―――青い空の下、笑顔で別れを惜しむ少女と老人の姿があった。


「本当にいくのかね?」
「うん! マグナたちにも会いたいし、これ以上いるとアイツらがまた来ちゃう」
「…マグナが帰ってくるまでワシのところにいてもいいぞ?」

 にっこりと笑って別れを告げる少女に、初老の男は悲しそうな目を向けた。
 男の申し出に目を丸くさせ、けれどますます笑顔になってから首を横に振る。 その顔はとてもうれしそうで、ほんの少しの寂しさが混じっていた。

「ありがとう、おじいちゃん…でも、ユエルはいかなきゃ」

 ユエルがいる限り、<影>――暗殺者――の手は彼の命を奪いにくる…。

(ちょっと…ううん、すごく寂しいけど)

 召喚主がユエルを諦めるまでは、ここには帰ってこられない。
 ようやく受け入れてくれる人が見つかったのに…それを思うと落胆が込み上げるばかりだが、だからこそ彼から離れなければいけない。
 けれど――追っ手を無事に振り切れたなら、またもう一度ここに戻ってこようとおもう。


 この人に会いに、戻ってこようと。





「本当にありがとう! ユエル、おじいちゃんは大好きだよっ」






 そうして少女は緑石の竜と共に、白い都を旅立った。
 ―――もう一方で。




「ミモザ、本当にありがとなっ」
「また来るからなー!」
「ギブソンにもよろしく伝えておいてくれ」

 ほんの少しの幼さを残した少年と若い男は、外門で見送る友人に向けて手を振った。
 見送るのは若い女だ。 丸型の眼鏡の奥の瞳を優しく細め、彼らに笑って大きく振り返す。

「ハヤトや私の弟分たちに会えたらよろしくいっといてねー!
 あと、手紙くらい寄越しなさいとも! 心配で押しかけるわよって!」

「まかせとけー!」



 笑顔で別れを惜しむ少年たちを乗せた車の車輪は、ゆっくりと動き始めた。






 それぞれに、同じ場所を目指して。








第77夜 -3-








「うわぁ……―――ここも大きな街だなぁ」


 感心したような呟きは潮を含んだ風に流れていく。
 伸びっぱなしの青い髪は彼女の尾と共にふわりと揺れ、大きな瞳は聖王都とは違う姿を映し出していた。 いつも彼女の胸元にあった緑石はラウルの言葉に従い、ポケットの中に収まってその輝きは隠されて見当たらない。

「すごいなぁ」

 新しい街の姿にどきどきしながら、少女はたっと駆け出した。
 街にたどり着く前に彼女が見たものは大きな海だ。
 海はゼラムにもあった。 ただゼラムとは違い、この街は潮の匂いがどこまでもついてくる。 青海に浮かぶ船影はどれもこれもが質素なものの、その大きさは遠目から見ても立派なもので、たくさんの人間や荷物が乗り込んでいく光景をユエルは初めて見るのだった。
 それをもっと間近で見ようと、少女は街を駆けていく。



 あれからゼラムを出て、<影>の追跡もなく、はぐれ召喚獣と戦いながら辿りついた街。
 ―――ここは港湾都市・ファナン。
 もともとは小さな漁村だったが、<金の派閥>によって目覚しい発展を遂げて大きくなったらしい。
 海の向こうから様々な荷が運ばれ、色んな人間が行き交う街でもあるから、ユエルの横を通り過ぎていく人々もゼラムとはまるで違っていた。

 たとえば。

「うわ、ご、ごめんなさいっ」
「おう、気ぃつけろや嬢ちゃん」

 すれ違いざまに大きな体にぶつかって、ぎょっとしたのはユエルだった。
 太陽に焼けた浅黒い。 港で積荷を運ぶため鍛え上げられた筋肉と大きな体。 それだけでも迫力があるというのに、その体に相応しく声もまた大きい。
 血気盛んであることももちろん、偶然通りかかった酒場の乱闘を見れば一目瞭然。
 初めてこの街を訪れたユエルにも、地元民とよそ者(旅行者とも呼べる)の違いがよく分かった。

「ゼラムとは違うんだなぁ…」

 地元民らしき人々の顔はよく笑い、よく怒り、声の大きさにも比例するように大きな体の人間が多く、たくましく生きる人々が作り出す活気は太陽のように明るい。 それは常に整えられたイメージのあるゼラムの空気と違う、生き生きとした生命力があふれるパワーだ。
 街が変わっただけでこんなにも違うなんて―――最初こそは驚きをいっぱいにして、真新しいものに目を輝かせながら街を探検していたものだ。


 そう、”最初こそは”。
 街に辿りついてから数日後、すぐに現実問題が起こった。 綺麗なゼラムとは違う賑やかさが心地よかったが、ユエルが探しているものは見つからないままになっていたからだ。

 尻尾と眉が垂れ、腹を抑えて溜息を吐く。


「…おかねって、どうやって見つけるんだろう…」


 現実問題。
 それはゼラムでも同じく、<おかね>と食べ物だった。
 が必要だと言っていた<おかね>とは、地面を掘っていれば見つかるのだろうか。
 川に落ちているのか…そもそも、どういう石が<おかね>と呼べるものになるのかわからない。 に見せてもらったのは、銅色と銀色の石だったのだが。
 助けてくれたラウルにもっと聞いておけば良かった。と早くも後悔が浮かぶ。

「…おなかすいたぁ…」

 港にいけば不思議な形をした魚が落ちていたこともあったので(猫の形にとても似ていた)それを食べて飢えを凌いでいたが、それもそろそろ限界のようだ。
 目の前がぐらぐらする。
 ゼラムにいた時よりも体力も落ちているだろうから、このままの状態で”彼ら”に見つかると危険だということは十分に理解していた――芳ばしい匂いにつられて大通りに陳列している棚に目を向けると、美味しそうな肉や野菜、果物が並べられている。
 それらがまた食欲を膨らませて、ユエルを誘惑する。

(うう、ダメダメ! だって、悪いことだって、言ってたもん)

 それでも目は食品が並ぶ棚に釘付けで、無意識に、ごくりと唾を飲み下す。
 焼いた肉の匂いに唾液が込み上げて慌てて口元を拭うも空腹は収まらない。 甲高く鳴る腹を押さえながらどうにか<おかね>を探し続けるも、やっぱり、どこにも見当たらない。

(どうしよう)

 我慢できない。
 お腹がすいた。
 目が回る。
 あれを取るのはいけないこと。 悪いことだと分かっている…でもこのままだと、自分は死んでしまう。
 <お金>の見つけ方を教えてもらおうとやマグナ探したけれど、彼らの匂いはあるのに姿は一度も見つからなくて、途方に暮れるばかり。

(……うう〜〜!)

 おなかがすいて泣けるなんて、この世界に来て初めて知った。
 涙を堪えて地面を這うも、限界はやってくる。

 このままでは空腹で死んでしまう…「いけない事だ」と教わったため込み上げる罪悪感から心の中でに一度謝って、意を決し、そっと棚の隅に忍びこんだ。
 店主らしき男は、客である少年の話に夢中になってユエルの接近に気がついていない。


 今なら、見つからずに、果物のひとつくらいは――。


 そう思って赤い果実に手を伸ばした、そのとき。



「――やめたほうがいい」



 横から、大きな手に腕をつかまれた。
 ぎくりと体が強張って、ユエルよりも背の高い男を見上げると男の腰に下げられた剣が視界に入って―――瞬間的にゼラムの兵士を思い出し、悲鳴が出た。

「う、うわぁぁぁぁッ!」

 捕まった捕まった捕まってしまった見つかってしまった――!

 店主や兵士に暴行された記憶があふれ出してきて、悲鳴をあげながら、無我夢中で男から逃れようと身をよじる。 けれど男の力はまるで揺るがず、ユエルの足が男を蹴り上げても噛み付いても、男は動じることなくユエルを見下ろしていた。
 感情を高ぶらせることなく静か過ぎるそれが怖くなって、ユエルの混乱はますます膨れ上がった。

(ど、どうしよう!)

 男の腰に下げられているもの。 あれは剣だ。
 この人間が持っているものは形が大きいものの、”彼ら”が使っていたものと同じ形をしている。


 あれは命を奪えるものだ。

 爪や牙と同じで、ユエルの命をあっという間に奪えるものだ―――。


(こ、殺されちゃう!)

 混乱したユエルは本能的な行動に出た。
 牙を剥き、掴んでくる腕に噛みつく。 肉の感触が牙に触れると同時に血の味が口内に広がった。
 これで男は怪我をした。 痛みだってあるはずなのに、ユエルを見下ろす男の黒い瞳はやはり物静かで、痛みにほんの少しだけ顔をしかめながら噛み付いたまま息を荒げるユエルを、静かに見下ろしている。

「盗みはいけない。 …それに今だと、巡回の兵士に捕まってしまう」
「…!」
「金色の鎧に身を包んでいる彼らがそうだ。 君を見ている」

 告げられた方向に目を向けると、たしかに、ピカピカの服(金の鎧だ)を着た二人組みがこちらを…いや、ユエルを見ていた。
 あのピカピカの服を着た人間は、この街に着てからよく見かけていた。 ゼラムの、銀色の服を着た人間と同じ役割を持っているのだろうか――混乱した思考のまま、フーッ、フーッと荒くなる息をどうにか抑えようとするも、血の匂いに興奮してかなかなか収まらない。

 周りでざわめく人々の騒ぎの声でさえも遠くなる中、男の声だけが静かに届く。

「落ち着くんだ」
「…フーッ…」
「そう、ゆっくりでいい…いい子だ」

「――レイドッ! 大丈夫か!」

 背後からの声に、肩がびくりと跳ね上がった。
 噛み付いた腕を離せないまま目だけをそちらに向けると、店主と話し込んでいた少年が二人、こちらに駆け寄ってくる。 そのうちの一人の赤い髪の少年が”うわっ、なんだぁ?!”と拳で身構えるも、レイドを呼ばれた男は二人に笑って言った。

「ああ、大丈夫だよ」
「いやいや、血ィ出てるだろそれ」
「猫に噛み付かれたと思えば大したことはない」

 <猫>という単語にむっと顔をしかめると、レイドは少し長め黒髪を揺らしてユエルに笑った。

 ――優しい笑顔だった。
 向けられる笑顔に混乱が落ち着いてきて、噛み千切ってやろうとしていた顎の力をそろりと抜いて男の腕から口を離すと、レイドがまた、”ありがとう”と微笑んだ。

(…何で、”ありがとう”なんだろう…)

 怒った顔を向けられるべきなのに、猫の悪戯を許すような、どこまでも優しい笑顔を浮かべるのはどうしてだろう――。

「お、お客さん大丈夫ですかぃ?!」
「ええ、大丈夫です――未然に防げましたので彼女を叱らないでやってくれればありがたい。 私たちが言って聞かせますから」

 ギロリと睨み下ろす店主にびくりと震えるユエルを庇うように、レイドが前に出た。
 庇ってくれた男の血色に汚れた服を見て、急激に思考が冷める。
 そこでようやく”自分はこの人にとてもひどいことをしているのだ”と気がついて、ユエルは俯くと、小さく、謝った。

「…ごめんなさい」
「構わないよ――これがほしかったのか?」

 金を払い、目の前に取られた赤い果実に、言葉のかわりに腹の音が返事をした。

「…」
「…ぁ、うわわっ」

 自分でもどこから聞こえたのかわからなくてきょとんとしてしまった。
 でもすぐに理解して、それにとんでもなく恥ずかしくなって慌ててお腹を押さえるも、レイドと少年たちは呆気に取られた顔でユエルを見たあと――。

「あっはっはっは! アネゴの腹の音よりすげー!」
「腹減ってんだな…あぁもう、ほら、これもやるよ」

 少年二人が色んなものを押し付けてきた。
 果物だけでなく肉や魚までユエルに手渡してから、自分たちもそれを頬張った。 美味しそうに食べ始めるそれに今度はユエルが呆気に取られる番で、呆然と彼らを見つめていれば、つり目の少年が指についたケチャップを舐めながら見返してくる。

「どうしたんだよ」
「…」
「腹減ってんだろ、食えよ」
「………、いいの?」

 降って沸いたような幸運と展開に恐る恐る尋ねると、少年が呆れたような溜息を吐いて。



「あんな腹の音聞かされたら、やらねーワケにもいかねえだろうが」



 言葉はぶっきらぼうだが、表情は優しいものだった。















「――それじゃあ、レイドたちは友達を探しているんだね」

「ああ、仲間と動いているからそれなりの大所帯で目立つはずなんだが…こんな大きな街だとそうでもなかったみたいだ。 あまり情報がなくて途方に暮れていてね」

「ふーん…」


 賑やかに行き交う人々の間をすり抜けながら、ユエルはレイドの言葉に肯いた。
 彼らはやはり旅行者だった。
 しかもただの旅行者ではなく、家族でもある仲間を助けるために<サイジェント>という街からやって来たらしい。 ゼラムからファナンへは、召喚師の友人に助けを借りたとか…そうまでして心配をしてくれる人の存在がいることにちょっとだけ羨ましくなる。

(どんな人たちなんだろう…)

 むくむくと膨れあがる好奇心からユエルがどんな人たちなのかと尋ねてみると、ガゼルが自分の顔の両頬を思いきり手で寄せて、不細工顔を作って見せた。

「ユエルは見たことないか? すっげー真っ白な顔と頭で、こーんな凶悪な面構えの男」
ヒッ…! ま、真っ白?!」
「どっちかというとサプレス寄りだよなぁ、バノッサは」
「(…本人が聞くと怒り狂うな…)…あまりユエルを怖がらせないように、ガゼル」

 好き勝手に言いたい放題の彼らに、レイドは心中に怒り狂うバノッサの姿を思い描く。
 サモナイト石を片手にフラットに乗り込んでくるのではないだろうか……さすがにそれは迷惑以外の何者でもないので、本人に言う気にもならないが。

「まあ、何にせよここで手がかりくらいは見つけねえとなぁ…腹ごしらえもすんだし、俺っちはあっちで話を聞いてくるぜ」
「おー、ジンガ頼んだぞー」
「私たちはこれから今日の宿を探すが…ユエルはこれからどうするんだい?」
「あ…」

 そうだ、自分は彼らと一緒にいてもいい理由がなかった。

 聞かれて俯いてしまった少女に、レイドとガゼルは顔を見合わせた。
 彼女が<はぐれ召喚獣>という事実で先ほどの騒ぎの原因が理解は出来たものの、しょんぼりと尻尾を垂れさせて俯くそれに何か事情のようなものがあると感じさせてくれるが…。

「そーいや、お前、金持ってねえの?」
「…うん、探しても、どこにも落ちてなくて」
「…探す?」

 ユエルの言葉にレイドの眉宇がひそめられた。
 ふと考え込むように口元を手で押さえ、ひとつ、少女に問いかける。

「君は、この世界の常識を教えられているかい?」
「ジョーシキ? オカネのこと?」
「それもあるが…お金がどうやって手に入れることができるとか、召喚主から」

 レイドの言葉に少女の表情がさっと怒りに塗り変わった。
 愛らしい尻尾を毛が逆立つほどまでに立てて威嚇し、憎しみと怒りを織り交ぜた大きな目で、振り絞るように出す大きな声で、レイドの言葉を拒絶する。

「あんな奴、ユエルの主人なんかじゃない!!」
「ユエル…?」
「あんな、ひどいことができる奴なんか、知らない…! あんなやつ…」

 胸元の服をぎゅうと握り締め、肩を震わせた。
 ひどいのは自分も同じだ。 拭っても拭っても落ちない血。 多くの人間の命を奪った事実――哀しいことにそれは変えようもないが、召喚主の卑下た笑い声が鼓膜に焼き付いて離れないことが一番不快だった。

 唇をきつく噛み締める。
 そんな少女の豹変に戸惑うレイドの横で、ガゼルは痛ましげに顔をゆがめた。

 ハヤトがモナティやエルカと遊んでいる姿ばかりを見て、モナティがハヤトたちを心から慕う姿を見ているから、ユエルのこの反応には心底驚いてしまった――召喚獣とは慕ってくれるものだと思っていた――だがそれは、違っていたのだ。
 ユエルの反応。 嫌悪。 憎悪。
 全身からにじみ出る拒否に、彼女が召喚主にどういった扱いを受けているのか予想ができた……きっと、ハヤトたちのような親愛はそこにはないのだろう。 だからこそ彼女は逃げ出して、<はぐれ>になったのだ。
 教わる余裕もないくらい、彼女は無知のまま世界へ飛び出した。

(でも、そんなんじゃ、盗むしかねえじゃねえか)

 無知のままに飛び出した。
 だからこそ、何も知らないままなのだ。
 当然だ。 教わっていないのだ。 無知は罪だが、誰もが初めから物を知っているわけではない。 教わらなければ、学べない。 生かせない。
 ましてや彼女は世界が違う。
 モナティたちが住む幻獣界メイトルパ。 大自然で溢れる世界――そこに人間のような暮らしをする種族がいるのかガゼルには分からない。 異界のことなんて、行かなければわからない。 本を読まなければ分からない。 召喚術が盛んなリィンバウムだからこそ彼らの生態系が書物にされているが、異界の獣たちからすればそんなものはどうでもいいに違いない。 彼らはそこで生きていることに全てを見ているのだろうから。




 ガゼルは頭を掻いて、ユエルの髪をくしゃくしゃと撫でた。
 突然のそれに少女の大きな瞳がガゼルの姿を見返すも、瞳に映る少年の顔は苦しそうにしかめられていた。

「…ガゼル?」

 ――ガゼル自身、盗むことが悪いとは思っていない。
 そう言えるのは、生活が保障されて明日を確実に生きていける余裕がある人間だけが言える言葉だ。 娯楽のためだけに盗む人間はともかく、生きることに余裕のない人間には常識や善悪を判断している場合ではない。

 判断し、躊躇していたら死ぬのだ。
 死ぬしか、ないのだ。
 街の片隅で、独り、痩せこけた体を抱えて、死ぬしかない。


 それがどんなに恐ろしく、どんなに虚しいことなのか、ガゼルは知っている。


 今でこそ、笑顔が戻りつつあるサイジェント。
 しかし全てが改善されたわけではない。
 今でも片隅で動かなくなった人間も見かけるし、飢えに苦しむ人間もいる。
 昔はもっと酷かった。 街を歩いただけで痩せた死体を見るばかりで、自分の将来もアレになるのだと信じて疑わなかった。 貧しいから、死にそうだったから何をしてもいいとは決して思わないが、親が死んだり、捨てられたリプレやアルバたちの将来もきっとああなるのだろうと思うと、全てが憎くて仕方がなかった。



 でも今は、そうではない。


 多くの人に、多くの家族に助けられて、生かされている。



「…お前、働くってことは知ってるか?」
「はたらく?」
「人間はな、決められた仕事をして、その代わりに金をもらうようになってんだよ。 あと、珍しいモンを売ったりしても金が手に入る…お前が金を手に入れるっつったら、働くしかねえみてえだけどな」

 じっとユエルを見つめて、”獣っぽいし、体力はありそうだよなぁ”と頭に浮かぶ仕事先を考えていると、彼女がじっとガゼルを見上げてきた。
 ラミの瞳のように純粋な瞳に見つめられて、何だかムズ痒くなってまた顔をしかめてしまう。

「何だよ」
「…どうしてユエルを助けてくれるの? 全然知らない人なのに…」
「――…まぁ、昔の俺もお前と一緒だからな。 他人事だって思えなくてよ」

 今はそうではない。
 多くの人に、多くの家族に助けられて、生かされている。
 感謝するのはらしくないから、家族を、友人を助けるときは全力で助けようと心から思っていた。


 彼女はまだ知り合ったばかり。
 けれど家族でもあるハヤトが彼女と出会ったら、きっとこうしていただろう。


「本当はこんなことしてる場合じゃねえが…くそ、俺もあいつらのお人よしがうつっちまった…って、レイド! そんな目で俺を見てんじゃねーよ!」
「いや、…ガゼルも立派になったなと…」
「うるせー!」

 本当に嬉しそうに頬を緩ませるレイドの目が妙に恥ずかしくなって悪態をつく。
 レイドは兄貴分である意味育て親でもあるから、心から喜んでいることが分かるその目が余計に恥ずかしい……というか、勘弁してほしい。

「予定変更だ! ハヤトたちを探しつつ、ユエルの仕事先も探すぞ! 就職だ!」
「え、で、でも」
「…そりゃ、会ったばかりで俺らを信用できねーだろうけどよ」

 彼女は昔の自分のそのままだ。
 先ほどの騒ぎを見れば分かる。 生きるために盗み、それを見つかって殴られたことも経験済みのようだ。


 そんなことを繰り返し続けていけば心は自然と荒んでしまう。


 傷つけられてばかりでは、傷つけることに躊躇いがなくなってしまう。


「――俺は、お前の力になりてえんだよ」
「何で…ユエル、何も持ってないの、に…―――ッ!!」

 そこで、少女の言葉が途切れた。
 ぎくりとしたように身体が強張って、何だよと見下ろしてくるガゼルの手を振り払うと、レイドからも、ガゼルからも警戒するように離れていった。 先ほどとは打って変わったその警戒ぶりに、ただただ驚いて彼女を見つめることしかできない。
 拒絶の言葉が、少女から放たれる。

「く、来るな!」
「ユエル?」
「ゆ、ユエルが石を持ってるって、知ってたな?! だから、助けて…」

 自分の言葉に傷ついたように、言葉を終えた少女の頬に涙がこぼれた。
 けれどそれでも獣のように体勢を低くして、いつでも応戦できるように牙を剥く。 彼女の種族特有の、柔らかな毛並を持つ尾は毛を逆立っている…それが彼女の警戒の強さを代弁していた。

「石って何だよ! しらねーぞ、俺は!」
「とぼけるな! だって、知り合いでもないのに、食べ物くれたり、助けるなんて、おかしいじゃないか!」

 ユエルのたくさんのポケットから、ひとつの石が取り出された。
 その瞬間に目に焼きついたのは眩いほどの新緑の宝石…いや、石だ。 それも通常のものとはまるで違う、ユエルの手いっぱいの大きさを持った巨大なサモナイト石。 首にかけられるように繋がれた金色の鎖も高価な物であると一目でわかる。

 ――見覚えのあるそれに、ガゼルが”ああっ”と大声をあげた。

「それってミニスのじゃねぇのか?!」
「…?!」
「あの大きさ…確かに、そうそうないだろうな…」

 ガゼルとレイドはミニスと面識があった。
 面識どころか、フィズとは大親友で、彼女と共に南スラムで過ごしていたこともあった。


 ――<金の派閥>の議長ファミィ・マーンの娘、ミニス・マーン。
 ミニスは“家出”と称して従兄であるマーン三兄弟を頼り、サイジェントを訪れたことがある。
 だが頼ってきた家出先も、ミニスの母親である女性からミニスを連れて帰るよう頼まれており、彼女をどうにか連れ戻そうとする三兄弟の手から逃げ出して、逃げまわっているその途中でハヤトとガゼルに出会ったのだ。

 ―――正確には、街で暴走している召喚獣を止めるために現れたハヤト達に、だったが。

 暴走していた召喚獣。 それは彼女の召喚獣・シルヴァーナ。
 ミニスはその当時、緑石に封じられたシルヴァーナを制御できなかったのだ。
 幻獣界でも高位の存在である飛竜<ワイバーン>。 それは幼い彼女が召喚するには難しいとされるまま母親から譲り受けた代物だ。
 だが扱うには難しくとも、それを呼ぶ魔力が少女には十分にあった。
 呼びかけに応えなくとも、ミニスが感情を高ぶらせ、泣いたり、気を失うと、彼女の魔力を媒体に彼女を守ろうとするシルヴァーナがサモナイト石から現れるのだ。

 ハヤトが駆けつけたときも、気を失ったミニスを守ろうとサイジェンドの一部を崩壊寸前まで追い詰めていたのだが…。


「ミニス…?」

 ユエルは2人に聞き返した。
 不安そうに緑のサモナイト石を握りしめると、石は、ユエルが告げた名前に反応するように温もりを伝えてくる――まるで、知っているとでも言いたげに――。


「おう、多分…それ俺達のダチのもんだ。 それ、どこで拾ったんだよ」

 拾った物だと見透かされて、戸惑いながらもユエルは答える。

「…ゼラム」
「間違いねえ、ミニスはゼラムに住んでるって言ってたしな」

 ミニスの名前が出てくるたびに、きらきらと眩く輝きを発するサモナイト石。
 その反応に彼女がこの石の召喚獣とうまくやっていることが感じ取れて、ほっと安堵するように苦笑しながらガゼルが石へと手を伸ばす。
 だが次の瞬間にユエルの顔が険しくなり、触らせまいとザッ!と後退して遠のいた。

「お、おい…ユエ」
「騙されないぞ!!」

 叫ぶユエルに、ガゼルとレイドは唖然とユエルを見つめる。

「騙されるもんか! そう言ってユエルからこの石を取り上げようとしてるんでしょ?!」
「はぁ?! ち、違うっての!」
「ウソツキ! ガゼルの嘘つき! ――人間はみんな、嘘つきだ!!」

 ユエルはサモナイト石を握り締めて、また一歩、後ろに下がる。


「ユエル! 待――」


「…が、ユエルにウソを言ったなんて思わない…けど」





 嘘吐きの人間には、優しい嘘もあるのだと





 誰かを想っての嘘もあるのだと、教えてくれたけれど








 でもやはり、自分に降りかかるのは悲しい嘘ばかりで―――。








「―――っ!」

 何かを堪えるように唇を噛み締めると、少女は猫のような身のこなしで走り去る。
 ガゼルとレイドは慌ててそれを追いかけるも、ユエルの細い足はあっという間に距離をつけ、小さな身体は人ごみにまぎれてあっという間に消えてしまった。


 瞬く間に消えてしまったそれにしばらく。
 人々が道を行く光景を呆然と眺めることしかできなかったガゼルは。


「ちくしょう…!」


 やるせない思いを抱え、悔しげに唇を噛んで地面の砂を蹴るしかなかった。












これで77話は終了です。
次は本編に戻りますー。ようやっと、進んだ…!ウオォーン…!(号泣
祭りまであとちょっと…!ハァハァ!お祭りハァハァ!(はてしなくきもちわるい)

過酷な環境の中で生き抜いたからこそ、ガゼルたちはとても力強いと思います。
貧しいために蜂起が起こるくらいの貧困差があったサイジェント。マーン三兄弟の召喚術がそれほどまでに影響力があったんだろうなあと思うと、召喚術って本当に特殊で権力の象徴でもあるんだなぁ。
あの兄弟だと、憎い憎い言ってますがやっぱりイムランが一番強いんでしょうね…笑。


お付き合い頂きありがとうございましたーvv


2007.4.28