い、勢いのまま来てしまった…。


 そんな後悔をしながら、705号と札のかかった扉の前で乱れた呼吸を整える。
 きょろきょろと周囲を見回しても人気はない。 それもそのはず、この階には館の中でもスイートルームやデラックスといった特上の部屋しかない。 ここに招かれるレベルの人間と言えば枢機卿か大司教、教皇くらいなものだ。
 階下から響く華やかな演奏を聴覚の片隅にとらえつつ、寂しいほどに静かな階層にあたしは訝しむ表情を浮かべた。 先ほども言ったとおり、ここは重役ポスト専用の階だ。 なのに警備の人間が一人もいないなんてどういうことだ。

(猊下の御身に何かがあったらどうするのよ…)

 確か、警備の指揮はブラザー・マタイがしていたはず。
 ”あとでちゃんと言っておかなくちゃ”と呟いて、ようやく落ち着いてきた呼吸を繰り返した。
 着替える時間も惜しかったからそのままで来てしまったけれど、冷静さを取り戻した頭で見ると、留め具が壊れた僧衣の状態は思っていた以上に酷い。 この姿で枢機卿の御前に立つのもさすがにはばかられた。


(や、やっぱり着替えに戻ろうかな…)

「そこで何をしている、シスター・


 背後からかかった声に、びくっと肩が跳ねあがる。
 驚きに声も出せないまま振り返るとブラザー・バルトロマイ……いや、ドゥオ・イクスの姿があった。
 彼は、立ち尽くすあたしに訝しむ表情すら浮かべることもなく、ただ淡々と視線を向けてこちらに歩いてくる。 スピードも完璧なまでに一定。 まったく乱れのないその歩行はいっそ美しいと称しても良いかも。

「あ、あれ? リオロはどうしたの…」
「フィレンツェ公が待っている、早く中に入れ」
「で、でも、こんな格好じゃ…わッ! ちょ、ちょっとーっ?!」

 リオロはどうしたのか。 警備の人間はどこに行ったのか。
 召集理由はなんなのか…などなど、色々と聞こうと思ったのに、彼はあたしの言葉にまったく耳を貸さず扉をノックした。
 少し間が空いたあと、「入れ」、とフランチェスコ様の声。
 入室許可の声を聞き届けたと同時にあたしの腕をつかむと、ドォオは扉を開けて踏み込んだ―――ああもう、ドゥオもトレスも、周囲の状況や心境にもお構いなしのご主人様至上主義なんだから!











(恨むわ、ドゥオ……)

 怨念を吐き出すかのごとく、そんな言葉が胸を占めた。
 でもひどいよ。 心の準備も何もないままくつろいでいる猊下の目の前に立たせて、自分はさっさと出て行ってしまうんだもの。 そりゃないよ。 どうせなら一緒に怒られてほしい…あれ、何で呼び出されたんだっけ。
 召集理由を聞かされていないから逆に緊張してしまう。

「…あの、猊下…」
「散々な目にあったようだな、シスター・

 しかしどうやら、怒られるために呼ばれたわけではないらしい。
 珍しく楽しげな響きを含んだ声につられておずおずと顔をあげると、法衣を脱いでラフな格好になったフランチェスコ様がそこにいた。
 飾り気のない白のカッターシャツの下に見える隆々としてしなやかな筋肉は、彼が軟弱な聖職者ではないことを知らせている。 他の人よりもその身体を知っているだけに、着崩された隙間から見える肉体のたくましさに意識せずにはいられない。
 赤くなった顔を知られないように俯けば、ワインボトルを持つ手と逆の手があたしの顎を掴む――首筋を見せるように傾けられ、軍刀色の瞳がゆるりと細められる。

「案内だけならと思って行かせたが、あの男に随分と可愛がられたか」
「あ…」

 リオロに咬みつかれた痕が残っていたのか。
 それを指摘されて反射的に首筋を抑えると、やはり楽しげに喉を鳴らしあたしの傍を離れていく……少しお酒の匂いがしたから、”酔っているのだろうか”なんて考えが脳裏を過ぎった。 でも、この人が酔う姿は今まで一度も見たことがない。


「あの、猊下…?」

「服を脱げ」


 突然そんなことを言われて、思考が停止した。
 これは、この人なりの冗談なのだろうか……?と現実逃避のように疑うも、ソファーに身を預けてグラスをあおる男の横顔には泥酔の色は微塵もない。
 裂かれた僧衣をぎゅっと握りしめて戸惑っていると、鋭さを帯びた目があたしを射抜いた。

「他にあるか確認をしてやる」

 他にも、だなんて…そんなのはあるわけがない。 それはあたしが一番よく知っている。

 けれど、これから何が起こるのか充分に予測できた。
 促されるそれに心臓の鼓動がますます早い音をたてて、目の前の人に酔わされたように理性が鈍り始める――だめだ、あの目に逆らえない。 憎しみから解放されたいまでもこの人はあたしを縛りつける。

「早くしろ」
「…はい」

 リオロに裂かれてだらしなく垂れる僧衣を床に落とす。
 震える腕で袖を抜き、ベルトを外しズボンや下着も床に落として生まれたばかりの姿になると、肌寒い空気が全身を舐めるように触れぶるっと身体が震えた。
 けれど、寒くはない。 全身が熱をもっているのか暑いとまで感じる。
 どうしてこんなに熱いのか、その理由を自覚して込み上げる羞恥心に泣きたくなった――あたしは、目の前の男の人をどうしようもなく欲しがっているんだ。

「……げ、いか…」
「……」

 自分でも分らない感情の波に頭も心も掻き乱され、すがるように彼を呼ぶ。
 けれど返事はない。 沈黙だけが続いて、今度はその沈黙が怖くなってきた。
 今すぐにでも身体を隠して蹲りたい衝動を堪えながら、それでも次の言葉を待って立ち続けていると、あたしの姿をじっと眺めていたフランチェスコ様は飲み干したグラスをテーブルに置いた。

 何もなくなったはずのグラスから、ワインの芳醇な香りがする。
 その匂いにくらくらと眩暈のようなものを覚えていれば、彼の、わずかに熱を帯びた眼が立ち尽くすあたしの姿を見つめ、ゆるりと言葉を紡いだ。



「―――、来い」



 心と身体が、歓喜に打ち震えた。














 ――見ている世界が、視界の隅からゆっくりと白く染まっていく。

 次第に昇りつめる感覚に合わせ、呼吸の感覚が短く、弾むように変化する。
 この瞬間が心地良いようで、けれど最も辛い時だ。
 浅く繰り返される呼吸に気がついたは、そんなフランチェスコをなだめるように舌を伸ばした。 硬く張りつめた欲を小さな舌で慰める姿の淫らさは、普段の彼女を知る者には想像もできまい。

 甘い媚熱に浮かされながら、自分だけが知り得る姿を見せる彼女の髪をゆっくりと撫でやった。
 指の隙間からさらさらとこぼれる髪は伸ばしているのか、二年前の最後に抱いたときと違って少し長い。 トリートメントで手入れされたそれは毛先まで花のような匂いがして、撫でる者を楽しませた。

「っふ…ぅ、ん、ぅんんっ」

 は撫でられる感触を心地よさそうに喉を鳴らし、ソファに腰を降ろしたフランチェスコへの奉仕を続けた。 いきり立つ熱の塊を包み込むように口に咥えながら、それでも快楽をもって慈しむのを忘れない。
 ぬるりとした舌の感触に刺激されて反射的に彼女の髪を強く掴むと、跪くから苦しげな声が漏れた。

「んんっ、ンッ、ふ、…っン」
「…っ」

 丁寧な愛撫に促され、そろそろ限界も近づいてきた。
 このままの口の中に放っても良いが今はそんな気分でもない……昇りつめる前に引き離そうとすると、は「んぅっ」と声を上げることで拒んだ。
 フランチェスコを放さないように両手で根元を掴み、ぎこちなく頭を動かして奉仕を続ける。
 受け止めるのだと許しを請うその姿に”修道女には見えんな”と、そんな感想が胸の内に浮かんだ。 何も知らなかった彼女にこの行為を命令したとき、初めて目にする男のモノに畏縮して消極的だったのに今ではこんな姿を見せるようになるとは。

 それなりに時間をかけて教え込んだだけの甲斐はあったようだ。と、懸命に奉仕する姿にフランチェスコはわずかに口端を上げた。

「お前が私の元を去って二年、その間お前を抱くことはなかったが……」
「っ…ん、む」
「そんなに私が恋しかったか」

 含みを帯びて紡がれる言葉に一瞬、の動きが止まる。
 その反応に、今でもこの少女を縛りつけているのは自分なのだと確信すると掴んだままの髪を引き上げてを強引に引き離し、行為を中断させた。

「ふぁ…っ!」
「っ…」

 根元まで包まれていたものが唐突に外気に晒され、その温度差に達しかける。
 だが、まだその時ではない。
 荒い息のまま、髪を引かれる痛みに顔を歪めるの口元に指を寄せ、フランチェスコのにじみ出た精液や彼女自らの唾液で濡れた唇を拭ってやる。 まるで労わるような動作に、興奮に染まっていた丸い頬はますます赤味を帯びて恥ずかしそうに面を伏せた。
 拭う事も忘れるほど夢中だったことを自覚したようだ。 ”何を今さら”と再び喉を鳴らしたところで、自分の機嫌が良いことに気付き片眉を持ち上げた。

「猊下…?」
「……こういう時は、名で呼べと言ったはずだが?」

 ちらつくように浮かんだ感情を振り払うようにの腕を引き、膝の上に細い身体を招く。
 シャツが肌蹴た硬い胸にやわらかな女の胸が重なるよう密着させて汗ばむ素肌を擦り合わせると、全身で感じる淫らな感触には切なげに声を上げてフランチェスコの肩にしがみついた。
 隙間もないほどに重なり合うことでよく分かる、彼女の体温。
 理性を溶かすほどの情欲に身体を火照らせていることに気づいたフランチェスコはまた一つ、ゆるやかに笑んだ。

「どうした? バルトロマイにも聴かせてやるといい」
「…っ!」

 部屋の外を警護しているだろうドゥオを思い出したは、ぎゅっと唇を噛み締める。
 そうはさせまいと顎を掴んで唇を引き合わせ、脅えるように縮こまっていた小さな舌を捕える。 くちゅ…と滴る音をたてて唾液を混ぜ合わせると彼女自身の戒めは安易に解け、自らも唇を開いてフランチェスコを求めた。


「ん、ふっ……フランチェスコさま…っ」


 喘ぐように出てきた名に、今度は眉をひそめた。


 ――これだ。
 他の女になくて、この娘だけに感じた違和感。
 それは彼女が名を呼ぶとき。
 他の女と同じように、淫らに、すがるように呼び続ける自分の名。

 一字も間違っていはいない。 では、この違和感は何だ。




「フランチェスコさま…」




 彼女が紡ぐ自分の名は――なんと、やさしい音をしているのだ。




「…? どうか、しましたか…? …わっ」

 強引に体を入れ変えると、やわらかなソファーへ追い込む形で少女を組み敷く。
 驚きに開きかけた脚をフランチェスコの身体で閉じられないように固定し、自分の体勢の変化を把握しかねているに構わず腰を寄せ、張り詰めた熱を押しつけた。
 触れた熱さに、はっと息を飲む気配がする。
 腕に抱えた足も緊張に強張るのが伝わった。 だが、拒絶はない。 汗が浮かぶ裸の胸の前で両手を握りしめ、ぎゅっと目を閉じてその熱を受け入れようとする。

 その姿に一瞬、躊躇する。
 本当に一瞬だ。 躊躇いなのかそうではないか判断するには難しい、わずかな間……次に軍刀色の瞳が瞬きをしたとき、フランチェスコの欲望は少女の内に沈められていた。
 淫らな音をたてて押し進め、びくびくと引きつる足先に舌を這わせながら高く抱えあげて全てを収めきると、制止の言葉も無視して荒々しく揺さぶる。

「ふぁ、ん、ぁっア…! ひ…っあ、やっぁ…んッ!」

 濡れた声を殺せぬまま、抽出がもたらす快楽には啼き喘ぐ。
 ささやかな愛撫だけでも彼に愛でられた身体はすでに充分な潤いを得ていた。
 フランチェスコの艶姿に感じていたのか。 それとも、彼女の身体が淫らなものに変えられてしまったせいか……優越感にも似た感情に口の端を歪め、フランチェスコは欲望に突き動かされるままの強引さで少女の身体を弄ぶ。
 突き崩すように穿つ律動の激しさにソファーがガタンと大きな音をたてて情交の様子を周囲に知らせ、快楽に翻弄される彼女の羞恥を煽ると、は涙交じりの瞳をフランチェスコに向けた。 蕩けるようなその眼差しはフランチェスコの姿をいとしげに映して、どこまでもやさしい。

「あっ、は、…だめ…フラン、チェスコさ、ま…! ン、っぁう…!」
「まだイくな、私は満足していない」

 今にも達してしまう彼女の限界を知っていながら意地悪くそう言ってやる。
 投げられた言葉には泣き出しそうな声を出し、フランチェスコの愛撫を全身で受け入れた。 悲鳴のような嬌声に欲を煽られながら彼女の弱い部分ばかりを抉るように打ちつけ、甘やかに許しを請う言葉を堪能する。
 自分は弱い者をいたぶる趣味など毛頭にもないが、こんな淫らな姿を見せられていながらただ快楽のみを楽しむ、というのはもったいない。

「フランチェスコ、さま…フランチェスコさまぁっ……あっ、ぁァ―――っ!!」
「…っく…!」

 熟れた果実のような乳房を弄ぶ男の背に訴えるよう、爪をたててが全身を震わせる。
 彼女と繋がっている部分が急激に締まった。
 フランチェスコを食い尽くそうとしているのか、予想外に強い締めつけにはさすがに堪えられそうにない。 の奉仕で充分に体積を増した熱は彼女の中で解き放たれて、頼りないほど細い身体に流れ込む――その熱さにまた、は切なげに身を震わせた。

「ふぁ…ァあ…っ」
「…気を失うな、まだ早い」

 そう、まだ早い。 我々の夜は始まったばかりだ。
 声には出さずそう呟いて涙を残す頬へと慈しむように口づけたあと、フランチェスコはぐったりと力尽きた身体を軽々と抱き上げた。
 突然浮いた自分の身体にぎょっと驚いた表情を見せたは「じ、自分で歩けます…!」と、フランチェスコの胸を押すもびくともしない。 その事にますます血の気の引いた様子を見せるので、わずかに不愉快なものを感じてフランチェスコは片眉を持ち上げる。

「なんだ」
「げ、猊下にこのような事をさせてしまうなんて、その…」
「いらぬ気遣いだ。 それに、いつもの事だろう」
「…いつもの、こと…?」

 最後の言葉を聞いて、熱を宿したの瞳がぱちぱちと瞬いた。
 フランチェスコはその表情の意味を訝しみながらベッドルームの中央に位置するベッドの上にを横たえ、覆いかぶさるようにしてその身体を手中に収める。
 完全に自由を奪われフランチェスコを見つめることしかできないの、情交の余韻を残したその顔に彼女を壊したくなる衝動が込み上げて、無意識に、獣のように喉が鳴った。

 その衝動は男の本能を剥き出しにさせるものだ。
 もはや邪魔になるだけのシャツを粗雑に脱ぎ捨て、整えられた青髪を崩すように掻きながら、言葉の続きを待つ少女へ言葉を続ける。

「三年前、気を失ったお前をいつも誰がベッドに運んだと思っている」
「…あ」

 三年前。
 それは異端審問局配属の代価としてフランチェスコはを犯し、抱き続けていた時期。


 ―――三年前。
 恩師の紹介で訪れた彼女を、性欲を満たす玩具として抱いた。
 それから一年間。 つまり二年前にがフランチェスコの元を去るまで、外だろうがどこだろうが、抱きたいときに抱いた。 が躊躇するような場所でさえ構わずに、彼女が気を失うまで犯していたのだ―――それを後悔したことは一度もなかったが、彼女が去ってから感じた小さな喪失感に、少々深みはまっていたのではないかとそんな感想を抱いた事を覚えている。

 そんな彼女の新しい肩書は衣装班。
 そのチームのリーダーとして就任した二年の間、ときおり顔を合わせても特に抱いてやろうという気分にはならなかった。
 こうして再び抱く気になったことはフランチェスコも予想外だ。
 何故、今になって彼女を抱こうと思ったのか今だに掴めていない。


 だが不意に、リオロの淡碧の目がの全身を舐めまわすように見ていたことを思い出す。


(…まさか)

 あまりにも自分らしくもない考えが思考を過り、一瞬、戸惑いに似た感情を覚える。
 そんな事を考える一方で、は申し訳なさそうに表情を曇らせた。 ずっと運んでくれていたと聞いて枢機卿に対する無礼だと受け取ったのだろう。

「…申し訳ありません…」
「…仮にも神の名を借りた組織だ。 ベッドルームならともかく、教皇庁内部に淫らな姿のまま意識を失った女を放置するのは問題がある」

 何を、慰めるようなことを言っているのだろう。
 らしくない。と、青みがかかった髪を掻き上げながらいらぬ感情を全て振り落とし、フランチェスコの太い腕が少女の身体をうつ伏せに転がした。
 上体は伏せたまま、尻を突き出させるように臀部を持ち上げる。
 受け入れたばかりの白濁を滴らせる場所を目前に晒す体勢には耳まで赤くして声を上げるも、フランチェスコはたいして気にも留めぬ様子で、衰えぬ欲を突き立てるように膣へと沈ませた。

「ひ、っ…ぅ、ぁあッ!」

 ジュプ…と、溢れるような水音が聴覚をとおして神経を刺激する。
 予告もなく再開された情交には苦しげに息を吐き、シーツの上で腰をくねらせ、フランチェスコが求めるがままにその身を捧げた。 口の端からこぼれる唾液を拭うことも忘れて掻くようにシーツを握り、虚ろいかける意識を現実に引き留める。

「んぅうっ…! はぁっ、げ、猊下…ん、ぁ…っ!」
「っ……名で呼べと言っただろう。

 行為が始まって初めて、彼女の名を声に出して呼んでみる。
 ただそれだけのはずなのに、フランチェスコを飲み込んでいる膣内がきつく締められ、淫らに跳ねる少女の姿を映し出す視界は白く明滅した。
 ”名を呼ばれただけで何が嬉しいのか”と唯一残っていた冷静な部分で考えてみるも、その思考は、彼女の淫猥な姿にあっけなく搔き消されて霧散する……思考することを放棄するまで理性の全てを欲望へ傾けつつあるフランチェスコの荒ぶる律動に合わせ、もまた快楽に溺れた。


 部屋の外で待機しているであろうドゥオ・イクスを忘れるまでに、フランチェスコに溺れていく。



「ふぁッあっ、ァ、フランチェスコさま、ン、っ―――……フランチェスコ、さまぁ…っ!」




 繰り返し呼ばれる、名前。




 それはどんな快楽の波に溺れても、いとしむような優しさで紡がれ続けた。











 ――傍らにあったぬくもりがゆっくりと離れていく。

 その気配に、まどろんでいた意識が浮上する。
 フランチェスコは目蓋を持ち上げて気配のほうを見やると、小さな背中が視界に映った。
 頼りないほど華奢ではあるが、点々と赤い痕を残している身体は情交の余韻をまとって淫靡なものを感じる。 何をしているのかとしばらくその背を眺めていれば、フランチェスコを起こすまいとして静かに、けれど手早く身だしなみを整えていた。

(…そういえば、この女はいつもいなかったな)

 抱いていた時期も、フランチェスコが目覚める前に黙って部屋からいなくなっていた。
 どんなに無体に扱ってもだ。 途中で気を失っても目覚めれば、疲れや痛みに身体を引きずりながら、休む間も惜しむように部屋を出ていた――今まではそれを気にも留めなかったが、久しぶりに抱いたことで情でも移ってしまったのだろう。
 気がつけば、フランチェスコはその背に言葉を投げていた。

「行くのか」
「っ…?! ぁ、お、おはようございます……す、すぐに出て行きますのでっ」

 あわあわと顔を赤くしたまま口早にそう告げると、は跳ねるように立ち上がった。
 ズボンは少し先のフロアに落ちている。 それを取りに向かおうと歩き出したが次の瞬間、顔を歪め、腰を押さえてよろめいた。 服の裾からのびる白い脚ががくがくと震えており、それ以上進むこともできないままカーペットを敷いた床に蹲る。

「…ッは…」

 額に汗をにじませて、苦しげに息を吐いている。
 身体が動くことを拒んでいるのは一目瞭然。 だがそれでも立ち上がろうとする姿にフランチェスコは小さな溜息を吐くと、自分もベッドから起き上がり、崩れかかっている少女の身体を無言で抱きあげた。
 ――本当に頼りない身体だ。
 そんな感想を抱きながらをベッドの上に下ろすと、自分はソファーに腰かけてブランデーの栓を開ける。 芳醇な香りに目を細めてグラスに注ぎながら、驚きに目を瞠り、ぱくぱくと口を開いては閉じてフランチェスコを凝視するを無視して窓の向こうの世界に目をやった。

 ローマの空は雪を降らせ、街は再び真白に染まり雪が積り始めていく。
 夜明けにも満たない世界は薄い夜色に支配されたままで、青い空になるまでまだまだ時間がかかりそうだが、面倒なクリスマスが終わったことに安堵しながらグラスを傾けていると「あの…」と小さな声が背にかかる。

「なんだ」
「……ここにいて、ご迷惑では…ないですか」

 シーツで足元を隠しながらぽつりと、はそんなことを言う。
 何を言い出すかと思いきや。 と半ば呆れながらグラスをあおっていれば、彼女の言葉はゆっくりと続いた。

「以前に、猊下が寵愛されていた方が言ってました…猊下は、人と寝るのはお好きではないと」
「抱いた女が命を狙わんなどという保証はないからな。 現に、寝所で女に殺された貴族や王族も多い……だから、用が済んだ女をすぐ帰るよう命じている」

 は悲しげに俯いて、それきり黙ってしまった。
 肩に落ちる髪がさらりと流れ、いつも明るい笑顔を浮かべている少女の顔を陰に隠す。 しばらくの間にぎこちない沈黙だけが続き、その静けさのあまり雪の降る音が聞こえてきそうだ。


「……お前にその命令をした覚えはないがな」

「ぇ…?」


 独り言のように呟いた言葉を、彼女は聞き逃したようだ。

 だがフランチェスコはに応えず、再び訪れる沈黙を振り払うかのように小さく息を吐いた。
 ブランデーの香りを抱いたその息は芳しく濃厚だが、その横顔に酔いの色はない。 しっかりとした足取りで立ちあがった偉丈夫は、テーブルの上に鎮座していた四角い黒箱のふたを開けると、その中身に冷やかな視線を落としながら告げた。

「他人は信用できん、ただそれだけの話だ。 お前が気にすることはない」
「……私も、ですか?」
「非力なお前に殺されるようになるなら、私は終わりだな」

 クッと低く笑ったあと、箱の中身をぞんざいに鷲掴む。
 フランチェスコの粗雑な動作に反して箱の中はしゃらりと細い音をたてた。 思ったより繊細な物音にが目を丸くし、彼女がいるベッドへと歩み寄るフランチェスコの手元を見つめる。
 ダイヤモンド。 サファイア。 エメラルド。 ルビー。
 フランチェスコの大きな手には収まりきらないほどのアクセサリーや宝石が握られており、ぼんやりとした顔で見上げてくる少女の手元にそれらは全て落とされた。 そのどれもが大粒の貴石を加工したもので、飾り気のない小さな手の平の上に星のような眩い輝きがあらわれると、はぽかんと口を開けて硬直してしまった。

「あ、あの~」
「客人たちが寄こしたものだ。 ……欲しいならくれてやる」
「えっ、ぁ、いえそんな、いただけませんっ」

 きっぱりと断る口調のに、ベッドの端に座ったフランチェスコはゆるりと視線をやる。
 だが彼女は威圧的な眼差しに怯むことなく両手に与えられた宝石をずいっと押し返すと、波打つシーツの上に置いた。 ひとつひとつ、丁寧に。 白いシーツの上にたくさんの色の星が生まれたことを喜ぶようにはやさしく目を細めた。

「これらはすべて猊下に捧げられたもの。 それに、頂いたとしても私の手には余ります」

 ”身につけていく機会もありませんから”と情事のときとはまったく違った女らしさを帯びて、は微笑む。


 ――ただの無力な娘だった女が、いつからこんな表情ができるようになったのだろう。

 明るく笑う腹の中に、深い憎しみばかりを抱き。
 その身も心も犠牲にして血の道を歩んでいたはずなのに。
 誰よりもその身を傷つけてきたばかりのフランチェスコを前に、何故こうも、花のように笑えるのだ――。


「……ならば、何が欲しい」
「え」

 静かに降り落ちる雪を映したまま、フランチェスコは呟いていた。
 感情や思考が読み取れぬほどの平静さを浮かべるその表情とは裏腹に、もどかしいような、それに似た浮わずかな違和感に彼の胸中は騒ぐばかりだ。
 ――この感情の名は、なんというのだろう。
 罪悪感か。 憐憫か。 憎悪か。 恋情か。 どれもこれもが正解のようで、どれもこれもが間違っている気がする。 いつまでも名をつけられずにいたそれは、を傍に置き続けていればいつかは分かるのだろうか?

「終わってしまったが――昨日はクリスマスだっただろう」

 今度は上手く聞き取れたのだろうが、その言葉の意味を把握しかねてやはり目を丸くした。
 言葉の真意をはかろうと、無言を貫き通す偉丈夫の横顔を見つめてくる――だが次には、ぱっと顔を赤くして俯いてしまった。
 情事のときのように、耳や首まで赤くしている。
 それが一体何なのか。 今度はフランチェスコが彼女の挙動を眺める番だった。

「あ、あの、…その」

 はごにょごにょと言い難そうに口ごもりながら、小さな声で。
 けれどフランチェスコに伝わるように、噛み締めるようにゆっくりと、言葉を紡いだ。



 願いが叶いますように。


 そんな祈りを、秘めた音で。





「――夜が明けるまで、フランチェスコ様のお傍にいても良いですか?」

君に歌われるクリスマス・キャロル - Part K 2 -

あとがき
枢機卿(カーディナル)のKパート、フランチェスコでお送りしました。
何気に猊下夢の<汝の~>に設定だけ繋がってます。
毎度のことながら、私だけが楽しいオレ設定ギッシリ100%です。たのしいよげいか。
難産でしたが満足しました。でもあの顔で教授より6歳も年下だなんて…トリブラは年齢が書いてないのでこの人は特に気になります。

これを書くにあたり、原作読み返したり画集を見たりとしていたのですが。
……猊下、髪の色、金髪違うやん……orz
と、いう事実に気が付きました。カテ様と異母兄妹だからてっきり金髪!と信じたのに。この間に書いた<汝の~>では金髪とか書いちゃったですよ。
画集に猊下のカラーがありました。なにあれ金髪じゃないよ、銀髪?でもちょっと青味もある…せっかく唯一のカラー猊下だったのに帽子のおかげで判別ができなかった…青髪でもないかな…水色よりかは、ちょっと濃いような…うーん。

もう何色でも猊下に萌えるけど!(なんで)
2009.1.29