ここのところ毎日が晴天で、傘もまるで出番なしの日が続いた。
 そのぶん紺青色の空と白い雲のコントラストが目に焼きついてまぶしいうえに温暖化よろしくとばかり気温は上昇する一方だが、登校する生徒も少ない早朝の烏野高校は都会に比べてまだ比較的に涼しいほうだろう。 田舎で不便も多少あるものの徒歩通学者としてそういうところは実にありがたいところだ。

 校門をくぐってバレー部の部室と体育館のある方角に向かおうとした途端に、すでに聞き慣れてしまった「うおぉぁぁッ」だの「んにゃぁあ負けねぇぇえッ」だの、誰より先に早朝の走り込みを始めているであろう後輩の奇声が響いてきて「あいつらほんと元気だなぁ」と親戚のオッサンのような気分になった澤村大地は苦笑した。
 短い黒髪の頭をかき、自分も負けじとスニーカーの靴底で地面を蹴ろうとしたところで――ふと目についた花壇の視界の端。 目ざといと言われてもおかしくないほんの一瞬に、これまた見慣れてしまった麦わら帽子が映りこんできて澤村は踏み出しかけた足を止めていた。

 昨日はかぶってなかったのに…うーん、今年もついに麦わら帽子が登場したか。
 バレーに何の関係もないただの麦わら帽子だが、三年間も見続けてきたとなるとなんだか感慨深い物がある。
 澤村は奇声が木霊する部室に向かいかけた足をそのまま花壇へと方向転換し、小走りになって麦わら帽子をかぶったクラスメイトの元へ駆け寄る。 すると近づいてくる足音に気付いたのか、烏野高校の制服を着た女子生徒は額に浮かんだ汗を片腕で拭いながら顔をあげて澤村を見た。 まだ朝も早い時間なのにその顔に眠気の色はなく、じわじわと上がる温度のせいで淡く紅潮した頬についどきりとして立ち止まると、澤村の姿を認めた目はやわらかな笑みに細くなった。

「あ、澤村おはよー」
、はよっス」
「あんたのところのヒナちゃんズの鳴き声がさっきからずっとああやって聞こえてくるんだけど」

 どうにかなりませんか、アレ。
 ジト目の視線でそんなこと訴えられても澤村にはどうしようもなく、お手上げと言わんばかりに首を横に振る。

「まあ、元気があるってことで見逃してやってくれよ」
「そりゃいいことだけどさー」
「それはそうと、今年もついに麦わら帽子出たな〜お前のソレ見ると夏キター!って感じするわ」
「そろそろ午後の陽射しが本格的にキツくて…3月からがっつりUVケアに移行してるおかげで焼けないけど、陽射しはどうしようもないわ」
「おいおい、熱中症とか気をつけろよー?」
「朝だけ草抜きコースに切り替えたし、用務員さんからもらった塩飴も常備してるから大丈夫よ」

 軍手越しに手際よくぶちぶちと雑草を抜いて根っこの土を払いながら事も無げに告げるそれに、「まあ無理すんなよ」と返しながら澤村は花壇を覗きこむ。

 緑化委員三年目突入のクラスメイトのおかげで烏野高校の花壇やグラウンドは他校に比べ割りと整った部類に入っているらしいことを聞いたことがあるのだが、毎日こうして手入れをされている植物たちは花や草に疎い澤村から見て分かるほど生き生きしている。
 最初は水のやりすぎて枯らしてたりしていたのに三年も続ければやはり違うものか。
 彼女にとっての草花たちは自分にとってのバレーと同じなのだろうが…どうだろう。 彼女のガーデニングは上手くなったが、同じようにバレーを続けてきた自分も少しは上手くなっているだろうか、と何故か急に思い浮かんだそんなことに思考を空転させたとき。
 視線、を感じてふと顔を上げると、いつのまにか手を止めていたが澤村の顔をじっと見ていたことに気づく。

「ん?どうかしたか」
「えっ、ぁー…と、な、何でもない」

 ぱっと目をそらしたは再び草むしりを再開する。
 麦わら帽子の下から見える耳が赤いのは気のせいか…そんな反応、変な勘違いをしてしまうからやめてほしいのだが。
 ここのところよく訪れる微妙な雰囲気になってしまった空気をどうしたものかと頬をかいて視線を他の場所へ移すと、すでにごみ袋いっぱいにまで詰まった雑草たちに目がとまる。 それは彼女が早い時間から作業を開始していたことを知らせていて、俺も見習うべきだよなぁなんて本日二度目のため息を吐いて斜めがけのショルダーバッグを尻の後ろにずらしてからの隣にしゃがみこむと、ものすごく驚いた顔を向けられてしまった。

「ちょ、何してるの…?」
「いやちょっと充電を」
「えぇぇなにそれ、またなの?」

 ってか、はやく部活に行きなさいよと言わんばかりの目を向けられてそれを「まあまあ」となだめつつ、澤村は少しだけ目を閉じた。

 ――の、土を触る音がする。
 土を踏む音、彼女が動くたび空気が揺れて立ち上る湿った土の匂いと花の匂いは三年間身近に感じていたもので、それらに触れるとなんとなく気持ちが落ち着いてくるのが分かる。
 今年はくせ者揃いの新入部員の登場、西谷や東峰の復帰という様々なことが重なり続け新たな希望が見えてきたおかげで毎日がめまぐるしく、瞬く間に過ぎて心休まる暇もない。 けれど、それはとても嬉しいことだ。 出来る限りの力を尽くせるチャンスがようやく目の前を転がってきたのだからそれを掴まないわけにはいかなくて、なにより自分の私生活全てをバレーに注いで許されるのはもうこの一年間だけだ。 あと一年。 だが一回でも試合に負けたらそうも言ってられなくなりだからこそ過ぎ行く一日一日を糧に、目の前が嵐だろうが雷だろうが飛ぶように前へ進んでいくしかないのだ。

 ただ、今は。
 彼女が隣にいる今だけは少しのあいだこうしていたい。
 ”羽を休める”とはきっとこういう時のために使うのだ。

「澤村、…寝てるの?」

 遠慮がちに声をかけられ、意識がふわりと現実に引き戻される。
 草抜きを終えたらしいが心配そうに澤村の顔を覗きこんで、病人にするように広い背にそっと手を添えていた。
 洗って土を落としてきたのか冷ややかな手は当たり前だが自分より小さくて、細くて、握りしめたらやわらかいだろうに、三年間ほぼひとりで黙々と草を抜いて花を育ててきた強いものだ。 自分は誰よりそのことを知っていて、そんな彼女の手が遠慮がちにくしゃりと澤村の髪を撫でる感触が心地よくて、つい、手懐けられた鳥のようにその手にされるがままになってしまうのだが。

(あー、きもちいい…)

 居心地良すぎて寝てしまいそうだ。
 彼氏でもないのにこうして触れること許してしまう自分を、彼女はどう思っているだろう。
 弟か、犬か猫かそんな感じか? まあ、別に、俺はのことが好きだから何でもいいんだけど――、って。

「…ん゛っ?!」
「え゛っ? な、何?」

 唐突にたどり着いてしまった結論に驚きすぎて、ばちっと目が開いた。
 と、同時に無意識に出てきた妙な声にもよほど驚いたのか慌てて手を離し、びっくりした顔のまま澤村を見返している。

 そんな彼女の驚いた顔に――澤村のジャージ下の背にどっと汗が噴き出した。
 否定がぶわわっと喉奥から塊となって込み上げてくる。
 いやいやいや待て待て待て。 どうしてそんな考えに流れてたどり着いてしまったんだ。
 そういうことじゃなくて俺が言いたいのは…と誰かに言い訳するでもないのに、今度は顔中にじわじわ噴き出してきた汗のせいでますます動揺した。
 うわうわなんだコレと一人で慌てまくっていれば、それをなにやら別方向に勘違いしてくれたらしいは「寝ぼけてる? ガチのうたた寝なんてめずらしい」とくすくす笑って目を細めていて、ニブイ…となんとも自分勝手な感想が浮かぶ。

「違うって。 うたた寝してないって」
「うそー、眠そうだったよ」

 にやにや笑いでからかわれてしまい、圧倒的に負けた気分になる。
 そのことが少しだけ悔しくて、「このやろっ」と自分の夏の風物詩にもなった麦わら帽子をぎゅっと抑え込んで覗きこもうとするを遠ざけると、体の軽い彼女はあっけなく離れて行ってしまった。 それが少し勿体ないような、残念なような気持ちになるのはきっと錯覚だ。 少し休んだから気が緩んでしまっただけ。 そうに違いない。 俺は馬鹿か。 の体が軽いのは見れば分かるし。 見ればーー。

「……」
「?」

 衣更えの時期到来故に、肌色の透ける白いシャツは期待した機能性のとおり薄手であるが、そのぶん凹凸がよく分かるまろみを帯びた細い体の男にない部分につい目がいってしまった。
 そんな自分を脳内で、東峰のスパイク並の威力でスパァァンッ!と頭から張り倒した澤村はとにかく色々なものが顔に出ないように努めて無表情を装うことに成功する。 もちろん不自然にならぬよう、ぎこちなく視線をそらしながらだ。
 バレー部主将たるもの、内心びびっていようがチームのために笑顔で「ナイッサー」を言わなければならないポーカーフェイスが重要なのだがこんなところで役に立とうとは。 主将やってて良かった。

「澤村…あんた今日なんか変じゃない?」
「イヤイヤいつもどおりだからダイジョウブ。 …っよし、充電もできたし行くべかな」

 色々ありすぎて朝から相当気力を浪費してしまった気がするが、時間的にはいつもより少しだけ長居したくらいだ。
 すでに着替え終えたらしい菅原や東峰がこちらに手を振ってきたので澤村がそれに応えて手を振り返していれば、同じものを見たが「そっか」と呟いて、澤村にむけて小さな拳を突きだした。

「ほい、あげる」
「イチゴ飴?」
「塩飴はもう食べちゃってないし…良かったら食べて」
「おう、そんじゃありがたく 」

 ころりと手のひらに転がってきたそれを受けとると、すぐに包みをひらいて口のなかに放り込む。
 別に普通のイチゴ飴だが、なんとなく誰かを彷彿とさせるような甘みに思えて「あぁもう」と自分の思春期ぶりに頭を抱えたくなる澤村を見て、がいつものように笑っているから自分もとりあえず笑っておこうと気を取り直した。

「んじゃな、
「うん、朝練頑張って」

 いつもどおりただ声をかけあっただけなのに、奥底からみなぎるこの活力は一体なんだろうか。
 「オッシャァ!」と腕を振り回して足を踏み出そうとする澤村の少し向こうで、菅原と東峰がニヤニヤニヤニヤと笑っているのが見えた。
 おい、なんだその意味ありげな顔は…と言いたげに顔をしかめても彼らは互いに笑い合うだけで、じわりと熱くなる顔をごまかしついでに腕でこする仕草をしてから、もう一度に手を振ったあと、澤村は今度こそ勢いよく駆け出した。

「お・ま・え・ら・なぁぁ〜…! 」
「うおっ、大地激おこだっ! 旭、逃げるぞっ」
「悪いスガもう逃げてる!」
「ずるい!」
「待てこらァァ!」






 親友二人に飛びかかる澤村と、飛びかかられて悲鳴をあげる菅原と東峰を見ていた縁下は、自分のバッシュの紐を結び直しながら「あーあ」と笑いを噛み殺してその光景を眺めていた。

「スガさんたちも飽きないなぁ…、大地さんがあそこで充電してるのみたらからかうんだから」
「え、あれ毎日なんですか?」
「毎日ってわけじゃないけど…でも定期的に朝練前にやってるかな。 なんか、調子よくなるみたい」

 たぶん、ジンクスとかパワースポットとかそういうのに似てるんじゃないかな。
 結び終えて立ち上がると縁下は真っ直ぐ体育館倉庫に向かう。 山口もそれに続いて倉庫に入り、二人でかごいっぱいのボールを引き出して練習のための下準備を進めていると、何かひらめいたのか山口は「あっ」と声をだして。

「大地、だから土とか触るとパワーアップとかそういうのですかね!」
「……イヤ山口…お前大地さんを何だと…」
「え、違います?…でも今度俺もやってみようかなぁ」

 あそこで充電をしてあの強いメンタルに少しでもあやかれたら、と思っての何気ない呟きだったのだが。

「いやそれやめといたほうがいいぞ〜山口」
「ひょわっ」
「うわ、スガさんいつの間に」

 いつの間に近づいてきたのか。
 運ばれていくボールかごの裏に隠れた菅原に驚く後輩二人をシィーッと静かにさせ、近くに澤村がいないことを確認してから「俺も手伝うよ」と進み出ると、かごに乗っかったコート用のネットを慣れた動きでたぐりよせて肩に担ぎ、運んでいく。

「菅原先輩、やめといたほうがいいって…?」
「んー、あれは大地だから土に触るとパワーアップとかじゃなくて、さんがいるからこそのパワーアップっていうか」

 そこで山口は「あ、そーいう…」と色々と察して何かに気付くと、菅原はニシシと笑って「それよそれ」とコートポールにネットを引っかけた。
 コート中心で境目をつくるように端と端が結ばれ、緩みなくぴんと張ったネットを見るだけで気分があがってくる。

「だからマネしても意味ないどころか、大地にヤキモチ焼かれちゃうからな〜怖いぞ〜笑顔で睨んでくるからな〜」
「ひ、ヒィィィィッ」

 山口の悲鳴があがる。
 しかしそれは菅原の言う主将像に怯えてではなく――菅原のすぐ後ろで、黒いオーラを立ち上らせた澤村大地その人の登場によってのものだが何も知らない菅原は「早く告白しちゃえばいいのになー」と”他人の恋バナは蜜の味”とでもいいたげにいつもより楽しそうに笑っている。
 状況を察した聡い縁下は恐怖に震えて動けない後輩を「ランニング行くぞ!」と引きずって救出しその場を離れるも菅原はやはり一向に気付かず、そそくさと外へ出て行く後輩に首を傾げるばかりであった。

「あれ、お前らなんでそんな急いで」
「ス・ガ・くーん?」
「…………(俺、死んだかな)」



 嵐だろうが雷だろうが構わない。
 君という止まり木の花に触れ、羽を休められたなら、黒い鳥はどこまでも飛んでいけるのだ。

止まり木の花と黒い烏と

あとがき
澤村主将の安定感が半端ない。と思う今日この頃ですが。
だがしかし縁下くんも14巻のおかげで株が急上昇であります。カコイイィィィィイイッ!!!
もう萌えすぎて震えが止まりません縁下主将(仮)…!
サブキャラで終わると思ったらちゃんとチームの一員…作者さん上手すぎ…。

片想いとか、両想いだけど片想いとか、お前らはよくっつけ感がおいしすぎて止まりませんモグモグ。
マネージャー設定でも書きたいですね。運動部おいしい。
2015.3.8