「わー、きれいな森だなー」
いつまでも続く美しい森の姿に感動しながら、あたしは肺一杯に空気を吸い込んだ。
不思議な島に召喚(?)されてしまったあたしたちは、サプレスの力が集まる場所へ歩き始めた。
……うん、まぁ、歩き出したのはヨロシ。
しかし歩いても歩いてもこの島の緑はいつまでも途切れないのは、上空から見たとおりこの島全体が緑に覆われているからだろうか。
ほんの少しの疲労を身体に感じながら、降り注ぐ日差しにつられて見上げる。
木々の合間からは絶えず青空がのぞき、陽光が緑の地面に落ちて輝く光の雫に、かつて訪れたレルム村を思い出して、懐かしいなぁ…と、目を細める。
―――レルム村。
それは、全ての始まりの場所。
(あれはあれで、見事にテンパったわよねぇー…)
光の眩しさに目を伏せながら、あたしはでっかく溜息を吐いた。
――唐突の変化だった。
いつもの日常の中にいて、突然に放り出された先は美しい森が広がる異世界。
その後も信じられない出来事ばかりが続いて、あたしの頭はしばらく混乱を極めた。
泣いて泣いて、落ち着くまでに時間がかかってしまった。
今ではこの世界にもすっかり馴染んでいるけれど、あのときは「ここがサモンナイトの世界」だと知っていることだけがあたしの武器で、聖女を奪おうとするデグレア軍から逃げることに必死だった気がする――まさか、デグレア軍のルヴァイドたちに助けられたりするなんて思いもしなかったけど。
「…おねえちゃん…?」
「おい、ボケっとしてんなよ」
呼びかけてくる声に我に返る。
ぼんやりと突っ立っているあたしを不思議そうに見てくるのは、召喚獣と呼ばれるバルレルとハサハ――今回の異変に、彼らがいてくれて本当に良かったと思った。
あたしが初めてリィンバウムに来たときは、一人。
すぐにアメルやロッカ、リューグと出会えたけれども、この世界に来た当初は独りという事実に不安でたまらなかったものだ。
…しかし今回は、長く旅をした彼らが一緒にいてくれている。
今はあなたたちのおかげで怖くないよと言えば、
あたしらしくない突然の言葉に彼らは変な顔をするだろうか?
(でも本当のことなのよね)
あのときは一人。
けれど今はそうじゃなくて、さらには未知の世界を楽しむ余裕さえあるのだから一緒に来てしまった彼らの存在にはありがたく思うばかりだ。
「ありがたやー」と深々と二人を拝んでしまうとバルレルが変な顔をしたけど、気にしないで先に進んだ。
「――、あれ?」
その後も森の中を歩き続けると、いつの間にか、周りの空気が変わっていたことに気がついた。
汚れのない澄んだ空気はそのまま。
木々の合間に見える青い空もそのまま。
けれどある場所を境に、幕がかぶさったように濃厚な影を落とす薄暗い森へと変化したそれはどこか、別世界に足を踏み入れたような感覚だった。
空は青くて眩しいのに、森の木々は深い影を落として薄暗い空気を漂わせている――そこで、気がつく。
(木の種類も、変わってる)
先ほどまで見ていた木とは異なる樹木が、その境から向こうへと広がっていた。
通常の木々よりもずっと太く、形もどこか歪で異界めいたものを思わせ、「別世界に踏み込んだ」という感覚はあながち間違いではなさそうだと確信する。 吸い込む空気も、さっきまでの清々しいものとはまるで別モノのように違って、冷たい。
それに気がついたハサハがあたしの手を握る力を込めると同時に、先頭を歩くバルレルが「へぇ」と小さく呟いて、森の変化をあたしよりもずっと敏感に感じ取った二人の様子に首を傾げてしまった。
「どうしたの?」
「ずいぶん懐かしい空気だな」
どこか居心地が良さそうに、バルレルがぶわりと翼をはためかせて飛んだ。
なつかしい?と不思議そうに聞き返すあたしを無視して大きく広がる悪魔の翼。
それは彼の身体を宙に踊らせ―――彼は、切り立った丘から抜き出る巨大な水晶の上に降り立つと、赤い髪をゆらりと揺らしながら、三つの魔眼は愉快そうにその足元にあるものを見下ろす。
「マナを蓄える水晶の結晶か。 サプレス以外にこれだけデケェのがあるのは珍しいな」
―――いやぁ。
異世界だからなんかすっごいモノもあるなぁとは今まで思っていたのだけれど。
驚きのあまり、あたしはぽかんと口をあけてバルレルの足元にある物体を凝視した。
―――森の中で突如、切り立った丘の出現。
それは自然が作り出す地形の関係を考えれば何ら不思議なことはない。 しかし、紫の光を帯びた透明な結晶が群れをなして眼下に広がっているこの光景にはただただ、うわぁと感嘆の声を上げるしかなかった。
大きさは、あたしの身長より大きいものから小さいものまで。
どれもこれもが神秘的な輝きを帯びて、さらには群れているように大量に並ぶその迫力は度肝を抜かれる。 真っ白になってしまった頭の中では、ブラボォォォ…!とスタンディングオベーション。
満場の拍手喝采だ。
「うわうわわ、すご…! は、ハサハ、行こっ」
きらきらと輝くそれに魅せられて、ハサハを連れて興奮気味に駆け寄った。
バルレルがばさりと降りて来るのを横目に見ながらおそるおそる水晶に手を伸ばすと、無機的な石の感触が指先に伝わる。 冷やりとした温度もまた普通の石と同じなのに、それでも触れた場所からじわりと染み渡る”何か”は、バルレルが言う蓄えられた魔力<マナ>なんだろう。
青紫味を帯びた透明な結晶にそっと頬を寄せ、目を閉じると、長く蓄積した力がクリスタルの中で大きく巡っているのがわかる――力の流れというものを確かに感じる。
「…なんか、感動ー…」
「にしても、何でこんななるまでデケェのが生えてやがんだ?」
こんなに美しいものまでこの世界には存在するのか、と感動するあたしの真横で、「サプレスでも珍しい大きさだぞ」と呟きながらゴツンゴツンと拳で結晶を叩くのはバルレルだった。(あああああんた何やってんのーー!)
しげしげとそれらを見上げ、周りの結晶を見回しては首を傾げる。
「この島―――…?」
そこまで呟いて、彼の横顔が緊張を帯びた。
はっと上げた顔にある、鋭さを秘めた三つの目が薄暗い森の奥を睨みやるのにつられて、あたし達も奥を見る―――その先には、暗い、夜のような空気を漂わせた森が結晶の輝きを受けながらどこまでも広がっていた。
ぼんやりとしたヴェールに包まれたその光景に神秘的だなぁと再度思うも、彼が警戒するような<何か>の存在を見出せず、あたしは不思議そうにバルレルを見上げる。
「バルレル?」
バルレルは応えない。
けれどその変わり、あたしをちらりと見下ろしてから腕を掴むと強引に、翼が生えた広い背中の後ろに押し込んだ。
彼らしい乱暴な扱いに「ちょっと?!」と裏返った声が出てしまっても無視される。
一方、ハサハもあたしの傍に寄り添いながらバルレルが睨む奥を、じっと、無垢な瞳で見つめていた。
純粋で、無垢な輝きを帯びた赤い瞳――彼女にも何か見えるというのだろうか。
その瞳はどこまでも真っ直ぐに、あたしには分からない異変を映し出している。
――え、何。 あたしそこまで鈍感なのかしら?
「ど、どうしたの?」
一人ついていけないあたしの肌に突如、びり、と張り詰めた空気が伝わった。
肌を刺すような空気――それはあたしの目の前にいるバルレルから放たれている。
彼の全身からにじみ出ている魔力が傍にいるあたしに影響を与えているのか、あたしの肌がびりびりと痺れるように訴える。
「動くなよ」
低い男の人の声で、警戒の言葉。
バルレルは何かに対して敵対心、疑心の心を向けていた。
ハサハもそれを正確に見ることが出来るようになったようだ。 少女らしい丸い顔に緊張めいた色が浮かんでいて、耳をぴくりと動かしながらバルレルと同じポイントを見つめている―――ただ事ではない二人の様子に「ぼけっとしている場合じゃない」と、あたしもそれを見つけようと目を凝した。
彼らが警戒するものとは一体なんだろう?
「―――、出てこいよ」
動かぬそれに苛立ったバルレルの言葉が、その場の空気を震せた。
たくさんの気配がバルレルの言葉を怯えるようにぶるりと震え、動きを見せた――いや、実際、動いたのだろう。
あたしの目は、森の奥で結晶の輝きを受けぼんやりと浮かび上がる複数の影を視界に捉える。
(え)
捉えるものは、姿を持たない小さな影たちだ。
それは言葉のとおり、<姿がない>。
見える姿がないのに影として存在しているそれは、まさに、日本風で言ったら<ゆうれい>というものにピタリと当てはまるような――。
その正体が脳にたどりついたとき、口から絶叫が飛び出した。
「って、えええええええええええええええ!? ば、バルレルー! ゆ、ゆーれい! 幽霊が! あんなにたくさん! なんかめっちゃいるぅぅーー!」
「うるせェ、黙ってろ」
「だだだ駄目だあー! 悪魔とか天使とかそういうのは身近にいたから全然慣れたけど幽霊はまだ慣れてないのよー! ナムアミダブツナムアミダブツ我が身を守りたまえエロイムエッサイム!!」
ぎゃあぎゃあと錯乱モードに陥ってしまったあたしに、うんざりとした顔のバルレルが何を思ったのかなんとなく分かったけど(心の底からウゼェェェというオーラを感じるわ)、あたしの祈祷…寧ろ奇行は収まらず、混乱のあまり必死にバルレルの腕にしがみつくばかり。
一方、影達はあたしの叫びにも何らリアクションを見せないので、余計不気味だった。
あああああアカンのですよ本当…駄目なんですよ…! こういうのって、悪寒とかゾワーッと来るから駄目なんですよ…!
「ってギャー来た! 悪寒キター! あたしの全てが告げている目の前のは本物の幽霊だと!」
ぞわぞわわ。
まさにそんな擬音が相応しいほど、全身に鳥肌が浮かぶ。
もともとから肌寒い空気が漂っている森だけれど、本物の幽霊を前にした今は震えずにはいられないほどの冷ややかさが漂い始めていた。
がたがたぶるぶると震えるあたしに、バルレルが何かを言いかける…が、それは遮られてしまう。
「―――それは悪魔が放つ瘴気のせいでもあるのですよ、お嬢さん」
この場に似合わぬ凛とした声に、あたしの絶叫が見事止まった。
何故なら、包み込むように優しく放たれたその声は不思議とあたしの悪寒を和らげて、震えずにはいられなかった寒気が消えてしまったのだ。
まるで、柔らかな日差しが温めてくれたよう。
唐突に失せてしまったそれに目を丸くしたまま、あたしは声の主の方を見る。
「人間の身である貴女は彼からこぼれる瘴気の影響を受けやすいのでしょう。
すぐに離れたほうが良い」
透き通るような声で紡がれる言葉。
それは聖句を思わせる音を混ぜ、<姿なき影>たちがぼんやりと浮かぶ森の奥から、彼は現れた。
影達を従え、影達の形が掻き消えそうになるほどの眩さを持って現れた青年に、あたしはぽかんと、間抜け面を披露してしまった――カミサマ、どうやったらこんなウツクシイ人が生まれちゃうんでしょうか――そんな馬鹿なことを思ってしまうほど、美しい男がそこにいた。
正直、目が焦げるかと思った。
つまりそれほどお美しいというわけなんだけども…。
「ワオ美形…!」
「アホか」
うっかり出てきた感嘆の言葉に、吐き捨てるように突っ込みを入れるバルレルを一睨みしてからあたしはもう一度男を見た。
青年が、水晶の光を受けながら一歩、踏み出す。
彼の動きに合わせて流れる長い金色の髪は太陽のように眩しいのに、その輝きは太陽よりも月のイメージにあっていた。 すらりと引き締まった体のラインや、高く通る鼻梁は素直に「きれいだ」と思える芸術性を帯びていて、何よりも、金の髪の下から覗く二つの碧眼は彼の美貌をより芸術めいたものへと惹き立てている―――彼は人間ではない言われても、きっと納得してしまうだろう。
実際、男は人ではなかった。
人の形をしているけれど、彼は<人間>ではなかった――その証は、普通の人間では持てない神聖な雰囲気と、彼の腰元からのびる白い一対の翼はまさに<天使>そのもので――。
というか、天使だ。
なんということでしょう。
謎の原住民族よりも先に天使を発見してしまうなんて思わぬ展開だわ。
(でも、ここまで天使ィィー! ってオーラ出してる天使は初めてみたかも)
ぽかんとしたまま、あたしの目は天使に釘付けになる。
――そんなことを思ってしまうほど、男は完璧な<天使>だった。 芋を持った天使様より天使らしいと思うのは、彼が天使として長く生き、アメルが人として長く生き過ぎたせいなのかもしれない。
(でも、アメルの羽のほうがきれいかな)
白い翼に目を細めながら、あたしはそんなことを思った。
―――アルミネの魂が転生し、人間として生まれたアメル。
戦いの中で覚醒した彼女が持つ白い羽根のほうが彼よりもずっと清純で美しいものだと感じることに、<豊穣の天使>は彼よりも上位にあたる存在なんだということが何なとく理解できた。
召喚兵器と改造されたその後も、わずかに残された白は素直に美しいと思える。
「…てんし、さま…?」
きょとんとするハサハの呟きを肯定するように、青年は柔らかな微笑みを向けた。(うう、微笑みすらも眩い)
けれどバルレルにしがみついたままのあたしを見ると、その微笑みは警戒を浮かべたものに塗りかわり、諭すように告げてくる。
「彼は悪魔です。 突然にこの島にきてしまって混乱している貴女たちが持つ、その魂を狙って傍にいるだけです―――さぁ、早くこちらへ」
差し出される手。
男の人らしい大きな手だけれど、長い指が持つ手は白くて滑らかで綺麗だった。
しかしあたしはそれを手に取ることなく、その代わりに。
「あー、いや、ちょっと待って。 お待ちくださいませ天使サマ」
ストップ、と言わんばかりにあたしは天使を手で制した。
唐突に現れたうえ彼から放たれるただならぬ雰囲気に思わず飲み込まれそうになったけれど、天使の言葉がバルレルを良くないものなのだと言っていることに少々、腹立たしく思ってしまったのだ。
お綺麗な顔が、なんだか少しだけ気に食わないものに映ってしまう。
というか、あたしの魂を狙っているという時点で間違っているんだけど。
「あたしは別にとり憑かれているわけでもないし、ちゃんと正気よ」
「え…」
確かに、バルレルは悪魔だ。
でもあたしの知るバルレルは天使が告げているそれとはまるで違うし、バルレルはトリスの護衛獣なのだ。
今は誓約には縛られていないものの、彼らの<対等>という関係は決して変わることはない―――何よりバルレルが他の人の魂を奪うことをトリスは絶対に許さないと彼自身も知っているはずだから、昔はともかく、今はそんなことをするはずがないのだとあたしは信じている。
「仮にバルレルから瘴気が出て寒気がしたとしても、今までも平気だったんだからこれはバルレルだけのせいじゃないわよ。
―――ほらバルレル、あんたも何か言い返してやんなさいよっ」
気合を込めて答えを求めるようにバルレルを見上げる――とんでもない不機嫌面が視界に映った。
うおおおい、何でそんなブッサイクな顔になってんのあんた。
なんか、すげー気に食わないのだと顔の全面で訴えられてもあたしが困るんですけど。
一体何が不満だというのか。
天使に怒るあたしを不思議に思ったのか、天使が動揺を浮かべてあたしの問う。
「今まで傍にいて、何もなかったと?」
「そうよ。 そりゃ、力の強さにぞわーってきてこともあったけど、バルレルと一緒にいてしょっちゅう寒気を感じることなんかなかったし、体調崩したことなんてなかったわ」
あたしの返答に、天使が目を瞠る。
信じられないものを見るような目でバルレルを眺めてから、その美貌を歪めて。
「まさか…害を及ぼすまいと、身から溢れる瘴気を自身で抑えているのか…?」
「へー、瘴気って自分で抑えることも出来るの……ん?」
それはつまり。
あたし達の周りの誰もが影響を受けないように、彼なりに配慮してくれていたということか。
天使の答えに驚いて、もう一度、答えを求めるようにバルレルを見上げた。
しかし本人は照れるどころかますます不機嫌顔になり、せっかくの美形顔がどんどん台無しになっていく――どうしよう。
その顔は肯定してるようなモンだよと突っ込みを入れたら頭を鷲掴みされそうな予感がする。
そのまま首をもぎ取られそうな予感もする。
しかしハサハがふにゃりと笑って、バルレルとあたしを見上げて言った。
「おにいちゃん…やさしい、から…」
「―――」
「って、イダダダダァァァーッ! 確かに今のはちょっと照れる発言だったかもしんないけど何故あたしが頭を鷲掴まれるのかちょっともうさっぱりわからない!
理不尽な暴力! 訴えてやるー!」
ぎりぎりぎりと頭蓋骨が軋む音が聞こえる。
その苦痛にたまらず悶絶していればそれはすぐに解放されて、”下がってろ”とぶっきらぼうに言い放つバルレルが一歩、あたし達より前に進み出た―――ガラにもなく照れてるよこの悪魔。
思わず笑ってしまったら、ものすごい鋭さを帯びた三つの目に睨まれてしまった。 ごめんなさい。 もう言いません。
「―――ですが、悪魔は悪魔」
バルレルの視線の先には、表情の硬い天使がいる。
冷ややかに、静かに告げた天使はそこで、白い手に不似合いな細身の剣を抜き出した。
彼が言った言葉の意味を上手く理解できなかったが、天使が剣を構えて臨戦態勢を見せるそれには目玉が飛び出しそうになる。
イヤイヤイヤイヤ、何やっちゃってるの天使。
「その方達とどんな関係があるにせよ、<凶嵐の魔公子>としてその名を広めたお前がこの島に召喚されてしまった以上、この土地に踏み入る事は許せない。
―――忌まわしき悪魔、今すぐ立ち去りなさい」
バルレルを見る天使の瞳に、許容できない嫌悪にも似た感情が宿る。
金の髪の先までに滲む聖なる光は周りの結晶と呼応してよりその輝きを強め、青い瞳は強固な意志に塗り換わった―――対する<凶嵐の魔公使>は、そんな天使を面白いモノを見るように愉快そうに見やり。
「ッケ、テメエ程度の天使にああだこうだ許される覚えはねえが、売られた喧嘩は買ってやる」
ざわり、と空気が震えた。
長い爪の指をゴキッと軋ませて、腰から伸びる翼は限界にまでその黒を広げる。
「―――俺様がじきじきに相手をしてやるってんだ、イイ声で悲鳴をあげろよ」
口の端をニイと吊り上げて、形のよい唇を笑みに歪めた。
チンピラのごとくの凶悪さ笑みに思わずハサハを抱えて後ずさると、ふと、バルレルの赤い目がこれからの展開に巻き込まれまいと茂みにまで退がるあたし達に向けられて。
「…、こいつらに手ェ出すなよ。
まぁ、心優しい天使サマが女子供を襲うなんてことはないと思うがな」
「当たり前だ!」
侮辱されたと受け取ったのか、天使の表情がより歪んだ。
眩い光はより鋭さを帯びて、貫くような光を放つ天使の輝きに姿のない影たちは怯えるように、潮がひく現象のごとく一斉に去っていく…あまりの引き際の良さに、幽霊相手に追いすがりそうになった。
いやいやちょっと待ってー! こんなファイトな二人を置いて去っていかないでぇー!
「退け悪魔!」
「上等だオラァ!」
「ちょ、ちょちょちょちょっと待ちなさいよあんたたち…ヒーーーーーーーッッ!」
結晶が根を張る神秘的な空間に、怒号と地響きとあたしの悲鳴が満ちた。
離れていて正解だったと心底思ってしまうほど、強い力の衝突に揺さぶられてへたり込んでしまったあたしは、宿敵種族との対立に完全に我を忘れてしまっているそれを止めることもできず、唖然と見上げるしかなかった。
しかし大地を脅かすとんでもない轟音が連続で続くとなると、さすがに心穏やかでいることも適わず、ついには逆ギレるように叫んでしまう。
「ちょ、やめなさいってばー! バルレルが戦ったらこのあたり消滅しちゃうじゃない!」
数え切れない年月を生きたこの悪魔の実力は魔王クラスなのだ。
そんなとんでもない力の持ち主が、こんな小さな島で暴れん坊将軍モードになると、島ごと吹っ飛んでなくなってしまうんじゃないだろうか…いや、吹っ飛ぶわね。
何たって無数の屍人の大群に襲われても生還しちゃったんだから、その力の強さは半端じゃない。
「そっちの天使もやめてってば! 天使って争いごとは許せないんじゃないのー!?」
美形天使はまったく聞こえていないのか。
あたしの言葉をすっぱり無視して、鋭い剣をバルレルに向かって突き出している――イカン、ありゃ完全に頭に血が上っちゃってるわ。 本気でバルレルを相手にしようとしてる。
天使落ち着けェェェと叫ぶ言葉も見事にスルーされてしまったら、ほんとにどうにも出来ない。
「あーもうわかったわよ! 森の奥にはいかないから、戦いはやーめーなーさーい!」
やっけぱちで、さらに叫んだ妥協案。
しかし両者、聞く耳もたず、戦いはより激しくなるばかりだ。
……なんか、あたしが駄々っ子みたいな気分になってきたわ……。
ぜぇはぁと息を荒くしながら脱力するあたしの頭をハサハがよしよしと撫でてくるから、余計そう思う。
「どうしよハサハ…もう、バルレル放置でいっちゃおうか」
「…」
バルレルを置いていくことにハサハは少しだけ戸惑っているようだ。
けれど戦いの余波は、茂みに隠れたあたし達を脅かすように、荒れ狂う風をぶつけてくる。 ”このままここにいては危険だ”と判断して決断を下すと、あたしはぐっと立ち上がってハサハの手を掴み、そのまま森の奥へと進み始めた。
こんなところで死ねないわよ!
「…おねえちゃん…」
動くのは駄目だと言うように、ハサハがぎゅっと裾を掴んだ。
ふるふると首を横に振って、あたしを身を案じる無垢な瞳がじっと見つめてくる。
あまりの愛らしさに胸を締め付けるような感覚が込み上げてきて、悶絶しそうになる衝動をどうにか抑え―――ようとしたけどやっぱり無理だったので、本能のままにぎゅうっとハサハを抱きしめた。
あー、ものすごく癒されるなぁ。
「大丈夫よハサハ。 あの美形天使はバルレルが気に食わないだけっぽいし、あたしたちがいなくなったことに気がついたらバルレルだって慌てて追いかけてくるわよ」
まあ最近は放置プレイが多いのでまた放置されちゃうかもだけど。
「…でも…」
「っていうか、先を行ったあたし達に気がついた天使が慌てて追いかけてくるかもしれないし、どっちでも都合がいいわ。
なんにせよこのままあそこにいても巻き込まれて怪我するし、どっちかに追いかけてきてもらわないと島崩壊という最悪なパターンになっちゃいそう」
周りを見渡すと、折角の景色が台無しになるほど破壊されかけていた。
見事だった水晶は力の源というおかげか無事なものの、緑が覆う地面は抉れ、美しい外観はすっかり損なわれてしまっている。
あたしのものではないけれど、この景色を失ったことには正直、酷く損をした気分だ。
(でも、どういう意味なんだろ)
天使の言葉を反芻しながら、爆音を背に、あたしはさっさとその場を離れた。
ハサハがあたしの隣に並ぶようにぽてぽてと歩くそのペースに合わせての歩行でも、数分歩けば轟音が結構遠くなって、神秘的な森の、静かな空気にほっと安堵してしまう。
”この島に召喚されてしまった以上――”
天使の言葉に引っかかりを覚えるばかりだ。
もしかしてこの島、なかなか訳ありの島ということになるのだろうか…と、いうか、バルレルには及ばないもののあれだけの力を持った天使がこの島にいるということ自体が、何かあると思わせる。
まさかボランティアで来ているわけでもあるまい。
(でも…やっぱり、さっきの天使にもっと事情聞いたほうが良かったかな…)
バルレルに対しては非友好的だったけれど、あたし達が悪魔に利用されているんじゃないかって心配してくれいる風でもあったのだから、きっと、いい人ではあるんだろうなぁとは思う。
今はあれだけ熱くなっているから話すらも聞いてもらえなさそうだけど、落ち着いたら冷静に話し合えるのではないだろうか。
―――どうやら、トンデモ島に来てしまったようだ。
あの天使は詳しい事情を知っていそうな気がするけれど、さて、どうしたものか。
戻るべき?
「…―――、おねえちゃん」
「ん?」
ハサハが、腕にぎゅっとしがみついてきた。
思考に耽っていた意識を現実に引き戻して彼女を見下ろすと、警戒するように耳をぴんとたてて、水晶玉を抱きしめる小さな手にはいつもよりも力がこもっている―――ハサハの変化に異変を感じて、全神経を周囲に広げて気配を探ろうと顔を上げれば、ぎょっと目を瞠ってしまった。
(イヤアアアアアアアアーーーー何これーーー!!)
脳内に、大絶叫が木霊した。
―――周りは異界の木々に囲まれた、水晶が輝く薄暗い森。
考え事をしながら歩いてたから気がつかなかったけど、かなり奥まで進んでいたようだった。
気がつけば、あたしたちの目の前には澄んだ泉をたたえる湖畔が目の前に広がり、湖の中からも魔力を蓄える水晶が顔を出してその美しい輝きがそのまま水面に映しだされている。
しかしそんな幻想的な光景が目に入らないほどあたしを混乱に陥れるものが、その湖を囲う樹海に存在していた。
「ななななな、何、こいつら…」
言葉が喉に貼り付いてしまったかのような違和感を感じながら、それでもかすれた声で、どうにか言葉を出す。
――――凝視した先には、いくつもの、小さな光があたしたちを見つめていた。
それは目の役割を持っているのか、草木から覗き込んでいる不気味な輝きを持つ黒い影達はあたしたちに、じぃっと視線を向けたまま離さない。 蠢くように身体を揺らしながら、様子を見つつもあたし達に近寄ろうとしているのか、ゆらりと動いた黒いその手が植物に触れると青い緑はじわりと枯れて朽ちてしまった。
瞬時に生気を吸い取ってしまったかのようなそれに、先ほど天使が連れた幽霊とは違う異質さを感じた―――アレは、さっきの幽霊なんかとは違う。
(なんか、嫌だ)
悲しいのか苦しいのか憎いのかわからない、そんな感情がびりびりと神経に伝わる。
意志がないように見えるのに、あたし達を見る二つの目はあまりにも異質で、不気味だった。
あんなにぎらついているのに、真っ暗な穴を覗き込んでいるように引きずり込まれそう。
言いようもない恐怖に、冷や汗が、肌にぶわぁっと噴き出る感覚を自覚する。
「…ハサハ」
彼らが密集しているせか、酷く肌寒い。
それはバルレルから出てきたと指摘された瘴気よりもずっと冷ややかで、嫌な予感を胸に沸かせるものだった。
負けまい、と自分の身体を抱きしめながらそれらを睨めつけ、警戒しながらじりっと一歩後退する。
けれどハサハはあたしを守るようにその場を動かず、不気味に笑い声(あれを声と言ってもいいのか判断がつかないけど)をこぼすそれらを、震えながらも精一杯に見つめ返していた。
「ハサハ、だめ。 こっちに…」
逃げよう。
数で圧倒的に不利だと悟り、あたしはハサハの肩に手を置いた。
だけどハサハはビクともしなくて、その代わりに、あたしの動きを合図にするように影達がいっせいにあたし達へと―――あたしへと襲い掛かる。
「タマシイイイイイイイ!」
「強イ、魂ィィィ ヨコセェエエエ!」
喋れるのかと驚くと同時に、そんな予感はしていた。
過去の経験から、彼らが狙うのはあたしなんじゃないかって。
その予想もぴったり。 あまりの的中率のよさに思わず「ま た か − − !」
と叫ぶあたしの言葉は、無数の声に見事掻き消された――ノイズがかかったように、酷く濁った欲望の声があたしの鼓膜を叩きつけながら、黒い身体がゴムのようにぐわりと伸びて、それらはあたしたちを包み込んで喰らおうとするように迫る。
「ひ…!」
禍々しいものに、覆われてしまう恐怖。
きっと、これに飲み込まれたら青い空なんて二度と目にすることは出来ない――そんなことを彷彿とされるそれらに群がられ、叩きつけるように放たれる奥底の欲望めいた声にあたしの足が竦んで動けなくなった。
身体が、硬直してしまった。
―――逃げられない――! そう思うとなんとしてでもハサハの身体を突き飛ばそうとハサハの肩を強く押すも、ハサハはそれを全力で拒んで動かない。
「は、ハサハ!」
何してるの。
早く逃げて。
―――ああ、震えた声が情けない。
けれどどうしても、この影達の存在は受け入れがたかった。
受け入れるにはあまりにも禍々しくて、それなのにぽっかりと穴が空いたように空虚で、正直言って、不気味で気持ちが悪いのだ。 何が悲しいのか苦しいのか憎いのかも分からないほど溶け合ってしまった負の感情には、哀れみよりもただそれだけしか浮かばない。
「ハサハ…!」
目を背けることすら出来なくて、迫り来るそれを見上げたままハサハの手に力を込める。
…でもやっぱり、ハサハはあたしから離れない。 離れてくれない。
そのことに焦れてハサハの黒髪を見下ろせば、少女の身体は赤い光を帯び始めていることに気がついた。
「―――おねえちゃん、は」
迫る、黒い影。
さまざまな感情が、ドロドロに濁った感情が雨のように、あたし達へと降りかかる。
けれどあたしは、ハサハの身体を柔らかく包み込む赤い光に魅せられて、ハサハから目を離せない。
「ハサハ」
「―――おねえちゃんは、ハサハが、まもる―――…!」
強い意志の響きを持つ言霊が、可憐な少女の唇からこぼれた。
水晶玉と、ハサハの小さな体から迸る赤い光は瞬時に膨れ上がり、薄い膜があたしたちを包み込む。
唐突に出現した膜にぶち当たっては悲鳴をあげて弾かれる影たちだが、影の数は無尽蔵に溢れ出てくるように何度弾いても途切れない―――実際、結界で弾いているだけなので、倒しているということにはならないからそう思うのだろう。
「ハサハ…」
唖然と呟くあたしの目の前にいるハサハは、少女の姿ではなかった。
――美しい、女の姿だった。
力の放出で吹き荒れる風で長い黒髪と青い着物の袖を揺らし、黒髪から伸びる耳は少女の姿のものよりもほんの少しだけ長く、悪魔と同じく長い時間を生きていられる仙女のイメージが濃厚になる――それもそのはず、このときの彼女は<仙狐>と呼ばれる種族になっているのだとネスから聞いたこともあった。
妖艶に輝く赤い瞳は強い意志を持って、悲鳴をあげて弾かれる影達を見据えている。
しかし影たちは防護壁とも呼べる結界に怯まず攻撃的にぶつかって、結界が激しい音をたてて震える度に、美しいその顔も苦痛に歪むのを見るとあたしは慌ててハサハの傍らに駆け寄った。
「ハサハ! だめよ!」
ここはサプレスの領域でもあるのだろう。
さらには周りには、魔力を蓄える水晶がそこら中に点々と輝きを帯びて並んでいる。
彼らの正体が何にしても幽霊…いや、<亡霊>という存在であるなら、ここは彼らの力を十分に発揮出来るに違いない。
しかしハサハはそうはいかない。
彼女の魔力が強いものだったとしても、本領発揮した亡霊…しかもこれだけの数の攻撃を、長時間持ちこたえていられるはずがない。
ドシン、と結界が震えるたびに美しい横顔から血の気が引いていくように見えるのは、その衝撃が大きいということに他ならないのだ。
「ハサハ!」
「…っ」
限界を感じたのか、唇を強く噛み締めると、仙狐の力の質が変わった。
最後の抵抗といわんばかりに、護るための結界がその時初めて攻めへと転じ、守っていた結界が破裂寸前の風船を思わせるように膨れ上がると、覆い尽くそうとする影ごと勢いよく破裂した。
鼓膜を打ち付ける破裂音にたまらず、あたしの頭の中がぐわんと揺れた。
強い力に吹き飛ばされて、影の身体も散り散りに吹っ飛んではぼとぼとと地面に落ちていく。
そのまま消え去ってしまう影もいるというのに、それでもまだ湧き上がってくる亡霊たちを睨むハサハ―――の、身体が、がくりと膝をついて崩れ落ちる瞬間にあたしは悲鳴のような声をあげてしまった。
「ハサハ!」
「はぁ、はぁ、はぁ…」
息をするのも辛そうに、青い顔のままハサハは呼吸を繰り返す。
浮かぶ汗や血の気の失せた顔色にあたしの中で、何かが弾けた。
(…、よくも)
細い肩を抱き寄せながら、あたしはハサハをぎゅっと抱きしめた。
―――次いで、ゆらりと蠢く亡霊を睨む。
「あんたたち…」
自分のものじゃないみたいに、いつになく低い声が出た。
じりじりと焼け付くような怒りが胸を焦がし、あたしの中の恐怖を溶かしていくのがわかる。
――彼らが一体何者なのか。
そんなことはどうでもよくなっていた。
こんなことになるのならバルレルを連れていけばよかったと思うし、さっきの天使に詰め寄ってでもこの島の情報を聞き出していれば良かったとも思ったけど、ハサハがこんな状態になるまで何もしなかった自分が一番腹立った。
あたしは一体何を怖がっていたのだろう。
「――よくも、やってくれたわね」
低く呟く、あたしの声。
それが普段のものではないと自覚した。 じわりとにじみ出るように、言葉と声が異質なものを帯びている。
ハサハの肩を抱く力はわずかにこもり、服の下で肌という肌はざわりと粟立ち、あたしが一度呼吸をするたび、空気が震える気配を感じる。
―――込み上げてくるものは、今だに上手く使えないあたしの力だった。
こんなものがあるなんて思っていなかった。
最初はこれが怖くて、戸惑ってばかりだったけれど、これもまたあたしの一部なのだと受け入れれば誰かを守れる力に繋がる―――もっとも、不発が多くて使いこなせないのが一番の難点であるけれど。
(今なら、大丈夫)
奥底から込み上げるものに確信を持つ。
あたしの異変に気づいた亡霊たちが怯えるように後ずさるのを睨みつけながら、あたしの中で暴れる熱をどうにか支配してやろうと、意識をより鋭く研ぎ澄ませるため、深呼吸をしようと口を開く。
――そのとき、湖畔の水面がざばぁっと荒く波をたてた。
「…、へ?」
驚きに、あたしの集中力が見事途切れてしまった。
みるみるうちにしぼんでしまう力の熱に戸惑いながら、ハサハを抱きしめたままぽかんと湖畔の中心を見つめてしまう――それこそ、亡霊のことなんてとっくに意識の蚊帳の外となっていた。
――コォォォ…――
それの呼吸の音なのか、低く、くぐもった音が聞こえてくる。
影たちが湖から現れたそれに目をやった瞬間に、それは水面を滑るように白い飛沫をあげ、一瞬で岸へと迫った。
その手が握るのは巨大な剣。
切っ先が湖に触れただけでその水面は飛沫をあげて割れ、滑るように接近したそれが剣を振り上げてあたしたちの周りを囲う影達を一撃で薙ぎ払って地面を抉ると、それの背になびく赤い外套が大きく揺れ、剣は耳をつんざくような轟音を招いた。
「わっ…!」
バルレルと天使の戦いで起こった地響きと同じように激しい振動が起こる。
ぎゅうっとハサハを抱きしめながら感じるこの揺れに、その一撃は強力なのだという印象を与えてくる―――実際、強烈であり強力な一撃だっただろう。
亡霊たちの黒い身体はたった一撃で四体も引き裂かれ、悲鳴なのか鳴き声なのかも判断がつかない音をこぼして消滅していくことが何よりの証だ。
その、怒涛のような攻撃はそれだけでは止まらない。
巨大な身体は素早く動きを変えて次々と影達を屠(ほふ)っていく――戦い慣れをしたその動きを、あたしはやっぱり、ぽかんと眺めることしか出来なかった。
いやいや、だって、呆気にとられるのは仕方がないんじゃないでしょうか。
あたしは呆然としたまま、剣を振るうそれを観察した。
一つ動くたびに鮮やかな赤の外套が宙を踊って翻り、重いものとは思っていないかのように振り上げては払う巨大な剣。
それが握る手は手甲に包まれて大きく、その全身もまた銀色の鎧に包まれて、相当な威圧感を帯びていた。
―――甲冑の騎士。
彼が、あたし達を助けてくれている。
しかしあたしが注目したのは甲冑じゃなかった。
彼の間接。 そしてその足元である。
(か、間接がない…しかも、浮い、てる)
生き物も機械も動くためには欠かせない、間接部分。
甲冑の騎士にはそれがなく、間接部分には薄い緑色の光が灯っているだけで、繋がってはいなかった。 さらにその足元は常に宙に浮いている。 だからこそ湖から現れたときもその水面を滑るように渡ってここまでこれたんだけれども―――。
(あれも、亡霊ってことよね…)
そうこう考えている間にも、影の数は残りわずか。
無尽蔵に出てくるわけではないと知ってほっとしたけれど、最後の一体を切り伏せた甲冑の騎士は味方か敵かもわからないのだ。
あたしは、召喚獣に狙われやすい自分の特性を理解しているつもりだ。
だからこそ甲冑の騎士がこちらに振り向いて、目がどこにあるのかも分からないような顔を向けたとき、気を失ってしまっているハサハの身体を抱きしめて睨んでしまった。
「だ、誰…!」
「…」
答えはない。
ただ、コォォォ…と、呼気だけが聞こえてくる。(なんかどっかの暗黒の騎士っぽい)
「この島、なんなのよ! さっきの影もさっきの天使も訳わかんないし、バルレルもどっかいっちゃったしハサハも危ない目にあうし〜〜〜〜〜〜!!!」
答えのない甲冑の騎士。
でも敵意がないことは十分に伝わって、何だか泣けてきた。
風に揺れる赤い外套が滲む視界にも鮮やかで、こぼれる嗚咽を優しい静寂が受け止めてくれることに何よりも安心してしまう。
「バルレル、バルレル、早く来てよ…どこにいったのよぉ…」
置いていったのはあたしなのに、なんとも勝手な言葉ばかりが出てしまう。
でも今は無性に、ハサハの笑顔やバルレルの乱暴な口ぶりに会いたくてたまらなかった。
きっと彼らが持つそれは、今のあたしにとって何よりの精神安定剤なんだろう。
そこで、甲冑の騎士の気配が動いた。
それはあたしに近づくためのものではなく、逆に遠ざかるもので、赤い外套が茂みの向こうに消えてしまう―――そう思ったのもつかの間、騎士はすぐに戻ってきた。
赤い外套を揺らしながら、怖がらせないように緩やかな動きで、そっと、あたしの目の前で静止する。
「…?」
不思議そうに見上げると、くぐもった呼気が聞こえる。
間接のない腕がそっと差し出され、薄い紫色の花弁の花があたしの目の前に現れた。
嗅いだこともない甘い香りがするそれをぽかんと眺めたままになっていると、甲冑の騎士も微動だにしない。
あたしが受け取るまで動かないとでもいうように、優しい沈黙だけを保つ。
「……――、ありがとう…」
自然と、そんな言葉がこぼれた。
ハサハを抱いたまま、おそるおそる片手を伸ばしてそれを受けとる。
そのとき。
「―――アノ悪魔ハ」
甲冑の騎士が喋った。
喋った…! とぎょっと目を瞠ると、表情すらも伺えない不思議な輝きが目に入る。
「アノ悪魔ハ、オマエノ何ダ…」
「……あたしの、友達。 大切な仲間よ」
不思議な音を響かせる、声。
それに不思議と恐怖を感じなくて、思っていることの通りを口にした。
「あの天使はバルレルがあたしの魂を狙ってるって言ってたけど、そんなこと、一度もなかったよ。
あたしずっと、ずっとずっと助けてもらってたのよ」
「……」
「お願いよ。 この森から出て行くから、天使を止めて。
天使がバルレルを追い払おうとするから、バルレルも相手にしてやろうとか思っちゃうのよ……そりゃ悪魔は、天使にとっては敵で、悪魔も天使が邪魔だって思ってるかもしれないけど」
でも、バルレルは違うのよ。
あたしたちにとっては、彼らが語る悪魔とは違う。
――乱暴で口が悪くても、あたしたちを庇おうとしたあの背の広さは本物。
「…ん…ぅ」
「ハサハ」
少女の姿に戻ってしまったハサハが、小さく声をもらした。
それに泣きたくなるほど安堵しながらその顔を覗き込んで、少女の髪に頬を寄せて嗚咽をこらえる――ああ良かった――心の中で、何度もそれを繰り返した。
甲冑の騎士は、そんなあたしを見て呟く。
「…オマエハ…」
「…?」
「彼ラヲ獣トシテ見ズ、彼ラヲ大切ニシテクレル、人間ナノダナ…」
その声が鼓膜に柔らかく響いたそのとき、甲冑の騎士は立ち上がった。
赤い外套を翻し、緑の地面を滑るように進む。
「あ」
「ツイテ来イ…」
彼が向かうその方向は、バルレルと天使が戦っているであろう場所だ。
あたしはハサハを抱っこしたまま慌ててついていけば、高い場所から声が降る。
「―――コノ島ノ住民ニ、会ワセヨウ…」