――おいおい誰よ、女子の鞄にこんなの入れたバカヤロウは。


 バッグを開けた私の中で、そんなツッコミが炸裂した。
 しかし、危うく口から出そうになったそれをお腹にぐっと力を入れることでなんとか飲み込むことに成功する。 ふぅぅぅ、危ない危ない。 余計な騒ぎを引き起こすところだったわ、と自分の腹筋を褒め称えたあとひとまず無言でファスナーを閉じた。 一瞬だけ、私の座ったベンチ周囲に奇妙な沈黙が降るものの、それを打ち破るのもまた私のため息である。

「………、ふー…」

 まあ、もっと色々とツッコミたいところはあるけど。
 仕方がない。 人生、こういうこともある。 うんうんオッケー、クールになってるわ私。 大丈夫だわ。

 現実逃避に近い心境で何気なく窓の外を見ると、言いようもないモヤっと感を抱えた私の胸中を表すがごとくすさまじい豪雨だった。
 春になれば盛大な桜の花が咲く樹が緑の頭をはげ散らかさんばかりの勢いで、風にあおられゆっさゆっさと揺れている。 窓硝子にたたきつける雨粒も、箱根学園自転車通学者用のチャリがドミノ倒しで折り重なっているのも、警報が出るほどの豪風雨のせいである。
 しかし、王者としての連覇を目指す我が箱根学園自転車競技部はただいまインターハイに向けそれはそれは過酷なトレーニングメニューをこなしている最中で、インハイに対する彼らの執念と努力と集中力は他のものを意識に割り込ませないほどすさまじく、そのおかげで、この室内トレーニングルームにいる人間誰一人として私の身に起こったことを目撃していないわけなの、だが……。

(どーしたもんかなぁ)

 結いあげた髪ごとガシガシと頭を掻き、その視線をそろりと周囲に向ける。
 強風に煽られ人が立つこともままならぬこの天候のせいで、インターハイに出場するレギュラー陣も今回ばかりは外での走りは禁じられ、広い室内でルームランナーや三本ローラー、エアロバイクなど活用し各々に外で走れなかったぶんのノルマを黙々とこなしている。
 そんな彼らのためにドリンクの用意やタイムを計ったりとサポートをするマネージャー業が私の仕事だが、三年間もそれが続くと後輩への指示出しや雑務もろもろとマネはマネなりにそれなりに忙しいわけで、先ほどようやく、レギュラーたちの次のトレーニングの準備がすべて整い仕事も一区切りついた。

 そこで、冒頭の事件(?)が起こってしまったわけだが。

 しかしこれはあくまで、私にのみに起こった出来事である。
 この場にはトレーニングに集中している人間しかいないので、私がつい先ほど受けた微妙な衝撃とか沸きあがる微妙な動揺とかそんなものを察することができる人なんているわけがなく、私自身も彼らを応援する部員として邪魔になりたくはない。
 けれど、さて、鞄の中にあるこれを誰にも知られずどう処理したものか――。


「どうしたんですか、先輩?」

「うっぉわぁおッッ!!」


 完全に油断しきっていたせいで女子らしからぬ悲鳴が出た。
 抱えていたトレーニングメニューの一覧をファイルごとぶちまける程度には、この対処方法を結構真剣に考えていたようである。 なんて馬鹿らしい。 しかし、突如として現れた真波くんの興味を引くには十分なリアクションだったようで、「そんなに驚かなくてもいいじゃないですかーすごい悲鳴だなあ」と楽しそうに笑いながらベンチに座った。
 エアロバイクでかなりの距離を走った後か、汗だくのまま後輩マネージャーお手製ドリンクをごくごく飲み、ぷはぁっと気持ちよさそうな息を吐く。

「? 先輩どうしたんです?」
「…音も影もなく後ろから現れるとか…君は忍者か…!」
「あはは、そんなわけないじゃないですか。 でも鞄がどうしたんですか?」
「や、なんでもないない。 その休憩終わったら君は次のメニューに入ってね。 はいこれ、メニュー表」
「…え〜〜…部室で筋トレより外で走りたいなぁ」
「君は山に入ったらなかなか帰ってこないでしょ…いつもそのまま山の住人になったんかと思うわ。 まあ雨も明日には晴れるからそのときめいっぱい走ってくれたらいいよ」
「はーい」

 うーむ、大変いいお返事ですね。
 しかしその目が私の学生鞄に釘付けになっているのはいただけない。
 この子、変に察しがいいからな…と、さりげなく彼の視界から隠すようにサッとベンチの下に鞄を押し込むと「隠した?!」と余計に食いついてきたチィィッ逆効果だったかァ! と舌打ちしても時すでに遅しだった。
 自分の鞄だというのに足で踏みつぶさんばかりに蹴って奥に押し込みながら真波くんをシッシッと追い払う私、女子として終わった。

「ちょ、先輩、そんな犬みたいに追い払わなくても」
「あーほんとになんでもないから。 ほら、あっち行きなさい」
「うわーそんな風にされたら余計気になるな〜何が入ってたんですか? ラブレターとか?」
「そんないいもんじゃなかった! むしろそっちのがよかった!」
「ヒュウ! やるじゃん。 おーいみんなーがラブレターもらったってよー」
「新開くぅぅぅん?!! 横から入ってきてテキトーなこと言いふらさないでもらえないかなぁぁぁ?!」

 こちらもきりよく休憩に入ったのか。 いつも通りパワーバーをもぐもぐさせて横から現れた新開くんの宣伝により、ついに、黙々とトレーニングしていたレギュラー陣がいっせいに私を見た。
 あ、なんかヤな流れ……。
 こういう時こそ”いつもの馬鹿やってんだなあいつらホントしょうがねえな”と捨て置いてくれればいいものを、と願う私のささやかな望みは見事スルーされ、みな揃って一区切りついたのかマシンを降りてこちらに向かってくるではないか――特に、荒北靖友は苛立った様子を隠しもせずに嫌なオーラ振りまいて向かってくるので、私の背に嫌な汗が伝った。

 どうしよう。 騒いだわたしが悪いんだけど、この状態の荒北は最強に面倒くさいんだよなぁ…とりあえずおだてて持ち上げておくか。

「い、いやぁ、いいペースでノルマこなしてるね〜! さすが荒北! っよ、安定の運び屋〜!」
「ウッセ。 つぅか真波と何騒いでやがんだ、インハイも近ぇんだから遊んでんなら叩き出すぞコラァッ」
「ちがーう! 好きで騒いでいたわけじゃないってば!」

 おだてても何も効果がなく完全なるおだて損した気分だ。
 若干ヤンキー感が抜けていない彼に危うく腕を掴まれそうになるのをするりと避け、代わりにメニュー表を突き出した。 彼のご希望どおり、足や体を壊さないことを前提としたみっちりがっちり厳しめメニューである。

「仕事はちゃんとしてます! だた、ちょっとハプニングが」
「ハプニングだァ? ブッサいお前にラブレターとかマジかよ。 そりゃハプニングだな」
「ブッサいのはお互い様ですけどねえええええあんただけラン5キロ追加してやろーかしらあああぁ?!」
「上等だコラァァァァ5キロくらい余裕で完走してやるつーんだよ元野球部舐めんじゃねえぞ」

「――荒北、、どうした」

 額をぶつけ合って睨みあう二人の間に、何事もなく割り込む者が現れた。
 荒北と同時にバッと顔を離して「フクちゃん!」「福富くん!」と一瞬で事を収めた我らが部長に「さすがだな寿一」と満足気に頷いている新開くんだが、ややこしくしたのは君だからね? あとで覚えとけよ?

「インハイ前の大事な時期だ。 部員同士がもめている場合じゃないのは分かっているだろう」
「…はい、すみませんでした…」

 ついには主将の福富くんに呆れられたような目で見られてしまった。
 彼の場合は表情筋が仕事してないので喜怒哀楽がいまいち分かりにくいが、そのぶん声と目に出る。
 三年間一緒にいてささやかなモノまで感知できるようになった私は彼の呆れを含んだそれにしょんぼりと謝罪をしてから――しばらく悩んだあと、観念したように学生鞄をベンチの上に引き上げた。
 泉田くんまで「どうしたんですか?」と不思議そうな顔でやってきて、こんなことでみんなのトレーニングを中断させたことになんだか申し訳ないような…。

「っていうかみんな何で放っておいてくれないの…」
「馬鹿いうな。 そりゃおめさん、俺たちのマネージャーに彼氏ができるかもしれないってそんな面白そ…いや、一大事なこと黙って見過ごせるかっていう話で」
「なんで私に彼氏ができたら面白いになるの。 私の彼氏はコントか?」
「…んでェ? 相手は誰だよ」
「や、そもそもラブレターとかそんなんじゃ…うわぁぁぁ勝手に鞄開けないでよバカ荒北! サイテー!」

 物が物だけに出し渋っていると、荒北が鞄の口をあけて逆さまに掲げた。
 こいつは女子に対してのデリカシーというものがないな! と、私の悲鳴に構わずバサバサと落ちていく教科書や筆記用具、財布、ポーチ…と最後にバサァッ!と落ちてきたものに、その場にいる一同が目を点になった。

「……なァんだヨ、これ」
「…私が聞きたい」

 なんてことはない。 でてきたものはグラビア雑誌だった。
 しかもおっぱい大きめ、腰がくびれてお尻も大きいナイスバディな外人さん特集。
 もちろん私物ではありません。 鞄開けたらこれが入ってたことに誰より私がびっくりしたのだ。

「ってか、新開くんか荒北が入れ間違えたんじゃないの?」
「ちっげーヨ! んなワケねェダロが!」
「俺も違うなぁ。 つか、おめさんの鞄に入れてどうすんだよ」
「あーうん、ですよね〜」

 なんと持ち主有力候補1位と2位に拒否された。
 一瞬、そんな訳がないと思いつつ、まさか福富くんか…?とちらりと目をやる。
 だが福富くんは腕を組んだまま「?」と何も分かってなさそうな真顔だけが返ってきたのでこれも違うようだ。(フクちゃんをそんな目で見るんじゃねェヨ!と荒北に怒られた)
 かといって泉田くんとか真波くんとかも違うだろう(と思いたい)し…そこで、この場に東堂くんがいないことに気が付く。

「あれ、東堂くんは?」
「尽八なら途中で先生に呼ばれてたぞ。 もうそろそろ帰ってくるんじゃないか」
「それじゃ、もしかしてこれ東堂くんの私物…?」

 しかし東堂とグラビア雑誌だなんてなんだかうまく結びつかない。
 あんなにモテているからこんなもの必要なさそうだが…と、ウンウン唸って他の候補を頭の中で検索したところで、キャーッと黄色い悲鳴が外から聞こえてきた。

 外で荒ぶる豪雨の勢いもなんのその。
 まるでアイドルと遭遇したような女子生徒の悲鳴で……けれどもその原因が誰のせいかだなんて、考えずとも思い浮かぶっていうかその本人がスパーン!と部室の戸を開けて現れた。

「はーーーっはっはっは! 聞こえたぞ
 お前は今! たしかに呼んだな? 眠れる森の美形(スリーピングビューティー)のこの俺を!!

「はいはい、おかえり東堂くん。 これ東堂くんの?」

 無駄にキラキラオーラを放って現れた東堂くんはいつも通りなので、私は特にツッコミもなく雑誌をみせる。
 すると彼は「んん?」と私の手元のそれを視界に認めてから「あぁ、それか!」と晴れやかな笑顔を見せたので、私はその笑顔に腹が立つより驚きを隠せなかった。

「うっそ、これ東堂くんの私物なの? うわー……」
「うむ。 それは俺からのプレゼントだ、
「…はい?」
「この間、俺は君に巻ちゃんの写メを見せただろう? そのとき君は巻ちゃんをカッコイイ人だと言ったではないか」

 ああ、そんなこともあったな。 と二、三日前のことを思い出す。
 でもそれは巻島くんがものすごく努力をして走り続けている人なのだと、東堂くんから熱心に…むしろ熱烈に聞かされたからであって、頑張り屋さんが好きな自分としては素直に感想をのべたまでなんだけども。

「まぁ俺と巻ちゃんのカッコよさにほぼ互角であるから巻ちゃんのことをカッコイイと思うのは仕方がない。
 そこで俺も君の友人として、そして巻ちゃんの親友としてたまには役に立たねばと考え、巻ちゃんが好きそうなグラドルが載った雑誌をこっそりの鞄に入れて”巻ちゃんの好みタイプはこれだ! 頑張れよ!”という俺なりのエールを送ってみたわけでだな…」

「最大級のいらんことしぃなんだけど東堂くん! あなたインハイ前の大事な時期になんつーことを!」

「そして巻ちゃんにも君の写メ見せてこのことを話したら、珍しく満更でもなさそうなリアクションが返ってきたのであまりのスムーズさにさすがの俺も少し妬けてきたわけだが」

「ああああぁすでにご本人にも伝達済みとか! 巻ちゃんさん二次災害でごめんなさい!」

 さすが山神。 神なだけにもうツッコミが追い付かない事態が展開してしまっていた。
 と、いうかとんでもない解釈されてるうえご本人に間違った話が行き渡ってしまっていることにはさすがに羞恥心が抑えられない。 これ確実に私が巻ちゃんさんのこと好きだとか言ってるパターンだよね?
 思わず耳まで熱くなるのを自覚して私は「どーしてくれんのよ!」と東堂くんの制服の胸倉を掴みかかったが、東堂くんは海にただようクラゲのごとく私の怒りをスルーして「照れるな照れるな」とカラカラ笑うだけで、もう恥ずかしいやら情けないやらなんとも言いようもない脱力感が私を襲う。

「むこうもインハイ前で忙しいのにこんなバカ話で迷惑かけるとかサイテーなんだけど…」
「いやいや待て待て。 だから巻ちゃんも嬉しそンぐふっ!

 喋っていた東堂くんが突如くぐもった悲鳴をもらした。

 それは不機嫌なオーラを隠しもしない荒北に脳天チョップをくらったからである。
 相当痛かったらしく、東堂くんはしゃがみ込んだまま苦悶の声をもらしてしばらく震えていたが、美形にあるまじきうめき声を出してしまったことが彼の美意識に反したらしい。
 まだ痛む頭を押さえながら「荒北! 痛いぞ!」と珍しく抗議の声をあげたものの、「巻チャン巻チャンウッゼェんだよ!」となかば逆切れで怒鳴られた。 やばい。 二次災害どころか三次災害くらいの余波が来てる。 私に。 っていうかこの人さっきからミョーに怒り狂ってない? カルシウム足りてる?

「ちょちょちょい、荒北どーしたの…なんでそんな怒ってるわけ?」
「ハァ? 別に怒ってねェし」

 いやいやいや怒ってるんじゃないかそれ。
 彼とは約一年経つか経たないかの付き合いでほぼ口喧嘩友達のようなものだったが、ここ最近その口喧嘩がきれいにまとまらず妙にこじれることが多い気がする。 人に言えない悩みでもできたんだろうか…責任感強いせいですぐため込むからなあ。

「今回は東堂くんのせいで馬鹿な騒ぎになっちゃったけど、何かあるなら話くらい聞くよ?」
「…っ」

 真っ直ぐに彼の目を見てそう言った私に荒北は何かを言いかけて口を開けるが、憮然とした表情のまま口を閉ざしてしまった。
 ガシガシと短い黒髪を掻いて舌打ちをし、私の手から新しいトレーニングメニューをひったくるように奪い取る。 荒北用に組上げられた手書きのトレーニングの一覧をじっと見つめ、やがてこらえきれない苛立ちを吐き出すように長いため息を吐いた。


「別に…なんもねーヨ。 こっちこそ怒鳴って悪かったな」


 ぽつり、そう呟く。
 けれどまだ何か消化しきてれいないらしくメニューのプリントを握りつぶしながら私たちから離れ、そのままエアロバイクに乗り込むとギッと前をにらみ全身の重みを乗せてペダルをぐんと踏み込んだ――やがていつものように黙々とメニューをこなし始めた荒北の姿を不思議そうに見ていた東堂くんは、こそりと私に耳打ちする。

…、荒北はどうしたのだ? 俺が巻ちゃんをほめたたえるのはもはや日課だと知っているはずなのにどうして今日はあんなに怒っているのだ?」
「…さぁ?」

 私に聞かれても分かるわけがない。
 しかし福富くんや荒北の言う通り私たちはこんなところでサボっている時間もないわけで…。
 
「まぁまぁ。 靖友のことはそっとしといてやろう…ってことで、事件も解決したし俺たちもトレーニング再開しようぜ」
「解決どころか難事件に発展したんだけど!?」
「落ち着け。 それより君のウエストをあと5センチしぼってバストアップ体操もマメにしないと巻ちゃん好みには到底及ばないぞ?」
「余計なお世話なんですけど!?」
。 明日のメニューのことなのだが」
「それどころじゃないんですけど?! って、あああぁぁ違う違う違う福富くんごめんなんかノリでつい!」



「荒北先輩、もうちょっと素直になればいいのなー」
「アブ…真波。 お前はもう少し黙っていたほうがいいぞ…」

一応これでも嵐の前の静けさ

あとがき
まさかの弱ペダでしたー!
いっときすごくハマってましたインハイ終わったあと私の抜け殻っぷりといったら!
箱根好きすぎてアカンやつでした。
荒垣さんと巻ちゃんがスゲー好きでした。あと田所さんとか田所さんとかぁぁぁぁ田所さんとってもカッコイイよぉぉぉお熊さんかよおおお!!!(思い出しMOE)

続編全然読んでないんですけど番外編も含めそろそろ読み始めましょうかね…実写化もするしな…もう追い付けないんだけど!
2016.05.27