「―――っぁ…ッ」
傷だらけの大きな手に触れられるたび、あたしの声は変化していく。
普段にはない声色。 それは確かにあたしの喉奥からせり上がり、飲み込むことが難しい。 唇を噛んで堪えようとしても薄い唇で汗ばんだ肌を吸う男には無意味な抵抗で、そんなことをすると逆に、声を出すのを促すようにきつく肌を吸われるのだ。
彼の物だという所有の証が増えていくことは、あたしにとってもうれしいことではあるのだけれど――じれったい愛撫に熱は上がる一方で、理性が鈍ってとんでもないことを言いそうだ。 それは困る。
「ん…はぁ、っ」
天へとのびる高い天井に、あたしの声が響いていく。
途切れることなく。 いくつも。 いくつも。
雪に閉ざされてとても静かな空間に、少しずつ…けれど確かに、量を増して、響く。
「はぁ、はぁ、…ん、っ」
深く呼吸をするように、はぁっ…と零れるのは吐息。
凍えるように冷ややかな空間にその吐息は色を得て、寒いはずなのに、焼けるように体が熱い――それは、彼のせいだ。 あたしの肌を旨そうに舐めとるこの男のせいで、体はすぐに、芯から熱を持つようになってしまった。
「ぁ、ルヴァイド――」
熱っぽい声で呼ばれ、あたしの肌を味わっていた彼が顔を上げた。
情欲に揺れる切れ長の瞳に射られ、また、体が熱くなる。
絡まり合う視線に誘われるように唇を合わせ、互いの唇をついばむ。 軽い触れ合いは最初だけで、すぐに舌が淫らに絡んだ。 それは言葉にして離れるのが惜しいほどに求めているのだと互いに知らせて、外の寒さも寄せ付けない。
凍える空気に白くなる吐息は、熱を孕んで吐き出されて。
「はぁ、はぁ…っ、や、ぁっ」
肌の上を滑る葡萄酒色の赤髪に、頭の中がくらくらする。
祭壇に倒された体はルヴァイドの唇の愛撫に悦んで、大きな手に肩を撫でられ全身に這い回る心地よさに硬く目を閉じた――― そうでもしなければ、意識が全部持っていかれてしまいそうで。
けれど、ぎゅっと目を伏せるあたしのまぶたにひとつの口づけを贈るルヴァイドになら、全部持っていかれてもかまわない。
「―――愛している」
艶めいた声は、ルヴァイドも同じだった。
想いを紡がれ、髪と同じ葡萄酒色の瞳に見下ろされて、胸がいっぱいになる。
「ルヴァイド…、んっ」
「…愛している―――」
肩を撫でていた手があたしの背に回り、白いドレスのファスナーをおろす。
あっけなく剥き出しになった乳房の先端を優しく食まれ、ひっ、と上ずった声が出た。 敏感な部分に吸いつかれてびくりと腰が跳ねる。 両の乳房を大きな手で押し上げられ、舌と指でぐりっと弄られると悲鳴みたいな声が出た。
「やっぁあ、ぁっ…それ、だ、め…!」
「こんな時くらいは、駄目などと言わないでほしいものだが」
そんなこと言われても、と抗議めいた視線を送っても、ルヴァイドは喉を鳴らして笑うだけだ。
胴周りのドレスをゆっくりと引き下ろしながら、あたしへと唇を寄せ、戯れみたいに触れてくる。 あたしもそれに応えながら、彼のネクタイを緩めて、襟のボタンを外そうとして――手を、取られる。
ルヴァイドは左手の薬指に光る銀色の指輪に、恭しく口づけた。
「愛している」
「――― 今も、これからも…」
”これからも”。
それを頭の中で繰り返せば、じわりと目元に涙が浮かんで、頬を伝って零れていった。
頭の中で繰り返される言葉に、過去が浮かんで、今までの事が思い浮かんで。
辛いことも。
悲しいことも。
嬉しかったことも。
ふわりふわりと、浮かんでは過ぎていく。
―――イオスたちと出会うまで
ずっと独りで、戦い続けていた人
どんな想いで、どんな覚悟で、生き続けてきたのかと優しい彼の心を思うと
もっと早くに出会えていたなら、力になれたのではないかと思うと
言葉にできない感情で、胸がいっぱいになる
出会いは、炎に包まれた森の中だった。
差しのべられた手。 跳ねのけた手。
憎悪して疑って、悲しんだり、苦しんだり。 振り回されてばかりで。
なのにいつの間にか好きになって愛しくなって。 初めて温もりを分かち合って、傷だらけの心と体を絶対に守ると誓ったこともあった。
「…あたし、も…」
彼との思い出たちには込み上げるものがあって、あたしの言葉は、震える声で発せられた。
それに気が付いたルヴァイドが顔を上げて、あたしを見る。 精悍な顔立ちにもう一度、と促されたけれど、震える喉では言葉に出来ず、顔を上げた彼の頭をぐいと引き寄せてその首筋に自分の顔を押し付けた。
熱い身体と体温と、 ”?”と、気遣うような声音に笑みが零れる。
(…もう、一人にさせないからね)
この世にはいない彼の生み親達にこっそり誓って、その頬に口づけを贈る。
そして、長い髪をそっと耳の後ろに掛けて、耳元で。
本当にルヴァイドだけにしか聞かせないような、それほどまでに声の音量を落として、想いを囁く。
「ルヴァイドを愛してる」
これからも。
「さすがに春も半ばとなるとデグレアの雪も溶け出してきたね〜」
この土地にしては珍しく、雪もなく暮れていく空を見上げてあたしは呟いた。
現在、リィンバウムの季節は春半ば―――。
冷え込んだ世界は少しずつ温かさを取り戻し、雪に埋もれて地中に眠る生物は、取り戻されていくその温かさにゆっくりと目を覚ましつつあった。
目覚め。
それは生物、植物…生きるもの全てが当てはまる。
これからは、それぞれの持つ色が目覚めて世界を染めていくのだろう。
あたしは冷ややかな風に髪をさらわせながら精一杯背を伸ばし、春を迎えたというのにも関わらず銀世界の名残りを強く残す旧・帝国領一帯を見つめた。
見つめた世界は、大きな月が浮かぶ夜だった。
リィンバウムを常に見守るその月は冷えた空気の中でも物静かに光を放ち、月光に反射してより一際幻想的に映る雪に思わず、目を細める。
「夜目はあんまり利かないけど、でも雪が溶けて地面が出てるのはわかるわ」
「、身を乗り出すと危ないぞ」
背を伸ばし、わずかながらに腰を浮かし、周りの景色に見惚れていたあたしの腰を引く力に素直に身を任せた。
腰を引く腕の主に引かれるがまま、揺れる馬の背にすとん、と座り込む。
同時に、あたしの背に触れるのは馬を操るルヴァイドの胸だ…服越しに、彼の逞しい身体の感触や体温がじんわりと染みこんでくる。
触れる胸にどこかくすぐったさを感じつつも、あたしは自分の手に白い息を吹きかけて呟く。
「でもやっぱりちょっと冷えるね……デフレアは春になっても雪は降るの?」
「降るには降るが、だがこの間の雪よりはずっと少ない」
「ふーん…っていうかデグレアに行くとどうしても夜になっちゃうのよね…」
早朝にファナンを出発しても、辿り着くとどうしても日が暮れてしまう距離にデグレアはあった。
大絶壁の向こうにある、雪に囲まれた都市。
一年前にも訪れたその街並みを思い出しながらぽつりと呟くあたしの言葉に、手綱を操っていたルヴァイドが気遣うように聞いてくる。
「疲れるか?」
「ううん、馬にも慣れたし平気…っていうか今は疲れより緊張のほうが大きいわ。
あぁどうしようドキドキするー! ルヴァイドは緊張とかしないの?」
「…、それほどは」
「ああぁぁぁもう、本当どうしよう…とうとうこの日がきたというか…」
両手で顔面を覆いながらシュバルツのたてがみに顔を押し付けて、身悶えるように呻くあたしの様子を背後から見ていたルヴァイドは、口元に手を当てて小さく噴き出した
漆黒の毛並みを持つ馬は、顔を押し付けてきたあたしに驚いたのか不思議そうに首を傾けてくる……しかしそんな馬の髪をぎゅっと掴んで、あたしは顔を上げた。
「笑ってる場合じゃないのよ…ちょっともう、どしよう! ほんっとーーーーーに、ヤバイ…!」
「お前は緊張するとずいぶん取り乱すのだな」
やはりくつくつと笑っているルヴァイドに、あたしはくわっ!と目を見開いた。
「だって、普通の緊張とはまた違うのよ!
あたし、ルヴァイドの奥さんになるのよ?!
―――これが落ち着いていられるかああああああ!!!!」
「…ずいぶんたくましい叫び声をあげる妻だな、お前は」
叫ぶあたしに、これまたやっぱりおかしそうな響きを混ぜて、ルヴァイドが笑った。
イオス達と一緒にいるときとは違う、いつもよりもずっとくだけたその穏やかな笑顔をちらりと見上げるとあたしは、髪にしがみついた馬から離れ、そのままルヴァイドの胸にトン、と背を預ける。
「…まだ奥さんじゃないわよ」
「これから、だったな」
「うん」
笑みを零して返事をしてから、馬の鞍の横に取り付けている荷物に目をやった。
鞍の横の、野宿道具とは別に取り付けられた鞄に収まっているものは、衣服と靴と、装飾品のみだ―――中身を思うと、思わず締まりのない顔になる。
「トリスたちには、ちょっと悪いと思うけど」
「そうだな…」
「でもやっぱり、こういうのはルヴァイドのお父さんとお母さんに一番に見てもらいたいから」
握り拳で言うあたしに、ルヴァイドは苦笑して馬を進めた。
―――さて、あたし達は再びデグレアにやってきました。(”Peony snow”参照)
前回に一度訪れたデグレア。
あれから季節は一巡りし、再び春を迎えた季節にこの土地へやってきた理由はただ一つ。
”結婚しよう”
この言葉通りだった。
――――いや、もう、正直、自分でもどんなミラクルだと思ったけど。
いつかは誰かとそうなるのだろうかとは漠然と考えていたけれど、この世界に来てまさか、<そうなるとは思わなかった>というのが最初の感想。
さらにはルヴァイドからの言葉なのだからなお、驚いた。
……しかしやっぱり、ルヴァイドが好きだと思う女の身としては嬉しいことこの上なく。
(しかも、自分で言い出したこととはいえ二回もすることになるとは…)
”そうだ! デグレアで結婚式をしよう!”
―――唐突に思いついたあたしの考えに、ルヴァイドが目を丸くしたのは言うまでもない。(レアね!)
ルヴァイドの生まれ故郷でもあり、ご両親が揃う思い出深い土地なのだからこれだけは譲れず、”遠い距離だから”と遠慮がちのルヴァイドにゴリ押しして了解を得た。
しかしその結果を、仲間達が認めなかった。
”その結果に異議有り!”
”えー! あたしたちもお祝いしたいよ!”
すっかり大人びて、一人前の召喚師になったマグナとトリスはそう言った。
今でも彼らの親友でもあるアメルもそれにうんうんと強く頷き、ならばどうしようかとあれこれと話し合った結果、「二回すればいいんじゃないか?」ということになり、二回目は仲間達が集まってささやかながらのお祝いをしてくれるということになったのだ。
あたし達は”お金がもったいないし、小さな形になればどこでもいいよ”と言ったのだけれども、トリス達の中で特にやる気だったのは意外にもミモザだ。
”一度でいいから結婚式の幹事とかやってみたかったのよぇ〜”
……一体、何にうっとりしているのだろうか。
そんなことを疑問に思ったが、うっとりと呟く彼女の目はもう、完全に、やる気満々だった……あんなミモザは珍植物を発見した以来だ。 盛り上げ役が似合うというか、こういうことは結構好きなのかもしれない。
―――と、いうことで現在向かっているのはデグレアの都市だ。
まず一回目の式はデグレア。 これはどうしても譲れなかったのだ。
デグレア生まれでデグレア育ちのルヴァイド曰く、”教会の建物自体は老朽化が進んでいるだろうが崩れるほどではないだろう”と、いうことで、それを目指してひたすら突き進むあたし達でありました。
「でもお墓、すぐに見つかってよかったね。 雪に埋もれてたら発見も難しかったわ」
「季節が季節だからな…いつもよりもずっと雪が少なくて助かった」
馬の鞍に取り付けられているのは野宿道具や衣装類だけでなく、ルヴァイドのお父さんとお母さんのお墓とされていた墓石もあった。
小さい頃のルヴァイドが頑張って作った、拳より大の大きさの石のお墓。
落とさないように白い布に包んで、ちゃんと袋に入れてある…ああああお父さんお母さんすみませんもうちょっとだけ袋の中で我慢してください…!
終わったらちゃんと元に戻します故。
(でも、とうとうかー…)
やはり、デグレアに近づく度に気持ちが抑えられない。
自分が誰かの家族になるということは本当に遠い先の話かと思ったけれど…嬉しい。
ルヴァイドの家族になれる
それは本当に嬉しい
ほんのりと薄く、白い吐息を零してあたしは笑った。
「でもまさかリィンバウムでウエディングドレスを着ることになるなんて…人生ってどうスッ転ぶかわかんないわね〜」
「…スッ転んだのか」
あたしの言葉に、ルヴァイドは複雑そうな表情を浮かべた。
……まぁ、スッ転ぶ、なんて言われたらそりゃ色々と複雑な気分になるでしょうね……けれどあたしはにんまりと笑ってからルヴァイドに振り向き、凛々しい眉の間…眉間を人差し指でぐりぐりとほぐして言ってやる。
「そんな顔しないで。 すっごく嬉しいスッ転びなんだから」
「…む」
今度は、微妙な表情だ。
「それとも、元の世界に還れって言う?」
「それはだめだ」
彼はきっぱりと否定してから手綱を腕に絡め、あたしの体を両腕で抱き締めてきた。
突然の抱擁に驚いた声あげるあたしにかまわずに、腕の力を緩めぬまま、低く、艶のある声で耳元にそっと囁く。
「…それだけは、だめだ」
―――あたしは、この世界の人間ではない。
気がつけば、この世界にいた。 今の仲間達と出会って、ルヴァイドと出会って、多くの事を知って、彼を好きになって、愛して、そうしてこの世界を過ごしてきたけれど。
それでも、この世界も不思議に満ちているから、いつ、何が起こるかわからない。
―――いつ、この世界から離れてしまうことになるのかもわからない。
いつ、彼を置いて消えてしまうのかもわからない。
「…ルヴァイド」
抱きしめてくれる腕にそっと触れて、ルヴァイドの胸に頬を寄せた。
気がつけばこの人は、今のあたしにとって何よりも、誰よりも大切な人になっていた。
デグレアを失った彼は<蒼の派閥>や聖王家に仕える立場になり、任務をこなしていくうちに多くの人々に敬われ、数々の武勲をその手に収めてきた。 今の彼は出会った頃よりも、より多くの物を得て、より多くの物を抱えている身になっているだろう。
デグレアとトライドラ、レルムの村を復興させる計画も着実に進んできているのだから、抱えているものはあたしが考えているものよりもっと多いかもしれない。
しかしそんな、黒い騎士の胸の奥には。
あたしがいつ消えてしまうのかわからない、不安も持ってくれている。
それを示すかのように。
抱き締めてくる力はいつもよりもずっと強くて――ちょっとだけ、それが辛い。
「…ごめんね。 冗談、のつもりだったんだけど」
「…いや、いい」
俯いたままのルヴァイドに、あたしは目を伏せてその胸の鼓動に耳をすます。
彼の体に身を寄せるたびに何度も耳にした音…それは今でもしっかりと届く。
(――大丈夫)
お互いの不安は、これからも消えない。
ルヴァイドがあたしを想ってくれる限り、一生、この不安を背負わせる。
でも。
「大丈夫」
「……」
「大丈夫…だから。
ずっと一緒にいる。 ――――傍に、いさせてね」
呟く言葉は、あたしの願いだ。
生きている限り、何が起こるか本当に分からない。
…いつ離れてしまうのか、これからも彼を想っていけるのか、本当に、誰にも分からない。
でも今は、一緒にいるということは確かで。
あたしはちゃんと、ルヴァイドのことを好きでいる。
それだけは信じられる。 それだけが確かな物だ。
だから今は、それでいいのだ。
寄り添うように身を寄せるあたしの言葉に、抱いてくる腕に力が込められた。
それになんだか泣きそうになって…でも、それを押し込めて、ルヴァイドのためにあたしは笑うのだ。
少しでも彼の心が晴れますようにと、願いを込めて。
「元の世界に還されても根性で戻ってくるわよ! ルヴァイドはあたしのド根性っぷりを知ってるでしょ?」
「…」
「それに今までずっとこっちにいたし、さすがにいまさら元の世界に還るっていうオチはないんじゃないかしら? ――さ、この話はもうおしまい! 早く行こっ」
手綱を握りながら笑って言うあたしに、ルヴァイドはようやく安堵したかのように目を細めた。
ゆっくりと顔を寄せて、あたしのまぶたにそっと口づけを落とす。
「ん…」
唇は、冷たかった。
けれどそれだけでは終わることはなく、ルヴァイドはそのまま、肌寒さが残るデグレアの空気にすっかり冷たくなってしまったあたしの唇に触れ、ついばむように、味わうように何度かそれを繰り返す。
――唇が重なって、交じり合う音が聞こえる。
音と互いの感触に酔うように何度も触れあえば、それぞれの唇はじんわりとした熱と潤いを持ち始めて、酔いにさらわれてしまいそうな自分の意識を保つためにルヴァイドの腕の袖をぎゅっと握り締めた。
「…、んっ…ルヴァイド」
ルヴァイドによってもたらされる快楽に溺れまいと、名を呟いた。
呟いたそれを合図に、離れることを名残り惜しむかのようにルヴァイドはあたしの唇を強く吸い、ちゅ…と小さく音をたてて離れて、その心地よさに体がびくっと震えた。
「…ぁ」
「お前と共に生きられるなら、俺はそれでいい」
こめかみに落とされる唇が、静かに語る。
それはどこか穏やかで、優しく、温かみに満ちた笑みをたずさえて、彼はあたしに微笑んだ。
決意にも似た力強い光を、彼の瞳の奥に確かに見る。
「――――死が二人を別つ時まで、共に生きよう」
今は ただ それだけで
「――わぁっ、すごい!」
その場所に一歩踏み入って、零れた言葉はそれだった。
まず一番に目に付いたのは、月光を浴びて美しく輝く多色彩のステンドグラスだ。
老朽化し、長年放置されていた建物だというのにも関わらず、しかしそれでも損なわれぬ美しさが、この場所に確かに存在していた。
教会の主がいなくなってからの年月を現すように綻びた赤い絨毯に、普段と変わらない鮮やかな色を落として色彩を拡げている……その光景にしばらく見惚れてから、あたしはようやく息を吐いた。
「きれい」
「これは他国でも高く評価されたステンドグラスだ。
中から灯る明かりが外の暗闇に零れて、白い雪に色を落すその光景もまた美しいと言われていた――――実際、美しいものだった」
「うん。 それもすごく綺麗だと思う…でも、ここだけでも本当に綺麗」
見上げると、周辺にある建物よりずっとずっと高い天井があった。
春のように色彩豊かな色を持つステンドグラスの脇には、彫の深い端整な顔を持つ石像たちが静かな微笑みをステンドグラスに向けている……残念なことにどの石像にも欠けている部分があるけれど、それでもその神々しさは不思議と失われていなかった。
ステンドグラスの下には、見事な細工の祭壇がある。
丸い天窓から零れる月光が祭壇の表面を明るく照らし、きらきらと輝いているのは、春とはいえどそれなりに冷え込んでいるデグレアの寒さを物語る霜が落ちているからだろう。
月光を浴びて輝く霜は、より美しさを醸し出している。
神を敬う世界ではないリィンバウムだけれど、それでも教会は人々の祈り場とされていたのか。 均等な幅に並べられた長椅子の列も朽ちることなくきれいに残っていた。
「、着替えを」
「あ、うん」
シュバルツを別の家屋に繋いで、鞄と墓石の入った包みを持ってルヴァイドが教会に戻ってきた。
彼の言葉に本来の目的を思い出すと、途端に緊張してくる。
あたしのこわばった顔を見たのか、墓石を祭壇に置いたルヴァイドが気遣うような声で問う。
「大丈夫か?」
「うー、緊張シテマス…」
ルヴァイドはそんなあたしに苦笑しながら、鞄からたった一つの色を放つ、真っ白いドレスを取り出して見せた。
次には繊細に編み込まれたレースに縁取られるマリアベールを手に取り、あたしの頭にふわりとかぶせる。 きれいだぞ、とほめてくれるそれが嬉しい反面、あたしは呆然とした。
「……ルヴァイド」
「?」
「……これって、何か、あたしたちが選んでいた物と少し違くない?
形は同じものなんだけど、肌触りがすごくいいっていうか、質が確認したものとちょっと違うっていうか…キルカの織物の上等な物のような気が」
ベールをかぶったまま硬直しているあたしに、ルヴァイドが首を傾げ。
「気に入らなかったか?」
「や、ち、違う…! ドレスも綺麗だし、ふんわりとしたシンプルなデザインで素敵だし、文句なんてつけようとしてもとてもつけられないほど…でもなんか、あたしが着るのは勿体無いというか」
誰の手助けも借りれない場所で式をあげるから、 一人でもドレスを着られるように練習もした。
練習にはミモザから借りたドレスでしていたけれど、ルヴァイドと一緒にデザインを決めて、今日この日改めて目にした純白のドレスは一目で高価なものだとわかる…思わず何か言いたそうに目を向けても、ルヴァイドは肩を竦めるだけで。
「何を言いたいかはわかるが気にするな。 それにこれは、お前が着なくては意味がない」
「……ルヴァイドって、男前だねほんとに…」
なんというか、逆に肩の力が抜けていった気がする。
つい、おかしそうに笑ってしまったら、ベールの肌触りを堪能していたルヴァイドが眩しいものを見るように目を細めて、あたしに微笑んだ。
「お前のそういうところも、俺には愛しい」
「あー、幸せ過ぎて死にそう…」
まだドレスすら着ていないというのに泣き出しそうだ。
目尻に滲む涙をぐいと拭えばルヴァイドが、あたしの目尻に浮かぶ涙を唇で吸って拭い取る―――触れた唇は、いつも触れている同じ感触。 なのに熱は、いつも触れているものよりも少しばかり高い。
それに気付いたあたしが顔を上げればルヴァイドは、少しばかり、困ったように目を泳がせて……―――最後は、苦笑する。
「泣くのは、もう少しあとにしてくれると嬉しいのだが」
「……り、了解」
あまりにも艶のある表情に眩暈がして、涙はすっかり引っ込んでしまった。
ていうか、あたしはこんなに美しい容姿を持つ人の奥さんになるのか。 毎日が悩殺ですか。 ありがとう神様。 多分、目が慣れるまで悩殺され続けると思います……嫌だ。 早く慣れよう。
「それじゃ、向こうの部屋で着替えてくるわ。
それなりに化粧とかもしなくちゃいけないから、ちょっと時間かかると思うけど」
「化粧なら俺がしてやれるが」
……今のは幻聴でしょうか?
「すんません、もう一回お願いします」
「? …化粧なら、俺がしてやれるが」
先ほどの言葉を一字一句違わぬ言葉を言ってくれた旦那様(予定)の言葉に、あたしは危うくドレスを落すところであった。
―――け、化粧!?
ルヴァイド、いつの間にそんな趣味が・・・?!(驚愕)
「る、ルヴァイド…人の趣味をとやかく言うつもりはこれっぽっちもないんだけど、あたし、初耳…」
「何を言っている? お前がここで結婚式をやると提案をしたあとで、ミモザに教わっただけだが―――女は準備が大変だから、俺が手伝ってやれと」
ありがとう、ミモザ。
いつも本当にありがとうミモザ。
でも多分あなたの事だから親切半分、面白半分に言い出したと思う。(さん大当たり)
「…ちなみに腕前は?」
「親指を立てて”さすが黒騎士!”と言われたが」
さぞかしミモザも驚いたことだろうなぁと、思わず遠い目でステンドグラスを見た。
―――遊び半分で言ったのに、剣の腕が一流のルヴァイドは化粧の腕も一流だったのだから……やらせたら何でもこなしてしまうというタイプですかルヴァイド。
「(うかつに家事を教え込むわけにはいかないわね・…!)で、でも大丈夫よ、うん。
ありがと」
「だが着替えはここでしたほうがいい、何が起こるかわからない」
剣を腰に下げたまま辺りを見回すルヴァイドに、あたしもつられて見回した。
そうだった。 先ほどは綺麗だと感動したこの場所は、人のいない国の教会。 復興を待つ朽ちた都市だ。 住まう者が誰一人としていないこの都市を新たな住みかとする何かがいてもおかしくはない。
…それを思うと確かに、一人で奥の部屋に入るのには勇気がいるかもしれない。
どこか不気味さも称えている暗闇や風の音は絶えないのだ―――しょうがない。
「それじゃ後ろ向いてて。
あたしがいいっていうまで振り向いちゃだめよ…あ、何その顔。 ”何を今さら…”とか思ってるんだったら一つ言わせて頂くわ―――恥ずかしいものは恥ずかしいの!」
「…(本当に今更なのだが)…わかった」
苦笑しながらも降参するように両手をあげ、自分の着替えをするルヴァイドを確認して。
あたしもボタンを外し始めた 。