「…で、こいつらどうすんだ?」
「死刑ね」
「切腹で良いかと」
タスケテ、カミサマ。
――ザワザワ、ざわ。
夜闇に紛れ、決して多くはない人のざわめきが耳に滑り込む。
この島に来て初めての人の気配だ。 あの気味悪い物体ではなく、確固たる人のもの。
それらに囲まれながら立ったまま硬直してしまっているあたしの両隣には、この状況に不満そうなバルレルと。
何か考えているのかいないのか、目の前にそびえる大きな樹をぼんやりと見上げているハサハがいる。
気持ち的に、この二人のおかげでまだ安心は出来るのだけども。
(い、いいいい生きて帰れるかなぁ…)
あたしの顔色はほぼ死人。 目も虚ろだ。
妙な展開に思わず、今度は虚ろなまま遠い目になる。
生きて帰れるか。 いや、無理そうだ。 今まで何度も危険な目にはあってきたけど今度こそほんとに無理そうだ。
(――ああ、災難って本当に次から次へと降って来るもんなのね…!)
お金は降ってこないのに…とバカなことを考えながら固まること、早一時間。
メイメイの店から謎の島にぶっ飛ばされて、災難から災難を渡り歩くあたし。
今日という今日は厄日としかいいようがなかった。
(どうしたもんかなぁ)
本当になんてことかしら。
生還できるかそうでないかを思わせる匂いと、剣の切っ先を突きつけられているようなギスギスした空気は鈍感なあたしでも分かるよ。
周りの人々のざわめきが尋常ではない状況だと叫んでる。
(…とにかく、フレンドリーな空気じゃないわね…)
はぁと一息を吐いて、祈るような気持ちで空を仰いだ。
空は、星が瞬く夜空とすっかり見慣れた満月が浮かんでいる。
いつの間に夜になったんだろう…と考えれば、何だかんだであっという間に夜がやってきたということしか思い出せなかった。
広く、広い青い空は赤になり、濃紺に全てが一色に塗りつぶされて、気がつけば森の深みを思い知る時刻になってしまっていたらしい。
「…で、こいつらどうすんだ?」
「死刑」
「切腹」
――――しかし、冒頭で交わされた会話はなんと物騒なのでしょう。
忍者ルックの人と眼鏡のオネーサンから出てきた、不吉な単語の連続が怖い。
(って、死刑に腹切りって、ナニゴト?)
滅多にきかない不吉な単語。
さらにはどちらも<死>に関係してるから、それが余計に恐ろしい。 おかげで嫌な冷や汗ばかりが背中を流れていく。
そりゃもうだらだらに。 激ヤセしそう。
(…助けも期待は出来そうにないしなぁ…)
話をさせてと訴えても、全部跳ね除けられてしまった。
周りには敵意しかない。
それにドン底に落ちてしまったような気分を抱えたまま、目の前にそびえる大樹を見た。
青々しい緑の頭いっぱいに月を受け止めて、太く逞しく伸びた幹は長い樹齢を知らせている。 冷たい淡光を受けても肌寒さを感じさせず、この集落の象徴であるかのように悠然とあたし達を見下ろして、事の成り行きを見守っていた――この樹から見ればリンチ寸前な構図に見えるだろうなぁ……っていうかこれ、まさしくリンチ寸前?
命が風前の灯火っていうのはこんな感じかしら。
(―――あぁだめよだめよ。 もっとポジティブに考えなきゃ。 せっかく色んな召喚獣と会えたんだから、彼らの持つモエ…もとい、その個性を楽しむべきよ)
おぉ、久しぶりにモエとかいったような気が。
”いやいやそれよりもこの危機をどうにかしないと…”と現実逃避という名の迷路に突っ走りかける意識を引き戻し、あたし達を囲む、誰も彼もが異世界からの住人だと分かる姿の人々を盗み見た。
……うーん、これまたお見事。
思わず、心の中でスタンディングオベーション。
見渡す限りの誰も彼も、横から見ても斜めから見ても召喚獣ぶりを猛烈アピールしてくれていた。 角を持ったり、亜人だったり、幽霊だったり、それぞれの世界が分かる特徴を持って、それぞれが違っている―――なのに、恐怖に似た怯えを含んだ表情と警戒を剥き出しにしている目は、この場にいる全員に共通しているようにも見えて、あたしは首を傾げてしまった。
何に怯えているんだろう、なんて、新参者のあたしには分かるはずもないんだけど。
しかもあたしを見る目が、特に険悪で痛いのはナゼかしらん?
(あ、お腹痛くなってきた…胃がキリキリしてきたわー!)
ずっと冷たい目線に晒されて、胃に穴があきそう。
床にのたうちまわりたい衝動を堪えてお腹を押さえたら、バルレルからヤサシイヒトコトが。
「吐くなよ。 誰が世話すると思ってンだ」
「ンフフフお優しいお言葉をどうもありがとう慈悲を感じる」
相変わらずの口の悪さに、思わず恨みがましい視線を送る。
けれど込み上げる吐き気に慌てて口元を押さえ、深呼吸で堪えた。
……落ち着け落ち着け。
ここで嘔吐リバースでもすれば周りのドン引きと共にあの眼鏡のオネーサンと忍者に殺される。
だって見るからにあの二人殺る気満々だし。
下手に刺激するときっととんでもないことが起こる。 永眠してしまう。
(この世界に来たばかりといい、なんだかんだでスタートが良くないわね)
不運だ。
もう、そんな言葉しか浮かばない。
「…ん?」
呟きながら吐き気と共に苦悩するそんな中で、再び、空気がざわめいた。
今度はざわめくだけじゃない。 周りの人々の膠着(こうちゃく)も解けていく。
それは、今まで樹の枝に座り込んでいた―――見るからにやる気のなさそうな亜人が動き出したからだ。
(お、おおきい…)
のそりと、大きな虎が起き出すような、緩慢な動き。
呆気にとられて見上げるほどの体躯。 覆う体毛は獣のモノ。
けれどその目は知性的で物事を見極めようとする知者の眼差しにも似ていて、決して、理性のない獣だと言わせぬ威厳を持ち得ていた――そんな黒い瞳と目が合ったあたしが思わず身構えれば、彼はその構えぶりに目を丸くさせたあと、そのまま死刑切腹宣告をした二人を呆れたように見て、言った。
「あー、とにかくだ。 皆、落ち着けよ」
大柄で、白くきれいな毛並みを持った男性の亜人。
どっしりと構えた佇まいにはリーダーの風格がある。 彼がメイトルパの生まれであるということは一目でわかるのだけど……どこまでもやる気がなさそうなオーラには正直、ちょっと戸惑うわね…。(あっても困るけど。
喰われる)
けれど助け舟は出してくれるつもりなのか、眼鏡の女性の前に立った。
女性は鋭い睨みを向けても彼は一向に怯みもしない。
「チビ共が寝静まってるからって物騒だろ、アルディラ」
「…ヤッファ…」
形の良い唇から、亜人を咎める声。
けれど彼は女性の厳しい睨みも軽く避け、自分の大きな手で頭をごりごり掻くと気だるそうに女性を見返す。
ひどく、どうでもいいとでも言いたげだ。
「それに、レックスたちにも秘密ってのも後々面倒なことになりそうだしな。
マルルゥにも怒られんのは俺なんだぜ?」
「分かっているわ。
けれど、摘まなければいけないと思う芽は摘んでおかなければ…後悔してからでは遅いのよ。
今は外からの人間が多くこの島にいる」
女性の、悲しい色に染まった意志の瞳と、美貌を曇らせる悲愴な面持ちの呟き。
新しい名前がぽんぽんと出てきて首を傾げるばかりのあたしだったけれど、その声と表情にはどきりとしてしまった――彼女のその面持ちに、堪らなくなったのだ。
思わず、胸を押さえる。
彼女はあまりにも、彼に似ていた。
(…ネスに、似てる)
彼女は女の人で、ネスは男の人で。
髪の色だって、体格だって全然似ていないのに――彼と同じ形の眼鏡がその面影を作ってしまうのだろうか。
あたしは出会ったばかりの…全然余裕のないネスを思い出して、ちょっと笑えた。(バルレルが変な目で見下ろしてきたけど無視!)
その間にも、彼らはあたし達を置き去りに会話を進めていく。
「お前なぁ…何でもかんでも、摘めばいいってモンじゃねえだろ。 なぁキュウマ」
「ですが、自分はアルディラ殿に賛成です。
悪魔と妖狐のほうはともかく、彼女は人間です。 彼らと共に”門”に召喚されてきたらしいとファルゼン殿は言いますが――それが真か分からないこともまた事実」
「お前も一緒かよ…」
言葉のあとに再び、忍者の赤い目があたしに向かって向けられた。
殺意が含まれた鋭い眼。
打ち付けるように浮かぶ憎しみに、冷たい汗が背中に流れていく。
「…人間と悪魔と妖狐。
”門”がこのような組み合わせで召喚をしたことなど今までになかったはずです」
「ゲンジの爺さんは受け入れただろうが」
「ゲンジ殿は、ただの一人でこの島に召喚されてきた御仁です。 それに、彼に魔力はないとミスミ様も仰っていた」
「彼女に魔力があるのは確かよ。
彼女は召喚師で、悪魔と妖狐は護衛獣という可能性は充分ありえるわ。 フレイズの報告によると、霊界サプレスで名が知れた<凶嵐の魔公子>は彼女を守っていたみたいだし…」
――ついていけん。 といった顔をしたのはあたしだけではないようだ。
バルレルも目に見えて苛々し始めるし、ハサハはお腹がすいてきたのか、小さなお腹を押さえて大樹に実る黄色い実を物欲しそうに見つめている。
あたしはあたしで、”アルディラ”と”キュウマ”の言葉を理解しようと頭を回転させるけど、見事なまでに空回りだ。
(というと、召喚獣は全然オッケーで、普通の人間が単品でこの島に来たら問題ないけど。
あたしが召喚術が使えて、召喚獣を連れてこの島に来たっていうことがマズイってこと?)
なにやら込み入った事情があるみたいだ。
しかし彼らの言葉の意味の半分も理解できなかったあたしには、どうにも出来なかった。
何がいけなかったのかを理解出来ていれば、それなりに反論だって出来たんだろうけど……。
「…、あの〜」
「何だ」
おそるおそる手を挙げれば、”ヤッファ”と呼ばれていた亜人が答えてくれた。
(安全候補なのでとりあえず名前を心に刻んでおこう)
「そっちの事情が複雑そうなのはよっく分かったんだけど。
……さっき言ってた、ファルゼン殿ってドナタサマ? もしかしてあの人のこと?」
――たぶん、質問する内容が激しく方向性を間違っていると思うのだけど。
でも、これはちょっと重要。
この集落に連れてきてくれた甲冑の騎士は恩人でもある。 名前だけでもゲットしておかねば。
幸いにも、ヤッファは特に気分を害した風でもなくあっさりと答えてくれた。
「あんたを連れてきたのは霊界集落の主、ファルゼンだ。
あんたらが何者かを知ってねえとこっちも困るし、島に来たからには俺らと顔合わせしねえとこの先やってけねえからな」
(…顔合わせた途端にやってけねーという展開になった場合はどうすりゃいいのよ…)
あたしの周りは、何も分からないままなのにびりびりと感じる確かな険悪なムードだ。
それをひしひしと受けながら、気分のごまかしにファルゼンがくれた紫の花に触れる―――ほんのりと甘い香りがした。
(霊界集落の主・ファルゼンかぁ)
見上げるほどの大きな甲冑。
神秘性を帯びる淡い光に包まれた節々は不思議なもので、彼は今も眼鏡の女性の隣で無言を保っている。
本当に、身動きもしなければ口を開くこともない。(口がどこにあるのか知らないけど)
(―――でも、きれいな空気…)
彼が纏うものは悪寒とかそういうものじゃない、清浄な空気だった。
口では表現し難いけど、彼は相当高位で力のある霊なのかもしれないとなんとなくそう思う。 実際、天使が付き従っているみたいだし、何よりの霊界集落の主と呼ばれるほどなんだから、高位であることに間違いはない。
そんな人に助けてもらえるなんて、まさに”不幸中の幸い”。
あたしはちょっとだけ笑って、助けてくれたファルゼンにお礼を言った。
「ファルゼン、ありがとう」
「……」
返事はない。
けれど彼の呼気に、深呼吸をしたみたいな乱れを感じて首を傾げれば、ファルゼンの傍に控えていた天使が穏やかに微笑んで教えてくれた。
「あなたが喜んでくださったので、喜んでおいでですよ」
「そ、そうなの?」
「ッヒヒ、どうだかなァ。 案外、天使がテキトーなこと言ってんじゃねえのか?」
バルレルのからかいに、天使の青い目が剣呑な光を帯びた。
テキトーなことを言ってるのはアンタよおおおおッと叫びたくなるが、二人の宿敵プレッシャーに挟まれたあたしはなんとも言えなくなってしまっている。
いやしかし! ここであたしが止めなければ誰がこの島の平和を守れるだろうか…!
強い悪魔であるバルレルが本気を出せばこの島は一瞬で海に沈むかも。
「バルレル!わざわざ怒らせないでよっ」
「ッケ」
「これは失礼…たかが悪魔の戯言に付き合あわされることもありませんね」
皮肉で応戦しながら、彼はにこりとあたしに優しい微笑を向けてくる。
それは爽やかで、でもどこか甘いものを含んだ笑顔。
バルレルと言い合う姿とはあまりの変わりぶりに振り返す手も力ないものになってしまった……もしかしてフェミニスト?(正解)
「――フレイズ、少し黙ってくれないかしら」
「申し訳ありません」
「敵対種族に出会ったからとわかるけど、落ち着いてちょうだい……でも、本当に召喚獣には抵抗はないみたいだけど、貴女は何者?
悪魔をたしなめようとするなんて、召喚師でもない普通の人間には出来ない行動よ」
ひたとあたしに向けられる――どこか、感情が気薄なイメージが宿る目。
知性的で涼しげな美貌は、物言わぬ書物に囲まれて過ごす図書館の司書を彷彿とさせる。
口調も、学校の先生に質問される感じに近い。 ほんとにネスっぽい。
(あれ?)
けれどあたしが特別に注目してしまったのは、月下に浮かぶ冷たい美貌の、その肌だ。
きめ細かく、滑らかな肌。 力を込めれば壊れてしまいそうなほど華奢なのに、力強い空気を纏っている…威厳とでも言えばいいのかも。 それが彼女により大きな迫力を纏わせている。
しかし、気圧されるのも忘れて、あたしは彼女に見入っていた。
額や、髪に隠れた首元から覗く機械的な紋様は、あたしにとって見慣れたもの。
ネスと同じ、その鋼。
ネスと似ているどころか、ネスと同じ―――。
「――あなた、
彼女の質問に対する答えより、そんな疑問が口からぽろりとこぼれていった。
……そして、とんでもない一言を言ってしまったようだ。
そう理解できたのは、呟いてしまったそれに周りがざわりとざわめき始めたから。
ヤッファもフレイズも驚いた顔であたしを見て、女性も警戒するようにあたしから後ずさった。
忍者なんかがチャキ…と音をたてて刀なんか持ち出してくる始末――ヤバイ。
地雷踏んだ。
「あ、いや、いまのは」
フォローをいれようにも、何を言えばいいのかさっぱりわからない。
言葉が続かなくてどうしたもんかと頭を掻けば、彼女は敵意むき出しの眼をあたしに突き刺してきた。
「融機人を一目で分かるなんて、召喚師としての教育は受けているるみたいね」
女性の手に握られている石にぎくりとした。
機属性のサモナイト石――石からこぼれる魔力の動きとぴんと張り詰めたものを肌で感じて、あたしは頭を抱えたくなったと同時に悟った。
遅すぎるけど、ようやく理解した。
――この人たち、<人間の召喚師>というものが嫌いなんだ。
きっとそれは、この場にいる全員が同じ気持ち。
あたしを見る目が、全てを語る……憎くて、憎くて、仕方がない。
そんな気持ちを、込めた眼。
「ちょ、ちょちょちょっと待って! 確かにあたしはちょっとだけ、ちょっーーーーーーとだけ召喚術使えるけど、でもだからってそれが…ヒーッ!ちょっとそこの忍者な人、刀なんか向けないでよ!
危ないでしょ!」
月の光に、残酷な弧を照らされた直刃。
殺気を得た直刀はシャレにならないほどの鋭さを帯びたままあたしに向けられて、その矛先をなんとか逸らせないかと後ずさりながら、ビシッと忍者の人を指差して指摘した。
けれど、指摘したってそんなもの、なんの効果もないのは当たり前。
警戒していた端正な顔はより疑心を帯びて、今にも切りかかる構えを見せる。
やる気満々だ。
「自分をシノビだと言い当ててしまうとは…やはりただ者ではないな…!」
「アンタは見たまんまでしょーがーーーーー!!
忍べてないから! って、あああああノリツッコミなんかしている場合じゃない! 」
「忍べてない」と言われてちょっと固まったけど気にしない。(もしかしてコンプレックス?)
ああもう、長い白髪がとってもきれいなのにやることが奇天烈すぎて全てが台無しだ。 同じ忍のシオン大将のほうがよっぽど素敵だわ…大人万歳! 万歳!
「貴様…」
「おいキュウマ、落ち着けって…」
「冗談は止してくださいヤッファ殿…それに、無色の派閥を目の前にして我らが落ち着けるはずがない!」
空気を砕くような感情が、大声と共に吐き出された。
怒号に小さな体を震わせたハサハがあたしに寄り添うけれど、あたしはその言葉に大口をあけてぽかんとすることしか出来なかった……なんですって?
「この者達が無色の派閥の仲間であればこの島は――」
―――― 一瞬、意識がぶっ飛んだ。
女としてはありえないほど白目をむいて、脱力のあまり膝がガクーン!と折れて地面にへたり込んでしまう……ああ、もうこれで二度目だけどタスケテカミサマ。
いや、カミの助言を待つより自分でどうにかしたほうが早いかしら。
「ちょ、チョット待ッテクダサイ…」
どうにか復活した精一杯の挙手に、忍者とヤッファがあたしを見た。
それだけじゃない。
ここに集まった人々、バルレルやハサハ、アルディラさんとやらもあたしを見た。
皆が皆、一様に驚いた表情で。
でもそれほどまでの内容だったのよ。
よりにもよって、よりにもよって、このあたしが…!
「なんかもうさっきから本当訳分からなくて逆ギレしそうなんだけど取り合えず訴えさせて!
言わせてちょうだい! 後生だから!
無色の派閥ってあれよね! あのハゲのことを言ってるのよね! しかも仲間とか…ちょっともう落ち着けとしか言いようがないわこれ。 落ち着いて皆!
あたしはあのハゲと仲間なんかじゃないっていうか無理! 色々と無理ッッ!! 孕まされる――ガフッ!!!」
一直線に振り下ろされたバルレルの手刀が、あたしの脳天を直撃した。
視界はちかちかと白と黒に瞬いて、この世のものとは思えない悲鳴をあげながら頭を抱えて悶絶するあたしが誕生する……って、相当効いた!
今のチョップは効いたよ!
「ば、バルレルあんた…」
「うるせェ、これ以上俺を苛つかせんな」
返ってきた声に、思わずバルレルを見上げた。
小さな悪魔の姿じゃない、大人の姿のバルレル。
大きな翼が伸びる腰をたどり、その顔の後ろの髪の赤を見つめる。 表情はわからない。 けれどどこからともなく流れてくる…背筋がゾッと逆立つほどの冷ややかな気配があたしの肌を粟立てて、体が震えた。
座り込んでいたまま足をよろよろと立ち上がらせて、バルレルの隣に並ぶ。
…バルレルが今、どんな表情をしているのかとても気になった。
「バル…?」
「――決まったわ」
ふと、感情がこもらぬ、冷たい声が投げられた。
”アルディラ”があたし達の前に立って、色素の薄い長い髪を揺らしながら見つめてくる。
決まったって、何が決まったんだろうと小首を傾げるあたしを見る目は、どこか冷淡だった。
「貴女を、ラトリクスに拘束するわ」
一瞬、言葉を失ってしまった。
「な…、っ!」
アルディラの声に従うように森の暗闇からぬうっと現れたのは、機界の兵士だ。
ガシャンと重い足音を響かせて、地面に巨大な足跡を残す――フレイムナイト――
。 すらりとしたシルエットに不似合いな発火装置を取り付けられた右腕は、名前にぴったりで特徴的だ。
作られたその目的どおり、黒い穴から赤い焔が吐き出されるのを見て、拘束ではなく丸焼きにするつもりなんじゃないかと疑ってしまう。 っていうか、丸焼け決定…!
「ちょ、ウソでしょ…?!」
「アルディラ、お前」
「ヤッファは黙って…サモナイト石を含めて、持っている全てを捨てて投降しなさい。
抵抗しようとするなら無駄よ。 このユクレス村の森の陰には鬼妖界のシノビや霊界の天使、幻獣界のウルフが貴女たちを見ているわ」
”アルディラ”の言葉で、多くの気配が森の木々をざわめかせた。
何も見えないほど深い闇を背負った森――けれど確かに、そこにいるのだと証明を見せて、多くの疑心や警戒心、殺意があたしに向けられる。
胸の奥が、どくりと騒いだ。
脅しか、脅しじゃないか……そんなこと、彼女の目を見れば一目瞭然で。
(ど、どうすれば…あ、でも拘束はあたしだけなのかな?
バルレルとハサハは、無事でいてくれるのかしら)
”召喚獣”と呼ばれる彼らが許せないのは<人間の召喚師>。
そんな図式に、何があったか容易に想像できる。
実際にもいたのだ。
――召喚師が憎くて、恐ろしくて、還りたいと願っても還られない者たち。
それが、とても怖くて、哀しいことなのだと――突然放り出された世界に戸惑ったあたしは、知ってる。
「大丈夫。 ただ数日、貴女のことを調べさせてもらうだけ。 無色の派閥の人間ではないと分かったら自由にさせてあげるわ」
「…ちなみに、その調べ方は…?」
恐る恐る、問いかけてみた。
調べるだけだと聞いてちょっとほっとしたけど、よくよく考えたら彼女の属性が機界であることには間違いない。
最近の医療技術って怖いからなぁ…色んな薬があるからなぁと、嫌な想像ばかりが浮かんでしまう。
知的な女医さんは怖いのだ。(彼女は女医ではないと思うけど…)
「………まぁ、色々と試してみるつもりだけど」
何を。
と突っ込みたくなったのはあたしだけじゃないはずだ。 (知るには怖すぎる)
だけど彼女の言うとおりにしたほうが誰も傷つかなくてすむんじゃないかと思ったら、その提案に手が伸びてしまう。
(あたしが大人しく捕まったら、バルレルたちは無事でいられる?)
返事をするのに、言葉がつまる。
彼らが無事でいられる確証がなくて、上手く答えられない。
嫌な汗ばかりが流れる。
呆然と立ち尽くす足は、膝が震えてる。
だってどう見ても友好的じゃなくて、冒頭の不吉な単語の連続から、なかなか、無事にいられるだなんて思わない。
(でも)
それでも花を持ったままの震える両手を握り締めて――あたしは、頷いた。
信じてみようと思った。
そう思わないと、とても立っていられなかったから。
「わかった。 大人しく、捕まるわ」
「…おねえちゃんっ…」
「大丈夫よ、ハサハ」
優しく、小さな少女の黒髪を撫でる。
こんなに優しい子を、こんなところにつれてきてしまった後悔も大きくて欝になりそうだ。
……”怖い思いばっかりさせちゃったなぁ”と申し訳ない気持ちで少女の額を撫でて、あたしは立ち上がった。
「バルレルとハサハに乱暴なことはしないで。 それだけは絶対に。 約束をしてちょうだい」
アルディラが、ほんの少しだけ驚いた表情を見せた。
あたしの目を見つめて、ややあってから小さくうなずく。
「いいわ。 約束をしましょう…私達が危険に思っているのは貴女なのだから」
召喚師は、召喚獣の力を引き出す引き金の役目でもある。
彼らは主が真名を唱えてその力の解放を許さなければ真の力を発揮できない。
それほどまでに召喚師は彼らを縛り付けて、押さえ込む力を持っている。 バルレルは誓約が解けているからその影響を受けることはなくなって力を使いたい放題なんだけど……まぁ、これは黙っていたほうがよさそうだ。
「あたしはこの子たちのご主人じゃないわよ。
ただあたしを助けてくれようとして巻き込まれただけだから…それにほら、サモナイト石も一個も持ってないでしょ?」
ポケットをひっくり返して、両手をひらひらさせてアピール。
開き直ったあたしの行動に周囲が再びざわめいた――”もしかして召喚師じゃないのか”と、そんな疑問が波紋となって広がっていく。
基本的に、サモナイト石は召喚の門を開く鍵なのだ。
石がなければ求めても門は開かない。 ただ、一部の人は石がなくても呼び出せるわけなんだけども……そこもあえて、黙っておこう。
せっかく空気が少しだけ和らいだのだから、壊すわけにはいかない。
(話をすれば案外伝わるかも…)
とにかく一度大人しく捕まったほうが話も出来そうだ。
そうして一歩踏み出そうとすれば――後ろから、強い力で腕をつかまれた。
突然のそれにつんのめりそうになって慌てて足に力を入れて踏ん張って、何よと振り向けば。
酷く冷たい表情のバルレルがいた。
「…バルレル?」
「何、あっさりついてってんだよテメエは」
言葉に含まれた怒気と棘に、アルディラが不審の表情を見せた。
キュウマも背後に黒い忍を従えて、フレイムナイトの傍に立っている。 ヤッファとファルゼンは何の動きも見せないけれど、バルレルの行動から目を離そうとはしない。
彼らは気づいている。
バルレルからこぼれる、怒りを。
「何で俺らが、テメエらの言うとおりにしなきゃいけねェんだよ」
「危険を回避するためよ。 島の半分の人は皆、召喚師を憎んでいる…恐れているの。
安心して暮らしたいと思うことのどこがいけないのかしら?」
恐れている。
憎んでいる。
彼らをそこまで追い詰めてしまうほどの苦しみを味わわせた召喚師たちをスカボコにしてやりたい気持ちだったけど(特にオルドレイクをタコ殴りにしてやりたい)、ここがどこかも分からなくて、オルドレイクはとうの昔に死んだのだからそれも叶わない願いだ。
本当に、あのオッサンはいらんことしかしないわねー…。
「テメェらには、間抜け面したコイツが、俺らを屑みたいに使う立派な召喚師サマに見えるのか」
「…ええそうね、見えるわ。
屑みたいに使うほど立派かどうかは知らないけど、悪魔の貴方が守ろうとしているその行動から、彼女が主人だと言っているにも等しいわよ」
冷ややかな返答。
返ってきたそれに、バルレルは忌々しそうに吐き捨てた。
「――くだらねえ」
大きな手が、あたしの頭を掴んで押し込むように広い背に隠した。
首が変な音をたてたあたしのうめき声に構わず、バルレルはアルディラに三つの目を向ける。
「いきなり島につれてこられて何だと思ってりゃ、不愉快なクソ天使と、訳わかんねえこの状況の説明もねえまま人のモンに手を出そうとしやがる奴らしかいねえわけだ」
「…どういうことかしら?」
「頭の悪ィメガネだな。 ―――このオンナは俺のモノなんだよ」
………何ですと?
変な音をたてた首をさすりながら、バルレルの発言に軽くテンパるあたしの頭。
いいいいい一体いつあたしがバルレルのモノになったと言うんでしょうか。
いつ認めた。
いつ認めたのあたしは。 身に覚えがないわ。
(…っていうか、さっきからバルレルの様子がおかしいような気が…)
それより住民の皆さん、何でそんな後ずさり?
「――俺は自分のモノに手を出されるのが嫌いでな」
――言葉の次の瞬間に、空気が凍りついたのが分かった。
けれど凍ってしまった空間を突き崩すように、風が軽い音をたてて過ぎていく。
少しだけ肌寒い夜風。
それは大樹の葉だけでなく、バルレルの赤い髪を揺らして吹き抜けていった。
次第に怯えるようにざわざわと騒ぎ始める木々の声が大きくなっていくと、彼の腰元からのびる黒い翼がゆっくりと広がって、あたしとハサハをその翼の後ろに隠す――黒翼が腕のように限界にまで広がると、びりびりと震える空気と威圧感が広がって、アルディラたちが息を呑んだのが見えた。
「バルレル?」
見上げると、月に照らされた端正な顔が見えた。
野性味を帯びた横顔。
それらはいつもどおり変わらない。
けれど彼の三つの魔眼は暗闇の中でも燃え盛るような真紅を浮かべていた。
びりびりと伝わるあまりにも強い魔力には、凍った空間にかじかんでた手が別の意味で痺れてきたのを自覚する――強い力が、こぼれている……?
(怒ってる…?)
「周りを囲んでる? 勝手にしやがれ。
だがいいのか? 集落のド真ん中にいる俺らに手を出すのは良くねェと思うがなァ」
「……何ですって」
問いかけに訝しむアルディラの声に満足したのか、愉快そうにヒヒヒと笑うバルレルの顔は、テレビの中の悪役に近かった。
「俺の耳には聞こえるぜェ? 生きている魂の音が。
のん気に寝てるガキどもの心臓の音も、その傍で眠る母親の心臓の音も。 弱ェ妖精どもの陽気な力もな。
テメェらが俺らに手を出す前に、俺が少し魔力を飛ばしただけでそいつらをブッ殺すことも出来る」
「――っアルディラ! 手をだすなよ!!」
恐怖を匂わせるバルレルの言葉に、ヤッファが初めて声を荒げた。
あたしはあたしで呆然とバルレルを見上げることしか出来なかった。
脅し文句を謳う彼の、低い、呟き。
決して冗談だとは思わせない、本物の、意志の声。
言葉と声に混じった強大な魔力と圧力に原住民たちはいっせいに後ずさり、中には誰かの名前を叫びながら慌てて背を向ける人たちもいた。(たぶん、その人が待つ家に帰るために)
忍の集団もざわざわとざわめいて冷静さを失い、狼のかたちをした白い獣たちはバルレルの魔力に押し潰されまいと必死で牙を剥いて睨んでくるも、その尾は酷く弱弱しい。
そういえば、忘れてた。
バルレルは魔王。
下級悪魔を一瞬で屠ることができる、暴力と争乱を司る悪魔王―――…そんな強い力が、無防備な子供やか弱い妖精にぶつけられたりなんかしたらどうなるか、あたしにだって分かる。
「だ、だめよ! やめてバルレル!」
「黙ってろ」
「黙ってられるはずがないでしょ! そんなの、あたし、絶対させないから!」
バルレルは脅している。
あたしを連れて行くのなら、この集落の誰かを殺すと告げている――脅すなんてそんなこと、面倒だから大嫌いなはずなのに。
子供を殺すなんて、バルレルにとってはするべき価値もない行動なのに。
「あたしは大丈夫よ。 ばーっと調べて、ばーっと帰ってくるから」
そんなことを言いながら、心の奥底ではちょっとほっとしてる。
ただでさえ心細いのに引き離されるなんて嫌だった…だから、引き離されることはないんだって思ったら、とても安堵してる。
でもバルレルに、穏やかに眠っている…力のない子供を殺させたりすることは絶対嫌だった。
そんなことをするほど彼は落ちぶれていない。
彼は誇り高い悪魔。
何の力も持たない子供を喜んで殺めるような、そんな人ではない。
「バルレル!」
「うるせェ! テメエのことだ。 全員殺すって言えば殺すなって泣きやがる。
だがな、こうでもしねえとテメエがいいようにされちまうだろうが!!」
叩きつけるような一喝。
肩を掴む強い力がより強くなって、あたしの肌に食い込んでくる。
それでも”大丈夫”と言いたげに首を横に振ってバルレルを見上げれば、あたしを睨んだ赤い目と視線が絡んだ。
魔眼が、不気味な赤光をこぼしていた。
それを視界に認めた瞬間、あたしの頭の中が真っ白になる。
「ちょ、ズルィ…」
「テメエは寝とけ。 ――テメエがいるとうるせぇからな」
「バ……」
意識が、遠くなる。
意識が、どこかへ沈んでしまう。
魔眼を使ったんだと理解したのは、四肢の感覚がなくなってから。
バルレルはずるい。
あたしをさっさと眠らせて黙らせて、あたしを助けてくれようとしている。
(バルレルの、大バカ!)
あたしの抗議は、あっという間に暗闇に塗りつぶされて消えていった。
―――少女の身体が、意志という支えを失って崩れ落ちる。
それを柔らかく受けとめて、バルレルは両腕で抱き上げた。
軽く腕に収まるそれの感触は、どこまでも温かで柔らか。 腕の中の存在に言いようもない感情を覚えながら、背後でバルレルの服の袖を掴む小さな少女に目を向けた。
「おにいちゃん…だいじょうぶ…?」
「心配すんな。 オマエも黙ってろ」
心配を混ぜた黒瞳でとバルレルを見上げてくる。
その黒髪をくしゃりと乱暴に撫でてから、ヤッファとアルディラ、キュウマとファルゼンを睨みやった。
赤い魔眼はまだ魔力の残滓を残して不気味に輝き、彼に悪魔王の片鱗を見せ付ける。
「周りの雑魚共を退かせろ。 じゃねえとガキから殺していく」
今まで観察して、バルレルは充分に仕組みを理解していた。
彼らがこの島を治めている中心たる存在なのだと。
「やれやれ…とんでもねえ奴がきたもんだな。 ―――ああ、いいぜ」
「ヤッファ!」
「ヤッファ殿! よろしいのですか!」
ヤッファの言葉に、過剰に声を荒げたのはアルディラとキュウマだ。
だが、次の瞬間に彼らの口は噤まれる――百獣の王に似た眼が、彼らを鋭く射抜いたからだ。
それは彼の普段のスタイルである、怠け者のそれではない。 多くの獣を従えて、その頂点に立つものの誇りと気高さを滲ませた、強者たる眼だ。
「お前らこそいい加減にしろよ。
話がしてぇと言ってる相手の言葉を無視して、あの女を捕まえようとした。
だから女を守ろうとしてるあの悪魔が怒っちまった―――これ以上アイツを怒らせんのは得策じゃねえってこった」
「ですが」
「それとも何か? お前らはうちのチビ共や妖精が殺されても構わねえのか?
俺ァ御免だぜ、そんなモン見せられるくらいなら悪魔の案に従ったほうがずっとマシだ」
ヤッファが指を口に咥えると、甲高い音が闇の虚空を切り裂いた。
それに答えるように周囲から鳴き声が呼応し、ばたばたと身を翻し、いくつもの足音をたてながら草葉を掻き分けて去っていく獣の姿が一つ一つ消えて、なくなっていく。
「アルディラ、キュウマ、ファルゼン。 お前らもそいつらを退かせろ」
低い声には、有無を言わせぬ響きがあった。
アルディラはぐっと唇を噛み締めてから、うなずく。
「……分かったわ」
「承知しました…」
彼らの言葉と指笛に、集落を囲っていた多くの気配が一斉に聞いていく。
それは引き潮のように乱れなく、微かな呼気とその匂いと存在を暗闇の中に隠してそれぞれの集落に戻っていく――愛する人が待つ場所へ。
帰るべき場所へと、森の中を駆け抜けていく。
彼らが去り、いつものユクレス村の夜が戻ってきた。
全てが消え去ったあとで残されたものは、生き物達がつくり上げる安息の世界だ。
虫の音と風の音。 遠くに聞こえる小波と森中に満ちる木々が揺れる音の世界だけ。
それはなんと美しく、穏やかな世界なのか。
バルレルは気配が消えたことを確認してから満足そうに口角を吊り上げると、ヤッファを見た。
「テメエが一番、話がわかりそうだな」
「やれやれ…こんなことならさっさとレックスにまかせときゃ良かったぜ」
バルレルに目をつけられたと自覚したヤッファは、長い黒髪に覆われた頭をぼりぼりと掻いて天を仰いだ。
水平線の向こうでは、朝日が顔を出していた。
青い淡光をこぼしていた満月も、小さく瞬く星々も、夜が朝日に薄められてしまった白乳色の空に溶け込んで、全てが白に染まっている。
今から寝るとしても、ヤッファが望む睡眠時間到達には及びそうになかった。
「安心しろよ。 ガキ共にも、他の奴らにも手は出さねえ」
「そいつはありがてえな……ついてきな。 その女とチビを休ませたいだろ」
バルレルは腕の中のと、バルレルの服の裾を掴んだまま今にも瞼が閉じてしまいそうなハサハを見下ろした。
思わずうんざりとした顔で溜息を吐けば、ヤッファがくつくつと笑って肩を震わせる。
「相当信頼されてんな、アンタ」
「うるせえ」
「…ってことだ。 こいつらの面倒は監視も兼ねて俺が見る。 お前らも一度集落に帰んな。
まだ状況を飲み込めていねえ奴らをなだめてこいよ。 話は明日だ」
アルディラとキュウマは納得がいかない色を浮かべていたが、そのまま背を向けて去っていった。
ファルゼンとフレイズもまたユクレスの村を去り、ヤッファは自分の庵の近場にある、もう一つの庵へバルレルを案内した。
踏み込むと、木々の匂いと甘い花の香りがどこからか漂う、小じんまりとした庵。
青い染布がその色を床に広げ床の冷ややかさを和らげ、壁に掛けている布も隙間風を防いでいる。
眠るには充分に快適な室内を物珍しそうに眺めながら、とハサハを柔らかな敷き布の上に横たわらせた。
二人の少女は陽の匂いがするそれに顔を埋めると、さらに深い寝息をたて始め、眠りの世界に落ち込んでしまった。
「ったく、のん気に寝やがって…」
「俺の第二の昼寝家だ。 ちったぁ狭いが、女子供とならどうにか眠れるだろ――っと」
聞こえてきた静かな寝息に、ヤッファはそこで口を噤んだ。
だが、さっきまで動き回っていたバルレルの姿がないのはどういうことだ…と思いきや、集落を脅かしていた悪魔もまた、少女たちの隣の空間に身体を預け、昏々と眠りの世界に落ちていた。
仲良く三人で眠っているそれを見て、ヤッファの口元に、自然に笑みが浮かぶ。
「――疑って、悪かったな」
彼らは信じることの出来る者だと、ヤッファの本能が告げていた。
何より、彼らの間に挟まれて眠る人間の少女を見ていると、何故か、酷く懐かしい気持ちになる。
…そう、まるで、ふとしたときに故郷を思い出した、あの感覚。
「しかし、さて、どう説明したものか…」
この島はただの島ではなかった。
それを彼らが、理解をして納得をしてくれるだろうか……。
「まぁ、どうにかなるか」
ヤッファはもう一度彼らの姿を目に焼き付けてから、朝日が差し込む庵を出た。