この気持ちを、愛しいあなたへ。







 心臓が壊れそう。

 そんなことを思うほど、あたしの体内では大きな音が響いていた。
 ドキドキ…なんて生易しいものじゃない。 どくんどくんと力強く、あたしの命を支える音だ。
 それをいつものような平常に戻すのはこの状況では到底無理な話でもあって。 はっ…と短い呼吸を繰り返し、震えそうな足で立っている身体を強張らせたままその音を聴き続けるしかない。

「――、力抜け」
「っ」

 強張るあたしに気がついて、首筋を通る肩に喰らいついている男が、低く呟く。
 薄い唇が音をたてて首の肌を吸い上げ、無骨な指先はあたしの身体をまさぐるように這い回る。 この雰囲気に興奮をしているのか彼にしては珍しく、早くも息が荒い。
 その姿は本当に、獣のよう。
 それは白い獣。 赤い目は、こんな暗闇の中でも十分に鮮やかで、キレイだ。

「…、ンっ」

 服の上をすべるように這う指先が胸の敏感な部分に触れて、肩がひくりと震えた。
 それに気を良くしたのか低い笑い声が聞こえる。 途端にとてつもない羞恥心が込み上げて、後ろからあたしを抱きしめている男の腕の中でもがいてやれば、乱暴に胸を掴まれた。 服の上からでもわかる形の歪みに泣き出しそうな声が出て、全身が強張る。

「やぁっ、ぅ」
「これぐらいで泣きそうな声出してんじゃねえよ」

 めちゃくちゃにしたくなるだろ、と背後から嬉しそうな声。


 ――ああもう眩暈がしてきた。
 こっちはこんなにもいっぱいいっぱいなのに、彼の手慣れた余裕さがとても恨めしい。
 ついでに、この状況を招いてくれた外の天気も恨めしかった。




 ざぁざぁざぁ。
 耳に聞こえる、先ほどから響いているのは雨粒が窓を叩く音だ。
 おまけに強風が加わって、立て付けの悪い窓がガタガタと揺れている――ゴウゴウと唸るように吹く風の音も鮮明に届く。 特に壁の薄いこの家では余計に、どれほど天候が荒れ狂っているのか理解できた。


 先日以来に、サイジェントには珍しい台風が到来していた。


 ――召喚獣で海を渡ってやってきたあたしが、この天候では帰れるはずもなく。
 恋仲になった二人としては、自然とこんな状況になっているのですが。

(すごい逃げ出したい…)

 恥ずかしさのあまり、逃げ出したい衝動ばかりが渦を巻いていた。
 またこの間のときのようにハヤトか誰かが邪魔しにきてくれないかなぁ……うっかりそんなことを考えるあたしに気がついたのか、バノッサは鼻で笑ってから”ふざけるな”とでも言うように、あたしの耳の柔らかい部分に甘く噛み付いてきた。

「っや」
「また邪魔されてたまるか。 カノンにも今日は帰ってくるなって言ってるしな」
「ちょ、なんて酷い兄なのあんたは! サイテー!」
「うるせえ」

 苛立った声と一緒に、視界が回る。
 背に触れるのは柔らかいベッドの感触。 自分の重みでぎしりと鳴るその不安定さにぎくりとしたけれど、バノッサが覆いかぶさるように相乗りするとますます大きな音が出た。
 バノッサの身体に遮られ天井が見えなくなって、押し倒された状況を理解する。

「処女は黙ってろ」

 低い呟き。
 内容がとんでもなかったので文句を言おうとすると、言葉通り黙らされた。
 それは彼らしく強引に。
 抗議の声は雨音に混じってうめき声に変わる。

「んっ、ぅ…!」

 重なる唇。
 割り込むように侵入してきた舌先の感触に、あたしの身体はまたも硬直してしまう。
 さらに深く犯そうと角度を変えるその動きにようやく硬直が解けてバノッサの顔を抑えようとするも、あっけなく手首をとられて押さえつけられた。
 ――やはりこの男は慣れている。 自分との経験の違いに思わず羞恥に頬を染めて翻弄されていれば、怯えるように引っ込んでいたあたしの舌はあっさりと囚われた。
 口内で熱く蠢く肉厚な舌に、思考の全てが壊される。
 卑猥な音をたてて繰り返される口づけにたまらずバノッサの頭を腕に抱けば、より深まる口づけ。 煽られたようにバノッサの手の動きもより荒々しくなって、舌を絡ませながら服のボタンが乱暴に外されていく。

「んん…、!」

 ブツ、と弾け飛ぶ音を耳にして、抗議するように声をもらす。
 けれどバノッサは気にも留めずにぐいとシャツを大きく開かせ、現れたキャミソールを下着ごと、鬱陶しそうに引き上げた。 唇が離れて「あっ」と声を上げて止めようとしてももう遅い。 露出して、外気に触れる自分の肌を赤い瞳がしかと捕えて、あたしの身体を舐めるように見下ろす――その口元が、愉快そうに歪むのを雨明かりの中で見た。

「甘ったるそうな肌」
「っ」
「食い甲斐がある」

 本格的にこの男に抱かれるのか。 どうしよう。 どうしよう。
 ―――ぎゅ、と目を伏せるあたしのまぶたに触れ、そのまま胸元に降りるバノッサの唇。
 彼の柔らかい髪が肌を滑るたび叫び出したくなる感情が込み上げる。 けれど抑えようと息を止めるも、無駄だった。 他人に肌を直に触れられて、びくっと震える体は緊張か興奮か、呼吸のペースが徐々にくずれていく。

「は、ぁ、っ…あ」

 大きな手の平にぐ、っと乳房が掴まれる。
 やわらかく形を変えるそれを見ていられなくて腕で顔を隠すも、先端を吸われて「ひっ」と上ずった声が出た。 敏感な部分をバノッサの舌で嬲るように転がされ、未知の感覚に肌がぞわりと粟立ち思わずバノッサの肩を掴む。

「やっ、やだ…、やぁ…!」
「ヤじゃねぇよ、手前の体がどんなになるのか見てろ」

 火照る肌を旨そうに吸いながらバノッサがそんなことを言って、先端を指で弄りだす。
 触れられたそれは主張するように起ち上がり、それをバノッサの唇が食んだ。 乳房が唾液で濡らされ、ぴちゃぴちゃと舌が滑る厭らしい音を聴かされて頭が真っ白になる。

「あ、ぁっ、う」

 ――声の質が、変わった気がした。
 身体も、変化していく。 バノッサの熱がうつったように全身が熱帯びて、じわりと汗が浮かぶのを自覚。 理性が麻痺したみたいにぼんやりとした思考は、乳房をしゃぶるように愛撫する目の前の男への恋情に染まりつつあるのか、もっと欲しい、とでも言いたげに甘い声をこぼしはじめた。

「バノッサ…バノッサ…っん、…」

 じわじわと神経を侵食されていく感覚に、恐怖のようなものがこみ上げる。
 自分の全てを突き崩されてしまう恐れに、荒い呼吸の合間にバノッサの名前を呼んだ。 そうすると、何も怖いものなどないのだと思える気がして。
 すると胸を愛撫していた端正な顔は不意打ちをくらったように動きを止めて、あたしを見上げる。 赤い瞳と目が合って安堵を覚えると、あたしは泣き出しそうな顔をしていたのか、バノッサが顔を歪めて。

「煽ってんのか」
「え? …ちっ、ちが」
「――もっと呼べよ」

 静かに返ってきた言葉に思わず目を丸くして、バノッサを見つめる。
 もっと呼んでもいいの? と、きょとんとしているあたしに彼は小さく舌打ちをして「なんでもねえ」と乳房から唇を離すと、視線を下腹部へ下げた。 同時に、するりと落ちていくバノッサの指先。 彼が何をしようとしているのか察して慌ててその腕を掴むも、間に合わない。
 スカートのフックを外してすっと入り込んだ指が、下着と薄い茂みを掻き分けて、割れ目に沿って指を擦り付ける。 途端に、腰がびくっと跳ねあがり、全身の体温が一気にあがった。

「ぁ、だ、だめっ…! バノッ、」
「これじゃまだ濡れ足りねえ」
「え――、や、ぁあ…!」

 体を起こしそうになるあたしを押さえつけて、バノッサの指があたしの中にゆっくりと沈んでいく。
 異物が体内に侵入する感覚に混乱した頭は、悲しくもないのに涙をにじませた。 拓くように押し進む彼の指にぶるりと身を震わせながら、苦しそうな声がでる。

「バノッサ、っ、…いた、っい…」
「狭ぇな。 こんなんじゃ入んねえぞ」

 バノッサが顔を歪めて、あたしを見下ろす。
 それがどういう意味で歪められたのかわからなくて、不安になった。 やっぱり、経験のない女は面倒くさいと思われたのだろうか。 なんだか泣けてくる――けれど、バノッサの手があたしの前髪をくしゃり、とぎこちなく撫でて。

「?」
「…こっちはあんま時間かけてられねえからな、あとで怒るなよ」

 体の熱を逃すように、ふーっと息を吐いたバノッサがそんなことを呟いたそのとき。
 足首と膝裏をつかまれ体をバノッサの傍に引きずられたかと思ったら、くの字に体を折られ両脚を大きく広げられた。 一瞬、何をされたのか理解が遅れたけど、体の中心部をあますところなく赤い瞳に晒されたことを理解して「バノッサ…!」と抗議したけれど、彼はあっさりスルーして、身を屈める。

「ぁ、うそ、…やっ、やだ――ッ!」

 指で薄布を押し避け、露わになった蜜場にバノッサの唇が吸いついた。
 脚の間にバノッサの体があるせいで閉じることもできず、食らいつくように舌で愛撫されて腰から下の力が一気に抜けていく。 今の自分の状況が信じられなくて、躊躇いもせず秘部に口づけるバノッサが信じられなくて、頭が回らない。 暴れそうになる足はしっかりと掴まれて固定されているから、仰け反ることしかできなかった。

「ぁ、あぁ…ぅ、バノ、…っやぁ…!」
「ん…、ちゃんと見とけっつったろ」

 にやりと笑った彼の目が、息を荒くして震えるあたしを見やる。
 理性なんてほとんど手放しかけているあたしの目に情欲を見つけたのか、バノッサは満足そうに笑うと、唾液ではない別物で濡れた自分の唇に舌なめずりをして、また陰唇に口づけた。 今度は奥を目指して、舌を蠢かせる。 とどまることを知らない彼の愛撫で溢れるようにこぼれてきたあたしの蜜液を旨そうに喉に通し、丹念に味わってからようやく唇を離したときには、あたしの体はひくひくと震えて抵抗する気力さえなくなっていた。

「っはぁ…ん、オイ、一人でイってんじゃねえぞ」
「…ぁ…」

 熱くなった頬を撫でられたあたしは、ゆるゆるとバノッサに目を向けた。
 さっきまでの緊張感も、痛みも恐怖も真っ白だ。 ただただ、下腹部が溶けてしまったような感覚に引きずられて、ある一つのこと以外、何も考えられなくなった。
 ――目の前の男がどうしようもなくいとしい。
 ぼんやりとバノッサを見返すあたしの髪を、やはりぎこちなく撫でる彼の背中にそっと腕を回して、引き寄せた。

「バ、ノッサ…」
「…っ」

 バノッサの喉が、ごくりと鳴った。
 彼自身もそんな自分に気づいているのか「クソッ」と毒づくと、性急にあたしの中に指を押し進めた。 今度はあまり痛くなくて、別種の感覚に喘ぐようにバノッサの背にしがみついて身を震わせていれば、こぼれた蜜で腿がぬるぬると濡れていくのが分かった。 あたしの中を拓いていくバノッサもそのことに気づいている。 だから、バノッサの指が抜かれて、言葉なくあたしの脚を押し広げて圧し掛かる彼が何をするのか自然と分かった。

「――泣いてもやめねえからな」
「…う、ん…」

 覚悟を、問われているようだった。
 あたしが泣いて嫌だと言ったらやめてしまうから言うなよ、とでも言われているみたいで…そんなことを言うような男ではないと分かっているけど、そう聞こえてしまってなんだかちょっと、可笑しい。 思わず口を緩めて笑ってしまったら、への字に口を歪め不機嫌そうな顔して睨まれた。 でも、少しも怖くない。 さっきしてもらえたみたいに今度はあたしが彼の頬を撫でると「…手前のせいで調子が狂う」と手を払いのけられたあと、手のひらを重ね合わせて指が絡み合う。

「えっと、できればお手柔らかにお願いします…」
「フザけんな。 さんざんお預けくらってんだ、手加減なんかしねえ」


 ――バノッサ。
 それは、目の前の男の名前。
 まさかこの名前をこんな声で呼ぶ日がくるとは夢にも思わなかった。
 この男とは一線を引いたまま生きていくのだと、そう思っていたから。

 ――始まりは、今日みたいに珍しい嵐の日。

 あのときのことは今でも覚えている。
 思い返すととんでもない馴れ初めだと思う。
 まず第一声が”抱かせろ”でそのあと犯されそうになったとか――うわああ、本当にとんでもない馴れ初め。 人に語ろうにも語りたくない馴れ初めだ。
 今後はトリスやアヤたちに聞かれたら黙秘を通さなければ。 ついでにこの男にも先手を打って釘を刺さねば。


(……ああ、でも)



 あれがなければずっと一線を引いたままだったのかと思うと、多少は愛しくもなるかな。



「――何、他事考えてんだ」

 言葉に意識を引き戻されて、あたしは首を横に振った。
 バノッサはさんざんあたしを弄って濡れた指を舐めとると、その手であたしの顎を掴み赤い瞳で射る。

「今、俺以外のこと考えてんじゃねえ」
「…うん」

 荒々しく唇を貪られてから、バノッサがあたしの腰を抱えた。
 ぐっと押しつけられた熱に思わず力が入りかけたけれど、バノッサの唇に応えることで紛らわす。

「ぁ――…っ!」
「…っ」

 苦悶の声が重なって、痛みと熱にあたしの身体が仰け反った。
 途端に肌に噴出すのは汗。 引き裂かれるような痛みと熱さに顔が歪んで、唇を噛み締めて悲鳴を堪えることしか出来ない。 バノッサの顔が見たくてもそんな余裕が飛んでしまっていた。
 だから必死に、腕を伸ばす。
 伸ばした腕がバノッサの首を捕らえると、それを強く引き寄せた。 その動きにバノッサがより深くあたしの中を押し進んでしまったけど、大きく息を吐くことで痛みと窮屈さは少しマシになる。
 でもまだ息をすることに夢中で声が出せない。 だから、もっと近くに。 もっと傍にきて。 そんな気持ちをのせて彼の白髪をぎゅっと掴み、ぶつかるように唇を合わせるとあたしの中に沈んだものが質量を増した。

「ぇ、バノ…んんっ…!」

 何も言うなと言わんばかりに、今度はバノッサの唇があたしの唇をふさぐ。
 舌を絡めとられて、あたしも夢中でそれを味わった。
 柔らかな白髪をぎゅっと握り締めて、まだ馴染めない痛みを誤魔化そうと噛みつくみたいににバノッサの唇を貪る。

「っは、キツ…」
「ん、ぁ、あぁ…!」

 彼の掠れた声を掻き消すように、耳を塞ぎたくなる音が室内に響き渡る。
 肌を打つ音。 ゆるりと変化する律動。 快楽を見出せないまま揺さぶられて、苦しげな声ばかりが出てきてしまう。

「っ――…!」
「… …っ」

 腰を打ち付けながら、バノッサはうわ言のようにあたしの名前を繰り返す。
 彼にこんなにたくさん名前を呼んでもらったことってない。 声もいつもとは違う艶を帯びて、眉を歪めるその顔に余計身体が熱くなってしまった――同時に、この顔を見た女の人が他にも山のようにいるのかと思うとその顔をぶん殴ってやりたくもなったが。

「あ…、っぁ、やァあッ」

 両脚を抱えられ、がっつくように体勢が変化してより深く奥を穿たれる。
 痛みしかなかった感覚はやがて快楽を伴って、自分の体が自分のものじゃなくなるように言うことを聞かない。 翻弄されるばかりのあたしの体と心は、もっとバノッサを欲しがっているのか、それともやめて欲しいのか分からなくなってきた。
 必死に思考を掻き集めても、それは端から壊されていくばかり。

「はぁ、はぁ、ん、…バノッサ…っ」

 崩れる思考。
 絡まる指先。
 絡まる身体と熱。
 バノッサの頬があたしの頬に擦り寄って、彼があたしの名前を呼ぶ。



 ――呼ばれる名前が、とても愛しいと思った。



(だから、かな)


 窓に反射する淡い光に照らされた、余裕を失いかけている顔を見ながら思う。

 さっき、バノッサがもっと呼ぶように言ったのは。
 呼ばれる自分の名前が、愛しいと思ったからだろうか。




「―――、好き…」




 ――バノッサ。
 それは父親に捨てられた子供の名。
 彼を知らない人にとっては恐怖の対象の名。






(でも、あたしは)




 あなたの名前が、好きよ




 あなたが好きよ、バノッサ




 あなたを好きになったの





 満ちていく熱とバノッサの背を抱きしめながら、あたしはそっと目を閉じた。














 ―――雫が、葉先から零れ落ちていく。
 台風に散々弄ばれたせいか、どこか気落ちしたように項垂れる葉。
 音もなくするりと落ちていった水滴をぼんやりと眺めながら煙草に火を点けると、煙草の先から立ち上る白い煙が、細く、風に流れていった。

 白い髪もまた、風に煽られて男の頬をくすぐる。
 それを不愉快そうに掻き上げながら玄関の階段に腰を下ろしたバノッサは、一息を吐いた。

 あっという間に過ぎ去った台風の名残か、薄明るくなった世界はとても静かだ。
 今なら誰もが眠りに落ちて、人の物を盗もうなどと考える輩は少ないだろう。 あれだけ激しかったのだ。 あの中を動き回ろうと思う人間などいるはずもなく、この区域では珍しくもない野盗も悪ガキも大人しく眠っているに違いない――そこまで考えて、バノッサは開けたままの家の扉の、奥に目をやる。

 差し込む朝日にうっすらと浮かび上がるものは、柔らかな女の肢体だ。
 散らばった髪は彼女の肩やシーツに広がり、肩は剥き出しにしたまま、身体はブランケットにくるまれながらベッドの上で丸まって深い寝息をたてている。 その顔に疲労の色が浮かぶのは、何度果てても飽きることなく抱いたせいか。 ブランケットに包まれている身体には欝血痕や、噛み痕がきざまれていることもバノッサは知っていた。

「…」

 ようやく手に入ったと、満足感だけがバノッサの心を占めていた。
 散々手こずらされたがその味はまた格別で。


 さぁ、次はどの女を抱いてやろうか―――。


 そこまで考えてたところで、憮然とした面持ちで煙を鼻から吐き出した。
 頭の中に焼きついているあの感情はこそを抱いて得られたもので、他の女を抱いて得られるとは考え難かった。

 あんなにも何かを壊してしまいたい感情は、戦う以外に感じられなかったのに――。

(…、らしくねえ)

 あの感情は、紛れもなく悦びだ。
 あれがこの女限定で得られるものであるなら、これから他の女を抱いても満足はできまい。 始まる前から興奮したのも久しぶりだ。 ようやくこの女を自分のモノにできるのかと思うと、どうしようもなく高ぶってしまった。

 前戯も、普段ならしない。
 娼婦に前戯の必要ない女も多ければ、慣らされていないナカを押し進む悦びを知っているから、ほかの男と同じようにバノッサも省く。
 だが、が辛そうに顔を歪めるのをみると、もっとその顔を見てみたい一方で、急激に萎えそうだった。 壊したいくらいに欲情したのに、彼女の身を案じてわざわざ慣らしてやるなどと普段ならするはずもないのに――ああ、そういえば髪も撫でたりしてやったか――本当に、自分らしくない夜だった。

 昨日の夜は何から何までいつもと違うものになって……そこでふと、思い出す。
 達する寸前に言っていた、彼女の言葉を。



”―――、好き…”



 ―――途端に、むず痒いものが込み上げた。
 同時に顔が歪む。
 自分には縁のないものと思っていたが、まさか、あんな言葉を言ってくれるような相手と、情事の後も傍にいて、こんな穏やかさを手に入れたまま一日の始まりを見ることになろうとは。

 …似合わねえ、と心の底からうんざりする。
 本気で似合わない。 誓約者たちに笑われてしまいそうだ。



(…だが、まぁ)



 彼女が目を覚ましたら一度くらいは言ってやろうか。



 そんなことを考えながら白い空を見上げ、まだ火のついた煙草を水たまりに突っ込んだ。



Dear Main.

あとがき
バノッサシリーズ、完結。
<お題・雨宿り>→<お題・掻き抱く>→<Dear Main.>の流れでした。

これからはバノッサの幸せの始まり。になっていけばいいよ!
次は辛抱たまらんバノをもっと書きたいかな。
2006.10.23
2012.6.17修正