全てが終わった


 そう思えるほど、自分が見届けたものは決して小さくはなく。
 零れ落ちたもの――零して失くしてしまったものもまた、決して些細なものでもなく。


 それらは全て。
 死ぬまで引きずるほど、深い、癒えない傷になる。
 還らぬものに思いを馳せて、何度も涙を流すことになる。





 けれど、大切なものは確かに、この手と心に引き継いだのだ








第76夜








 肌寒い空気が頬を撫でる。

 ざくざく。
 ざくざく。

 そんな単調な音ばかりが耳に届く。
 疲労と眠気にふらりと霞む視界を拭うことで正常を取り戻して、あたしはまた地面の砂に爪をたてた。
 湿った匂いが鼻について、額に浮かぶ汗がじっとりとして気持ちが悪い。

「…、はぁ」

 一息を吐く。
 濃厚な血の匂いを嗅ぎながらの作業は相当辛くて、しんどい。
 正体不明の眠気も相変わらずあたしの意識を覆わんばかりに迫ってきていて、気を抜くとその場で爆睡してしまいそうだ。
 けれど誰よりもぼろぼろで、誰よりも必死で眠り場を作る白い騎士の顔を見ると込み上げるものはやる気だ。 誰よりも真剣に土を掻き出すその姿は、あたしを奮い立たせてくれる。

(よっしゃ、掘るか)

 気を引き締めて、手を動かす。
 レオルドやゼルフィルド、ルヴァイドも交えてあたし達が作っているものは<眠り場>。
 簡単に言うと、倒れて動かなくなったリゴールの魂を慰めるためのお墓だ。

(…召喚獣って、死ぬと遺体はこの世界に残るもんなのね)

 荒く息を吐きながら、ふと、そんなことを思った。

 リゴールは鬼の魂を憑依されている。
 彼の身体には今も鬼の魂があって、リゴールと共にさめることのない眠りに落ちているのだろう。 人の身体に戻ることのない鬼の骸がその証明といってもいい。

(…死んでも世界に還られないんだ…)

 それが良いことなのか悪いことなのか。
 あたしには判断がつかない。
 たぶん、召喚獣によって反応はさまざまなんだろうけど、そうなると、あたしもそれに当てはまるのではないだろうか?

(…うーん、当てはまるんだろうなぁ)

 そうなるとあっちの世界であたしは永遠に行方不明者。
 っていうかもう行方不明者扱いじゃない? こっちの世界にきてからもう何ヶ月も経ってるし。
 ごめんねお父さんお母さん。 不肖の娘は一緒のお墓に入れそうにないです。

(まぁ、今そんなこと考えても、還る気持ちはこれっぽっちもないんだけどさ)

 あれだけ帰りたがってたのに、その気持ちと情熱は、今ではすっかり萎えていた。
 たぶん、色んなことに触れすぎたせいということが一番の理由だと思う。 …っていうか、ここまで来たんだから最後まで見届けたいのが本音なんだけどね。
 …ここで送還されたら本気で怒り狂うわ…!

「ふぅ…」
「――、少し休め」

 一息を吐いたところで、ルヴァイドが声をかけてきた。
 シャムロックを見ると、彼はあたしに小さく頷いて。

「向こうに井戸がある。 水道のほうもまだ使えるかもしれないから、休憩をしておいで」
「うーん…でもなぁ…」

 シャムロックを置いていくのはちょっと嫌だな…。
 そんなあたしの躊躇を不安と思われてしまったのか、シャムロックはぎこちなく、ルヴァイドに視線をやり。


「――ルヴァイド、彼女についてやってくれないか」


 思わず、シャムロックの言葉に驚いてしまった。
 目を丸くしてシャムロックを見つめてしまうあたしに、彼は、ぎこちない苦笑を浮かべてからまた手を動かし始めた―――今のうちに二人で話をしてきなさいと、言われているみたいだ…。

「ん、ルヴァイド。 行こう」

 せっかくシャムロック自らがくれた機会だ。
 あたしもまだちゃんと謝れていないし、お礼だって言えていない。 逃げ回ってずっと走ってばっかりで喉も渇いてからからだから、水場で喉を潤すには大賛成だ。

「あ、ゼルフィルドとレオルドはここで待っててね」

 いつもの姿に戻った機械兵士たちにそう告げて、あたしはルヴァイドを連れて井戸に向かった。
 釘を刺された二人(二体?)は何かを言いたそうに無言だったけど、ギャラリーがいると恥ずかしくて素直にお礼とか言いにくいから、ここはご遠慮してもらおう。 二人でシャムロックを手伝ってあげてちょーだい。


 ルヴァイドと一緒に、シャムロックが教えてくれた井戸に向かう。
 どこにでもある井戸のフタをあけて覗き込むと、奥底に冷ややかな水を湛えている水面が見えて、あたしは桶をその中に放り投げた。
 しばらくしてから、ぼちゃんと水音がたつ。

 その音を聞き届けてから、ルヴァイドに振り返って。

「助けにきてくれて、ありがとう」
「…いや」
「無線が急に途切れたから、心配できてくれたんだよね」

 ルヴァイドは少し戸惑うような表情を浮かべてから、笑うあたしにほっと安堵の色を浮かべ、頷いた。

 ――たったあれだけでこんなところまで来てくれるなんて本当に嬉しいもので、正直、感激だ。
 どれだけいい人なんだろうこの人は。 ただでさえいい男なのに、いい人というオプションまでついたらどれだけモテモテになるかわからない。 ルヴァイド…恐ろしい人…!(白目カッ!)

「それから、ごめんね……色々、危険な目にもあわせちゃって」
「危険には慣れている」

 ルヴァイドは井戸に沈んだ桶を縄で引き上げながら、答えた。
 彼の声が井戸の中に響いて不思議な反響を響かせると、その言葉には色々な意味が混ざっているだと気がついた――思わず、顔が歪む。

「でももう、こんなことしないでよ。 今回はあたしも助かったから強く言えないけど、デグレアのお偉いさんに怒られちゃうじゃない」
「いや、それはないだろう…最近は元老院議会からの報告が絶たたれているからな」

 …ん?
 絶たれている?

(それって、連絡が全然とれないってことだよね)

 不思議そうに見返すあたしに引き上げた桶を差し出しながら、ルヴァイドは頷いた。

「こちらから何度も連絡を要請しても無反応でな――確認しようにも今は侵攻中だ。 命令なきままに本国に戻ることは俺には許されない」

 …それは、ルヴァイドが絶対に戻ってこないという確信を持ったレイムの策略なのだろうか。

 恐ろしいほどの美貌を持った銀色の髪の吟遊詩人のことを考えて、思わずしかめっ面になるあたしに、ルヴァイドは口元に笑みを浮かべながら水を救って飲み干した………水を飲むだけで色気があるって本当、どうなんだろう……。(ありえないィィィ!)

「今回の、キュラーの侵略が関係しているかもしれん。 繋がるまで連絡を要請してみよう」
「…うん」
「何か分かったらゼルフィルドとレオルドのムセンキで連絡をする…これから移動が続くせいでたまにしか連絡が取れなくなるが」
「うん。 誰かにバレちゃったら大変だから、しょっちゅう連絡をしないほうがいいよ」

 移動が多い――それは、聖王国に攻め入るということの表れだろう。
 これからの激戦を考えるとどうしても気分が沈んでしまって、思わず顔を俯かせる。


「…

「…生きてね。 何がなんでも、イオスとゼルフィルドと、三人で」


 リゴールの最期の光景が、瞼に焼き付いて離れない。
 声に震えが混じるのは、鉄錆びた血の匂いがまだ鼻に残っているから。



 ああ、どうにかしてでも彼らを最後まで守ってあげたい。




「―――、俺は死なぬ」

 瞼を伏せるあたしの不安を感じ取ったのか、ルヴァイドの腕があたしを抱きしめた。
 じわりと伝わるぬくもりとルヴァイドの身体のたくましさに、男の人に抱きしめられているという恥ずかしさよりも安堵が込み上げてくるのがわかる……ルヴァイドって、大人の余裕なのか大人の色気(いや色気は関係ないかもしれない)なのか何かオーラみたいなのが出てるのよね。
 ものすごく守られているって気分になってほっとするわー。

 ぼんやりとそんなことを思っていると、ルヴァイドの低い声が鼓膜を優しく撫でていく。


「…俺は、死なぬ。 あのときお前にそう誓った」


 ――あのときとは、一番最初にルヴァイドとすごしたあの天幕の中でのことだろう。

 安堵と眠気に意識をぐらぐらと揺さぶられながら、あたしは小さく頷いた。
 …今この姿を誰かが見たら、想い合っている恋人の抱擁にも思われるんじゃないかって恥ずかしさは、頭からすっぽり抜け落ちている。
 ただ今は、このぬくもりが心地いい。

「だから、お前も死ぬな」
「あたしは大丈夫だよ…」

 ルヴァイドのぬくもりが心地よい。
 力なく呟くあたしに不安でも感じたのだろうか。 ルヴァイドがより力を込めて抱きしめてくる――ああでも、その痛みは眠気に包まれたあたしの頭には届かない。
 全然届かないほど眠くなるなんて、やっぱり身体のどこかがおかしいのだろうなぁと思う。


(でも、おかしくてもいいかも…)



 もしこの異常が彼らを守ってくれる力になるなら、受け入れることを考えてもいいかもしれない



「―――ルヴァイド…」

「何だ」



 聞き返してくる声はどこまでも優しくて。
 あたしの意識はますます遠のき、深い眠りに落ちていく。




「…もうちょっと、頑張ってね…」




 そうすれば。


 そうすればあなたは、何も背負うことなく歩いていけるようになるから。











 そうしてあたしの意識は全て、深い眠りに遮断された。



















「―――本当に、何も言わずに行くのか」


 リゴールの埋葬を終えて、この国から出て行こうとしたそのとき。
 背に投げられた言葉にルヴァイドは足を止めた。
 ルヴァイドの横に寄り添う、主の元に戻った黒馬がそれを不思議そうに見返して、自分の背に乗らないのかと目で問うそれを撫でることで返すと、ルヴァイドはシャムロックに振り返った。

 真摯が気質がにじみ出る鳶色の瞳と視線を絡ませてから二秒後―――。
 ルヴァイドは短い返事を彼に投げる。

「ああ」
「…、いいのか」

 全てを失って。
 全てを終わらせて。
 全てを受け入れた白の騎士が、低く、押し殺したような声で、問いかけの言葉を紡ぐ。

 押し殺された感情。
 それは虚無と憎しみが静かに溶けた諦めにも似た感情で、感情を抑えたまま呟く言葉からより鮮明にシャムロックの感情が伝わると、思わず苦笑が浮かびかけた―― だが、ルヴァイドはそれを静かに押し殺し、彼の言葉を聞き届けるため、沈黙をもって言葉の終わりを待った。

 …ルヴァイドには、彼にかける言葉はたった一つを除いて、最初からもっていないのだから。
 だからシャムロックに何も答えることが出来ない。


「お前は、」

に、別れも何も告げずに去るのか」


 言葉に、ルヴァイドはゆるりと視線を外した。
 その視線の先には、レオルドのコートに顔を埋めて眠っている少女がいる。
 休憩の途中で崩れ落ちるように眠りについてしまった――ルヴァイドは彼女を起こすことなく、シャムロックたちの元へ戻ったのだった。
 の寝顔を見ているたびに、ルヴァイドの胸にほっとした安堵が生まれるのがわかる。


 ふと、見上げた世界は夜明けを手に入れて、完全な朝へと変わろうとしていた。


(…もう、朝がくるのか)

 肌を刺す、冷たい空気の中には掘り返したばかりの湿った土の匂いが立ち込めていた。
 匂いにつられるようにルヴァイドは、掘り返された跡を残す、<墓>とも呼べる土の山を見下ろして思い出す。
 土に沈んだ鬼の(むくろ)――その、顔。
 それはどこをとっても人間ではないというのに、 目を伏せたまま土に隠れていくその顔は、安らかな眠りにつく<人>の顔に見えた。

 彼は、キュラーの手により、鬼を憑依させられた都市の領主。
 彼は強者としてでも名高く、その武勇伝は敵国デグレアも耳にしていたが、そこまで称えられた人間がこうも簡単に弄ばれてしまう事実に―――全てを嘲笑う召喚師の存在に、ルヴァイドは不気味さを感じた。
 レイム。 キュラー。 ガレアノ。 ビーニャ。
 デグレアの中心にいると言っても過言ではない四人の召喚師。
 国の悲願を達成する行動に乗せ、しかし全く異なる思考を持って動くそれらに、ルヴァイドは本格的な疑問を抱き始めていた――――…本当なら、レディウスが処刑されたあのときから疑うべきだったのかもしれないが。


(――確かめなければ)


 何を確かめるというのか。
 それを具体的に考えると、肌がざわりと粟立った。
 言い知れぬ恐怖。
 何か、とても、信じられないことを言われてしまいそうで――恐ろしいと、思う。
 だが元老院議会から何の反応もない以上、こちらからどうにかしなくてはいけない事態でもあるのだから、そうも言っていられない。


「ルヴァイド」


 意識が、思考から現実へと引き戻される。
 けれどあえて答えることを拒み、ルヴァイドは首を横に振った。


 に言いたい言葉なら、数え切れないほどたくさんある。

 だがそれのどれもこれもが彼女への気持ちばかりなのだから、これからのの旅路のことを考えるととても言う気にはなれなかった。
 ――彼女の負担になるばかりなのが、心苦しくて仕方がなくて。



「――、何故だ」


 シャムロックはなおも言葉を続けた。
 理解できないという目でルヴァイドと機械のゼルフィルドを見て、肩で息をしながら、高ぶりそうな感情を必死で抑えて、言い募る。


「そこまで大切なのに、どうして彼女を襲うんだ」


 必死に、感情を抑える騎士の言葉。

 それは、ルヴァイドの心を大きく揺さぶった。
 それは、ルヴァイドが自分に何度も向けた言葉だったからだ―――何度その言葉を向けて投げたかわからぬほど、その矛盾は確かにルヴァイドを締め付けていた。

「大切なのに、どうしてお前が、彼女が襲われることを許すんだ…!」

 シャムロックには理解が出来なかった。
 そこまで大切なのなら、何故この男自らが指揮をとって彼女を追うのか、まるで分からない。
 黙ってしまったルヴァイドの横顔を見据えながらその思いは募る一方で、黒騎士の、何者にも覆されぬ意志を浮かべるその横顔を睨みやった。
 兜はなく、素顔は冬の風と暁に晒されたままで、長く艶のある赤い髪は風に遊ばれて揺れている。


 ―――彼は敵であり仇でもあるデグレアの将。

 しかし、その唇が紡ぐ言葉は。



「……お前が何も言わなければ、彼女はお前とレオルドに守られたことになる」



 敵であり仇でもあるデグレアの将。
 しかし、シャムロックを見据えたまま出てくるものは、彼女を想う言葉ばかりで。



「俺達がここにいたことは誰にも知られぬまま、彼女は戻れる」



 唇は想う言葉を。
 見据える瞳は”何も告げるな”と脅迫している。
 お前が何も言わなければ、仲間達と何の(いさか)いもなく戻れるのだぞと告げている。

(そこまで、彼女を想っているというのに)

 この男は、守るだけ守って、消えようとしている。
 彼女と別れの言葉を交わさぬまま、何もなかったかのように彼女と別れようとしている――― それは彼なりの、複雑な位置に立つへの配慮なのだろうが、それによって彼女がより深くルヴァイドを想うようになるのだということをこの男は知っているのだろうか。

 そこまで考えて、込み上げてくる苦い感情にシャムロックは唇を噛んだ。

 自分との間にはない、確かな絆。 
 それを羨んでいるのかと思い知らされるほどの苦味―――噛み締めて、口内に広がる血の味を飲み下し、満身創痍の自分の身体を悔しく思いながら、シャムロックには頷しかなかった。
 引き止めようにも敵でもある男を引き止めるほどの強い思いは今のシャムロックにはなく、またルヴァイドも引き止められてもそれを無視して去っていくのが目にみえている。


 結局、彼は最後の最後まで、彼女を想う言葉ばかりを告げるだけで。


を、頼む」


 …ああ、そんなことを言われてしまったら。
 そんな、愛しさがにじみ出るような声でそんなことを言われてしまったら、この男が哀れに思えてしまう。
 色恋に疎いシャムロックにも十分にわかってしまった。
 彼も彼女を守りたいと心から想っているだろうに、立場ゆえに許されない男の願い。



 この男は、砦の兵士たちを焼き払った憎むべきデグレアの武将だというのに―――。



「わ、かった…」
「…、すまんな」

 やはり頷くことしか出来ないシャムロックのそれを見届けると、ルヴァイドはほっとしたように肩の力を抜いて、一つ詫びると背を向けた。
 埋葬を終えたゼルフィルドもその後に続き、シャムロックの視界の中で、黒馬を従えた彼らの背中は朝霧が漂う森の中に消えようとする。


「―――ルヴァイド!」


 そうして彼らは、いつもの日常へと戻ろうとする。
 聖女を追い続け、聖王国を侵略する―――シャムロックから多くのものを奪っていった彼らは、シャムロックにとって許すことができない存在になっていた。
 それはそうだ。 砦の陥落からまだ陽が浅く、憎しみも悲しみも未だ鮮明に残っているはずなのだから――― それを押さえ込むようにシャムロックは今一度唇を噛み締めて、冬の空気を肺いっぱいに吸い込んで悲鳴を上げる身体を無視し、消えようとする背に叫んだ。



「―――は、お前たちを大切に想っている!」



 シャムロックは知っている。
 あの夜に、彼女の想いを知った。
 シャムロックが振り上げる拳に怯えながら、けれどそれでも抵抗もなく、受け入れようとした彼女の気持ちは、ただ一つだけを濃厚に現して。

 許せなくとも、違う見方で彼らを知ろうとする努力をするのだと言えば。
 それを聞いた彼女が泣きそうな顔で笑った――それだけで、本当にそうしようと思った。



「想っているんだ、ルヴァイド! だから―――彼女を、裏切るなっ!」



 ルヴァイドもを想っている。
 それがどんな感情であれ、シャムロックには十分に理解できていた。


 だが、を守るため鬼の殺意に身を晒したその姿に思う。







 この男は、いつか死ぬ。








「死んで裏切るなルヴァイド! でなければ私は、一生お前を許せない―――!」






 血を吐くように叫ぶ声に応えはなく。
 黒騎士とその部下の背は、白い朝霧の向こうに消えていった。
















 手を広げるように、緩やかに訪れる夜明けが世界に染み渡っていく。


 それはいつもと同じ、変わらぬ夜明け。
 赤から白へ。
 そしてやがては白から青へ。
 世界のうつろいはどこまでも優しく、無慈悲なまでに冷たい―― そんな眩しさに照らされて、そこでようやくフォルテは土を掘り返していた手を止めた。

 顔を上げて、明るい光に目を細める。


「やっと、夜明けかよ…」


 徐々に白く染まる世界。
 山々の間から溢れる光を見つめ、疲れきった音を乗せた呟きを虚空に落とす。
 いつもの陽気さが失われた瞳は、どこまでも広がってゆく光に揺らいだ。
 熱い目尻。 歪む視界――ぼやける視界を正そうと袖で目元を荒っぽく拭い、土と血に汚れた自分の手を見る。
 土に混じる血色。
 それは自分たちが切り捨てた<鬼>を地面に埋めた証だ。 その手で土をすくいあげ、ぽかりと空いた穴に戻す。 暗い奥底で動かない影は抵抗もなく黙って土に埋もれていくと、それはやがて小山になった。

 城内の広い庭を見渡すと、ところどころに似たような小山がある。
 それは<鬼>たちの埋葬跡。
 小山ごとに枯れかけた花が一輪ずつ、ぽつりと残されて並んでいるのは埋葬を手伝ってくれた仲間達からのものだった。 枯れてしまっているそれしか見つからなかったことにトリスとアメルは申し訳なさそうにフォルテを見たが、フォルテにとっては彼女たちの優しさが十分に温かかく、ありがたいと思った―――だが、シャムロックのためだったとはいえ優しい彼女たちを一度裏切ったのかと思うと、逆に辛くもあったが。

 マグナたちは、無人となった城の中で休んでいる。
 だがそれもあと一時間もすれば彼らはまた立ち上がって、先に進んでいくのだろう。

 誰もいない国を背に、自分も、彼らも、ファナンの港に戻っていく。


「…、はは」


 枯れた花を添えて並ぶそれに、ひどく渇いた笑いが喉奥からこぼれた。
 よろめくようにどかりとその場に座り込み、フォルテはただ、肩を揺らして笑い続ける。
 ――やがて泣き声に近いものが混じるのは、この国の、彼らとの思い出があまりにも多すぎたからか。


 瞼の裏に浮かぶ笑顔は、なんと愛おしいことだろう。


(ちくしょう)


 何も気づかなかった。
 何も疑わなかった。
 何度も見た、愛しい街の偽りに。
 何でだよ。 とこぼれる言葉は今更で。


(ちくしょう)


 今更だった。
 フォルテも幼少期の半分はこの国で過ごしていたのだ。
 聖王である父親と縁を切って飛び出して、まず一番に向かった先もトライドラだ。 この都市に友人は多かった。 ほとんどがフォルテの身分を知らなかったりもするが、何年も姿を見せず唐突に現れたフォルテを変わらぬままに受け入れて、多くの手助けをしてくれたのは彼ら。
 トライドラという国がなければ、今の自分はないだろう。


 トライドラという都市がなければ、今の仲間達とも出会えなかった。



 ―――ああ、けれど。




 それは、もう。




「…、チクショォ…」



 砂色の外套が、冬の風に煽られてぶわりと舞い上がる。
 澄み切った風はフォルテの身体を優しく撫でて通り過ぎ、並ぶ土山だけが項垂れる彼を無言で見つめ、吹く冬風はこぼれる嗚咽を世界に散らして掻き消していった。

 浮かぶ想いは、後悔。
 響く言葉は、謝罪。
 何故この都市が。


 肌寒い空気。
 それは熱こもる身体を冷まし、現実をより鋭く突きつける。


(…ちくしょう、もう、なりふり構っていられるか)


 この国には妹がいる。
 気に食わないが父親もいる。
 そして大切な仲間も、知人も友人もいる。

 絶対に、壊すわけにはいかない。
 奪われるわけにはいかない。 それだけは、許せない。
 たとえ自分が王子でなくとも、この国に住む一人の人間として決して許しはしない。



(構っていられるか――この国だけは、絶対壊させねえ)



 誰かが傍にいることを拒み、一人で墓を作り、一人で国を想って泣いて。
 酷い結末だと思う。
 旅に出た頃は、こんなことになるなんて考えてもいなかった。

 体内に満ちる酸素に落ち着きを取り戻し、それを深く呼吸をすることで全身に巡らせてからそこでようやく、フォルテはふらりと立ち上がった。



 ――全てが終わった――。



 そう思えるほど、自分が見届けたものは決して小さくなかった。
 だが、見届けたのは一人ではない。
  響いていた咆哮がぶつりと途切れてしまっていることから、この国の最後の柱は折れたのだろう――リゴールは死んだのだろう――。

(…シャムロック、辛い思いばっかさせちまったなぁ)

 そこまで考えてようやく、リゴールにさらわれたの姿が思い浮かぶ。
 彼女も、リゴールが死ぬ瞬間を見届けた一人であるのだろうか……ああ、それなら、泣いているのかもしれない。
 だとすればシャムロックには彼女を慰める余裕がないだろうし、レオルドと名乗っていたあの男の<慰め>というものは想像出来ない。 それこそ黙って立っていることくらいしか浮かばない。

 彼らの様子を思い浮かべると、弱弱しくも、どうにか笑えた。


「…俺が、いかねぇとな」


 小さな土の山に背を向けてフォルテは力なく歩きだした。
 の泣き顔を思うと、ひどく気が滅入る――ああそれは、彼女の笑顔が好ましいと思っているからか。 それを思っているのはフォルテだけではないだろうから、彼女が悲しくとも彼女には笑っていてほしい。 きっと、他の仲間も元気になれる。

「…おっと、そうだ」

 思い出したように一度だけ振り返り、自らの鞘に納まる剣を引き抜いて掲げた。
 王位を捨てて手に入れた剣。
 それは自由という名の、フォルテの剣。


「…俺は、王子じゃなくなっちまったけどよ」


 引き抜いた鋼は、美しい光に照らされて輝く。
 それをぼんやりと眺め、砂色の外套が背中で風に踊るのを感じながら、フォルテは笑った―――酷く強張ったものになったが、それでも笑うしかないと思った。



「あんたらの犠牲も、生きたいって気持ちも、守ろうって気持ちも、確か引き継いだ。
 フォルディエンド・エル・アフィニティスとしても、一人の人間としても、その最期を尊く思う」




 哀れな都市。

 けれど愛しい国。




「―――俺も、あんたたちがいたこの国を、守るよ」






 だからどうか、安らかに。




 そんな祈りを押し付けながら、白く染まる世界の中で彼はまた笑った。











 やがて、白い朝の世界の中で、彼らは再び歩き出す。


















 そしてここにもう一つ。
 ゆるりと細い、小さな紡ぎが生まれてくる。





 ―――青年は、天を仰ぐ。

 見上げた天に広がるそれは、色鮮やかなグラデーションの衣をまとっている。
 刻々と時間が経つにつれて夜闇を眩しい白に染め、なおも空を青に塗り替えようとしているのか。 黒馬に(またが)った赤い瞳が見上げる色彩をより薄いものへと変えていく。

 だが白く染まるものは空だけにあらず。
 彼の、赤い瞳が見つめる全てが、地平線から顔を出した一つの光源に染められていた。 それは何度見ても、壮大で美しく、見つめる全てが白に染まる瞬間で、空も木も、大地も余すところなく、世界は静寂を持って変わらぬ朝を迎える――それは、目前に広がる都市もまた同じ。


 眩い中で、彼は初めてその広い都市を目にした。


「―――…ここが、トライドラ…」


 吹き抜けるのは冬の風。
 見下ろす先は夜明けを迎え、白く染まる一つの広い国だった。
 昇りつつある太陽の、全てを染める白い光に小柄な青年の金色の髪も淡く溶けて、無言を保つ唇からこぼれる吐息は白く風に流れると、手に持つ槍を硬く握り締めた―――男性にしては華奢な体格である彼に不似合いなはずの長い槍は、彼が持つ空気に良く馴染み、出でた暁は刃先に残酷なまでに美しい光を宿らせている。

「…ルヴァイド様」

 呟いた名もまた、金の髪とともに冬の風にさらわれる。
 赤い瞳を覆い隠す金をはらうように首を振り、青年――イオスは、顔をあげた。 美しく整ったその面は太陽の光に照らされて中性的な美しさを浮き彫りにするも、瞳の赤は決意の色で満ちていた。

(広い都市だな。 …だがこんなところに彼らはいるのか…?)

 聖王国の楯であり剣でもある、トライドラ。
 イオスがここにいる理由は、先ほど呟いた名の男がこの地にいることに他ならない。
 しかしルヴァイドだけでなくゼルフィルドがまでもがこの地に向かうと告げたのだから、彼らがここにいることは確かだろう。


 ―――事の始まりはルヴァイドの一言だった。
 それは、騎士も兵士も一般人も関係なく死んでいったあの戦の後のことだ。
 ビーニャが本国に戻り安堵したのもつかの間、ルヴァイドはゼルフィルドと共に崩壊したローウェン砦から戻ったかと思いきや、表情を強張らせ、落ち着かぬように早口で「留守を頼む」と、ただそれだけを告げて再び出て行ってしまったのだ。
 当然、驚きを隠せないイオスが慌てて、馬に跨る彼に問えば。
 イオスの耳元で密やかに、彼の理由が告げられる――。



”彼女が危ない”、と。



 ―――――彼女、とは。
 思わず聞き返した問いは無視され、黒い外套を翻してルヴァイドは闇に沈む道を駆けた―――見送るそこにぽつんと残されたのはイオスとゼルフィルドだ。
 ルヴァイドの護衛としてゼルフィルドもその後を追ったが、呆然とそれを見送ったイオスは動けないままだった。
 イオスは動くことが出来なかった。
 彼に留守を頼まれたから、動けなかっただけではない。
 ルヴァイドが示していた<彼女>が誰なのか分かっていて、唐突に知らされた彼女の危機に思考が止まって動けずにいた。



 彼女が、危ない―――?



「―――ヒヒィィンッ!」

 突如、馬の嘶きがイオスの鼓膜を叩いた。
 大きく立ち上がるそれを手綱を操ることで転倒を避け、(なだ)めながら落ち着かせる。 トントンと背を叩くそれにどうにか落ち着きを取り戻すも、イオスを見上げる黒瞳には怯えを含んだ戸惑いがにじみ出ている。

「大丈夫だ…そう怯えるな」

 動物は危機を察知する感覚が鋭い。
 都市に漂う静寂にただならぬものを感じ取ってか、目的地である目の前の都市へ進ことに二の足を踏むように後ずさる。
 それを落ち着かせながら再度、イオスは街並みを見下ろした。

「どうなっているんだ…?」

 呟きのあとで、イオスは槍を握り締める力を込めた。

 ――――都市の異変。
 それは到着したばかりの自分にも理解できた。
 これだけ広く、大きい都市であるならば夜明けの時間帯でも多少の賑わいを見せるはずなのに、静かなそれには死の気配ばかりが漂っている……これを異変と呼ばず、なんと呼べばいいのか。

 イオスは、すぅと息を吐く。
 一呼吸を置いて都市の中央に見える背の高い城を睨むと、手綱を握り、馬の横腹を足で叩いた。

「行けっ」

 急かされるそれに馬は鳴き、命令のまま大地を強く蹴りあげるとその中心へ駆ける。
 突き進む力強さに、イオスの体は揺さぶられる。
 しかし安定した姿勢で馬を操り、金色の髪を風に遊ばせながら、彼らは廃墟を疾走する。 目指すのは、天高くそびえるあの城だ。
 一番目立つその場所に向かえばルヴァイドたちと合流できるのではないだろうか。 そう思って。

 その間に通り過ぎ、駆け抜けるものは白い街並みだ。
 国としてごく当たり前にある民家が立ち並ぶそれはどこか、いつか見た聖王国を思わせる―――あぁ、そう思ってしまうのは仕方が無いかもしれない。
 何故ならこの都市はゼラムの後に創られ、ゼラムで生きた人間に創られた。 たとえその気はなくともゼラムが持つ多少の雰囲気を引き継いでしまうだろう。 <何かをつくる>ということは、創ろうとしている人間の分身を作ることと同じなのだから。


 そして、創り上げた人間が持ったその意志もまた、この国に引き継がれ。

 三砦都市トライドラは聖王国の要となった――。


(――、何が起こったんだ)

 事態を飲み込めぬままイオスは思う。
 聖王国の楯として存在してきたその都市は、ルヴァイドが率いる<黒の旅団>と本国から徐々に侵攻を始めているデグレア軍に侵略され、炎を抱いて崩れる運命にあった。
 ―――あるはずだった、というのに。

(住民が、いない)

 実際訪れて分かることは、この国には生きている者の気配が喪失しているということだった。
 民家の戸を叩いても何の反応もなく、返ってくるものは無音。
 人が眠っている気配もなく、ただ、ただ、どこまでも死んでしまったかのように静かで、その不気味さに悪寒が背筋をざわりと撫でた。


 こんな世界の中で彼女がいると思うと、眩暈がしそうだ―――。


(―――、しまった)

 ざわりと騒ぐ精神に、思考から現実に戻る。
 砂埃を舞わせながら馬を止め、酷く乱れそうになる心を落ち着かせようと息をも止めた。 体内に響く鼓動の大きさに、自分が生きているのだという実感を強く感じる。


(何を、考えていたんだろう)

(危険なことが、ないはずがないのに)


 自分は追う者で、彼女は追われる立場なのだ。
 納得させるように呟くと、表情の歪みが端正な顔に浮き上がった。 久しくなかった恐怖がイオスの心臓を鷲掴む―――危機。 喪失感。 湧き上がるそれは彼女と出会う前には感じることがなかったのに、ここ最近ではイオスの中に何度も招いてしまっている……それはうわべだけではない。

 はイオスにとって本当に、大切になってきていた。

(…、

 呟いた名に、愛おしさばかりが込み上げた。
 じわりと広がるのは、甘い痛み。
 思考を掻き乱すそのぬくもりは、抱きしめれば柔らかだと知っている。

、僕は)

 脳裏に浮かぶものはローウェン砦への侵攻。
 この目が見たものは魔獣に襲われるの姿。
 無数の魔獣が狂ったように、柔らかな肌に牙と爪を突き立てようと群れをなして殺到していた。 ルヴァイドやシャムロック、フォルテの剣に貫かれようとも怯まず、心の底から求めてやまないのだというように、飢えたように唾液を撒き散らしながら跳躍して―――。


(…―――僕は、君がわからない)


 わからなかった。
 最初はただの異世界の人間なのだと思っていた。(実際、本人もそう言っていた)
 しかし唐突にレイムが彼女を求めるようになった理由が見つからなくて、彼女がデグレアに力を与えるなどというそれは何かの勘違いがあるのではないかと思っていた。

(あれは、何なんだ)

 だがそれは次第に形を変えていく。
 強くなるレイムの執着。
 リューグを救った眩い光。
 魔獣が命令を忘れ、群れて襲う光景。
 そしてあの神がかり的な――今では失われたはずの送還術。
 聞き取れぬ言語を発し、メイトルパの緑を思わせる光の粒子の中で佇むその姿は偉大な術者を思わせた――明るく笑うただの少女が、そのとき、何よりも尊い存在に見えてしまったのは目の錯覚ではないと、冷静になった今なら言える。


(――知らなければ)


 彼女に何かがあるのだと、信じなければならないことばかりが起きた。
 今でも何が起こっているのかまるでわからない。
 だが自分たちは本当に、彼女のことを知らなさ過ぎた。

(情報が、必要だ)

 必要なものは情報だ。
 彼女を理解するために、<専門的な知識>が必要だ。

(デグレアの文献では足りない。
 あの国は召喚術を密かに研究はしていたものの、召喚術そのものをを忌み嫌っている……もっと、深い、真理に近い、知識がいる)


 最初こそは、彼女がレイムの手にさえ渡らなければいいと、そう思っていた。


 だが、送還術を使うの姿を見た瞬間。
 彼女を失わないために何も知らないままではだめだと思い知った―――このままでは、彼女は彼女自身が持つものに殺されてしまいそうで。

(…怖い。 と思うのは何年ぶりだろうか)

 それを思うと、吹く風すら酷く恐ろしい冷ややかさを感じた。
 込み上げるこれは命のやり取りをする場合とは違う、喪失への恐怖だ。
 自身を失うことを恐れるのではなく、他者を失う――大切な人間を失う――恐怖。



 <>という存在を失ってしまいそうで、それを心から恐ろしいと思った。



(僕は―――君を、最後まで守れるのだろうか)

 自問してから気がつくと、目指すべき城は目前にまで迫っていた。
 イオスは手綱を引いて馬を止め、静かに地面に降り立った。
 見上げたそれは白く染まりながらもただ静かな死の気配を抱いて佇んでいる。 黒馬の髪を撫でながらここで待つように指示をして、イオスは大きく開いたままの扉を抜けて城内に忍び込んだ。

 ここは領主が住まう城。
 だが高い天井にある灯りは一つも灯らず、緋色の絨毯はどこまでも続いていて国を統治する領主が座す場所へと示してくれている――トライドラの領主であるリゴールの武勇はイオスも耳にしたことがあった。 統治する才能もその心強さも、<王>に近しく相応しいものだと、誰もが彼を誉めたたえる。

(それほどまでの人物ならこの異常に気づいているはず…何かしら対応をたてているだろうに)

 異常への対応が、無人の理由なのだろうか。
 しかし濃厚な死の気配はこの城にも蔓延(まんえん)しており、デグレア以外の敵に攻められてしまったのだろうかと、王座への赤い道を静かに駆け抜ける中に思う。
 ……しかし本当に、なんという静けさだろう。
 夜が明けたばかりだとはいえ、兵士が一人もおらず、これが人の気配が絶えるこのとない城とは思えない。

「…!」

 ふと、視界の端に映る窓硝子の向こうに人影を見た。
 即座に息を殺し、気配を殺し、背を壁につけて映った人影を確認するために窓を覗き込む。 枯葉色になって萎れている植物ばかりが並ぶ庭園がそこに見えた。

「…あれは」

 イオスの赤い瞳は、城の裏庭に出る一人の男の姿を目にした。
 まず一番に視界に見たのは、白い朝の世界の中でも鮮やかな赤い外套だ。
 純粋な黒を帯びた髪は光に柔らかみを帯び、生真面目で神経質さを思わせる端正な顔には見覚えがあった――その顔を見て、イオスの眉宇がしかめられる。

(あれは、<蒼の派閥>の召喚師……)

 名は確か、ネスティ・バスクと言っていた。
 の仲間で、以前に彼女が必死で助けようとしていた――<蒼の派閥>の召喚師ネスティ・バスク。 彼が使うロレイラルの術には何度も苦戦したことを覚えている。 その威力はマグナやトリスの上をいくものなのだろうと一目でわかった…おそらく、派閥の中でもなかなかの実力者だろう。

(……何を、している)

 死の気配が漂う城にただ一人、枯れ果てた世界に立つ男。
 や仲間達は一体どうしたのだろうかと観察するも、端正なその横顔はどこか険しく、眼鏡の奥にある黒瞳には陰鬱とした光が映りこんでいる。
 ネスティは一度ぐるりと視線を周囲に彷徨(さまよ)わせ、自分以外の人間がいないかどうか気配を探り、空を見上げた。

 バサァッ!

 翼が羽ばたく音を聴く。
 イオスもつられて空を見上げると、白い世界の中で黒い影が飛来し、ネスティめがけてゆるりと下降を始め、生気を失った庭に降り立つ。

「あれは…」

 (からす)と酷似した…しかし鴉ではない、鳥型の召喚獣だった。
 従来の戦闘用の召喚獣に比べると酷く小柄な体格だが、鴉にも似た黒い翼は陽の光を浴びてもなお黒く、残虐性を帯びる赤の瞳は今にもネスティに襲い掛かりそうな空気を持ってネスティを見据えている。
 一瞬、ネスティを襲うのだろうかという考えが脳裏をよぎるも、それは間違いだと気がついた。
 鴉はネスティに襲いかかる気配は一切なく、ネスティが腕を差し出すと黒い翼を羽ばたかせ、差し出された腕に鋭い爪を食い込ませてそこに落ち着いてしまった。
 その痛みに顔を歪めることなく、ネスティは口を開く。

「…話を聞こう」

 低く、冷ややかに告げた。
 それが開放の合図だというように、鴉は赤い瞳をぎょろりと向け、鋭い(くちばし)で一度自身を簡単に毛繕(けづくろ)うと、その口を開いて言語を発した。


「くれすめんと一族ノ動キハドウナッテイル」


 カァァ、と酷く濁った声で鳴いて、それは人の言葉を放つ。
 その声を不快に思っているのかネスティは顔を歪めるも、すぐに冷ややかなそれに戻し、静かに答える。

「…強い魔力の目覚めの兆候すら見えておりません。 彼らは落ちこぼれです。 かつて誇った魔力を取り戻すことは永遠に不可能だと思われますが」
「侮ルナ。 例エ落チコボレダトシテモ何ヲキッカケニ目覚メルカワカラヌ」
「……」

 ”愚か者が”、とネスティが声なく唇だけで言葉を紡ぐのをイオスは見た。
 不快と嫌悪が入り混じり、その横顔には憎しみすらも浮かび上がっている。

「決シテ、目覚メサセルナ。 ソノタメニオ前ヲ外ノ世界ニ出スコトヲ許容シテイルノダ」
「…理解しております、フリップ様」
「死ニタクナケレバ彼ラヲ見張レ。 薬ガ欲シケレバ私ニ従エ。
 アノ小娘ニ抗病薬ヲモラッタカラトイッテ調子ニ乗ルナヨ。 薬ガナケレバ貴様ハ生キラレンノダカラナ」

 ”小娘”の言葉にネスティが堅く拳を握り締める。
 そしてイオスは理解する――小娘とはのことで、ネスティ・バスクは鴉の主に脅迫と同じ命令を受けているのだということを。
 …しかし、監視という言葉が持った意味も分からなければ、クレスメント一族とはいったい何のことなのか、イオスには分からなかった。 一族とつくからには召喚術の家名をもった人間たちの連なりということは理解できるのだが…。

 カァァ、と鴉が一つ鳴く。
 その鳴き声と共に出てきた次の言葉は、ネスティとイオスにとって衝撃的なものになった。


「―――シカシ、ソノ小娘ニツイテ妙ナ噂ヲ聞イタゾ」


 鴉の言葉に、ネスティの目が見開らかれた。
 イオスもまた息を呑んで、鴉の黒い翼を食い入るように見つめる。

「小娘ニハ、不思議ナ力ガアルト聞イタ」
「それは…聖女アメルと間違っているのではないのですか」
「違ウ。 アル男ガ私ニ言ッタ―――ソノ女ニハ、計リ知レヌ力ガアルト」
「誰が、そんなことを」


「アノ小娘ヲ私ニ差シ出セ、ねすてぃ」


 ――瞬間。 ネスティは鴉が乗りかかっている腕を振り払った。
 バサァッ!と大きな羽ばたきが空間に響き、カァァ、カァァと怒り狂う鴉の鳴き声が無人と化した城全体に響き渡る。
 乱暴な羽ばたきに抜け落ちた黒い羽はひらひらと舞い、いくつもの黒羽を宙に躍らせた。

「何ヲスル!」
「彼女には何の力もありません。 ただの、どこにでもいる少女です」

 イオスは驚きに目を瞠った。
 と共に行動をしている彼のほうが彼女の異常をよく理解しているはずなのに、ネスティの口からは一言もそのことが零れ落ちない。

「黙レ! アノ男ガ告ゲタカラニハ小娘ニモ力ガアルコトハ確カナノダ! 私ニ差シ出セ!」
「彼女はラウル師範とも面識があります。 彼女の身の異変に気がつけばエクス総帥に捜索の協力を申し出るかもしれません。 そうなれば貴方は」
「らうるナド、貴様ガ黙ラセレバイイダロウ! 息子デアル貴様ナラソレが可能デハナイカ!」
「フリップ様!」

「アノ娘ヲ差シ出セ! コレハ命令ダ、ねすてぃ・らいる―――!」

 ギャアギャアと、醜い鳴き声が世界に幾度も木霊する。
 黒い鴉にネスティがなおも口を開こうとしたが、まるで聞く耳をもたずネスティの周りをぐるぐると飛翔するばかりだ……―――何度も何度も、呪いじみだ言葉ばかりがネスティの周りをぐるぐると飛び交っていく。
 なんて毒々しい言葉の羅列なのか。
 ほとんどがネスティを罵倒する言葉ばかりで、鴉は何度も”化ケ物”を繰り返す。
 聞いているうちに自らが本当の化け物になってしまうのではないかと思うほど、禍々しく、毒を秘めた言葉ばかりで―――込み上げる不快感にイオスは奥歯を噛み締めると、窓を開いて地面に降り立った。
 風を切るように槍を手の中で旋回させ、枯れ果てている茂みから抜け出すと、言い合う鴉とネスティの前に姿を現した。
 唐突な出現に、驚愕に見開かれた切れ長の瞳を視線がかち合う。

「…な…、イオス?!」
「誰ダ貴様ハ!」

 怒鳴る鴉めがけ、地面を蹴ると槍を刃先を突き出した。
 有無を言わせぬ殺意をこめた鋭い突き出しを避けることも出来ず、鴉の身体が鈍い音をたてて貫くと、醜く、凄絶な悲鳴が美しい朝空に響き渡った。
 血まみれの羽を散らしなりながらギャアギャアと地面をのた打ち回るそれの息の根を今度こそ止めると、イオスは呆然としているネスティに目を向けながら、鴉を切り裂いた槍の血を、刃先を振ることで払う……やがて彼の足元には、物言わぬ獣の死骸だけが残る。

「…、お前は薬を盾に脅されているらしいな」
「何故、ここに」


「取引をしないか、ネスティ・バスク」


 戸惑うネスティを無視をして、イオスは言葉を続けた。
 …ルヴァイドが聞けば、これを裏切りだと思うだろうか。 そんなことをちらりと考えながらも、彼女を未知から救うには、たとえどんな方法でも彼女を知るしかないのだと、イオスは一つの覚悟を決める。

 侵略には手を緩めず、聖女を追う戦意は決して衰えさせない。
 立ち塞がる壁は全て突き崩して、立ち向かう敵は全て殺そう。


 しかし今だけは、彼女を守ろうとする男で在りたいのだ―――。


「…取引、だと」
「そうだ」

 警戒心が強いものの、拒絶の反応は一言も出てこない。
 そのことに、彼もまたの異変にどう対応すればいいのか悩んでいたということが理解でき、イオスはこの機会を決して逃すまいと、静かに言葉を紡ぐ。
 …ネスティ・バスクは真理の探究を目的とする最も知識が深い<蒼の派閥>の召喚師だ。 イオスが必要とする文献の知識があるかもしれない。

 提案に、ネスティが息を呑んだ。
 鴉との会話から、ネスティがあの鴉の主に逆らってまでの異変を隠し通そうとしていたことは、イオスには分かった。
 自分の命を繋ぎとめる鴉の主から、彼女を守ろうとしていた。
 そこにどんな感情があるか考えたくもないが、ネスティは、<>という存在を守ろうとするのだろう――彼女が、自らの身を差し出しながらデグレア軍である自分たちに頭を下げて、ネスティを助けようとしたあのときと同じように。

 イオスも同じだ。
 には、何度も命を救われた。
 受けた恩として、心から彼女を助けたいと思う…――もっとも、恩がなかったとしても、イオスにはもっと簡単な理由があった。





「―――を助けるために、お前の力を貸してくれ」






 ”彼女を失いたくない。”




 ただ、それだけなのだ。













 あとがき

 ウソォォォ一ヶ月以上ぶりの更新…!(驚愕)

 お久しぶりです。長いです。どうしよう。分ければよかったと思いながら分けたらどう区切ればいいのかわからなくなってしみました管理人ですコンバンハァァァ!

 トライドラ編、終了です。
 ようやくお祭りまでいけます。その間にも銀の髪の吟遊詩人と、なんだかんだやハヤトたちを追ってきているガゼルたちともなんやかんやあるようですが。(ガゼルたち、大分前に登場したんですが私でさえウロ覚えってオイオイ!63話の後半に彼らの動向が…!(前過ぎる)

 イオスの言葉にネスティがどう出るかも、また後ほどに。

 気張っていきます。オス!
 ここまでお付き合いしてくださって本当にどうもありがとうございました。(ぺこり)



 2006.11.10