辿りついたそこは一年中、分厚い灰色の雲が覆う街だった。
薄明るかった空は薄暗くなり、やがては夕闇の色を深め、あたし達がデグレアの街に辿りついたその時には、空は完全に灰色の雲と夜に沈みきっていた。
(…ひどい雪。 寒くて、暗くて、静かで――明かりひとつもない街)
それでも愛しいと込み上げるのは、彼が愛した故郷だからだろうか。
―――その街の名はデグレア。
住む人間はとうの昔に死んでいて、その変わり、<生きている人間>を演じ続けていた死者達が多く住み着いていた都市でもある。
それは初めてこの国を訪れた時から何一つ変わっていない…いや、闇夜の中でよく目をこらせば、建物が崩れ落ちて、ぽっかりと黒い口を開けている部分もちらほらと見える。
マグナたちと訪れたとき以降にさらなる時間が流れたのだ…住む人間がいなくなると、建物だって死んでいく。
今まさに―――デグレアの国は滅びへと歩んでいた。
悪魔達の姦計によって、最初の犠牲者だった国は、手の施しようがないほど、静かに、けれど確実に滅び始めている。
ルヴァイドにちらりと目を向ければ、彼はこの暗闇でも見えているのだろうか。
馬を引きながらただ真っ直ぐに雪を踏みしめて歩いている―――時折こちらに振り返って、互いに目が合ってしまうのは、あたしがちゃんと後ろにいるかどうかを確認してくれているからだろう。
あぁもう、馬に乗ってたほうがもっと早く到着出来ただろうに、彼は一言も小言も文句も洩らさない。
(変な意地なんか張らなければ良かった…)
あの時、ルヴァイドの手をとって馬に乗っていれば。
(…もっと早い時間帯にここに辿りついていたはずよね)
雪明りがあったとしても、その夜闇は、とても深いものだった。
もう少し早く着いていればあっさりと寝床を確保できただろうに…それを何度後悔しても、けれどどうしてもその手が取れなくて、あたしは雪の地面を歩く方法を選んでしまったから、ルヴァイドも馬から下りて徒歩でここまで付き合ってくれた。
(よくよく考えれば、優しくて面倒見の良いルヴァイドが置いていけるはずがないでしょ…あたしの馬鹿ー!
もうちょっと良く考えて行動しろってのー!)
反省しても、後悔しても、すでに遅し。
さらには自分を恥じる気持ちがどんどん膨らんできている…このままだと完全崖っぷちだ。
(でも、どこまで行くんだろう…?)
このままでは二人は確実に雪だるマン……どころか、凍死だ。
民家だったものはほとんど朽ちかけていて、扉も完全に凍ってしまっている。 身体を休めることが出来る場所があるのだろうかと不安にもなったけれど、でもルヴァイドは焦ることすらなく、他の建物などには眼もくれず―――ただ真っ直ぐに進んでいた。
どうやら彼にはアテがあるようだ。 なら、彼に任せてあたしも足を進めるしかない。
「…わぁ…っ」
しばらく歩き続ければ、大きな影が視界に映って感嘆の声が出る。
それは見上げるほど高く―――大絶壁の奥底から強い風を得て、激しく舞い始めた吹雪に思わず目を細めながらもどうにか確認してみれば、大きな影の正体は…ルヴァイドが目指していた場所は、都市の中心部にそびえるデグレアの城だった。
彼の考えがそこでようやくわかって、思わず、あんぐりと口を開けて突っ立ったまま城を見上げてしまった。
(…こ、これはまた豪華な宿泊地だこと…!)
てっきり普通の空き家のどこかで寝るかと思ってたよ!
「こっちだ」
城門内にある城の正面扉は完全に凍結しているのが見て分かるほど、固く閉ざされている。
けれどルヴァイドは正面扉に見向きもせず城の側面に回り、使用人たちが出入りする勝手口のようなものだろうか―――ひっそりと佇んでいる小さな扉の前に立った。
(ここから?)
しかしどうやって開けるのだろうと不思議に思う。
小さな扉も霜が降りて、見事に凍結しているのだ。
ルヴァイドの行動を見守っていれば、彼は馬を引いていた手綱を離し、黒の外套を大きく揺らして扉の前で軽く身構えた。
「―――ふっ!」
吐き出された短い呼気と共に、ルヴァイドの長い足が勢いよく扉を蹴破った。
凍っていたはずの扉は鍵が蝶番ごと外れたのか、バキィッ! と壊れる音がして、軽い音をたてながら霜が降りて微かに光る灰色の石畳に落ちて部屋の隅へと滑って行った。
ひえー、鍵が錆びついていたとはいえなんたる脚力…さすが元騎士…!
「入れ」
「あ、うん」
中の安全を確認してから、あたしの手首をぐいと掴んで城の内部へと入れさせた。
そのあとでルヴァイドが扉をくぐって入り、馬の手綱を引いて中へと誘導し、鍵が壊れてしまっている扉をバタンと閉めれば、吹雪く風の音が少し遠くに響くようになる。
「…厨房?」
薄暗い部屋の中を見渡せば、霜が降りた釜、机、食器、水場などが目に入る。
どうやらここは城の厨房として使われていた場所らしい。
なんというか、近代的ではない厨房を見るのはギブソン邸やモーリン道場以来だ。(よそ様のキッチンなんて滅多に入らないし)
食器棚を見れば、緩やかな円を描いた無地の皿と、見事な細工が施されている皿がある。
無地の白皿は一般の身分の人間のため、見事な細工のお皿は位の高い人間のための食器だろう。
どちらも霜のせいで表面が凍結し、薄汚れて使えなくなっているけれど―――それでも確かに、ここには生きている人がいたのだと、生活している人がいたのだと実感させてくれる。
ふと、暖かい光があたしの頬に優しく触れた。
光へと視線を動かせば、ルヴァイドが松明に火を灯したらしい。
ファナンを発つ前に野宿の可能性も考えて色々と準備をしていたから、今夜一日、ここで過ごしても何ら支障はない。 食料も毛布も、油も水も馬の背にあるから平気だ。
「 いつまで雪をかぶっている」
今の状況に放心していたので、突然投げかけられた言葉に目を丸くしてルヴァイドを見る。
灯りに照らされるその顔は、先ほどの…眉を寄せていたばかりの顔よりはずっと穏やか。
けれどもやはり目を合わせると、気まずそうに逸らして。
「…風邪をひく」
短く、そう呟いて。
あたしの頭や肩に積もったままの雪を大きな手で払ってくれた。
外套からバサバサと音をたてて落ちて行く雪を見つめ、次にはルヴァイドを見上げて。
「あ、ありが――」
「広間に行く。 あそこは奥に位置する部屋だからまだ寒さもしのげる……、何か言ったか?」
「(タイミング最悪だなあたし…!)――― …イエ、何デモナイデス…」
お礼を言おうとしたのに、ルヴァイドにズバッと先を越されてしまった。
がっくりと肩を落して脱力するあたしをルヴァイドは不思議そうに見ていたけど、次には馬の手綱を握って”行くぞ”と促した。
(参ったなぁ…別に、喧嘩なんかしたいわけじゃないんだけど…)
これはあたしの逆ギレになるのだろうか。
不安になってばっかりで、その場から動かないまま足踏みなんかしてないで、ルヴァイドに謝ってさっさと仲直りするべきなのだろうか―――あー、でもこのモヤモヤとした感じがな〜…。
(取り合えず一度、腹を割って話すべきよね)
多分、ルヴァイドは誤解(?)をしているだろうし
怒りは収まっても、誤解のしこりは残るものだ。
”まずはそこからか”と心中複雑のまま寒さに鼻をすすりながら、ルヴァイドと馬の後に続く。
―――灯りがあるとはいえ、やはり、真っ暗な城というのは大層不気味だ。
広すぎるから靴音が色んな所に反響して、外の風の勢いもそのまま伝えてくる。 けれど屋内のおかげなのか、くすんだ灰色の石畳には霜は降りていなかった。(厨房は出口に近かったから気温が低く、霜が降りていたようだ)
しかし古めかしい絵画を目にすると、微笑んでいる貴婦人の目がぎょろり!と動き出すんじゃないだろうかと、そんな、怪談じみたものまで連想してしまう。
うう、どうせなら明るいうちに観賞したかったよマダム…。
ルヴァイドの案内について進んでいれば、突然広い空間に出た。
ここにはあたしも知っている場所―――戦争を止めるために悪魔達と対峙した場所だ。
長く続く赤い絨毯の先には、無人の王座が見える。
「…ここは…」
「こっちが広間だ」
ルヴァイドは王座に目もくれず、すぐ近くにある扉を開けた。
客室か何かだろうか…<広間>と呼ばれただけあって充分な広さがそこにはある。
そしてこの国には暖を取るために欠かせない、立派な暖炉も備え付けられていた。傍には燃やすための材木が積まれていて、ルヴァイドはそれを一つ一つ手に取って見て、どうにか燃やせるような木々を選び、暖炉に放り込む。
ほとんど使えないかもしれないが、油を染み込ませた布の端切れがあると燃えやすいとのこと。
「ここなら火をおこしても平気?」
「誰も文句は言わんだろう」
「火、ある? フレイムナイト召喚する? 朝まで頑張ってもらえば…ん?ところで彼は何時まで頑張れるのかしら…」
「………無理を言ってやるな」
フレイムナイトを召喚してずっと火を出しててもらうというのも、確かに可哀想だ。
燃料切れを起こされても困る。 あたしの知る限りではリィンバウムに灯油はないのだ。
ロレイラルならそれこそ腐るほどありそうな気はするけど―――。
「火ならある。 かわりに朝まで暖炉を使えるほど材木がないが…今晩もてば充分だ」
手慣れた様子で火をつけて、暖炉の木々に近づける。
最初は燃えるかどうかハラハラしながら見ていたけれどさすが雪国美人。(関係ない) 見事火をつけることに成功すると緩やかな速度で木々に燃え広がって、かじかんだ手が炎の熱で感覚を取り戻そうとしていくのがわかり、その暖かさにほっと息を吐く。
「はー、やっぱり火があると全然違うわね〜」
「…そうだな。 今晩は馬に身体を寄せていればそれなりに眠れるだろう」
「……あれ? 馬は?」
あたしの発言にルヴァイドが辺りを見回せば、シュバルツの姿がない。
先ほど閉めたはずの扉が全開していることから、彼はどこかへ行ってしまったと考えられる…って、湯たんぽ代わりがそこまで嫌だったのか馬よ。
ルヴァイドを置いてエスケープしちゃうほどまで嫌だったのか。
「…馬なのにボイコットするだなんて…!」
「(ぼいこっと? ) 訓練された馬だ、すぐに戻ってくるだろう」
「でもあのシュバルツの毛ってすごく滑らかだから気持ちいいんだよね、…うーん、ちょっと残念」
雪で濡れた外套を脱いで、馬の背から下ろしていた荷物から毛布を取り出して、すっぽりと頭から被る。
火が消えないよう暖炉をいじっているルヴァイドの肩にもかけてやれば、ルヴァイドは少し驚いた表情であたしを見上げて。
「…すまん」
「(そういえばプチ喧嘩中でしたァァァァ!)…あ、いやいや気にしないで」
気まずさから乾いた笑いが零れたけど、あたしはそのままルヴァイドの隣に座った。
目の前の暖炉の中で火が爆ぜているのをじっと見つめて、暖かさに安心感を覚えて目を伏せる。
(…謝らなくちゃな)
あの時余計な事を言わず。
素直にルヴァイドと一緒にいたいと言っておけば、今頃はもっと穏やかで、笑っていられたのに。
―――くだらないことで、ルヴァイドを失うのは嫌だ
(でも、不安でたまらない)
ぎゅっと、毛布を握り締めて、立てている足に顔を埋めた。
ルヴァイドはゼラムでもファナンでも人気があった。
元々礼儀も正しいし、シャムロック並に紳士的だ。 それだけでも十分に好感が持てるというのに、外見だけでも人の目を惹くほどの凛々しさがあるのだ。
一体どれほどの人が、整ったその顔に見惚れた事か。
…それに比べてあたしはなんとも平凡。
ルヴァイドが戦っている姿を何度も見てきたけれど、見ていることしか出来ないのが、あたしだ。
立派に戦っているルヴァイドの役に立てないのが、あたしだ。
傍にいたいと望むばかりで、あたしはルヴァイドに何もしてやれない。
そんな自分がとても恥ずかしくてしょうがない―――… 。
「…――― 、眠ったのか?」
意識は、半分眠りに落ちていたのだろう。
ルヴァイドの声が遠く聴こえて、それを認識するにのに時間が掛かって反応が遅れてしまった。
”起きてるよ”と動こうとすれば、自分の肩がルヴァイドへと抱き寄せられた。
それに起きていることを伝えるタイミングを逃して、ただ驚きで固まったままルヴァイドの胸に頬を寄せる体勢となる―――あれ?
「…俺はそんなに、他の女に目を向けているのか?」
けれどルヴァイドはあたしが起きていると知っているようだ。
問うような言葉に、ルヴァイドの腕の中で一度身じろぎしてぽつりと返事を返す。
「いや、そんなんじゃなくて」
「―――俺はどうすればいい?」
暖炉の中で、火が爆ぜた。
あたしはルヴァイドの言葉の意味がわからなくて彼を見上げれば、ルヴァイドもあたしを見下ろしていて、視線がかっちりと合う。
「お前が俺の傍にいてくれるには、俺はどうすればいい」
―――そのまま、噛みつくように唇を奪われる。
突然のそれに驚きに目を見開いて、苦しさに顔を歪めてドン、とルヴァイドの胸板を叩く。
けれど解放されるどころか角度をかえて、無理矢理あたしの唇をこじ開けようと、ルヴァイドの舌が滑り込むように唇の隙間から侵入してくる。
「ん…っ、ンンッ」
それはいつもより、激しさがあった。
逃げようとするあたしの舌をあっという間に絡めとり、息を吐かせぬほどの勢いで味わわれ、あまりの苦しさと激しい愛撫に思わず、ルヴァイドの胸に腕を突っ張って少しでも離れようとしたのだけれど……あたしの身を抱く男の腕はそれを許さず。
離れようとするあたしに何か思ったのだろうか―――銀の糸を引きながら唇を離し、あたしを毛布と灰色の石床に押し倒すと、大きなその手で胸元の服を剥いで、露になった鎖骨にその唇を押し付けてきた。
「待っ…ぁっ…!」
冷たい外気に、ルヴァイドの唇の熱に、身体が震えた。
背筋にざわりと駆け抜けるのは寒さか快楽か、判別できない。
―――ぬる、と滴る音をたてて喉元を這う舌に、いつものように軽い眩暈が起こる。
「やだ、…、っ…」
甘いお酒に酔ったような息が、自分の唇から零れたのがわかった。
しっとりと濡れている赤紫の長い髪が肌を滑り落ち、滑っていくその感触に震えながら眉を寄せて顔を歪めれば、胸元に吸いついて欝血痕を残すルヴァイドが顔を上げて―――あたしの頬を、熱のこもった手で、そっと撫でた。
「―――愛している。 それを何度言えば俺はお前に信じてもらえるのだ」
「ち、違うっ、それを信じてないんじゃなくて…寧ろあたしが問題というかっ」
「…お前が問題?」
不思議そうな色が、ルヴァイドの顔に浮かんだ。
拘束された両手首の力は緩まないままで、横で爆ぜる炎の明かりにあたしの身体もルヴァイドの横顔も、鮮やかな赤に彩られて暗い室内に浮かび上がる。
「あー…その、不安があるというか」
「俺がお前を手放すと思っているのか」
「いや、それの不安はちょこっとだけなんだけど、でももっと別の…その〜」
どういえばいいか言い淀んでいるあたしに焦れたのか、ルヴァイドは外気に晒された右肩に唇を落としてそのまま、胸の膨らみに唇を滑らせると、淡く色づくその蕾に優しく、歯をたてた。
それはいつものように甘い痛みをもたらして、思考が一瞬白くなる。
「ッ…!」
「教えてくれ」
「で、も…っ…」
あぁもう取り合えず何からいうべきか。
それに頭をフル回転させようとしても、ルヴァイドの愛撫で思考が白に塗りつぶされて、言葉なんて出てこない。
かわりに唇から零れるのは、吐息と、ルヴァイドに酔っていく女の声だけ。
「と、とに、かく…っ…やめ―――ッ!」
柔らかな身体が愛されて、悦びに、びくりと軽く仰け反った。
手首を拘束しているものは既に解け、そのかわり、余す所なく丹念に触れられていく。
掌に感触を残すかのように、衣服を優しく剥いで行く。
ルヴァイドの吐息が肌に触れるたびに、頭の中がくらくらと白んでゆくのがわかる。
「る、ルヴァ…ィ、ドっ」
「答えてくれるか」
「こ、こんなことしなくて、も…」
”とにかく言葉を考える時間をちょうだい”とどうにか言えば、ルヴァイドがあたしの頬に唇を寄せた。
触れられたせいで一気に火照ってしまった頬に唇が触れて、あたしも顔を動かしてルヴァイドの頬に口づける…それだけで、互いの熱が充分に伝わった。
「ん、ルヴァイド…熱いよ…」
「お前も、随分熱くなっている」
口づけを返すあたしに機嫌を良くしたのか、その声音は随分と柔らかなものになっていた。
それが嬉しくてもう一度と頬に唇を寄せれば、顎を掴まれてそのまま、唇へ。
合わさるそれはそのまま深みへと沈み、互いに鼻にかかったような声が零れて、はぁと息を乱しながらその愛撫に夢中になる。
「ン、ッ…、ふ、」
両腕はすでにルヴァイドの首へとまわされて、より深くと、もっと多くと、導いてゆく。
その間にもルヴァイドの大きな手はあたしの身体をまさぐるように這い回り、下腹部へと伝い、中心に辿り着くと自然に身体が強張った。
「ぁ…」
中心であるその場所はゆっくりと、形に添ってなぞられる。
既に潤いを帯び始めているその場所を触れられ、込み上げる羞恥に思考回路はすっかり麻痺して、体温は一気に上昇。 体温上昇を自覚すると同時に、ますます羞恥心が込み上げて、あたしの身体はさらに熱く、朱に染め上げていく。
「っ」
熱さにたまらなくなってルヴァイドの首にしがみついた。
自分の熱が、ルヴァイドにすっかりと高められてしまっていることが知られて、恥ずかしい。
…そんなあたしの反応にルヴァイドは苦笑するように呟く。
「…お前が不安だと、俺も不安になる」
「ッ…っはぁ、ァ…」
「――――お前が離れるのかと思うと、本当に不安になるのだ」
”俺も、お前が離れるのではないかと思うと不安で仕方がない”
―――そういえば、ルヴァイドはお墓の前でもそう言っていた。
あたしと同じく…”不安”だと。
(あれ? …同じ?)
世界が平和になったせいか、平和ボケをしていたせいか知らないが。
何だかすっかり忘れていたような気がする。(多分後者だ。平和ボケだ)
ルヴァイドはどんなに功績を残しても、どんなに人から称えられても。
それは遠くなったんじゃなくて、あたしが、自分で遠いと思っていただけで……距離は、全然変わっていなくて。
彼は何でも出来るスーパーヒーローなんかじゃなくて、怒って、悩んで、不安になる…そんな人ではないか。
あたしと同じ、普通の”人”ではないか。
「――でも、あたし…っ」
「?」
「……思いつかない…ルヴァイドに、何もしてあげられない……っ」
何も、してやれない
助けることも、癒すことも、共に戦うことも
「…」
「支えられるばかりで、重荷になるのだけは嫌――…」
そんな生き方は嫌だった。
ルヴァイドの傍にいるなら、この人を守れるような生き方をしたいと思った。
でなければ、戦って、傷ついてばかりのこの人を誰が守るのだ――思わず泣きそうになりながらそういえば、ルヴァイドは両手であたしの頬に触れて、口づける。
伝わる熱が、とても愛おしい。
それは目尻に浮かぶ涙も吸い取るように舌を這わして、ちゅ…と軽い音をたてて離れていった。
「それが、不安なのか?」
「…うん」
「ならば俺は言わせてもらおう…―――何もしてやれないのは、俺のほうだ」
石造りの囲いの中で、赤い炎が大きく揺れて火が爆ぜた。
燃えている薪の一部は灰になりかけているものもあるけれど、それでも炎は部屋を明るく照らしている。 それはなんて、眩しい赤だろう。
ルヴァイドの、紫がかった赤い髪も、今では純粋な炎の赤に染まって、とても綺麗だ。
「戦うことが出来ても、人々から勲章を貰い称えられても……一番肝心で、大切なお前に何もしてやれない」
「そんなこと」
「お前が離れることに恐怖を覚え、お前に近づく男に嫉妬するばかりで。
―――おまえ自身に、俺は本当に何もすることができない」
ルヴァイドはあたしの手の甲に口づけて。
指先一つ一つを、愛おしむように唇で触れて。
「お前に癒され、時に傷つけられ……それでも幸せに、そして救われているのに」
”立派に戦っているルヴァイドの役に立てないのが、あたしだ”
「―――なのに俺は、お前を望むばかりだ」
”傍にいたいと望むばかりで、あたしはルヴァイドに何もしてやれない”
―――言葉が終わらないうちに、あたしは思いきりルヴァイドにしがみついた。
急にしがみつかれて、ルヴァイドの表情が驚いたものに変わったけれど、それでもあたしは太い首筋に顔を埋めて、喉から零れそうになる嗚咽を堪えるため、何度も深呼吸を繰り返す。
気を抜けば、ぼろぼろと泣いてしまいそう。
「?」
「っ…ごめんね、好き」
「…、俺もだ」
不安が、溶けた
完全に、あっさりと崩れて溶けていってしまった
「も、もうルヴァイドがなにいったって絶対離してやらないっ…絶対、幸せにしてやるー!」
「…俺は今でも、幸せだが」
「〜〜〜まだまだこんなの序の口よっ。 あたしもルヴァイドと一緒に―――」
我慢が出来なくなって、感激のあまりぼろぼろと泣き出すあたしを(もうボロ泣きよ!)、身体を起こしたルヴァイドが、きつく、抱きしめてきた。
力のこもったそれの苦しさなんか全然気にしないまま、あたしも思いきり抱きしめ返すと、首筋に顔を埋めたルヴァイドが耳元に囁く。
やさしいこえが、心をふるわせる。
「―――結婚しよう」
これからも、不安になるだろう
何度も、何度も、不安になって、喧嘩して、仲違いしてしまうだろう
それでもあたしはまた仲直りして、一緒に生きていきたいと思うはずだ
彼の言葉に、あたしは何度も頷いた。
ルヴァイドの肩の服に涙の痕をたくさん残しながら、何度も。
さっきまでどうして悩んでいたのかも吹っ飛んだくらいに胸いっぱいで、ルヴァイドにしがみついている。
「――それで、だが」
「…?」
身体を離して左手をとられ、薬指に銀のリングを差し込まれた。
……あんまりにもあっという間に差し込まれたものだから、感動で涙するよりも脱力感でがっくりと肩が落ちた。
る、ルヴァイド…あんたって人は…。
「ルヴァイド…そんな、あっさりと……」
「お前が不安にならないようにと、思ったのだが」
「(ルヴァイドにムードというもの求めちゃいけないようね…)いやそれはありがたいんだけど………まぁいいか、嬉しいものは嬉しいし」
ルヴァイドの肩にもたれて、あたしは銀のリングをじっと眺めた。
派手なものをあまり好まないルヴァイドらしいシンプルな指輪だ…というか、これを用意するルヴァイドの姿を想像すると少し可笑しいというか微笑ましいというか…。
(帰ったら大変だろうなぁ〜…まずトリス達にも言わなくちゃいけないし)
「」
(あとあたしは結婚するなら絶対大安吉日って決めてるのよね…!
でもこっちで大安吉日っていつなんだろ…ラウル師範とかなら知ってそうだし、他にもまだ調べることがいっぱいで…あーしばらくは忙しくなるわね)
「」
ルヴァイドへと意識を向ければ、彼の薬指にも指輪が納まっている。
あまりの嬉しさに思わず顔が赤くなってしまったら、ルヴァイドは一度穏やかに微笑んで。
開いたままだったあたしの服の前部分を、さらに大きく開いた。
………ワッツ?(何)
「ちょ、ちょ、…いきなり、何…?!」
「これで、心おきなく事を進めるということだろう」
「心おきなくって」
あたしが被っていた毛布の上に組み敷かれて、ルヴァイドの手が横腹を撫で上げるとそれだけで、熱が再び勢いを取り戻してしまった。
無意識に、顔が艶を帯びて歪む。
――奥底から込み上げるものは最早、ごまかしようがない情欲。
「っ…ルヴァイド…」
「わかっている」
答えつつ、露になった胸を優しく揉みし抱く。
大きな掌に包まれたその熱は全身に広がって、あたしはぎゅっと目を瞑って仰け反った。 それはねだるような仕草に映ったのか、ルヴァイドの唇は熟れた果実の表面の甘さを味わうかのように、起立している蕾を舌でゆっくりと転がした。
転がされて容易に形を変えたそれを溶かそうと、軽い音をたてて口に含む。
「ぁっ…!」
目をつぶって、自分がされている行為を視界に認めることを拒んだ。
それでも身体に繋がる神経は覆いようがなく、敏感な蕾を何度も愛されてか、思考がごちゃっと絡まった。
それは絡まりあった解けない糸のように複雑で、身体の奥底からさらなる熱を招く―――今すぐにでも欲しいのに、焦らすつもりだ。
「ぁ、ルヴァイド…は、やく…っ」
足の間に沈んでいるルヴァイドの腰に膝を寄せて名前を呼べば、ルヴァイドの喉奥から低い、笑う声が聞こえた。
”今日は素直だ”と言っているようなその笑いにむっとして、ルヴァイドの髪を軽く引っ張れば、引っ張る力に逆らわずそのまま唇を奪われる……情事での主導権はいつも、完全にルヴァイドのものだ。
あたしはそれに抗う術はない。
「っは…―――や、ぅッ」
下腹部へと滑り落ちてゆくのは、剣を握り続けた大きな手。
武骨な男の指が潤いを帯びている泉の入り口を探し当て、悦びの声をあげるあたしに構わず潜り込むと、
炎の音と風の音が響く広い空間に、水の音が加わった。
途端に、熱が、奥底から湧き出てあたしの思考を一色に塗りつぶし、指を操るルヴァイドをぎゅうっと締め付ける。
「っ…そんなに、慌てるな」
「やっ、だ、…ァ、…あぁッ…!」
炎が爆ぜる、音が遠い。
雪を翻弄する風の声も、遠い。
なのにルヴァイドの手で溢れる水音はとても近くて、ルヴァイドから貰う快楽をもっと欲しいと思うようになって、―――堪らなくなる。
(うあだめだ完全に頭が働かない…)
それでも本能は、あまりにも欲に忠実だった。
身体の中を掻き乱す行為にびくんと身体を震わせながら、虚ろな意識の中でルヴァイドの背に手を這わせ、甘く、爪痕を残す。
早く、と急かすように。 時折強く、爪で強請る。
「っ」
痛みがないはずの爪にルヴァイドが顔を歪めて、荒く、息を吐いた。
同時に、長く戦い続けてきたことを示す傷だらけの身体の体温は熱を上げて、引き抜いた指の濡れた手であたしの頬を撫でて、焼け付くような欲の光を宿した目で、ぼんやりと見つめ返すあたしを射る。
「ルヴァイ、ド」
呟く名前に、ルヴァイドが、ほっとしたような笑みを浮かべた。
その意味を考える間もなく膝裏を掴まれて開かされると、何をされるのか知っている身体は抵抗しないままルヴァイドを受け入れた。
熱が、快楽が、身体の中心を通り神経の全てを蝕んで、全体へと広がってゆく。
「あっ、ッぅ…はぁっ―――」
「っく」
互いの身体が繋がる心地よさに身を震わせ、抑えきれない声が洩れていった。
ごちゃごちゃに絡まった思考の糸は全て千切れて、すがるようにルヴァイドに身を寄せて喘げば、熱はより高く、繋がりはより深くなって、あたしたちから思考能力を奪っていった。
それはデグレアの寒さを感じさせることもなく、互い以外の物を映すことすら許さぬほど。
「っ、はぁ…!」
「っふ…あ、ァッ…ぃやぁ…!」
強い力に揺さぶられ、体内の熱とルヴァイドの熱で霞む視界に映る天井を、意味もなく見上げる。
揺れる視界の中には、使われることがなくなってしまった豪華なシャンデリアが映る。
それは放置されてからの時間を示すように、随分と古びてしまっている。 さらに視線を動かすと、部屋の壁に飾られてある黒ずんだ絵画が、ヒビが入った壷が、埃の積もったテーブルがあって……快楽に溶けていく思考が、ゆるりと、紐を解く。
―――ここは誰もいない国。
「…はぁっ、ア、あぅっ、ン、んん…!」
「っ…!」
けれどここは、ルヴァイドの故郷。
ルヴァイドの、思い出の土地。
滅びへと歩み始めているけれど、ルヴァイドの大切な場所。
(…ここは、ルヴァイドの大切な場所…)
波が、思考をさらい上げる。
ルヴァイドを穿たれた身体はびくんと跳ね、体内に呑み込んでいる彼を締めつけた。
あたしの頬に唇を這わせながらルヴァイドは荒く息を吐き、全てを持っていくほどの締めつけにも構わずに執拗にそこを攻め、ただ、みだらに響く喘ぎ声で<広間>を満たそうと、より深く犯し始める。
「はぁっ――…ぁ、ま、また、…あっ…っあぁ…!」
「…?」
意識が朦朧とするあたしの背を支え、ルヴァイドが呼びかける。
その表情は案じるような色を帯びて浮かんで―――ああ、泣いているのか。
あたしは。 それが生理的に零れ落ちるものではないと感じ取ったから、彼は心配をしてくれているのだ。
大丈夫だというように、額に汗を、口元に笑みを浮かべてルヴァイドの胸に頬を寄せた。
あたしもいつか
ルヴァイドの大切な場所になれたら、いいな
ていうか、なってやると思ったのは秘密にしておこう
数十年後、一緒にいれば聞いてみようと思うから
「っ―――ふ、あ、ぁ…ルヴァイド…!」
「……!」
熱の波に、全てがさらわれる。
ルヴァイドが握り締めてくる手の力に、愛しさが込み上げる。
限界で思考が白く染め上げられて、ルヴァイドに満たされていくことを感じながら。
意識が途切れる寸前、窓から見える吹雪く牡丹雪にそっと祈る。
どうか、これから先も一緒にいられますように
「―――よぉし! 報告完了!」
一晩中吹雪いていた雪は、早朝の冬の白空に溶けてなくなってしまったかのように、今では降らなくなっていた。
雪雲もなく珍しく晴れ渡る空に照らされている廃墟の都市を遠くに眺めてから、寒さで頬を真っ赤にしながらあたしは、ルヴァイドににんまり微笑んだ。
昨日の沈んでいた心もすっかり晴れ晴れだ。
そんなあたし達は、ひっそり佇む小さなお墓の前にいた。
昨夜の雪に埋もれていたのをどうにか探し出して、風で吹き飛ばされていた花をちゃんと墓前に添えなおし、改めて報告をしていたのだ。
隣で馬の手綱を握っていたルヴァイドはそんなあたしに、どことなく嬉しそうな笑みを浮かべている。
「いやー、昨日の報告じゃご両親は心配しちゃうだろうし、ゼラムに帰る前にはちゃんと報告し直しておきたかったのよね」
「そうか」
「でも今回はバッチリよ! これで心おきなく帰ることができるし…ルヴァイド、また来ようね」
「ああ、そうだな」
「もちろん、二人だけじゃないわよ」
ルヴァイドは、不思議そうに首を傾げつつ、あたしが馬の背に乗るのを手伝う。
もたもたとしながらどうにかこうにか馬の背に乗り、手綱を操るルヴァイドが、後ろに乗ったことをちゃんと確認して。
歩き出した馬の振動に、あたしはこの上なく満足そうににんまりと笑った。
「今度は新しい家族と一緒にねっ」
どうか、これから先も一緒に、共に生きていけますように