まさに突き抜けるような青空だ。
降り注ぐ初夏の日差しは、正午を迎えたばかりの今では特に厳しい。
(あっつー…)
こりゃあキツイ、 と降参の声まで出てしまう。
ブラウスが透けてしまいそうなほどじわりと浮かぶ汗を手の甲で拭いながら、温まった体の熱を吐き出すように息を吐いた。
初夏だというのに異常に高い気温に負けて眩暈まで起こりそう。
こんな中でテニスの試合なんてほんと有り得ないんだけど、我らが立海男子テニス部は問答無用でやっちゃうわけでして…だからこそテニス部後輩たちが結成した応援団に紛れて、部外者であるあたしたちも応援に駆けつけているわけなんだけど。
「「「立海、ファイトー!!!」」」
「柳くーん!」
「仁王先輩がんばってー!!」
部を応援するためにやってきたテニス部後輩らの声はともかく。
選手個人を目的でやって来た、真隣で飛ぶ黄色い声にうんざりと顔をしかめてしまった――熱い。 熱過ぎる。 夏の暑さとは違う熱さが、すごい。 ああもうあたしも若くないってことかしら。
後輩たちの若きパワーについていけないなんて…時間って残酷だ。
「あれ、 先輩大丈夫ですか?」
「ちょっと休憩…」
「それにしてもウチのテニス部って本当強いですよね〜!
試合始まってそんなに経ってないのに、もう勝っちゃってる!」
嬉しそうに弾む声につられるように、持参した日傘の影の下から気だるげな目で得点版を見やる。
――本当だ。
これ以上続けるのがバカらしいって思うくらい圧倒的な点差が並んでいる。
相手チームも半ばなげやりになっているようで、コートで戦っている仲間をそこそこの声で応援している。 開始時に選手同士が向き合うそのときから戦意は失われていたようで、
初っ端から”立海に勝てるわけないじゃんか〜”と頭を抱える選手がいたな。
……哀れナリ……。(あらやだ仁王がうつっちゃってるわ)
「それで…えーと、次は…真田の試合か〜」
「「「え゛!」」」
試合を鮮やかな勝利で飾り、少ない汗のまま帰っていく仁王をうっとりと見送っていた後輩同輩一同が、あたしの一言で信じられないような声を出した。
暑さに死にかけのあたしが不思議そうな顔でそれを見れば、席を立って応援していた子たちは次々と座り込んで大人しくなってしまった――そのかわり、あたしが指摘したように現れた副部長登場によりテニス部後輩たちが応援する声が一気に大きくなる。
「真田副部長頑張ってください!」
「立海ファイトー!」
「オー!」
「…え、なに、どしたの?」
「だ、だって」
「ねぇ…?」
「この間応援してたら、すごい目で睨まれちゃって」
「すごいんですよ!
もう、ギョロリ!って感じで!」
応援に混じって、ひそひそと続く真田恐怖論。
あんまりにも怯えているもんだから、そのリアクションに思わず爆笑してしまった。
本人にとっては応援してくれる声に誘われて何気なく見ただけで、睨んだつもりは毛頭にもなかったと思うけど……素の顔がアレなもんだから睨んだように受け取られてしまっているらしい。
恐れられるし教師に間違えられるし、顔に迫力があるってだけで人生の半分は損してるわね。
カワイソウに。
ひとしきり笑ったあとで、息を整えながら顔を上げる。
「でも、好きなら気にせず応援すればいいじゃない?」
そう。
好きなら応援すればいい。
例えそれがウザがられても、好きな人は応援したいのがオトメゴコロ。
……でも最近は応援すると微妙に変な顔をされるうえ、「あまり大きい声で名前を呼ばれると…困るのだが」などと直接本人から釘まで刺されてしまっている。
あたしもこの試合を最後にするべきなのかもなぁとちょっとだけ残念な気持ちになる。
しかし皆は、真田を応援するつもりはまったくないようで。
「やっぱり、ちょっと怖いかもだし…あ、でも真田先輩はそこがいいんだけど!」
「私、赤也くんが好きだからなー」
「あ、私は柳生さん」
とうとうテニス試合そっちのけで恋愛話に花を咲かせていく後輩同輩たち。
つまりは真田は範疇外というアレですか。
……まぁ、「たるんどる!」と桑原くんや切原くんを吹っ飛ばしたあのビンタを見たら誰だって恐怖におののくわよね…大柄な男子生徒が吹っ飛ぶビンタって相当なものだよ。
どれだけ全力なの。
―――あたしは一息を吐くと、日傘を閉じた。
「先輩?
どうしたんです?」
不思議そうな顔の後輩。
暑さに前髪をかきあげながら、さも当然のように答えを返す。
「好きな人の応援するに決まってるじゃない」
じりじりと照りつく太陽。
暑さを振りほどいて立ち上がった瞬間、その場がシンと静まり返った。
そして次には。
「えええええええええええええええ!!!!」
唐突に、驚愕に満ちたクラスメイトの悲鳴があがった。
その声の音量に、選手と応援団を含めたテニス部一同が”何事?!”と一斉にこちらを見て大注目を浴びてしまう…ギャー!
ちょっとやめてよ恥ずかしいんだけど!
「し、シーッ! 静かに!
めっちゃ見られてる!」
「だ、だって〜」
「先輩、あんな怖い人が好みタイプだったなんて…」
「……面構えに迫力があると言ってちょうだい…」
言った自分がいうのもなんだけど、どんなフォロー。
中三で面構えに迫力があるとフォローされても全然嬉しくはないのだろうけど、でも何のフォローもないよりマシだと思わない?
(…仕方がないじゃない、ああいう顔の人を好きになってしまったんだから)
ポカリで水分補給をしてからハンドタオルで汗を拭い、呆気にとられているクラスメイトを尻目に応援団に負けない声であたしは叫ぶ。
「真田ー!
頑張れー!!」
声が届いたのか。
名前を呼ばれたクラスメイトが、コートの中であたしに目を向けた。
ほんの少しだけ驚いてるその顔(迫力有りすぎる)に、”真横で後輩応援団が応援してるってのによく聞こえたなぁ”と彼の聴覚に感心しながら、あたしはもう一度、息を大きく吸い込んで。
「負 け る な − ! 」
「真田くんが負けるはずないけどねぇ」
「そうよねぇ」
ようやく冷静になった友人達のツッコミにじろりと見返すしかなかった。
そりゃそうだけど、応援セリフなんてこんなのしかないじゃないのよ。
他にどんな言葉を叫べというのか。
しかし、その後のあたしの応援はことごとく隣の応援団に掻き消されてしまっていた。
そのうちに、一生懸命に応援をする後輩たちに感化されたのか、友人や後輩も立ち上がって真田を応援をし始めている。 なんだかんだいって真田が慕われているってことなんだろうけど、おかげであたしの声なんて全然届かなくなってしまった。
(あーあ、こんなんじゃ聴こえるはずないじゃないの)
皆あれだけ怖がってたクセに…とちょっと不貞腐れるように座り込み、あたしは応援をやめてしまった。
これが最後だし、せっかく全力で応援しようとしてたのになぁ。
「……、そうだ」
賑やかな声援の中で、あたしは一人、真田を見つめた。
誰の声も聞こえていないかのように、緑のコートを走る真田。
広いコートを縦横無尽に駆け抜けて、相変わらずとんでもない威力のボールで他校の選手をねじ伏せている。
――どうせ相手に届かないなら。
全部が全部、掻き消されてしまうのなら。
たまには、代わり映えのない応援セリフをガラっと変えてもいいんじゃない?
(あ、あたしってば結構大胆?)
友人たちには真田が好きだってカミングアウトしたし。
声だってどうせ届かないし。
たまには、片思いの鬱憤を晴らすのもいいかも?
コンクリートに反射する太陽の熱が暑い。
暑いのは苦手。 焼けちゃうし、次の日はほんとしみるように肌が痛くなる。
でもそれでも彼の応援に行きたかった。
授業中とは違う、本気でテニスに打ち込む彼の姿に勇気づけられたことが何度あったか数え切れない。
百個のなかの一つの声援になるとわかっていても、それでも。
(これが最後の応援になるなら)
あたしは友人に混じるように立ち上がり、大きく息を吸い込んだ。
「…真田―――!!」
「こりゃあ、練習にならんのぅ」
仁王は首の肌に張り付いた銀色の後ろ髪を掻き上げて、どっかりとベンチに腰を下ろした。
そのまま仰ぐ空はあまりにも真っ青で、ぎらつく太陽が恨めしい。
「ゲーム、立海大付属・真田!」
一方的にボールが弾んでは、点を読み上げる声が聞こえるコート。
それをつまらなさそうに眺めながらドリンクを飲み干し、試合をしての汗ではなく夏の日差しで浮き上がった汗をタオルで拭い、げんなりとした顔になる――そんな仁王に柳生もまた、苦笑を浮かべるしかなった。
「そうですね…相手もすっかり戦意をなくしているようですし」
「これならまだ立海OBとやったほうがなんぼか楽しかよ。
欲を言えば青学か氷帝とやりたい」
「優勝候補同士が簡単に練習試合をさせてもらえるとは到底思えませんが…同意はしますよ」
「真田もちゃっちゃと終らせてくれんかのぅ。
こうも暑くてつまらんと抜け出したくなる」
それこそ真田の鉄拳が飛ぶこと間違いないのだが、本当につまらない試合だった。
試合前から試合にならないとは思っていたが、ここまでならなかったとは……赤也なんて、”真田がいないこれ幸い”とばかりに裏でブン太とジャッカルとトランプまで始めている。
「でも仁王くん。
姿勢だけでもシャキっとしないと。
後輩たちも精一杯応援してくれてるんですから」
「そう言われてもな〜なんか面白いことでもあればシャキっと出来るんじゃが」
気だるげに応援席のほうを見やる。
よく知る後輩の顔や、知らない顔の女生徒の姿もちらほらと見えた。 真田が試合をしているというのにお喋りの花を咲かせている(というか、怯えている表情になっているのは何故だ?)ことから、真田は応援するべき対象ではないということか。
恋をするにはあの顔は迫力がありすぎるということか。
「っは〜、真田は一生童貞かもしれんのう〜」
「ッブ! な、ななな何言ってるんですか仁王くん…!」
「見てみんしゃい。
後輩には信頼があるが異性には見向きもされていないことを現す現実を…お?」
仁王はふと、もたれていたベンチの背から体を起こした。
「――柳生。
あれは
か?」
「は? どれどれ…確かに、真田くんのクラスメイトのさんですね」
同じ三学年である 。
彼女が応援に来ている姿を何度か見かけたこともあるが、彼女が真田目当てだという事実は、柳生も仁王も今初めて知った。
「おーおー、あんなに一生懸命真田を応援して…ワシのときは暑さで死んでたのにのぅ」
愉快げに肩を揺らし、くつくつと笑う仁王。
そんな相方に柳生はやれやれと肩を竦める――かわいそうにさん。 これからしばらく、仁王くんに遊ばれ続けることでしょう……。
そんな同情の眼差しを向けていると、
は真隣で応援する友人や応援団に頬を膨らませ、すとんと座り込んで応援をやめてしまった。
「お、やめたか?」
「何だか怒っているみたいですが…」
しかし次には、何かを決意したようにシャキっと立ち上がった。
夏の風に吹かれた髪は踊るように揺れて、
はまっすぐに真田を見つめる。
「?」
「どうしたんでしょう…」
彼女が、大きく息を吸い込んだ。
溜め込んだそれを一度留め、顔を真っ赤にしたまま叫ぶ。
「―――――!!」
しかしそれは柳生の耳に届くことはなく、声援に掻き消されてしまった。
…何を言ったんでしょう?と柳生が仁王に問いかけようとした、そのとき。
「わーーーー! 真田副部長?!!」
トランプに飽きた赤也たちが戻ってきていたのか、ジャッカルとブン太をつれた赤也が”信じられない”と言わんばかりに柳生の隣で叫んだ。
柳生と仁王が、慌てて真田に視線を向ければ。
真田のボールがネットにぶつかって―――どうにか、相手側に落ちた。
一瞬の沈黙。
真田自身も信じられないのか、打ち返した姿勢のまま身動き一つしない……点は取られなかったものの、こんな大会で失点を許すはずのない真田が打ち損じて危うく点をとられるところだった……?!
「せ、セーーーフ…! 副部長、セェェェーーッフ…!!」
「ふぃー…今のはさすがにやべーだろぃ」
「しかしいきなりどうして調子を崩したんだ、真田は」
不思議がるジャッカルとブン太と、赤也。
そんな面々を尻目に、柳生は仁王を見やる――珍しい、彼は腹を抱えて大爆笑していた。
「に、仁王くん」
「〜〜み、見てみんしゃい柳生。
あの、真田の、顔…!」
今日は何だか忙しい日だと柳生はコートの真田を見やる。
真田が、帽子では隠せないほどまで顔だけでなく耳を赤くして、唖然とした表情でを見ていた。
「な、な、な」
真田にしては珍しい。 うろたえる声。
一方、
はその顔にぎょっと驚いた表情を見せると、今度は彼女も一瞬で耳まで真っ赤になった。
「う、ウソ、今の、聞こえ…?!」
何を否定したいのか。
ブンブン!と勢いよく首を振っても、真田の視線は途切れない。
ついには食い入るように見られていることに耐えかねたように、タオルとドリンクを慌てて鞄に詰め込み、折りたたまれた日傘を片手に鷲掴んで走って応援席を出て行ってしまった。――素早い。
友人達が呼び止める暇もないほど、素早い逃走だ。
「あ! ま、待て
! 待たんか!!」
「ふ、副部長! ゲーム!
ゲームがまだ終ってませんよ!」
真田が後を追いかけそうな空気だったので、柳生は慌ててそれを呼び止めた。
隣で仁王がますますげらげら笑い始めているのは果てしなく気になるが気にしている場合ではない――何が聞こえたのか知らないが、今ここで試合を放棄されては困る。 完全勝利の試合だというのに、相手を負かさないまま副部長が試合を放棄するというのは大問題だ。 部長の幸村が聞いたらなんと言うだろう。
「ひー、ひー、もう笑い死ぬ…!
これは柳にも教えてやらんといかんよ…!」
「に、仁王くん。
真田くんは一体どうしてしまったというのでしょうか…」
げらげらと笑い続けている仁王。
慌ててを追いかけようとする真田。
一体何が何だかと困惑する相方に、仁王はにやりと笑ってみせた。
「ワシは唇の動きを読んだからわかったが、真田はバッチリ聞いたじゃろうなぁ」
「は?」
「あいつは耳がいいからのぅ…これからが面白くなりそうぜよ…ぶくく…」
試合終了のホイッスルが鳴り響く。
もちろん真田は一点の失点もなく、勝利。
しかし。
「各自忘れ物がないように確認してからバスに乗り込め! 以上だ、解散!」
「あれ?
副部長はバス乗らないんスか?」
「………俺は走って帰る!」
”ええェここからガッコまで軽く2時間以上あるんスけどー?!”と全力で走り去る背中に虚しく響く赤也の声。
あっという間に見えなくなってしまった後姿に、仁王はただひたすら肩を震わせて笑い続けていた。
仁王から全てを聞いた柳生は、いまだ笑い続けている相方に溜息しか出てこない。
「…仁王くん、笑いすぎです…」
「柳生、学校に帰ってからが楽しみじゃのう!」
「ー! 待たんかー!」
「ギャー! イヤー!
自転車に追いついてこないでよ怖すぎー!」
「先ほどのはどういう意味だー!」
「どういう耳してんのよあんたは…やっぱり言うんじゃなかったー!!」
―――それは応援の声に紛れて聞こえた、気になる君からの”スキ”。