夕飯の買い出しのため、スーパーに向かうその途中。
パトカーで巡回中の山崎と沖田総悟に声をかけられた事が始まりだった。
「―――それじゃァ今から、デートしやしょう」
何の前触れもなく。
車を降りた彼はそう言うと、あっさりとあたしの手を握ってきた。
唐突なそれに思わず驚いてしまって「わっ」と声をあげて肩をびくりと跳ねさせるも、こっちのことなんかお構いなしに手を引っ張られる。 予想以上に強い力に、「ちょ、待って」と危うくもつれそうになる足を転ばないようになんとか踏ん張って顔を上げると、彼は、やけに大げさな反応をしてしまったあたしを不思議そうに見ていた。
こちらを見る目がどこか眠たげなものなのは、ついさっきまでパトカーの中で寝ていたからだろうか…いやもしかしたら、銀時の死んだ魚のような目と同じでこれが彼のデフォルトなのかも。
標準装備なのかも。 でもこんなやる気ゼロみたいな警察ってどうなのかしら。 ピコンとはねた寝ぐせのついた髪、それがまたちょっとカワイイっていうか……いやいやいや、そうじゃなくって!
「ぁ、あの、手っ」
「手ぇ繋いだだけでさァ。 そんなに驚くことねーだろィ」
「だ、だって」
あんなに驚いてしまった事は、たしかに自分でも予想外。
買い物袋取り上げられて、呆気にとられていた隙に手を握られただけ。 ただそれだけ。 振り払ってしまえばそれで済むことなのに、それが実行に移せない。
そのことをどう言い訳をしようかとゴニョゴニョと言いよどむ間も自分の横顔をじっと見つめられ、それがどうしようもなく恥ずかしい。
(か、顔が熱い……)
穴があったら入りたいくらい恥ずかしくてたまらなかった。
その原因は分かってる。
男の子に手を握られたから…なんて理由じゃなくて、<沖田総悟>に手を握られたから。
むちゃくちゃで、常識破りの常習犯みたいなこの少年に心惹かれているという自覚があるぶん、どう対応すればいいか頭の中が真っ白になる――周囲にも常識破りの男たちが勢ぞろい(糖尿、マヨラー、ストーカーなどなど)だけれども、真選組で女中のバイトを続けているうちに気がつけば彼のことを目で追ってしまっていた事を自覚したのは最近だから、余計に対応策が浮かばない。
(あたし、年下が好みだったのか…)
ああもう、伝わってくる彼の体温のせいで心臓が痛いくらい脈打ってる。
いつの間にか花開いてしまった自分の感情をどう制御すればいいのか分からず持て余して、”うわぁうわぁ、どうしよう”と無性に焦りが込み上げるばかり。
握り返す勇気もなければ振り払う勇気もない。
必然的にされるがままになるしかなくて、そんな自分の臆病さに、ますます熱くなる頬を自覚してとうとう俯いてしまえば、握られた手が指先を絡めあう<恋人つなぎ>に変わって今度こそ悲鳴みたいな声が出た。
「ちょ、ちょっと…?! 何するのよ沖田総悟…!」
「女子(おなご)とデートなんて久しぶりだなァ。 何していいかさっぱり分かんねーや」
「そ、そうじゃなくて、あ、あたし、トシに買い物頼まれてるし、お夕飯までに屯所に戻らなきゃ……」
こんな展開になってしまうなんて、どうすればいいの。
困ったように眉を下げ、彼の目を見てどうにか懇願してみるも、何を考えているのかいまいち読み取れない眼差しはあたしの顔をじっと見つめ返してくるだけで握られた手が離れることはなく、とうに夕暮れをむかえて煌々と明るくなった江戸の大通りを行き交う人波のなか、やわらかい色をした彼の髪が風にさらわれる光景をしばし見せつけられるだけに終わってしまった。
(ど、どうしよう)
このままの状態も困るけど、夕飯までに屯所に帰れなくなるのはもっと困る。
真選組の隊士たちはみんなよく食べるのだ。 早うちから準備をしておかないと夕食の時間に間に合わなくなってしまう。 バイトの身だけれどそれなりのお給金を頂いてしまっているのだから、仕事は仕事としてせめて時間内には間に合わせたいのに…っていうかなんだこの言い訳。
あたしは一体どうしたいんだ? デートを断りたいのか断りたくないのか?
(……でも、手は放してほしくないとか)
(あたしって、本当に終わってる…)
ある意味で、絶望するしかない。
それでも抵抗はしておかないと彼に気付かれてしまう。
――目をあわすことも出来ないまま、やっぱりごにょごにょと訴えてみる。
「えっと、…だから、手、…」
「車で先に帰った山崎に飯作っとけって言ってあるから大丈夫でさァ。
土方さんの頼まれ物もどーせマヨネーズとかそんなんだろうし、たまにはマヨ禁でもしてケチャップでもすすってればいいと俺ァ思いますぜィ」
「……ケチャップもマヨネーズもあんまり変わらないんじゃ……って、」
なんと、あたしのせいで山崎が巻き込まれてしまっていたとは。
ごめんね山崎。 あとでいくらでも謝るから。
”ああでもトシにも怒られてしまう…”と、ほとほと困り果てた様子もあらわにしてその場に立ち尽くしてしまえば、沖田総悟はあたしの顔を覗き込むように寄せてきて、困惑の色を隠しもしないあたしの表情に、にやりと唇の端を歪めて笑った。
「…アンタのそーいう顔、たまんねぇなァ」
「え」
「アンタにちょっかいかけると土方さんが怒るけど、アンタを困らせるのは楽しくて仕方ねえや」
”今日は朝まで遊び倒すぜィ”と、なんとも不吉な予言とともに手を握る力が込められた。
「――――…あ、さんだ」
それは、時間をさかのぼること20分前の呟き。
山崎の口からぽろりとこぼれた名前に、沖田の意識は浮上した。
あれだけ眠かったはずなのに、意外とさっぱり目が覚めた。
今は亡きキングオブポップ・摩伊毛瑠の歌声を子守唄にしていた耳は不意にこぼれたものを聞き逃すこともなく、惰眠を貪(むさぼ)るには必須であるアイマスクを額に引き上げ、沖田は江戸の空に視線を投げる。
高い位置にあった太陽はとうに沈み、空は夕暮れの濃紺色に染められていた。
土方に「仕事しやがれ」とパトロールに放り出されてから、なんだかんだで熟睡していたらしい。 それなら山崎のちょっとした呟きでさっぱりと目が覚めてしまうには仕方がない。 だから決して、彼女の名前で目が覚めたとか、そんな訳の分からないモノのせいではないはずだ。
寝直す気分にもなれず山崎が停車しようとしている路の先を見れば、買い物袋を両手に提げた一人の女の後姿が視界に映った。 真っ直ぐに背筋を伸ばし、緋色のかんざしの小さな珠を揺らして歩く様はただの女のものではあるが、一般人とはわずかにズレのある静かな足運びは彼女が武芸をたのしなむ者であると示している。
”それにしても相変わらずいいケツしてんなァ”と何気ない感想を胸のうちにこぼしながらその背を眺めていれば、山崎がブレーキを踏んで停車した。
はすぐ隣で止まったパトカーに気づき、買い物用のメモから顔を上げる。
山崎はそんな彼女に手を振りながら窓をあけて、沖田たちには決して向けたことのないであろう笑顔(分かりやすい奴だなァ)で話しかけた。
「さん、お疲れ様です! 買い物途中ですか?」
「あ、山崎……と、沖田総悟……」
なんで俺だけフルネームなんでィ。
山崎との会話に加わる気はなかったので、視線だけ彼らに向けたまま口に出さずツッコみを入れる。
土方に紹介された当初からフルネームだったのだが、いまだに何故そんな風にして呼ばれるのか分からない。 自分が彼女よりは年少で、でも真選組の隊長という立場からどう扱えばいいか分からずそう呼ばせているのか。
……まあ、理由がなんであれいまさら訂正する気にもならないが、しかし何故、彼女と目が合わないのだろうか。 山崎と話しながらもチラチラとこちらを気にしている風ではあるのだが、沖田が見ればすぐ逸らされ、視線はいっさい噛み合わない。 いったい何なんでィ、と寝癖のついた頭を掻く。
「うわ、すごい荷物ですね。 俺たち、屯所に帰るとこなんで良かったら乗って帰りませんか?」
「あ、大丈夫大丈夫。 それに、トシに頼まれてた物も買い忘れちゃって…それだけ買ったらあたしもすぐ戻るから」
「え、でもさん」
「ありがとう山崎。 気をつけて帰ってね」
食い下がる山崎を笑顔で一刀両断してから、はそのまま去ろうとする。
まるで姉と弟のような光景だ。 実際、過去に密偵・情報屋を営んでいた彼女は山崎の先輩でもあったから、いまだにその気が抜けていないせいもあるのだろうが…それは到底、男女の仲とは呼べない空気。 自分にも姉はいたが周囲から見るとあんな感じだったのか?
ハンドルを握り締めたまま山崎はがっくりと肩を落としていた。
「…うう、さんは手ごわいなぁ…」
「ツメが甘いぜィ山崎、女子(おなご)はもっと強引に誘わねーと。
そんなんだからいつまでも<ジミー、いいお友達ね>路線を脱出できないんでィ」
「地味は関係ないじゃないッスかァ!!」
「ああいう鈍い女子にはストレートに言ったほうがグッと来るってもんよ」
アイマスクを後部座席に放り投げ、車から降りる。
急に降りてきた沖田に驚いたのか、は目を丸くして沖田の行動を見守った。
きょとんと見てくる今の彼女はなんて無防備で、隙だらけか。 ”そんなんだから山崎なんかが浮かれちまうんだよなァ”と沖田はの手から買い物袋を取り上げて、それを後部座席に放り込んだ。(あ、しまった、卵入ってたらどーしよう)
「か、返して…っ!」
「これから遊びに行くってのに、こーいうもんは邪魔なだけでィ」
「何言ってんの?! あたしは、遊びになんか」
彼女の上ずった声が、鼓膜を通して沖田の心をやけにくすぐる。
それはもっと困らせたくなるような…苛めたくなるような、そんな音だ――少し、テンションがあがる。
別種のやる気も出てきて、なんだか彼女にちょっかい出したくなってきた。
「―――それじゃァ、今からデートしやしょう」
「…わっ…?!」
そう言って手を握った途端、ぱっと赤くなった彼女の顔に「ウソーッ?!」と山崎が悲鳴を上げた。