カコ――――ン…。
梅雨入りしてからようやく見ることが出来た、晴れ晴れとした天気の中。
庭に備え付けていたししおどしが、小気味よい音をたてて切っ先を持ち上げた。
その音に雀たちは驚きに飛び上がって瓦屋根の上に避難したのに、たっぷりと水を張った小池の中にいる朱色や黒といった斑(まだら)模様の鯉たちは素知らぬ顔で悠々と泳いでいるものだから、なんとなくその違いが可笑しくて、つい。
「っ、ぷ」
と、笑い声なんてこぼしてしまった訳なのだけれども。
「…貴女は私の話を聞いてましたか?」
「す、すみません菊先生」
咎めるような黒色の眼差しに慌てて口元を覆い、ごまかすようにコホンと一つ咳払い。
緩み切った心と体の姿勢を正して、広がった着物の袖を整えながら曖昧な笑みに切り替えた――うん、これは誰の目から見ても素晴らしい居ずまいのはずだ。
これで機嫌を直してくれるんじゃないかなあなんて考えていたんだけど、甘かったらしい。
若輩者の小娘の浅ましい考えなんてお見通しだと言わんばかりに目の前で座っているその人は、「はあ…」なんて深い溜息を吐いて、やはり咎める黒色の眼差しを送ってきた。
機嫌、まったく直らず…!
「これから私の大切な友人にお会いして頂くのです。
その為の心構えを説いていたというのに…貴女はまったく聞いていなかったようですね」
「ごごごごめんなさい先生、だってあんまりにも天気良くってつい」
平伏するようにふかぶかと土下座しながら、自分の不真面目さを必死にお詫びする。
こういう時の菊先生は恐い。
年齢の割に可愛いお顔をしているくせに、キツイお灸を据えてくれるのだ。
びくびく脅え、ふかぶかと平伏しているあたしにまた一度溜息を吐いて「顔を上げてください」と言うと、その言葉に従っておずおずと顔を上げるぎこちない動きに苦笑いを浮かべた。
「怒っているわけではないんですよ、さん。 ただ貴女が心配なだけなんですから」
「心配、ですか」
異国のご友人をお招きするというだけなのに何を心配するというのだろう。
はて?と首を傾げるあたしに、菊先生はことさら深い溜息を吐いた――苦労がにじみ出るような溜息だ。 何か、色々と重い空気もまとっているように見える。
彼はそれらを全て吐き切った後、着物の袖でそっと口元を覆い、どこか疲れた面差しでぶるぶると身体を震わせると。
「はい、とても心配です…異性の免疫もなく押しに弱い貴女がフェリシアーノ君に口説かれ倒されるのではないかと思うともう心配で心配で…」
「エエエェェッ何ですかそれ?! ご友人が来るだけなのにそこまで思いつめるってどんな交友関係なんですか!」
しっかりしてください、先生ーッ!
そんな叫びも、目の前でわなわなと震えて暴走しているお人には一ミリも届いていないようだ。
掛け軸の前に祀られた日本刀をがしっと掴むと、なんとも鮮やかな一動作で刃先まで引き抜き、天井に突きさすように天に掲げた。
ポーズ的には伝説の剣を手に入れた!みたいな具合だが、目が据わっているので迂闊に触れるとまずそうだ。
「良いですか!! 例え相手が私の友人であったとしても、貴女は可愛い私の身内!
フェリシアーノ君がなんと言おうと貴女の操を守り抜くことが今日の私に課せられた使命なのです! ええ、笑顔ごとお持ち帰りなどさせませんから! テイクアウトなんて許しませんから!!」
「せんせー、戻ってきてくださーい」
「さあ、さん。 まずは買い出しにいきましょう。
今夜の夕食と補充する日用品と、悪い虫撃退用にアー●ジェットとかバル●ンとかそういうのを」
「すいません、今日お招きする方々って確か先生のお友達ですよね。
なのにアー●ジェットとかバル●ンとか……え?お友達のはずですよね?」