「…なんで川の字で寝てるのかしら…?」
それは、目を覚ましたあたしの第一声だった。
布に覆われただけの、扉のない入り口から差し込むのは朝の光だろう。
澄んだ空気が肌を撫でていく。
そんな中で、彼らと川の字状態で目覚める日が来るとは…ある意味の感動で目が覚めた。 仙狐と魔公使と川の字で寝たのはきっとあたしがリィンバウム初。
”ここはどこだろう”と、ぐるりと見渡すと、緑の匂いがたちこめる木組みの家だということが分かった。
――知らない場所だ。
それを理解して、溜息が出る。
空から落ちたあの恐怖も、殺意と警戒心に囲まれた恐怖も不安も決して夢ではなくて。
気を失ったあの後、この島の住人たちとどうなったかもわからない。 取り合えずメイメイ?を恨む。
「…にしても、まったく無茶してくれるわね…」
傍らに眠るハサハとバルレルに目を向ければ、気持ち良さそうに眠っている寝顔がある。
バルレルは子供の姿に戻っていた。
そこには昨夜に見た悪魔王の片鱗は皆無で、ただただ、幼い子供の寝顔だけ―― 平伏したくなるような迫力と、子供のあどけない寝顔というギャップを見せ付けられて再び溜息が出てしまうも、彼は間違いなく、あたしを助けてくれたのだ。
助けようとしてくれた。
自分がしたくないことを、しようとしてまで。
「…バカ…」
――でも、ありがとう。
かつてはなかった、けれど今にはある確かに信頼が嬉しくて、バンダナのない額に、第三の眼が閉じられている瞼にキスを贈る。
それをすると嫌がるように顔が歪んだことにはむっとしてしまったが(し、失礼な…!)、隣でくぅくぅと小さな寝息をたてているハサハの頬にもキスを贈ってから、二人に布をかけて、あたしはそろりと起き上がって家を出る――キンと冷えた、朝の森の空気が肌に突き刺さるように触れた。
「わぁ…」
振り返って見上げた家は<庵>だった。
庵――それは藁の屋根と 大きく太い木の支柱に支えられた建築物のことだ。
陽を遮るように吊るされた染布や、不思議な形をかたどる仮面には呪(まじな)いのような模様が描かれている。 軒先でぶらりと吊り下がっている木の実はいつでも食べられるように洗われているのか土のよごれもなく、栄養たっぷりと言わんばかりに太って美味しそう。
思わず、無意識にお腹をさするあたしです。
「うーん、なんかお腹がすいてきたわ…」
そういえば昨日は夜ご飯も食べていない。
みっともなく空腹を訴えるお腹をもう一度さすりながら庵を出て、歩き出した。
起きたバルレルとハサハもお腹をすかせているかもしれないし、どこかで果物でも採れたらいいかも…これだけ大きな森だし探せば色々と見つかるはずだ。
見つからなかったら庵の果物を頂戴するまでよ。 そして庵の主に謝るまでよ。
「あの樹を目印にすれば迷わないわよね」
庵は、この森の中でもひときわ大きい樹からそんなに離れていない場所にある。
しかし…あれはとんでもなく大きい樹だ。 この地域の象徴になっているのか、樹齢を考えたら気が遠くなりそうなほど大きく、太い幹でたくさんの緑の葉を背負っている。 目印にはうってつけだ。 それが見える範囲ならきっと迷うことはない。
(そりゃ、昨日の夜の出来事を考えたら一人で歩き回るのは危険だけどさ…でも、お腹すいたしなぁ…)
命と空腹を天秤にかければあっという間に命に傾く。
けれど空腹も見過ごせず、そんなに離れた場所でなければ走って帰ってこればいい。
空腹よりの楽観的思考だけど、たぶん、どうにかなるはず。
(…それにしても、すごく大きな森…)
黙々と歩き続けて、道のない緑を掻き分け、息を切らしながら空を見上げる。
どこまでも広がる緑。 大きな樹は見失っていないのでまだ大丈夫だけど、肝心の果物があまり見つかっていない…いえ、途中で見つけたのは見つけたんだけれども。
「………ッッ………!」
食べた瞬間、目の前が真っ暗になった。
そして思い浮かんだのは納豆。
納豆だ。
この果物、顔を近づけただけで納豆を思い起こさせるうえ食べてみると言葉で形容しがたいお味でした…!
ということで、自ら食べることを放棄してしまったのだ。
「食べなきゃ危機だということは理解してるけど…なんか、こう、普通の果物はないのかしら…いや、もう納豆臭の果物じゃなかったらそれでいいわ。 とにかく納豆臭以外の食べ物食べ物食べ物………」
ふと足が立ち止まる。
顔を上げて、鼻をスンとひくつかせた――あたしの念力が通じたのか、甘い香りが鼻につく。
あまい甘い香り。
花の香りのようで、芳ばしい。 それに誘われるようにふらふらと歩いていけば森がひらけた空間に出た。 唐突に現れたその空間の光景には呆気にとられて、ポカンと間抜けな表情がさらされる――そろそろ見飽きてきた緑と、それ以外の色たちに満たされた空間。 果物がたくさん、緑の中で生っている。
「果物…はいっぱいあるけど、もしかしなくても…ここは果樹園?」
香ばしいほど甘く、色と艶の良い大きな実が枝をつけて緑の樹に生っている。
色と形からして林檎やパイナップルのようなものだけど、あたしが知るものとはちょっと違う。 なんというか、サイズが全然違う。 栄養がすごそうだ。
しかしその果物や野菜が生っている樹や土のそばに収穫カゴやスコップ、土を耕す鍬があることからどう見ても自然に生っているものではない。
作り手がいるのは間違いない。
「いやでも、果樹園ってことは…持ち主がいるってことで」
持ち主がいるってことは無断で食べてはいけないということで。
あちこちに強引に掘られたような穴があるのは気になるが(モグラでもいるのかしら?)、みずみずしく美味しそうなそれに思わず、ゴクリと喉が鳴った。
盗みはいけない…ただでさえ危険な立場にいるあたし。 盗んだりなんかしたら余計大変なことになる。
今度こそフクロ叩きにされる…!
(べ、別のところに行こう! まだ大丈夫、誰もいないし!)
草木を掻き分け、ガサガサと森に戻るあたし。
ただでさえ不審者扱いされているのだ。 ここで目撃されてフクロにされるくらいならまだ森でさ迷って食べ物を探せばいい。
これだけ緑があるのだから探せば出てくるはずだ。 いざとなったら草を食べればいい。(本格的にサバイバルになってきたなぁ!)
本格的に逃げ出そうとする、そんなとき。
「―――そんなところで何をしてるんだ?」
逃走しようとしたあたしの背に、声と言葉が投げられた。
それは誰かの独り言でもない。 尋ねる言葉は幻聴でもなく、確実にあたしに向けられた声と言葉だ――見つかったァァァと血の気がざーっとひいていく音を聞く。
もうだめだ。 死んだ…。(最近諦めが早いわあたし)
しかし硬直して動けないあたしの背に、声は柔らかく降りかかる。
「どかしたのか?」
「…あ、いや」
緊張が高まって言葉が出ない。
けれど問いかけてくる声に逆らうこともできず、ぎぎぎ、とぎこちなく振り返ると――声の主は、にっこりと微笑んだ。
「こんにちは。 君もこの島の人かな」
彼が持つのは柔らかな空気。
柔らかな声。
なんてあったかい笑顔。 赤い髪を持つ男性の、あたしを見る青い目には昨日見た怯えも憎悪も何もなく、天気がいいねと世間話でもするような気軽さに思わず首を傾げてしまった。
この人には、この島の住人に見えた他人に対する異常な警戒心がまるでない。
「えーと、…あなたは違うの?」
「ああ、俺もつい最近ここに来たばかりなんだ」
驚いた。
この島にいてここまで心穏やかでいられるとは…何この人。 仙人?
(あ、でも普通の人間は問題ないって感じだったし…)
この島の住民が嫌うのは<召喚師>。
もしかして彼が<ゲンジ>なのだろうか。 忍べてない忍が言っていた、<この島にいることを許された人間>…あれ?
でもヤッファはゲンジという人に<爺さん>とつけていたような。
「……いくらなんでも、若作りにしては若すぎるわよね……」
「へ?」
疑うような眼差しを向けるあたしに目を丸くする彼は、どこをどう見ても青年だ。
これで八十歳とかだったら詐欺だわ。 どんな細胞持ちよ。 サイボーグよ。
(と、いうことは人違いね)
年齢が老人でない以上、完全なる人違いだろう――では彼は、また別に、この島にいることを許された人間ということだ。
片手にスコップを持っていることからこの果樹園を託された人と考えてもいい。
「でも君は見かけない顔だね」
「ええ、昨日ここに来たばかりだから…」
そして散々だった。
追いかけられるわ殺されかけるわ、拘束されようとするわでほんとに散々だった。
おかげでこの島にはなかなかいいイメージがもてそうにない。 緑も多くて空気もきれいで、ある意味素敵な島だとは思うけれど…bここは、戦場だ…。
「それじゃ自己紹介しようか。 俺はレックス。 数日前にこの島に流れついたんだ」
「…流れついた?」
「ああ、船に乗ってたんだけど嵐に遭遇してしまって」
…この人もあたしに負けず、なかなかサバイバル的環境で流れ着いてしまったようだ。
よく無事でいられたなぁと思うも――不意に差し出された赤い果実に思考の全てが吹っ飛んでしまった。
「え」
「お近づきの印。 ここの果物、すごく美味しいんだよ」
掌に乗せられて、あたしはしばらくそれを眺めた。
赤い果実。 ツヤツヤしてて、すごく美味しそう。
いますぐにでもかぶりつきたいほど、とても美味しそう…でも。
「あ、あとで頂くわ。 連れがいるの…一緒に食べたいから」
「そうなのかい? それならこっちのも一緒に持って帰る?」
収穫しても良さそうな果実を樹からもいで、ヒョイヒョイと差し出された果物たちを慌てて受け止めながらあたしはレックスを見上げた。
持ちきれないほど貰ってしまった…仙人というより天使だ。 天使がここにいる…!
「こ、こんなに?」
「うん、皆には俺から言っておくから」
「…ありがとうレックス」
この島に来て初めて触れた人のぬくもりにほっとして、微笑が自然にこぼれた。
それにレックスがとても嬉しそうに笑って。
「良かった、やっと笑ってくれた」
「へ?」
「本当は、この島の人たちは優しいんだ。 だから…彼らを許してあげてほしい」
彼らの代わりに詫びるようにレックスが深々と頭を下げてきた。
最初は何に謝っているんだろうと分からなかったけど、どうやら、ずっと強張った顔のままのあたしに何かを察してくれたのだろう。
…誰かの代わりに謝ることが出来る人。
こういう人間もいるんだなぁって、ちょっとだけ目からウロコだ。
「いいの。 (経過は色々あったけど)結果的には何ともなかったし…あ、あたしは。
よろしくねレックス」
「ああ、よろしく」
果実を抱えたままだったので握手は出来なかったけど、レックスはにっこりと笑って返してくれた。
大人の男の人だと言ってもいい年齢の男性なのにどこか無邪気な笑い方だ。
ほっとして、見ているあたしもつられて笑ってしまう。
「…あ、ヤバ。 そろそろ戻らないと」
「はどこの集落に住んでいるんだい?」
「住んでるっていうにはちょっと微妙だけど…取り合えず、あの大きな樹の近くの庵で」
目印にしていた、巨大な大木を指で示す。
そのとき。
ドオオオン…ッ!!
「「―――」」
爆音に次いで吹いた突風が、あたしたちの顔面を撫でた。
前髪がぶわりと浮き上がっておデコがオープン。
指し示すあたしの腕は力なく垂れ下がり、見つめた大木は爆風に煽られていっせいにその緑を散らし、緑頭を盛大に揺らした。
もうもうと立ち昇る黒煙が、確実に良くないことが起きたと如実に物語ってくれている。
同時に、血の気が下がってあたしの顔も顔面蒼白。
「ま、まさか、バ、バ――」
「帝国軍か?!」
”バルレルが何かやってしまったのか”と口走りそうになるあたしの前に、レックスが鋭く叫んだ。
帝国軍――?
聞き覚えのある単語に一瞬意識を逸らすも、黒煙を見上げるレックスは穏やかだった表情を強張らせ、スコップを放り出して駆け出そうとする。
けれど、ふと立ち止まって呆気にとられたあたしに振り返り。
「一人じゃ危険だ、君も一緒に」
「で、でも」
完全に混乱した思考のあたし。
バルレルじゃなくて帝国軍――帝国とはかつてイオスがいた国の名前で、所属していた軍だ。
何故、そんなものがここにいるのか分からない。 この島には何かあるというのか。
ぐるぐると答えの出ない考えばかりを繰り返しては身体が動かないあたしに、疑われていると思ったのだろうか。
レックスが果物を抱えた手を強く握り締めた――はずみで果物がごろごろと地面に落ちて何個か潰れてしまったけれど、驚いたあたしの目は、青空のような青い目に囚われてしまう。
「レ」
「何かあったら君を守る。 だから、俺を信じてほしい」
――それだけを、力強く告げられて。
レックスはあたしの手を引くと、そのまま走り出した。
早い足だ。
力強く地面を踏む音に、腰元に下げられている剣の鞘に彼が戦うことが出来る人なのだと知る。
繋がる手の平の硬さに、剣を握る人なのだと知る。
(でも、レックス)
この騒ぎの原因があたしの連れだとしたら
どんな顔であなたに謝ればいいのかしらと思うと、憂鬱だわ…。
心から”バルレルじゃありませんように!”と祈りながら、あたしは走り続けた。