「―――、ルヴァイド! こっちだよー!!」
道行く人々の賑わいに紛れ、明るい声で名前を呼ばれた。
懐かしい声だった。
はっきりと届いたその声に、ルヴァイドの隣で周囲を見回していたがぱっと顔を上げる。
声が聞こえただけでも嬉しいと言わんばかりに目を輝かせ、きょろきょろと首を動かす姿は小さな微笑を誘うほど微笑ましい。
その様子にルヴァイドはつい苦笑しながら、声がした方向へ指し示してやる。
「あそこだ」
「え!? どこどこ?!」
の目が、鮮やかなオレンジの明かりに照らされるファナンの下町飲食街に移る。
そこで大きく手を振る少女の姿を見つけると、「モーリン!」と大きな声で名を呼んで興奮したように手を振り返しながら駆け出した。
慣れない浴衣と、歩き慣れない草履のせいか通行人とぶつかりそうになりながら人波をくぐり抜け、両腕を広げた金髪の少女の胸へと思い切り飛び込んでいく。
「モーリン! 会いたかったー!」
「あははっ、アタイもさ! も元気そうで良かったよ!
昨日のうちに来るかと思ってたのに会えなかったから、何かあったんじゃないかって心配してたんだから!」
そうして二人はニカッと歯を見せて笑い合い、がっしりと抱き合って再会を喜ぶのだった。
最後に会ったのはいつだっただろうか、とルヴァイドは記憶の糸を手繰り寄せる。
<傀儡戦争>が終結し、今では散り散りになってしまった旅の仲間たち。
ゼラムに残った者たちであればそれなりに会うこともあっただろうが、旅に出る者、故郷がある者などはそうはいかない。 仕事や任務もあれば、己の目的のため平穏な暮らしに落ち着くことの出来ない者が多数だからだ。
ゆっくりと会う回数さえ少なくなってきたからこそ、も嬉しいのだろう。
人波に流されることも躊躇わずモーリンの胸へと飛び込んで行ったその気持ちも分かる――だが、ルヴァイドの目の前でいつも以上に嬉しそうな顔で笑うそれを見せられると、複雑な気分だ。
まるでルヴァイドといる時以上に楽しいのではないかと錯覚してしまう。
モーリンから引き剥がし、の背がしなるほど強く抱きしめて自分の腕の中に閉じ込めたくなる……そんなことを考えてしまった思考の妙な傾きに気付き、ルヴァイドは形の良い眉宇をひそめた。
(の事になると、どうも上手くいかぬな……)
眉間のしわをほぐすように、指を押し当てる。
一人の人間に執着しているからこその揺らぎなのだろうが、なんとも自分らしくない。
心を殺すことに慣れたココロは、と出会った事によってその温もりを忘れられなくなってしまったようで、”彼女なしでは本当に生きていけなくなりそうだ”と人知れずため息を吐きながら表では平静を保ち、草履の底を鳴らして二人のもとへ歩み寄る。
人波の隙間から現れたルヴァイドの姿を見つけたモーリンは、屈託のない笑顔を浮かべて迎え入れた。
「よっ! ルヴァイドも元気そうじゃないか」
「久しいなモーリン。 他の者に変わりはないだろうか」
「はは、皆もすごく元気だよ。 そっちは<自由騎士団>と<蒼の派閥>の掛け持ちとかで忙しそうなんだってね。 二人はいつファナンに?」
「到着したの夕方だ。 出立間際に騎士団の事で少々出遅れてしまったが…とにかく、前夜祭には間に合ったようだな」
前夜祭の運営に慌しく動き回る周囲の人々をながめつつルヴァイドがそう言うと、「花火にはまだ時間がかかるよ」とモーリンは肩を竦める。
「初日から特大の花火を打ち上げるみたいだから、どうしてもそのぶん準備に時間がかかっちまうんだよね。 金の派閥が主催だとやる事成す事大規模だよほんと…ま、そのぶん盛り上がって楽しいけどさ…それにしても、何で二人ともシルターンの服を着てるんだい?」
モーリンの青い瞳がルヴァイドとの浴衣姿をしげしげとながめる。
特に、ルヴァイドの足のつま先から頭のてっぺんまで何度か視線を往復したあとで、彼女は「はぁぁ…」と感嘆の溜息をもらした。
「どうりで目立つ訳だねぇ。 やけに女の子が騒いでいると思った…よっ、色男!」
「でしょ! でしょ!? まさかここまで似合うだなんて…こうも完璧に着こなされちゃうと、やきもち焼く気も起きないわ〜」
「そこいらの女の子より色っぽいもんねぇ」
「イオスもキレイだもんな〜…さすが雪国美人。 デグレア恐るべし…!」
………雪国美人…?
疑問符をつけて復唱するルヴァイドの微妙な表情に気付くことはなく、モーリンとは会話に花を咲かせていく。
「まっ、今夜も明日も楽しんでいきなよ! 商人や旅人もだいぶ集めたみたいで、催し物とか露店とかこれから一気に増えてくるからさ」
「うわ〜楽しそう! …っと、そうそう。 あたし達、ファミィさんにも挨拶したいんだけどどこにいるか知らない? 派閥本部に寄ったけど留守だって言われちゃって」
自分たちを呼んでくれたのはファミィ・マーンだ。
一言の礼をとでも思い、先ほどから探していたがなかなか見つからない。 <金の派閥>の本部を空けているということはこの街中のどこかにいるはずなのだが……。
「ファミィさん? あぁ、さっき中央大通りで露店商人や兵士に囲まれてのは見たけど…忙しそうに…いや、そうでもない…かな?? …よく分かんないけど、祭りの設備を見て回ってる感じだったよ」
なんとなく歯切れの悪い言葉に、と二人で首を傾げる。
―――ファミィ・マーン。
その名前を聞くと、紅茶色の髪に細い糸目、見た目にもおっとりとしていながら洗練された気品をまとう一人の女性の姿が脳裏に思い浮かぶ。
この街を治める議長という立場であるから、祭事の運営のため多くの人間に囲まれているという彼女の多忙さは当然だろう。
だが、ファミィ・マーンという人間は見た目通りの貴婦人ではない。
彼女の政治手腕、有能さを十分に理解しているからこそ、モーリンが目にした<忙しそうな、そうでないような…>ともとれる光景が容易に想像できた。
問題を抱えた多くの人間に囲まれようが鼻歌まじりに問題を片付けているのだろう。
端から見れば、ただ街を視察しているだけのようだが。
だが彼女は間違いなく、慌しい素振りすら見せることなく笑顔のまま的確に処理をしながら祭事に滞りのないよう事を進めているのだ。
それを知っていて”すごいわーファミィさん”と遠い目をしたの呟きにルヴァイドも同意してしまう。
例え、何かしら問題が起きたとしても、どんな強面の人間に囲まれようともあの女は微笑を崩さないままあっさりといなしていくに違いない。 敵に回したくないタイプだ、やり辛いことこの上ない。
「まー挨拶くらいはできると思うから行ってみたらどうだい」
「ああ、探してみよう」
「それじゃ、アタイも祭りの準備を手伝ってくるから。 下町住民も中央大通りや市場通りのやつらに負けるわけにはいかないからね、いっちょド派手に飾ってくるさ!」
「ん、ありがとモーリン! また後でね!」
長く伸びた金色の髪とロングコートの裾を揺らして、モーリンは走り去って行った。
残されたルヴァイドたちは、活き活きとした少女の後姿があっという間に人波の中へと消えていくのを見送る。
これでファミィ・マーンの居場所もだいたいは掴めた。
”さて、どこから探すべきか”と効率の良い道順を頭の中で思案していれば、不意に、やわらかな手がルヴァイドの手にそろりと伸ばされる―――やや遠慮がちに触れてくるそれは、甘えても良いのだろうかと問われているよう。
(会えない時間が長かったからな…)
互いにどこか、距離を測りかねてるようなぎこちなさを感じる。
彼女ならばもっと甘えてくれたってかまわないのだが……それをあえて言葉に出さず、その問いを肯定するためにルヴァイドは指を絡めて強く握り返す。
否定を感じさせないほどに強く、だ。
そうするとは嬉しそうに「はぐれたら大変だしね」と笑ってルヴァイドを見上げてきて、花が綻んだようなその笑顔に、さっきまで残っていた嫉妬心はあっさりと消えてなくなってしまった。
…なんて単純なのだろう。
彼女が傍にいると、ルヴァイド自身でさえも知らずにいた自分の新しい一面を見せつけられてしまう。
「それじゃ、ご飯でも食べながら見て回ろうか?」
「そうだな」
楽しい時間ほど、あっという間に過ぎていくもので。
今日は久しぶりにそれを実感した気がする。
「ふーっ、風が気持ちいいー…」
ふかく、ふかく、深呼吸を繰り返す。
肺にすべりこむものは潮の匂いを含む風と、新鮮な空気だ。
それらは身体の中に満ちるだけにはとどまらず、祭りの余韻にひたる自分の頬を撫でて過ぎてゆき、人々の熱気にあてられて火照った身体と雰囲気に酔わされた心地よい感覚を少しだけ冷ましてくれた。
それは穏やかな開放感。
その感覚に流されるまま歩き慣れない草履を脱ぎ、浴衣の裾を膝まで持ち上げ、寄せては引いていく海水に足を突っ込んだ。 ばしゃん、と水面が大きな音をたてて白い飛沫が膝頭を濡らして飛び散っていく。
夜のため水温が下がっているけれど今のあたしにはちょうどいい。
「ルヴァイドも足つけてみない? けっこう気持ちいいよ〜」
気分良く振り返ると、ルヴァイドがちょっと渋い顔でこっちを見ていることに気付く。
うわわ…きれいなお顔をしているだけにミョーな迫力が…!
「な、なに?」
「…、あまり夜の海に近づくな。 さらわれるぞ」
「大丈夫大丈夫! 波は静かだし、そのあたりはちゃんと気をつけてるって」
能天気、ともとれるあたしの返事にルヴァイドはため息を吐くだけだった。
それを”まあまあ…”となだめて海に足をつけたまま、二人で浜を歩き出す。
あたしたちの目の前には、きれいな真円を描く満月の姿をそのまま写し取るファナンの海。
<銀沙の浜>と名づけられているだけあって、月光で細やかなきらめきを浮かべる銀色の砂浜は、炎の明かりに包まれた街とは正反対の静けさを抱えており、祭りの喧騒に浮かれきっていたテンションも落ち着いてくる。
「あー砂の感触も気持ちいい〜…それにしても今日は思い切り遊んだって感じ。
屋台のご飯も美味しかったし色んな催し物もあって楽しかったなぁ……ね、ルヴァイドは?」
「ああ、いい息抜きになった」
「そっか良かった、明日も楽しみだね!」
まだ渋い顔をしているルヴァイドだけど、あたしはその返事に大満足だ。
休暇としてきたのだから、あたしだけじゃなくてルヴァイドも楽しんでくれなくちゃ今回の小旅行には意味がなくなる。
”とりあえず目標達成したわ”と鼻歌まじりに気分良く、ばしゃばしゃと片足で水を掻いて遊んでいれば背後から、先ほどよりもずっと強い無言のプレッシャーのようなものが伝わってきて背中が妙に重くなった。
元・デグレア騎士のそれは常人のものよりもかなり重いっていうか怖いっていうか…これは、海から出ないとお小言がとんでくるわね、確実に。
(――それにしても、けっこう歩き回ったなぁ)
海に足をつけたまま、明るく賑わう街をぼんやりと見上げてそんな感想を胸中にもらす。
ファミィさんを探したり、ケーキ屋でバイトをしているパッフェルとお喋りをしたりとエトセトラ。
メインイベントである花火の打ち上げまで時間をつぶそうと街のありとあらゆるところを見て回った。 慣れない草履だったけど、それでもあまり疲れを感じていないのは目新しいものをたくさん見てハイテンションになっていたせいだろう、体力的にはまだもう一回りは出来そうだ。
(一日ってあっという間…明日が終わったら、またルヴァイドと離ればなれ…)
今はこんなにも近くにいるのに、明日が終わればまたルヴァイドのいない生活に戻ってしまう。
好きな人が傍にいない。
そのことが寂しい。
切ない――そう思えるうちは、まだいい。
なにより一番怖いのは何年も会えなくなって、ルヴァイドのいない生活に慣れてしまう事だ。
(……離れたく、ないなぁ)
「…、」
「あ! もうあがる! 上がります、ちょっと待って!」
普段よりも若干低いトーンに現実に引き戻され、慌てて海水を蹴った。
勢いよく蹴ったせいで腿まで濡れてしまったがそれどころではない。 普段あまり怒らないルヴァイドは一度怒らせると後が大変なのだ。 怒鳴られるとかそういうのはないけど、こう、空気が重くなるっていうか……その重みが尋常じゃないっていうか……だからこそ急いで浜に戻ろうとした、そのとき。
「…いっ…!」
足裏に突き刺すような痛みを感じ、顔をしかめて立ち止まってしまった。
急に動きを止めたあたしの様子をいち早く察知したルヴァイドが海に入ってくる。
ザバン…ッ!と大きな飛沫をあげて水面が荒く揺らめいた。 浴衣の裾をたくし上げないまま入ったから裾が彼の足にまとわりつき、黒紅色の浴衣が水を吸って見る見るうちにただの黒色に変化していく。
「どうした!」
「だ、大丈夫…ぁいたた、なんか小石踏んじゃったかも……」
その言葉にルヴァイドが顔をしかめたのを見て、あたしの額に汗が噴出した。
……まずい、これでは圧倒的にこちらが不利だ。
夜の海に入るからこうなるのだと咎められてもどうしようもない…どう考えても負ける…ここは素直に反省の意を示したほうがいいとあたしの本能が告げている…!
「ご、ごめんなさい……わ、わぁっ! ちょっと!?」
突然、ぶわっと身体が浮き上がって思わず悲鳴が出た。
羽が浮き上がるようにふわっと浮いたんじゃない。 ぶわっと、勢い良くだ。
有無を言わせず強い力で強引に抱き上げられたからそう感じたのだろう。
不安定な感覚が怖くなって慌ててルヴァイドの首に腕を回して掴まれば、あたしの耳元で小さくため息を吐く音がきこえる。 それも、ちょっと呆れ混じりのため息……うわ、なんかネスと同じため息が出てるよルヴァイド。
「だ、大丈夫だよ! 自分で、歩けるから…」
「いいから大人しくしていろ」
あああぁだめだ、まともに取り合ってくれませんでしたぁぁ…!
とうとう諦めて大人しく運ばれると、ルヴァイドは比較的低く平たい岩にあたしを降ろして座らせたあと、海水に濡れた浴衣に砂がつくのも構わず片膝をつき、あたしの左足首を掴んで持ち上げた。
――予想外の行動だった。
思わずあられもなく開きそうになる脚や浴衣の裾を押さえながら「ルヴァイド!」とたしなめるように名前を呼ぶけど、ルヴァイドは素知らぬ顔のまま。
海水に濡れた左足を観察するように眺め、足の親指と人差し指の間に浮かぶ赤色を見つけてまたも、顔をしかめる。 眉間にぐっとシワが刻まれるそれは、今時の言葉で言うならぱねぇ迫力だ。
「…深く切っているな」
「う、そんなこと言われたら海水が余計にしみるんだけど…」
指摘されれば意識してしまうというもの。
傷口に塩を塗りこむのと同じ理屈で、あたしの小さな傷口にも海水の塩分がよくしみた。
じわじわ込み上げる痛みにひーひー悶えていれば、ルヴァイドは「ふむ」と何やら頷いて。
「少し痛むが、我慢しろ」
「え、な、なにするの……?」
ルヴァイドからの答えはなかった―――その代わり、温かい空気が足指に触れたのを知る。
(え…えぇ?!)
驚きのあまり、一瞬だけ息の仕方を忘れた。
足指に触れた温かい空気がルヴァイドの吐息だと理解した瞬間、熱く湿った感触が傷口に触れて痛覚を刺激した。
意思を持った生き物のように動いているのは、ルヴァイドの舌。
それは傷口を絵取るように、嬲るようにして指の間で蠢きながら這い回る。 くすぐったい、と思ったのは最初だけで、すぐに背筋がぞくりと粟立った。
痛みと、甘い疼きに身が強張る。
「ぃた、やっ…やめ…!」
「消毒するだけだ」
痛みに驚いて足を引っ込めようとするけれど、足首をぐっと掴まれてそれも叶わず。
彼の柔らかい唇が指を食み、ちゅ…と濡れた音をたてて傷口を吸い上げた。
それは一度で終わらず何度も繰り返される。 俯いて頬に垂れる長い赤髪を耳にかけながら、ルヴァイドは傷口ごと足指をしゃぶっては丹念に<消毒>していく。
(し、信じらんない…ッ)
こんなもの、<消毒>とは名ばかりだ。
やめてやめて。 もう、信じらんない。 本当に信じられない…こんなルヴァイドを目の前にして身体を熱くする自分は、なんてはしたない女なのだろう。
でも、あのルヴァイドが跪(ひざまず)いてあたしの足指を舐める姿は、本当に色っぽい。
恥ずかしいから見たくないのに、あたしだけしか見ることができないであろう彼の姿をもっと見てみたいという気持ちに挟まれて、いったいどこを見るべきなのかと視線がさ迷う。 ルヴァイドを盗み見たり、ルヴァイドから顔を背けたり……ああもう、なんでこんな事になってしまったんだ。 あたしが年甲斐もなく童心に返ったのが悪かったのか。 そりゃないよルヴァイド。 そんなときもあるよ、人間だものォォ!
「…はっ…」
ああ、なんだか訳わかんなくなってきた。
忍び寄るように込み上げる熱が思考をぼんやりと侵食する。
淫靡な光景を存分に見せ付けられて、ぐっと引き結んでいた唇がゆるみ吐息がこぼれた。
ちゅ…と吸い上げられるたびに何もされていない右足がピクッと震える。 爪先にまで電流が走るような感覚。 あまい、あまい感覚。 それは目眩を招いてあたしの理性にブレを起こす。
「はぁっ、…ふ…ぅ、ん、っ…」
<消毒>が<愛撫>に変わろうとしている。
傷のない指の間を厚みのある舌が行き交い、足首も足裏もルヴァイドの唾液で濡れていく。 丁寧に、丹念に、夢中になるように舌を這わせる姿はあたしの身体の熱をがっつり上げた。
―――そうすれば、ほら、目の前にいる人が堪らなくいとおしくなる。
”触れたい”って望むようになる。
ふわりと生まれた望みに流されるまま無意識につい、その爪先でルヴァイドのわき腹をすり、とさすれば今度はその足首が掴まれて左足と同じようにしゃぶられた。
傷もないのに甘く吸われ、からかうように咬まれたりして余計におかしくなりそう。
「ぁっルヴァ、イド……っ、ん…ンッ」
波が打ち寄せる音の隙間に別種の音が混ざるようになる。
指を舐めるルヴァイドの唾液の音と――口を押さえてもこぼれていく、あたしの声と息吐く音。
辺りに人気はないけれどそれでも、花火の時間になればよく見える場所を求めて人が来るだろう。 ここ、<銀沙の浜>ならとても素晴らしい花火が見えるに違いない。
(…そ、それはさすがに、まずい……っ)
なけなしの理性が状況を訴えて理性を呼び覚ます。
こんな姿を、人に見られるなんて絶対御免だ。
一握りにも残っていない理性の欠片をがむしゃらに掻き集め、やめて、と振り絞るような声で首を振ってルヴァイドの肩を掴んだ。 けれど。
「あ、ル、ヴァイド…ッ、や、めっ」
けれど、ルヴァイドは止まらない。
傷口を舐めとっていた動きはもはや完全に欲情を煽る動きに変化している。 あたしの身体もすっかり熱を帯びて、「だめ…」と呟く声すら艶がこもって甘ったるい。
体中の神経がおかしな方向に傾こうとしている――。
ゆるりと忍び寄る昂ぶりを抑えようと深く呼吸を繰り返し、自分のペースを取り戻そうとしても間に合わない。 傷に触れられる痛みを訴える声はやがて焦れを訴えるものへと入れ替わり、潮騒の合間を縫うように喉奥からこぼれていく声に気付いたルヴァイドがちらりとあたしへ視線をやると、ふくらはぎに唇を押し当ててキスをした。
「っ」
「…――お前の肌は、甘いな」
ちゅ、ちゅ…と、いとしげに足の甲に口付けるルヴァイドの息も、熱かった。
その熱さにくらっと目眩を覚え、なんとか逃れようと身を捻る。
平たい岩肌を掴んでルヴァイドから離れようと背を向けた途端、ルヴァイドの身体があたしの背に覆いかぶさってきて、浴衣では肌寒く感じていた自分の身体がルヴァイドの体温に包まれると、ほっとするほど暖かくなる。
「ルヴァ、イド」
「どこへ逃げる…?」
耳元で囁かれる声に、背筋がぞくりと疼いた。
腰にくるほどの甘い低音。 後ろ首筋にいくつも与えられるルヴァイドの口付けと、じわりと伝わるルヴァイドのぬくもりに力が抜けて抵抗らしい抵抗も出来やしない。
後ろから乳房を揉みしだかれて臀部をまさぐられても悦びに震えるだけだ。
「あっ、んぅ…っ」
「ユカタは、下着をつけないのか」
衿(えり)の隙間からすべりこんできた大きな手がぐっと胸を掴み、その形を変えてしまう。
その手から逃れようと身を捻っても浴衣が余計にはだけるだけで、ルヴァイドを煽るばかり。
乳房の柔らかさを楽しんでいる手とは逆の、尻をまさぐっていた手が腹部をくすぐるようにして下降しようとしている――相手がルヴァイドなら本気で逃げようとは思わないけれど、このまま流されてはいけない――最後の最後、本当に最後に残った羞恥と理性を総動員して朦朧とする意識を引き戻すと、がばっ!と顔を上げた。
「は、花火っ…!」
「花火?」
「そう! こっ、これだけは絶対はずせないんだから!」
身体を捻って振り返り、ぺしっとルヴァイドの額を抑えて叫ぶと彼はぴたりと動きを止めた。
うあああ危なかった。 本当に危なかった。
それにしてもルヴァイド相手だとどこまでも流されそうになる自分が恥ずかしい。
その事に顔を真っ赤にしてキッと目を吊り上げるあたしの様子に苦笑をこぼすルヴァイドは「嫌だったか?」と熱くなった頬に口付けて、耳たぶを食んでからかってくる。
優しい声と、やわらかい唇の感触にまた誘惑されかけて…うわぁぁほんともうなんでこんな仕草がスマートに決まるの! 恥ずかしい! 恥ずかしいわ! そしてそんなルヴァイドを振り払えない自分が一番恥ずかしいわ!
「お前が花火を見たいのなら仕方がない」
「それなら……ひえぇっっっ?!」
またもや軽々と横抱きに持ち上げられるあたしの身体。
先ほどよりも大きく上がった素っ頓狂な悲鳴をまるで聞いてもいないかのように、あたしを抱いたままルヴァイドは涼しい顔で歩き出す。
ちょ、なにこれなにこれ。 話が見えないんですけど―――抗議をこめて、紐で結われたルヴァイドの長い髪を引っ張るけどやはりその歩みは止まらない。
草履の裏でさくさくと砂を踏んで躊躇いのない足取りで街へと戻っていく……一体、どこへ行こうというのだろう。
「る、ルヴァイド、どこに」
「宿に戻る」
「や、宿…? どうして?」
花火は?と目で訴えると、ルヴァイドはやわらかく笑みを浮かべて。
「あの部屋なら、花火もお前も、両方見ることができるからな」
ルヴァイド、と耳元で、砂糖菓子よりも甘い響き帯びた声に名を呼ばれる。
なんて甘い声だ。
宿に戻り、互いに浴衣をまとったまま寝台に倒れこんだばかりだというのに、この甘さ。
こんな声で名を呼ばれて求められてしまえば理性の歯止めは余計に利かなくなって彼女をどこまでも追い求めてしまう――欲望のままに壊してしまう。
「…、愛している」
「ん、ふ…っ…」
やわらかく唇に咬みついて、舌を出すよう合図を送る。
より深い絡まりを求める甘い痛みに誘われそろりと小さな舌をこぼすと、ルヴァイドはそれをあっけなく奪い取った。 ちゅく…と厭らしい音をたてて貪り、互いの口内で混ざり合う唾液が唇や口端を濡らすのもかまわず口内を蹂躙する。
全てを侵略せんばかりの激しさにははっと目を見開き、苦しさを訴えるためにルヴァイドの胸を押してくるのだがなんとか弱い抵抗だろう。
そんな力では男を押し返すどころか、逆に煽る一方だということを彼女はいつになったら理解してくれるのか。 そして自分も、その度に火をつけられて止まらないのだから余計に手に負えない。
<傀儡戦争>が終わった三年前から、何も変わっていない。
「はぁ…っふ、ン、…はぁっルヴァイド、くるし…っ」
「…っ…まだ、だ」
「そ、そんな…、ふ…、っ、ん、ンー…っ」
いつも以上に濃密な唇の重なりがいつまでも繰り返される。
扉の向こう、窓の向こうの潮騒や祭りの賑わいはみな意識の外に追いやられてどこか遠い。 意識も神経も本能も、ルヴァイドの全てが目の前にいる少女の虜(とりこ)だ。
「っ、…」
「あ…っ」
名を一つ囁き、膝頭に手を乗せて力なく閉じられていた脚を開かせる。
気の緩みの隙をついて脚の間に割り込んでくるルヴァイドに驚いたのか。 反射的に閉じようと膝同士を寄せようとするが硬くたくましい身体に遮られ、やわらかな内腿でルヴァイドの腰をきゅっと締め付けるだけに終わってしまう。
「あまり煽るな、手荒くなるぞ」
身を起こし、糸を紡ぐほど濡れきった唇の端を指で拭うとルヴァイドは自らの浴衣の帯をしゅっと解き、床に落とした。
緩んだ衿(えり)の隙間から、鍛えられた身体と、痛ましいほど深い傷跡を残す男の肌が現れる。
それはただの一つに止まらず数えることも難しい無数の痕。
刃に肉を切り裂かれ完全に癒える事はなく、ルヴァイドの生き方がどういったものであったのか言葉で語るよりも知らしめるそれを目にし、の瞳が愛しさに熱帯びたのが見え思わず口元が緩んだ――彼女が、醜い傷だらけの身体さえも愛してくれているのが分かって、それが嬉しかった。
「ユカタは服を脱ぐ手間が省けて良い」
「ん…」
ふっと微笑を浮かべた男の手が、今度はの帯を解きにかかる。
男物の帯と違い結び目がやや固いもののルヴァイドの力であればどうということはない。
あっけなく解かれて緩む衿をは慌てて抑えるが、そうはさせまいと彼女の両手首をとって頭上に戒めた。 細い手首だ。 ルヴァイドの片手だけで身動きが取れなくなって、屈服せざるを得ない姿に征服欲がざわりと掻き立てられる。
「ルヴァイ、ド」
「――お前の肌を見るのは、久しいな」
何ヶ月ぶりの交わりだろうか。
一時帰国により顔を合わせる事は何度かあるものの、共に過ごせる事はなかった。 顔を見ることが出来ただけでも、話をすることが出来ただけでも良かったがやはり、暑い夜も、肌寒い夜も彼女の温もりが忘れられず自らを慰める事も。
「もっとよく見せてくれ…」
「ぁっ」
身動きの取れないの衿元を無遠慮に開き、その胸元をさらす。
開いた衿元からこぼれるように現れた裸の胸の膨らみがルヴァイドの視界に入る。 淡い薄紅色を浮かべる蕾はやや肌寒い外気に触れて起ちあがり、ルヴァイドに味わわれるのを待っているかのよう。
気温の下がった空気に触れて震える身体はなんと愛らしいことか。
これからこの身体を味わうのだ――白い身体の中心をたどるようにルヴァイドの湿った唇が這い下りれば、予告もなしに肌を滑る唇の感触に驚いて彼女の全身がびくりと跳ねた。
反射的に逃れようとする動きすらルヴァイドの手によって身をねじることも叶わず、弓なりに浅く仰け反る。
「や、っ…は、ぁっあ…、ぅ」
鼻にかかった、女の声。
甘い刺激に身じろぐ度に乳房が揺れ、それらはルヴァイドを淫らに誘いどうしようもなく欲情させた。
空いた手が浴衣の隙間から奥へともぐり尻と太腿をさすり、かすかに汗ばむ肌の感触をじっくりと愉しみ、蕾を口に含んで彼女の誘惑にのってやると悩ましげに肢体をくねらせて喘ぎだす。
首を横に振って意思表示をするも、蕩けそうなほど瞳を潤ませるそれに拒絶の色は皆無だ。
「んぁっ…ぅ、ぁ、ルヴァ、イド、手…は、はずして…っ」
「駄目だ」
「そんな…ッ…」
手首をぐっと押さえ込みながら、ルヴァイドの唇は蕾を味わうのをやめない。
その間にも頭上での濡れた声が響く。
焦らすような愛撫に翻弄されながら解放を乞(こ)うそれに、今すぐにでも彼女の奥を暴きたくなって仕方がない。
久しぶりの身体の交わりならば尚更だ。
自分の身体にまとわりつく羽織っただけの浴衣を脱ぐことも忘れ、震える胸の蕾にやさしく歯を立て、の一番無防備な場所へ指をすべらせる――薄い布を蜜で湿らせてルヴァイドを待ちわびる、彼女の熱を生む場所へと。
「んっ…」
「っ、…もう、濡らしているのか」
「ちがっ、ぁ、…ひっ――やァッ…ぁ! ま、まだ、だめっ…ン、ぁあァ…ッ」
「ナカも熱い、な…少し、狭くもなったか…?」
首を振りながらの制止の声に応えぬまま、薄布を避けて蜜泉へと指を押し進める。
の中は、今にも理性を手放してしまいそうなほど熱い。
この場所に身を沈めることを考えただけでたまらなく昂ぶるのを自覚しながら、閉じられた泉を拓くように指を手繰り、指数を増やし窮屈さを和らげるためやわらかく解きほぐしてやる。
「ルヴァ、ルヴァイド…っぁ、や、…やだっ…ふ、ぁ…」
蜜音に聴覚を犯されて、は泣きそうに眉を下げる。
脚を開き、浴衣を淫らにはだけさせ、結って解けかけた髪をシーツに散らし彼女は啼き喘いだ。
今にも理性を手放しそうなのか潤んだ瞳の奥に浮かぶ光は弱々しい。 だがそれでも蜜泉を掻き混ぜるルヴァイドの指を締め付けて放そうとはせず、彼女の身体を充分に理解しているルヴァイドは彼女の全身が悦びに震える姿に薄く目を細めた。
「久しぶりだろう…一度、気をやったほうがいい」
「ん、だ…め、ぅ、あ、ぁあッ――――…っ!」
囁きに後押しされたかのように、ぶるりと身体を震わせての背が浅く反り返った。
ルヴァイドの指を切なげに締め付け、とろりと甘やかに溢れ出す蜜でその手を濡らす。
透明なそれにまみれる指先に舌を這わせ拭いながら、余韻に身を震わせる彼女の頬を撫でていとしげに見守っていれば―――ヒュウっ、と何かが飛来する細い音がルヴァイドの聴覚に引っかかった。
不意に、顔を上げてすぐ目の前にある窓へと目をやる。
次の瞬間、ドォーン! と大きな音と共に、鮮やかな火の花がファナンの空に咲いた。
それは間を空けることなく次々に咲いては散りを繰り返し、色とりどりの花や円形が満月を圧倒するほどの存在感を持って夜闇に包まれた空を染め上げていく――花火だ。
「ぁ…は、なび…」
ルヴァイドの下にいたが、余韻から抜けきれず恍惚とした表情で呟く。
――なるほど。 特大の花火と謳われていたのも頷ける迫力だ。
きっとファナンの街にいる誰もが足や手を止めて、この美しい光景に魅入られていることだろう――だが、まったくもって残念な事に、今のルヴァイドには百の花火など無意味なものでしかなかったが。
今は、花火以上に愛でていたいものが傍らにある。
「…そういえば、花火を見たがっていたな」
「…え…?」
「見るといい」
自分と同様に浴衣を羽織っただけの身体を抱き起こし、すぐ側に取り付けられた窓へとを押しつけた。
窓の向こうは百の花火と満月と、濃厚な夜闇を映す海。
それらと屋内を隔てる薄いガラスの冷ややかさが彼女の乳房に触れ、ぶるっと肩を震わせる。 反射的に両手をついて離れようとする身体を後ろから抱きこむことで押さえ込み、腰を持ち上げた。
上半身が窓辺に押しつけられたままルヴァイドに腰を突き出す体勢に戸惑う視線が向けられると、朱く熱るその頬に口付けながらルヴァイドは囁く。
「俺は、花火に興味はない」
「ぅ、うそ、まさかこのまま…ンっ…」
の浴衣の後ろ裾を腰元までまくりあげ、意味を成さない薄布を引きおろす。
糸を引いて離れてゆくそれを彼女の足から抜き、遮るものが何もないやわらかな臀部の割れ目に沿ってルヴァイドは自熱を擦り付けた。 じゅく、と響く厭らしい音と粘着性のある液体の感触に興奮して息が上がる。
「やっ、窓…誰かに、みられ…っ」
「っは…ここは海側で、灯りもない…花火の明るさもたかが知れている…っ、入るぞ…」
「んぅ、ぅっ、…ぁ、ふあァ――…っ!」
器から溢れるほどの濡れた音が、宿の天井まで高く響き渡る。
それは花火でもかき消すことの出来ない異音。
はその音を振り払うように首を振り、荒く吐き出される自らの息で白くくもる窓ガラスの表面に両手をついて、奥を打ち付けるように律動を始めるルヴァイドの欲望にひたすら翻弄された。
ズッ、と腰を引く動きにつられルヴァイドを追うようにすれば、不意をついて最奥まで貫かれる激しさに泣き出しそうな悲鳴をあげて幾度目かの絶頂をむかえ、腿に滴るほどまで蜜を溢れさせていく。
「や、ぁっ…ん、ぁ、んンっ…ルヴァ、イド…ッぁ、ルヴァイド…っ」
「っ…花火が、見たかったのだろう…俯いてばかりでは、見えぬぞ」
「ひ、ひどぃ…っこんな、ぁ、見てられるわけ…あっ、ァあぁ…!」
空に咲き誇る鮮やかな光が、ルヴァイドに翻弄されるの全てを照らしだす。
赤い光。 青い光。 白い光。 黄色い光。
人々を魅了してやまない様々な色素の光が白い肢体を染め上げて、いっそうルヴァイドを夢中にした。 全身が跳ねるほどの打ちつけに振り落とされまいと必死に窓辺りにすがりつく後ろ姿に狂暴な衝動が込み上げ、彼女の奥から張り詰めた欲を引き抜くと荒々しく寝台に引き倒す。
「きゃ、ぁっ!」
「―――愛している」
囁くように愛の言葉を注ぎ、息を吐く間もなくの身体にまとわりつく浴衣を引き剥がす。
自らの浴衣も脱ぎ捨て一糸纏わぬ姿で彼女に覆いかぶさると、体積を増し、焼けつくほど昂ぶった熱を再び彼女の中に挿入した。
甘い悲鳴が、ルヴァイドの聴覚を侵す。
甘い締め付けが、ルヴァイドの本能を突き動かす。 やがて射精を促す動きの変化に気付いたは両腕をルヴァイドの首にまわし、快楽の波に意識をさらわれまいとルヴァイドの耳を食んで熱を煽った。
「はぁっ、ぅ、すき、ん、はッぁ、ルヴァ、イド…ッあぁ…!」
「っはぁ、…っく、…」
擦れ合う肌は、互いの間に熱を生む。
熱だけでない。 それは離れていた時間を、距離を埋める。
絡み合う指先から合わさった手のひらに互いの鼓動を感じ取って、その力強い音に覚えるのは、愛しさ。 愛しさ。 愛しさ。
「ん、ンッ…ルヴァイ、ド…ッ…!」
「ッは…どうし、た」
「は、―――はなれ、たくな、い、…っ」
「……っ」
「もっと、強く、抱い、て…ッ」
ぽつりと零れた彼女のココロ。
だが、ルヴァイドは言葉を返すことはなく。
ただ目を伏せ、細い体を抱く力を込めて、弾ける熱を放った―――。
「あーあ、もう帰っちゃうんだなぁ…」
あっという間だったなぁ、なんて。
ファナンの街をぐるりと覆う外壁前で座り込んだあたしの気のない呟きに、ルヴァイドの愛馬のシュバルツは鼻先を押し付けたあと、あたしの前髪をムシャリと甘噛み。
”おおっと、前髪がハゲるからそれは勘弁してほしいわ”と明るい陽の下でも真っ黒できれいな毛並みを撫でて応えつつ、その背に荷物を積み直し、ファミィさんに出立の挨拶をしたためた手紙を門番の兵士に提出してくると言って詰所(つめしょ)に向かったルヴァイドの後ろ姿を思い出す――あぁー無理だー。
溜息でるわー。
「またルヴァイドと離ればなれになるのか…、うわ、すごい憂鬱…」
遠くに広がる海原すらこの気持ちを晴れやかにしてくれない。
だって帰ったらすぐにでも、ルヴァイドは騎士団任務に戻ってしまうのだろうから。
その次に会えるのはいつだろう。 一ヶ月? 二ヶ月? 半年後とか言われたらあたしの中の何かがぷっつりと切れてしまうかも。
「有能すぎるってのも問題だわ…ねえシュバルツ。 お前のご主人、いつか過労死しちゃうんじゃない? いまのうちに転職でもすすめたほうが絶対いいってそう思わない?」
無垢な黒瞳が不思議そうに、問いかけるあたしを見つめる。
しばらくの間じっと見つめあってみるけど、またもや前髪をムシャリと食まれて「いだだだっ」と悶絶してしまう。 あれ、もしかしてお腹すいてるのかしら。
このまま繰り返されたら確実に毛根死滅コースだわ。 そしたらルヴァイドに責任とってもらわなくちゃ。
「……転職なんてすすめても、無理、か」
食まれてぼさぼさになった前髪を撫で付けながら、またも溜息。
――だって、まだ、何も成されていないのだ。
ルヴァイドの夢も目標もやっと土台が出来上がったばかり。
彼はこれから多くの人に求められ、頼られ、感謝され、時には憎まれながら、国のために剣を振るい続ける。 あの人はそういう人だ。 気高く、誇り高いその精神を指針に掲げて誰かの剣となり盾となり、イオスや皆を導いていく。
問題なのは、その隣にあたしが立っていられるのかということ。
「あたしが弱気になってちゃだめだよね…いやでも、もしルヴァイドから別れてくれーって言われたらどうしよう…ヘコむわ。 それこそベッコベコにヘコむわもーしばらく立ち直れん…!」
シュバルツが、ぐいぐいとあたしの服の袖を引っ張る。
しかしどんどん負の方向に思考が傾くあたしはシュバルツどころじゃない。 はわわはわわと唇をわななかせては”別れて欲しい”と告げてくるルヴァイドを想像してしまい、サーッと血の気が引いていく音と共に「いーやー!」と悲鳴を上げて地面にしゃがみこんでしまう。
(むりむりむりむり! ヘコむどころじゃない、立ち直れないどころじゃない!)
やだやだ、すごく嫌だ。
ああもう、なんかぐしゃぐしゃだあたし。
直接言われたわけでもないのになんだか泣けてきて、両手で顔を覆ってしまう。
男なんて星の数ほどいるって言うけど、今のあたしはルヴァイドがいい。 他の誰でもない、ルヴァイドがいいのに上手く行かなくて、もやもやして、苦しい。
「――何をしている」
「わぁぁッび、びっくりしたーー!!!」
背後から声をかけられて、びくっと全身が跳ね上がった。
衝撃のあまりドッドッドッと騒ぎまくって落ち着かない胸を押さえて振り返れば、詰所から戻ってきたルヴァイドがシュバルツの手綱を握って立っている。
あああぁ、もしかしてシュバルツがさっき袖を引っ張ったのはルヴァイドが帰ってきたことを知らせるためのものだったのでしょうか。 っていうか、悶絶してるの見られた…?!
「な、ななななんでも、ないデス…!」
「そうか。 出発して構わないか?」
「う、うん。平気。 …ゼラムに帰ろう」
とうとう出発の時がやってきた。
それにたいそうガッカリしながらルヴァイドの手を借りて、シュバルツの背になんとか乗り込む。
馬の背の高さはいまだにちょっと慣れなくて、黒い鬣(たてがみ)にひしっとしがみついてバランスをとっていれば不意に、手綱を引いたまま歩き出そうとしていたルヴァイドがあたしに向かって何かを差し出した。
「…なにこれ?」
ルヴァイドの手のひらに収まっているそれは、白色の四角い小箱だ。
アクセサリーなんかをプレゼントするときに使われる包装によく似ている。 ”わーもしかしてプレゼントなのかな”と内心どきどきしながらそれを受け取って開こうとすると、「待て」と止められて慌てて箱のフタから手を放した。
「え、なに、なに??」
「……いや、帰ってから、開けてほしい」
どんなに凶悪な魔獣や強面の男を目の前にしても決して恐れに揺らぐことのないルヴァイドが、白い小箱を受け取ったまま目を丸くしているあたしの視線になんとも言い辛そうにしている。
その姿はちょっと緊張しているようにも見えて、”あのルヴァイドが緊張してるなんてこの箱の中身は一体何なんだ”と逆にこちらも緊張してしまった。 箱を両手に持ったままぴんと背筋を伸ばし、あたしは硬直してしまう。
「そ、それじゃ、ゼラムに戻ったら…開けるね」
「ああ」
安心したようにふっと目を細めて微笑むそれに、カーッと顔が熱くなる。(どんだけ夢中なの!)
でも、なんだろう何故なんだろう。
さっきまで憂鬱で仕方がなかったのに、箱一つでこんなに気分が変わるだなんてあたしも相当現金な女だ。
今すぐにでも開けてしまいたい衝動をなんとか押し殺し、失くさないように鞄に仕舞い込むのを見届けたルヴァイドが手綱を引いて歩き出すと、それに合わせてシュバルツも歩き出した。
秋も間近に迫り、涼しい風が吹き付けるけど心の奥は春のようにぽかぽかとして暖かい。
「…悩ませて、すまなかった」
「え?」
ほんの少し照れくさそうに呟いた彼の言葉の意味を知るのは、白亜の街に戻ったあと。