それは、一つの都市が滅ぶ前の話である。







第77夜 -1-







 ―――白い鳥が真っ青な空を横切っていく。
 保護者であり良い兄貴分でもあるレイドに聞くと、あれはカモメという生き物なのだそうだ。 彼らが翼を広げる姿を目にするということは大陸が近い証拠でもあるらしい。
 そういえば…と、虚ろなままに目をこらすと、白い建物の壁が見え始めている。 目的の街への到着は近いようだ。

 ――だが、大陸に到着する前に自分は酔い死んでしまうかもしれないが。

「…う…」

 苦悶の声が、こぼれた。
 こぼれたそれはサイジェントからゼラムへの航路をたどる、1隻の船から。
 船はどこまでも青を広げる海原を横切り、マストの白い帆は果ての見えない空に臆することなく身体を広げ、風はその身体を攫いながら、海を突き抜けるように走る船を押し進めている。
 吹き抜けていく潮風に包まれながら進むその船に、少年の苦悶の声が、再び。

「――オエッ…」

 少年――ガゼルは、ぐったりとしたまま海に向かって、吐いた。
 出てくるものはすでに固形物ではなく、その顔色はすっかり死人の色をしている。 彼が今どれほど天に近い場所にいるか誰の目から見ても明らかだ。 この苦しみを苦に自ら命を絶ってしまいそうでもある。 いやもういっそ、絶ってしまいたいのが本音だ。

「うう…胸ん中、気持ち悪ぃ…」
「大丈夫か? ガゼル」

 心配気をふくむ声が投げられた。
 しかし応答することすらも出来ないガゼルに、彼は長い黒髪を風になびかせ、苦しむ有様に苦笑しながらガゼルの背中をさすった。 黒い鎧を身に着けて腰に大剣を携えている男とカゼルはとても似つかないが、それでも彼を見る目は、やんちゃな弟を見守る兄のようで優しい。
 そして背中をさする手も優しいものだったので。

「……ーーーーーーーーーーーーっっ!!!!」

 吐いた。
 それに男は哀れみを込めた視線を向けて、ガゼルの背中をさすり続けた。
 初の船旅は彼にとって最悪の印象をもたらしてしまっただろうとも思うし、帰りの航路を考えると、余計ガゼルが哀れに思えてしまう――唯一の救いは、今の彼は帰りの航路を考える余裕もないといったところか。 彼がサイジェントに戻る前まで思い出しませんようにと願わずにはいられない。

「もう少しの辛抱だガゼル、あそこにゼラムが見えているだろう?」
「レイド……今すぐ到着じゃねえとマジで死ぬ…」
「ジンガが飲み物を取りに行っている、頑張るんだ」

 “この気分悪さは頑張れるもんじゃねぇぜ…”とガゼルは再び船から海へと顔を出す。
 見ているこちらが思わず顔を覆ってしまいたくなるほど天国へ近づきつつある彼の状況を見守っていると、そこへ、賑やかな足音が彼ら二人の意識を引き寄せて――純粋なまでの赤髪が彼らの視界に色鮮やかに映りこんだ。

「おーい! 持ってきたぜー!」

 両手で何かを抱えたまま、彼は甲板をたんっ…と飛び降ると、小柄な身体が空を踊った。
 彼の赤い髪は青の世界とは不似合いだが、それすらも弾いてしまうような楽しげな色を浮かべる笑顔は青空にとても良く似合っていた。 青空の下に咲く向日葵のように、彼には青空が似合っていて。

「よっ」

 空に体を躍らせたあとでダンッ! と降り立つその音は、常に鍛えている彼の重みをそのまま伝え、少年が体を使って戦う者だと知らせていた――実際に彼は立派な拳士である――そんな彼にレイドは優しく微笑み「こっちだ」と手を振って呼び寄せた。

「ジンガ、すまないな」
「いいってことよ! …いやー、それにしても久しぶりの聖王都だなー!」

 レイドに水を手渡して、次第にはっきりと映り行く街の姿に目を輝かせた。
 どこまでも白い街並みと天高くそびえる王城の姿は数年前に離れたあとでも変わっておらず、故郷の匂いがとても懐かしい。
 知らずに優しい表情でゼラムを眺める横顔に、レイドの表情を和らいで。

「そういえば…ジンガは聖王都から来たと言っていたね」
「おう! 俺っちは生まれも育ちもゼラムさ。 上手くて安い飯屋とか知ってるから、昼飯ならまかせとけ〜」
「……俺達はハヤトたちが心配で来たんだろうが…そんなのんびり…うっぷ、してられるか」

 そう。
 自分達は友人であり家族とも呼べる少年少女に危機を伝えにきたのだ。
 観光しているなんてもっての他で、たとえ吐き気に死にそうになろうとも根性で持ち直して彼らを捜しにいかなければならない。
 しかし今はまだゼラムは遠く。
 ジンガに持ってきてもらった水筒を片手に青い顔をしたガゼルは、遠方のゼラムを見やる。


(――綺麗な街だな)


 ガゼルはゼラムの街を初めて目にした。
 サイジェントよりも美しく、サイジェントよりも眩しい街。 遠目から見たとしてもその治安がどれほど穏やかなものか一目でもわかるし、サイジェントのような異常なまでの貧困の格差もあまり見られない。
 きっと、サイジェントにはない店が多くあることだろう。
 身を飾る衣装や装飾の店も、今までに見たことのない食べ物の店がある。

 それが、羨ましいかと聞かれてしまえば羨ましい。

 しかし。

(何でだろうな、…今はそんな、特には思わねえ)

 ”無色の派閥”の事件以来、サイジェントも少しずつ変わり始めていた。
 決戦時に駆けつけたマーン家の召喚師たちは様々なところに目を向け始め、重税も和らぎ、イリアスが率いる騎士団やローカスが率いる義賊たちの活躍もあってか、日々、喘ぐまでに飢えるということはなくなり、次第に人々に活気が戻り始めていた。
 ――人に、笑顔が戻り始める。
 それを感じることが出来ただけで、命をかけて守りぬいた、住み慣れたあの酷い街のことが本当はとても愛おしかったのだと理解した。

(…って、何考えてんだか)

 街を離れて、早くもあの街が恋しいと思っているのだろうか。(ハヤト曰く、ほーむしっく、というものらしい)
 気恥ずかしさをごまかすように、手渡された水筒に口をつけて船酔いの吐き気と一緒に飲み下せば、その隣でゼラムを眺めていたジンガが”ん?”と小首を傾げ、レイドを見上げる。

「でもよ、アニキたちがどこにいるのか分かるのかよ」
「それなら大丈夫だ。 彼らにとってもゼラムはまだ見知らぬ街だ。 ゼラムにはギブソンとミモザがいるから、彼らを頼ったと考えたほうがいいだろう…無色の派閥の事件で何度か手紙をもらったことがあるから私も住所を覚えているよ」

 <少女>を探すためサイジェントを飛び立ったハヤトたち。
 手がかりを得るためにまずギブソンたちを頼っただろう。 その後彼らがこの街を出たとしても、次への手がかりはギブソンとミモザが知っているに違いない。 自分たちはハヤトたちの足跡を辿っていけばいい。(彼らは目立つのだから何かしら手がかりはあるはずだ…特に、バノッサの風貌と行動は嫌でも目立つだろう)

「ギブソンかー…へぇ、あいつらとも久しぶりだなぁ」

 ギブソンとミモザ。
 二人の召喚師の名前が出てガゼルも納得した。
 そして安堵した…何の考えもなくハヤトたちのところに行くといっていたから、レイドが一緒に来てくれて本当に良かった。 ありがとうレイド。


 それからしばらく後、角笛の音と船乗りの声が船中に到着を知らせた。
 錨がザバァン!っと海に放り投げられて、深い、エメラルドグリーンの海に白い泡と共に沈んでいく。 それまでくつろいでいた客は荷造りを始め、甲板からの光景に手を振ったり眺めたりする間に陸へ移る準備を待つ――ようやく、船は聖王都ゼラムの港に到着したのだ。

「ぃやったー! 俺っち一番乗り!」

 繋げられた板を伝って降りていく客たちよりも先に、ジンガは甲板から直接飛び降りた。
 誰よりも早く地面を踏めたことを喜ぶ少年に苦笑しながら、レイドは半ば精魂尽きかける少年の体をひきずるように階段を降りていく。

「大丈夫か?ガゼル」

 揺れない陸。
 それが足元にあるのだと理解したのか、ガゼルの体中の力が抜けた様にガクンっ!と崩れ落ちた。

「ガゼル?!」

 動かぬ地面に浮かぶものは安堵の表情のはずなのに、少年のそれは険しい。
 若さを表す肌にはびっしりと脂汗。
 しかしその目は。


「お、俺…帰りは絶対召喚獣じゃねぇと帰らねぇからな…!!」



 …本気だ…。



 殺意にも似たぎらついた目で見上げられ、レイドとジンガはやれやれと肩を竦めるしかなかった。













「あら! あなたたち、お久しぶりねー!」

 手紙につづられた住所を頼りに訪ねた先で出迎えたのは、陽気で明るい女の声だ。
 若き女召喚師ミモザ・ロランジェはレイドたちの姿に丸い眼鏡の奥の瞳はぱちくりと瞬いたものの、それがすぐに柔らかなものに変わると笑顔でジラール邸の奥へと招き入れようとする。
 しかし、それをやんわりと押しとどめたのはレイドだ。

「すまないミモザ。 私達はゆっくりとしている時間はないんだ」
「…何かあったの?」
「ハヤトたちがどこに言ったか知らないか?」

 ガゼルの口から出てきた誓約者の名に、ただならぬ事態が起こったと判断したようだ。
 ”ちょっと待ってて、ギブソンも呼んでくるわ”と身を翻すと、バタバタと家の奥へと姿を消した。 彼女の聡明なところはとてもありがたかった。 数分もしないうちにギブソンと共に玄関に戻ってくる。

「久しぶりだね…ただ、時間はあまりないみたいだが」

 レイドは全てを打ち明ける。
 リプレとカノンが襲われたこと。
 二人の召喚師の話。
 彼らを従える銀色の髪の吟遊詩人…その彼が、極秘ともされる誓約者と魔王の存在を知っていること。

「あの子たちは無事なの?!」
「幸いにも殺されずにはすんだ…だが」

 カノンの話を聞いて胸の奥がざわめくばかりだった。
 誓約者と魔王の存在を感じ取り、召喚獣を手足のように操る濃密な魔力を持つ召喚師。
 そして何より――人間とは思えぬらしき気配を持つという、銀色の髪の吟遊詩人――。


「何事もなければいい。 …だがどうにも、巻き込まれているような気がしてならないんだ」


 レイドの直感の呟きに、ギブソンとミモザが微妙な表情を浮かべた。
 特にミモザは”あらやだ、もしかして本当にちゃんだったのかしら…”と珍しく表情を強張らせている。

 聞き慣れぬ名に、ジンガが首を傾げた。

?」
「いやね、ハヤトたちが不思議な女の子捜してるーって言ってたから、もしかしてと思って私達の仲間の女の子がいる場所を教えてあげたんだけど〜」

 その子がまたなかなか訳ありで…。
 っていうか軍隊に追われてて…しかもそれが旧王国最大の軍事都市の軍隊だったりして―――次々と出てくる言葉に、レイドはぽかんとしたままミモザを見つめてしまった。(隣でジンガとガゼルが不思議そうな顔をしたのは、彼らが旧王国や軍隊の規模をあまりよく知らないからだ)

「つまり、一つの”国”という存在に追われているのかもしれないということだ」

 呆然としたレイドに向かって、ギブソンがとどめを刺した。
 規模の大きさにますます顔色を悪くしてしまったレイドに慌て”いや、私も詳しくは知らないが…”とフォローをいれる彼自身は、ミモザとハヤトたちの会話に加わっていなかった。
 ――そのときの彼は、心が傷ついていた。
 数日前から発売を心待ちにしていたオレンジシフォンケーキをナツミにほとんど平らげられてしまったショックで寝込み、その会話には混ざっていなかったのだ。(ちょっと情けないことなので、あえて黙っておくが)


 だが何の連絡もなく行方知れずになっているのでは、確実に巻き込まれていると思ってもいい。


「女の子がファナンにいるって教えたから、彼らもファナンに向かうと言っていたわ。 結構経ってるけど、まだ間に合うかも」
「ファナン…ああ、あの港かぁ。 でもゼラムと離れてるから時間もかかるなぁ」
「そんなに遠いのかよ?」

 ”寝ずに全速力で走り続けて一日はかかる。”
 あっさりと告げるジンガのそれに、だいたいの距離を知るとさすがのガゼルも唸った。
 今から街道を通って行ったとしても約二日。 道中で盗賊やはぐれ召喚獣の妨害があると考えるならば三日は要するだろう…その三日の間に、ハヤトたちが召喚獣で移動してしまう可能性は充分にある。 こちらは足で移動するのに比べて向こうは空だ。 妨害されることのほうが少ないので自由は充分に利く。

「まいったな…」

「私達が召喚獣で送り届けてあげたいけど、飛行型の強力な術は長続きしないのよね」
「大型召喚獣で自由に空を飛べるのは彼らが誓約者で、強化され徹底的な教育を受けたセルボルト家の血筋であるからこそ出来ることだろう――私たちなど、本当は彼らの前には足元も及ばないのさ」

 心を通わせ、エルゴの力を身に秘めた誓約者はともかく。
 本来ならば、キールたちとギブソンたちの実力の違いはそれほど大差はない。


 …だが、生きてきた環境はまるで違っているのだ。
 さまざまな方法で強化され、教育され、身も心も時間も全てを術に捧げて育てられてきた彼らは、その結果に強力な魔力の器として成長をした。 今はまだ若くあるおかげで大差はないが、後に数年もすれば今よりさらに術を得た召喚師になることは間違いない――それでこそ、一派を率いるに足る実力をも持つようになるかもしれない。

 彼らはまさに、無色の派閥とオルドレイクが生み出した<有能過ぎる召喚師>だった。
 世界を滅ぼす知識と魔力が詰め込まれた存在だった。
 人の身で魔王にもなれる、可能性を持つ存在だった。




 しかし。



 その魔力と知識を持つ彼らは、南スラムで生きる仲間を守るために世界を救った。




(世界を滅ぼす力と知識があっても、所詮は使う人間次第…)


 貧困と飢えに負けず、死が近い存在であったあの街で懸命に生きる人間が彼らを変えた。


 あたたかい人たちが彼らを変えた。
 血の繋がり以外の赤の他人が、堅く閉ざされて壊れそうだった彼らの心を守ったのだ。
 ――笑い、喧嘩し、感情を共有できる友が、彼らを絶望から生かしたのだ。



 その事に気づいたギブソンは、”<蒼の派閥>で監視するべきだ”と叫ぶ者たちから彼らを遠ざけた。



 彼らを、あの派閥の中で生かすことは出来ないと思った。
 彼らは、あのあたたかい人たちのところで生かすべきだと思った。
 だから、多くの人々に協力を仰いだ。

 師であるグラムス・バーネット。 ラウル・バスク。
 総帥であるエクス・プリマス・ドラウニー。
 他にも大勢の人々を頼り、願った。




 ゼルボルト家の兄妹を、派閥とは関係のない世界で生かしてくれと。




 そして、それが正しかったのだと。




 事件が終った後でも、ハヤトたちの傍で笑っていた彼らを見て、思ったのだ―――。




「…ギブソン?」

 レイドの声に現実に引き戻されて、ギブソンはゆるく頭を振った。
 ――セルボルト家の才能に目をつける輩はいまだに存在する。 まだ気を抜くべきではない。

(…守ろう、彼らを)

 彼らを疑って連行しようとしていた過去の罪悪感に、決意を改める。
 ソルたちだけではない。 もちろんハヤトたちも。


 彼らを、才能と強い魔力を嫉む人間の好きにはさせない。




 何故なら…。




「――召喚獣でファナンまで送り届けることは出来ない。
 だが、馬車を手配することは出来る。 護衛に召喚獣も何匹かはつけられる」

 ギブソンの言葉に、ミモザは思いついたようにぱっと表情を明るくさせた。
 そして悪戯を思いついた猫のように目を細め、そうねぇと思考をめぐらせる。

「それに、あなた達の言ってた召喚師と吟遊詩人の話も私達とは無関係かじゃないかもしれないし、手配が完了するまで話をもっと聞かせてくれない? そのかわり<蒼の派閥>はあなた達に全面的に協力するわ」

 <蒼の派閥>の召喚師の申し出にレイドは目を丸くした。
 ガゼルは幼さの残る顔に渋面を浮かべ、口を尖らせながらぶっきらぼうに言い放つ。

「でもよぉ、そんな簡単に手配できるもんでもねえし、関係なかったらお前らに悪いだろ」

 馬車は高価な代物だ。
 馬だけでも充分に金になるのに、そのうえ車と護衛用の召喚獣も手配するのだ。
 一介の召喚師といえど、無関係かもしれない情報と交換にそれらを手配をするには手間も費用もかかりすぎる。

 しかし。


「それこそ関係ないさ」


 ギブソンは穏やかな微笑を見せて、わずかに目を伏せる。 金色の睫毛で瞳に影が落とされた。





「友人を助けることに、自分への利益が必要かい?」







 彼らを、才能に嫉む人間の好きにはさせない。







 何故なら彼らは、自分たちの<友人>なのだから―――。












NEXT


第77話-1-をお届けいたします。
うわあああああ数ヶ月ぶりの更 新! バカ!(取り合えず罵る)
でも当分はこちらもメインに。っていうかこの連載がメインなんだようちは…。
横道にそれ過ぎだぜ。そして話が進まないぜ。

セルボルト家愛です。
おかげで脳内妄想設定が落ち着きませんよ!


*補足…がないと混乱しまくる文章ですみません*
物書きとしてはありえないな…いや私は物書きなんだろうか…(うわ)

時間軸に色々と混乱があると思いますが、77話はトライドラが滅ぶ前のお話。

77話-2-はガゼルたちがファナンに向かいます。
ファナンに到着した頃にはハヤトたちはとっくにサイジェントに帰ってしまっていて、今度はゼラムにUターンしている途中。(71話-5-参照)
ヒロインたちはトライドラへ向かってます。見事なすれ違いです。
…いいのドリームだから。(オオィ…!

皆一斉に集まれ!しかしキャラが多すぎて私が余計混乱します…(だめじゃんよ)
ファナンの祭りで1キャラ2キャラを愛でようという無謀計画が見えますよ…!笑


2007.3.19