たとえ愚かと呼ばれても  感謝を




 夜の帳が下りた世界は、刻が経つにつれその深みを増していく。
 星々を傍らに従えて浮かぶ月がその輝きを鮮明なものとしていくなかで、ネスティが行く廊下は人の気配もなく静かだ。 ゆっくりと歩を進める靴音がよく響き、広大な屋敷に染み渡るように広がっていく。

(今夜は、風が強いな…)

 燭台に灯る明かりを頼りに、歩きなれた廊下を進む。
 一定の間隔に設けられた四角い窓は冬の風に揺れ、ガタガタと震えていた。
 窓から見下ろすバスク邸の庭も、ゼラムの街並みも、この時期の季節に合わせてすっかり色あせてしまっている。 季節は再び冬になるのかと、そんな感想が胸に浮かんだ。

(人の体になっても、感じるものはあまり変わらないな)

 融機人だった頃は、世界も、人間も、全てが憎く、滅んでしまえばいいと思っていた。
 所詮、自分は異邦人でこの肉体のせいで虐げられる。 人間と同じ肉体を持ってさえいれば、きっと、世界は全く違う風になるはずなのだと思っていたのだ。

 ――しかし、”傀儡戦争”から二年が経過した世界。
 人間の肉体を得ても実際はそれほど変化を感じることもなく、世界は変わらずネスティを受け入れて、朝と夜を繰り返す。
 エルゴが作り出した不変の世界の有様に、この世界を憎んでも仕方がなかったのだとネスティはようやく知った。 世界は世界。 そんなものを憎んで何になるのかと、今となっては滑稽過ぎて笑いさえこみ上げる――そこで、ふと、窓の向こうの闇に沈む庭に目がいく。
 昔からバスク家には緑が多かった。
 春は庭に色鮮やかな花が咲き誇り、夏に青々しい葉をつけて、風に揺れる木の葉の囁きが心地いい。 しかし秋の頃から色あせて枯れ葉となり、冬には地面に落ちてしまう。 それはこの世界で唯一明確な四季がある聖王都ならではの生命の循環だ。 循環を幾度も繰り返していく光景を、ネスティはこの家で見てきた。

(二年の間に、また緑が増えたな…)

 常に整えられた庭を保てるのは、昔からこの家に仕える庭師がいるおかげだ。
 彼は寡黙な老人で、いつも黙々と仕事している背中を記憶している。 しかし、ここ最近は彼と共にが掃除している姿も見かけていた。
 いつも一人で広い庭を黙々と手入れしている庭師を、は気になっていたようだ。 秋の初め頃に手伝いを申し出て、少しずつ時間を過ごすうちに仲良くなっていったのだとは笑って言っていた。
 毎年、今の時期でも秋の落ち葉がまだ残る庭はという人手が増えたおかげかいつもより早い時期に片付いており、庭の持ち主である父のラウルにそのことを話すと「殿らしい」と嬉しそうに笑った。

 父のラウルは基本的に土を触ることが好きな人だ。
 時間さえあれば様々な植物を植えたり育てたりしている…しかもそれはただの植物だけではなく、薬草や召喚術と関わりのある植物を植えていることもあるのだから、趣味と研究を兼ね備えたものであるといえよう。
 時折、ネスティの先輩にあたる、動植物を研究することに大きな好奇心を膨らませている幻獣界メイトルパ専門の女召喚術師ミモザ・ロランジェが嬉々としてこの屋敷を訪れることも何度かあるのだが―――そこまで考えて、ミモザが特に、ここ最近注目をしているのは父の温室のをこと思い出す。

(そういえば…先輩が温室の気温の調整がうまくできないと気にしていたな)

 ネスティは窓の向こうに佇んでいるであろう温室に目を向けた。
 全てが特殊なガラス張りで、緻密に設計された美しいカーブを描いた円天井の建物が見える。 室内は温度が一定に保たれ、冬の季節であっても寒さに弱い植物の育てることが出来る場所だ。 その要ともいえる気温を調節する機械を作ったのはネスティだったが、忙しさにかまけてメンテナンスをするのを忘れてしまっていた。 の体調がよくなったら、また様子を見に行かなくては―――。

(…、?)

 ふと、温室に小さな灯りがちらついた。
 暗がりの中でぼんやりと浮かぶそれに数度目を瞬かせてから立ち止まり、目を凝らす。 植物の合間にぼんやりと浮かぶ灯りは確かにそこに存在していて、父が研究を続けているのだろうかと内心首を傾げるが、ネスティは先ほど父が部屋に戻る姿を見ている――父の価値ある植物を狙う者か?と警戒心が浮かぶ目で、灯りに映りこむ影をじっと見つめていれば、それが誰のものであるのか気が付いた。
 ガラスを通してぼんやりと浮かぶ小柄な姿に思わず、窓に手をついて呻く。

「なっ…!」

 葉を広げる植物の間に、確かに見えた人の姿。
 それを目にしたネスティはすぐに、本来の目である部屋に入って中を見ればベッドで眠っているはずのの姿はなかった。 シーツのぬくもりがわずかに残っていることから抜け出したのはそれほど前でもないらしい。
 サイドテーブルにネスティの作った粥(かゆ)が完食された状態で片付けられ、すぐ傍らにあるメモには走り書きで「美味しかった! すぐに戻るよ!」と脈絡のない文章と、本人の体調とは裏腹に元気いっぱいの文字が。
 …やられた、と彼女のフットワークの軽さに呆れながらもメモをくしゃりと握りつぶす。

「まったく…目を離すとすぐにこれだ」

 コートを手に掴んで羽織り、裾を翻しながら踵(きびす)を返すとネスティは部屋を出た。
 しんとした静寂が満ちる廊下の窓から再び温室を見下ろし、灯りが消えていないのを確認すると足早に外へ出る。 裏口からのほうが近いのでその扉の前に立てば、夜には錠が施されているはずの鍵は開いていた…恐らく彼女もここから抜け出したのだろう。 ため息を吐きつつもそのノブを掴んで開け放つ。

 ――ひゅうっと口笛にも似た小さな風の声を耳にする。
 同時に、冷たい風がネスティの黒髪をさらい頬を優しく撫でて過ぎていく。
 冬独特の澄んだ空気を肺に吸い込み、鈍くくすんだ灰色の石の階段を下りるとネスティは温室へと一直線に目指した。
 灯りはまだ、ガラスの向こうで優しい光を灯している。
 扉を開ければ一定の暖(だん)を保っていた室内の空気は大きく揺れて、書物やお茶を置くための白いテーブルの向こう側にいたが、びくっと肩を揺らし慌てて振り返る姿が灯りに照らされてはっきりと見えた。

「わっ! び、びっくりしたー! どうしてネスがここに」
「それはこちらの台詞だが。 …君こそ何をしているんだ、体調がよくないのだろう」
「や、もうちょい待ってて。 もう終わるから〜」

 そんな彼女が手に持っているのは水差しだ。
 植物に水をやりにきていたのか?と目で問えば、渇いた笑いが零れては頷く。
 笑う表情から見るに体調は回復したようだが、それでも一日安静にしていたほうがいいに決まっている。

「師範に植物貰ったんだけど、お水あげるの忘れてて」
「一日くらいやらなくとも生きるだろう」
「いや、なんか、思い出したら気になっちゃって」

 ”漫画もゲームもないからガーデニングに目覚めちゃったんだろうなぁ”と聞きなれぬ単語を零しながら笑うに、ネスティは眉をひそめた。
 から見知らぬ世界の欠片を見せられるたびに胸の奥がざわつくのは、旅をしている頃から変わらない。


 いつか、いなくなってしまうのではないか


 そんな不安が常に、ネスティの胸の内にとぐろを巻いている。
 それは常に。
 存在はするのに、未だに深く霧を残したまま解明されていない<名もなき世界>―――彼女の世界は、自分には届くかどうかもわからない未知の世界だ。 だからこそ、何かのはずみで一度この世界を離れてしまえば再び連れ戻すという選択肢を掴むことは、とてつもなく難しい。

 ネスティの表情から、彼が何を考えていることに気がついたの。
 柔らかな色のストールを肩に羽織ったが「大丈夫、帰らないって」と本当にどうでも良さそうに笑い、「それより」と急に真面目な顔にってネスティをびしっと指さして視線を促した。
 促された先には、小さなプランターの土から小さな芽がひょこりと顔を出しているだけで、美しい色を咲かせてもいない一つの植物。 けれどそれでもにんまりと、満足そうにが笑う。

「この間、いい感じに芽が出たんだ。 春には咲いてくれるって師範とミモザが言ってたわ」
「…そうか」

 随分、適当らしい返答をしてしまった。
 しかしは予想していたのか特に気分を害したふうではなく、やれやれと肩を竦めながら水差しの水を全て流して、元の場所に片付けている。

「あたし、自分で一から育てようなんて思ったことあんまりなくて…でも、だから今度はしっかり咲かせてやりたくて」
「花は花屋にいけば買えるだろう」
「んー、ネスらしい答え。 あたしもそんな感じで思ってたところもあったからわかる。 そう、花は花屋にいけばすっごく綺麗な状態で売られてるんだけど…」

 呟いて、何かを考える素振りを見せるの胸の内が、よく分からない。
 何を考えているのだろう。 何を感じているのだろう。
 けれどネスティがどんなに考えても正解にたどり着かないことは、とうに思い知っている―― ”まあ、気長にやるわ”と立ち上がるをぼうっと見つめるネスティに、は首を傾げた。

「どうしたの?」
「いや…」

 しまった、と思った。
 闇に慣れた目は、少し離れた場所に吊られたランプの灯りがなくとも明るく見えて。
 だからこそ月の光を受けていつものように微笑む彼女の姿に、熱いものが込み上げてくる―――は美しいと言われるほどの顔立ちでもなければ、特別愛らしいというものでもない。 しかし二年以上の月日を過ぎて大人びて、女性らしい面がしっかりと浮かんでいることは常に思っていた―――彼女への恋心を自覚してからは、特に酷い。 ふとした仕草さえも、ネスティの鼓動が跳ねる。 の行動に、一喜一憂を繰り返す。 マグナやトリス以外の他人にここまで振り回されるのは初めてで…。

(…だめだ、収まらない)

 一度、意識してしまえば駄目だった。
 昼から鎮まっていた欲が、ざわりと波立つ。
 枷(かせ)のない、欲に汚れた自分が、ゆるりとその瞼を持ち上げて目覚めてくる。

「ネス? 片づけも終わったし、もう部屋に――っ」

 の言葉を遮って、ネスティの指先が彼女の唇にそっと触れた。
 冷たい指先に驚くようにの肩が跳ねたが、それはすぐに落ち着いて。
 唇を撫でる指先をそのままに、から、もう片方のネスティの手の指に自分の指を絡めて身を寄せてくる。 わずかに触れているその場所から心地よい熱が繋がって、その心地よさに眩暈のようなものを覚える。

「…突然、どうしたの?」
「どう、したんだろうな。 …無性に、君に触れたくなった」

 我慢がきかないなんてまるで子供と同じだ。
 自嘲のように口元を歪めて、指先でゆっくりとの唇を撫でてやるとくすぐったいのかからくすくすと笑い声が零れた。
 それを少し不思議そうに見下ろせば、「に言われたこと忘れた?」と楽しそうに問うてくる…あぁ、そういえば、には我慢しろといわれた気がする。

「…僕は意外と、我慢強くないようだ」
「見た目は鉄壁の理性って感じなのにね」
「見た目で判断するのはよくないな」
「まったくですな」

 友人のような、そんな気軽な言葉の掛け合い。
 変わらぬ。 それはいつまでも変わらぬもの。 ―――あぁけれど、変わらなくとも良い。
 それは確かに心地よい。 二年前と変わらない。 二年の刻に置いていかれた自分には、変わらぬそれがとても嬉しいものでもあった。 二年前とは違う世界の新鮮さとわずかな違和感の中で、そのことがどんなに安堵しただろう。

 ぎゅっと、ストールに包まれた肩を抱き締めればの体は冷えていた。
 温室にいるとはいえそれでも体は冷えてくるし、彼女は病み上がりの身でもあるのだ。 「なんでちゃんと服を着てこなかったんだ」と咎めるように見下ろせば、「すぐに戻るつもりだったから」とは苦笑した。
 彼女の苦笑の意味がわからない。
 ”君が何を考えているのか分からないことだらけだ”とそんなことを呟いてみるとは、ぱちぱちと瞬きを繰り返して。

「何それ?」
「僕は君が考えていることを、感じていることを知りたいんだ」
「うわぉ、熱烈な告白だー」

 嬉しそうに笑ってから、がぎゅっと抱きついてくる。
 ”僕は真剣だぞ”と不満そうに抱きしめ返すと、隙間なく密着しているおかげかの体の冷えが少し落ち着いた気がした…ああ、そうか。 こうして抱き合っていればお互いに暖かいのか。 だから人は、一人では立っていられない冷たい場所にいても、他人と身を寄せ合ってその温もりを分かち合うのか。

「分からなかったら聞いてくれてもいいのよ? あ、でも質問責めは嫌だし、秘密がある女はミステリアスってことで全部は教えてあげられないけど」
「……解決になっていない」
「――じゃあ、これはわかる?」

 つま先を伸ばし、の唇がネスティのものに触れる。
 可愛らしい音をたてて離れていくそれに一瞬、思考が止まった。そんなネスティを見てが「ネスのことが好きって伝わった?」なんて言ってきて、にんまりと笑っている。 なぜか、やられたと負けた気分になる。
 だが次には、「卑怯だ」と彼女を責めて、その唇を奪い返す――腕に抱く力をこめて、頬にかかる髪を耳の後ろにかけながら、何度も、何度も、柔らかなそれに吸いつくように口づけた。

「んっ…」
「はぁ、っ…ネス…、ッ…」

 お互いに触れた箇所がとても熱く染み渡る。
 少し早い呼吸が、閉ざされた空間の中ではよく響いた。
 熱を帯び始める体が互いの興奮を煽って、触れ合うのをやめられない。 頭の片隅の理性が”場所を考えろ”とネスティを叱咤するが、の方から唇を求められれば聞こえなくなった。

「っ、はぁ…分からなかったら、聞いてもいいんだろう? 僕に身体を撫でられて気持ちが悪くないか…?」
「え…ぁ、っ」

 ネスティの手のひらが、するりとの背中を撫でる。
 が静止の声を上げるが、それはゆっくりと腰のラインを降りてゆき、臀部の丸みに差し掛かると、彼女の身体がびくんっと跳ねた。
 その反応に目を細め、うなじに唇を押し当てたまま舌先を押し付けてやれば、ぴちゃり…と湿った音をたてる。 首筋に触れる熱に驚いたのか、ネスティの背中に回されたの腕が指先がすがるようにしがみついてきた。

「んっ…」
…、君のことが知りたい」

 この欲の名前は、なんというのだろう。
 召喚師によくある貪欲な知識欲なのか。 それともただの性欲なのか。
 しかしそんな疑問さえ、彼女の荒い呼吸の音に掻き消された。
 体中を撫でまわるネスティの手に身を震わせるが、ネスティの肩口に顔を埋めて熱い視線から逃れようとする。 そんな彼女を逃すまいとネスティは唇で追いかけ、柔らかな耳たぶに咬みついた。

「っひゃ、ね、ネス…それ、ダメ」
「だめじゃないだろう。 君の体温が上がった…、ん」

 普段より熱くなる身体にネスティ自身も熱くなる。
 耳への愛撫にが離れようと身を捩じるが、抱いた腕がそれを許さなかった。 確実に変化を見せつつある彼女を、もっと見たいと、もっと抱きたいのだと本能が訴えている。

 触れ合う場所から伝わる、温度。 その熱さは なんと いとおしい。


「…こうやって」
「?」
「…誰かに触れるのは、初めてだ」


 こんな気持ちで 触れるのも


 低く。 小さく。 …笑いを含んだ声音で呟くと、「ぎゃあっ」となんとも色気のない悲鳴が飛び出てが両耳を押さえた。
 逆に驚かされたネスティがその反応に目を丸くしてしまえば、抱き締められたまま俯くが「勘弁して」と、今度は顔を両手で覆ってしまう。

?」
「…なんでもう、さっきから、そんな悩殺的なのあんたは…」
「は?」
「しかも天然だから余計タチが悪いわ、恐ろしいっ」
「…失敬な人間だな、君は」

 ネスティは呆れながらも、の髪に顔を埋めて目を伏せた。
 花のように甘い匂いがする。 抱き合う部分から鼓動が伝わって、ぬくもりが伝わって、情欲が次第に強まっていくことがわかる―――奥底にいる獣がまた、低く、唸り声を上げた。

「…ネス」
「何だ」
「月が、明るい…から、その」

 ネスティに抱きしめられながら小さく呟くの言葉に促され、空を見上げる。
 ゆるくカーブを描いたガラスの天井の向こうで、月が青白い光を放っていた。 確かに、眩しいまでの月明かりだ。 遮る雲も周囲になく、温室の隅までその光が落ちて植物の名前がつづられた札も読める。

「ああ、確かに明るいな。 それがどうかしたのか?」
「う、あの、その…」
「?」
「〜〜〜〜ネスのバカ! 鈍感!」

 顔を真っ赤にして、唐突にが怒り出した。
 怒り出した原因が分からず首を傾げてしまえば、彼女の手が、眼鏡のフレームに手をかけた。 「眼鏡没収!!」と取り上げようとするそれを、ネスティは払い退けることもなくされるがままに目を伏せて受け入れるとフレームの感触が耳からするりと抜けていって、呆れた表情でを見返す。

「…、気が済んだか?」
「眼鏡がないと見えないでしょ、だから、これ以上はダメ」

 やはり、彼女が何を怒っているのかわからない。
 まだ冷めやらぬ熱を持て余しながらもネスティは、はーっとため息を吐きながら前髪を掻き上げる。 自分が鈍感なのか?と自問自答をしてみるも、やはり答えは出てこない――けれど、それでも彼女の隣は心地よい。

「君は時々、口が悪い……だが、君の場合は今更だったな」
「言っとくけど、ネスもね。 でも慣れって怖いわよねぇ、全然平気になるもの」
「同感だ」

 眼鏡がなくとも、人間の肉体を得てからは少しは見えるようになっていた。
 コートを脱いでの肩にかけると、眼鏡をいじっていたがきょとんとした顔で「見えるの?」とネスティを見上げた。
 は旅の頃のネスティの視力の悪さを知っている。 だから何事もなく接してくるそれに不意打ちをくらったような顔をするのだ。
 それが少し可笑しくて、ネスティは小さく笑いながら彼女の手を引いた。

「戻るぞ、風邪をひく」
「――…ネス」
「なんだ?」

 扉に手をかけたところで、俯いていたの足が立ち止った。
 それに振り返ってを見つめると、の両手がネスティの襟首を掴んで引き寄せる。

「――っ!?」
「…ン…っ」

 熱を帯びた唇がぶつかるように重なる。
 しかしネスティが驚いたのはキスのことではない。 自ら舌を絡めて、ネスティを煽ってきたことだ。 持っていた眼鏡は肩に羽織ったままのコートのポケットにでも入れたのか彼女の両手は空いていて、それはネスティの頬を包み、小さな舌が拙いながらも絡み合おうとしてくる。

「…な…っん、…」
「やっぱり、明るくても、いい…――ネスが好き」

 口づけの合間に落ちた、の想い。
 優しく微笑むそれに、一瞬目の前が眩んだ。
 彼女が先ほど何故月の明るさを気にして怒ったのかようやく理解したが、それどころではなくなった―― 一度取り戻した理性が、急激に崩れていく音を確かに聞いたから。

「っ、!」
「あっ…!」

 の驚いた声とガタンッとテーブルの脚が石床をこする音が、温室に響いた。
 テーブル上に倒れた彼女の足の間に身体を割りいれて密着した状態になり、驚きに上がる声を飲み込むかのようにそのまま唇を塞ぐ。
 もっと。 もっと、に触れたい。
 もっと。 もっと、を知りたい。 奥底まで、暴いて自分のモノにしたい。
 そんな感情が奥底から溢れ出て噛みつくような口づけに変わると、はぎゅっと目をつむってそれを受け入れた。 彼女の手首をテーブルに押さえつける腕は緩まない。 求めているのだと、欲しているのだと、彼女がそれをわかるまで。 彼女もそれを望むまで。 普段の理性的な姿をかなぐり捨ててを求めた。

「はぁっ…こんなところでも、君はいいのか? ここは外で月も明るいのに…ん」
「ん、ぅ…っ」
「だが僕も、部屋まで待てそうにない…」

 身体の熱が暴れたがっているようだった。
 互いの唾液で濡れた唇をぬぐってから身を起こし、ネスティは急くように自分のシャツの前を開いて肌を晒すと、の瞳が恐怖に揺れた。
 その揺らぎに自分は今、とんでもない目をして彼女を見下ろしているのではないのか――と、そんな思考が過ぎていく。 だが、今さら止められるはずもない。 のシャツのボタンを一つ一つ外して、ネスティと同じようにの白い肌を月明かりに晒す。
 銀にも似た青白い光に彼女の白さが一際鮮明に焼きつき、思わず見惚れて凝視するネスティの視線に耐えかねたのかが両手でシャツの前を引き寄せて隠してしまう。

「や、やっぱり恥ずかし」
「っ、隠すな」
「やっ…」

 両手首を掴んで頭上に縫い上げれば、開かれた部分から、男にはない二つの膨らみが露になった。
 体調を崩してずっと横になっていたから下着はつけていなかったらしい。
 甘い色をたたえた胸の蕾が厭らしいほどにネスティを誘っている。 ごくりと喉を鳴らし、息を荒くしてその胸元の肌に吸いつけばの全身がひくりと跳ねた。

「あ、ぅ…ッはぁ、ネス…っ」
…っ」

 触れるたび、掴んだ手首からびくんと震えるのが伝わる。
 けれど、本当に止められないのだ。 敏感な部分を愛撫するたびに紡がれるのは日常では決して聞けない、彼女の、濡れた声で。 最初は断片的に、けれど次第にそれはいくつも、量を増して溢れ出して、もっと聴きたいのだと彼女の肌を求めてしまう。 声が、舌を這わす濡れた音が卑猥だが、あぁ、そんなもの構うものか。

 自分は今、彼女が欲しくてたまらないのだ。

(これが、欲)

 他人を欲する、感情。
 の言うとおりだ。 こんなものに全てをまかせてしまえば、にどんなにことをしてしまうかわからない。 優しくありたい。 けれど壊してもみたい。 正反対の感情が、醜い欲が、ぐるぐると脳内を、心を侵食していく―――それは激流のごとく、激しいうねり。
 完全に沈黙する理性の存在すらも忘れ、の肩を抱きながら朱に染まった頬に口づけ、片足を抱えて開かせる。

「っはぁ、はっ…、ぁ、ネス、待って…ッ!」
「っ…大丈夫だ」

 何が大丈夫なのだろうか。 口にしておいてそんなことを思う自分が滑稽だった。 だが、ほかにどう言葉をかけてやればいいのかわからない。
 他人に触れられることのない場所に行き着くであろうネスティに羞恥と、恐怖しているのはわかるが、ただ、胸に渦巻く熱が招く情動は止められない。 彼女が欲しくて、愛おしくて、大切で、だからこそ。

「――君が好きだ、

 呼吸の間隔を忘れるほど、初めて、こんな狂おしい感情に振り回されている。
 それこそ獣のように食らいたい衝動をぎりぎりのところで踏ん張っているだけ。 だがこうやって踏みとどまれるのは、がネスティの名を呼んで、好きだと言ってくれているから。
 耳たぶを甘く噛みながら、脚を開かされた彼女の中心に指をすべらせる。

「ひっ…、ぁ、あ…ッ」
「声が変わった、な…」

 全て引き下ろされて覆うものは何もなくなってしまったその場所は熱く、無意識に息が上がった。
 薄い茂みを掻き分けて見つけた小さな芽ごと指をすりつけると、の声の質がまた変わる。
 乳房を揉まれ、耳を舌で絵取られ、同時に秘部を犯されて与えられる快楽には泣きそうな声をあげて身を震わせた。 濡れてきたせいで滑りもよくなるとテーブルに広がったネスティのコートを握りしめて切なげな吐息をもらし、声のあがる間隔が狭まって限界が近いことを知らせる。

「ネス、ネ、ス…ん、ぁう、ァ、っあぁ…」
、…っ」
「ぇ…、あ――ぅ、やぁあ…、どうし、てっ…?」

 あと少しのところだったのか、一転してもれた苦しそうな声に指を止めそうになった。
 しかし指が侵入してくると知ると、途端に反応して溢れる声に、しなる肢体を見せつけられてはやはり止まれない。 深みを目指して押し進めると途端に、自分の指が彼女の窮屈な肉壁に呑まれていく。
 それは恐怖から侵入を拒まれているようにも思えるが、泉から溢れるものは量を増し、蕩けそうな瞳で喘ぐ姿は決して拒否というわけではない。 悦ぶように熱をあげる身体に、ネスティは目を細めた。

「指に絡みついてくる…、どこが気持ちいいのか教えてくれ…」
「あ、…ん、そこ…っ、ネス、…そこが、…んんっ」

 弱々しく呟かれる自分の名が、愛しい。
 探るように、拓くように指を操ればそのたびに痛みに堪えるように息をして、涙に潤む瞳がネスティに向けられるが、なんて甘い視線なのだろう。
 涙を吸い取るために唇を寄せて口づけを贈り、名前を呼んでみた。
 そうすれば、の瞳は嬉しそうに細められて今度は自分も嬉しくなって。

(―――ああ、良かった)

 そんな感情が浮かんでから、今更独りよがりではないかと恐れている自分に気がついた。
 先ほど「好き」と言葉を貰ったのに、それでも恐れを抱くあたりは酷く自分らしい。
 臆病。 それでも構わない。 いつもの事だ。
 彼女の艶姿に高揚を覚えているせいだろう、酷く、酷く、身体が熱い、限界だ―――。

…ッ」
「――あ、っ、ん…はァ、あぁっ…!」

 内腿に口づけを贈ってから、の脚を左右に押し広げる。
 蜜をこぼすその場所に欲の昂りを押し付けてゆっくりと身を沈ませると、痛みのせいかの悲鳴が上がった。
 指とは違う異物の侵入に激痛が伴うのか、苦痛の表情でぼろぼろと零す涙を見ると自分まで苦痛に思えて。 それでもやめられなくて、戸惑う。 動揺が、胸の内に沸く……なのに強い締め付けに、ネスティの口からは苦しみよりも悦びの声が零れていった。

、もう少し、…っ」
「ン、んぅ…!」

 慰めに顎に口づけると、の腕がネスティの首に回って黒髪を掴んだ。
 ぶつかるように唇を合わせて、吐息を混ぜあう。 繰り返し、震えた声で耳元で囁かれる愛の言葉はネスティをなお煽っていくから余計に止まれない。
 彼女の言葉が、嬉しい。 愛おしい。 悦びが溢れて、息を呑んで、押し進めれば進むにつれ、快楽が思考を白く塗りつぶしていく。
 ただ欲求のままに、このまま、求めてしまいたくなる。
 一方で、それをとどめている自分がいるが、なんて小さい理性だことか。


「……っどうして、だろうな…っ」


 背に走る甘い痺れに睫毛を震わせてそう問えば、濡れた瞳がネスティを見上げてきた。
 月明かりにネスティの黒髪は優しく照らされてはいるが、逆光で自分の表情が見えないようでは不思議そうにネスティを見上げ―――わずかな苦痛の色を混ぜながら、それでも口元に笑みを浮かべた。
 覆いかぶさっているネスティの背に、彼女の指先が触れる。

「どう、したの…?」


 ―――言葉と、背にすがりつく手が、愛おしい。


 泣きそうな顔も、愛おしい。
 汗に濡れた肌も、愛撫に溺れるその様も愛おしい。
 この空間も、外の世界も、何故か、全て。 全て。


 かつては世界の全てが憎らしいと思っていたのに。


(変わるものだな…ヒトというものは)


 祖先よ。
 悪魔よ。
 感謝しよう。
 大罪を犯した者と、世界を滅ぼそうとした者よ。

 感謝を。

 祖先よ。
 大罪を犯し、おかげで疎まれたりもしたが、貴方たちがいなければ生まれてはこなかった。
 悪魔よ。
 祖先を恨み、アルミネを恨み、力を得ようとお前達が現れなければ彼女に出逢えなかった。


 祖先がいなければ自分は存在していない。
 悪魔がいなければと出逢うこともなかった。

 特に悪魔が欠けていれば、自分はきっと、世界を、人間を憎んだままだっただろう。
 死ぬまで全てを諦め、父がいなくなったあとはあの男の下僕となり玩具となり、薄暗い部屋の中で、恨みと憎しみを抱いたまま、独りで死んでいただろう。

 独りで。
 凄絶な憎悪を抱いて。
 血を吐くような咆哮を上げて。

 やがては死んでいただろう。



 ―――感謝をしよう。


 彼女と出逢わせ。
 彼女と同一の者へと転生して。
 彼女を愛する喜びを与えてくれて。


 感謝しよう。

 世界中から愚かと呼ばれても、感謝を。



 あぁ、でも、彼女が離れていったらまた恨むかもしれないが。
 (随分勝手だが、彼女がいてこその感謝でもある)


「ネス…?」
「いや、何でもない…」
「……、変な顔」
「そうか」

 いつもの調子に戻そうとして冗談で言ったのだろうが、それを普通に返されて驚いたのか、がぎょっとして”嘘です、めちゃくちゃ美しいです、すみません”と首を横に振って詫びてきた。
 その姿に苦笑が込み上げてくるが、変わりに意地の悪い笑みを口元に浮かべて顔を寄せて、”余裕そうだな”と囁いて肌に手を滑らせると、突然再開された愛撫に身体が跳ね、ネスティを飲み込んでいる奥が収縮する。

「…ッ、もう馴染んだのか…?」
「あ、いやっ、ちょっ、そ、そんなんじゃ、なくて」
「…動いてもよさそうだな、僕も安心だ」
「何、そのやらしい笑みは!」
「ほう、人の顔をそう言うのか」

 片手で彼女の両腕を頭上に縫い付けて、膝裏を持ち上げゆっくりと腰を揺すってやる。
 そうすればの声が温室に響いて、先ほどに見た日常的な彼女の表情は再び喘ぐ女の顔に戻り、テーブルが揺れる音と結合部から響く水音に羞恥心を刺激されて目尻をじわりと滲ませる。

「あっ、ネス、ん…ッ、あぁ」
「っ……!」

 大きく息を吐いて律動を早め、限界に近い彼女の奥をさらに深く、穿つ。
 そうすればの身体が大きく震え、奥を穿たれた彼女の奥が急激に収縮した。 限界を訴える甘い声が脳を突く。 しかしネスティもまた、彼女がもたらす締め付けに声を洩らし、絡みついてくる彼女の奥に熱を放った。
 どくどくと脈打つ鼓動がやけに大きく響いて聞こえる。
 それに耳を澄ませながら、満たされていく心に目を伏せた―――。

「っはぁ、はぁ…」

 視界が、ちかちかと白く瞬く。
 けれど何故か、背後からかかる月明かりがとても明るくて、眩しい…あぁ、今日は、雲が少なく晴れているから。 だからとても明るいのか。

 明日はきっと、穏やかな天気になるのだろう。




(―――君と生きられる世界に、感謝を)




 快楽に震えるの身体を抱き締めながら、ネスティは密かにそれを祈った。

Fairy tale 3

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