崩れ落ちていくその、音は、
ただ見守ることしか出来ない彼らの無念さを叫ぶ慟哭(どうこく)のよう。
―――見ている景色が、変化する。
青から、赤へ。
赤から、黒へ。
燃え盛る炎に飲まれる木はやがて灰となり、朽ちて崩れ落ちていく。
そうして美しい青を喰らう赤の色彩はなんと鮮やかなことだろう。爆ぜる音をたて、青から赤、やがては黒へと変化するその工程。 ああして何かが燃えて朽ちていく光景は言葉では言い現せぬ、ある種の美しさを持っているものだ――だからこそ目の前の光景もまた例えようもなく美しいもので、バルレルの赤眼を楽しませるには充分だった。
衰えるどころか勢いを増して赤を広げていく目の前のそれは、彼が好む爽快な景色の一つなのだ。
好む景色に、三つの目が薄っすらと笑みに細まる。
腰から生えた小さな翼をぱたぱたとはためかせ、獰猛な火の勢いから外れた太い枝に寝転んでリラックスしている姿は、無関係な見物人か野次馬そのもの。(というか、それしかない)
何かを言うこともなくしばらく楽しそうに眺めるも、やがて、くぁ、と大きな欠伸に変化したのは何故か―――理由は明白。 美しいが、飽きたのだ。
「…眠ィ」
飽きた。 眠い。 となると、ここでの自分のするべきことがなくなってしまった。
喧嘩別れ(?)をした少女をすぐに追いかけるほどのお人好しでもないので、ハサハと別れしばらく時間を置いた後に村へと足を運んだが村を助けるため飛び出した少女とは出会わず、先にバルレルが辿り着いてしまったことから道中ですれ違ったようだと拍子抜けした。
はで近くにいることは何となく分かるが、詳しい位置まで把握出来ていないからもはや行方不明にも等しい。(どこウロついてんだアイツは)
再び、燃え落ちていく村をざっと見渡す。
……やはり狐の少女の姿はどこにもなく、炎が庵から見たものよりも大きくなって村を襲っていることを再確認するだけに終わってしまった。
無事に逃れた住人だと思われるメイトルパの亜人や獣たちの姿もあるが、彼らの誰もが、成すすべもなく灰へと変わっていく森の姿に呆然と膝をつき悲しみに顔を覆っている。
それを目にし、炎の景色を楽しんでいたバルレルの顔がうんざりとしたものに変わった。
――<狂嵐の魔公使>、<暴力と争乱を司る悪魔王>と謳われた彼は負の感情が好物だ。
だが、負の感情といっても怒り、悲しみ、憎しみ等の種類がある。
どちらかと言えばバルレルは荒くれ者の人間たちが喧嘩をしている程度の気楽さが一番好ましく、こういった陰鬱とした氣はあまり好きではなかった。 この場にいる住人たちの嘆きが陰鬱過ぎるせいか、胃もたれのような、胸焼けのような、そんな不快さが広がってゆくばかりだ。
(ッケ、ちったぁ動きやがれっての)
を敵と見なした時はああも団結をしていたというのに。
腑抜けた面で嘆くばかりで、少しでも多くのものを残そうともしない彼らに毒づくバルレルの顔に、ますます深い渋面が広がっていく。
どうせ、こんな状況では島についての情報への収穫になりそうなものはない。
ハサハと違い助けるつもりは全くなかったので傍観していたが、そろそろ引き上げた方が良さそうだ………飽きたついでに渋々起き上がり、”さて、どうしたもんか”と今後の自分の行動を決めあぐねる。
とハサハを探すのもいい。
が、何となく振り回されているような気がして癪に触る―――いっそ自分だけでヤッファを探して、この島やゼラムに戻る方法を聞いても良いが―――。
「――、ん?」
ふと、違和感。
感覚がそれを捉えバルレルの表情は怪訝なものに変わり、長い耳がピクリと動く。
同時に、ぞわりと肌が粟立つ。
それは悪寒でもなく恐怖でもなく、ただ、何とも言い難い、あまりにも奇妙な力の気配を感じ取っての反応だ。
その存在を目視するために、木の枝に足を引っ掛けたままぐるんっと半回転。
はらはらと落ちていく木の葉を気に留めず、天地が逆さまになったバルレルが見たものとは。
「皆さん、大丈夫ですか?!」
――息を切らして現れた、女だ。
とうに成人を迎えているだろうがややあどけなさが残る顔立ちと、割と肉付きの良い体が纏う白の外套をなびかせ、長く艶のある赤髪を揺らしながら住人たちに駆け寄って来る。
あれは、獣人でも亜人でも、鬼人でも機械でもない。 もちろん幽霊でもなく――――人間だ。
「せ、先生ー!」
炎の恐怖に泣き声を上げていた子供たちが女の腰に抱きついた。
複数からしがみつかれて女はあわあわと慌てるも、引きつった泣き声を労わるように、震える背中をそっと撫で下ろしてやる。
「アティ先生ぇー!」
「せんせー! 怖かったよー!」
「ええ、もう大丈夫ですよ…もうすぐヤッファさん達も来てくれますからね」
その声は宥めるように優しく、包み込むように撫でる手に子供が笑顔を取り戻す。
大人の獣人たちは女の登場に多少戸惑いつつも、アティと呼ばれた女の言葉に力なく項垂れていた面をあげて立ち上がった――そこに、先ほどまで漂っていた悲愴や嘆きが薄れている。
彼らの変化にバルレルが眉を寄せると同時に、立ち上がる村人の姿にアティは優しく目を細めた。
「皆さん、ひとまず風雷の郷へ。 ミスミさまが受け入れの準備をしています。 怪我をしている人、お年寄りや子供たちを優先に連れて行ってあげてください。
カイルさんやジャキーニさんが先導しますから」
「わ、分かった!」
――アティの言葉に、住人が動き出す。
多少の戸惑いを見せつつも与えられた言葉に嘆きを拭って立ち上がる。
だが、アティに信頼を寄せる子供と、アティに戸惑う大人…二種類の違いに、彼女と彼らの間に見える距離を何となしに理解しながらバルレルはアティの背中を見つめた。
魔力を持っていることから召喚師ではあるようだ。
しかしそれでもただの人間のはずだというのに、この女から得る奇妙な感覚が拭えないのは何故だ――?
「動ける方は、まだ助けられていない人たちの救助、火の消化を――――」
「っアティ先生――!」
悲鳴に似た警告が空を裂く。
しかし、子供が声を上げるよりも早く女の身体は反応していた。 鞘に納まった剣を抜き、振り向きざまに背後から忍び寄る影が握る凶器を弾き返す――――咄嗟の反射行動に思考が追いついてハッと息を呑む彼女の青い目が見たものは、白い羽織を翻す兵士の顔に浮かぶ残酷な笑みだ。
弾かれたことに怯みもせず再び迫り来る男の凶刃を今一度受け止めると、一対の鋼は耳障りな音をたてて火花を散らした。
響くそれはやたら耳障りだ…またも無意識に、バルレルの眉が寄る。
眺める限り、兵士は一人ではない。
ユクレス村の入り口だけでなく、様々な方角から同じ装いの男たちが姿を現し、刃を片手に炎の勢いが衰えぬ村を蹂躙していた。 響き渡る悲鳴。 逃げ惑う住人。
それらを視界に認めたアティの青い目は、穏やかな色とは一変し、歪んだ笑みを濃厚に浮かべ対峙する兵士に叫ぶ。
「っ、帝国軍――!」
「ヘヘ、ようやく現れたな女ァ!!」
嬉々として、炎の勢いに煽られたように猛々しく兵士が吼えると、片手で剣を交える兵士の袖から仕込みの短剣が現れた。
柄の短いそれを手の中で向きを変え、男と違って両手で剣を支えるアティの細い手首を骨ごと砕くつもりで貫こうとしているのか、硬く握り締めて突き立てようとする。
「
「…!」
戦い慣れをした兵士の動きを見つめる青い瞳は、焦りを滲ませながらそれでも冷静だ。
わずかに身を引くことで振り下ろされるそれを避け、一歩、二歩と後退するも兵士は彼女を追いかける。 アティも戦い慣れをしていることが分かる俊敏な動きだが、力は兵士に劣っていることは見て取れた。
攻撃をかわすことは出来ても刃が重なれば押し負ける。
視界の隅でちらつく炎や、彼のほかにも続々と現れた兵士の姿にその顔が苦に歪んだ。 肩で息をする姿に、体力を確実に削られているのが見て取れる。
「私たちを誘き出すために、森を焼いたのですか…」
「っへ、いつまでもこんなつまらねえ所にいるつもりはねぇからな」
「――――…アズリアの命令を無視して、こんな事をしていいの!?」
バルレルの知らない名前がアティの口から発せられた。
それは兵士たちの上官か。 だがその名前を痛くも痒くもない卑下た笑みを浮かべ、鈍く輝く鋼が再びアティへと襲いかかる。
「違うね! オレらは隊長殿の命令でやってんだよぉッ!」
吼えて、鋼の切っ先が迫る。
だが、確実に死へと誘うそれを目の前にしてもアティの瞳に陰りはなかった。
発せられた言葉を叩き返すように、可憐な唇から断固なる否定が飛び出した。
「――嘘です!!」
言葉に、空気が震えた。
刹那、アティの握っていた剣が淡い光を帯びる。
持ち主の言葉と意思に応えるように唐突に溢れ出す魔力(マナ)の気配にバルレルの目が驚きに瞠れば、ざわりと震える空気は溢れ出す魔力によって突風を巻き起こし、美しい碧光の粒を散らしながらアティの身体を包み込んだ――その光景に、先ほど感じていた違和感の正体を確信する。
女の握る、<剣>だ。
それは発光するように仄明るい碧色の光を纏い、剣は女の腕に絡みつくようにその茎を伸びて腕に溶け込むように同化する。 艶ある赤髪は瞬時に毛先まで白髪に染まり、一対の青い瞳は纏う光と同色の碧に変化して碧瞳に浮かぶ静けさは風の音だけが満ちる奥深い森を思わせる。
剣を持って立つ姿は、どこから見ても異色めいていた。
人間と見るには最早難しく、何も知らぬ者が姿を見れば異界の住人だと信じて疑わないだろう。
「――アズリアは、こんな事をする人じゃないわ!」
振り下ろされた剣はゴゥと唸り声を上げ、兵士が握る刀身を引き裂く。
濃密な力を宿した魔剣にただの鉄屑が敵うはずもなく、握った柄から音もなく地へ落ちていく刃と真っ直ぐに見据える碧瞳に、ごくりと息を呑むしかない―――わずかにたじろぐ気配に目を細め、戦う意志を根こそぎ枯らしてしまおうとアティは再び剣を振り上げる―――。
「っ舐めるなァ!」
男にも意地があったようだ。
か弱い草食動物のように脅え嬲られるのはプライドが許さない。 殺気を隠さず獣のように唸り声を上げ短剣で立ち向かう男の気迫に、アティの背後に守られていた子供たちが「ひゃあっ」と悲鳴をあげた。
それは、怯えと驚きの悲鳴。
だが彼女の意識を逸らすには充分だった。 その隙を、男は見逃さず。
「よそ見してんじゃねえ!」
足払いをかけてアティを地面に引き倒す。
華奢な身体はあっさりと崩れ落ちて、その身に乗り上げる兵士は歓喜の声をあげた。 真白の外套と美しい白髪も泥と灰に穢されて、人間にはない神秘の生き物を自分の手で跪かせた優越感に歪んだ笑みを殺せていない。
今だ燃ゆる炎の赤に照らされたその横顔は、酷く歪で残虐性を際立たせる。
「その腕、二度と剣が持てねえように切り落としてやるよ!」
アティの顔が恐怖に強張る。
背後にいる獣人の子供や大人たちは成すすべもなくただ震えるばかりで、誰も彼女を救おうとはしない――――…いや、救えないのだ。
それは薄情ではなく、無慈悲な訳でもない。
救う勇気も、救う力もないと、誰もがそれを自覚しているのだろう。
平和の中で生きてきた者ならばなおさら、この場に留まっているだけで恐怖に押し負け屈してしまう。 炎の赤に、兵士の卑下た笑いに、心が縛られて声を出して止めることすらも出来ないのだ…だから動けず、アティが殺される様をその網膜に焼き付けることしか。
(ッケ、馬鹿馬鹿しい)
それをのん気に傍観しているバルレルは、そんな感想を漏らすだけだった。
逆さまになった状態で退屈そうに眺め、再び込み上げる欠伸に目尻に涙を浮かばせる。
アティの剣に好奇心を覚えるが、アティ自身にも興味はないし、あれだけ面倒をかけてくれた村の住人を守るだなんて持っての他だ。
関わるととんでもなく面倒なことに巻き込まれると目に見えている。
…そこまで、理解しているのだが。
”そんなの、あたし、絶対させないから―――!!”
必死に縋りついて止めようとした腕を思い出して、舌を打つ。
その次の瞬間には、バルレルの視界は正常な天地の位置を取り戻していた。
「―――ぐ、ぁあああああ!!!!」
瞬間、濁った悲鳴が空気を切り裂いた。
凄絶なそれに村を襲う兵士たちが一斉にそちらへ振返る。 そして誰もがその光景に目を瞠り、住人も、アティですらも、突如として現れたゆらりとなびく紅蓮の赤髪に、思考の全てを奪われた。
「…ぁ」
呟く声は、とても細い。
アティは呆然とするしかない…乗りかかっていた兵士の頭が、大きな手に鷲掴まれているのだ。
――否。 握り潰されかけている。
脳への凄まじい圧迫に頭を捕まれわずかに浮いた体躯はびくびくと痙攣し、力なく開いた口からこぼれる唾液と泡は男の異常を皆へと知らしめ、長い爪が肌へと喰い込みぶるぶると震える顔がみるみるうちに鮮血に染まっていく。
獰猛な魔獣に捕らえられた哀れな生け贄を思わせるその姿だけで恐怖を駆り立てるというのに、痙攣を繰り返す男を捕らえた紅蓮の悪魔は、不機嫌そうな、面倒くさそうな目で冷ややかに見下ろしているだけだ。
「ぁ、ああぁあああぁぁ……」
悲鳴が、次第に小さくなってゆく。
それは最後にぶつりと途切れ、だらりと両腕を垂らし身動き一つしなくなった姿を確認してから、悪魔はそれを容赦なく投げ捨てた。
ぐしゃ、と地面に伏せる音すら聞こえていないように鮮血に染まった掌を見やり、形の良い唇から赤い舌を伸ばして赤を舐め取る――その姿は酷く扇情的で、故に背筋が逆立つほどの畏怖を見ている者へ刻み付けるには充分だ。
しかし、その顔はより不機嫌なものに変化する。
「ッチ、不味ィ」
低い男の声で、兵士の血の味の感想が出た。
耳元で囁かれればそのまま全てを奪われかねない、妖しい低音。 逞しくも引き締まった体躯は抱き寄せられると逃げる気力さえも喪失してしまうほど頼もしく、腰から伸びた黒い翼は彼が何者なのかをこの上なく主張している。
サプレスの悪魔――呆然と見上げるアティを、髪と同色の三つの魔眼がちらりと見下ろした。
「オイ」
「ぁ、は、はいっ」
「アイツら連れて向こう行ってろ、 邪魔なんだよ」
見上げてくる彼女は既に白髪から赤髪に戻り、碧の瞳は青を取り戻していた。
剣は魔力を失ってただの剣に戻り、美しい細工が施された物に落ち着いている。 繊細で精巧な造りに感動を覚えることもなくつまらなそうにそれを一瞥したあとで、本来の姿に戻ったバルレルは、戸惑いを隠せない兵士たちの前に堂々と一歩を踏み出した―――ズン、身体と響く重く禍々しい空気が彼を中心にしてその場に広がり、揺らめく炎はより彼の出現に呼応するようにその激しさを増して、妖しくも精悍な造りの悪魔を妖しく照らし出す。
(ったく、面倒クセェ…)
しかし、あのままアティを放っておけばもっと面倒なことになると理解していた。
させない、と―――脳裏に響いたの声。
昨夜に聞いたあれを無視してアティを見捨てたならば、何も知らないはずのが怒るか泣くかのどちらかをバルレルにぶつけてくるだろう。
だが自分はもともとから乗り気でもなかったしただ巻き込まれただけなのだから、彼女が怒り狂い泣き出すのをバルレルにぶつけて来るのは何とも身勝手だと思う。
誓約もないのだし、いっそを殺してこのまま本当に自由になっても良いのではないかと考えるのだが……。
(…ムカつく)
それが、出来ない。
更に、が泣くと思ったら、ものすごく面倒で、うんざりとした気分になる。
もしかして自分はあれに泣かれると弱いのだろうか―――何故だ、と理由を考えてもなかなか答えが浮かばず、答えが出ないそのこと自体にも不愉快で苛立った。
何かものすごくムカついた。 気づいたら負けのような気がする。
怒るも面倒だが、ハサハも無言で怒ってきそうだ。
それらをあしらうのも宥めるのも、この場を抑えることより倍に手間がかかりそうだ。
―――やはり、何をどうしてもうんざりとした気分になる考えを首の骨を鳴らすことで無理矢理振り払い、鬱憤を発散する方向に思考を切り替え、舐め取った血が残る舌で唇を塗るように愉悦の舌なめずりをして、悪魔は哂う。
何はともあれ、一暴れしてすっきりしたほうがよさそうだ。
幸いにもここには、遠慮なくブッ倒してもいい獲物がたくさんいることだ――。
「テメエら全員、命乞いしてもやめねえから覚悟しなァ!」
そして炎は、その朱を濃厚にして空を照らした。