「…う〜〜〜〜〜っ」

 もう何度目の呻き声かわからない死にそうな声が、自分の口から零れていく。
 ほぼフリーターである自分の身分にはとてもとても不釣合いなベッド(しかも天蓋付! ゴージャス!)の上で丸くなり、お日様の匂いがするシーツと枕に顔を埋め、痛みに堪えるため腹部を押さえて縮こまる。
 何をしても、どんな姿勢になっても、この痛みはやはり和らぐことはなかったが……あぁもうなんてこと! …などの叫びさえも言葉にならず胸中に木霊するだけで、とにかく呻き続けるしかなった。

 そんなあたしの傍らで、椅子に座っていたネスがため息を吐くと、手元の本からあたしへと視線を上げて問う。

「大丈夫か?」
「あ り え な い〜〜〜〜〜!」
「全くだな、…まさか、昼に食べた貝にあたるとは」

 あのネスも、あたしの不運っぷりにうなる。

「皆同じの食べたのにどうしてあたしだけ〜〜〜! うう、お腹痛い…気持ち悪い…」

 肌に玉の汗をびっしりと浮かべて、酷い顔色であろうあたしは再び、痛みに呻いた。
 そう、お昼に食べた魚介類のスパゲティ。
 ラウル師範やマグナと一緒に食べたはずなのに、何故かあたしだけ見事に当たりを引いてしまったらしい。 ”メイメイのところのスクラッチカードとかの当たりなら大歓迎なのに、こんなのは嫌すぎる…!” …だけどもそんなことを思っても仕方がなかった。 こういうとき、あたるものはあたるのだから。

「…そいえば、騒ぎは落ち着いたの…?」
「ああ。 少し手間取ったが、どうにか」
「そっか、良かったー」

 ほっとため息を吐きながら、先ほどまでの騒ぎを思い出す。
 あたるときにはあたるもの。 しかし根源を辿れば材料の衛生面の問題が自然に浮かび上がってくるだろう……あたしが見事にぶっ倒れたあとで、バスク邸お抱えシェフがあたしに土下座して”責任をとって腹を切る”と騒ぎ始めたのだ―――あまりの乱心っぷりに、旅で鍛えられたあたしの度胆も見事に抜かれたわ。

「気にしないでって伝えてくれる? …そんなに大したことでもなかったし」
「その顔色で大したことがないなどと言われても説得力はないがな」
「だって、あの人の作るラズベリーのパンケーキ大好きだもんよ…っう…」

 ああ、そうだ。 大したことはないのだし(多分、そのうち治るだろう)、こんな一回で腹を切られてはたまらない。 あの人の作るものは本当に美味しくて好きなのだから、もっとたくさん作って欲しい。 食べさせて欲しい。
 朦朧とした意識の中でそんなことを考えながらぎゅっと唇を噛み締めて、込み上げてくる吐き気に「でもいい加減、カンベンしてほしいかも…」と弱々しく呟いてしまった。 それに慌てて席を立ったネスが、ベッドサイドに準備していた容器をさっと取り出して。

「戻すか?」
「イヤアアァァッそんな、いつでも嘔吐準備オッケー!みたいなスタンバイはやめてぇぇっ」
「しかし、戻したほうが気分が楽になるぞ」
「絶対、イヤ…! …特に、ネスの前じゃ絶対嫌」

 酷い顔色を見られているだけでもものすごく嫌なのに(きっとガレアノ色だよ!)、これ以上苦悶の表情を見られまいと顔を背ければ、ネスの手が、あたしの髪を恐る恐るといったように撫でて。

「そんなことを気にしている場合じゃないだろう」
「…」
「体調が悪くなるときは誰にだってある。 僕も今の君のようになったことが何度もあるから、苦しみや辛さはわかる」
「…でも」
「何だ…?」

 降りかかる声がとても優しい音を帯びて、ちょっと嬉しい。
 髪を撫でてくれる感触も優しく、心地よくて、あれだけ激しかった痛みもほんの少しだけ和らいだような気が……実はネスも奇跡の力を持ってるんじゃない? とか真剣に考える。

(…この人から好きだって言ってもらえたなんて信じられない)

 先日の、派閥での言葉を思い出してしまって、思わず頬が熱くなる。

 ――ネスに抱き締められた感触は今も、身体に染み付いている。
 決して温かいとは言えない体温だったけれど、強く抱き締められ、彼のぬくもりが服越しに伝わって、予想外の展開に頭はひたすら混乱した。
 だってまさか、あのネスに抱き締められる日がこようとは夢にも思わなかったからだ。

 同時に、本当に戻ってきたんだなぁと、泣きそうにもなった。
 メルギトスの最期の策を阻止するために独り立ち向かって、彼が戻るまでの二年間にあたしは散々思い知らされたのだ。

 あたしはどんなに、あの人のことが好きだったのだろうかと。

 ―――本当に、思い知らされた。
 朝も昼も夜も、最後に目にした赤い外套が揺れる広い背だけがいつまでも目に焼きついて離れなくて、それを最後になんかにしたくなかったから二年間をひたすら待ち続けて。
 なのにようやく帰ってきたかと思いきや今度は衰弱していて……あまりの衰弱っぷりにもう何度本気で神様に祈ったことか。
 神様、何でこの人はことごとく健康運に恵まれていないんでしょうか。 あんまりだったから一日にしつこいくらい祈った。

(…抱きしめられたとき、人間になったネスを見つけた時と同じくらい祈ったなぁ…)


 ああどうか、これが夢なら覚めませんように!って。


?」
「…せっかく好きだって言ってもらえたのに、取り消されちゃったらどうするのよ」
「………、は?」

 本音を、ぼそりと呟けば。
 ネスは、彼らしくもなくぽかんと口をあけて、”何を言い出すんだ”と言わんばかりに目を見開き、手にあった本をバサーッと床に落としてしまった。 なんて分かりやすい動揺。 こんなネスを見られるなんてあたしは本当に幸せだわ。

「い、いきなり何を言い出すんだ君は」
「ネス、耳真っ赤」
「……言われなくとも知っている」

 もともとが美しき白肌なので、顔を背けても綺麗な黒髪から覗く耳が朱色かがっているのがよくわかる。
 なんていうか、そこまで照れられるとあたしまで恥ずかしくなってくるんだけども、ああでもなんか。 やっぱりうれしい。 幸せだ。 堪らなくこみ上げてくる幸福感を力にして、どうにか上体を起こし、ベッド越しからネスの腰に腕を回して彼の背中に頬をくっつければ、突然の抱擁に驚いたのかネスの身体がびくっと跳ねた。 あー、なんていい反応なの。

「こ、こら、
「(なんていうかもう愛おしすぎる) んー、もうちょっとこうさせてよ」
「……少し、熱も出てきているぞ」

 腰に回した手をとられて、ネスの冷たい手に肌がぞくりと粟立った。
 彼はそれに気がついたのか慌てて手を退くけれど、”平気”と呟いてぎゅっと身を寄せると、ネスが息を呑んだ気配がする。
 ……あ、まだこんな風にされるのは嫌だったかな。
 でもあたし自身はまだネスのことをぎゅっと抱きしめたことがないのだ。 ネスだけ抱きしめていいなんてちょっと不公平だと思う――そんなことを考えながら、それでもネスの背にすり…と頬を寄せてネスの感触を堪能していれば、突然、腕を引かれた。
 それに体を離してネスを見上げると、彼は掴んだ腕をそのまま、あたしの身体を引きずるよう引き上げて胸に抱きこむと、強く抱きしめてくる。

「わっ、ね、ネス…?」
「頼むから、あまり煽らないでくれ…」

 耳元でそんなことを、切ない声で囁かれて頭の中が真っ白になる。
 えええぇでもでも抱きついていただけなのにそれって煽っていることになるんだろうか! などなど色んな突っ込みが白くなった頭の中で展開されるけど、でもネスに抱きしめてもらえたのでこれは役得だ。
 今まで抱きしめることなんてできなかったから、こうした触れ合いが素直にうれしい。
 なので遠慮なく、ネスの背中にそろりと腕を回して肩口に顔を埋めると、不意に、あたしの頬にネスの唇が触れた。

「!」
…」

 それは一度だけでなく、何度も。
 まさかまさかまさかまさかあのネスが!! と、衝撃的過ぎてか吐き気も腹痛も忘れて硬直してしまうあたしに気づかないのか、薄い唇が愛おしむように頬をすべっていく。

「…薬は飲んだのか」
「ま、まだ」

 触れられた箇所が熱くて、チリリと甘く痺れるのがわかる。
 こんな感覚は初めてだ。 甘い痺れに声を震わせながらネスの質問にどうにか答えれば、ぱきり、と何かが割れる音がした。
 音の出所がわからなくてネスの手元を見れば、彼の指が白い錠剤を手にしているのが見えて「あぁ、薬を取ってくれたのか」と、それを受け取ろうと手を伸ばそうとして、出来なかった。

(あれ?)

 その錠剤はネスの口の中へと消えてしまった。
 なんで?と疑問を顔に浮かべていると、顎を掴まれ、引き上げられる。
 ネスの黒い瞳と視線が絡んで――いつもと違う雰囲気をまとうネスに少し戸惑った――次には、ネスの眼鏡が鼻にぶつかり、そこでようやくネスが何をしようとしていたのかを知る。

「ン…ッ?!」

 驚いた声が全部、ネスの中に吸い込まれる。
 合わさった互いの唇の感触に驚いただけじゃない。 あたしの唇の隙間をぬって、ネスの舌と錠剤が口内に潜り、あたしへと送り込まれる…って、えええぇぇ水なしーーーー!?

「ぷは、ぁっ…! み、水、ほし」

 唇が離れて、しかし抗議する前に求めたものは水だった。
 錠剤が喉の奥に張り付いて(あの、なにか、ぺっとりというかぺったりとした感触がもう…!)今にも大きく咳き込んでしまいそうで顔をしかめていれば、ネスの指が顎を強く掴んで持ち上げて、再び同じことを繰り返してきた―――しかし今度は、液体が口内に溢れてくる。

「ん、んんーっ…!」

 溢れるそれが何か理解して、”水責めーーー?!”とまたもや胸中に悲鳴が上がる。
 しかも今度は相当苦しい。 上手く飲み込みきれず唇の端から零してもそれに構うことなく、ネスはあたしに水を飲ませようと顎を上に持ち上げて唇を合わせる。
 顎や唇が濡れても、あたしの顎やシャツの襟が濡れても構わずだ…あくまでも飲ませるつもり?!

(の、飲まなきゃ死ぬ…!)

 訳のわからぬ思考でそれを理解すれば、苦しさに顔を歪めながらもどうにかそれを飲み干そうとネスの顔に手を添えてバランスを取り、水を減らそうとどうにか喉の奥へと導けば自分の喉が大きく鳴った。
 ごくりと、喉を通す音が自分の中に大きく聴こえる。
 あたしから求めるその動きに煽られたかのように、ネスは自分の口内に残る水をあたしに与えようとしているのか顎を掴む力を強めてさらに深く唇を重ねてくる―――ようやく解放されたのは、何度か喉を鳴らして飲み干してからだ。 その間に錠剤も一緒に流されてしまったのか、身体の奥に水が落ちて行く感覚が広がっていく……あ、すっごいすっきりした!

(でも、いきなり何…)

 口移し、という突然の行為に、酸素が回らぬ思考は空回りするばかりだ。
 くらくらとする頭を軽く振りながら、ネスの唇が頬に触れてくるそれを心地よいもののように受け入れていれば再び、唇を塞がれた。

「はぁ、…ネ、ス…もう、飲めな…んんっ」

 まだ呼吸が落ち着いていないのに、これで水を飲むのはさすがに苦しいと訴える。
 しかし、今度は何もなかった。
 何だ、普通のキスか……それならばなんとか。 と、素直に受け入れようとして、その考えはすぐに打ち消された。 違う、これは。 この唇の熱さは。

「…ネス、待っ…、ん…っ」
「ふっ、…」

 ネスの声を、互いの口内で響く。
 彼のこんな声は聴いたことがない。 普段では聞けない声の質に頬を火照らせながら、滑り込む舌の感触にあたしの頭の中はまたもや真っ白になる。 ぞわぞわと皮膚が粟立ち、ヘンになりそうだ。 舌を絡みとられて言葉が封じられ、代わりに出てくるものは単語にもならないあたしの声だけ。

「は、…ふっ…」

 求めるように口内を犯すネスの舌は、ただただ熱かった。
 このままでは意識も全部、何もかもを持っていかれてしまいそうな気がして” ちょ、待って…!”と腕でネスの胸を突っぱねてもびくともしない。
 離れようとしても腰をしっかり抱かれているので身体は隙間なく密着したままだ。

「ね、ネスっ、待って、やめて」
…」

 耳元に届く、低くかすれがちな声にくらりと眩暈を起こしかけるも(弱いんだって、この声…!)、自分の体調の悪さを示す腹痛に顔を歪めてしまった。
 いやもう本当、ヤバイ! 吐き気もおさまってないのに!

「(アアァァもうギモヂワルイ…!) ネス、その、今は……わっ!」

 視界がぐるりと反転して、それに眩暈を覚えながらも起き上がることが出来ずにいれば、ネスが上から覆いかぶさるようにあたしの眼前に現れて、顔の両脇に手を付いた。
 眼鏡の奥にある黒瞳はいつになく熱を孕み、息を乱し、口移しに濡れた唇がぞくりとするほど艶やかに映る。
 それから思わず目を逸らせば、ネスの手が、服の裾から忍び込んで、肌を外気に晒させるかのようにゆっくりと上にのぼっていく―――。


(待って――!)

「はーい、そこまでっ!」


 パンパンッ! と勢いよく響き渡る手を叩く音に、傍目から見ても分かるようにネスの動きがぎしっと止まった。
 しばらく間を置いてから首だけをゆるりと動かしてネスが振り返ると、部屋の入り口には多彩な色の花束を持って、「気持ちはわかるけどがっつかないの」と呆れているの姿が…って?!

「病人に欲情しちゃ治るものも治らないわよ、ただでさえ食あたりって怖いんだから。 ほら、どいたどいたっ」

 の言葉に我に返ったかのように、そこでネスがはっと息を呑んであたしを見下ろし慌てて離れていく。
 あたしもめくれ上がった服を下ろしてから、込み上げる吐き気に耐えかねてそのままベッド突っ伏してしまえば、ネスに花を押し付けたが優しく声をかけてきてくれた。 それだけで、言いようもない安堵感が胸に広がって呼吸が楽になる。

「大丈夫?
…」
「薬は飲んだ…ようだけど、濡れてるから一度着替えなきゃね。
 あぁもうっ、ネスティならこんなことはないと思ってたのに」

 ”…誰ならこんなことになったんだろう”という突っ込みは胸のうちに留めておこう。
 ぼんやりとそれを考えているうちには花を花瓶に移して、新しいシャツをクローゼットから取り出してあたしに手渡して、呆然としているネスをあっさりと部屋の外に追いやった。 あまりにも自然な流れだったので、あたしも止めるタイミングを逃してしまう。

 てきぱきと働くその姿に唖然としたまま部屋を追い出されたネスが我に返って、扉の向こうから”おいっ”と叫ぶ声が聴こえるが、は完璧に無視だ。

「頭冷やしてからじゃないと立ち入り禁止よ! もうっ…でも本当に大丈夫?
「うん、ありがと…その、イロイロと」
「そんなに酷い顔色してるのにどうして気付かないのかしらねぇ、男って」
(…ロッカは気付きそうだけどなぁ)

 もぞもぞと着替えながらもあたしの考えたことがそのまま顔に出ていたのか、はぱっと頬を染め、”新たな一面を知った気分だったわ”と不貞腐れるように呟いた。
 その姿がなんだか可愛く見えて思わず、小さく笑ってしまう。

「お見舞いありがとう」
「ううん、…あたしもすぐ任務にいかなきゃいけないけど、ネスティもこれ以上馬鹿なことはしないと思うわよ」
「せめて体調が良かったらなぁ…」
「そうねー…ことごとくタイミングの悪い男というか、不運というか…」

 薬が効いてきたのか、次第に瞼が重く感じて開けていられなくなってきた。
 それに気がついたは立ち上がると、「ゆっくり休みなさい」ととても綺麗に微笑んで(こんな笑顔を何度も見られるとは羨ましいわ、ロッカ)、青いワンピースの裾を翻しながら部屋を出て行く。

 その背を見送りながら、<ことごとくタイミングの悪い男>の称号を授かってしまったネスの顔を思い浮かべて、気だるげに、はぁーっと深くため息を吐いた。


「どうせなら元気なときに迫ってほしいもんだわ…バカ」













「どうせなら元気なときに迫りなさいよ、バカ」

 部屋から出たあとで、扉の前で待っていたネスティを睨んだのは、を見舞いにきた旧友の女召喚師だった。
 彼女の吊り上がった眉を見て思わず呻いてしまったが、しかし開き直るように「我慢が出来なかったんだ」とため息を吐くと「開き直るんじゃないわよ」と怒られる……確かに、開き直っている場合でもないのだが。

「あんなに酷い顔色なのにどうして気がつかないわけ? 信じられないわ。 吐きそうって、お腹も痛いって言ってたんでしょう?」

 言葉にようやく、痛みに苦しんでいたを思い出して自分を恥じた。
 そうだ。 確かに彼女は苦しんで、辛いと言っていたのに。 自分は何をやっているんだ……自己嫌悪に陥っていれば、が前髪を掻き上げながら深く、深くため息を吐いて。

「…はぁーっ、本当に変わったわね貴方。 あんなに他人に無関心だったのに。 旅をしていた途中もよく我慢できたものだわ」
「あのときはまだ、<人>の身体を持っていなかったからな…」

 あのときはまだ、自分を抑える枷(かせ)があった。
 傍らに立って、笑っている彼女の姿を見るたびに込みあがる、狂おしい感情を押さえつけたのはその枷に他ならない―――今ではそれがないのだから、抑えてくれる物も何もない。

(こんなに、我慢強くなかったのだろうか、僕は)

 人ではないことを彼女が知って、知られることに脅える必要がなくなった。
 それからでも彼女は変わらず接してくれて、ただそれだけに安堵と喜びが込み上げた。

 しかし、自分は違うのだ。
 決して、彼女と同一の存在にはなれない。
 この身体は、彼女と同じモノではない。


 その事実に向き合うことが恐ろしく、に触れることに脅える日々だった。


(でも、今は)


 同じだ。 彼女と同一の存在だ。
 枷がなくなったのだ。
 ただの男として、彼女に触れることができる。
 それを理解すると、こみ上げる衝動の激しさに我を忘れてしまった。


「…獣と同じだな」

 抑制して、抑制されて生きてきたから知らなかった。
 こんな自分でも獣となれるのか。 と、彼女に触れて初めて知った。

「まあ、欲があるってことはいいことなんだけどね」

 が眠る部屋の扉をぼんやりと見上げているネスティの横顔に、は苦笑する。
 長年の付き合いがあるだけに、本当に、感情豊かになったものだと、昔のネスティの面影と比べてはその違いが可笑しくてたまらなかった。

「欲?」
「昔のあなたは、全てに諦めているようにも見えたときがあったから」


 過去の栄華を妬む罵倒に、身も心を打ちのめされて

 その身に眠る膨大な知識を羨む感情に、自由に生きることすら赦されず


 それらから解放されたいと望んでも、死はとても恐ろしくて



 ”それでも生きたい”




 血を吐くように叫ぶ声は、あまりにもか細く放たれる日々




(―――考えると、よく生きてこれたものね)

 彼も、自分も、今周りにいる愛しい家族たちには何度、救われていただろう。
 何度、その存在が在ったことを喜んだだろう………わからない。
 その数はあまりにも多く。 あまりにも深い。

 「で・も!」とは唐突に、びしっとネスティに人差し指を突きつけた。

「貴方は獣じゃないんだから、自分にブレーキをかけて我慢しなさい!
 欲しいからってその欲を急にぶつけちゃだって怖いだろうし、壊れちゃうわよ! とにかく忍耐力をつけなさい! いいわね?!」
「…わかった」

 渋々と返事をすれば、不満そうなその様子に”しかしあのネスティがここまで変わるとはねぇ”とまたもや昔を思い出したのか、笑いながらも柔らかな鳶色の髪をふわりと揺らして、指先をチョイチョイと曲げてネスティに「ついてこい」のジェスチャーをしながら背を向けた。
 何度も昔を思い出されてはたまらないのでに咎めるような視線を向けても、対する彼女は知らん顔だ。

「夕食、どうせなら貴方が作ってあげなさいよ」
「僕が?」
も喜ぶだろうし、細かい性格してるんだから本の通りに作れば美味しく出来るはずでしょ…薬が効けば夜には回復もしてるだろうし、一人じゃ不安だろうから看病してあげたら?」

 確かに、彼女一人にはしたくはないのだが。




(…いきなり忍耐を試されるのか?僕は…)





 そうして世界は、穏やかな夜を迎えることとなる。

Fairy tale 2

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