「―――あ、ちゃん、今から<巡りの大樹自由騎士団>のところにいくの?」


 玄関の扉に手をかけたところで、背後から声をかけられた。
 耳慣れた声に呼び止められて振り返ると、この家の主の片割れであるミモザの姿がある。
 彼女の右手にオレンジジュースのグラス、左手に分厚い本と紙袋を持っていることから推測すると…ジラール邸の地下書庫で本を漁り、それをじっくり熟読するためにジュースを注ぎ、準備万端。 自室に向かう途中であたしを目撃した…と言ったところか。 紙袋は何が入っているのか、さすがに予想出来ない。

 とりあえずバスケットが型崩れしないように気を配りながら、あたしはこくりと頷いた。

「ん、イオスにお昼ご飯持って行くところだけど…」

 ミモザは自室に向かう足を完全に止めて、眼鏡の奥の茶色い目を好奇心に輝かせた。
 あたしの手にあるバスケットに視線を向けている。

「あらら〜可愛い恋人と一緒に手作り弁当でお昼ご飯? 相変わらずお熱いわね〜お姉さんちょっと妬けちゃうわぁ」
「うわー、可愛いなんて言ったらイオス、怒るよ…」

 イオスは確かに可愛い。
 四界のエルゴが満場一致で認めるほど可愛い顔をしていると思う。
 正直言って、初めて会った時は美少女だか美少年だか一瞬見間違えたくらいだ。
 旅が終わったこの二年で大分変わってしまったけれど、それでも頭についた<美>は外せないだろう。 美青年の次は美中年にでもなるのかしら…なんて、こっそりと夢も膨らむわけで。 ダンディなイオスとかほんとヤバイ。 ときめいて死ねる。

(でも、すっごく嫌がるのよねえ…)

 年齢の割に幼い顔がコンプレックスなのか、可愛いなんて言うと一気に不機嫌になる。
 ものすごく嫌そうに顔を歪めるであろう見目麗しい彼のその様を思い浮かべながら「イオスの前で言わないでよ」と忠告するも、本日の幻獣界の女王様は何やらご機嫌なご様子。
 「いいのいいの、本人もいないし」と、あたしの言葉なんて聞いちゃいない……っていうか、何でそんなにご機嫌? 最高に嫌な予感がするんですが…!

「あ、もうこんな時間だわぁぁぁっそ、そろそろ行くね〜」

 あんまりにもご機嫌なものだから思わず、ミモザのニマニマ笑顔に脅えバスケットを抱えたままじりじりと後ずされば―――彼女はますます笑みを深め、じりじりとこちらに詰め寄ってきた。
 ヒー! あたしってば何でこんなに絡まれるの?!

「ふっふっふ〜、どーしてそう身構えるのかしらぁ?」
「いや、なんか、すごい笑顔だから…な、ななな、何カ御用デスカ女王様…?」
「あ、そうそう。 これから会うんだったらイオスに渡して欲しいものがあるのよ」
「渡し物…?」

 なんだろう。 微妙に嫌な予感がする。
 ”傀儡戦争”から二年と少しの間、ギブソン・ミモザと一緒に暮らしてただけにあたしの危機察知能力も相当鍛え上げられたようだ。 警戒心も露わに、やっぱりバスケットを抱えたまま更に後退をするあたしの姿に「そこまで怯えなくてもいいのに」と声を出して笑いながら、一気に距離を詰めて―――彼女は、その手に持っていた紙袋をあたしの胸にぼすんと押し付けた。

「?」
「これ、イオスに渡しておいてくれる?」

 何だろう。 中を開けて見る。
 紙袋の中には、ごくごく普通の栄養ドリンクとかでよく使われるサイズのガラス瓶が2本入っていた。
 薄い緑色のガラス瓶で、中の液体は瓶の色に染まっているせいで何色かすらも判断し難い。 なんとなく白っぽい感じもするのだけど…。

「何これ?」
「ん〜最近疲れが取れにくいみたいだから、薬草を使った滋養剤の生成を頼まれてたのよ」
「…そんな話、聞いてない」

 自分でも分るくらい拗ねた声が出た。
 でも、疲れが取れにくいなんて話……イオスからは一言も聞いたことがない。
 シャムロックやルヴァイドと同じく<巡りの大樹自由騎士団>に所属し、彼らと共に任務に駆け回っているであろうここにはいない彼の、凛とした横顔を思い浮かべながら不貞腐れるようにそう呟く。

 ミモザは悪戯めいた笑みの上にぱっちりと、綺麗なウインクをして。

「心配するほどひどいわけじゃないわ、ちょっと足りない栄養を補充するだけだし」
「滋養剤…リポDみたいなものかな?」
「りぽでぃー?」
「あ、いやいやこっちの話…とにかく、イオスにこれを渡せばいいのね」

 滋養剤を必要としていたことは本人にあとで聞くとして――だけど良かった、大げさに身構えるほどのことでもなかったみたい。(でもイオスは少し無頓着な所があるから気にかけておかないと…)
 袋を胸に抱え了承したことを頷いて伝えると、ミモザもにっこりと笑ってくれた。

「気を付けていってらっしゃい、イオスにもよろしくね」
「うん。 あ、あと、帰りはちょっと遅くなるかも、…」
「ああ、はいはい。 イオスが素直に帰すはずがないことはちゃんと分かってるわよ」

 ミモザは半ば呆れるように溜息を吐いて、言い淀むあたしの背中をとんと押す。
 押されるがままに玄関を出ながらミモザの言葉と溜息が意味することに耳まで赤くしてしまえば、それを見た彼女は苦笑して、「いってらっしゃーい」といつものように見送りしてくれた。

 しかしあたしが返せるものは、これまたいつものように引きつった笑いだけ。

(そろそろ一人暮らし、するべきかなぁ…)

 そんな事を考えてしまうあたしに、ゼラムの空から降り注ぐのは優しい陽光だ。
 聖王都の天気は今日も快晴で、視界の隅にまで広がる空はどこまでも鮮やかな青と白。
 肌を撫でる風も爽やか。 今夜の空も、月はとても美しい弧を描いて輝くだろう――それを考えただけで不思議と心が軽くなる。

「よっし、行くか!」

 春のようにのどかでのん気な心のまま、うきうきと石畳の道を行くあたし。
 その背中を見送っていたミモザがこんな言葉を呟いていたなんて、幸せすぎて浮かれきっていたあたしには知る由もなかったが。



「あー、結果が楽しみだわ〜」









「―――ではイオス、しばらくの間の留守を頼んだぞ」

 爽やかな風が頬を撫で、全身をすり抜けていくように吹きつけていく。
 その風に煽られてイオスの目の前で踊るものは、馬上から見下ろす男の長い赤髪だ。
 それは男の髪だけでなく、彼の白い外套や、彼を背に乗せる黒馬の鬣(たてがみ)も揺らした。 大柄な体格に合わせて身にまとった黒い鎧は不吉の象徴とされることが多いが、彼は黒がよく似合うと、今更ながらそんな感想が不意に浮かぶ。

 しかも、今日の天気は気持ちが良いほど快晴だ。

 まだ十分に青い空を背景に、愛馬に身を預けた男の立ち姿は堂々として勇ましく、黒鎧を身につけた姿は不吉どころか誰の目から見ても凛々しい騎士の絵そのもの。
 それを目の当たりにし、「ルヴァイド様ってカッコイイなぁ」と隣で惚けるように呟いた同僚の言葉に内心同意しながら、長年にわたり彼の腹心を務めたイオスの目も、広大な草原を見渡すルヴァイドの力強い後姿に強く惹きつけられた。

「ファミィ・マーンに書簡を届ける任だ、明後日には戻るだろう」
「はい、おまかせください」
「何かあったらすぐに知らせろ――では、行ってくる」

 手綱を引き、鐙(あぶみ)で横腹を叩いて促すと、馬は甲高く嘶(いなな)いた。
 どっしりとした逞しい四肢が地面を弾み、ルヴァイドの黒馬を先頭にした一頭一頭が同僚の騎士や兵士たちを乗せてファナンを目指し一斉に駆け出した。 少人数での出立だが、それでも力強い号令に走り出した一団の姿は統率のとれた軍隊を彷彿とさせて、その迫力は野盗ごときでは彼らの進路を塞ぐことさえも躊躇するだろう。

「…よし、僕らも戻るぞ」
「ああ!」

 力強い後姿が完全に見えなくなるまで見送ってから、イオス達は白い外套を翻して宿舎に戻る。
 自由騎士団は”身分に関係なく、誰もが騎士を目指せる”と理念を掲げて設立された一団だが、有事の際に王族と貴族、市民を守れるようにと宿舎は訓練場と共に外門の片隅に設置されている。 見送りをした門から宿舎へ戻るには10分もかからない。

 宿舎と訓練場へと繋がる広場へ戻ったそのとき。
 見習騎士たちに剣術指南をしていた後輩騎士のルイスが指南の手を止めて、こちらへ駆けつけてきた。 イオスは同僚の騎士たちに別れを告げ、二人の騎士は互いに歩く足を止めないまま言葉を交わし合う。

「イオス副隊長、ルヴァイド様は無事出発されましたか?」
「ああ、明後日まで戻らない。 彼がいないからといって外門の守備を怠るんじゃないぞ」
「はっ! ――あ、副隊長」
「何だ」

 再び呼び止められて立ち止まり、イオスは白い外套を翻し振り返る。
 唐突に秀麗な立ち姿と真正面から向かい合う形になるとルイスは反射的に姿勢を正した。
 シャムロックやルヴァイドを憧れ慕う者も多いが、イオスもまたその対象に入るのだ。 彼らが持つ独特の空気に畏敬の念に似た緊張を覚えながら、彼の待ち人の事を伝える。

「先ほどさんが来てました、副隊長が戻るまでの間に訓練場を見に行くと言って奥へ…」
「分かった」

 言葉が最後まで終わらぬうちに、ばさ、と音をたててまた外套が翻った。
 ルイスも、足早に訓練場へ向かうその背を追いかけて随行する。
 ”何故、そんなに急ぐのだろう”なんて疑問はとうの昔に解消された――― 他の団員と楽しそうに話すを見て、不満そうに顔を歪めている彼の横顔を見れば一目で理解してしまうというものだ。
 常に冷静なイオスが見せたその感情の露(あらわ)は、彼も一人の人間なのだとルイスがイオスを身近に感じる瞬間だ。


「あ、イオス! ルイスー!」


 透き通るような青空の下で明るい声が響き渡った。
 大きく、大きく手を振って、屈託のない笑顔でベンチから立ち上がったのは噂のその人のである――彼女に会うのは久しぶりだった。というその人は特別愛らしい訳でもなく美しい訳でもないが(イオスの方が断然美人だ)、ルイスは彼女の、愛嬌のある笑顔を好ましく思っている。

「二人ともお疲れ様〜さっきシャムロックから聞いたよ。 ルヴァイド、ファナンに行ったんだってね」
「ああ…」

 おや? とルイスは首を傾げた。
 せっかくに会えたというのに、イオスの返事に先ほどまでの覇気がない。
 何故なのだろうか…と疑問を浮かべたそこで、ベンチから立ち上がる男の姿を見つけた。 と並んで座っていたらしい人物へと目を向けて確認をしようとして、ルイスはぎょっと目を瞠る。

「し、シャムロック騎士団長?! いつ、城からお戻りに…」
「つい先ほどだ。 急いで戻ってきたんだが、ルヴァイドの見送りに間に合わなかったな…」

 人の良い、素朴な微笑を浮かべて立ち上がるシャムロックに、ルイスの姿勢が反り返るほどまでに真っ直ぐになった。
 シャムロック騎士団長――その立場から訓練場や宿舎に戻ってくる事が少なく、多忙を極めているのかここ最近は姿さえも見かけることが稀となった彼が、今、目の前にいるだなんて。
 いやそれよりも、と親しげに話しているということは彼女は彼とも交友があったらしい―――「お互い間が悪かったよね」と笑いかけるを見下ろすシャムロックの眼差しは、なにか、大切なものを見守るように温かく、優しい。

「今日ファナンに行くって知ってたらもっと早くここに来てたんだけどね〜」
「明後日戻ってくるらしいから、迎えに出てくるのはどうだろう?」
「あ! それいいわね!」
が来ればルヴァイドも喜ぶだろう」

「……―――ふ、副隊長?」

 盛り上がる二人のもう一方で、イオスを呼ぶルイスの声は心なしか震えていた。
 だがイオスは答えず、無言だ。
 彼は、疲れたように溜息を吐き、涼しい目許にかかる髪を払い除ける仕草を見せたあとで――― ザッ、と砂を蹴る音をたてて一歩踏み出したかと思いきや、の腕を捕えるように強く掴んだ。

「わっ」
、僕の休憩時間がなくなる」

 イオスの声が、凍土のごとく冷ややかなものを含んでいることに気がついたようだ。
 シャムロックは「あ、イオス、その」とたどたどしい弁解の言葉を紡ごうと口を開きかけるもの、イオスはシャムロックを一瞥することもなかった。

(しゅ、修羅場だぁ…)

 ただならぬ緊張感が周囲を漂い始め、肌を刺すように伝わるそれにルイスの胃は縮こまり、嫌な汗が顔中に噴き出したのを自覚する。
 シャムロックも、彼を妬かせようなどとそんな気もなかったはずだ。

 一方、腕を掴まれ驚いた表情を見せただったが――次にはぐっと眉を寄せて顔を歪めると、力強くイオスの腕を掴み返した。
 それが予想外の行動だったのか、今度はイオスの目が驚きに見開かれる。
 しかし彼女はにっこりと……いや、にぃぃっこり!と深く深く笑みを浮かべ、笑顔で獅子を捻り殺すかのような威圧を醸し出しながらイオスの目を直視した。 笑顔なのに目が笑っていないあたりが余計に怖い。

「そうね、あたしもイオスとじーーーーっくり話したい事があるの」

 その場に居合わせた二人の騎士は、悪寒にぶるりと身を震わせたのだった。










「まったく…ヤキモチ焼くくらいに神経使うなら、自分の体調を気にかけてほしいものだわ」

 ゼラムの空は、草原の果てまで見渡せるほどに快晴だった。
 その青空の下で、外門を出て、背の高い木の陰の下で並んで座る二人の姿がある。
 ここまで来る間に一通りお互いに言いたい事を言い合ってだいぶんすっきりしたものの、はまだ怒っているような表情を崩さぬままバスケットの中から取り出したチキンとサラダを紙皿に盛る。

「体調?」

 彼女が一体何を指し示しているのか理解に遅れた。
 イオスもどこか不貞腐れたように憮然とした表情で皿を受け取りながら、聞き返す。

「これ、ミモザから頼まれた滋養剤」

 紙袋を胸に押しつけられて、イオスは袋を開いた。
 覗き込んだ袋の中には2本の瓶が入っており、取り出すと、緑色に染まりつつある白乳色の液体が目についた――前にもらった滋養剤とは少し違うな。とそんな感想が不意に浮かぶ。

「すまない。 ミモザ・ロランジェに後日改めて礼に伺うと伝えてくれ」
「……他に、何か言うことはないの?」

 今度はが不貞腐れたように、フォークでチキンを突き刺した。
 彼女が何を怒っているのか理解出来ずにイオスが小首を傾げれば、はサラダをもりもりと頬張ったあとで、深くため息を吐く―――がっくりと項垂れた彼女の髪が風にさらわれて、イオスの目の前で柔らかく踊る。

「どこか体調が悪いとか、そういうの想像しちゃったじゃない」
「いや、別に体調が悪いわけでは…」

 多忙のあまり、たまに食事が出来ないこともあるので栄養を薬で補っているだけだ。
 その事を伝えるとの顔が引きつって、イオスは自分が地雷を踏んだことを悟った。(しまった、黙っておけば良かったか…)

「忙しいのはわかってるから、なんやかんやと口に出すつもりはないけど…」
「…心配させてすまない」
「気を付けてくれたらそれでいいわよ――で、その薬は効くの?」

 食事の片付けをしながらイオスは頷く。
 メイトルパの術を操る召喚師ミモザ・ロランジェは薬草学も専攻していたらしい。
 イオスは”他人で遊ぶ”という悪癖を持つ彼女が苦手だったが、ギブソンに勧められてミモザに薬の生成を頼んでみると、彼女が作り出す薬はかなりの効果をもたらしてくれた。 それ以来、多忙時期にはちょくちょく世話になっている。
 食後に服用するよう言われていたのでさっそく新しい一本の封を切る。 パキンと音をたててフタを取り除くと、甘いシリルの実の匂いが漂った。

「わ、いいにおーい」
「やはり前とは違う薬だな…」

 口をつけて味をみると、それは確信した。
 甘さが増して、舌触りのやわらかい液体になっている。
 前はもっとすっきりとした飲み味で、イオスとしてはそちらのほうが好みだったのだが…「味見」と言ってイオスの飲みかけに口をつけたは気に入ったようだ。

「美味しい! なんか、飲むヨーグルトみたい」
「よーぐると?」
「あ、ねえイオス、もう一口ちょうだい」

 イオスは、横からせがんでくるをじっと見つめた。
 「ん?」と不思議そうに見つめ返してくる大きな目にはイオスの姿が映っている。
 シャムロックに覚えた妬けるような感情は薄れ、そこから生まれるものはささやかな幸福感だ。 それを自覚すると、騎士団員には滅多に見せぬ柔らかい微笑が口元に浮かび、の額に額を合わせ、囁くようにその名を紡ぐ。

…」

 こうして触れているだけで、胸のうちに温かいものが流れ込んでくるのが分かる。
 彼女は今一番大切な人だ…そんな事を考えてしまうまでに、彼女の隣の位置は心地良い。

 恭しく手の甲に唇を落とし、さらに、幸福を招く”名”を囁く。
 は、イオスの金色の髪が木漏れ日に触れて眩い光を浮かべる姿に見惚れるように目を細め、手の甲を、手の平を、さらに指先まで丹念に愛撫する唇の感触に切な気な吐息を洩らした。 その反応はイオスの心を悦ばせる――彼女は本当に、イオスを喜ばせることが上手い。 こうして触れ合っているだけでも心が踊るばかりだ。

「っわ、っわ、ちょ、」
「君の機嫌も治ったし、君に会うのも触れるのも久しぶりなんだ」
「こ、ここ外! 真昼間の外なん――っ!」

 彼女の言葉は最後まで続かなかった。
 太陽から隠れるように、二人の頭上で木陰を作る木の幹にの背を押しつけて、噛みつくように唇を重ねる。
 柔らかな唇に吸いつく音を奏でる彼らの頭上で唄うのは、風に揺れる木々のざわめきだ。 頬を撫でるように吹きつけるそれは二人の体内で上昇の一途を辿る温度を下げることもできず、二人の間に漂う妖艶な空気も払拭することもできず、ただ虚しく通り過ぎていく。

「はぁ、はぁ…ぁ、だめ、まっ、待って…」
「――待てない」

 弱弱しい声で言われても、何の意味もない。
 それでも彼女は外であることにどうしても最後の理性と羞恥心を手放せないらしい。
 両手で顔を覆ってイオスの目から視線を逸らすに苦笑しながら耳元に唇を落とし、柔らかい部分をからかうように舌を伸ばした。
 湿った音で聴覚を撫でられて、は堪らず泣きそうな声をあげる。
 それ以上は駄目だと訴えるように足の間に割り込む青年の身体を止どめるように腿で抑えつけるも、なんら意味もない。 腰を締め付けてくる彼女の内腿の柔らかさにイオスは熱を孕んで息吐くだけだ―――耳元で囁く声により一層、情欲が滲む。

「僕を煽っているのか…?」
「ち、違っ」
「もっと、足を開いて――」

 促すように内腿をゆっくりと撫で上げる手に、押さえつけた体がびくりと跳ねた。
 顔を隠していた両手が突っぱねるべきか受け入れるべきか彷徨ったあと、喉で息を呑む音をたて、すがるようにイオスの背の服を掴む…すがられた事で身体は密着し、距離は縮まり、また額が触れ合った。

「誰か、きたら…」
「誰も来ない。 僕たちだけだ」

 イオスの前髪との前髪が、互いの額で混ざり合う。
 ”この髪のように混ざり合いたいのだ”と熱帯びる眼差しが濡れた視線を絡めとり、唇を重ねその熱を伝えた。
 与えた熱は、彼女にイオスの全てを伝えたのだろう。
 は恥ずかしそうに目を伏せたあと、休むことなく動き続ける内腿を撫でる手に従い、心も身体も許すように、羞恥に頬を染めた少女の脚が自らの意志でゆっくりと開かれる――――。



「副隊長ォォオーーッ!!!」



 ――――ことはなかった。
 遠くから叫んだ声に現実に引き戻され、は慌てて開きかけた脚を閉じた。
 その際に足の間にあったイオスの腰を再度締め付けたのだが、今度はその感触を堪能できる心境ではなかった……最高の餌を目の前で横取りされて、声の主に殺意に似たものを抱かずにはいられない。

「イオス副隊長ォォォーーー! どこですかーーーー!!?」
「副隊長うううーーー!!」

「い、イオス…呼んでるけど…」
「……(あの声はルイス達か…あとで吊るそう)………行ってくる」

 自分の背と肩を覆う白の外套を外し、の頭から身体全体を包んでやる。
 すっぽりと外套に包まれた自分の姿にきょとんとするにイオスは盛大な溜息を吐いた――未遂だったとはいえわずかな触れ合いの中で引き出された女の色香は消えておらず、こんな姿を他の男に見せるわけにはいかない。

「ナックルキティを置いていくから、ここで待っててくれ。 すぐ戻る」
「え? べ、別にいいよ。 心配しなくても…」
「用心に越したことはないだろう」

 緑色の輝きを放つサモナイト石から、一匹の召喚獣をリィンバウムに招く。
 ボクシンググローブに両手を包み猫の姿をしたそれは猫族の戦士だ。 可愛い外見の割にそのパンチ力は相当なもので、短時間の護衛には適任だ。 「彼女に近づく者は容赦なく殴り倒せ」と密かに厳命をすれば、ナックルキティは了承したように猫の鳴き声をあげながらの周りをくるくると漂い、彼女の隣に降り立ち、どんと胸を張ってグローブの手を掲げた。 その勇ましい姿は頼もしい。

「わー、かわいい」

 「よろしくね〜」と優しくその頭を撫でる手が気持ちいいのか、戦士は猫の子のように目を細めて和んでいる――その光景にイオスも思わず和みかけるのだが、複数の呼び声に引き戻された。

「副隊長ォオォォどこですかーーー?!!!」
「ふうううくたあああいちょおおおおおおう!!!」

 イオスを呼ぶ叫び声はまだ続いていた。
 ゼラムの外門の中から聞こえてくるそれはずいぶんと切羽詰っている。

「まったく、一体何をやらかしたんだか…それじゃ、行ってくる」
「うん、行ってらっしゃーい」

 木陰に座り込んだの髪を愛しげに一撫でし、イオスはザッと土を踏みしめて駆け出した。
 あっという間に消えていった背に呆気にとられながら、は一つの溜息をこぼす。


「何があったんだろ…」

「なんだろにゃー?」









「―――あ、副隊長! どこに行ってたんですか探しましたよ!!」


 イオスの姿を目に入れた途端、ルイス達自由騎士団の彼らは一目散に駆けつけてきた。
 結構な人数でイオスを探していたようだ。
 一体何なのだか……と、息を切らせて駆け寄ってきた同僚や後輩の騎士たちにため息を吐いたあと、イオスはとても綺麗な笑みを浮かべて。

「ルイス…くだらない用事だったら全員、屋根から吊るすからな
「(そんな極上の笑顔で言われても!)いやいやいやいや! ち、違うんです副隊長!」
「そ、そそそうだ! くだらない用事でお前の休憩を邪魔するはずがないじゃないか…!」

「―――何があった、シャムロックはまだいるはずだろう」

 非常事態の場合、宿舎にいるはずのシャムロックを呼んだほうが早いはずだ。
 もしやシャムロックは既に非常事態に駆けつけており、それだけでは対処できずイオスの応援も呼んだということだろうか…よりによってルヴァイドの留守中に事件が起こるとは。 一見、平和に見える王都もまだまだ平和ではないということか。

「いえ、シャムロック騎士団長が問題ではなく!」
「?」
「寧ろ僕たちが問題といいますか!」
「そう、俺たち、気づいてしまったんだイオス…!」

 何を言ってるんだこの男たちは。
 イオスの顔に怪訝な色が浮かぶと、ルイスは顔を真っ赤にしたままイオスの両手を握りしめた。
 はぁはぁと息が妙に荒く目が爛々としており、普段の彼とは明らかに異なるその様子にイオスの本能が警鐘を鳴らした――――それはもううるさいくらいに、ガンガンに打ち鳴らした。

 そしてそれは的中する。



「副隊長! 自分と結婚して下さい!!!

「っていうか、俺の奥さんになってくれ!」
「いや、僕だけの愛の天使に…!



 ――――なるほど、確かに問題のようだ。



 イオスは握られた両手を無言で打ち払ったあと、後輩騎士の胸倉を掴んで投げ飛ばした。





KNIGHT PANIC 1

あとがき
混沌としたまま続いてしまう。
なんかバカップルが書きたかったので…。(笑)
イオスはあまり書いたことがないので、ちょっとイメージが固まっておりませんが…練習作がこれとかどうなん…いやでもサモ2のポスターを見たとき、一目惚れしたのはイオスだったりします。
当時はリューグなんて目にも入らなかったわ!(ひどい)
2008.8.19