(…、最悪)
本当に、最悪だった。
それはもう最悪最低で、自分に腹が立つしムカムカするしとてももどかしい。
何が原因で自分が怒ってあの子に泣きそうな顔をさせてしまったのかも分からなくなって、弾けるような癇癪の次に耳障りなヒステリーを起こすとあたしの馬鹿な行為を止めようとしてくれた周囲に散々当たり散らして全速力で逃げてしまった。
逃げ際にフォルテの足先を思い切り踏んづけたもんだから、フォルテはもっと最悪だったろうけど。
(信じらんない、あたし最悪最悪最悪最悪)
屋根に登って頭を抱え、悔恨の念をひたすら呟く。
ファナンの夜空の月は綺麗なのに心はとんだ大嵐だ。 何であんなこと言ったんだろう。 あの子の傷ついた顔が頭から離れなくて、それが辛くてたまんない。
ぽろぽろと綺麗な涙を流すあの子の泣き顔に何だか自分まで泣けてきて…あ、涙出てきたついでに鼻水までズズーッ! (ほんと綺麗とは縁遠いなあたしは)
「…ホント、最悪」
鼻をすすりながら、呟く。
考えても考えても自己嫌悪ばかりで心が晴れない。 重くて息苦しい。
あれこれ考えているうちに何だか全部がどうでもよくなってきて、どうしたもんかなあ家出しようかなあなんてまたバカみたいなことを考え始めた、その時。
「…――――、こんなところにいたのかよ」
風に吹かれる背後から、声がした。
でもあたしは、振り向かない。 振り向かなくても誰だか分かるし振り向きたくなかったからモーリン道場の屋根瓦に乗せた足を寄せて、膝を自分の胸に近付けるとそこに顔を埋めた……こんな顔、到底見せられるわけがない。
しかし屋根に上がってきた彼はあたしの拒否を溜め息を吐く事で一蹴すると、あたしに近づいて、あたしのつむじに向かって「おい」と声をかけてきた。
遠慮というものがないのかこの男。
「戻るぞ」
「…やだ」
「あのな」
「やだやだやだやだ、戻りたくない」
むずがる子供のように首を振る。
でも、今戻ったってそれこそ何の解決にもならないのは本当だ。 心は大嵐のままなのだ。 また誰かを傷つけそうで怖い。 自分が傷つきそうで怖い―――けれども本当は、彼の真っ直ぐな目の中にこうして足掻いている自分の姿を見ることのほうがもっと怖かった。
…ホント、こういうとき大所帯は困る。
見るに見かねた優しい誰かが、こんな迷惑をかぶることになるのだ。
「あっち行って。 一人にして」
「…」
「――リューグは、アメルの傍にいてあげて」
そう。
あたしの言葉に傷ついたあの子の傍にいてあげて。
これは悲観しているのでもなく自己犠牲や自己陶酔の類でも何でもないのだ。 ただ事実だ。 くだらない事が発端だったけれど最終的に悪いのはあたし。
何で、彼女の言葉をもっと素直に聴かなかったんだろう。
あの子はただ、あたしを心配してくれていただけなのに。
夜風がざぁと吹き上げて、あたしの髪を撫でて空に昇って行く。
ほんの少しだけ冷たい冬の名残を感じる風は火照った頬に心地よく、ようやく思考が冴えてきた。
心地よさに顔を上げ目を閉じたままでいれば、足音が聞こえた。
同時に、傍にいたリューグの気配が遠ざかっていくのが分かる―――鎧のない、広い背中が遠ざかる。 その事にほっと安堵したように息を吐いて、再び膝に顔を埋めた。
(これでいい)
うん、これでいい。
リューグには悪いけれど、このまま一緒にいたら大変な事になる。
ぶっきらぼうで仏頂面で口下手で無愛想だけれど適当な言葉で繕おうとしないのがリューグなのだ。 そんな人に傍にいてもらったら、本当大変。 彼なりの心遣いが嬉しすぎて百パーセント号泣すると思う。
(ありがと、リューグ)
ありがとうありがとう。
アメルのことが気になるだろうにこうしてあたしの様子を見に来てくれて、ありがとう―――なんて、ファナンの海より深い感謝のエールを遠ざかる背中に送っていたというのに屋根を降りると思っていたリューグの足が止まった。
不思議そうにその背を眺めていれば、彼はもう一度溜息を吐いてガリガリと頭部を掻き。
もう一度、あたしがいる場所へと戻ってくる……え、何でそこでUターン? 何で? どして??
「ちょ、な、何?」
「いつまでいようがテメエの勝手だがな、冷えんだから程ほどにしとけよ」
――――何が。 どうして。
そう問いかける暇もなく、リューグがあたしの隣にどっかりと座り込んで寝転んで目を閉じて、動かなくなった。
開いた口が塞がらず夜風に揺れる鮮やかな赤髪をただ呆然と凝視していれば、何も言えないあたしの視線を感じて開いた目がマヌケ面を晒すあたしに向けられて、強い意志の光が浮かぶ鳶色に何故だか頬が熱くなってくるのを自覚。
な、何コレ何なのコレ何だかすごく嬉しいような恥ずかしいような…!?
「なんだよ」
「ぃ、いや、何だよ、じゃなくて」
「あいつには馬鹿兄貴がついてんだ、俺よりは適任だろ」
――― 一瞬、何を言っているのか分からなかった。
でも、”兄と違い自分では上手く励ましてやれないのだ”とでも言いたげなニュアンスの返答に、あたしはブンブン!と頭ごと首を横に振って否定した。
冷静な彼は自分をよく知っていた――兄であるロッカとの違いも。
でも、違うことは決して悪いことではないはずだ。
何でそんなことを言うのだろう。
適任じゃないとか適任だとかそんなことはない。
励ましや慰めが言葉だけでしか出来ないなんて事はないのだ。
それはこうしてあたしと並んで傍にいてくれているだけ証明されている――――それを伝えたくてリューグに顔を向けるけれど、喉奥からぐわーっと込み上げてくる熱いモノに言葉が詰まって出てこなくて、やっぱり首を横に振るしかなかった――――ああもうどこまで情けないのか。
言葉を知らない子供でもあるまいし、こんな事すら伝えられないなんて。
「なん、で…っ!」
泣きそう泣きそう。
自分に諦めたような言い方をするこの人にほんと泣きそう。
上手くいえなくて全てにおいていっぱいいっぱいなあたしの顔を見たリューグは、「なんで落ち込んでるテメエが励まそうとしてんだよ」といつもの彼らしく口角を持ち上げて笑って、真っ赤になったままのあたしの頬に手を伸ばす。
「…ッハ、ひでえ顔」
「〜〜〜〜〜! ひ、どいっ」
ひどいひどいひどいひどい。
そりゃ確かに眉はハの字だわ涙や鼻水の痕はあるわ顔はくしゃくしゃだわで本当にひどい顔だけどもそんな、鼻で笑いながら言わなくてもいいじゃないか。
こっちはそっちと違ってもう限界なのいっぱいいっぱいなの! 心配したの! だってあんまりにもいつものリューグらしくないこと言うから!
やっぱり顔をぐしゃぐしゃにして今度は本格的に泣き出しそうになるあたしに、リューグは、涙が残る頬に指を滑らせて。
「―――惚れた女の顔と思ったらそう悪くはねえけどな」
「リューグのバカ人が心配してるのに悪くないって何よそ、れ…………、は?」
ごちゃごちゃと絡まっていた面倒臭い思考が、一気に吹っ飛んだ。
リューグが呟いた言葉がファナンの潮騒と一緒に右耳から入り左耳から抜けていってしまって上手く捕えられず、ぎぎぎ、とぎこちなく軋む音をたてながら顔をあげてリューグを見た。
イマ、何ヲ言イマシタカコノ人。
何を言われたのかイマイチ分かっていないあたしに、リューグは呆れを浮かべて。
「ニブい女」
その言葉に、ズガーン!と鈍器で頭をブン殴られたような衝撃。
いやいやいやいやいや何この人ちょっと何言ってんのこの人アンタそういうキャラだったっけ違うでしょ何か違うでしょあわわリューグの手が指があたしの髪を耳に掻き上げてギャーーー!
「普段は面倒でも、こういう時は兄弟がいると助かるって思うぜ」
「な、な、な、」
「安心して、好きな女の傍にいられる」
なんて、にやりと笑いながら言ってくださったわけで。