ふと、とても温かなぬくもりが触れて、あたしの意識はふわりと浮上した。
まだ眠気を訴える重い瞼を無理矢理持ち上げて目覚めてみれば、紫がかった赤色がぼやけた視界の中で鮮やかに映る。
それは、とても綺麗な、赤色だ。
何の混じり気もない赤ではないがそれでも、赤にほんの少しだけ紫を落としたその色はあたしにとって、とても綺麗な色でもあった。
それは彼の髪の色と同じだからで―――ああ、これは彼の髪色だ。
「……ル、ヴァイド…?」
寝ぼけたようにその名を呟くあたしに、あたしが眠るベッドの脇に腰を下ろしていた彼は髪と同色の瞳を向けてくると、剣を握り、振り下ろす手で頬にかかる髪を耳の後ろに避けてくれた。
髪先が首筋をくすぐって思わず目を細めれば、ルヴァイドの切れ長の目もまた優しく細められて。
「すまぬ、…起こしてしまったか」
「ん…、だいじょうぶ。 ………って、ルヴァイドぉッ!?」
眠気があっという間にぶっ飛んだ。
がばぁっと身体を跳ね起こしてベッドサイドにある時計を引き寄せて針を見る。 まだ夜明け前だ。
カーテンに映る薄明るい光が柔らかく室内を照らし、鳥のさえずりに朝特有の静かな空気が充分に伝わってきて、こんなにも早い時間帯の中でここにいるルヴァイドを思わず、不思議そうに見上げてしまった。
「え、ちょ、ユメ? だって、手紙には帰るにはもう一年と半年くらいかかるって言ってたのに」
「ああ…少し用事ができて、早めに切り上げてきた」
混乱するばかりのあたしに、ルヴァイドがやわらかく微笑んだ。
飛び起きたあたしをゆっくりベッドに押し倒しながら覆いかぶさるように大きく身を乗り出し、呆気にとられたあたしの前髪を掻き上げ、露になった額に唇を滑らせる。
久しぶりに触れてくる、柔らかな唇の感触に眠気は全て掻き消えて、驚いて声をあげそうになって……どうにか、それを堪えた。 意地で堪えた。 よくやったあたし。
(は、恥ずかしいんだよね…!)
純情さなどどこかに丸ごと落としてきたはずなのだが(あ、これは少し痛々しい…!)、ルヴァイドに触れられるととてつもなく恥ずかしくなってくる。
ルヴァイドも、そんなあたしを面白がって余計にからかってくるのだからそれがやけに悔しくてたまらない……いやでも、こんな美人にあんなことされたら老若男女叫ぶと思うのよ…!
最終兵器ルヴァイド。(違う)
(…ああでも、ルヴァイドだ…)
ずっと、会いたいと思っていた人。
それを理解すると、ようやく胸の奥底から嬉しさがあふれてきて、あたしを見下ろす彼の頬へと手を伸ばした。
「―――おかえり」
「ああ、…今、帰った」
いとおしむように頬を何度も撫でてやれば、ルヴァイドはくすぐったそうに目を細めた。
安らいだ表情がやっぱり嬉しい。
頬から彼の長い髪を撫で、また頬に戻り、最後は唇を撫ぜると、ルヴァイドはあたしの撫でる指先に小さく、口づけて。
「帰ってきたばかりだというのに煽っているのか?」
「え!? ち、ちが…!」
「いや、何でもいい。 ……逢いたかった」
慌てるあたしに構わずにルヴァイドがあたしの背に腕を回して、上半身を起こすように引き寄せて抱き締めてきた。
いつになく強く。 強い、抱擁。
いまだに夢を見ているのではないかと思ったけれど、ぬくもりがそれを夢じゃないと否定をしてくれて、堪らなくなったようにあたしも広い背にしがみついた。
「おかえり、おかえりルヴァイド…半年ぶり。 あたしも逢いたかったよ」
「ゼラムでの生活は慣れたか?」
「うん、お金の計算も間違わなくなったし、文字も綺麗に書くことも出来るようになったし、色々と覚えたし、仕事にも慣れて…大丈夫よ」
「そうか。 …上手くやれているようで、安心した」
―――悪魔王・メルギトスが滅びてから、季節は一通り三回、巡っていった。
その間にも多くの人が動いて、多くの出来事があった。
まず半年前に、聖王国で催された武闘大会にシャムロックが優勝し、その褒美として彼の望みは王族の人間に受け入れられた。
シャムロックの望み。
それは<出生に関わることなく、誰もが騎士を目指せるようになる騎士団を創立すること>。
シャムロックらしいなぁとそのときは目を細めて聞いていたけれど、ルヴァイドとイオスもまた彼らを手伝うことになったという事実には驚いた。 騎士団を創り上げていきながら、メルギトスの姦計によって滅びてしまったデグレアとトライドラを一つの国に再建させることもまた、彼らのやるべきことに含まれていたからだ。
(…まさか、二年もルヴァイドと離れることになるなんて思ってもなかったけど)
国の再建、復旧。
そんな大きな仕事を任された彼についていっても、あたしに出来ることなんて何もない。 本当に、何も。
だから、あたしはゼラムで新しい生活を見つけてジラール邸とは別の場所で一人、暮らすようになった。
デグレアとゼラムの間はかなりの距離があって、さらには凶暴な<はぐれ>もうろついているのだからそう簡単に行ける距離ではない。
だからあたしに残されていた選択肢はこれしかなかった。
―――ゼラムで、ルヴァイドを待つのだと。
ルヴァイドのぬくもりにほっと安堵しながらも、ぽつりと、彼に一つ問う。
国としてのある程度の土台が出来るまでには、きっともっと時間がかかるのだろうに、あまりにも早く帰ってきたルヴァイド。
きっとこれは一時的な帰還。
「…ね、すぐにデグレアに戻るの?」
「ああ」
「…そっか」
淡い期待を打ち砕かれて、寂しさが、胸を過ぎていった。
どこか諦めたように返事を返すと、抱き締める腕の力が強まって…ああ、おんなじ気持ちになってくれているのかなと、また少しだけ安堵する。
「また、手紙送るね」
「……」
「身体にも気をつけてね。ルヴァイドはすぐにご飯とか忘れるんだから、注意してくれるイオスの言葉にも耳を傾けてよ?」
手紙の文字を綴る度、ここにはいないんだなぁと、とても寂しい気持ちになる。
誰かが傍にいないことが、こんなにも寂しいものだなんてと改めて思い知らされる。
「…手紙、たくさん書くわ」
お元気ですか。
半年が過ぎましたが、復旧作業は進んでいますか。
お休みはちゃんととっていますか。
今度はいつ、逢えますか?
貴方に、逢いたいです。 ルヴァイド
「―――そのこと、なのだが」
「…?」
言い淀むように言葉を紡ぐルヴァイドから身を離して、不思議そうに見上げれば、彼はずいぶん、戸惑ったような表情を浮かべていた。
滅多に見られないその顔色にあたしの血の気はさぁっと引いて、ルヴァイドの肩をがしっと掴んで身を乗り出した。
「ちょ、まさか、もっと延びるって言うんじゃないでしょーね!?」
「い、いや、違う。 そうではない」
「…じゃあなに? そんな顔するんだから、よほどのことでしょう?」
なだめられて、どうにか落ち着きを取り戻すとルヴァイドは苦笑し。
「復旧作業もどうにか進んで、まだ、金策や土地のことにも色々と話し合うべきことは多いのだが…取り合えず、人が住まなければ国にはならんだろう」
「あ、うん、そうね。 無人の国ってのもどうかと思うし」
「そこで俺は聖王から、国外から協力者を探せと命じられたのだ」
・…………。
「ってことは…今度は手紙すらも届かない異国にいくってこと…?」
「ま、待て、最後まで話を聞け…そこで、提案がある」
背後に瘴気にも似たドス黒いオーラを放ちながら詰め寄るあたしに、黒騎士様はかなりうろたえながらもなだめてきた。(珍しく本気で焦ってるわね)
それから、意を決したようにあたしをぐいと抱き寄せて、強く強く抱き締めて…耳元で、そっと問いかける。
「お前も…共に来ないか」
「へ?」
「今の生活に慣れるまでは、本当に、大変だったと思う…お前は元々からこの世界の人間ではないから、覚えることも膨大で、常識も違うだろう」
「あ、うん、なかなか苦労したわ〜」
泣いた事もあったけれど、それは秘密だ。
「異国を巡るとなると、二年では戻れなくなる可能性がある。 聖王が指定した国はいくつもあり、交渉にも時間がかかるからな」
(恨むわよ聖王…)
「…そのまま逢えなくなるという可能性も、大きい」
それにビクと身体を震わせれば、その反応にさらに、腕の力がこもった。
彼は「俺もそうはなりたくはない」と耳元で囁いて、しばらく間を空けてから再び、提案の言葉を紡いでいく。
「お前に、傍にいてほしい」
「…ルヴァイド」
「だが無理にとは言わない…危険なことには変わりはない。 選ぶのはお前だ」
静かな声なのに、肩がわずかに震えている。
――彼は覚悟を決めて、あたしの元へ来たのだろうか。
それともまだ迷いながら、あたしの寝顔を見ていたのだろうか。 分からない。 でも。
(…ルヴァイドは、選ばせてくれる)
あたしに出来ることなんて、ないかもしれない。
それこそ足手まといになったり、いらないトラブルを引き起こす可能性だって充分にある。
ああ、けれど。
「貴方に、逢いたいです」と言わなくてすむようになるのなら
「―――危険なことには慣れてるわ」
「…?」
「散々悪魔に追われたもの、あれに比べれば多少の危険は可愛いもんよ?」
にっこりと笑ってから、ルヴァイドの胸に頬を寄せた。
服越しからでも伝わる固い感触は、彼が戦う人間なのだという証だ。 その下にはいくつもの傷跡が残っていることも知っている…彼はこれからも、剣をふるって生きていくのだろうけれど。
その隣にあたしが立てるかは、自分次第ということで。
「一緒にいくわ」
「…いいのか」
「うん、迷惑がかかるだろうし、足手まといにもなるかもだけど…でも本当に頑張るから」
傍にいさせて
胸に頬を寄せてそう呟けば、ルヴァイドは堪らなくなったよう顔を歪めた。
力の強さ。 睫毛の震え。 噛み締めた唇――ルヴァイドのいろんな感情が、寄り添う体から伝わる。
「――」
囁いて呼ぶ声に、体の奥が熱を帯びる。
互いにすがるように抱きしめて、熱を分け合う。 唇から、絡み合う舌から。
久しぶりのルヴァイドのぬくもりに我慢が出来なくなれば、思考することを放棄して彼を求めた。 それはルヴァイドも同じだった。 あたしの身体を押し倒すようにベッドに倒れこんで、何も言うなといわんばかりにあたしの唇を塞ぎ、急くように衣服を脱ぎ捨てていく。
ギシ、と軋むベッドの鳴き声が、明るい朝を迎え始めた部屋の中で大きく響いて消えていった。
「ぁ、っ…」
胸のボタンがすこし乱暴に外されて、悦びに息がもれた。
それにルヴァイドが小さく笑い、あたしの肌を甘く吸う。 寝起きの肌は温かく、やわらかくて甘いのだと言った彼の言葉が脳裏を過ぎて、なんだか無性に恥ずかしくなってきた。
「あ…の、ルヴァイド」
「待てぬ」
恥じらいすらも一蹴され、観念したあたしはとうとう、そっと瞼を伏せた。
ぬくもりが全てを包み込むように身体へとしみこみ、それに翻弄されながら、ルヴァイドへの想いを喘ぎにして謳う。
「貴方に、逢いたいです」
それはもう、当分は必要のない言葉