へと一歩、距離を詰める。
詰めるといってもどうということはない。
ただいつものように、小さな肩の隣に自分の肩を並べるだけ。
そんなものはジラール邸で暮らしていたあの頃では日常で、最後の戦いを目前に控えたあの夜に互いの肩を抱きしめたときに比べたら、緊張することも、逃げるほどのこ とでもないはずなのだが。
「ちょ、な、何…?!」
旅を終えてしばらく経ったある日のこと。
突如としてが身構える―――この警戒ぶりは一体何事か。
「やっ、な、何するの! おろしてよっ」
バルレルの肩の上でじたばたと暴れるの悲鳴が耳元に響いてうるさい。
彼女が街から帰ってきてすぐに確保したのだが、どんどんと本気の力で背中を叩くそれに腹が立ってきて、自分の顔の真横にある尻をべしっとはたいてやった。 途端に”いったぁ!”と色気の欠片もない悲鳴が上がるも、それを無視ししてバルレルはの部屋の扉を蹴破ると、真っ白なシーツがかかったベッドにその体を放り投げた。
「わっ」
細い身体がバウンドして落ち着くと、唐突の衝撃に目を回しているの上に覆いかぶさる。
布団ではない、男の身体が圧し掛かってくる重みに表情を強張らせるそれにすら、バルレルは無性に苛立った――何故そんな、怯えた目をするのかわからない。
「暴れんなよ」
出てきた声は、怒気に近いものを帯びていた。
実際、面白くなかった。
不機嫌や怒りのあまり制御が緩んでいるのか<第三の眼>でもある魔眼が魔力をこぼし赤い光がにじんでいる。
あまりにも力強い魔力に誘惑されたのか、の怯えた目が魅了にかかったようにうっとりとした目でバルレルの魔眼を見つめてきた。 おとなしくなったのは幸いだが、これでまともな返答を得られるわけがない――の唇に噛みついて無理やり現実に引き戻すと、痛みに我に返ったが顔を真っ赤にさせてバルレルの髪を引っ張り再び抵抗を始めた。
「魔眼つかうなんでずるい…!」
「うるせぇ、嫌なら逃げてみろ」
逃げられるモンならな、と低く呟いて細い首筋に喰らいつく。
甘い柔肌に牙が食い込む。 しかしそれは傷つけるためのものではなく、ただ快楽のきっかけを引き出そうとする行動だ。 痕の残る傷にはさせぬ範囲まで牙を沈め、噛み付かれて熱くなり始める肌を強く吸い上げると、温度をあげた彼女の吐息がバルレルの耳に触れた。
「っ、」
未知の感覚にびくりと震える小さな肩に手を置いて、赤い花が咲くように鬱血して現れたそれに舌を這わせる。
ぴちゃ、と湿った音に今度はの膝がびくっと動いた。 何をされるのか理解したのか、バルレルの腰を挟むようにして彼をたしなめるも、それでは逆効果だと彼は口角を吊り上げて彼女の肌を堪能する。
それだけでなく手のひらで身体を撫でるように動かすと、「んっ」と何かを堪える声が漏れた。
彼女のそういった声がやたら支配欲を煽る。 愉しくなって思わず笑みを浮かべて頬をすり合わせると、は我に返り子供のように足をたてて暴れ、なんとか身をねじって抜け出そうとしてきた。
そんなもの何の抵抗にもなりゃしない。 ただ余計に、こちらを煽るだけだ。 しかし今は愉しむことより、問うべきことがひとつある。
「ば、バル…っ」
「――急に態度を変えたのは何でだ」
あんな、怯えるような目で見られてはいい気分にもならない。
何より、彼女があんな目で自分を見たということ事態が衝撃だった――いつも、どんなときも、どんな姿を見せても笑って傍にいたが、何故。
「そ、それは」
拒絶の言葉なんか聞きたくなくて、口づけで言葉を阻む。
唇を啄ばみ、油断した唇の間を縫って舌を捕え、犯すようにその思考を砕いてやる。
震える手がバルレルの肩を押し返そうとするがそんなもので本気になった男が退くわけもない。
「んん、っ…」
「――テメエが嫌がるから、いつもはここでやめてやったが…」
唐突な拒絶。
唐突な怖れ。
それが酷く、衝撃で。 苛立つ。
の顎を持ち上げ、晒される白い喉元に口づける。
バルレルの言葉の意味と与えられる感覚に引きつった声がこぼれたが、それすらも甘い歌に聴こえて、込み上げてくる欲望のままに少女の衣服の下に手を差し込んだ――初めて少女の温もりの大元に触れたせいかそれだけで息が熱くなる。
「ぁ、…っ」
「――そんなに俺が」
お前を傷つける、恐ろしい生き物だと思うのか――。
それを言葉にしようとした、そのとき。
「いい加減にしなさーい!」
脳天に、ゴツン!と鈍い衝撃が響く。
頭蓋骨の中にかつてないほどの振動と衝撃と痛みが襲い――バルレルはそのままの胸元に突っ伏した。
男にはない柔らかな感触は大変心地よかったが、いかんせん脳内には不愉快な衝撃が余韻を響かせているので感触を楽しむ余裕もない……召喚主でもある少女の鉄拳はそれほどまでに強力であった。 が心配する声ですら、かなり遠いものとなっている。
「ば、バルレル?! 大丈夫?」
「さん、こんなスケベ悪魔は放っておいていいのよ!」
「うわ〜今のはきいたぞ〜」
トリスとフォルテの声が聴こえた。
顔を上げるとそのとおりで、フォルテは同情の眼差しをバルレルに向けている…何故こいつらがここにいるのかさっぱり分からなかったが、取り合えずフォルテがあとでブン殴ってやろうと心に決めた。 あの哀れみを帯びた目がいやに腹立つ。
「さ、行こう!」
「い、いや、でも」
「オイ…、コイツにはまだ話があんだよ。 勝手に連れて行くんじゃねえっ」
「あーら? 嫌がるさんを押し倒してどうにかしようとしてたみたいだけど、それが話ってわけ?」
の手を掴むトリスに対し、の腰を抱くバルレル。
召喚主と護衛獣という立場の二人が鋭く睨みあい、稲妻のごとく激しく唸る見えない火花をバチバチと散らすなかで、はどうしたもんかと頭を掻き、フォルテは肩を竦めて見守っているだけだ。
「バルレル、しばらくさんに触るの禁止」
「ざけんな! テメエに指図される側にまわった覚えはねえ!」
召喚主のトリスとバルレルは”対等の関係”にあった。
だからこそトリスはバルレルの誓約を解いて自由にしているし、バルレルもまた暇つぶしとして自分の意思で人間の友人を助ける護衛を続けている。
だからこそ、そこには<命令>というモノが存在することはないのだが……。
「何を言おうが禁止ー! あたし、聞いちゃったんだからね!」
「何をだよ」
「うわ、トリスそれはやべえって!」
「トリスだめよ! 絶対バルレルには言わないってガルマちゃんと約束したじゃないっ」
………がるまちゃん?
「ガルマって…ガルマザリアのことか?」
霊界サプレスに生きる召喚獣・魔臣ガルマザリアの名前にが顔を真っ青にしてしまった。
”しまったあああ”とでも言いたげなそれに頬を引きつらせると――バルレルは再びの上に圧し掛かって、何の躊躇いもなくその衣服に手をかける。 びりっ、と音を立ててシャツの前をひらくとあっけなくボタンが飛んでいき、白い肌がバルレルの眼前にさらされた。
「言え。 言わねーとコイツらの目の前で犯す」
「ギャーーーーーーーー!! 言います!!」
あっさりと降参をするそれを少々残念に思いつつ、バルレルはシャツから手を退いてやる。
慌てて服の前をかき寄せて心底安堵した息を吐くと、 は、頬を染めてバルレルを見上げてくる――誘っているのかと思う光景だが今は話を聞くまでの我慢だ。
「そ、その…」
「何だよ」
「バルレルが…」
しどろもどろに言葉を出すに焦れたようにトリスを見れば、トリスが呆れた顔でバルレルを見て。
「バルレルがー、昔、色んな女悪魔をはべらせてたって話を聞いたのー」
は?
「それで、一晩中弄んだという武勇伝も聞いたがビビったってワケだ。
そりゃなー、悪魔を一晩中抱いてられる元気な悪魔の相手をつとまる人間なんかそうそういないわなー
も体壊すんじゃねえの?」
後半はフォルテの言葉だった。
”元気が良すぎなのも問題だな”と納得したように頷くその顔面を原型がとどめないくらいまで殴りたくなったが、何より、がバルレルに怯えるように接していたのは、その話が原因ということは間違いなく――。
「……、トリス」
「ん?」
「今すぐ、テメエのガルマザリアを、ここに召喚しろ」
「い、嫌よ! せっかく誓約に成功したのに、絶対殺されちゃう!!」
「悪魔王を敵に回すことがどんなに恐ろしいか、死んでも後悔させてやるぞガルマザリアーー!」
バルレルの怒号が、よく晴れた空の下にたたずむジラール邸を震撼させた。
「…バルレル、まだ怒ってる?」
「……」
ああ、完璧に怒っているようだ。
トリスとガルマザリアと、それから何故かフォルテにまで仕返しをして(これはとばっちりね)みんなを追い出したあとで、あたしのベッドの上で不貞寝を決め込んでいる。
あたしは追い出されなかった。
そのことにちょっと安心しつつそっとバルレルの傍に近寄って、不機嫌そうに眉間にシワを寄せて睫毛を伏せたまま一言も喋らなくなってしまった端正な顔をじっと見つめ、鮮やかな赤色の髪を優しく撫でた。
それだけでこんなにも幸せな気持ちになれるのに、あたしはバルレルを傷つけてしまったんだ。
「…その、ごめんね」
「……」
「ガルマちゃんの話を聞けば聞くほど、あたしなんかがバルレルの相手できるはずないなって思ったら…ちょっと怖くなっちゃって」
飽きられたり、つまらない女だって思われたらどうしよう。
バルレルはどんな人間でも悪魔でも惹きつけることが出来るから、あたしと出会う前にはきっと色んなコトを知っている。 こんなあたしではとても満足ができないだろう…そんなことばかりが、頭の中をぐるぐる回って離れてくれなかった。
でも、押し倒されたとき。
彼の、とても傷ついた顔を見てしまってから、こんなことを考えて彼との距離を置いている場合ではないと気がついた。
「ごめんね――」
「うるせえよ」
ようやく返事が返ってきた。
声はまだ怒っていたものの、返事をしてくれることは本当に嬉しくて、思わずほっとして胸を撫でおろせばバルレルが体を起こしてあたしの方へ向くと、ぎゅっと手を握り締めてきた。
「まだ一度も抱いてねえのに、勝手に満足できるできねえって決めてんじゃねえよ」
「う、返す言葉もない」
呻いてしまうあたしの手を握り締めるバルレルがそのまま、手の甲に口づけを落とした。
言葉なく、何かを誓うみたいにキスをされてあたしの心臓の鼓動がさらに早くなる。 勝手に温度をあげるあたしに気付いたのか、手の甲の肌に唇を押し付けたまま赤い舌がちろりと表面を撫でた。
「…っ」
「第一、肌は俺好みの味してんだ。 満足しないわけがねえ」
ぐい、と体を引き寄せられてバルレルの胸に顔をぶつける。
そのままベッドに引き倒されて倒れこんだあたしの額の髪を指先で払って「我慢してやったのがバカみてえだな」と自分に呆れるようにため息を吐いた。
そのまま降ってきた口づけに息を弾ませると少し機嫌が良くなったようで、剣呑な空気は消えていた。
ゆっくりとシャツの前を開こうとする指先と赤い髪と大きな角を持つ悪魔の口づけに抗うこともできず、あたしは彼の広い背中にぎゅっと腕を回してしがみつく。
もう抵抗なんかしない。 ただこの想いを彼に注ごう。
「さっきは邪魔が入ったが、今度は逃がしてやらねえから」
触れてくる唇が、熱い。
吐息も、熱い。
ああ、こんなに熱いのに、もう自分から逃げられるはずなんてない――。
「今すぐ抱かせろ。 そうすりゃはっきりする」
そうして、逃げられないまま赤い熱に溺れるのはあたし。