音が、反響する。

 それは幾重にも、幾重にも。
 起きていても眠っていても。
 歩いていても立ち止まっていても。
 そのことで、鼓膜に痛ましい悲鳴がこびりついているのだと理解する。 悲鳴は凄惨な光景を記憶から掘り起こしシャムロックの心を崩すように揺さぶってくる。


 ―――悪夢、のようだ。


 けれど、この夢は”終わり”ではない。




 ”始まり”でもある。







第78夜 -3-







「――――これが、ローウェン砦とトライドラ崩落の顛末です」

 シャムロックがこの部屋に来て三十分後になってようやく、言葉が終わった。

 終わるまで、とても長く感じられた。
 自ら語っておきながら、語れる物はなんと恐ろしく哀しいものか。
 けれど何より、自分の目が見たもののを全てを語る言葉の最後の一文字まで、静かで冷静に在れたことに安堵する。 砦を任された者が、トライドラの騎士である者が、向かい合うように長椅子に座した人物の目の前で感情を乱して無様な醜態を晒す訳にもいかないのだから。

「…それでは、領主様は」
「領主リゴールもデグレアの召喚師の術により、鬼へと変じ――…」

 問われた事への答えを返す言葉の中に、領主であった男の最期が瞼裏に浮かぶ。
 人間の名残が消えたどす黒い肌。 尋常ならざる筋肉で本来の二回りにも肥大した体躯。 猛獣のごとき剥き出しになった牙と飢えた金の瞳と立ち姿は、魔獣を従えた少女と不気味に笑う痩身の召喚師の嘲笑と共にいつまでも鮮やかにシャムロックの中に残っている―――凄惨な事態を招いたそれらに黒い感情が込み上げてきて、無意識に、奥歯をギリッと噛み締めた。

 精悍な顔立ちに滲むのは、醜く噴き出すものを堪える沈痛の色。
 長椅子に座す女がそんなシャムロックを無言で見つめていることを知りながら、喉の音をたててどうにかそれらを飲み下し、問われた事への答えを―――事実を、言葉として紡ぎだす。


「――――――…私が、討ち、…取りました」


 血を吐くように、掠れた声で呟きは落ちた。

 それは、今までの経緯を語るシャムロックが初めて濁らせた言葉だった。 自らの手で敬愛する男を討ち取った事実を厭ったからではなく、そうすることしか出来なかった無力な自分を厭うものだ。 紛れもない真実だ。
 思い出して、ささくれて嵐のように荒れそうになる心を必死に堪える。
 助けてくれた人がいて、支えてくれる人がいて、それでも不安定過ぎる己の弱さが悔しい。 けれど先ほど言ったように、砦の守備隊長として、トライドラ唯一の騎士として目の前の女性に無様で見苦しい姿を晒すわけにはいかないのだ。 シャムロックと向かい合い、静かに耳を傾けるこの女性こそ危機に瀕する今後の聖王国に欠かせない大切な要素の一つでもある。

 落ち着けと荒ぶる心を静め冷静さを呼び戻して息を吐くと、彼の性質をそのまま現す真摯な眼差しを彼女に向けた。

「真偽に疑問がございましたら、調査をしてくださっても構いません。 今の私にはこの目で見たもの、生き長らえたこの身一つでしか証明出来る術がありません」

 相手から、確証がない、と疑念を向けられるのは当然のこと。
 しかし今のシャムロックには自分の目が見た物や生きながらえた命でしか、都市や砦の崩落を伝えることしか出来ない…例え信じてくれずとも、何度でも説得をするつもりでもあったから長期戦は覚悟のうえだ。 それほどまでに彼女の協力は必要だった。


 一瞬の間が開く。
 後に、女は、細い糸目からわずかに開いた小さな瞳を真っ直ぐに向けて。


「―――わかりましたわ。 すぐに調査に人を送りましょう」


 緊張に面を強張らせる騎士を宥めるように、優しく言葉を返した。
 すると、彼女の娘と同じ紅茶色の髪をふわりと揺らして、ほっそりとした腕で部屋の外扉の前で待機していた一人の兵士を呼び寄せる。 黄金色の甲冑に身を包んだ兵がガチャガチャと金属の音をたてて女の元へ駆け寄ると、女は微笑を崩さないまま、金色のインクで印が押された一枚の書類が収まった封筒を手渡した。

「はい。 こちらをヴァレー隊長にお渡ししてくださいな」

 望みは許された。
 拍子抜けするほどあっさりと叶った自分の願いに、シャムロックの目が見開かれる。
 一方で、わずかに戸惑う兵士だったが、彼女はいつもの笑顔を向けたまま兵士にお願いをするように<命令>をする。

「この度の調査の全権はヴァレー隊長に委ねます。
 準備が整い次第にローウェン砦とトライドラへ調査をお願いしますわ」

 女の気迫に気圧されつつも礼をして、受け取った封筒を甲冑の小脇に抱える。 が、退出の際に兵士の疑念の目が呆気に取られるシャムロックに向けられた。

 当然だ。
 この兵士は何の話も聞いていないうえ、事前の連絡もなく彼女に会う事を許可されたシャムロックの素性も知らされていない。 そんな男の話をあっさりと信じて聖王国の要とされた砦と都市への調査命令を出す彼女の身を案じるからこその、シャムロックへの疑念だ。
 その姿から伺えるのは紛れもなく、磨かれきった忠誠心。
 女が、この兵士に敬意を持って慕われているのが分かる―――だが女は、やはり、兵士を宥めるように微笑んだままだ。

「この方を信じても大丈夫です。 ですからどうか、その封筒を早急にお願いしますわ」
「…はっ!」

 重ねられた言葉に、兵士が折れた。
 踵を返して去ってゆく兵士の背を見送ってから、女は”ごめんなさいね”とシャムロックに詫びてくる。

 疑ってしまったことを申し訳なさそうに詫びられたそれに、少し驚く。 あの反応が普通なのだ。
 慌てて首を横に振って否定をしてから、向こうから謝られてしまった驚きに緩んだ顔を引き締め、代わりに、大柄な体を持つ騎士の頭は深く下げられた。
 それは感謝と最大の敬意を示しており、実直を絵に描いたように生真面目な様子に女の口元が微笑みに綻ぶ。

「あらあら、どうかお顔をあげてくださいな」
「いえ、そういう訳には参りません。 突然の訪問にも関わらずこのような場をお作り頂き、誠に感謝します ――ファミィ・マーン様」

 ――ファミィ・マーン。
 それが、目の前に座す女の名前だった。

 目にも鮮やかな紅茶色の髪は目を惹き、その場を和ませるように常に浮かんだ微笑は彼女の人となりを知らせ、身に纏う磨かれた気品は育ちの良い貴婦人を思わせるも、兵士に臆することなく命令を下す姿は彼女がただ位を持つ婦人ではないことを示している。
 注目すべきは、マーンの家名だ。
 聖王国領域で名を馳せる家名を持つ彼女は、マグナの仲間であるミニス・マーンの母親でもあり、貿易港ファナンを統轄する”金の派閥”の本部の議長を務める。 政治手腕や召喚師としての実力はトライドラにも語られるほど彼女の名は有名で、シャムロックも直に彼女に会ったのはこれが初めてだが、彼女曰く、昔、トライドラには何度か訪れていたこともあったらしくシャムロックが纏う白い鎧を見て懐かしそうに目を細めていた。

(以前に、リゴール様から何度か交友があったと聞いたこともあるが…)

 聖王都ゼラムに比べて、トライドラとファナンは比較的に近い位置にある。
 治める者同士。 リゴールとファミィが交友を持ったとしてもおかしくはない。
 リゴールが死した今この目では見られないであろう二人の組み合わせが意外なもののように思えてきて思わず、じっと凝視してしまう。

 一方で、ファミィは小さく首を傾げた。
  ”ふんわり”といった表現がとてもよく似合う微笑みは、議長という立場よりも女性らしい愛らしさというものを感じさせる。

「? わたくしの顔に何かついているかしら?」
「も、申し訳ございません」
「そんなにかしこまらないでくださいな。 ファミィさん、と呼んでくださっても結構ですのよ?」

 ”金の派閥”を統轄する議長に向かって軽々しく”さん”付けするなどとんでもない。
 シャムロックは再び慌てて首を振るしかなかった。

「まあ…残念ですわ。
 最近、そう呼んでくれるのもマグナくんやトリスちゃんだけになってしまって」

 頬に手をあて、心の底から残念そうに溜息を吐く姿にシャムロックもぎこちなく笑うしかない。
 ”金の派閥”の議長を親しみを込めて「ファミィさん」と呼ぶ弟弟子と妹弟子の姿を見たネスティ・バスクがとても渋い顔をするのが、すぐに想像できた。 ”蒼の派閥”と”金の派閥”は思想の違いから反発していると聞いたことがあったから、ネスティの懸念も最もだろう。

「そういえば、わたくしの娘は元気にしているかしら? あの子ったら帰ってきても全然顔を見せてくれなくて…娘が御迷惑をおかけしておりませんかしら?」
「そんな、もちろんです。 御息女のミニス様にも多くを助けられました。 幼いながら素晴らしい召喚師です…私たちがこちらへ向かう時に声をかけてみたのですが、もう少し休んでから顔を見せますとのことで」

 その時の、顔を真っ青にして首を横に振っていた幼い召喚師の少女の姿が脳裏に浮かぶ。
 それを見る限り彼女にはファミィの元へ帰るわけにはいかない理由があるようにも思えるのだが、譲り受けたペンタンドを今だに失くしてしまったままで帰りづらくなったミニスの事情を、シャムロックには知る由もない。

 しかしファミィはしっかりと勘付いているようだ。
 にっこりと笑ったまま、”親を心配させる子にはびりびりどかーん、ですわね”と呟いて紅茶のポットを取り、白磁のティーカップにゆっくりと注ぎ始める。(い、今何か、悪寒のようなものが…?)
 頃合を見て良い具合に暖められたそれは、茶葉本来の芳ばしい香りを部屋に広げていく。


「…――でも、あの子がお役に立てられたなら嬉しいですわ」


 心配をさせられてもやはり愛娘を褒められて嬉しいのか、ファミィに母親の表情が浮かんだ。
 それはシャムロックや兵士に向けられていた笑みよりもずっと優しく、愛しさに溢れている。 彼女が娘を愛していることには間違いなく、ファミィと話し合う場を用意することを手伝ってくれたミニスも母親を尊敬し、愛していることは少女の素直じゃない口ぶりから確かに伝わってきた。
 フォルテから「ミニスの父親の話を聞いたことがない」と耳にしたので母子家庭であることは確かなのだろうが、そこには確かに互いへの愛情が見える。

(…何だか、安心したな)

 母娘の愛に触れて、悲しみに打たれ続けた自分の心がほんの少し温められた気がした。
 ファミィにつられるようにシャムロックも知らず知らずに微笑を零し、差し出された香りよい紅茶に視線を落とす。

 そこで、彼女が三つのカップを用意していたことに気がついた。


 この場には二人しかいないはずなのに、何故。


「―――ファミィ様?」
「外で、お仲間の方をお待たせしているのでしょう?」

 告げられた言葉を正確に理解するよりも早く、扉の向こうでノックが三回。
 ファミィが返事をして許可を促すと、先ほどの兵士とは違う金の鎧を身にまとった兵士が扉を開け、思わぬ展開に頭を掻いているフォルテが現れた。
 ここを訪れる前に打ち合わせた話では彼は外で待っている手筈になっていたので、シャムロックもこの展開に目を瞠る。

「よー、シャムロック」
「ぇ、ぁ…フォルテさん!?」
「天気もぐずついたものになっているし、折角なのでご一緒にと思ってわたくしがお呼びいたしました」

 窓の向こうは確かに、彼女の言うとおりだった。
 あれだけ快晴だった空は分厚い雲に覆われて曇天と化し、あと少しでも時間が経てば泣き出しそうである。

「ですが、―――彼は部外者です」
「砦とトライドラ陥落のお話は先ほどの説明で理解しましたけれど、聖王国の今後の事を話し合うなら、意見が多いに越した事はありませんもの」

 穏やかな微笑みを浮かべて告げられた言葉とフォルテの姿にようやく全てを理解して、なおも言い募ろうとシャムロックは思わず腰を浮かせかける。
 しかし、それを制したのはフォルテだ。
 「大丈夫だ」 と、唖然としながらぱくぱくと口を開閉させるシャムロックの隣にどかりと腰を下ろし、差し出された紅茶を陽気な笑みで受け取った。 良質の茶葉を最高のタイミングと手順を踏んで注がれた茶を美味そうに飲むフォルテはあまりにもいつもの彼らしく、シャムロックはただ力なく座り込むしかない。

「美味い。 いい味だ」
「お気に召して頂けて嬉しいですわ、お菓子もいかがか?」
「おー、ありがたく頂くぜ」
「ぁ、その、…ふ、フォルテさん…!」

 ファミィに聞こえてはいるだろうが、それでも小声で抗議をせずにはいられなかった。


 ファミィが言った<話し合う今後の事>。
 それは、聖王国や軍事国家デグレアの事に他ならない。
 国の一大事でもある。 シャムロックとファミィの二人だけで今後を決めるのもどうかと思うのでもう一人の意見を―――それは大いに構わないのだが、問題は<フォルテ>が指名されたことだ。

 フォルテは聖王国の王子だが、公式には病死とされてその存在は既に亡き者とされ、闇に葬られている。 重き伝統と伝説を背負う血が体内を流れていることを苦悩していたフォルテに関わらせまいと思っていたのに、よりにもよって、何故この場にフォルテが呼ばれてしまうのか。
 フォルテもフォルテだ。
 シャムロックがあえて部外者だと一線を引いたことで拒否をすることも出来ただろうに、それを許可するフォルテの考えがシャムロックには分からなかった。 にやりと笑う顔はどこか不敵で、真っ直ぐにファミィ・マーンを見つめている。

「しかし、さすがミニスのお袋さんだな。
 正直言って、ああもあっさり信じて調査をしてくれるとは思わなかったぜ」

 ファミィを真正面から見据える眼差しは探るようでいて力強い。
 だが、それは、シャムロックに感じていた疑問だった。 ここへ来た目的はファミィに現状だけでも伝え、危機感を持って何かしら反応を起こしてくれればそれで充分でもあったのだ。

 ――何せ、事は聖王国の歴史に名を残す戦争にまで発展する。
 だが、侵略されることを知らない大勢の人間を動かすにはそれなりの確証や後ろ盾が必要だ。 何の情報も確証もなく、人間や国が動くはずがない。
 実際に、侵攻された砦やトライドラにいたフォルテたちでも把握出来ていない部分が多く在るし、真実を知らず動く事が面倒だという理由で言いくるめようとする大臣や貴族を躍起になって働かせるには、ファミィほどの位の人間が認める真実への確証のほかに、侵略された被害や規模、使われた術やデグレアについての情報など用意しなければならなかった。

 情報を得る…それにはまず、侵略された地で再調査をする必要がある。
 ”金の派閥”なら人員も費用も豊富だ。 加え、ゼラムの”蒼の派閥”に協力を要請するよりもファナンの”金の派閥”のほうが距離も近く、有事の際には馬を一日走らせればすぐにファナンへ戻ってこれる…限られた時間を短縮できるのはありがたい。


 そうして全てを考えた結果――やはり、議長でもある彼女の協力は必要不可欠だ。
 ミニスが仲間にいるとは言えど、すぐに信じてもらえるはずもないと思い時間をかけて協力を取り付ける覚悟もしていた………なのに、あっさり調査に乗り出してくれたことや、フォルテを話し合いの場にまで招いてくれた。 議長としての立場の人間と考えれば多少軽率でもある。


「ミニスの仲間、ってだけで信じてもらえた…なんてことはねぇよな?」


 何か、彼女なりの思惑があるのだろうか。
 見据えるフォルテに返すように、”金の派閥”の議長ファミィ・マーンはふんわりと微笑んだ。

「この国に住む人間として見過ごす訳には行きませんから」
「…こう言っちゃなんだが、俺が嘘を吐いているとか思わないのかよ」

 鎧を着ているシャムロックはともかく、冒険者として生きる今のフォルテには身分も何もない。
 疑われて当然なのはフォルテのほうだ。 なのに、ファミィはフォルテの言葉を笑顔で受け入れている。 そこに何かの企てがあるのではないかと疑念が沸くのは王族であった幼少時にフォルテが身に着けた警戒心だ。

 協力を仰いできた人間から逆に疑惑めいた眼差しを向けられて、ファミィは可笑しそうにくすくすと笑い目を細めた。 そこに、わずかながら懐かしむ色が浮かぶのは何故だろう。

 内心、不思議がる彼らに、ファミィはやっぱり微笑んでいて。


「あらあら。 リゴール様からは嘘吐きさんではなくやんちゃさんだとは聞いたのですけれど」

「「――?!」」


 飛び出した名前に、雷に撃たれたような衝撃を覚え二人の全身は痺れた。
 フォルテは目を見開いて彼女を凝視するも、ただの漁村だったファナンを貿易港にまで発展させたファミィ・マーンは相手におっとりと微笑んでいる。
 何を考えているのかまるで分からない。
 クッキーの伸ばしかけた手を止めて、フォルテは引きつった笑みを浮かべるしかなかった。

「何、で」
「わたくし、派閥の子や、一度見た相手のお顔と名前は全部覚えておりますの」

 紅茶をこくりと飲み干しながら、穏やかな笑顔のまま告げるファミィ・マーン。

「昔、リゴール様からトライドラにお招きされた事がありましたわ。
 ミニスちゃんはとても小さかったから覚えていないと思うのですけれど、滞在中に訪れた訓練場で、一生懸命に、でも楽しそうに剣を振って打ち合う貴方たちの姿も何度か見た事がありますのよ」

 二度目の衝撃に、二人の頭は真っ白に漂白される。
 ファミィは天気の話をするようにのんびりとしていたが、その時の光景を大切そうに思い出したのか表情に懐かしむ色が広がっていく――――まるで、わが子を見る優しい目にも似ていた。
 あまりにも慈しむように見られるから、込み上げた疑念はまた別の疑問に掻き消されてしまう。


 彼女は、フォルテが王族だということを知っているのだろうか…?


「そんな貴方たちが無事でいてくださって、本当に良かった」
「ファミィ、さま」

 名を呼ぶシャムロックの声は掠れていた。
 知っているのか。 知らないのか。 全ては微笑みの下に隠されて見えない。
 緊張の色を浮かべる二人の男に、やはり、ファミィはおっとりと微笑んでいて。


「そして…、ありがとうございます」

「え」

「危険を顧みず、怪我をしているにも関わらずこうして駆けつけてくださったことに、聖王国に住む全ての人々に代わり心より御礼を申し上げます」


 慈しむ眼差しは、威厳を滲ませて”議長”の物に変化していた。
 凛とした声音で緩やかに告げられた感謝にフォルテとシャムロックは背筋を正した…自分たちは、彼女という存在をどこかで侮っていたようだ。

(…とんでもねえな)

 フォルテの背中に、一粒の汗が浮かんだことを自覚する。
 彼女が全てを知っているのかは知る由もないが――――目の前に座す、<ファミィ・マーン>という存在は誰が何を言おうとも人の上に立つに値する器の人間だった。
 高潔な人柄は他の人間が誉め称えずとも滲み出て、彼女と向かい合う者に自然と尊敬の念を沸き立たせる。 そんな<ファミィ・マーン>だからこそ今のファナンの発展が在り、貿易港として栄え、ひいては聖王国の発展へと繋がったのだ…彼女なくして今のファナンは在り得ない。 聖王国も、トライドラも、ああまで広く豊かには成り得なかっただろう。



 ああ、本当に、彼女はなんと素晴らしい指導者なんだ。



 だからこそ思ってしまう。 考えてしまう。
 全てが終わるまで、考えずにいようと思っていたことを。


 その気持ちを留めることが出来ず、それはとうとう、フォルテの口から零れ落ちた。



「―――あんたのような人間こそに、王族でいてほしかったよ」



 ぽつり、と。
 自嘲に歪んだ唇から、力ない呟きが落ちた。

 小さく呟いたフォルテの言葉に、ファミィとシャムロックが不思議そうに目を向けた。
 普段の彼にあるいつも陽気な笑顔は影を潜め、どこか羨むような光を帯びた眼差しでファミィの顔を見据えている。 溢れそうになる羨望の中にわずかな哀しみの色が混じっていることに気がついたシャムロックはどう言えばいいのか分からず、俯くしかなかった――ファミィ・マーンに抱いた感情の意味がわかってしまった。
 しかし、迂闊に何かを言ってフォルテの立場を悪くしたくない。
 彼女がリゴールと鍛錬をしていたフォルテたちの幼少時を知っていたとしても、彼がフォルディエンドという王族だということは知らないかもしれないのだ。 だから、何も言えない。

(それに)

 それ以前に、苦しむ親友にどうすることも出来なかった自分が今更、彼に何が出来るというのだろう。 言えるというのだろう。
 悔しさに唇を噛むシャムロックの隣で、膝の上にあるフォルテの大きな拳が祈るように組まれる。
 項垂れるように背を丸めわずかに俯いた顔は見ているだけでも辛かった。 顔を背けるシャムロックの横顔を視界に止めたフォルテはわずかに口角を持ち上げたが、いつものように笑えずに終わってしまった。


「…悪ィ、変なこと言って」


 <フォルテ>という人間の顔に――自分の顔に、苦々しい笑みが浮かぶ事を自覚してしまう。
 済んでしまった事なのだと分かっていても、何度思い悩んだことだろう。

 今の自分は、<フォルテ>という一人の人間だ。
 自由が好きで、今の生活も好きだ。 愛しいと思っている。
 だから自分が王族だと触れ回るつもりもないし、父親の元に戻るつもりは一切ない。 後悔や罪悪感があっても、手に入れて味わった自由の心地よさを手放すほどのものではなかった。


 だが、時々、どうしても考えてしまう。

 あの場所に一人残してきた、妹を。


 心優しい妹のディミニエ。
 フォルテが投げ出しさえしなければ、彼女の未来も変わっていただろうか。
 抱える物が大きくて、背負うものが重たくて、妹に全てを押し付けて逃げ出してしまった自分ではなくファミィのように強く在れたなら、妹は何も考えず思い悩む事もなくシャムロックに恋をしたままでいられたのではないだろうか。

 …―――何故、人は生まれる血を選べないのだろう。

 せめて自分の命だけでも血を選べていたなら、父は立派な後継者を得ていたのかもしれない。
 妹は、犠牲にならずにすんだかもしれない。




「どうか、お顔を上げてくださいな」




 ファミィの声が、項垂れるフォルテの頭上に優しく降り注いだ。
 今にも折れてしまいそうに力を無くしてしまった目がのろのろとファミィに向けられると、それを受け止めたのは母性に満ちた優しい微笑だった。
 彼女は静かに席を立ち、祈るように組まれたフォルテの拳にそっと両手を重ねて包み込む…柔らかく、あたたかい手だ。

「わたくしのような者が王族であればいいだなんて、仰らないでくださいな。
 聖王様も、王女様も頑張っていらっしゃいますのに」
「…王は血に縛られた臣下の傀儡だ。 王も臣下も病弱な王女に全てを背負わせようとしている」

 自分事を棚に上げてなんとも都合の良いことを言っている。
 自分が捨てなければ、そうはならなかったというのに…全てを捨てたつもりで自由を得たのに、それでも捨てきれず無様にすがりついて償おうとしていることを示す言葉に吐き気がする。


「聖王様のことを、どうか責めないで」


 ファミィの声は、哀しい音を帯びていた。
 拳を包まれた手にわずかな力がこもり、訴えるように言葉が紡がれる。

「わたくしのような人間などに王族の方の御心は分かりません。
 ですが、尊いとされたしきたりに臣下以外の他者と出会うことは滅多に許されず、自身が抱える葛藤や悩みを誰にも打ち明けることも出来ず、国を治める者の責任が長く積み重なり今でこそ厳格な方となりましたが…本当は誰よりも国を思う優しい方なのです」
「……」
「貴方が、聖王様を嫌悪する理由は分かりませんが…」

 途端、二人の身体がぎくりと強張った。
 ―――ファミィは聡い人間だ。 浮かぶ笑顔はいつもと変わらず真意が読み取れないものの、この硬直の意味を、フォルテが嫌悪する理由を彼女は全てお見通しなのかしれない。

 なのに、彼女はそれに触れることなく、ただ。


「聖王様のことを、ほんの少しだけでも許してあげてくださいな。
 昔のあの方を知る者として、あの方が責められる言葉は聴いていて辛いですわ」


 翡翠の色の目が見開かれた。
 それはシャムロックのものも同じである。 ファミィが過去の聖王を知る人間だとは思わなかったからだ。 告げられる言葉の中に親しみが混ざっていることから、もしかすれば――友人という関係でもあったのかもしれない。

 驚きの表情を浮かべる若い二人の顔が面白かったのか。
 紅茶色の髪を揺らし、くすっと笑みをこぼして人差し指を唇に押し当てる。

「秘密にしておいてくださいね? あの方、昔はもっと愛嬌のあるお顔だったんですよ」
「げっ」

 フォルテが物心つく頃からも厳格な偉丈夫だった。
 そんな父さえも昔は愛嬌のある顔だったという事実にたまらず、呻き声が出る。(隣でシャムロックが慌てたが抑えられなかった)

 しかし、時間とはなんと残酷で、偉大なのか。
 父親への複雑な感情や王家のしがらみが、衝撃のあまり今だけどうでも良くなってしまって、戸惑いながらぎこちなく頭を掻いて受け入れてしまった。


「あー…その、…考えとく」


「ありがとうございます」



 そう言って笑った彼女の顔は、本当に嬉しそうだった。















「…―――あら、もうこんな時間」

 ファミィの言葉につられるように、フォルテとシャムロックが顔を上げる。
 紅茶は既に冷めており、時計の針は時間の経過を指し示していた。 そろそろ溜まっていた書類を片付けなければ、ファナンの豊漁祭の催し物や露天の配置等の取り決めに間に合わなくなってしまう。

「ごめんなさい、時間がきてしまったみたい」
「いえ、今後の方向性が大分まとまりました。 お時間を割いていただき感謝します」
「やっぱり”蒼の派閥”との連携は外せねぇか…」

 フォルテの言葉に頷いて、ファミィはカップとソーサーをトレイに乗せて片付ける。
 食器が音もなく重なるそれに貴族の者としての深い教養が伺えた。

「わたくしは、”蒼の派閥”の方と協力体制になることに異存はございませんわ。
 過去から続くわたくしたちとの諍いは話に聞いておりますけれど、お互いにこの国に住む者。 この国を守るためならわたくしはどんな労力も厭いません」

 力強い言葉が頼もしい。
 彼女の協力を取り付けられたことがこんなにもプラスになるとは予想しなかった。
 シャムロックが礼をとって退出した後で、フォルテも続いて席を立つ。 部屋の出口に差し掛かったところで「あ」と声を上げてファミィに振り返り、フォルテは一度、深く、ファミィに頭を下げた。

「本当に助かった。 俺にできることがあるならあんたに何か礼を返したいんだが…」

 しかし、ファミィほどの人間となると礼の返し方が大分限られてくる。
 金品などは無意味に近く、冒険で鍛えたこの腕力と雑学で荒事を解決するとしか思い浮かばない。

 首を傾げるフォルテにファミィはふわりと微笑んで。

「それでは、一つだけ」
「?」
「わたくしの娘を、妹のように可愛がってあげてくださると嬉しいですわ。
 あの子は一人っ子だから、フォルテさんのようなお兄さんがいると喜ぶと思いますの」

 翡翠色の瞳が丸くなる。
 しかしその後で破顔した。 その表情はどこかあどけなく、先ほどのそれとは打って変わって陽だまりのようだ。
 その笑顔こそが彼が持つ本来の気質なのだろう。
 見ているこちらも胸が温かくなってきて、気持ちがいい。


「あいつは元から妹みてえなもんだよ、ファミィさん」

「――――」


 ファミィの変化に、フォルテは気づかなかった。
 ”そんならもっと可愛がってやるかぁ”といつものように陽気に笑ってから部屋を出た。
 彼とシャムロックが遠ざかっていく足音が、彼女一人が残された部屋に響き渡り、やがて消えていく。

 ファミィはそれを最後まで聞き届けてから、窓から建物の出口を見下ろす。
 シャムロックの赤い外套とフォルテの砂色の外套に包まれた背中が視界に映り、己のやるべきことが見えた希望に曇天にも負けない笑顔が浮かんでいた――とても愛しい、笑顔だと思う。

「…本当に、昔のあの人にそっくりね」

 フォルテが聖王スフォルトの息子であることを、ファミィは最初から知っていた。
 情報として知るより先に一目見ただけで理解できた。
 だって、あまりにも、昔の彼とそっくりなのだ。 太陽のように笑うそれなんて本当に、瓜二つ。

 苦笑するように無意識に目を細めて、窓硝子を撫でる。
 きゅ、と甲高く響く音を耳にしながら、フォルテの隣で翻る赤色の外套に視線を定めると一人の男の姿が脳裏に浮かんだ。


 そこでようやく――哀しみの感情が、ファミィの胸の中で緩やかに広がってく。


「…リゴール様」


 口から出てきた一つの名は、彼女にとっても大切な名前だった。

 落胆するように、ファミィは小さく息を吐く。
 彼は素晴らしい武人で民に愛される素晴らしい領主でもあったし、トライドラが掲げる旗に相応しい剣と盾を持って献身的に聖王を支えるその存在は、ファミィにとってもトライドラとファナンを共に支える心強い味方だった。

 彼はファミィにも良くしてくれた。
 まだ幼かった娘を連れて騎士の修練場を訪れた時も、心から歓迎してくれた。
 大柄な騎士を怖がって母親の影から出てこない娘に優しく接してくれたし、ミニスが笑顔を見せてくれれば、それはそれは嬉しそうに笑い返してくれたりもして……ああ、本当に、あの男は善い人だった。


 優しい、人だった。


 そんな彼を誰もが愛して、彼も皆を愛していた。


 大切にしてくれていた。


 守ろうとしてくれていた。



 しかし、それ故に彼は―――。



(…、リゴール様)

 リゴールを悼む気持ちをこめて瞼を伏せ、ほんのわずかな黙祷を奉げる。
 窓の向こうの世界はいつもと変わらぬ平和なファナンの海があるというのに、トライドラは無人の都市と化してしまっているなんて誰が想像出来るだろうか。
 あれほど賑やかで華やかで、人の声が絶えない活気ある都市だったというのに、それが今では、誰も。


「…あなたは、また、独りで悲しむのかしら」


 リゴールは、聖王の良き知人でもあった。
 王も彼の悲報を聞けば、悲しむだろう。

 誰にも涙などを見せることなく、ただ一人で。
 わずかに肩を落として――スフォルトは、昔からそういう人だから。




 雨が、降り始めた。
 活気ある街を唯一静けさで包む込む、恵の雨。
 雨雲が遠くの空まで連なっているとなると、ゼラムにも多少は降り注ぐだろう。







 王に降りかかる雨が、少しでも優しいものであればと祈るように目を伏せた。










NEXT

78話の3をお届けいたします。
フォルテとシャムロックと、ファミィさんのお話。今後について語り合う大人たち。
前回から横道にそれました…!

サモ小説の私だけのおうじさまで王とファミィの関係を匂わせるようなシーンが多々あったのですが、ミニスが使う召喚獣の属性とか裏設定は上手い事考えたなぁ!と感心しました。
つーかうっかり聖王×ファミィにMOEを見た…。(超絶マイナー!)
あの小説を読んだ時から絶対にフォルテとファミィさんのこんな話を書こうと思っていたんだ…父親を嫌うフォルテを宥めるファミィさんとか、フォルテをミニスにこっそり見せてあげたくてトライドラ訪問したとかそんな図をォオォッ。

しかし王族が引きこもり一族だったとは…そりゃ臣下も好き放題するって。
王制だけど王政ではない。 歪んでいる聖王国。
くわしくは私だけのおうじさまでどーぞ!私も内容ウロ覚えです…。(…)

王様はファミィさんとは昔の知り合いだけど、でも正室の王妃(?)とフォルテやディミニエを生んでから、ファミィさんとミニスを生んだということになるのかな…?それともフォルテたちを生んだあとで、ファミィさんと出会ってミニスを生んだのかな…はっきり描写されていなかったので妄想…いや想像が広がる広がるハァハァ!!

「昔は愛嬌のあるお顔だった」と言っていたファミィさんにまたMOEた…!
うっかりドマイナーカプ語りになった。すみません。
王様はメインキャラじゃないからいいかなーと思って…ごにょり。


あ、名前変換がない。笑。次こそで終わるぞ!(もう何度目のセリフ)

2007.12.14