドに構わずテイラーが彼の逞しい両肩を掴み、凄むように顔を寄せ、状況の説明を始めた。
兎にも角にも、今は使者の身の安全と町の住人の平穏のため武装集団をどうにかせねばなるまい。
「いいかグラッド、この町には武装された悪徳商人の集団が滞在しているらしいのだが…」
「え、何故それをテイラー様がご存知で?」
「…なに?」
「ミントさんの家に、ポワソが手紙を持ってやって来たみたいで」
グラッドが言いかけたその時、空高く打ち上げるような甲高い音が天空へ伸びた。
次いで、ブロンクス家の窓の向こうがパァッと眩く輝き、体内や心臓を打つような、ドォンッと力強い音が響き渡る。
何事かとポムニットが慌てて窓辺へ駆け寄れば、様々な色の火花が夜空を照らして美しく彩っていた。 それは幾重にも繰り返され、暗く寝静まっていたはずの町並みがぽつりぽつりと光を灯し始め、住人たちが目覚めてしまったことをテイラー達に伝えてくる。
「わぁっ、綺麗ですね〜」
「あれは、ファナンの豊漁祭で使用される花火…」
――まさか、あれが合図なのだというのか。
しかしなんという派手な合図だ。 あれではテイラーたちが商人たちの隠れ家にたどり着く前に、蜘蛛の子を散らすように逃げられてしまう。
悪魔は不遜で非常識だが、正式な使者は考えなしの人間なのだろうか。 だとすればかなり頭の痛い話である。
「〜〜うぬぬ、考えても仕方がないわっ。
グラッド! 今すぐ男達を集めて合図が放たれた場所に向かえ!」
「はっ!」
こうなればヤケである。
犯人たちを捕まえることが出来ずとも、使者や誘拐された女性たちを救うのが先決だ――飛び出すように出て行ったグラッドに続きテイラーも駆け出そうとする、そこでようやく、悪魔が身体を起こして立ち上がった。
酷く緩慢な動きだが、この悪魔は使者の心配をしていないのだろうか。
「おい、ヒゲ」
「…それはもしかしなくとも私のことか?!」
「テメエらはロープでも用意しとけ」
くぁ、と欠伸をしてそう告げると、バルレルの足はバルコニーへと向かう。
乱暴に窓を押し開き、途端に吹き付ける肌寒い空気に赤髪を躍らせて、煌々と鳴り響く花火に目をやると、逞しく広い背の腰から生えた翼が両腕のように大きく広がった。
「ったく、合図が遅ぇんだよアイツは」
「待て貴様! どこへ行く?!」
今にも飛び立とうとする悪魔を呼び止めるもそれは見事に空振った。
テイラーの言葉をすっぱりと無視して、翼が一度大きくはためく。 ゴゥと唸り声を上げて旋風が巻き起ると同時に飛び立った背は、月を背景に悠々と一回りをした後で、花火が打ち上げられた場所を目指してあっという間に夜の闇に消えてしまった。
その場に残るは、最後の最後まで振り回されたテイラーとポムニットだけである。
「……」
「だ、旦那様…」
後々に、ブロンクス家のメイドはかく語る。
その時のテイラー・ブロンクスの背は一気に老け込んだように見えた、と。