※企画SS Welcome home back ! Summon Night!のSS1-10.
<君に会える日をずっと待っていた>の続編です。
思い出すのはいつもあの瞬間からだった。
静かで。
落ち着いていて。
一度呼ばれれば拒めぬ――そんなモノが込められたあの人の声が、薄暗い森に響くところから始まるのだ。
「――全てを司る”界の意志”よ――」
それは目に見えぬものを手繰り寄せるひとつの呼び声だった。
凛とした声が空気を震わせ、波紋のように広がって薄暗い森に響き渡る。
その瞬間にじわりと、周囲の空気が別物へと塗り変えられていく違和感がレックスの肌に触れた。
呼ばれるまではただの空気でしかなかったモノたちが呼び声に手繰られ、蠢き、島に漂う濁りのない澄んだ魔力と混ざり合う様は言葉では言い表せないものだが、召喚師――魔力(マナ)に触れる者にとっては無視できない存在感があった。
強大な力のうねり――全ての魂を司る四界の力が、ある目的をもってひとつになろうと溶け合っていく光景が訪れようとしている。
「我が声を聞け。
我が願いを…」
謳うように滑らかに。
淀みなく清廉に。
普段の酔ったメイメイとは雰囲気もまるで違う、とても静かな声。
淡々と放たれる彼女の声が目に見えぬ” 意志 ”を呼びかける。
そうすれば、森の木々も乾いた土も、眩しい青空を吹き抜けていく風も、【 忘れられた島 】全体に満ちる魔力も――【 喚起の門 】を基盤にして、島中の魔力が全てひとつに練り上げられる。
やがて常人にも視覚できるほど力を増していく魔力に、動物たちがいっせいに騒ぎ始めた。
島に安定して満ちていた四界の魔力のバランスが崩れたことで、彼らの不安を煽ったのだろう。
羽根が落ちるほど強く羽ばたいて青空を飛行する鳥の群れは普段では見る事のない種類ばかりだ。
青空を覆いつくす鳥の群れを、レックスは傍観者のような心地で見上げていた。
(…やっぱりあれは、夢じゃなかったのか)
そう呟いた自分の声が遠く聞こえた。
これがすでに過去のものだと諦めた、自分の声だからだろうか。
今この場所にいて全てを見ている自分の姿は過去のままなのに、思考はこれから何が起こるのか理解している。
――そうだ、自分は当事者ではなく傍観者。
これは”彼女”を失ったときから繰り返し見ている過去の夢だった。
(また君は、俺の前からいなくなるのか)
そうして見上げた【 喚起の門 】は集められた魔力を受け入れようとした。
門としての役目を担う部分の空間が――ぎゅるり、と奇妙な音をたてて歪みをみせる。
それは、ヘイゼルを大陸へ転移させたあのときの光景と同じ。
呼び声によってまとめられた力は、ヘイゼルを大陸へ時空転移したあの時よりも濃密な魔力を創り出しており、それらが混ざり合い、次第に膨れ上がってゆく力の密度に皮膚がちりちりと痺れる。
人間一人を転送するより三人転送するほうが規模が違ってくるというのも分かるが、ここまで強力な力を操るメイメイはやはりただのシルターン人ではない―――そして、今からメイメイが成そうとする儀式はヒトの手に及ばぬ行為で、これから起こる出来事はヒトが容易に触れて良いものではない力をもってして起こるのだと、レックスに思い知らせるのだ。
しかし、この展開を止めてもいい権利を放棄したのは他ならぬレックスだった。
滞りなく終えるまで見守る事しか許されていないから、過去のレックスは動けない。
(ああ、少し嫌になるな…)
夢の中でもこの<別れ>は止められないなんて―――…。
「…レックス、本当にいいの?」
「アティ」
無意識に握りこんだ拳が、アティの柔らかな手にそっと包まれた。
そこで初めて自分が呼吸を忘れ、目の前の儀式を凝視していたことに気づく。
はぁっ…と空気を吸い込んでみたが肺に滑り込む酸素は儀式のせいでやけに重く、いつもの清々しさもなく、ただ体を重くするだけだった。
「さん…元の時代に帰っちゃいますよ?」
気遣う声と視線は誰よりレックスを案じており、彼女の青い瞳は寂しそうに揺れていた。
アティもとの別れが辛いのだ。
自分と同じ青い瞳がまるで自分の変わりに泣いてくれているようにも見えて――だからレックスはなんとか平静を保っていられた。
俯きそうになる顔を上げ、自分たちと少し離れた場所で立ち尽くす<彼女>の背中を見つめる。
「…分かってるよ、アティ」
誰に言われずとも、これが現実に起こったことなのだと分かっている。
「でも、これは…が望んだことだから」
鼓膜に染み付いた悲しい声が、胸の奥を締め付けるようにして響く。
『 ――ごめんなさい… 』
それは今までに聞いたことのない、の悲しい声だった。
声が引き金となり、過去を見ていたレックスはさらに深い記憶の中へ――別れを目前とした夜のことを思い出す。
『 ごめんなさい、レックス 』
『 あたしもあなたが大切で、あなたが好きで…できることなら傍にいたかった。 でも 』
元の時代に大切な人たちがいる。
たくさん助けてくれた彼らに何も告げないままここに残ることができないのだと、喉を振り絞るようにして震える唇から落ちた声と言葉は、彼女の本心だ。
はすでに決めていた。
決めていたけれど、それでもレックスとの別れを辛いのだと思ってくれているから、彼女はぼろぼろと涙をこぼして何度も謝ってくれたのだ。
(――本当は、伝えたいことがたくさんあったんだ)
自分もどれほど君が好きで。
楽しいときも、悲しいときも、苦しかったときも、変わらず傍にいてくれたことに感謝していて。
本当はこれからも君と共に生きたいと願っていて――けれど、可哀想なほど肩を震わせて、涙を流す彼女を見ていると、切り出された別れに頭が真っ白になっていた当時のレックスは何も言えなくなってしまった。
ただ、分かっていたことは。
『 わかった… 』
伝えたいことはたくさんあった。
けれど何を伝えても、君を苦しめて悲しませてしまうことは分かっていた。
――だから、をぎゅっと抱きしめることで言葉も、想いも、何もかも無理やり飲み下す。
(何を伝えても、君にはきっと辛い)
ならば今のレックスが伝えてもいい言葉なんて、たったひとつしかない。
この言葉を言ってしまえば本当に引き止めることができなくなってしまうと分かっていても、今のレックスが彼女に伝えてもいい言葉は、本当に、これしか。
『 …さようなら、 』
(あのときは本当に…ああ言うしか、なかった)
これが言い訳なのだと分かっていても。
慰めるため彼女の肩を抱いたとき、本当に――そう思ったんだ。
レックスよりずっと細くて小さくて…心地よいほど温かい体だったのに、あのときのは小さいだけじゃなくとても冷たくなってしまって。
……こんな風になるまでどれほど泣いてくれたんだろう。
その冷たさが辛くて。
別の意味でとても悲しくて。
だから吐き出しそうな言葉を全部呑み込んで、すこしでも温められればと腕に力を込めて抱きしめる。
自分がもっと傲慢で不遜であれば、この気持ちを心のままに叫んでいられただろうか。
そうすれば彼女も思いとどまって、自分の傍にいてくれたのではないか。
友人のカイルがこんな自分の有様を見れば”離れたくねえなら、奪ってでも手に入れろ!”と喝をいれてくるだろう……彼の怒った顔が易々と想像できて、そこでようやく少しだけ口元が緩んだ。
――このまま。
衝動のままに彼女をさらってしまえたら、どんなに幸せか。
(いや、違う…それで幸せになれるのか? アティも、生徒達も、島の皆も、喜ぶ…のか?)
(でも、確かなのは)
(…それだと、君は幸せになれないんだ)
夜の記憶から浮上する。
時間は再び儀式の瞬間に戻り、煌々と光を撒き散らす【 喚起の門 】のそばで立ち尽くすレックスと仲間達と、門のすぐそばで門が開ききる瞬間を待ち望むとバルレルとハサハの姿が映った。
ああ、夢の終わりはもうすぐそこだ。
それが悲しいようで、寂しいようで、ほっとするような…何度この夢を見ても、終わり間近に感じるこの気持ちに名が付けられない。
(……――、)
(あのときの俺は、うまく笑えていたかな)
君が好きだといってくれた笑顔で、君を見送れているだろうか。
決して振り向かない小さな背中を見つめながらそんなことを考えていれば、儀式は終盤に入ったのか、今までゆるやかだったメイメイの声と言葉に強い力がこもる。
祝福の祝詞のように言葉はさらに紡がれ、魔力の密度は増していく。
どうやら…儀式は滞りなく終盤へ。
やがて全てを唱え終えれば、バルレルとハサハの手を握りしめたが一歩、完全に開ききった【 喚起の門 】へと進んだ。
それを歓迎するように、門は目を刺すほどに光を増して拡散する。
森の緑も。
空の蒼さも。 全て、すべてが白い色に染まっていく。
――
一瞬、彼女が振り返った気がしたがそれも白い光が見せた錯覚に違いない。
(…、まぶしい)
それは痛いほどに。
――…だから、目頭が熱くなるのは仕方がなくて。
(…ごめん、)
何度繰り返し夢を見ても、やっぱり今だけうまく笑えない俺を許してくれ。
「……」
夢の余韻に引きずられて出た零れ落ちた名は、波の音に包まれた薄暗い船室にちいさく響いて消えていった。
――ああ、久しぶりにこの名の音を聞いた。
もう呼ぶ事もなくなった人の名前。
自分を気遣ってか彼女の名を誰も呼ぶこともなくなってしまい、彼女があの島に来た事が夢だったのではないかと、そんなことを考えた事もあった。
「最近帝都のことでバタバタしてたからな…」
覚めたばかりの目を、見慣れた天井から備え付けの丸窓に移す。
室内に差す光は弱弱しく、まだ夜が明けたばかりなのだとレックスに知らせた。
隣の寝台で豪快ないびきをかいて眠っていたはずのカイルの気配も近くにない……”何かあったのだろうか”とまだ早すぎる時間に寝台を軋ませながら身を起こし、周囲を見回し、耳を澄ますも、内も外も静かで何か問題が起きた気配は感じられなかった。
帝都の事件を終結させ、帝都を離れて日が経った。
【 忘れられた島 】がそろそろ近いのだとも言っていたから、その様子でも見に行ったのだろう…と、ほっと息を吐き――ふと、まだ身の内に残る夢の記憶に思わず笑みがこぼれた。
(…うん、君は確かにいた)
誰もが名を呼ぶことがなくなっても、自分はこうして彼女の存在を思い出す。
何度見ても、いつ見ても…まだレックスの胸を軋ませる、の夢。
始まりはいつもメイメイの静かな声から―――。
「あれから二十年も経ったんだ」
長い月日の経過は十分に実感している。
夢をみることはあっても、彼女の声もおぼろげで、彼女との思い出も薄らいでしまった。
――なのに伏せた瞼の裏によみがえる彼女の笑顔はいまだ色あせず、いとしいと思えるのは。
彼女そのものを忘れられないのは、やはり自分が未練がましい男だからなのだろう。
「元気にしているかな…」
声も、思い出も、ところどころかすんでしまったけれど。
それでも君は確かに、俺の隣にいたんだ。
どんなことがあっても君は俺の名前を呼んで「大丈夫!」て笑って言ってくれたから、血まみれの手でも最後まで剣を握っていられた。
魔剣の侵食に心を奪われず自分の意思をもっていられたのだ――それは、今も。
「…【 果てしなき蒼
】…」
すぐそばに立てかけていた魔剣の姿が目に入る。
寝台を降り、鞘に納まった鋼の刀身を露にすると真っ直ぐな白刃が淡い光に照らされて輝いた。
――同時に、レックスの目の青みが深くなる。
もう何度も抜剣を繰り返したせいか剣を手にしただけで魔力が体に流れ込むのが分かるようになり、自分とアティの体が歳を取らなくなった原因をすぐに察した。
心配してくれたカイルたちは剣を遠い海に捨てたほうがいいと言ってくれたが、【 無色の派閥 】や心ない者たちが剣を使って再び【 忘れられた島 】の住民や無関係な人間を傷つけることになるのはアティもレックスも望まない。
(これでいいんだ)
これでいい。
この間の帝都での事件のこともある。
これから先に必ずこの剣の力が必要になる…この剣が護る力になるはずだ。
アティと共に振るってきた魔剣であるが、いずれ自分が魔剣を持ち続けるつもりでいることは誰にも明かしてはいない自分ひとりの秘密。
(怒られるだろうな…)
その時のことを想像して思わず苦笑する。
――だが、カイルたちが歳を取っていく姿を見て、外界と切り離される実感を味わった。
二人で魔剣を分かつことがなければアティも同じように歳を取っていけただろうに…それがレックスの後悔の一部だ。
だが、今からでも遅くはない。
のんびり屋の姉はまだ、何もかもを置いてただ独りで生きる覚悟を十分にできていないはず。
(自分がそれを出来ているかと聞かれたら、まだ微妙なところだけど)
親しい者をひとりひとり失くしていくなか、自分だけ変わらず独り生きていく。
それはどれほど恐ろしいことなのだろう。
それとも気楽なものになるのだろうか。
…今はまだ、分からない。
けれど、これから知っていく――冷たくなった体に触れるたび思い知らされるのだ。
(それは…すこしだけ、怖いかもしれない。
けど)
剣の刀身を指でなぞると、目の青みがさらに深い色になる。
少し伸びた赤髪の先が白く変色したのを部屋の鏡で確認して、確信する――自分はもう、この剣の一部なのだと。
ならば、これを持ち続ける覚悟ができる日もそう遠くはないだろう。
こんな風になってしまった自分を、夢に見たあの子は褒めてくれるだろうか。
「…っはは、もっと怒られそうだな」
すぐに怒った顔のが出てきた。
でも、彼女になら怒られても構わない。
むしろ怒りに来て欲しいくらいだ。 ――探しても、二十年経っても、まだ君に会えない。
(でも、)
(仮に全てを置いて行く覚悟ができても…俺はひとりじゃないよ)
決して独りきりではない。
どんなに時間が流れようと人は生き続ける。
そして、や、大切な人の笑顔を忘れなければ――そこまで考えてレックスはちいさく笑った。
「…ああ、そうか」
の笑顔は、レックスにとって形のないお守りのようなものだったのだ。
だから声を、思い出を忘れてしまっても、心が挫けそうになったときはいつだってあの笑顔を思い出して、未来で彼女に会えるかもしれないと思うと苦境を乗り越える力が湧いた。
再び出会えた彼女に恥じない生き方をしたくて、前を向いて歩くことができたのだ。
「俺って本当に諦めが悪いんだなぁ…」
自分でも少しびっくりしてしまった。
勝手にお守りにして、何度だって夢に見て。
何年経っても彼女を忘れられなくしているのは自分…もしかすれば今でも好きなのかもしれない。
ああでもそれは、なんて――人間らしい。
「君のおかげかな、…」
肉体は人ではなくなるが、心は変わらず人のまま。
記憶のなかで君が笑ってくれるなら、俺はきっとこれからも”大丈夫”だ―――。
「…! ……!!」
「ん…?」
少し離れたところから響く声に思考を現実に引き戻されて、レックスは我に返る。
ずいぶんと長く物思いに耽っていたらしい。
外はすでに明るく、水平線から離れた太陽が青空に浮かんで快晴だ。
波も静かに海面を揺らして、何か問題が起きたようには思えないのだが、騒がしい雰囲気は少し待ってみても消えそうにない。
「どうしたんだろう?」
まだ島にも着いていないはずなのに甲板のほうがえらく騒がしい。
いまさら寝なおす気にもなれず、ついでに甲板に出て気分転換でもしようかと【 果てしなき蒼 】がおさまる鞘を腰のベルトに掛けたそのとき、バタバタバタ!と慌しい足音が船内に響いてレックスは首をかしげた。
次第に近づいてくる足音。
それを耳にしながら自室の扉を見つめていれば、ノックもせずにバァン!と扉を蹴破って部屋に飛び込んできたのはやはりカイルだ。
なんとなく予想はできていたがあまりの勢いにさすがに驚いてしまう。
「うわ、ど、どうしたんだよカイル…」
「レックス! レックス!! 大変だぞ!!!」
歳をとっても変わらない好奇心に満ちた金の瞳が言葉では表現しがたい色に塗りつぶされて、手紙らしき紙片を握り締めたまま、口をぱくぱくとさせる彼の言いたい事がレックスには分からない。
思わず首をかしげてしまう。
「何かあったのか?」
「島にいるナップが手紙を飛ばしてきたんだ! 【 蒼の派閥 】ってやつらが島の異変を調査しにやってきたって」
――派閥、ときいて冷たい汗が背中にぞわりと浮かんだ。
しかし無色ではなく蒼、とのこと。
【 蒼の派閥 】は聖王国に本部があり、召喚術の英知と真理の探究を目的としたものだということは有名だ。
島の住民に手荒なまねはしないとは思うが、しかし【 忘れられた島 】は召喚獣ばかりが集う場所。 それは召喚術を学問として、専門的に研究する者からすれば何らかの稀少価値を見出してもおかしくはない……島の異変というものも気になる。
しかしカイルはそれどころじゃないといわんばかりに、レックスに手紙を突きつけて見せた。
「か、カイル。
近すぎて手紙が読めないんだけど…えっと、眼鏡眼鏡……」
「馬鹿レックス! とにかくこれ読め! 島に調査しにきた奴らのなかに、アイツが―――!」
くしゃくしゃになった手紙に、君の名前を見つけた瞬間。
忘れかけていたはずだった、君の声や思い出や、君への想いが全て押し戻ってきた。