「ルヴァイド、よかったらチョコレート食べない?」
部屋に戻るところを呼び止められ、ルヴァイドは呼び止めた声の主へと振り返る。
笑顔で駆け寄ってくるの姿を目にとめたそのとき、ふわんと芳ばしい甘い香りがした。
それが彼女が持つ小さな皿にのったチョコレートからだと知ってルヴァイドが不思議そうな目で彼女を見ると、甘い匂いをともなって現れたはいつものようににこりと笑いかけた。
「チョコレート?」
「そ! …あ、えっと、お腹いっぱいならいいんだけど…」
途端に何やら言いづらそうに口ごもるその様子に、ルヴァイドはしばし沈黙する。
――かつては敵だった自分たちがマグナの仲間になってまだそれほど日は経っていないが、アメルとレシィがふるまう食事のあと必ずささやかなデザートというものが出るものだと理解できた。
今日もそれは変わらず、ついさきほども仲間たちはみな残さず食事を終えたばかりである。 …と、いうことはこれはさらに追加のデザートということなのだろうか。
ルヴァイドはのチョコレートをじっと見つめた。
皿にあるチョコレートは少し形が歪で、大きさはまちまち。
材料のチョコを溶かしたものをハートの形に冷やして固めココアパウダーをまぶしてあるそれは、もしかしなくとも――の手作りなのだろうか。 つい、食い入るように見つめる彼の姿にチョコを警戒しているとでも思ったのか慌てたように訴えてくる。
「ど、毒なんか入ってないよ!」
「そういうつもりで見ていたのではないのだが…」
の慌てぶりが少々可笑しくて、ルヴァイドはやわらかく口元を緩めた。
出会った当初ならともかく今ではイオスとゼルフィルドと同じくらいに信頼している彼女がルヴァイドに毒を盛るなど考えたこともない。 むしろ、感動さえしていたのだ。
想い人に手作りの物を贈られて喜ばない男などこの世にいない。
(が絡むと、恐れられた黒騎士もただの男だな…)
そのことが少し気恥ずかしいような、そうでないような。
別の意味で緩んでしまう口元を手で覆い、つい視線をそらしてしまった屈強な騎士の様子に少女は首をかしげるばかりであったが、不意にその表情が曇り、よくとおる彼女の声が少しばかり小さくなる。
「ルヴァイド甘いもの好きじゃなかったかな…」
「いや、ありがたくいただく。 もらっていいか」
「!! ど、どーぞ!」
そういえば彼女が作るお菓子は初めて食べるな、とそんなことを考えながら、必死の形相で差し出された一口サイズのトリュフを口にいれる。
とたんにラム酒の香りとまろやかな甘さがルヴァイドの口内で広がり、すぐに溶けて消えてしまった。 甘すぎないチョコレートを選んでくれたのか、甘い物をあまり食べることのないルヴァイド(そもそも手作りの菓子など、子供の頃に食べた記憶だけだ)でも重たくない。
チョコレート、という懐かしさを感じるほどの独特の甘みがじわりと体にしみるようだ。
素直に「美味い」とルヴァイドが呟くと、は皿の持っていないほうの空いた手で「ヨッシャ!」と力強いガッツポーズをした。
彼女のこういった飾らず勇ましいところはまこと好ましいのだが、普段のものと気合いの入れ方が違うのか、つい、びくっと驚いてしまった。
「あ、これはどうもお見苦しいものを…でも…ふふっ、これで無事に目的達成だわ」
「目的?」
「うん、すごーく大切なこと。 ルヴァイドが食べてくれて良かった〜」
しかしその<大切なこと>の内容を明かすつもりはないらしい。
今度は自分でチョコレートをつまんで味わい、「まあまあね」と言いながらとてもうれしそうに笑みをこぼす姿に、胸の奥が締めつけられるようにうずいた。
――がルヴァイドのすぐ傍にいる。
敵ではなく、仲間として。 もうあのときのように記憶の中だけの笑顔を思い浮かべなくとも、彼女はいつだってルヴァイドに笑いかけてくれる。
くるくると変わるいろんな表情を見せてくれる。
それがルヴァイドにとってどれほどの喜びなのか、彼女は知らない――だが、それでいいのだ。
あたたかな平穏の象徴である彼女に出会い、ルヴァイドがもうひとつの生き方を見つけられたのは確かなのだから。
(…まったく。 たまらないな)
愛しさが募るというのもなかなか苦しいものだ。
苦しい、がそれを手放すこともできない。 ”難しいな”と内心で苦笑しつつ、チョコレートを口の中で転がして笑う彼女にわずかでも触れたくて、ルヴァイドが指先をのばそうとする、と。
「! あ、だ、ダメ!」
途端にはびくりと肩をはねさせ、ルヴァイドを避けるように素早く身を引いた。
「………」
「………」
――微妙な沈黙が、ジラール邸の通路で向かい合う二人のあいだに降り注ぐ。
しかも、距離をおかれただけでなくは彼女のストレートな拒み方に、ルヴァイドの周囲の温度が一気に5度ほど下がったように冷ややかになった。 それを肌で感じたのかはハッと表情を強張らせ、薄ら寒くなったこの場をどうにかごまかすように引きつった笑いをこぼしたが、場が温まるどころかまったく和みもしなかった。
「あ、アハハ……えーと、い、今のはその〜」
「……何故いけない。俺の想いは伝えてあるはずだが」
「だ、だから、あの、時期的にちょっと早いっていうか」
「…またそれか」
実は、の仲間になったその次の日の夜にルヴァイドは彼女に自分の想いを伝えていた。
そのときは当然、驚いていた。
まるい頬をぱっと染めながらも「え?! えぇ??!」とその場で飛び上がらんばかりに。
その反応になんとなく手ごたえがあったようにも感じたが、はすぐに何かを考え込むように俯き、しばらく黙考したのちやがて唇をかみしめるように顔をゆがませて、告げた。
――時期的に早い、と。
それはどういう意味なのか。何度問うてもからは決して答えを聞くことはできなかった。
彼女は、ルヴァイドがどんなにその理由を知りたくともただ「ごめんなさい」と首を降るだけでその唇は語らない。
ルヴァイドが嫌なら、男として見られないならそう告げてくれればそれで良かった。
そうすればルヴァイドも多少は諦めもついたというのに……だが、”そうではないのだ”と彼女は悲痛な表情で、か細い声でそう語るのだ。
ルヴァイドの知り得ないところで。 ルヴァイドの想いを受け入れられない何かが彼女にあるのだろうか――時期が来さえすれば、彼女は受け入れてくれるのだろうか。
その後しばらくは眠るたびそんな考えが頭を埋め尽くす夜もあったが、結局答えは見つけられなかった。
だから、こそ。
いまのルヴァイドができることといえば、彼女に心を許してもらえるまで、この想いを、行動と言葉で伝えるしかないのだ。
「俺にはお前の考えていることが分からん。 …だからこうして、口説いているわけだが」
「うわわわわっ、ちょ、近い近い近い…!」
いつのまにか壁際に追いやられていたの顔の横に手をつき、仲間たちのところへ逃げられないようルヴァイドの腕の中に囲いこむ。
屈強な体格をもつルヴァイドから普通の少女の体格であるが逃れられる訳もなく、それが分かっているからこそルヴァイドはあれからたびたびを腕の中に閉じ込め、しずかに彼女を追いつめていた。
獣が、獲物を追いつめるように。
だがルヴァイドの場合――捕食ではなく、ただただ想いを注ぐのみ。
「…誰よりも愛しているのだ」
どこまでも飛べる、その自由さを。
愛する者たちへの、温かさを。
命がけで救ってくれた、危うい優しさを。
命じられるまま奪ってきた自分の愚かさを知らしめた、悲しい殺意でさえも。
「お前にも俺を愛してほしい」
長く艶やかな赤い髪がさらりと揺れる動きに、はびくりと肩をすくませる。
端整な相貌の男に切なげに見つめられ、それが自分のよく知る友であろうと頬を染めずにはいられないのか、慌てて俯いた彼女の耳や首は燃えるように赤くなっていた。
それが余計にルヴァイドを煽るなど思いもしないで。
…だがそれほどまで、自分はにそんな顔をさせてしまうような目で彼女を見ていたのだろうか。
むしろ自覚があるほどこんなにも恋甘く優しい目で誰かを見つめることができたのかと、ルヴァイド自身も驚いていた。
の心を得られるならどんな想いも言葉も、すべて隠さず使ってみせよう。
それは故郷がとうに死んでいたと知らされたあの戦場で――絶望の暗闇に沈む意識の中で、彼女に何も伝えられずこのまま死ぬのかと後悔したあのときがあったからこそ生まれた、渇望だ。
こうして生き長らえたからこそ躊躇いもなく想いを伝えられたのだ……それが変にこじれて今の状況を招いているが、あえて目を瞑るとしておく。
「――俺ではだめか?」
「っ、あ…ぅ」
が羞恥に唇をふるわせて言葉が出せないでいても、ルヴァイドは構わなかった。
明確な想いでもなくとも。 言葉でなくてもいい。
大切なものをたくさん持っている彼女の心にルヴァイドを想う心があるのだと見せてくれるのなら、なんだって。
しかしは、声を震わせて首を横に振る。
「だめ――やっぱり、まだ」
「………、」
「だって、これ以上変わってしまったら、何が起こるかわからなくて、怖い…」
怖い、とまた泣きそうな顔で呟いて。
鬱血しそうなほどぎゅっと唇を噛み締め、哀れなまでに肩を震わせるの心を苦しめるものをルヴァイドが取り除いてやることはできないのだろうか――それができないから、彼女はひとりで耐えているのか。
何も言わず、ルヴァイドからの愛にただ首を横に振って<何かが変わってしまう>ことを避けようとしている。
自分は彼女のためならいくらでも体を張れるのに。 剣をふるうのに。 そんなものはひとつも役に立たないことが、ただ歯痒い。
「――わかった。 …なら、いつなら? メルギトスを倒してからか」
そうすれば、お前の心は安らぐのか。
そうすれば、わずかでも俺の想いは受け入れてもらえるのか。
口にしかけた疑問を言葉に出さず、ルヴァイドはの背をいたわるように撫でながら静かに問うと、彼の優しさにほっと肩の力を抜いた少女はコク、と小さく頷いて。
「………その、」
「?」
「……メルギトスを倒す、その前の夜、なら…いいよ」
――倒す、前? それだと何が違うのだ?
そんな困惑がルヴァイドの表情に浮かんでいたらしい。
だがはそうだと答えるように頷いて――また、赤くなった。 自分でも変なことを言っていることを自覚しているらしい。 あたふたと慌てふためき、自分の中で収拾がつかなくなったことを悟ったのか「とにかく!」とチョコレートの乗った皿をルヴァイドにもう一度差し出した。
「……今はまだ、ちゃんと応えてあげられないげど……でも、これはあたしの気持ちだから…」
「チョコレート?」
「今日このチョコをあげたのはルヴァイドだけで…その意味は…えっと、ハヤトやナツミたちに聞いてくれたら分かるから………その、……も、もう行くから! また明日ねルヴァイド!」
皿を受け取った男の胸をぐいぐいぐいと押されたので仕方なく解放してやると、はそのまま小走りで仲間たちでにぎわうリビングに戻ってしまった。
――サイジェントにいるハヤトたちがマグナと共にメルギトス討伐の作戦をたてるため、数日後にジラール邸を訪れるという話は知っている、のだが。 チョコレートの意味をハヤトに聞けとは、いったいどういうことだろう。
「…今、考えても仕方がないな」
消えていったの後姿を見送り、残されたルヴァイドはチョコレートの皿に視線を落とす。
これに意味などあったのか。 と思うと同時に、”意味がある”ということへの淡い期待のようなものがゆるやかに彼の胸を覆ってゆき、それは、普段あまり揺れることのない心をざわめかせた。
欲しい言葉も、返事もくれはしなかったが。
それに等しい確かなものを、彼女がくれたのはわかった。
ならば、自分はその通りに従おう。
――全てを終わらせる決戦前、彼女を迎えにいくとしよう。
(さすがにその時は、いつものように部屋に帰せる自信はないがな)
あまやかなそれをまたひとつ、秘かな企みと彼女への想いと共に飲み込んだ。