「―――お願いです、通して下さい!!」




 勢い衰えぬ雨音に掻き消されながら、少女は懇願した。







第78夜 -6-








 その少女は、この雨の中を傘もささず出てきたようだ。
 亜麻色の長い髪をしとどに濡らしながら、引き止める腕を払い除けようと身をよじる。
 だが、力強い腕はそれを許さなかった―――そう、この少女自身の身を守るためには切実な願いを込めた懇願を向けられ心を揺さぶられたとしても許すわけにはいかないのだ。 顔を叩く雨滴に顔をしかめながら、金の鎧を身にまとうその男は彼女の腕を掴む手に力を込めた。

「駄目だ、家に戻りなさい! これより先は既に<金の派閥>の議長より封鎖するよう通達が出されているのだ!」
「でも仲間が…友達が、あそこにいるかもしれないんです!」
「君もあの爆発の音を聞いただろう! 水道橋は今何者かの襲撃を受けている…派閥や街の自警団が君の友達を助けるから、君は家に戻りなさい! そこにいる君たちもだ!」

 少女の体を押し返し、この声が届くようにと兵士はなおも声を張り上げた。
 新たに向けられた視線の先には、複雑な心中を面に浮かべて雨の中を立ち尽くす若者たちの姿がある。 一部を除き、見慣れない顔ぶればかりだが――心を刺すような、責めるような眼差しをいくつも浴びせられて彼はたまらず顔を歪めると、唯一の顔見知りである金髪の少女に声を荒げた。

「モーリン! 彼らをどうにかしてくれ!」
「残念だけど、アタイもアメルと一緒さ…どうしても水道橋に行かなきゃならないんだ! 邪魔をするなら世話になったアンタでも容赦しないよ!」

 ああ、唯一の頼みの綱であったモーリンまで…。
 雨の中でも鮮やかに輝く金髪と黒いコートの裾を大きく揺らして吠える姿に、”金の派閥”の鎧を纏う青年は心中で嘆いた。

 彼は、モーリンを知っていた。
 ファナンの下町の用心棒として活躍していた彼女が腕の立つ拳士であることや、大雑把に見えて意外と律儀な性格であること―――そして、こうなった彼女はもはや誰にも止められないことも理解している。 そこは彼女の長所であり、短所でもあり、拳士として誇り高い彼女自身が持ち得る美徳とも言えよう。
 だが、彼女がいくら強かろうがモーリンも守るべき市民の一人だ。
 この街にいるからにはその仲間たちもだ。 彼らを危険から守るため、彼らを捕えてでもここを通すわけにはいかないのだが…ええと、彼女の仲間たちも相当強そうにも見えて、その、無傷で捕えられる自信もなかったりするので強く出られなかったりもする。

(しかも、しかもだ!)

 さらに、彼らを強引に追い払うことが出来ない理由が、もう一つあった。


「―――私はファミィ・マーンの娘、ミニス・マーンです!
 マーン家の人間である私すらも通せないなんて、どういうことなの?!」


 愛らしい顔立ちの少女が最大の理由――彼女は、敬愛するファミィ・マーン議長の娘だ。
 血の繋がりを示す髪色と瞳の色は母親譲りでよく似ていた。 姿はまだあどけなく幼いが、力強く凛とした眼差しと母親譲りの容貌が合わさって、議長に問い詰められている気分にもなる。 正直言って胃が痛い。

「あ、貴女様がミニス・マーン様であることは我々も重々承知しております」

 上司の娘の言葉さえも無下にしている自分のクビを案じつつ、出来る限り無礼な振舞いにならぬよう指先にまで気を配りながら、、青年は毅然と言い放つ。

「ですが、母君であるファミィ・マーン様から何者をも通してはならぬと命じられているのです」

 つい先ほど、議長が選抜した兵士で兵団を構成し、彼らを調査に向かわせた。
 襲撃者が何者であるか。 その捕縛・鎮圧が完了するまでは誰一人として橋へ通すなと厳命されている。 例え彼女の愛娘がそこにようとも通すことは許せない――敬愛する議長の愛娘だからこそ、通すわけにはいかない。

「ミニス・マーン様御一行であるならば尚更お通しするわけには参りません。 ミニス様、ご友人様方と共にどうぞお引き取りを…!」

「う~~~お母様の馬鹿ぁ~!」
「仕方ねえだろミニス、こいつらはお前じゃなくてファミィさんに仕えてる兵士なんだから」

 突如、砂色の外套を纏う大柄な男がミニスの背後からぬっと現われた。
 大柄な身体は逞しく、広い背に背負われた大剣や軽装はいかにも冒険者といった出で立ちだ。
 彼も全身を雨で濡らしているがそれを気にしている風もなく、悔しそうに歯噛みしているミニスの頭をぽんぽんと撫でやって笑った。 子ども扱いを嫌うミニスはじたばたと暴れてその手を振りほどこうとするのだが、男は陽気に笑ってなおも紅茶色の髪を撫でくり回している。 まるで、年の離れた兄妹の戯れを見ているよう。
 しかしすぐに――陽気なそれから、一転。
 冒険者の翡翠色の瞳は、鋭さを帯びてこちらに向けられた。 戯れていた時のものとは打って変った雰囲気で凄まれて、兵士たちは気押されるように後ずさる。


「あんたらにも立場ってモンがあるんだろうが、こっちも遊びや野次馬で行くんじゃねえんだ。
 ――――俺らのダチが橋にいるって聞いてんだ。 通してくれねえのなら力づくでいかせてもらうぜ」

「う…」


 ああもう、どうすればいいんだ。
 彼らはあのジャキーニ海賊団を捕まえた集団らしいじゃないか。 追い払うにしても、捕えるにしても、彼らは何としてでもここを通りたいのだから衝突は避けられないだろう―――この場の責任者として兵士が頭を抱え始めれば、ミニスが焦れたように一歩踏み出した。

「時間がないの! とにかく、ここは通らせてもらいます!」
「わ、ミニス?!」
「おおおお待ちくださいミニス様、こんな事をすれば母君からお叱りを…!」

 傍にいたマグナの腕を引いて、ミニスが兵士たちの間をすり抜ける。
 暴走を始めたマーン家の令嬢を止めようと、兵士の腕が走り抜ける小さな肩をどうにか掴んで引き止めようとする――だが、その横から鋭い痛みを伴わせて払い除ける腕があった。

「なっ…?!」

 突如として現れた第三者の妨害に、少女を引き止めようとした兵士の口から驚愕の声が零れた。

 ミニス・マーンの肩を掴んだ手を払い除けたのは、長身の男の手刀だ。
 男は丁寧に編まれた長い黒髪をなびかせて兵の目前に立ちふさがると、波紋のない水面のような静けさを秘める赤い双眸を兵士に向けた。 こうして現れるまでは彼の存在に気がつきもしなかったのに、一度現れた彼自身の存在感は視界を曇らせる雨の中から浮かび上がるように鮮烈で、底が見えぬ赤瞳に射られると足が竦んだ。

 庇われたミニスが、驚きに名を呼ぶ。

「え、れ、レオルド…?」

 しかしレオルドは言葉を発することなく。
 少女の体を優しくマグナへ押しやると――――目前の兵士へと一息に間を詰めた。

「なっ」

 編んだ黒髪が踊る様を目にしながら、兵士は、唐突に迫り来る男に目を瞠る。
 しかしレオルドは止まらない。 兵の思考がようやく彼の存在を敵と認め、レオルドの赤瞳と視線を重ねたその瞬間、突然の出現に対応もままならず目を瞠る兵士に向けて腕を振り上げ、容赦のない掌を放った。
 それは顎を抉り取るように放たれた、掌打。
 荒々しく脳を揺さぶる衝撃に兵は堪らず大きく仰け反り、くぐもった呻き声を零しながら濡れた地面に沈み込む―――しかし、その猛撃は唯の一人だけには終わらない。
 片足を軸に黒髪の男の身体がしなやかに旋回。 右手の兵士に拳打を繰り出す。
 息の根を止めるのではなく意識喪失を目的とした的確な打技は、視界を曇らせる酷い雨の中でも乱れることはない。 吐き出される呼気にも、休む間もなく繰り出される体術さえ一筋の乱れもなかった。

「お前、抵抗するのか!」

 怒りに殺気立った声すら無言で受け流し、最後は拳で黙らせた。
 天が荒れて吹き荒れる風と、止まることのない自身の動きに合わせて踊る黒髪をなびかせて、レオルドはマグナとミニスの周囲を取り巻く兵士を次々と打ち沈めていく。


「―――トライドラでも思ったけどよ…」


 援護をする隙もないので、猛撃を眺めていたリューグは隣に並ぶカイナへと呟いた。


「あいつ、何者だ。 機械兵士かと思いきや人間になったり…機界にはそんな術まであるのかよ」
「鬼妖界シルターンではハサハさんのように人の姿に変化する術もありますが…機械兵士が人に変化する術がある、という話は聞いたこともありません」

 鬼神の巫女はゆるりと首を横に振った。
 雨雫を頬に伝わらせながら長い睫毛を濡らす雫を拭って顔を上げ、憂いを帯びる彼女の瞳が映し出すものは、四方八方を敵に囲まれて孤立することに何の不安も戸惑いもなくただ、吹き荒ぶ突風のごとく自らの敵を打ち倒していく男の姿だ。 長身であるがゆえの鈍さを感じさせない身のこなしは、彼が戦い慣れていることが窺(うかが)えた。

「機械兵士は、ロレイラルの機械大戦の折に大量生産されたと聞きました。
 戦闘面に特化した能力を持つため、召喚師によって新たにこの世界に招かれた者。 過去に招かれ、過去の戦争や何らかの理由で地下に封印された者もいると。 そして、私と同じエルゴの守護者として選ばれることもあります…それがエスガルドさんです。 ですが、彼が人の姿になったことは今まで一度も…」
「トライドラに帰る途中、レオルドは記憶がないとも言ってましたね」

 雨に濡れて額に張り付く前髪を掻き上げながら、ロッカがその隣に並んだ。
 周囲を見渡す彼の瞳は至極冷静だ。 今の内に無理矢理にでも突っ込んで道を拓かねば彼らは橋に行かせてくれないだろうと踏んでか、戦うレオルドに混乱した場の中で切り抜けられる手薄な場所を探している。

「その事にも何か関係があるんでしょうか」
「それが…私はロレイラルの事についてそれほど詳しくはないので…あ、でも専門のキールさんなら分かるかもしれません」

 名を呼ばれ、キールがこちらに振り向いた。
 サイジェントから危機を知らせてくれた彼らも、マグナたちと共にとレイムを追って、この場で足止めを食らっていたのだ。
 「レオルドかっこいいよー!」と囃し立てているナツミをハヤトと共に抑えていた手を休めて(ちょ、キール! 俺一人じゃ抑え込むの無理ー!という悲鳴が聞こえた)、一考に意識を投じる仕草を見せた。

 それは瞬きの間だ。 そして彼は答えを見出したかのように、不意に、顔を上げて。

「…彼が、特殊なのかもしれない」
「特殊…? キール兄様、それはどういうことですか?」

 クラレットが、不思議そうに首を傾げる。
 妹に一度頷きを見せてから、彼はレオルドを見つめたまま言葉を織った。

「レオルドの型はエスガルドの物よりも古く、機械大戦初期に作られてロレイラルでは有り触れているものだ。 なら、彼に人の姿が与えられたのは大戦終結後だろう」


 ”何か”の為に、彼はそのようにして生まれ変わった――。


「機械兵士に人の肉体を与え、それを個の命として生まれ変わらせるのは偉業の類だ。
 機械技術と人体組織の構造に精通し、深い知識と高い魔力と、一握りの奇跡が必要だろう。 これを可能にして彼を生み変えた者は相当高位の術者だ」
「それは、召喚主のさんと何か繋がりが関係あるのでしょうか…?」

 カイナの問いに、キールは再び考え込む素振りを見せる。
 全身を叩く雨すら彼の思考する行動を遮ることはできなかった。 それを悔しがるように、強風が彼の外套を重々しくはためかせる。

「…前のなら違うとも言えたかも知れない。 でも、今のにはわからない」
「!」
「今のの魔力は強過ぎるんだ。 遠く離れていて感じるほど、彼女の力はもう並の召喚師のものを超えている。 この力でレオルドが彼女に召喚されたのは間違いないだろう――この天候も彼女の力が影響している可能性が大きい」

 吹き荒ぶ風の唸声が空に轟ぎ、鳴り響いていたファナンの警鐘を掻き消さんばかりだ。
 雨が降り始めてから時間も経っているというのに、一向に衰える気配がないのは彼女が原因だからだろうか――の身に、何かが起こっているせいだろうか。

 リューグはギッと奥歯を噛み締めると、拳を作り、レオルドを見た。

 そのときこそ、彼の戦いが終えた瞬間だ。
 彼が最後の一人を打ち沈めると同時、雨に濡れた地面をダンッと力強く踏み締めることでその連撃の終幕を告げる―――地面に積み重なるのは金の鎧の兵士たちだ。 あっさりと打ち負かされた同僚たちに兵士のざわめきは雨音を搔き消さんばかりに轟ぐも、静かな面差しは揺るがない。
 次いで、打った掌に滴る雨滴を軽く振り払う。
 払われた雫が地に落ちる姿を見届けることなく、行く手を遮る者達に無機的な赤瞳を向け、彼は己の存在そのものを以て彼らを脅かした。


「…まだ、やるのか」


 その目に射竦められ誰も答えることは出来なかった。
 一歩でも動き出せば、次の瞬間には昏倒している同僚の仲間入りになることは目に見えている。 だから、誰も動けない。 かと言って素直に通すわけにも行かず、仲間同士で固まり合い、じりじりと後退するしかない。

 しばらくして牽制が効果を持ったと判断したのか。
 茫然と立ち尽くすマグナとミニスに赤い瞳を向けると、雨に濡れる唇は静かに言葉を紡いだ。

「―――先に行く」

 それは、雨音の隙間を縫って仲間たちの耳に届き。
 最後の言葉を切った瞬間に、ばしゃっと水音をたてて彼は疾走(はし)り始めた。 封鎖の兵団の誰もがその動きに対応出来ず、すり抜けるように通り抜いた彼の進入を許してしまう。
 妨害しようと立塞がっても、レオルドの片腕が振り上げられた瞬間にあっけなく昏倒させられてしまうのだから、誰もが躊躇に二の足を踏むばかりだ。

「よーし! レオルドに続くわよー!」


 曇天の陰鬱さを弾く明るいトリスの掛け声に仲間たちは応と答え、一斉に走り出す。
 何とか踏みとどまろうとする兵士たちの努力も虚しく、彼らは次々と兵士たちを押しのけて水道橋へと向かうのだった。



 走り出した彼らを止められる者は、もはや、どこにもいなかった。
















(これは――雨の、音か…)


 虚ろな意識の中でそれは鮮明にネスティに届いた。
 雨音に導かれるように彼の意識はゆっくりと現実に引き戻され、感覚が、彼自身の肉体へ沁み渡るように広がっていく――― ”生きている”という感覚が、全身に広がってゆく。

(身体が、重い…)

 疲労とは違う、気だるい重みだ。
 身体が動くことを拒否している。 けれど、ぐすっと鼻をすする音に目覚めを促された。

「ひぐっ、ひっく、ふっ…」

 ぐすぐすと鼻をすする音の次に、子供の泣き声が聞こえる。
 まだ重い目蓋をそうっとを持ち上げれば、若葉のような新緑色がネスティの濁った視界にやさしい彩りをもたらした――くせのある髪質に能天気な弟弟子を思い出したが、彼はこんな、森林のように鮮やかな色をもってはいない。

(…また、泣いているんだな)

 ふわりと浮かびあがる疑問に、穏やかな気持ちになる。
 それは、彼が自分のために泣いているのだと理解しているからか――ゆっくりと腕を伸ばし、ネスティの白い手が少年の頭をゆっくりと撫でやった。 その撫で方には感謝の気持ちがこもる慈しみが混ぜられており、紡がれる言葉の音は自分でも驚くほどに優しかった。

「…レシィ、泣くんじゃない」
「ひっく、ひっ――…ぇ、え、あ…ねねねねねネスティさん!!?」

 項垂れた子供の頭が弾けるように持ち上がり、涙でぐしゃぐしゃになった顔が露わになった。
 やはり彼は泣いていたようだ。
 予想通りの泣き顔を目にして苦笑の笑みを浮かべるネスティに、わーん!と声をあげてすがりついてくる少年を宥めながら彼は周囲を見回した―――ここは、モーリン道場であてがわれた自分の部屋。 家具の配置や、窓の向こうに見える荒れた海はすでに見慣れたものだ。

 何故、こんなところにいるのかと、曖昧な記憶を探り出す。
 すぐに思い出したものは――室内に満ちた強大な魔力と、空気を伝って触れただけで皮膚を焼く熱と、その中心にいたの姿。

(そうだ………彼女の術に、巻き込まれた)

 レイムを薙ぎ払う彼女の術に巻き込まれそうになった、レシィを庇ったのだ。
 傷の塞がったこめかみに走る痛みがその記憶を肯定しており、出血の影響でぐらつく視界を安定させようと眼鏡のない目許を抑える―――出血は死に至るまでに及ばなかったがそれでも多く流れ出てしまったようだ。 眩暈が思考することへの邪魔をして、それがひどく煩わしい。

「そうだ、―――」
「ね、ネスティさんだめです! まだ起きちゃ…!」

 小さな手に押しとどめられる。
 しかし彼の手がなくとも、眩暈がネスティを行動を阻んだ。 起き上がる意思に反し、ネスティが見ている世界を揺さぶるそれは明らかに正常な物ではない。 揺れる世界をどうにか正常に戻そうと瞼を閉じ、目許を抑えて静めようとするも身体は平衡感覚を失ってふらつくばかりだ。

「こんなところで寝ている場合じゃ、ない…」

 そう。 彼女が危ない。
 何が起こっているのか分からないが、それでも、にとって良くない事が起こっていることだけは理解できた。

 焦燥に追われるあまり、レシィを押しのけて寝台を降りようとした、そのとき。



なら、トウヤたちが追っかけて行ったよ」



 明るい声が、耳を通り抜けた。
 それはネスティの動きを止めるには十分な効果をもたらし、止めようとしていたレシィがほっと息吐く姿を視界の隅に捉える。

(この声は―――)

 知っている。
 だが何故、彼女がここにいるのだ。

 眩暈への苛立ちが秘められた黒瞳で部屋の入り口を見やる。
 その先には、ネスティの思ったとおり、カシス・セルボルトの姿があった。 彼女は少々収まりの悪い後ろ髪を撫でながら、向けられた苛立ちに臆することもなくネスティの視線を受け止めて、にんまりと笑みを浮かべている。
 その堂々たる姿は、異界の者を使役する召喚師としての実力を浮き彫りにした。
 召喚術は、召喚獣と怯まむことなく向かい合わなければ真に成り立たない―――カシスがネスティの苛立った眼差しを物ともしないのは、他界よりも獰猛な召喚獣が多いメイトルパを操る召喚師として培ってきた度胸からくるのだろう。
 黒騎士ルヴァイドに真っ向から啖呵を切ったミモザ・ロランジェもこのタイプだ。
 幻獣界メイトルパの術を使う術者は並の召喚師よりも精神が鍛えられ、獅子に睨まれても屈しない不屈の精神が培われる―――だからカシスも、ネスティの睨むような眼差しにさえ不敵に笑うのだ。

「君がここに運ばれてから、まだそんなに時間は経ってないよ」

 顔をしかめるネスティに構わず、カシスは特に気にした風もなく部屋に入り込む。
 ”目が覚めて良かったね~”とレシィの頭をわしゃわしゃと撫でくり回したあと、警戒心も露に睨めつけるように見上げてくるネスティに呆れるため息を吐いた。

「そんな顔してもダーメ。 頭の怪我は怖いんだから、ネスティはここでお留守番だよ」
「だが、」
「怪我をした君は、この場にいる誰よりも足手まといなの。 わかるよね?」

 一つ、一つの言葉に、重みがあった。
 それは事実だ。 それを指摘されるまでもなく自覚しているはずなのに、まともに歩くことも出来ない自分の状態にネスティは唇を噛んで俯いた…彼女を守るのだと決めたのになんというザマだ。 これでは、守るどころか――。

 手が白ばむほどに力をこめてシーツを握り締めれば、その様子を眺めていたカシスはやはり笑って、寝台にぼすりと腰かけた。 くりっと丸い鳶色の瞳が年の近い青年の横顔を観察するように見据え、人懐っこい笑みを滲ませる。

「ネスティって頭固くて真面目で何考えてるのかよく分からない人って思ってたけど、案外分かりやすい? ちょっと意外だなあ」
「…それがどうした」
「あ、気に障ったらごめんね。 ただ、それだけのことを大切にしてるんだなあって思って」

 にまり、と笑った顔はすべてを見透かしていると言わんばかりだ。
 その表情が意味することに不快を覚えて眉をひそめれば(レシィは不思議そうにしていたが)、カシスはけらけらと楽しげに笑い声をあげた――ああ、だから、獣属性の召喚師は苦手だ。 こちらが多少の睨みを効かせても、不屈の精神力で気にすることもなくケロリとしているのだ。(だから、ミモザ先輩も苦手だ…)

「いいじゃない、そういうのって素敵だよ! 応援するよ!」
「――――結構だ、放っておいてくれ」

 応援などと大きな世話だ。
 ぴしゃりと跳ね除けても、カシスは”そんな遠慮なんかしなくてもいいのに~”とにまにま笑いながら面白がっている。 話題を変えなければどこまでも突かれそうな気がして、ネスティはわざとらしい咳払いでこの場の空気を振り払った。

「…それで、君たちは一体何しに来たんだ。 サイジェントに帰ったはずだろう」
「うん、皆で戻ってきたのよ。 私がここにいるのは、マグナとトリスに君が暴走しないようにって見張りを頼まれたからなんだけど」

 マグナとトリスに見張りを頼まれた…という言葉に、ネスティは更なる眩暈を覚えて顔を押さえた。
 よりによってあの二人にそんな事を言われてしまうとは。 義父のラウル師範が聞けば楽し気に笑うに違いない。

「サイジェントから戻ってきた説明をするのも兼ねて、君の看病のために私がここに残ったワケ。
 他の皆はいなくなったと吟遊詩人を追いかけて行ったんだ」

 ”私も行きたかったなあ”と続けられた言葉に、ネスティは驚いたように目を瞠った。


「…カシス?」


 ずっと笑顔を絶やさなかったカシスの表情から―――笑みが消えていた。
 出会ってからずっと笑顔を絶やすことのない彼女が、笑みを消し、気難し気に眉をひそめ、ただただ静かな怒りを秘める面差しを露にしながら詠唱を謡うその唇で言葉を紡ぎ織る。

「私の友達が、銀髪の吟遊詩人に襲われて怪我したの」
「!」
「事件とか戦いとか、そういうことには全然無関係な人たちなのに…怖い思いをさせられて、傷つけられた。 だからそいつを追いかけるために、そして…君たちがそいつに関わってるって聞いたから、そいつが危ない奴だってことを知らせるためにまた戻ってきたのよ」

 襲われた…?
 なるほど。 ならばバノッサが「世話になった」と言っていた意味にも納得がいく。
 近しい人間を傷つけられたから、彼は最初からレイムに敵意をもっていたのか…しかし意外だった。 不良のような横暴さが目立つがその内面は身内を大切にする男だったとは――そんなことを思案する一方で、カシスは普段の笑みを取り戻して。

「でも、君の慌てぶりからだとにも何かあったみたいね」
「……」
「……に、何が起こってるの?」

 雨音で満たされた室内に、静かな問いが響き渡る。
 レシィはごくりと喉を鳴らしてネスティを見上げ、ネスティはただ俯いて無言だった。
 無言であるしかない。 カシスの問いに答える言葉が見つからない…仲間内の中で、今の彼女の異常に近しいはずの自分でさえ彼女を襲うソレが何であるのかも理解できていないのだ。

 だから。


「――――そのために、僕は行かなくてはならない」


 眩暈を気力で振り払い、ゆっくりと寝台から起き上がる。
 レシィの押しとどめる手を支えにして、床に足をつけた。 地に足をつけたことで自分の体重が体中に圧し掛かり、血の気を失った体がふらつく――カシスが慌ててその体を支えると、ネスティの黒瞳はセルボルトの家名を持つ召喚師の姿を映した。

「彼女を知るために…を、守るために僕は行かなければならない」
「ネスティ」
「何者でもいいんだ…が何であろうとも、僕は構わない――彼女が僕に、そう言ってくれたように。 僕も、ならそれで」

 霞む視界の中で、幻のように瞼裏に浮かぶものは笑顔だ。
 鋼色が混じるこの肉体を見てもなお、彼女は同じ笑顔を見せてくれた。
 手を握って、抱き締めてくれた――”友”だと、呼んでくれた。


(…ああ、そうか)






 自分は、旅を始める以前の自分と変わるほどまで。



 変わってしまうほどまでに――こんなにも多くのものを、彼女からもらっていたのか。







「…カシス、行かせてくれ…」
「ネスティ…」
「頼む――」

 額に脂汗を浮かべて目蓋が閉じられると、彼の身体はずるりと崩れ落ちていく。
 カシスと共にレシィもそれを慌てて受け止めて、ネスティをゆっくりと床に座らせた。 互いに顔を見合わせる。 こんな状態ではとても、この天候の中に彼を連れ出すことなんてできない。

「ど、どうしましょう、カシスさん…」
「どうしましょうって…連れてけって言ってるんだから連れて行ってあげたいけど、あまり無理をさせると体に良くないしなぁ~」

「連れて行きゃいいだろーが」

 突然投げられた言葉に、二人は驚いて入口を振り返る。
 そこには、入口の扉に背をもたれ、酒瓶を片手に握りしめたバルレルが立っていた。
 彼は、我がもの顔でずかずかと部屋に踏み入ると、半ば意識を失っているネスティの顔を覗き込む。 珍しい生き物を見るかのように眼鏡のない顔をしげしげと眺めてから顔を離し、ヒヒヒと独特の笑い声を洩らしてネスティを見下ろした。

「っま、こんなナリじゃ何の役にも立たねーだろうけどな」
「バルレルくんっ、でも、ネスティさんは怪我してたんだよ」
「あの露出狂のリプシーでほとんど治ってたんだろ? 死にゃしねえよ。 それに…」

 ”露出狂ってバノッサのことかなー”とカシスが感心するようにバルレルを眺めていれば、にやりと笑った悪魔の少年の赤い目が彼女に向けられた。
 二つの目に見透かされた気がして思わず姿勢を正して向かい合えば、バルレルはやはり、ヒヒッと笑って、誘惑するように言葉を織った。



「テメエも、あの吟遊詩人をボッコボコにしてえって目ぇしてるぜェ?」



 だって、本気で怒ってるもの、と。

 カシスは不貞腐れるように頬を膨らませて、言い返すしかなかった。














NEXT


あとがき

すごいな…何がすごいって、自分の妄想と執筆速度の遅さがすごい…。
登場人物が多すぎて、みんなを一斉に動かすと後で大変なのは自分だということが分かりました…アカンわ、キャラみんな出そうと思ったら確実にごちゃごちゃになる…皆好きなのにぃぃぃ…!

レオルド超贔屓目。だって、好きなんだ…戦うレオルドが好き過ぎるんだ…。
編みこみの黒髪なびかせて地を走るレオルド(擬人化)とか考えただけでMOEです。

2008.8.12が最終更新日なんですけどやばいよもう4年放置!笑
近いうちにアップできればと思ってます今度こそね!いい加減に5も出るからね!
2012.7.24