「花火…大会?」
「そう! 花火大会!」

 耳慣れない単語に、ルヴァイドは愛馬の額を撫でる手を止めた。
 夏の名残も薄れ始めた涼やかな風に長い赤髪をなびかせ、切れ長の目をめずらしく丸くして彼の恋人である少女を不思議そうに見返している。

 はそんなルヴァイドの様子をどこか楽しそうに笑ってから、「さっきファミィさんから聞いたんだ〜」と馬の顎下に手をすべりこませ、なめらかな毛並みを撫でながら擦り寄るように馬と顔を寄せ合った。
 異世界から召喚されたらしい彼女はルヴァイドと過ごす内に馬に慣れ、扱い方や可愛がり方もすっかりマスターしたようだ。 イオスにさえも触れることを許さないとするプライドの高い黒馬が、には気を許しているのか甘えた素振りさえも見せている……動物は、主人に影響されるものだが……と、とりとめのない思考をめぐらせた後で。

 ルヴァイドは「む…?」とひとつ、疑問の声をこぼした。

「ファミィ・マーンがゼラムに来ていたのか?」
「うん、派閥の視察も兼ねてエクスとお茶しに来たんだって。 たまたま派閥に遊びに来てたあたしもまぜてもらってお茶してたんだけど、いろんな話が聞けて楽しかったよ〜」

 なるほど、そういうことか。
 しかし<蒼の派閥>の総帥エクス・プリマス・ドラウニーと<金の派閥>の議長ファミィ・マーンという、召喚師にとってとんでもない組み合わせで行われた茶会を気軽に楽しめる人間はおそらく、マグナとトリス、そしてくらいだろう。

 ”彼女もある意味大物だな”と苦笑混じりに馬と戯れる彼女の姿に目を細めていれば、は「それでね!」とぱっと表情を明るくさせてルヴァイドに向き直った。

「今回の豊漁祭は、前夜祭と後夜祭の二日間にかけて花火を打ち上げるんですって!
 今までにない特大花火で、金の派閥の自信作だって……その…せっかくだし、二人で一緒に観に行けたらなぁって思ったんだけど…どう?」

 遠慮しているのか、後半になるにつれ声が小さくなっていく。
 だが、が尻込みするのも仕方がない。 彼女は聖王国の領地の視察や任務などで忙しなく動き回っているルヴァイドの姿をよく見ているのだから。


 ―――メルギトス首謀の<傀儡戦争>を終えてから、季節は三回巡っていった。
 めまぐるしく時が過ぎていったように思う。
 それもそのはず、レルムの村、トライドラ、デグレアの復興作業。 聖王国に滞在するため援助や後押しをしてくれた<蒼の派閥>への任務。 聖王国領域を侵す<はぐれ>や盗賊の討伐など、休む間もなくこの国のために力を尽くしてきた。

 この手で壊してきたものを、ひとつでも元に戻せるように。
 たとえ元に戻せなくとも、新しいものを作れるように。
 この地で生きると仲間たちの助けになれればと、それらを願って生きてきた。 ただそれだけが、ルヴァイドの走り続ける力となった。

(あれから三巡りしたのか…)

 しかしつい最近、イオスに「休暇を取ってほしい」と言われていたことを思い出す。
 男でありながらそこらの女性よりも見目麗しい部下である彼が、たいそう不満げに美貌を歪めてそう言うのだ。
 そんなに働いてばかりだろうか……と考えてしまう反面、ルヴァイド自身はそれほど疲れているわけではないのだがと否定しかける。 だが、三年経ってようやく落ち着いてきた今、よくよく考えてみればと過ごす時間がとても少ないことに気がついた。
 ルヴァイドは任務のためゼラムの外に出ていることが多く、<傀儡戦争>を終えてからは彼女とまる一日過ごしたことなどほとんどなかったのではないだろうか。

(……ファナンか…。 ゼラムからさほど離れていない距離だ、すこし留守にしても…)

 イオスに留守を任せれば問題はないだろうし、滅多にゆっくりと会うことのないと二人でファナンに滞在するとなれば「ようやく休む気になってくれたのですか」とイオスも喜んで見送ってくれるだろう。
 聖王から任されていた他国への視察もキリの良いところまで済んでいて、今なら何もかもがちょうど良い。


 これなら彼女のお願い事を叶えるのは造作もない……そこまで考えると、ルヴァイドはふっと肩の力を抜いてに微笑んだ。


「――そうだな、三日間くらいなら大丈夫だろう」

「本当?!」


 ”だったら頑張るわ!”と気合を入れる彼女の姿に、首を傾げるしかなかったが。







 あたしの恋人はとても忙しい人だ。

 それはもう、半端ないくらい。
 有能すぎるものだから一年のうち半分以上はゼラムにいない。
 転勤族ばりに大陸を転々としながらあっちへこっちへと馬で駆け、世のため人のため国のため戦ってくれている。 そのおかげで平和に暮らせるのだからもちろん感謝はしているし、会える時間や過ごす時間が”少ない”と不満を感じるこの気持ちは単なるあたしの我がままなのだ。 人々に必要とされている人を自分だけのものにしたいなんて出来っこないのに、彼をあたしだけのものにしたいと考えている。 隙あらば独占したいと願っている。


 ルヴァイドの色んな一面をもっと知りたい、感じたい―――。


 貪欲にそう願い続けるようになって、三年目の夏の終わりにチャンス到来。



(ありがとぉぉぉッありがとう神様ァァァ!!!)



 人々の賑わいと、楽師が奏でる軽快な演奏が絶えることなく聞こえてくるファナンの街中の、とある宿屋の一室にて。
 海がよく見える窓を背にしたあたしの心で、どこぞの神様へむけて感謝の念が炸裂した。
 それは今年一年分、ぎっしりつまった最大の感謝。
 リィンバウムに宗教意識というものがないことも構わず天に祈りを捧げるポーズで固まるあたしの目の前には、そんなあたしを不思議そうに見つめるルヴァイドが立っている。

「…どうかしたのか?」
「う、ううん! なんでもない!」

 感極まって身震いしそうな身体をなんとか押さえつつ、あたしの心の中の感謝は止まりそうにない。

 うわあぁぁテンション上がるほんと上がるすごい上がった!
 ファナン行きを快く許してくれたイオスにも大感謝だけど、シオン大将にも大感謝! ありがとうありがとォォォお土産を期待しててください! フンパツしますぅぅぅ!―――等々、どれだけ叫んでも落ち着きそうにないくらい感激しているあたしをルヴァイドはやっぱり不思議そうに見つめた後で、自分の姿を見下ろした。

「ずいぶんと変わった衣装だな」

 ―――細い紺紐でゆるく束ね、右肩に垂らした長い赤髪が首の動きにあわせて揺れる。

 黒紅色の布地の浴衣を白と黒を組み合わせた角帯で締め、独特の形をしている衣装をしげしげと見つめ、興味深そうに触れながらも姿勢良く立っている姿は見惚れてしまうほど凛として、彼自身が持つ洗練された部分があらわになり立っているだけで人目を惹く魅力があった。

 …いやぁ、もう、すっごくフェロモン醸(かも)し出してます。
 その切れ長の目で見つめられたりなんかしたらほんと腰砕けだわよ。 粉砕されるわ。 腰骨が………思わず見惚れてしまうあたしに、ルヴァイドはほんの少し困ったように眉を下げて。

「似合わぬだろうか」
「そんなことないそんなことない! すっごく素敵! かっこいい、似合ってる!」
「そ、そうか…?」

 興奮気味に浴衣ルヴァイドを絶賛するあたしに、ルヴァイドは若干引き気味に返事する。

 ああもう、ちょっと引かれたくらい全然構わない。
 まさか本当に、ルヴァイドが浴衣を着る姿を拝めるだなんて……。

(体格もいいし背も高いし、もともと精悍な顔つきしてるから余計に似合うっていうか…艶があるっていうか……何より着付けが上手くいってよかった〜〜! GJ! あたし! いい仕事した!)

 しかしあんなにも長い時間一緒にいたのに、いまだこのフェロモンに魅了されるとは恐るべし。
 でも、せっかくの花火大会なんだからルヴァイドに浴衣を着て欲しかったし、そんな自分の野望を現実のものとするためルヴァイドを誘ったその日からシオン大将直々に着付け講座を受け、何度も練習をしてきたのだ。
 あの時の苦労がこんな形で報われるだなんて…やっぱり頑張るってことは素晴らしい…思わず、そんな感動がじーんと胸にしみた。

「…っと、感動してる場合じゃなかった。
 早くしないと花火も始まるし、その前にモーリンやファミィさんにも挨拶してこなくちゃ。 帯とか襟とか苦しくない? 窮屈じゃない?」

 いつもと違う雰囲気に少しどぎまぎしながら着崩れや窮屈さがないかをチェックしていれば、ルヴァイドは襟元をととのえるあたしの肩にそっと両手を置いて抱き寄せた。

(わ…)

 広い胸に、頬を押し付ける格好になる。
 久しぶりのルヴァイドの匂い。 体温。 浴衣だからそれらが妙に生々しく伝わってきて、その驚きについ、身体を強張らせてしまった。
 うわわ、なんか緊張してきた…。
 身を硬くするあたしに気がついたのかルヴァイドはそれ以上何もしてくる事はなく、ただあたしの頭を撫でて、頬に触れるか触れないかのキスを落とす。 やわらかい唇の感触にぱっと頬を赤くしてしまえば、そんなあたしを見たルヴァイドは小さく笑って身体を離して。

「――…お前もユカタを着るのだろう。 花火まで時間がないぞ」
「ああぁそうだった! すぐ準備するから、宿の外で待ってて!」

 モーリンとファミィさんには絶対挨拶しておかないと!
 ルヴァイドの浴衣が入っていた箱を慌しく片付けているあたしの背に”玄関で待っている”と一言声をかけて、ルヴァイドは部屋を出て行く。 それを見届けてから自分用の浴衣の入った箱を開いて、中から現れた薄紅生地の浴衣と帯と髪飾りを慎重に取り出した。


「シオン大将、何から何までありがとーございました」


 今一度、深々と頭を下げてから服のボタンに手をかけた。










と一度参加して以来三年ぶりだな…)


 楽しそうに賑わいながら宿の通りを過ぎていく人々の群れを見つめ、ルヴァイドは景色を楽しんでいた。

 周囲には、ランプや蝋燭の炎に照らされる人々の群れと露店の列。
 この日のためにやってきた旅装の楽団が軽快なリズムで音を紡ぎ、リズムにのってきらびやかな衣装をまとう踊り子たちが客の声援や歓声に微笑みながら、なんともやわらかな動きで踊っている。 そこに客だった街人の一人が混ざって踊り出せば、街人旅人老若男女関係なく手と手をとりあって向かい合い、皆が自由に踊り出して賑わいをより深めていく。
 の仕度が整うまで宿の玄関口で待っていたルヴァイドも何度か誘われたが(しかも女性ばかりに…何故だ…?)、「人を待っている」と言って断り、再び踊りの輪に目をやるという動作を繰り返してを待つ。

(祭りとは、こんなにも人を開放的にするものなのだな)

 盛大な賑わいのおかげで退屈することはなく、大規模なそれに感心するように息をついた。
 笑顔の人々。 手と手を取り合い、踊り歌う人々。
 その光景に故郷のデグレアにはなかった温もりを感じ、白雪に覆われた国とこの街との温度差に心を痛めるように目を伏せた。

(……あの国の民は、本当に死んでいたのか)

 父が死した幼少の頃から、薄い笑みばかりを浮かべていた人々。
 互いに手を取り合うこともなく、寄り添うこともなく、感情を露にすることなく淡々と行き交っていた人々……ああ、自分は本当に、あの国で<生きている人間>を見ることがなかったのか。

(生きた人間であれば、あの国も――)

 愛する者と共に生きている人間がいれば。
 手と手を取り合うことの出来る人間がいれば、雪ばかりが降るあの国もきっと、この街のように<生きていた>のだろう。 閉鎖的な世界はもっともっと広がって、違う世界が見れただろうに。

 そんな姿を見ることも叶わず消滅してしまったことに、それを止められなかった後悔にいまだに胸を締め付けられる―――微かに顔を歪めて唇を噛み締めかけた、そのとき。


「ルヴァイドごめん! お待たせ!」


 ぐい、と袖を引かれてわずかに身体が傾いた。
 次いで、ふわりと鼻腔をくすぐる花の香りはアルサックのものだ。 内心に驚きながら視線を落とせば、華やかな髪飾りについた珠がしゃらりと繊細な音をたてて揺れる光景が目に入る。 珠の光沢に一瞬目を奪われていれば、ぱっと顔を上げたと目が合った。

「髪を結うのにちょっと手間取っちゃって…ごめんね、退屈だったでしょ?」
「……」
「…ルヴァイド? どうしたの?」

 不思議そうな声に返事をすることが出来なかった。
 ただ、息を詰めて、の姿を見つめる。
 薄紅の浴衣に鮮やかな紅白の帯で締め、金色の帯紐に小さな花の飾りを挿している。 結い上げた髪にも飾りを挿し、うなじをあらわにしたヘアスタイルにはいつもと違う色香を放っていた。 身体の線を浮かべるほど薄い生地に包まれた身体は、彼女のやわらかさをよく知っていたとしてもつい腕が伸びそうになる。
 ――正直言って、見惚れた。
 衣装だけでこんなにも雰囲気が変わるというのだろうか…が先ほどルヴァイドを食い入るように見ていた理由がようやく分かった気がした。 彼女も今のルヴァイドと同じように衝撃を受けていたのだ。
 無意識に、食い入るように見つめてしまうルヴァイドの視線を何か誤解したのか、は「う、変かな…」とやや俯きがちに顔を伏せる。 まるでさっきと似たような会話だ。 それを指摘するよりも彼女の顔をもっとよく見ていたくてルヴァイドの両手は彼女の頬を包み込み、上に向かせた。

「わっ…白粉(おしろい)がついちゃうって…!」
「――よく似合っている」
「え、え、うそ、ほんと?」
「本当だ。 このまま、連れ帰りたくなる…」

 切れ長の赤い瞳が熱を帯びて彼女を見つめた。
 いつになく甘い響きを帯びた低音の囁きにの口から「ひぇっ」と悲鳴が飛び出す。
 今にも飛び上がらんばかりに身体を跳ねさせ、全力でルヴァイドの胸を押し返す。 大柄な体格のルヴァイドからすれば小柄な部類に入る彼女の様子は小動物のようでいて、少し微笑ましい。 つい、からかいたくなる。

「…冗談だ」
「〜〜〜からかわないでっ! ほら、モーリンたちのところに行くよ!」

 怒ったように眉を吊り上げ、顔を赤くしてそう言うとルヴァイドの手を引いて歩き出した。
 浴衣を着ているのと草履(ぞうり)という名の履物をはいているせいで少々歩きづらそうにしており、ルヴァイドが横から腕を差し出すと、しぶしぶと腕を絡めて寄り添った。 彼女の温もりが伝わって、少しだけ安堵のようなものを覚えてしまう。

「っていうか、なんでルヴァイドのほうが普通に歩いてるわけ…?」
「ある程度コツをつかんだからな」
「……なんでも器用にこなしちゃうんだから、ちょっと羨ましい」

 すねたように呟く言葉に、ルヴァイドの口元に笑みが浮かびあがる。
 の、こういった自然体なところが愛しかった。
 戦いに明け暮れるルヴァイドの心に、とてもあたたかいものを分け与えてくれる―――きっと、彼女がいたからここまで来ることができた。


(俺は、この温もりに生かされたのだな)


 いまも。 きっとこれからも死んだ国のことを思い出して、その度に心が凍る思いをする。
 けれどそれを溶かしてくれるのは、こうして触れ合って、温もりをくれるの存在。
 彼女の笑顔が。 彼女の優しさが、何度もルヴァイドを生かすのだ。




 悲鳴が響き、燃え盛る炎の中で彼女と出会えたから、ルヴァイドは生きられたのだ。



 ―――ああ、それはなんという、愛しい奇跡なのだろう。




「それじゃ、前夜祭を楽しみましょうか!」



 生かしてくれたのために、この笑顔を、これからも守り続ける。




 夜風に髪と袖をなびかせながら、ルヴァイドは心に誓った。

空には花を、君には愛を 1

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