「抱いてくれるまで帰らないんだからーッ!」
そんな訳のわからない叫びとともに、バノッサの視界は反転した。
――ドサッ!
唐突に、ソファに沈んだ自分の身体。
無様に仰向けで倒れこむこの状況があまりにも珍しく、バノッサは苛立つことも忘れつい目を丸くして彼女を見上げてしまう。
古ぼけた家の薄暗い部屋でも十分に見える。 自分を押し倒した少女の顔は熱を出したように赤く、見下ろす瞳はとろみを帯びて、普段では決してありえない淫靡な空気を醸し出していた。
…醸し出して、いたのだが。
「――手前、何のつもりだ」
「ウッフッフー! テイコウ、しても、ムッダムダなんらからね〜」
静かな問いとは対照的に、呂律がまったく回らぬ返答に淫靡な空気は一瞬で霧散する。
同時に強い酒気のこもった息がバノッサの顔に降りかかって、思わず顔をしかめた。
アルコールの高い酒ばかりを持ち込んだせいか、その一息だけでも酔いが移りそうなほど濃厚だ。 それほど酒には強くない彼女の思考はもはや正常でいることはできないだろう……否、先ほどの叫びとバノッサを押し倒しているというこの時点で正常ではないと言えるが。(目が据わっている)
バノッサは溜息を吐くと、この上ない呆れを含んだ赤い眼で圧し掛かるを見上げた。
「手前……俺様にこんなことしてタダで帰れると思ってんのか?」
「フッフーン! 帰れるとぉ〜おもいまぁ〜すぅ〜」
(ウゼー)
素直な感想が赤い瞳に浮き彫りになる。
けれどはそれに気づかず、バノッサの頬に擦り寄った。
「でも今日はぁ、バノッサに抱いてもらうまで帰りませーん」
「何で抱かねえといけねーんだよ」
「スタウトが〜、ヤなこと忘れるにはそれしかねえなって言ってたからー」
(あんのハゲ…テキトーなこと吹き込みやがって)
言葉のあと、ちゅ…と頬に触れてくるのは熱い唇だ。
間近にあるの、涙の筋が残ったその頬を気だるげに眺めながら、バノッサは彼女の接触を拒むことなく受け入れた。 まるで猫の子にすり寄られているような感覚で、彼女の温かな体温は心地いい。
目の前でさらさらと揺れるの髪を指先に絡めて弄び、拙い口づけを与えてくるその誘いを見つめ彼は愉快そうに口角を上げ。
「好きでもない野郎が手ェ出していいのかよ?」
「何よ? あたしじゃ不満だっての〜?」
――そんなことはないのだが。と、いまいち積極的になれないのは、普段ならばありえないほどの彼女との距離に若干調子が狂ってしまったからか。
バノッサの静かな視線が、の全身に行き渡る。
顔、胸、腰、尻、脚――繁華街にいる女たちほどではないが、正直、の身体には十分に食指が動く。
だが後ほど大激怒するのではないかと思われるの展開と、その連動で、彼女のよき友人である誓約者(特に女組)がレヴァティーンを向けてくるのではないかと思うと、酷く気が進まない。
喧嘩殺し合いは気軽に受けて立つ性分だが、利益も意味もなく、無駄に疲れることは嫌いである。
「不満はねえが、面倒事は御免だな。 さっさと帰れ」
「――、いやよ」
はっきりとした、否定。
さっきまでとは違う物言いに眉をひそめてを見ると、涙の筋が残る頬に再び雫が伝い落ちたのを見た。
バノッサの拒絶への涙ではない。
彼女はさっきまで、いや、ここに辿りついていたときからずっと泣いていた。
泣きながら、大量に酒瓶を抱えながら北スラムにやってきたときは思わず目を瞠ってしまったが、その事情を聞いて、微かな動揺のような感情が呆気なく崩れ去ったのを思い出す。
溜息を噛み殺し、変わりに欠伸を披露しながらバノッサは言う。
「言いたいやつには言わせておけばいーだろうが」
「だって…、腹が立つじゃない! ハヤトたちのことも、バノッサたちのこともよく知らないくせに…!」
言葉から、ふつふつと込み上げてくる怒りの感情が伝わる。
聞けば、サイジェント領主のお付召喚師であるあの三馬鹿兄弟…の、部下たちに、ハヤトやバノッサのことを何かを言われたらしい。
「オトモダチオモイで何よりだな」と呟くも、皮肉はの耳には届かない。
ハヤトたちが、サイジェントだけでなく世界を救ったことは一部の者しか知らない。
<無色の派閥>が関わった件については<蒼の派閥>・<金の派閥>の双方から「他言無用」と圧力がかけられてしまえばサイジェントの領主やマーン三兄弟は口を閉ざすしかない。
しかしマーン三兄弟はそのことを責めることもなく。
街でハヤトたちに憎まれ口をたたく程度に接しているのを見たとき、以前のような刺々しさはなくなっていた。 彼らは彼らで、あの件以来何かが変わったのだろう。
しかし、三兄弟の命令でハヤトたちに関わった彼らの部下たちは違う。
あれから数年経った今でもバノッサやハヤトたちに散々な目に合わされたことを根にもっている者はいる。
その恨み言や皮肉を、リプレと買い物をしていたに投げつけたことが今の状況の始まりだった。
マーン三兄弟やサイジェントの領主の部下だし…と、は自分に言い聞かせて最後の最後まで耐え切った――こともなく、兵士の一人の眉間に一発喰らわせてから逃走した。
しかし彼女の怒りはそれだけで収まらなかったのか、アキュートの酒場で盛り上がったあと、二次会会場をバノッサの家に選んだ――と、泥酔して玄関先に座り込んだからその話を聞いたとき、”面倒くせぇ”と思った顔を覆わずにはいられなかった。
本当に面倒臭い。 そのまま南スラムに帰ってくれれば良かったのに、何故この家に来たのだか。
”スタウトが〜、ヤなこと忘れるにはそれしかねえなって……”
(…いや、有り得ねえだろ)
が、バノッサに好意を持っているとか、有り得ない。
相性が悪いのだろう。
”傀儡戦争”を終えてからも顔を合わせると睨み合い、毒舌の応酬。
そんな普段のと自分の姿に、さきほど浮かんだ考えを即座に否定した。
ついでに、そんなことを考えてしまった自分も一緒に否定した――こんな考えを持つこと自体が、自分が彼女のことを気にしているのだと言っているような気がして腹が立ったからだ。
<欲情>ではなく、<愛情>を持つ。
――今までの陰惨な人生を送った自分には、あまりにも不似合いなココロだ。
「バノッサ…?」
酒瓶片手に、呆けた顔にぼろぼろとこぼれる涙はまだ止まらず。
ソファに押し倒されたバノッサの頬にぱたぱたと彼女の涙が落ちてくる。
怒りと酔いがごちゃ混ぜになって出てきてしまっているらしく、自身は辛くて泣いていたわけではないのだという――ずいぶんと紛らわしいと、その涙を呪った。(何故ならこの涙に騙されてを家にあげてしまったからだ)
「オイ、いい加減、泣くのやめろ」
「止まらないんだもの」
何故、彼女が泣くのをやめて欲しいのか。
その理由を考えると、独り相撲になる自分の姿が見えて考えることをやめた――どこかの小娘のようにカタオモイなど、なんと似合わないココロなのか。
「泣くな」
苛立ちに、バノッサが腕を伸ばした。
まだ乗りかかったままのの後頭部に手を回し、無理矢理引き寄せて唇をあわせる。
頼りない華奢な身体が酒に発熱している体温を感じながら、自分に覆いかぶさる形に伏せる細い肩に腕を置いて逃げ出せないよう戒めた。
強い戒めに怯えて身を捩じらせるそれを咎めるように下唇に噛み付けば、バノッサの身体の上に圧し掛かっていた身体がびくりと跳ねて、ますます体温が上がったことを、彼女自身の熱を持ってバノッサに知らせる。
「…泣きやまねえんなら、お望み通り抱いてやる」
「――ぁ」
溶け込むように、バノッサの肌に伝わる体温に火がついた。
ソファに沈んだ上体を起こして向かい合うと、酔いが覚めかけているの顎を掴んで引き寄せる。
成すすべもなく唇を合わせられ、唇を割って侵入する舌にまたも震える小さな体。 男の腿に座り込んで身じろぎをするその動きは誘っているようにしか見えない。
唇を吸い上げながら、手は彼女の髪をまさぐり、首へと降り、臀部を持ち上げるように掴む。
「っ…バ、ノッサ」
臀部の肉が歪む感覚に堪らず腰を浮かせ、ぎゅうとしがみついてくるの首筋に顔を埋めた。
酒の朱に染まったうなじに噛み付いて、白い肌に赤を刻んでやる――込み上げる優越感と満足感ににやりと笑えば、物言いたげな、熱に濡れた瞳と視線が絡まりあった。
「何だ」
「……きらわれてるかと、おもってた」
”ちょっと、びっくりした”と頬を火照らせたまま小さくそう呟いてから、
はバノッサの髪に頬を寄せた。
顔には出さなかったものの、彼女の言葉に少なからず驚いたのはバノッサの方だ。
自分こそ、
には誰よりも嫌われているものだと思っていた。 誰に嫌われようが普段は気にも留めないが、それでも、顔を合わせれば目をそらすことなく睨むようにして正面に立ちふさがるこの女を、どうでもいい存在であると位置付けすることはできなかった。
「――ちょっと、うれしい…かも」
バノッサの肩に顔を伏せたままは、はにかむように微笑む。
……普段のならこんなことを言うような女ではない。
おそらく彼女は他の誰かとバノッサを間違えていて、だからこんなことを言ってくるのだ。 だが。
(…、クソ)
間違っていようがいまいが、どうだっていい。
だた、今は、無性にこの女が欲しい。
手のひらで押し上げるように乳房を掴めば、 驚いたが「んっ」と背をそらしてバノッサにしがみつく。
しがみつくことでより押しつけられる柔らかな感触にたまらず、バノッサの口から熱を孕んだ吐息が落ちた。
の上着に手をかけ、服を剥がれ露出していく白い肌を味わうように舌を滑らせ、欝血痕を散らし所有の証を刻んでいく。 この女は自分のモノだと誰が見ても分かるように、その肌を貪る。
「…ふ、っ……わっ」
ついには睦言一つを交わすことなくバノッサはをソファに押し倒す。
いや、交わす余裕が失われていたとでも言えばいいのか――体勢の変化に驚いて開いた彼女の両脚の間に身体を割り込ませ、閉じようとする腿を掴んで押し広げると、がその腕を止めようとすがってきた。
「ま、まって」
「今更嫌がってんじゃねえよ」
「っ…嫌じゃ、ないけど、でも」
羞恥に、懇願のような言葉がこぼれる。
そんな声で抗議されて逆にやめられるはずもない。 構わず全てを引きおろせば、普段晒されることのない場所がバノッサの前に現れた。 陽にあたることがなく処女雪のような内腿の肌に舌を滑らせると、頭上での声を聞く。 柔らかな肌は熱く、甘く、彼女の秘奥に近い場所に吸いつくバノッサの髪に掴む手は快楽に溺れまいとするの必死な様をよく伝えて、バノッサの本能を煽った。
「う、ぅ…ぁ、あ」
羞恥のあまり泣き出しそうな声が止まらない。
(たまんねえな)と柔らかな腿に噛み痕をもうひとつ刻みつけて上体を起こし、震える唇に口づけ彼女の意識を全てこちらに向けさせる。 その隙に指を中心へと滑らせると、はっと息を呑んでこちらを見つめる視線を感じた。
「っ、ゃ、だ…」
「おい、目ェ閉じるな…見えねえだろうが」
何を見ろと言うのかと、問いかける瞳がバノッサを見つめた。
それを満足そうに見返しながら中心に飲み込まれた指で掻くように動くと、ぐちゅりと粘着性を帯びた音が室内に響き渡り、それが自分からこぼれているものだと知るとは堪らず目を閉じて、腕で顔を覆い隠そうとするがバノッサの手がその腕を暴く。
「隠すな」
「あ、はぁっ、はぁっ…や、やあっ」
「――俺が、見えねえ」
「ひッ、ン、ぁ…んんっ!」
長い指で奥を突かれの声の高さが変化する。
過剰に反応をする点を執拗に責めると、羞恥すらも消え去ったのかの手は顔を隠すことはなくなった。 ただ、自分の身体を高みに導こうとするバノッサの指を飲み込むように締め付けていく。 熱く、柔らかい肉の壁に包まれた彼の指の動きも、早く繋がり合いたいのだと言わんばかりにその速さを増すばかりで。
「バ、ノッサ…あ、ぁっ…、や、ァっ」
「っ」
の体がびくんとわなないて限界を知らせる。
バノッサの指を飲んだ場所は吸いつくように収縮を繰り返し、やがて、その体は力尽きたようにくたりとソファに崩れ落ちる。
裸の胸を浅く上下させ、涙ばかりこぼしていた目は蕩けるように視線を宙をさまよわせている。
心ここに在らずのその意識を無理矢理引き戻すように力の入らない脚を抱えあげると、押し付けられた熱には我に返ったのか息を呑んでバノッサを見つめる。 この展開を望んだのはあちらだというのにこうも驚いてばかりなのは、ここまで求められるとは思ってもいなかったからだろうか。
(バカな女だ)
そしてそれは自分も同じ。
酔った女に迫られただけで、こんなに必死になることもないはずだ。
面倒事も、コイだのアイなんてものも、まっぴら御免だというのに。
それでも、この女が自分のために怒り、泣いたのかと思うと。
「ぁ…あ、バノ」
「いくぞ」
――ず、と沈む感覚に、は顔を歪めてバノッサの背中にすがりついた。
急くように息を荒げ腰を推し進めて身を沈めていく男を拒む言葉は一度もなく、ただバノッサの名前を弱弱しく繰り返し、べりべりと剥がれて行く理性を捨ててバノッサを獣に仕立て上げていく。
ぐちゅぐちゅと厭らしく響く水の音は聴き慣れたものなのに、我を忘れそうになる―――相手が違うだけで、こんなにも自分の変化を思い知らされるなんて。
ああ、正直に認めたくはないが、本当にこの女が欲しくて堪らなかったのか
「
…っ」
途端に、込み上げる熱に思考が停止した。
動きも愛撫も、欲のままに乱暴になる。
あとは、彼女が嬌声をあげて追い詰められていく表情に、夢中になって小さな身体を力任せに揺さぶった。
ぎしぎしと二人分の体重を支えるソファが軋む音をたて、窓から覗く月明かりが絡み合う二人の影を鮮明に床に映し出すそれを横目に見ながら、求められるまま求めるままにの身体を貪った。
やはり、拒絶はなかった。
その意味が何なのか、今度は考えている余裕もなかった。
ただ繰り返される名前に、絡み付いてくる腕に、より乱れさせてやりたいと思うばかりで。
「――
っ…!」
「バ、ノッサ、っあぁ、ん、ぅ、ぁあ…!」
背後から突かれて悦びに喘ぐその頬に何度も口づける。
張り付く髪が艶めかしく、汗のにおいと酒のにおいと、 の身体からこぼれるもののにおい混ざり合って、それが余計にバノッサを煽って夢中にさせて堪らない。
何度、彼女が達しても、もっと。 もっとと。
(ああ、くそ)
もっと抱いて、犯したいと思うのに。
自分だけのものに、したいと思うのに。
それを邪魔する、白く弾ける視界が酷く疎ましくて。
それを邪魔する、意識を手放した が恨めしくて。
「起きたら、覚悟しろよ――」
”酔わせて襲うなんて!”と何も覚えていない彼女が怒り狂おうとも。
何が何でもまた抱きしめて、この女を手に入れる。