「―――うそ、何で?!」
誰もがぎょっとして振り向くような、素っ頓狂な悲鳴。
自分の口からでてきたそれに一番驚いたのは自分自身だった。
慌てて両手で自分の口をおさえ、そっと周囲を見回してみる――月光が降り注ぐ薄暗い廊下のむこう、明るい光に満ちたリビングから仲間達の笑い声が響くのがきこえてきて「あぁよかった」と胸を撫で下ろした。
こんな時間にこんなところでゴソゴソしてるなんて不審者以外の何物でもないわ。
(…っじゃ、なくて!)
芸人ばりに鋭いツッコミを自分にいれたのち。
これでもかと言わんばかりに目をかっぴらき、あたしは戸棚に顔を突っ込んだ。
背の低い棚の中にはこまごまとした小物や書物が多数収納されていて(<リィンバウム三ツ星デザート百選ガイド>というタイトルは見なかったことにしよう…)、それらを掻き分けるように中を探って目的の物を探すけれど、求めているものは見当たらない。
いやいやいやいや、そんなバカな。
ないない、そんなはずない…って、あれ、ま、マジで…? コレは現実?――その事実に呆然としておもわず、呆けたような呟きがおちる。
「………な、なんでなの……?」
たしかに、ここに隠して置いたはずなの、に。
おもわず腰を抜かすようにへたりと座り込み、あたしは頭を抱えた。
(お、思い出せ、脳みそしぼってでも思い出すのよあたし!!)
――脳裏に浮かぶのは、淡いブルーの包装紙に包まれた小さな箱。
記憶のなかのあたしはニヨニヨしながら確かにそれを手に、周囲の様子をうかがいながら戸棚にこっそり隠している。 ぐるぐると目を回しそうなくらいに何度も何度もその光景を思い返して、”別の場所に移したっけ”と可能性を探るけれど、そんな覚えはまったくなかった。
と、いうか、ニヤけた自分の顔までこんなリアルに浮かぶんだから記憶違いのはずがない。
(…と、なると…)
持ってかれた。
これは確実に持ってかれたァァァァァッ!!
(ちょっと考えれば分かることなのに…あたしの、あたしのバカァァーッ!)
自分のうかつさを責めて、なじって、後悔してももう遅い。
ジラール邸の住人はあたしを含めて十数人との大所帯なのだ。
人の目が多いぶん、何かをどこに隠してもどうしても目にとまりやすい。 しかもこのジラール邸に住まう仲間たちは一般市民どころかただものではなくて…小さな箱からは芳ばしい匂いがしていれば見つけられる可能性も高いというもの。
(ゆ、ユエルかなぁ…それとも他の人とか…)
動物と同じ鼻をもった、オルフル族のユエルの嗅覚なら有り得そうだ。
でも、他の人が持っていった可能性も高いから困った。
ギブソンの<お菓子の直感>とか、レシィとアメルの<スミからスミまでお掃除能力>とかバルレルの<つまみ探知能力>とか…それらの人々のスキルなんて半端ない。
何を以ってしてそんなハイレベルに特化してしまったのか聞きたいくらいにすごいのだ。 好きな物だからこそ成せる技なのか……でもでも、だから、だからこそ!
(こんな棚に隠しても確実に持ってかれるって分かってるのに…!)
分かってたのにぃぃぃッあたしのツメが甘かったぁぁー!
ナメてた! 正直ナメてたよ彼らの第六感(シックスセンス)を! ハイレベル過ぎる!
「――ッ、こうしちゃいられない…!」
後悔のあまり身もだえそうになりながら我に返って、時計を見た。
静かに時を刻む壁掛けの時計は夜も更けようとしているリィンバウムの時刻を示している。
……果たして、今から出かけても間に合うだろうか。 飲食店や繁華街ならまだ宵の口なんだろうけれど、ゼラムで人気のお菓子屋さんはもう、営業終了してしまっているんじゃないだろうか。
「……うう、もう間に合わないかなぁ…!」
外はまだ肌寒いからコートを取りに戻って、慌てて玄関口へと向かう。
こんな時間に黙って外出なんてしようものならネスにしこたま説教されるんだろうけど、一言告げてから行くなら行くで、渋い顔して止められるのは目に見えた。 でもね、心配してくれるみんなには悪いけど、どうせ渋い顔されるなら目的を果たしてから渋い顔されたほうがいいのよ…!
(すぐ戻ってくるから! ごめんね!)
心の中で謝り倒して、コートの前を留めながら玄関のドアノブに手をのばす。
そのとき不意に、ドアの装飾ガラスの向こうに人影が映りこんだのが見えた。 まさか誰かと鉢合わせするなんて思いもよらず、突然のそれに「わっ」と驚きに声をあげると同時にドアが開いて、寒さに白い息をこぼすシャムロックがひょっこり現れた。
うわぁぁぁぁッでたぁぁぁぁっ!
予想外の人物の登場に、本日二回目の素っ頓狂な声をあげてしまう。
「しゃ、シャムロック?!」
「? こんな時間にどうして…?」
「いやそのあの、こ、これには深いワケが…!」
うそウソうそウソ、なんでよりによってこのタイミングに!
ごまかしようがないほど外へ出る装いでワタワタと慌てるあたしの姿を、買い物袋を抱えたシャムロックの鳶色の瞳が不思議そうに見つめてくる――なんで買い物袋を抱えてるんだろう――と現実逃避のような感想を持つも、そういえば夕食時にどこかに出かけるとか言っていたようなそうでないような。
いや、言ってたわ。 だってあたし、できれば今日中に帰ってきてくれますようにって心の中で超念じたから。 意外と通じるもんだ。
「護衛獣もつけずにこんな時間に出歩くのはやめておいたほうがいい、危ないよ」
「で、でも…っ」
やさしく諭すような声に、自分の空回りぶりがなんだか恥ずかしくなってきた。
あたしが何を言ってもこの人は、怒らないだろう。
ただ、あたしのことを案じてくれているのが確かに伝わって、そのやさしさから逃れるように思わず俯いてしまうと――、とやっぱりやさしい声で呼ばれた。
「ぅ…えっと、」
「?」
「……どうしても、その、今日中に、必要なものが…」
「必要な物?」
準備してたんだけど、なくなっちゃったから。
小さい声でぼそぼそと言いよどむあたしにシャムロックは頷くと、「よかったら、何が必要か教えてもらってもいいかい? 力になれるかも」と聞いてくれて、思わずぐっと息が詰まった。
(こ、これ、本人に聞かれると複雑かも…)
でも、黙ったままでは彼に悪い気がして。
あたしは何度か深呼吸を繰り返して――まるで、告白するみたいな勇気を持って言い切った。
「…………、チョコレート」
あたしの答えが意外だったのか、シャムロックの目が丸くなった。
そりゃそうだ。 こんな時間に出かけようとしてまで必要なものがチョコレートだなんて。 逆にどれほど甘味に餓えているんだと誤解を招きそうだ…いやいやでもね、そんなときもあるよ。
どうしようもなく甘い物を欲するときなんてあるよ! 今まさにあたしはチョコレートという甘味を必要としているよ! 自分用じゃないけど!
「どうしてもチョコレートが必要なの。 すぐ戻ってくるから、こっそり行かせてほしいんだけど…」
ねだるようにしてシャムロックをちらりと見上げると、「最近、この辺りで強盗が多発しているから出歩かないほうが…」と困り顔でシャムロックがとんでもないことを言い出した。
ちょ、強盗ってなにそれ。 ゼラムは大丈夫なの。 てか、今から出かけるあたしかなり危ないんじゃないの。
「ご、ごめん。 そんなに脅かすつもりではなかったんだが」
「十分怖いよ…そんなの言われたら出られないじゃんかー!」
「でも、本当の話なんだ。 明日の朝ではだめなのかい?」
「そ、それは」
彼の言うことは正論だけど、だからって明日じゃ意味がない。
今日、渡すことに意味がある―――何よりあたしに、意味があるのだ。
(だって、今日は)
バレンタインデー、だ。
リィンバウムにこの行事はないけれど、あたしの中には確かにあって。
今まさに、ほんともう時間ギリギリだけど、自分の好きなひとのために挑もうとしているわけで。
「〜〜〜シャムロック、ごめん! やっぱり行くわ!!」
これから起こることが脳裏に過ぎる。
あたしだけが知る未来。 けれど、どこかズレはじめた物語。
メルギトスとの戦いが厳しくなるといよいよ何が起こるかわからないから、だから今のうちに――シャムロックのことが好きになった自分を忘れないために、どんなささやかなことでもいいから自分の中に残しておきたかった。
自己満足とわかってても、こうした日常の思い出が何より尊いのだと色んな人に教わったから。
「それじゃ、行ってきま――」
「――あ、、少し待ってくれ」
走り抜けて行こうとしたあたしの腕を、シャムロックが難なく掴んで引き止めた。
騎士さま! 空気読んで! と思わず恨めしそうな目を向けてもシャムロックはあたしを見ちゃいない。 買い物袋に手を突っ込んで何かを探している。
「シャムロック早くしてっ。 こうしている間にも今日が終わっちゃうぅぅぅっ」
「あと少し待ってくれ。 ひとまず落ち着いて…」
「無理、待てない、落ち着けない! あたしはどうしても今すぐチョコレートが―――むぐっ」
半ば呆れたような、苦笑いのシャムロックに黙らされてしまった。
一瞬、何が起きたのか分からなくなって思考が停止する。
その間にもじんわりと広がって染み渡るのは、甘い味。
これは、まさに、あたしが求めてやまないもの――ビターチョコレートではないか?
「……おいしい」
「それは良かった。 ギブソンさんがよく行く店の近くを通るついでに頼まれたんだ、やっぱりあのひとの見立てに狂いはないみたいだね」
もぐもぐとチョコを味わうあたしの姿をみて、シャムロックの口元が笑みに綻ぶ。
(あ)
(この顔、すきだなぁ)
笑顔にほんわり和んでしまって、先ほどまでの勢いはしぼんでしまった。
そのことに気がついて我に返ったときには今日という1日は終了してしまって、ものすごく、ものすっごくガッカリしたんだけれど。
(まあ、いいか)
結果的にシャムロックから、チョコレートもらえたし。
これはこれでアリなのかも…チョコを食べながら思わずニヤけてしまうのは、来月のホワイトデーをどんな風にしようかと考えたから。 あ、テンション上がってきた!
「ありがとうシャムロック。 すごく美味しかったわ。
――お礼に一ヵ月後、とびっきりのチョコレートをあげるから楽しみにしてて?」
「(一ヵ月後…?) ああ、楽しみにしてるよ」
結局は、その笑顔と甘い味に全部吹っ飛んでしまったっていうお話。