ある晴れた日の早朝。
 まだほとんどの生徒が登校していない時間帯にひとりでグラウンドを横切る。
 寿命のかぎり全力で鳴きまわる蝉のおかげでほぼ無人の校舎は寂しげもなく賑やかで、ぬるい風がひとまとめにした髪と家から持ち出した麦わら帽子をわずかに浮かせて過ぎていく。

 今日も一日暑くなりそうだなあ。
 そんなとりとめもない感想を声に出さず歩き続けて、目的の花壇にたどり着いた。
 手にしたジョウロを傾ければサァッと涼やかな音をたてて水が土にしみてゆき、濡れて匂い立つ土の香りとかすかな冷気が場に満ちた。 その心地よさについ目を細めて、自給自足型の貴重な涼を堪能する。

「はー、涼しい〜」

 あたしが烏野高校に入学してから2ヶ月以上経ったが、ようやくこの緑化委員の仕事にも慣れてきた。
 緑化委員とはその名の通り、学校内の緑化を目指す委員会である。
 簡単にいえば花の水やりやグラウンドの草むしりが仕事だ。 烏野高校に入学していつまでも部活を決めずに放課後だらだらしていたらそれを怒った担任が勝手に任じてくれたわけなのだが、マイペースすぎる性格の自分には黙々とこなす作業が案外むいていたようで、グラウンドや体育館裏、花壇…という広い範囲を決められた時間内で手入れするためにと始めた早すぎる早起きが、今ではそれほど苦痛にならなくなった。
 逆に、花が元気に咲いているのが今ではちょっと誇らしいくらい、緑化委員らしくはなっている。
 緑化委員が校内あたし一人だけというのは腑に落ちないのだけれど……こうなったらガーデニングを極めてもいいだろう。 それで大丈夫か女子高生!というツッコミにも目をつむろう。 あたしの高校生活はまだ始まったばかりなのだから。

「うおー、マリーゴールドが勢い出てきたかなーペチュニアがんばれー」

「――あ、おーいー! オッース!」

 目の前の花壇の花に一通り水を遣り終えたところで、元気な声とガチャンッと自転車のストッパーがはまる音がした。
 音につられて振り向きざま、バッと現れた黒い影が視界の半分を埋めた。
 烏が翼を広げたみたいに目いっぱい大きく腕を広げて、階段を蹴りあげ夏の青空を翔ぶようにして現れた少年の明るい髪色は烏野高校排球部の黒色ジャージによく映えた。 遅れて浮き上がるショルダーバッグが彼の飛翔に追従し、小柄な体と一緒にあたしの元へ落ちてくる。

「う、わ」

 どれだけ高く飛んだんだ。
 思わずうめき声をもらすあたしに構わず、ジャッ!と音を立ててきれいに着地した少年は勢いよく顔を上げると「くっそー!今日はのほうが先だったなー!」と途端に渋い顔をして悔しがった。
 いつもと変わらないその姿に、すごかったのは一瞬だけかいとすぐに肩の力が抜けていく。

「急に跳んでこないでよ日向…オハヨ」
「あー、うん。 なんかゴメン? でもは何時から来てたんだよ」
「あたしは家近いしね〜10分前くらい。 ってか日向は山越えてきてるんでしょ…日向のほうがスーパー早起きじゃないのよ…」
「6月のIH予選に向けてがっつり練習しないとな! あ、影山は? まだ来てない?」
「うん。 バレー部は日向が一番かな」

 朝練がある他の運動部さえまだ誰の姿もみていない。
 記憶をたどるように答えたあたしにクラスメイトの日向翔陽は「やったー!」とまた軽々と飛び上がって見せて、あたしを驚かせる。 比喩ではなく彼は本当によく飛ぶのだ。 その跳躍力…もとい体のバネはすごすぎて彼は本当に同じ人間なのかと最初は疑っていたが、体が軽くて小さいだけでなく日頃の凄まじい練習量や運動量も合わさってそうなっているのだと、緑化委員の仕事ついでに見かけた彼らの練習風景で知った。

(緑化委員のことがなかったら日向とこうして話せるようになるのももっと後だっただろうな〜)

 …まあ、日向のコミュニケーション能力が高いのでわずかの差だったかもしれないが。
 早朝の草むしりしてたら突然声をかけられて驚きにめっちゃ飛び上がったのも今ではいい思い出である。

「今からひとりで練習するの?」
「んー、俺ひとりじゃトス上がんないから無理。まず筋トレとかストレッチとか、ランニングしてから……うおっ、このオレンジの花この間よりすっげー咲いてる!」
「マリーゴールドだよ。害虫も寄せ付けない強い花だから、やっぱりよく咲くわ」

 へー、と返事をしてマリーゴールドを食い入るように見つめる日向の耳には花の名前なんて右から左へ受け流されてるんだろうなあと苦笑しつつ、残り少ないジョウロの水をマリーゴールドにかけてやる。
 滴(しずく)と陽光できらきら光るオレンジの花は日向の髪と同じ色で、なんだか日向に水をやってるみたいだ…そのふわふわの頭に水をかけたら増えたりしないかな。するわけないか。

「ん?なに?」
「イイエなんでも。 朝練いってらっしゃい」

 少し噴きそうになりながらも笑って日向に手をふると、おう!と元気な返事とまぶしいほどの笑顔。
 くるっと方向転換をして今にも部室に駆け出そうとした日向だったが、ふと、ピクッと何かに反応してこちらに振り返った。


「ん? どうし――」

 ――瞬間、ぶわっと膨らんで吹き付けてきた風があたしの麦わら帽子を勢いよくさらい上げてしまう。
 突風か。 と、理解するより早く、夏の青空にひらりと浮かぶ麦わら帽子。
 慌ててスカートを抑えた手とは逆の手をのばしてももう遅い――けれど、それより早く、あたしの手の高さより遥か高く飛んだ日向の手が麦わら帽子を掴み取っていた。


(………すごいなぁ)


 風がくることに気がついたのだろうか。
 それこそまさに鳥のようじゃないか。 彼の反射神経の良さと、まぶたに焼きついた青空と彼の姿に呆然としていれば、トンと軽い音をたてて着地した日向が「あぶなかったなー」と笑ってあたしの方へやってきて、ぽすんと頭に麦わら帽子をかぶせる。
 あまり変わらない身長と日向の性格もあって気にしたことがなかったが、それがなんだかやけに男の子っぽい仕草のようで、あたしは今更ながら急に恥ずかしくなって顔を俯かせた。

「ん、どーしたんだ?」
「な、なんでもないびっくりしちゃって…ありがと…」
「これから草むしりすんだろ? それがないと日射病になるからなぁ、あ、水分もとれよー!」

 日向は今度こそ走り出して、あたしに手を降りながら部室へと消えていった。
 力なく手を振り返しながらそれを見送ると、いつの間にかジョウロを落としていたことに気づいて慌てて拾い上げる。 さっきスカートを押さえるのにいっぱいいっぱいだったからな…日向に見られてないよね…どうか見られてませんように。

「……っはー、朝からなんか疲れたな…」

 まだ胸がどきどき騒いでる気がする。
 頬が熱いのはたぶん外の気温が上がってきたからだ。
 だから日向のせいではないはず…と、深呼吸を繰り返してなんとかなだめてから、よしっと気合いをいれて立ち上がる。 まだまだやることは山積みだ。 朝のうちにこなしておかなきゃいけない緑化委員の仕事はいっぱいある。 そのための早朝登校だ。

「ん?…まだ水残ってる…」

 落としたジョウロの残り具合から、この周辺はこれが最後の水やりになる。
 ちらりと視線を送った先にはペチュニア、バーベナ、インパチエンス…どれも滴がきらきら光っているけれど、あたしの目についたのは日向と同じオレンジ色のマリーゴールドで……ああ、どうりでマリーゴールドがよく咲くわけだ。 彼のせいでマリーゴールドをやや贔屓気味なのかも。


「…元気で、いっぱい咲いてね」


 誰より高く飛ぶ彼がいる限り。
 鳥野高校排球部を、もう二度と、飛べない鳥とは呼ばせない。

きらきらラッキーモーニング

あとがき
初のハイキューで日向でした。
おかしい黒尾が最初かと思ったのに…黒尾手直し中に唐突に日向思い浮かんで一気仕上げ。
恋よりわちゃわちゃさせたい感じだけど片想いも好きだ!

日向の、無意識に威圧感出すところが好きです。
大器晩成型…成長がたのしみすぎる…。
2015.02.22