たとえ、何があろうとも



 今の私を形作ったあなたの背は きっと、永遠に忘れない








第75夜 -7-








 ――― 一目見ただけで分かった。

 一歩踏み出すことにすら苦痛を覚え、手を借りなければ歩くことすらままならぬあの男の身体は剣の握って戦うことも難しい状態なのだと、ルヴァイドは分かってしまった。
 …いや、きっと誰が見ても、この男は戦えないと理解するだろう。
 痛めつけられた名残が彼の全てから見て取れる。それほどまでに、かつて見た勇ましい姿に比べると今の彼はひどい姿だった。


 トライドラの騎士だと雄雄しく名乗りあげた白い騎士は今、ゼルフィルドと似た空気を持つ男の手を借りたまま立っている。 鎧は身に着けていない。 震える足が、助けがなければ立っていることも難しいのだと告げていた。
 精悍なその顔立ちは血の気が薄れ、呼吸は荒く、朦朧とする意識を精神だけで支えているように虚ろな影を差す目は、全てを失くし、全てを諦めた人間のよう。

「――シャム、ロック」

 しかし、震えた声で呟かれた彼女の声に力を取り戻したかのように、彼は一歩踏み出した。
 手を貸していた男の手から離れ、一歩。 よろめきながら前へ踏み出す。
 その姿に、がますます顔を歪めて。


「シャムロック―――」


 が、震えている泣き声をこぼした。
 座り込んだまま背を丸めながら俯くと、そこで初めて、嗚咽をこぼす。

 シャムロックを見て初めて、彼女は今まで抑えていた涙や嗚咽をルヴァイドに見せた。
 鬼に追われている間も、ずっと、涙だけはなかったというのに……。

「シャムロック、シャムロック…」

 一番、会いたかったのだと。
 名を呼び続けているそれが、そんなことを言っているように聞こえる。

 ―――かなしい声だと思った。
 初めて出逢ったあのときの彼女を思い出させるその声にルヴァイドは、無意識に拳を握り締めていた。 に向けている想いが、震える肩を抱きしめてやりたいと声をあげる。

(…だがそれは、俺の役目ではない)

 それを言い聞かせると、自分の顔が歪んだことを自覚する。
 だが奥底からにじみ出る焦げるような感情に見ていられなくなり、ルヴァイドはから目を背けた。…こんなときに、こんなことで、嫉妬の感情を覚えるのは場違いだというのに。 それでもこれは、確かに、シャムロックへの黒い感情だ。

 ―――今の彼には誰より、彼女の肩を抱く資格がある。

 彼も、それを知っている。
 の、張り詰めていたものが緩んだのだというように、溢れるようにこぼれ落ちる泣き声と震える肩にシャムロックは顔を歪め、その肩に触れようと一歩ずつ近づいて――。


 の傍らにいるルヴァイドを見て、足を止めた。


「――ル、ヴァイド」


 シャムロックが息を呑む気配が伝わる。
 彼を見返すとルヴァイドは、青白くなっている顔に言い表せない感情が浮かび、怒りや、憎しみの色が髪と同色の瞳に揺らめくのを見る。

 ――そこで自然と、ルヴァイドの足はから一歩、離れていた。


(…、そうか)


 ルヴァイドはこの都市の事情を知らない。
 ただ、唐突に連絡が途絶えた彼女のことが心配でこの都市にやってきただけだ。
 本来ならばルヴァイドが侵略をする予定であったこの都市に人がいないことや、領主が鬼になった理由も分からない。 だがシャムロックの様子から、ルヴァイドの知らぬところでレイムの部下が何かをしたということだけは容易に理解が出来て――人がいないこの国を、哀れに思った。

 そしてが、何度も彼の名を繰り返していることに、彼女はシャムロックがここに来ることを心から望んでいるのだということは理解していた。



”――この鬼は、ただの鬼じゃないの。
 彼はこの街の領主で、シャムロックの大切な人で――”



 ――そう。 心から。

 <大切な人>を殺させるために、彼女は彼がここに来ることを望んでいた。

 何故そうまでして望んでいたのかルヴァイドには分からない。

 だがそうすることで、また、に感情の矛先が向けられるのだと。



 自分のすることの全てが彼女の心をえぐるのだと、思い知る。



「―――、っ」

 シャムロックが口を開きかける。
 しかしそれは言葉にならず、堪えるように唇を噛み締めて口をつぐむと彼はまた一歩、踏み出した。 ルヴァイドのことが受け入れられないのだというように、ルヴァイドを眼中に入れず、ただ、俯いたままのだけを見つめて、その傍らにまで辿りつくとゆるりと片膝をつき。

 さまざまな感情を押し殺した声で。 ――けれど大きな、安堵をこめて。


「―――遅くなって、すまない」


 彼女の耳元に、小さな呟きを落とす。
 そこでルヴァイドは小さな驚きを抱く……シャムロックがを見る目に、暗い感情はなかった。
 ただ、彼女の震える肩を抱く力も残っていない自分の腕をどこか悔しそうに見たが、泣き続けるを安心させるように、俯く顔に顔を寄せ、疲れたように目を伏せてそれでも口元に穏やかな笑みをたたえながら、傷ついた白い騎士は言葉を紡ぐ。


「もう、大丈夫だから」


「ありがとう―――」


 そこに込められているのは、ただただ、労わるような優しい感情だけだった。
 全てを諦め、けれど受け止め、受け入れた者だけが持つ眼差しの中にわずかな愛しさにも似た温かみをにじませて、シャムロックはに言葉をかけてゆく。


 どうか、泣かないで。
 泣かないで。
 自分が唯一出来ることを、残してくれてありがとう。


 ―――ありがとう。


 紡がれる言葉には、首を横に振る。
 そんな言葉をもらえるほどきれいな理由で動いていたのではないのだというように、シャムロックの言葉に首を振るだけで。

 そこで、向けられる殺意を感じたルヴァイドが叫ぶ。

「―――伏せろ!」

 叫び、シャムロックとを押し倒すように身を伏せた。
 その直後、頭上でブォン! と空気が裂ける悲鳴が聞こえる。 それに遅れて流れる、すさまじい風圧を顔に受けながらそれぞれの目が見るものは、夜明けを迎える白い世界の中で禍々しく存在する<鬼>の姿。 朝日に照らされるその身体は濁った血でぬらりと輝き、ゼルフィルドとの戦いで傷ついていることを知る。

 それでも身にまとう憎悪は衰えず。
 理性が消えた金の瞳に、殺意だけを宿らせてそれは吼える。


「グオオオオオォオオオォォオォォォォォォッッ!!!」


 怒号にも似た叫びが世界を震わせる。
 シャムロックの剣を振り上げ、身を伏せた彼らを切り裂こうと再びそれを振り上げる。
 とシャムロックを庇う形でルヴァイドが身を起こして鬼を睨み、引き抜いた剣で鬼の凶刃を受け止めようと剣を掲げる。
 だが、一つの黒い影が滑り込むように割り込み、凄まじい音と火花を散らしながらその凶刃を弾き返した。 鋼が、耳障りな音を世界に響かせる。

「ゼルフィルド」

「…この鬼、誓約の戒めに弱り始めています」

 低く呟かれたそれに初めて、ルヴァイドは鬼が先ほどより随分と動きが鈍くなっていることを知る。
 疾風のように駆けていた俊敏さは衰え、剣を振り上げる腕は片手のみ。 片腕はゼルフィルドに貫かれた影響か、糸が切れた人形のようにだらりと垂らして死んでいた。

「オオオオォォォォォ!!」

 咆哮に、濃厚な苦痛が混じり始める。
 ―――誓約の戒め。
 それは召喚師の意思で、凄絶な苦痛を与え召喚された者を強制的にでも従わせる。
 その苦しみや痛みは自我を削り、本能を削り、何をしているのか自分が一体何だったのかそれすらも思い出す暇を与えないほどの痛みと苦しみの制裁を与える。

 そうなると残るものはただ、何者にも侵されることのない自らの願いや欲望が剥きだしになり――。

「ガアアアアアアアァアアァァァ!!」

 ゼルフィルドの静かな声を遮るように、牙を剥いてリゴールが襲い掛かる。
 紫瞳はそれを無感情に一瞥し、恐れを抱くこともないままそれに立ち向かうように地面を蹴り、剣を繰り出しながらその眼前へと跳躍する。
 彼が握る剣は、ルヴァイドたちに一切近づけさせまいと容赦のない閃きを放っていた。

 鋼の衝突が繰り返される。
 凄まじい戦いを繰り広げるゼルフィルドに呆然としていると、の傍らに、シャムロックと共に現れた男が片膝をつくと、彼女の顔色を伺うように覗き込みながらその手を取る。

「主殿、立てますか」
「…ぇ、あ、うん、…大丈夫」
「少し離れましょう――ここにいると、戦いの影響を受けます」

 ふわりと持ち上げるように立たせてから、赤い瞳は鬼を見る。
 暁の中で繰り広げられる戦いはゼルフィルドの勝利を見せ始めているが、それでも何らかの影響で巻き込まれかねない。

「いいよ、レオルド」
「…」
「あなたが守って」

 向けられる言葉に、彼は何を思ったのか。
 無感情な美貌には何一つ感情はない。 だがその赤い瞳が、何かの感情に震えるかのように小さく揺らめいたのを垣間見た。

「グオオアアア!」

 何かが弾かれたように、一際甲高い音が空気を震わせた。
 次いで風を切る音が上空に響き、ゼルフィルドに弾かれたシャムロックの剣は空を踊る。 白い刀身は暁の光を受けてより白みを帯び、輝くそれは白い世界にくるりと舞うと、シャムロックの足元の白い石畳に突き刺さった―――主の元に、剣が還る。

「――リゴール様」

 呟きは、風に流れて霧散する。
 シャムロックは愛剣を握り締めてそれを引き抜き、地面に平伏し、誓約の苦しみにのたうち回るそれを見やった。
 黒い鬼は、自らの血にまみれていた。
 暴れる鬼にゼルフィルドが近づくと、無感情に剣を振り上げ、それを地面に縫いとめるように剣を突き立てる。 肉が裂ける恐怖に、唯一動く片腕までも失った鬼はより憎悪の咆哮をあげた。
 嗄れた声で彼は、痛みと、苦しみと、憎しみを声に変えて撒き散らし、どこまでもどこまでも続く白い世界を侵していく。


「―――ルヴァイド」


 凄絶なその光景に震えた声をこぼすそれに、ルヴァイドはシャムロックを見る。


「―――…を、頼む」


 それだけを呟いて、シャムロックは進み出た。
 苦しみに悶絶を繰り返す、かつての主のもとへ。


「…、リゴール様」


 音と悲鳴とその有様に、シャムロックの表情は歪む。
 ――敬愛していたリゴールは、シャムロックが知っている姿とはまるで違うモノになっていた。
 あまりにも変わり果てた姿になっていた。

「――ここを、覚えておいでですか」

 語る声は、震えている。
 しかし剣を握る手は緩まず力がこもるばかりで。
 歩み寄る足は多少のふらつきを見せながらも、それでも前に進んでいた。

「ここは、私たちが一番多く、あなたと過ごした場所でした」

 見上げたそれは、王城より一回り小さい建造物だった。
 灰色混じりの白亜石で組み立てられた建造物。 背は他の民家よりも抜きん出て、天井には三つの盾と剣の刺繍が描かれた旗が飾られ、白い朝光を照明に、冬を迎える世界の風に煽られて軽やかに踊っている。
 その中央に位置する、ここの白い石畳は何度踏みしめただろう。
 鼓膜に残るのは、剣と剣が重なり合う響音。
 どこまでも純粋に澄んだ音をたてて打ち合うその世界で自分は、ただ純粋に、騎士を目指していた。


「――ここで、あなたは、私たちに守る剣を教えてくれた」


 王族に武術を教える指南所でもあり、騎士を育成するための訓練所でもあった。
 代々続く騎士の家系であったので、自分の行く道はどこを通ろうとも最終地点はそこだけだったが、騎士になることは自分の夢でもあった―――だから、建物の壁を彩るトライドラの旗が風になびいているところを見ると、誇らしい気持ちになっていた。


 ”誰かを守れる騎士に…”


 それは今でも変わらぬココロ。


 ―――シャムロックが辿りつく頃に、リゴールは暴れていなかった。
 いや、暴れる力も、叫ぶ気力も尽きたのか。 荒い呼吸を繰り返したまま、時折身体を大きく痙攣させながら血まみれの体で石畳を汚し、白い世界の中で倒れている。 ゼルフィルドによって縫い付けられた剣からの出血量は血の池を作り出して、それは確実に鬼の命を奪っていた。

 靴底で鬼の血を踏む。
 濃密な血の匂いと爽やかな空気が溶けて混じり、結局は血の匂いが勝りシャムロックの中に滑り込むと、あまりの濃密さに吐き気より、悲しみが浮かんだ。


 この人は、もう、自分の手に届かない。


 剣を握り締め、傍らに歩み寄る。
 血を踏んで、その心臓の真上に、切っ先を突きつける。
 ―――あとは、振り下ろすだけ。


「リゴール、様」


 金の瞳が、自分を見ていた。
 全ては異形と化してしまったのに、瞳の色だけは変わらない。


「―――お許しください」


 お許しください。
 お許しください。
 あなたを救えず、国を救えず、あなたの命を奪う私を。


 突きつけた切っ先が震える。
 気を抜くと剣を落としてしまう。 それだけはしてはならないと唇を噛み締め、力が入らない両手で柄を握り締め、頬を滑る冷たい風に急かされる気分になる。

 さぁ、早くと。



「お許し、ください―――っ!」














 ―――、眩しい。


 そんな当たり前の感想を抱いて、リゴールは、柔らかく降り注ぐ眩しさに自然と目を細めた。




 目の前に広がるものは、いつものようにどこまでも続く青い空だ。
 それはもちろん曇ることもあるが、この場に立ってまず第一に思うことはいつも、眩しいと思うそれだった。
 何故なら、ここから見上げる空に抱くイメージはいつだって混じり気のない蒼で、見上げる度に視界の隅いっぱいに広がるその色は本当にどこまでも蒼く、時折、海を見上げている気持ちにもなり、気がつけば日課のように空を見上げている自分がいた。


 ああ、だからだろうか。

 ここから見上げる空はいつも蒼かったと、鮮明に覚えている。



 ―――キィンッ!



 そんな世界の中で、彼は、鋼が重なり合う音を聴いた。

 海を思わせる蒼空に響くそれは剣の歌声。
 歌に乗って、剣を操る騎士たちの声も聴く。 それは互いに自らを高め合い、騎士の証でもある白い鎧で音を立て、背にある赤い外套を、剣を打ち込む動きのままに躍らせる。 高い場所から見下ろせば、赤いドレスの舞にも見えた。

 どこか空虚な感覚を抱いたままそれをぼんやりと見つめ、リゴールは、夢うつつに自問する。


 ―――ここは、どこだ。


 自分は、暗いだけの世界にいたはずなのに。

 答えは、すぐに戻ってきた。
 どこかで見たことのあるそれは、自分が作り上げた場所だった。
 国を守るための剣と盾を生み出すために、自分が作り上げた場所。

 白亜の壁と整えられた青い緑に囲まれたこの場は、王族と騎士の指南所だ。

 貴族出自の騎士が多いため、 騎士を目指す彼らを支援する金の派閥の介入によりその外装は立派なもので、 実際、一般の兵士の訓練場とまるで違う。 だがその設備の良さはおそらく聖王都よりも上だろう。
 まず最初に出迎えるのは、見上げるほどに大きく立ち塞がる建造物。
 トライドラの旗を掲げて佇むそれの奥へと進むと、騎士たちの寮とも呼べる室に繋がる赤い回廊と、訓練所へと繋がる白い回廊が目につく。
 自分は訓練所にしか用がないので、決まって白い回廊を行く。
 今日も、いつものように白い回廊を抜け、その先を歩き続けて突き当たるのは、広く、芝生の緑に覆いかぶさった正方形の石畳が広がる地面だ。 陽の光を浴びて、その地面だけが白く輝いている。


(そう、―――ここは、私の夢)


 国を守るための剣と盾を生み出す場所。
 愛する人と愛する国を守るために、身が削られる思いをしてそれでも叶えたいと思った、夢だ。
 赤い外套を躍らせて剣を交える騎士の姿は、リゴールの夢の証だ。
 今はまだ貴族や王族の後ろ盾がないと騎士を夢見ることすらも叶わないが、それでもいつか、誰もが騎士を夢見れるようになれたらどんなに素晴らしいことのなのだろうと思う。


 しかし。


(だが、この都市は、もう―――)


 夢の証。
 その姿に浮かぶものはもはや、悲しみだった。



 ―――この都市は、もう、終わったのだと。

 今見ている世界は、遠い、過去のものなのだと、リゴールは知っていた。



 何故なら、眩しい空の蒼。
 それは目に焼きつくほど、眩しく思ったからだ―――今の自分には、眩し過ぎるほどのものになって、ただ苦痛を与えるだけのものとなっていた。


(…、そうか)


 けれどそれは仕方のないことだと、そんな、諦めにも似た感情が胸の内を過ぎる。
 そう。
 これは仕方のないこと。



(―――――私は、もう――――死ンデイルノカ)



 何故なら、自分はすでに、死んでいた。



 唯一の心残りを残したまま、鬼に飲まれて死んだのだ。



 だからこそこの懐かしい光景の太陽にすら、目を焼かれる。
 体内に巣食う鬼が眩しい光を嫌うから、だから自分も、太陽の光に拒まれる……この目はもう、太陽の光も清浄な空の蒼も受け付けなくなってしまった。
 あまりの眩しさに眼球が焼け、ただれて落ちてしまいそうだ。 眩しくて眩しくて堪らない。



(…アァ、マブシイ)



 ―――なのに、何故だろう。

 自分は死んだ人間で。
 風を感じることもなく。
 自分の中で生きている音はぶつりと途切れ。
 鼓動の音もなくただ静か。

 過去のそれらは自分に気づかず。
 広い世界に唯一人。
 そんな空しい世界なのに。



 あまりの空虚さに堪らず、あまりにも眩しいその世界から目を背けたくて仕方がないのに。



「――はぁっ!」


 二人の少年の繰り出す剣が激しい音をたてて激突するそれに、全てを奪われた。
 そう、ただそれだけに、死んでしまっていた全てを奪われた。
 
 鈍くくすんだ金の髪が、青い空に輝いて踊る。
 鳶色の髪が、青い空に輝いて踊る。
 焼け爛れている眼球が映す視界の中で、二人の少年が、剣をあわせて打ち合っていた。

(アレハ)

 白い鎧をまとう騎士たちが各々に訓練をするその中で、彼らの動きは一際鮮やかだった。
 小柄な少年の身体に合わせた長剣は、振り上げた少年の全てをもって振り下ろされる。 荒々しい剣筋はまさに、自由を愛する彼らしさが現れていた。 同じ年の相手に何の加減もなく、口元に楽しげな笑みを浮かべたまま少年はそれを振り切る。
 対するそれを受け止めたのは、振り下ろす少年と同じ型の剣を持った少年だ。
 子供の細腕にはまだ重いその衝撃に、お人よし…純朴さがにじみでている顔は歪むが、受け止めたそれを緩やかに、けれどどこか丁寧に弾き返し、それを払う。

 鮮やかな切り崩し。 丁寧に弾き返されたそれに少年の身体は大きく傾くと、悲鳴が空に響いて落ちた。

「――う、わっ!」

 大きな音をたてたながら、そのまま尻餅をついて転倒した。
 汗を拭い、荒い息を整え、小さく呻きながらすぐに身を起こすと目の前の少年を睨みあげて。

「シャムロック! また手ェ抜きやがったな! 真剣にやれよ!」
「で、ですが、フォルテさま」
「お前にまで手ぇ抜かれたら練習にもなんねーだろーが! …あーくそ、試験なんてメンドくせーなァ、サボっちまてぇなァ」

 ふてくされて呟くそれに、シャムロックと呼ばれた少年は慌てふためいた。
 元来、優しい性格の持ち主であるその少年は決してフォルテに言葉を荒げることはない。 それは性格だけでなくフォルテの身分からして、荒げることは許されないのであるが――どちらにせよ、フォルテにとってシャムロックは良き友人であり、シャムロックにとってもフォルテは良き友人であった。


(しゃむろっく、ふぉるでぃえんど様―――)


 ――――彼らのそれは、きっと、この先も変わらぬもので、今も続いているのだろう。
 濁った視界の中で思い出す。
 彼らは今も、共にいた。 お互いを助けお互いを支え、彼らは共に生きていた。


 共に取り戻そうと、自分の名を呼んでいた。


(しゃむろっく、ふぉるでぃえんど様―――)

 喉が焼けた声で、名を紡ぐ。
 黒い皮膚に染まった腕を震えながら持ち上げたそのとき、手も足も、自分の全てが灼熱に焼けて爛れてしまっていることに、そこでようやく気がついた。

 ――自分は死んだ。
 鬼の憎しみや苦しみの、負の感情に全て覆われて。
 悪魔の声に負けてしまった。
 この国の危機に力が欲しいと願ったばかりに。




 力を欲したばかりに、優しい騎士に自分を殺させることをさせてしまうなんて。




 唯一生き残った優しい彼に、一人で、こんな終わりを見せてしまうなんて―――。




 それを思って、爛れた目からこぼれるのは涙だった。
 血の色をした涙だった。
 この目はもはや、それだけしか流せない。
 ”お許しください”―――その言葉を言いたいのは自分だ。 許してくれシャムロック。





 お前一人に、こんな終わりを背負わせてしまう私を――――――。








 ―――――――――…そこで世界は、白い光を見た。

 夜明けを向かえた世界が白に染まっている、その光景。
 それを視界に認めると、冷たい冬の風が頬を撫でたことを感じるようになった。 今にも途切れそうな意識の中でその空気が肺に滑り込むと、体の全てが悲鳴をあげる。

 だが、そのおかげで意識が保たれ、今にも泣きそうな騎士の顔が鮮明に見えるようになった。

 優しい騎士。
 彼の、名は。


「――――――、しゃ、む、…ロ…く」


 嗄れた声。
 血の匂いと共に言葉が、出る。
 それに泣きそうだった表情が驚きに塗り変わると、どこか可笑しく、笑いさえも込み上げた。 最後の最期で彼に会えることに、今まで感謝した誰よりも感謝をしよう。

「リゴール様!」

 名が、呼ばれる。
 自分の名に、血の涙が溢れて頬を滑っていった。
 アア、彼ハ、マダ、私ヲソウ呼ンデクレルノカ―――それはなんと、幸福なことであるか。


 最後の最期で、彼に詫びることが出来るなんて、なんという幸福か。


「―――――ス、マ、…な、い」


 すまない。
 すまない。
 お前にこんな終わりを、背負わせて。
 お前は騎士に似合わぬほど優しい男だから、きっと独りで、この瞬間を悔いて生きる。



「許シテ、ク、れ―――――」



 そこで、シャムロックが堪えられぬように剣を降りかざした。
 せめて人である内にと。
 リゴールの願いを受けたかのように、シャムロックは剣の切っ先を振りかざす。




 許してくれ。
 許してくれ。
 その優しさに甘える私を、許してくれ。

 お前独りにこの国を終わりを背負わせる私を、許してくれ―――――。




(…?)

 そこで、リゴールの視界にもう一人の影がちらついた。

 少女だ。
 夜明けの光を受けながら剣を振りかざすシャムロックの傍らに、今にも泣き出しそうな少女の姿が見える。

 リゴールの視界の中で、少女の腕が、振りかざして動かないシャムロックの腰に伸ばされた。
 少女は、震える騎士の体に優しく身を寄せる――そこでシャムロックの身体がぎくりと強張ったが、その温かみに我を取り戻したかのように目を伏せて。

 彼が剣を握る力が、強く、強くなる。





(―――――、アア)




(―――――独リ、デハナイ、ノカ)





 リゴールが知らない、見たこともない少女だった。
 ぼやけた視界の中でもわかる。
 彼女はフォルディエンドの妹であるディミニエではない。
 リゴールの知らない、名も知らない、少女だった―――けれど、彼女はシャムロックを支えてくれるかもしれない。


 そんな勝手な期待を胸に浮かべて、リゴールは今度こそ目を伏せた。
 心残りは、もうなかった。
 彼は独りではないのだと知ると、全てを手放せる決意が出来た。



 眩しい光を瞼の裏に残して暗闇だけが広がる世界に戻る。



 暗い世界。
 暗い世界。
 暗い世界。
 それはどこまでも、暗い、世界。






 ―――― けれど、また、蒼い世界が広がる。





「げ、先生」

「リゴールさま!」




 眩しい世界の中で、二人の少年が自分を見て表情を崩し、声を出す。

 片方は”しまった”とでも言うように顔を歪め。
 片方は少し困ったように顔を強張らせている。
 ……笑顔でなかったことが残念だが、それでもリゴールの口元に浮かぶものはとても柔らかな笑みだった。

 人の色をした肌を滑る風は、春の風。
 植物の香りを抱いたその風に赤い外套をゆるやかに躍らせ、リゴールは彼らの元に歩み寄る。


「フォルディエンド様、試験を受けないおつもりですかな?」


 声が出た。
 嗄れていない声が出たことが嬉しかった。
 嫌そうに顔を歪めるフォルテと、驚きいっぱいに硬直するシャムロックを見てリゴールはよりいっそう笑みを浮かべた。


「聖王陛下に叱られてもよろしければ、私共は一切お止めいたしませんが」
「うぇっ」
「いやしかしシャムロックとでは練習になりませんのでしたら、僭越ながら私がお相手いたしましょう。 もちろん、手を抜くなどということはございませんので遠慮なく切りかかってくだされば」
「 冗談じゃねえ! 先生が相手だったらこっちが殺されちまう! ―――おい、シャムロック練習しようぜっ」
「えっ、でも私よりもリゴールさまに相手をしてもらったほうがフォルテ様のために」
お前はそんなに俺が嫌いなのかー!

 シャムロックの背に隠れて抗議の声をあげるフォルテに、シャムロックが悲鳴を上げた。
 リゴールはにこりと笑顔を浮かべ、深く、深く頷いて。

「よろしい。 では練習を再開するように。
 ―――シャムロック、お前も加減はしなくてもいいようなので本気で打ち込むといい。 王族とはいえ将来はこの国を支える御方なのだからな」
「は、はい!」


 そうして再び、鋼の歌声が蒼空に響き渡る。

 美しい。 美しい、愛おしい、一つの日常―――ああ、それは、もう二度と戻らぬけれど。


 その場所はいつも天からの光で溢れ。
 希望に溢れ、未来に溢れ、リゴールの全てだった。
 ここで最期を迎えられるなんて、やはり、幸福だと思った。


 ここは。 この都市は。
 愛おしくて、守りたい、自分の世界だった。




 ―――もう、二度と、見ることは叶わなくなったけれど。







 けれど。
 この青さも。
 この眩しさも。
 この、愛おしさも。






 きっと、ずっと、私は忘れないだろう。

















 ―――――肉が裂ける、音がした。
 血の匂いはより濃密になり、爽やかな空気を穢す。
 痙攣する大きな身体はやがて身動き一つしなくなり、突き刺した肉から溢れる血の熱だけが、彼がつい先ほどまで生きていたのだと訴えてくる。

 凄絶なそれに、あたしは吐き気をどうにか堪えた。
 堪えるために、シャムロックの背中に頬と顔を押しつけた。 背中を抱く力をぎゅうっとこめて、どうにか意識を保ち、最期を看取ろうと堪えるように息を荒げている騎士の心音を受けて、嗚咽を零す。


 なんて嫌なことなんだろう。
 大切な人なのに殺さなくちゃいけないだなんて、とても嫌なことだ。
 とても嫌なことだ。 恐ろしいことだ。
 大切で、尊敬しているその人の肉に、死の刃を突き立てる。
 ―――その人は、今の自分を形作ってくれた人なのに、何故、そうしなければならないのか。

 ”そうしなければならない状況だった。”
 その言葉だけで片付けてしまうには、とても難しい。
 だから泣くことでそれを吐き出し、落ち着かせるしかない。
 そうやって乗り越えるしか出来ない。



 なのにこの人は、涙を流さなくて。



「シャム、ロック」
「…」
「泣いて、いいよ…」


 シャムロックは、鬼を貫いた剣から手を離さないまま首を横に振った。
 呼吸はますます荒くなり、ただ必死に、唇を噛み締めて堪えている――ただ、ただ堪える。
 その姿が、悲しい。

「お願い…、シャムロック…」

 彼は首を横に振る。


「――大切な人が死んだときは、泣いてあげなきゃだめよ…」


 自分のために、涙を流さなくてはいけない。
 でなければ、喪失感に心が狂いそうになる。


 そこでシャムロックが、ずるりと、剣の柄から手を離した。
 がくりと膝を折って座り込んで、あたしも同じように座り込んでその背に触れる。

「シャムロ――っ」

 強い力に、腕をとられる。

 両腕はあたしの背に回り、掻き抱くように背中を抱かれ、隙間がないくらいに抱きしめられる。
 身動きすることを許されないように、シャムロックの腕に囚われる。

「…っ、…!」

 痛い。
 抱きしめられる力が、とても痛い。
 けれど、声にならない彼の嗚咽が耳元に届いて、離せという言葉は出ず、あたしはその背をゆっくりと撫でた。
 撫でながら、あたしもシャムロックの胸に顔を押し付けて、この国の終わりやリゴールの死…そしていままの恐怖や悲しみや、これからの恐怖に泣いてしまった。


 これがまだ全ての半分なのだと思うと、これから耐えられるのかとても不安になった。


(――、ごめんなさい)


 それは呟いても無意味。
 血の臭いに乗って、誰にも届かないまま冬風に消えた。


(――、知ってたのに、たすけてあげられなくてごめんね)


 <救える>だなんて思い上がるな。
 己惚れるな。
 あたしは全てを知った上で、全てを認めていた。
 ちっぽけな覚悟でこの流れを望んでいた。


(―― そう、これでいい)


 国が滅んだ。
 人が消えた。
 涙を流して、苦しんだ。
 取り戻せないことに何度も苦痛の声をあげて、彼は乗り越えた。

 そう、これでいい。
 これでまた先に行く。
 彼らは進んで、終わりへと行く。

 だから、立ち上がれ。

 だからこそ立ち上がれ。


 まだまだ、傷つく人がいる。



 もっともっと、傷つく人がいる。



 死を選ぶ人がいる。



 死んでしまう人がいる。



(―――させない)



 あたしの中で固まるのは、やっぱり、ちっぽけな決意。
 脆くて弱くて、自分寄りの決意。
 自分に優しい、自分が嬉しいそんな決意。


(死なせない)

(ぜったい、死なせてやらないからね)


 だって、今回のはさすがに。
 相当、こたえた。
 知らない人ばっかりだったけど。
 身体の奥がむかむかして、気持ち悪い。
 

(耐えなきゃ)


 でないと、もっと辛いことが起こってしまう。
 あたし自身にとても辛いことが。
 後ろにいる彼らを死なせてしまうという、そんな、とても辛いことが。

 
 血まみれの手で、血を含んだシャムロックの服を握り締める。
 



(嫌よ)


(嫌よ、嫌よ、ルヴァイド、イオス、ゼルフィルド―――)





 失いたくない。





 そう、―――”今度こそ”―――。






 奥底から響く声を自分の中で確かに聴きながら、あたしは泣き続けた。









NEXT


あとがき

トライドラ編終了。
お付き合いくださって本当にどうもありがとうございました…!お疲れ様です。本当に…!
ルヴァイド、シャムロック、リゴールの視点と色々と変わってしまって分かりづらい部分がたくさんあったかと思います…いやでも、騎士組は素敵です。
シャムとルヴァはタイプが違いますよね…太陽と月みたいな対極さが。
持ってるものは一緒なんですけどね。愛国心とか…!もゆります。(どこに)

指南所とか勝手に舞台にしてみたり。
シャムロックとフォルテは同じ場所で剣を学んでいたそうなので…?
今は貴族やお金持ちしか騎士になることを許されていないので、貴族のお坊ちゃんたちが騎士になるという場所なのだからやっぱり豪華かなぁと、妄想です。
一般兵士のそれとは違うんだきっと…!(落ち着け


次は事件の収拾へ。
ようやく先に進めます…!


2006.9.6