剣を振り上げるたびに。




 赤く濁った視界の中で、蒼い世界の幻を見る。



(――アオイ)



 広がるそれは、目を焼くまでに眩い。



(――眩シイ)



 一瞬だけの幻。
 なのに何時間も見上げているかのように瞬いて、目が焼かれる。
 蒼を得た両目が、焼き焦げるように熱を持つ。

 それでも、灼熱にも似た光に目を焼かれるまま開かれた金色の目は。





(―――、マブ、シイ)






 何度も。

 何度も。

 どこまでも。



 ただひたすらに、自由で蒼い世界の幻影を見た。









第75夜 -6-








 いまだ苛む誓約の痛みが苦しい。
 さらに蒼の幻に、目が焼かれる。
 ――何故こんなものがと、知らない世界に彼は戸惑いながら剣を振り上げた。


 白刃が、甲高い悲鳴を上げて重なる。


 それを振るのは、赤い髪の男。
 そうだ。 幻はこの男が現れてから浮かび上がるようになった。
 刃を重ね合わせるたびに、鬼の視界に蒼が浮かぶ。 こんなに蒼い世界を彼は見たことがなかった。


 白刃が二度、三度重なる。


 蒼い世界を見る。
 こんなに清々しく蒼い世界を、彼は知らない。
 彼が知るのは赤い世界。
 それは故郷の世界の空。
 自分が住まう区域の空は、怨み嫉みに赤く歪み、鬼神悪鬼が住まう場所。
 あたりには人間の肉を好む者に喰われて放置された死体が高く積みあがり、隆起した巨岩は血に塗れて、空には悲鳴ばかりが紡がれる―――彼が住む場所は”地獄”とも呼ばれる世界それそのもの。 苦痛と呻き、負と腐が溶けて交じり合い、生き物ではなく死人が跋扈する世界。

 この景色は彼にとっては当たり前のもの。
 ―――だからこそこんなにも眩しく蒼い世界を、彼は見たことがなかった。 知るはずもない。

 ならばこれは、この身体の主が見たものか。


「―――オオオォォォォォオオオォッ!!」


 それを知ると、不快感が込み上げた。
 この身体はもう自分のモノなのだと主張するように、込み上げる不快感を振り払うように天に吼え、外套を手放した男に向けて剣を振り下ろす。 目の前の男の存在も不愉快だ。 何故ならこの男はなかなか倒れないうえ、彼の食事を邪魔するからだ。 彼は、とびきりの餌を目の前に吊るされている状態が何よりも嫌いだった。
 
 しかし何度打ち合おうとも、ちっぽけな存在を守ろうと退くこともなく立ち向かってくるその姿に、蒼い幻が映り込む。
 それもまた、不快なまでになんと清々しい青か。
 何故この男の姿を見るとこんなものが自分の中に割り込むのかわからない。
 わからない。
 ワカラナイ。


 ワカラナイ――――イヤ、本当ハ、私ハ分カッテイル。




 ―――ソレハ、白イ騎士ノ姿ニトテモ良ク似テイルデハナイカ―――。




 最奥から響く声に思わず、動きを止めたその瞬間。

「リゴール! こっちよ!!」

 とても小さな存在が、逃げるように身を翻す姿を視界に捉えた。
 溌剌とした声に現実に引き戻されると思考も全ても打ち消され、逃げゆくその存在に神経、感覚、感情、欲望の全てが向けられた。

「―――オオォォォオオオッ!」

 欲望に忠実な本能は、ちっぽけなそれを逃がすまいと吼える。
 少女を守ろうと剣を打ち合わせて攻め立てる男に悪意にぎらついた双眸を向けると、即刻排除せんと腕を大きく振りかぶり、裂かれて唸り声を上げる空気を力でねじ伏せるように強引に振り下ろした。

 ―――空気が、低い悲鳴をあげて引き裂ける。
 向かい会う赤髪の男は唐突に背を向けた少女の存在に一瞬の気を取られていたのか、これまでまともに受け止めることを避けていたそれを避けることも出来ず…しかし怯むことなく剣を振り上げ、真正面から、寸分の遅れもなく見事に受け止めた。
 二つの鋼がぶつかり合い、甲高い悲鳴を上げて刀身を震わせる。
 ……反応が一瞬でも遅ければ首は落とされていただろうに、迫る白刃に臆することなくそれを見事に防いだそれは、彼がこれまで幾度となく死線を乗り越えた経験を物語っていた。 ルヴァイドの強さが、正面からぶつかり合う衝撃と共に鬼の腕に痺れを与える。

 骨がぎしりと軋む音を聴くと同時にその厄介さに苛立ちが込み上げたのか、鬼は再び凶暴な唸り声をあげ。
 受け止められたそれごと薙ぎ払うように、止められた腕を最後まで振り切った。

「っく!」

 押し潰すように圧力がかかると、ルヴァイドの口からうめき声がこぼれた。

 そう。 反応は出来ても圧倒的な力の差は補えるものではない。 岩をも砕く鬼の剛力を正面から受け止めたルヴァイドはその強さに堪らず呻くと、そのまま押し込まれるように大きく後退していった。 強引な力に押さ返されて、靴底で地面を滑る音が闇に沈んだ都市に響き、鬼の視界で、闇夜に鮮やかな赤が土埃をたてながら遠くなる。
 しかしその時には既に、鬼は後退して離れた男への興味を失って、少女が去った方向に足を向けていた。 足を一歩踏み出すごとに、地鳴りにも似た轟音が無人の都市に響いてゆく。


 逃ガサナイ。


 思考は、逃げ出した少女を追うことに埋め尽くされていた。
 ―――思考、というより、それは欲望にも近い。
 これは欲望。
 酷く甘い香りのするその存在を、ただ、喰らいたくて。
 柔らかそうなその肉に、己の牙を突き立ててしまいたくて仕方がなかった。


 逃ガサナイ。


 そう、逃がさない。
 逃がさない。
 アレを喰らえば、力が手に入る。
 アレはそういう存在だ。
 アレはその身に宿している。

 アレの中には、力がある。



 それは故郷にも似た感覚を抱かせる、全てを破壊してでも有り余る力。



「――――グォォオオオッォオォォォォォ!」



 欲望が渦を巻く。
 ただただ欲する願望が、思考を黒く濁らせる。


「リゴール、ほら、こっちよ!」


 彼を呼ぶ声がする。
 ”りごーる”という名は宿主の名であって彼の名ではないが、それでもその声を追わずにはいられない。
 背後で男が何か叫んでいたがそんなものには興味を示さず、少女を追う両足はより速度を上げて、逃げる小動物を追う獣になる。


「ゥォオオオッォオォォォォォ――――!」


 駆ける。
 駆ける。
 肌を刺すように降り注ぐ、冷たい月光を受けながら。



「ッォオォォォォォ――――!」



 繰り返す。
 繰り返す。
 狂ったように、繰り返す。
 それ以外のこと全てを忘れてしまったかのように繰り返す。






 ――そのときには、蒼い世界は見えなくなっていた。

















 緊急事態発生。 緊急事態発生。

 ターゲットはこちらをばっちりと見つけてくれたもよう。

 口から溢れる涎から察するに、アレです。
 主に食用の肉を見つけたみたいな……いや、確かに肉の塊ではあるんですが。 うん。


(って、無理無理無理無理ぃィイイイイイイイィイーーーーーッッ!!


 心の中で”無理”を三十五回叫んでから勢いよく茂みを飛び越えて、よろけながらも着地した。

 着地の衝撃が両足にじんと響く。
 びりびりと響く痺れに悶絶しそうになるのをどうにか堪えてから顔を上げ、目前に見える、闇夜になじめぬほど大きく、広く立派な建物を視界に捉えるとそこを目指してあたしは再び走り出した。
 地面を蹴った衝動にあわせて、絡みつく恐怖も振り払う。
 背後に迫る強烈な存在感に立ち止まることは許されない。 止まったらゲームオーバーだ。

(とにかく時間を稼ぐべし…!)

 向かう先は、立派な門構えを持って迎える建築物。
 玄関口に建物の名前らしきものがあるけれど、それを読む余裕もなければリィンバウムの文字はいまだに読めないものも多く、わからない。 けれどこの大きさの建物ならだだっ広い街中を突っ切るよりもマシになるほど、鬼の動きを妨げる障害物もあるはずだ。


「―――っ!」


 背後の鬼の咆哮に混じりあたしを呼ぶルヴァイドの声が聴こえて、心の中で謝った。
 ごめんねルヴァイド。
 もうちょっとだけ時間をちょうだい。
 
 余裕を見せてる場合じゃないし死にたくないけど、でもやっぱり、時間が欲しい。



 彼のために、時間がほしい。



(早く来てよ、シャムロック)


 シャムロック。
 それは白い鎧の騎士の名前。

 あたしと彼は、出会って間もない。
 楽しい思い出もなく、逆にとんでもない記憶しか持っていない…ぶっちゃけると、命を張ってまでこんなことする理由も、あたしにはないはず。


(早く、来て)



 ――けれど彼の。
 泣くことを堪えたあの声を思い出すと、胸が潰れそうな気持ちになる。



(はやく)



 胸が潰れて、息苦しい気持ちに覆われる。
 それは、彼が砦で仲間のために一人、立ち向かう姿を見たからだ。
 ……その人の足掻く姿を見て、報われぬまま終わったことがとても悲しかったのだ。



 だから、今度こそと、願う。



 今度こそ――少しくらいは、報われなさいよと。



「おっ邪魔、しまーっす!」

 恐怖と緊張で妙に高まったテンションを背負ったままそう叫ぶと、荒くなった呼吸を繰り返しながら扉が開きっぱなしの大きな入り口に飛び込んだ。
 あたしの声に応えるように、背後から返ってくるものは鬼の声。
 その声でより込みあがる恐怖を”いやいやあなたの家ではないと思う。 あなたの家はあっちのお城だと思う”と聞き流すことにどうにか成功。

「待て、!」

 ついでにルヴァイドの制止の声も聞き流す。
  ルヴァイドの声に止まったら鬼の胃袋の中を旅行することになるからだ……なんかもう最近ほんと色々とごめんね。 落ち着いたら土下座するから許してね。 いやホント! お望みとあらばスライディングな土下座もしちゃうから。


 足を止めずに駆けたまま、目だけで薄暗い建物の中をぐるりと見渡す。
 どうやら、商店街に立ち並ぶ家より二回りも大きいこの建物は民家ではないようだ。 その証拠に、入ってすぐに目に止まった案内板の地図を通り過ぎながらそれを見ると、一見しただけでもこの建物にかなりの部屋数があることがわかった。
 どうやら、大人数で暮らす寮のようだけども。

(でも、それにしてはごっついというか、立派過ぎるというか…)

 こんな暗闇の中でもわかるほどその豪勢さは浮き彫りになっていた。
 壁にかけられているのは美しい女性が微笑む絵画。 立ち並ぶ白い柱に埋め込まれた飾り石。 真っ直ぐな刃の剣を抱えた甲冑の騎士。 走るたび高らかに靴音を響かせる、光沢のある床――それのどれもこれもが、あたしみたいな素人の目でもわかるほど高価なものだと判断できる。
 なんていうか、輝きが違うというか…お金持ちが滲み出ているというか。

(お金持ち専用の、寮?)

 しかしゴージャスなお貴族様が集まる寮というわりには、質素な部分もちらほら見える。
 ゴージャスの中に見える質素。 いやこれは、質素の中にゴージャスがあるというか……浮かぶ疑問に”はて?”と首を捻りながらあたしの足は内部の階段を駆け上る。

(―――…本当になんだろう)

 この建物は都市にとって何か特別な場所なのだろうか。
 あちらこちらの闇夜の中にぼんやりと浮かぶ、トライドラの旗と関係があるのだろうか……?


「グオオオオオオオオオォォォォォォッッ!!」


 背中に、苛立ったように吼える鬼の声を浴びる。
 驚きに思わず悲鳴が出て背後に目をやると、どうやら、大柄な鬼にとって高価な品々は見事に障害物となっているようだ。
 鬼の身体は巨岩を思わせるほど大きい。 だからこそ人間が通ると設計されたこの幅では、大きな身体も太い腕も、軽く動かすだけでもつっかえて、動きがかなり制限される。 がしゃんがしゃんと呆気なく壊れていく品々は激しく勿体無いけど、人間、最終的には金より命である。
 街中を走っていたときよりもずっと動きが鈍いのは本当にありがたい。

 なんとか上手くいったことに思わず、走りながら”ぃよっしゃ!”とガッツポーズを決めていたら、その鈍さにあっさりと追いついて鬼の脇をすり抜けたルヴァイドが、ガッツを決めていたあたしを腕を掴むとより速度を上げて走り出した。
 ギャー何なの早いよこの人!

「ルヴァ」
「こっちだ」

 息を乱さず告げたあと、グンと上がったスピードにあたしと鬼との差はより開く。
 さすがルヴァイド。 けれどもおかげで足がもつれそうよ。

 それでも掴まれた腕を振り払うことなく呼吸を乱しながら、ルヴァイドの赤い髪を見つめて。

「ル、ヴァイド、はや、いっ」
「…、お前は、本当に仕方のない奴だな」
「あ、はは、ごめ、んなさい、ねーっ!」

 荒い呼吸のまま、どうにか笑ってやけくそ気味に謝った。
 そんなあたしの顔を見て、ルヴァイドの顔が何ともいえない表情に歪む。
 …歪んでも凛々しいお顔だなぁと、とても素直に思えてしまうのは彼の造形の良さを充分に思い知っているからか。 いやもうあなたの整いぶりには感服いたす! 美!


「――、

「はぁ、はぁっ、な、に」


 汗だくのうえ顔真っ赤という醜態を晒しながら、息も絶え絶えにどうにか答える。
 ルヴァイドはそんなあたしを一瞥して、すぐに、その視線を前へと向けて、赤い髪を揺らしながらあたしの手を握り締めた―― その力は、少しだけ痛い。


「ルヴァイ、ド?」

「……―――お前はいつか、誰かのために死んでしまいそうだ」



 彼は、静かに、そんなことを呟いた。
 前を向いているために顔は見えない。
 だからあたしの視界に映るものは、紫がかった、彼の綺麗な赤い髪だけ。


 ―――彼が、そんなことを呟いてくれたので。




「うっわ、それ、そのままそっくり打ち返すわ、っよ」




 あたしも負けずに言い返した。
 うん、ルヴァイドにだけはいわれたくないわ。

 言葉にルヴァイドが驚いた顔で振り向くけれど、あたしはわざと知らない振りして、もつれそうになる足を動かすことに集中する。 ここで顔面スライディングでもしてしまえばルヴァイドも鬼の胃袋旅行だ。 失敗は許されないわあたし。 ガッツよあたし。 気合だ。

「俺が?」

 けれど体力的に余裕のあるらしいルヴァイドは、息も乱さず言葉を紡ぐ。
 不思議そうな音をこめての問いかけにため息を吐きたくなる気持ちを抑えて、乾いた唇をぺろりと潤わせてからあたしも頷いて。

「ん、そう」
「 ――俺は、まだ死ねん。 …やるべきことがある」
「でも、ルヴァイド、は、いつか、誰かの為に死にそう」

 曖昧なのに、けれどどこかはっきりとした物言いに戸惑いの気配が伝わる。
 それにあたしは苦笑を浮かべてしまった。
 …ああこの人、自分のことあんまり分かっていないのね、なんて考えてから。

「ね、なんで、ここまで来た、の?」
「…、それは」
「――人を、心配、して、こんなところまで、来てくれる人、は……いつか、早死にしちゃうのよ」

 そう。
 うすうす思っていた。
 基本的に、この男は<いい人>なのだ。
 レルム村であんなことして、ローウェン砦でもあんなことして、あたしたちを追い掛け回して、色んな戦いで戦って戦って勝ち抜いて、あたしには想像も出来ないような世界の中で生き抜いてきたけれど。


 ――唐突に連絡を絶ったあたしを心配して、彼は、こんなところまで来てくれた。


 実際問題、ルヴァイドがいなければあたしはとっくに胃の中だろう。
 だから助けてくれたことにいくら感謝しても足りないんだけど、これだけは言っておかねば。



「だから、ね。

 ―――もう二度と、こんなことしないでね」




 …そう。




 貴方は、何かを間違えば死んでしまう。





 銀の髪のあの男に壊された、愛した国に裏切られて死ぬ。





 ”―――何人殺そうとも。
  ―――何人から恨まれようとも。
  ―――何かを失ったとしても。
  ―――どれほどの血を流したとしても。”





 ” ―――全ては最初から、報われぬものだったのだ”と。





 そう思い知らされて、貴方は失意に死んでいく。






 …それは、とても悲しい。






「――ま、何がなんでも死なせてやらないけど」
「一体、何のことだ」
「秘密」


 そう。
 これは貴方が、知らなくても良いこと。
 あたしだけが知っていれば良いこと。
 貴方は知らなくていいの。
 あたしはそんな未来を迎えてしまう気は毛頭にもないし。


 でも、不安定な道を行く貴方のために、あたしは出来る限りのことをする。




 いつかの未来に。





 貴方が、白い騎士の隣に並んで新しいモノを作り出すために。





 ――それはあたしにとって、一番嬉しい。






 そうして―――通路をひたすら走り続けて、一枚の扉が視界に迫る。
 扉を目前にまで迎えると、ルヴァイドが右足を軸にしてぐるんと軽く身体を捻り、体内に含んだ酸素を短い呼気で吐き出すと同時に閉ざされた扉を勢いよく蹴破った。

 長い足が鋭く打ち込まれ、衝撃に耐えられず激しい音をたてて跳ね上がるように開かれた扉。
 その向こうでは夜の濃さを失いつつある空があたしの視界いっぱいに広がって、あたしの身体は唐突に冷たい空気を全身に受けて肌を粟立たせた。 身体は熱を持っていても、冬が訪れを知らせる風は熱いこの身にも少々冷たく感じてしまう。

「外…!」

 逃げに逃げ回って行き当たってしまったここは、建物の庭と町並みを見渡せるテラスになっているようだ。
 しかし、これ以上は逃げ場がない。
 空の果てでやや赤みを帯びている世界と共に、街が暗闇から浮かび上がる光景を前に思わず、手すりにもたれたまま頭を抱えてしまった。

「ぎゃー、 行き止まり!」
「―――、どうやらここまでのようだな」

 悶えるように叫ぶあたしの隣で、ルヴァイドは、出てきた扉を睨みながら白刃を抜く。
 白刃は空の色を得て淡く輝き、その輝きに息を呑むあたしの鼓膜に襲い掛かるように、耳を塞ぎたくなるほどの咆哮が轟いだ。
 酷い声だ。
 空気がびりびりと震えたことを肌で感じて、ルヴァイドが蹴破った扉を見やると。


 薄い赤白を帯び始めた世界で、分厚い扉が止め具ごと地面に吹っ飛んだ。



「オオオオオオオオォオォォオォォーーーーーッッ!!!」



 夜明けを迎え、朝焼けに満ちた世界に響き渡る。
 嗄れた声の咆哮。
 それは街の全てに広がって、街に溶けて消えていく。

「―――、ルヴァイド」
「…諦めろ」

 無感情な声のあとで、扉のない狭い入り口を潜り抜けてそれは現れた。

 肌がぞっと粟立つほどに凶悪かつ醜悪な顔が、薄く明るい世界に晒される。
 肉の削げた口から除く牙は唾液に輝き、荒い呼気がこぼれている。 荒々しく繰り返される呼吸に合わせて上下する身体は、太陽が顔を出そうと果てから登りつつある朝焼けの下では半端なく大きく映り込んで、あまりの存在感に、たまらず腰が引けてしまう。

 それでもあたしの唇は、震えた声で懇願する。


「だ、め」

「…、

「おねがい。 …、やめて」


 鬼は、あたしたちを睨んだまま低く、腰を落とす。
 それは獲物を捕らえようと飛び掛ろうとする獣の動作に近い。
 殺意に満ちた金色の目が絡めるようにあたしを睨み付ける―――だめだ。 怖い。 そんな恐怖に思わず一歩後ずされば、それに合わせてあたしを背に庇うように一歩進み出たルヴァイドが、朝焼けの色を得た白刃の先を軽く振ると、両手で強く握りこんで剣を構えた。

「ルヴァイド」
「下がっていろ」

 …どこまでやさしい人なんだろうこの人は。
 それよりさっきの、あたしの話を聞いていたのだろうか。

(ああ、でも)

 …それでもやっぱり首を横に振るあたしは、なんてずるい人間なんだろう。


「―――おねがい」

 でも、嫌だったのだ。

 殺されたくない。
 殺させたくない。
 死にたくない。
 死なせたくない。
 どうすればいい。
 どうしたらいい。
 何をすればいい。
 何をしたらいい。
 できることがない。
 できることが見つからない。
 できることが思いつかない。

 どこまで考えても、思考のループに落ちてしまう。


 鬼が腰を落としたまま、剣を握り締める手に力をこめる。
 ルヴァイドも剣を握り締めて完全なる殺意をその目に宿らせる。 二つの殺気がぶつかり合って、あたしの肌と、この場の空気をびりびりと震わせる。




 もう、何もできない。


 どうすればいいのかわからない。



 どうすれば













”―――でもあなたは、きっと悲しい”













「―――――…っ…―――――!」


 脳裏に浮かんだやさしい笑顔に堪らず、腕を伸ばしていた。
 ルヴァイドの背中の服を掴んでそれを力強く引っ張ると、背後を警戒していなかったルヴァイドの大きな身体が傾いた。 広い背中が倒れるように手すりにぶつかり、その代わりに、あたしの身体が鬼の前に晒される。

!」

 馬鹿みたいに無防備に突っ立ったあたしに、鬼の剣が振り下ろされる。
 ルヴァイドの声と一緒に、空気が裂ける音がする。
 鋼の輝きが目に焼きつく。
 ぞっとするその輝きを前に、やっぱり呆然と突っ立っているのは、あたし。

 ―――けれどルヴァイドが信じられないくらい強い力であたしを抱き寄せて―――。


「ル」


 最後までその名前を呼ぶことが出来なかった。

 胸にあたしを抱きこんで鬼の鋼に背を向けた彼の力の強さに息が詰まって。
  ルヴァイドが死んでしまうのはあたしの身勝手さのせいじゃないかとようやく思い知って、そのことがとても悔しくなって、今までにないほどの後悔をしたから。






 ―――でも、あの騎士の、無理をして笑ったやさしい顔が、忘れられない。








 眩しいほどに焼きついて、忘れられなかったのだ。









 しかし鬼は、ルヴァイドごとあたしを貫くつもりか真っ直ぐに鋼を振り下ろす。
 ルヴァイドの肩越しに映る、眼前に迫る鋼。
 それはあたしたちの身体を貫く。
 肉を貫く音をたてて、その刃はあたしたちの命を絶つ――。



 そう思った、刹那。



「ぇ」

 無意識にこぼれた声は、激しく重なった鋼の衝突に打ち消された。
 酷く耳障りなその音はさっきから何度も聞いている。 鋼が重なる悲鳴だった。
 
「―――グルォォォオオッ!」

 鬼が、苛立ち混じりに吼える。
 けれどその鬼に立ち向かう黒い影は、吼える鬼と鋼の悲鳴にまるで構わず、影が握る白い刃は朝焼けの赤が薄くなった世界の中で火花を散らして淡い光の花を作りあげる。
 それはいくつも。
 幾度も鋼を重ね合わせて、瞬く光の花を白を帯びる世界に生み出す――力と力の衝突に、鋼が光の涙を散らす。 衝撃が目視できるまでそれら二つの重なり合いは凄まじいのだ。 …下手すれば、ルヴァイドよりもずっと眩い火花が散っているのではないか。

(な―――!)

 驚きに思考が吹っ飛んだ。
 あたしの目の前に見えるものは、黒い衣服に包まれた広い背中だ。
 ルヴァイドはあたしを抱き込んだまま後ろを振り向くと、彼もまた驚きに目を見開いた。 息を呑む気配が伝わるのは、ルヴァイドも、目の前で鬼と白刃を叩き合う人物の姿に心から驚いたからだ。


 あたし達の前に立ち塞がった影は、両腕を大きく振り上げた。
 再び、耳障りな音をたてて弾くように振り上げたその両手に握られているものは、同じ型と同じ長さの双剣だ。
 振り上げたそれの流れにつられるように弾かれるのは鬼の剣。
 またもや邪魔をされたうえ、唐突に現れたその存在へ驚きと戸惑いにうめき声をもらして、強引に弾かれて大きくよろめく鬼の身体めがけ、影が右腕を振り上げる―――次には、双剣の一振りが容赦なく、抉るように穿たれる―――その瞬間に、肉の削げた大口から溢れるのは凄まじい絶叫だった。

「ガアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」

 肉を貫き裂く音が。
 絶叫が、あたしの鼓膜を震わせて侵す。
 しかし影は――男は、脇腹に穿たれた刃をそのままに、あたしとルヴァイドに振り向いた。


 ――――そして白みを帯びた世界の中で、何よりも静かな音を紡いだ。




「――――ご無事ですか」




 あたしが見る世界はすでに、白みを帯びて明るさを増している。
 そんな眩しい世界の中で、穿たれて溢れ出す鮮血に声すら出せないあたしが聞いた声は、本当に、例えようがないほどまでに、酷く静かな声だった。

 声につられて見上げるものは、作りこまれたように整った相貌と、宝石のように美しい紫の瞳だ。
 酷く事務的な印象が強いのにその紫瞳は何よりも鮮明で、白い光を受けて艶を増す短い黒髪が、冷たい風にさらわれて柔らかに揺れている。 それは、とてもきれいな黒髪だ。

「ぁ、あんた…」

 出てきた言葉に、男は答えない。
 けれどその姿は確かに、以前に出会った時と何も変わらぬそれだった。


 そう、この男はルヴァイドの意識の中で出会った人物。
 名乗ってもらえなかったので、勝手に新手男という名前で呼んだような気がする。
 っていうか、安直過ぎるワタクシを誰かどうにかしてぇぇぇぇッ

「(いやいやそんなこと言ってる場合じゃなくて)……何で、ここに」

 男は答えない。
 けれど、ようやく腕の力を緩めてくれたルヴァイドとあたしの前まで歩み寄ると、音もなく片膝をついて、紫の双眸にあたし達の姿を映した。
 男の視線が何かを確認するように上から下へ移動する。

 何だろう。 と思ってそれを見返していると、薄い唇がまた、音を紡ぐ。

「…、お怪我は」

 ああ、怪我をしたかどうかを診ていたのかと納得すると同時に、その言葉は、ルヴァイドに向けられている言葉だと気がついた。
 けれどルヴァイドが言葉を出せないのは、今でもこの男がここにいる理由がわからないからだ―――ううーん、あたしはなんとなくわかるけど、それでも驚きに思考が飛んだままなので何も言えなかったり。

 ルヴァイドはしばし唖然と男を見つめていたが、口をぽかんと開いたまま間抜け面を晒しているあたしの顔を見てから「彼女が、頭に怪我を」と呟くと、男は、こくりと頷いて。


「しばしお待ちを―――。 こちらを先に、処理をします」


 告げられたそれは、事務的で酷く静かな声。
 これは誰かに似通った空気――そう、これを考えている時点ですでに、あたしの脳内は彼が何者なのか理解していた。

 けれどそれを突き止めるよりも先に、あたしは立ち上がる彼の腕を掴んでいた。

「待って」
「…」

 袖を掴まれて、紫の瞳がひたとあたしに向けられる。
 でも怖くはない。
 何も恐れることはない。
 姿形は違っても、彼がまとう空気はとても穏やかで、紫の瞳に、拒絶の色はまるでない。
 彼が身にまとう鎧は血に曇っていたけれど、何度か拭き取られた跡があるのは彼なりに手入れをしているということかと思うと、苦笑が込み上げて口元に笑みが形作られた。




「お願い、待って――――ゼルフィルド」




 機械兵士の名を告げたあたしに、男は驚きもなく無感情な美貌を保ったままだ。

 かわりに驚きを浮かべたのはルヴァイド。
 目を大きく見開いて、紫の瞳の男の横顔を凝視している。
 うむ。 彼の驚きはもっともだ…ただ、あたしはつい先ほど知っただけで、知らないままなら相当混乱していたと思う。 何の願望が叶ってしまったのかとひたすら悶絶していただろう。


 彼は、レオルドと同じ。


「処理しちゃだめよ…討つのは、シャムロックなんだから」
「あれの身体では討つこともままらない」

 まるでシャムロックがどういう状態なのかを知っているかのように告げた言葉に、あたしは驚きの声をあげてしまった。

「え、シャムロックに会ったの? …って、あ、シャムロック無事だった?!」

 そういえばシャムロックに討たせることばかりを考えていたけど、彼も重傷の身だ。
 ルヴァイドでさえもまともに受け止めることをしないあの力に、傷ついた身体が耐えられるかどうか…いや、無理だろうなぁ…。

「会ってはいないが、ここに向かう途中見かけただけだ。 あれでは辿りつくにも時間がかかる。 レオルドも我に気がついてからはトライドラの騎士の支えにまわったが…まだ時間はかかるだろう」

 ゼルフィルドの、淡々とした言葉にあたしは安堵の息を吐いた。


「そっか、レオルド…シャムロックを支えてくれてるんだ」



 それはどんなに力強いことなのか、


 レオルドはきっと、知らないんだろうなぁ。



 そんなことを考えて笑ってから、レオルドの優しさに、じわりと温かいものが奥底から滲み出た。
 込み上げるそれにたまらず胸の服をぎゅっと握り締めて俯くと、ルヴァイドがあたしの背中をとんと叩く――それにまた、少しだけ泣きそうになった。

「何が起こっているのか理解は出来ないが…、良かったな」
「うん」

 なんか、元気でた。
 本人達がどう思って行動しているのであれ、レオルドがシャムロックの傍にいてくれたというその点だけでも十分に励まされる。

「――ゼルフィルド」
「はい」

 ルヴァイドがあたしを立たせながら、そこで初めてゼルフィルドの名前を呼んだ。
 彼は紫の瞳でまっすぐにルヴァイドを見つめてから、彼はゆるりと片膝をついて頭を垂れる。 物音ひとつない静かな動作で頭を下げるそれに、ルヴァイドは穏やかに笑む。

「人間だったのか」
「いえ――ただ我々は、どちらにでも在れるという異質さを得た存在です。 記憶を失っているために何のために、何故このようなことになっているのか知ることは出来ませんが…今までお話をすることも出来ず、申し訳ありません――ただ…」

 言い淀んだ最後の言葉への視線は、あたしに向けられていた。
 あたしが首を傾げるとそれはすぐに逸らされて、紫の瞳は地面に落ちる。

「ただ、このことに気がついたのは数週間前で」
「そうか――イオスも、驚くだろうな」

 ルヴァイドはそう苦笑を零してから……、剣を抜いた。
 ゼルフィルドも静かに立ち上がるとあたし達の前に出て、双剣の一振りを片手に握り締めて、目の前でのたうち回っていたそれに、風に置き去りにされて揺れない湖面のように静かな瞳を向けて、それの動きを見つめた。

「あ…」

 あたし達の目の前では、鬼が苦痛の呻き声をこぼしながら刃を腹から引き抜いていた。
 深々と刺さったそれをずるりと引きずる音がして、おびただしい量の血が堰を切ったように溢れ出す。

「リゴール」

 溢れ出すそれすらも構わぬと言わんばかりに、生々しい音をたてて引き抜いたそれを乱暴に投げ捨てると、怒気と殺意に満ちた金色の目は”殺す”とばかりにあたし達を睨め付けて、再び腰を低く落として飛び掛る姿勢をみせる――その瞳には、理性は完全に失せてしまっていた。


「ゼルフィルド、軍に残るように命じたお前がここにいる理由は後で聞こう」
「…、はい」

(ルヴァイドが心配だったから追って来たと思うんだけどなー)


 ゼルフィルドの主人はルヴァイドなので、彼がここに理由なんて一発でわかる気がするけども……まぁそれは、あたしが言うべきものではないと思うので黙っておこう。
 きっと、ゼルフィルドが影ながらルヴァイドをサポート(心配?)するのが彼らの在り方でもあるんだろう。


「オオオオオオオォォォォッ!!」


 存在を主張するように白い世界に響き渡るものは、手負いの鬼の咆哮だ。
 びりびりと震える大気を感じると同時に鬼の巨体が真っ直ぐに、あたしへと向かってくる。(狙われ続行中ー!?) 駆ける足は爆音にも似た音を響かせ、あたしの身体をあっけなく握りつぶせるであろう大きさの手が、爆音に立ち竦むあたしへと伸ばされる。

 鬼からあたしを護ろうと、剣を構えたルヴァイドがあたしの前に立つ。
 けれどそれよりも前に出て向かい来る鬼に立ち向かうのはゼルフィルドだ。 怯む色をひとつも浮かべず、ただ無感情な美貌を保ったまま、片手に握り締めた剣を持って、巨大な存在を迎え撃つ。

「オオオオォォォォッ!!」

 大気を震わせるその音にすら何も感じることがないのか。
 鬼と比べると十分に華奢な類に入るその身体は、剣を振るに最適な間合いに滑り込み、片手を鋭く振り上げた。 白い世界の色を得た剣先が、鬼の腹から右肩へと滑るように流れていく。

 その数瞬遅れて鬼から溢れるのは、滑るように流れた剣先の痕を示すように噴出す鮮血と、耳を塞ぎたくなるような凄まじい絶叫だった。

「ギャアアアアアアアアアアアアァァ!!」

「ぜ、ゼル!」
「この程度では死なない」



 そういう問題じゃないってばぁぁぁぁ!



 抗議するように叫んだとしても、整った美貌の横顔はどこ吹く風だ。
 ああああああどうしよう。 この人、本当にやっちゃうよ。
 だってルヴァイドのためにイオスごと撃ち抜く決意をするほどだもの。 ルヴァイドが絡むならきっとゼルフィルドは何だってやっちゃうんだ。



 ルヴァイドのためなら、ゼルフィルドは命だって敵前に晒せるんだ。



(って、 ど っ ち も さ せ る か − − ! )
 
 殺すことも死なせることも、させるわけにはいかないのだ。
 そんなことを許すわけにもいかないのだ。
 
 ぐっと拳を握り締めて顔を上げると、あたしはルヴァイドの腕をつかんだ。


?」

「――ゼルフィルド、今すぐ剣を収めて」


 身体を抱えて悶えるリゴールから意識を切り離し、あたしはゼルフィルドにそう告げた。
 ルヴァイドの腕をぎゅうっと掴んだまま紫の瞳を睨み返して、言葉を続ける。

「じゃないとルヴァイドはあたしと一緒にここから飛び降りるわよ」
「…」

 厳しい表情を緩めまいと顔をしかめたまま、見つめ返してくる紫の瞳を睨み返す。
 ――けれど、とても静かなそれを見続けているうちに、自分のやっていることがとんでもなく馬鹿馬鹿しいことなのだと気がついて、ルヴァイドの腕を放すと、泣き笑いにも近い表情で続けた。

 ―――もう、この言葉を何度繰り返しただろうと、自分の無力さが身にしみる。



「――お願いよ。 殺さないで。 シャムロックに、討たせてあげて」



 あれだけ走って、あれだけ怖い思いをして。
 あれだけ強気に言い放って、なのにこんな言葉を繰り返して――最終的には結局誰かに頼ることしか出来ない自分。

 自分が情けない。

 今日は本当に、情けないことばかりだ。


 でも、白い騎士のために、何か出来ることがあるなら、それをしてあげたかった。







 ”でもあなたは、きっと悲しい”







”あなたが悲しくならないように”








 傷を抉るような思いをしてまであの言葉を言ってくれた彼に、何かをしてあげたかったのだ。









 ―――とても静かな紫の瞳が、あたしを一瞥する。

 しばらく互いに視線を絡ませてから、ゼルフィルドは投げ捨てられた血まみれの双剣の一振りを拾い上げると、再び、痛みにのたうつ鬼の腕を地面に縫いとめるように、勢いよく振り上げてそれを穿つ。

 次の瞬間に響き渡るは、白い世界に迸るのは絶叫だ。

 今日はこれを何度聞いたのだろう――耳を押さえたくなるのを堪えて、それでも泣くまいと唇を噛み締めて俯いてしまった………これ以上は、本当に、聞きたくなかった。


(嫌だ、な…)


 でも彼は、許さないのだろう。
 もうまともに聞いていられなくて、諦めて、耳を押さえて蹲ってしまった。


「…ぅ、」


 吐きそうだ。
 肉の裂ける音も。 悲鳴も。 血の臭いを嗅ぎ続けるには全てが限界だった。
 ルヴァイドがあたしの名前を呼んだけれど、それに答えられなかった。


 ゼルフィルドが悪いんじゃない。
 誰かが悪いわけじゃない。 ただキュラーが恨めしいとは思うけど、あれはあれで自分から進んでやっているのだから、あたしがどうこう言っても彼には関係がないだろう。 果てしなくどうでもいいことだろう。
 もちろんあたしだって死にたくない。
 あたしが無力だったということも、悪くはないと思う。
 どうにもならない流れというものが、必ずどこかに存在する。 そんなものはどこにだってある。 夢見た願いが叶わないなんて、いつでもどこにでもある。





 彼がしていることは、あたしと同じだ。





 誰かが誰かを、何かを護るということは。





 誰かが他の誰かを、他の何かを切り捨てるのと同じこと。





 あたしもたくさんの声を無視して、ここまで護ってきたものがある―――。






「…―――、?」

 そこで――ふと、違和感に気がついた。

 身体を折り曲げて蹲っているあたしの目の前に、誰かが立っている。
 ゼルフィルドの靴だ。
 …けれどそれを知ると、ますます顔を上げられなくなった。 とんでもないことを言ってしまいそうな自分がいることは、自分が誰より知っていた。
 だから、込み上げるものをどうにか堪えて、何度か深呼吸を繰り返してから。


「もう、いいよ」

「…」

「―――楽に、してあげて」


 何故、シャムロックに討たせることにこだわっていたのか、自分でもわからない。
 どうしてなんだろうとその理由を探って、すぐに気がついた。




 嗄れた響きの、啼いている声が、聴こえた。




 誰かの名前を呼んでいた…そんな気がしていたから。





(―――シャムロック)





 とても、会いたい。




 何故か、彼に、とても会いたかった。





 ―――ぼんやりと彼の顔を思い浮かべたそのとき、腕が強く掴まれる。


「あ」


 蹲ったあたしを無理矢理立たせるように引き上げる。

 驚きに顔を上げたあたしの目には、精悍な顔のゼルフィルド。
 彼は驚くあたしに構わず、掴んだ腕を強く引いてあたしの頬を胸に押し付けるように抱き寄せると、腰にまわした片腕で抱き上げた。
 身長の高いそれに腰を抱かれただけであっという間につま先が地面から離れ、押し付けられた胸から男の熱が伝わる――温もりに、恐怖に止まった頭がゆっくりと動き出す。


 ―――何で?


 ゼルフィルドは、リゴールにとどめを刺していなかった。
 縫い付けられた腕を必死に解こうとしている彼は放置されている。 ルヴァイドもゼルフィルドの行動に半ば驚きの表情を見せていたけれど、彼はあたしを抱き上げたままルヴァイドに向き直ると、さらに驚くことをしでかしてくれた。



 なんということなの。



 その男はあたしだけでなく、ルヴァイドを肩に担ぎ上げてしまったじゃないか。



「な」

 ――― 一瞬、自分が何をされたのか理解出来なかったらしいルヴァイド。
 お顔が随分、珍しい表情を浮かべております。
 いやいやそりゃそうでしょうとも。 そうでしょうとも…。

(ってええぇぇぇええーーーーーー!?!? な、何この光景…?!)


 待って待って待って待って!

 どうなってるのカミサマ!


 鬼の存在を忘れ、そんな言葉が脳内にぶわぁっと広がってしまった。

 それこそアスファルトに咲き誇る花のように。
 大輪のごとく、ぶわぁっと。 オンリーワン。(錯乱しております)

 ……いやしかし、よく考えてみれば彼はルヴァイドよりも身長が高いので、力さえあれば可能ではあると思う―――可能ではあると、思うんだけど……黒騎士が米俵のように担ぎ上げられてるなんて、イオスやリューグが見たらどう思うんだろう。
 錯乱するんじゃないか。 いろんな意味で。(あたしはすでに錯乱モードに突入ですが)


「ちょ、ゼルフィルド!?」
「何を」

 あたしとルヴァイドの抗議の声に構わず、彼は鬼を一瞥してからそれを視界から切り離し。
 あたしとルヴァイドを抱えたまま、さらなる驚きの行動に出た。


「え、う、うそ」


 あたしの言葉が、そこで途切れた。
 人間を二人も抱えているというのに重さを感じないように軽々と、広いテラスの手すりの上に、足裏をつける。


 そして、予告もなく躊躇なく。




ヒィアアアァァァァぁぁーーーーーー!!!!




 ―――手すりから飛び降りた。

 当然、ヒィァァァァはあたしの絶叫でございます。
 いやもう、ギャァァァァでも良かった。 どっちにしろ、叫ばずにはいられなかった。

 叫んでいる間にも、景色は流れるように変わってゆく。
 実際に、上から下へと流れていく。

 流れにぐるぐると目を回しながら落下間に覚えているものは、落下にかかる奇妙な重力と、あたしの絶叫と、風の音と、あたしの腰を強く抱く腕の力だけ。
 って、やってもうたああああああこの男はやってもうたあああああああああ!!

 そうして錯乱している間にも、地面への到達はあっという間で。
 だんっ!と石畳を震わせるように響く音に我に返る……―――しかし、背の高い、しかも四階分くらいある高さからの着地は有り得ないまでに綺麗で鮮やかだった。
 さらには着地した本人は着地の衝撃にうめき声ひとつないのに、担がれていたあたし達の口からうめき声がこぼれるなんて有り得ない。

 脳と一緒に身体を揺さぶられた感覚に、思わず口を手で覆う。


「うっぷ、吐く…、わ?!」

「下がっていろ」


 あたし達を降ろしてから、ゼルフィルドが、腰の一振りを抜いて建物を見上げた。
 つられて見上げると、テラスには血まみれの鬼が、剣を握り締めたままあたし達を見下ろしている姿がある。

 が、次の瞬間にリゴールはあたし達を追うように飛び降りた。

「―――…ぅわっ!」

 身体が大きく重いせいか、着地の音もとても大きい。
 轟音に身が竦む。
 着地の影響で白い石床が弾けるように割れて、礫や欠片、粉になる。 けれどそれでも着地の衝撃を何ともないように立ち上がり、紫の目の男に低く唸り声をあげて睨み付けていた。 先ほどの一撃が相当効いたのか、警戒の色が相当濃い。

 けれどゼルフィルドはそれに立ち向かうことはなく、ただ、剣を握り締めたままあたし達を護るように立ち塞がっていた。


「ゼルフィルド」


「―――あとは、白い騎士にまかせるのだろう」



 ぽつりと。

 背を向けたまま呟かれた言葉に、あたしが呆気にとられたとき。









「――――――!」








 会いたい人の、声を聴いた。










NEXT



次こそ終わりでございまあああああああああす!
な、長々とお付き合いをさせてしまって大変申し訳ございませ…!
もう何が何やら。(自分で…!)書きたいことが多すぎてまとまりません。

ようやくゼル子登場。
擬人化の彼の登場を…!と思い無理やり長く。
原案はレオルドと同じく桐茉様の美絵を参照にどんぞ!もえしぬ。
ゼルフィルドはルヴァイド命のイメージを持つ秋乃でございます。
いいじゃないの我が将命!
彼の最後は本当に男前でございました…何であんな男前。でも生きててほしかったよ…!
彼の口調をすっかり忘れてしまったので、何かがおかしい部分があるかもしれません…。(今更!)
もうだめだサモンがあんまり思い出せない…もう一度プレイしてみようかしら。

でもレオルドもゼルフィルドも、やさしいひとだなというイメージが。
<やさしいひと>というより、<いっしょうけんめいなひと>、かな。

今後ゼル子がさんとどう関わるかはまた別の話に。
ようやく最後になりますが、ま、またお付き合いして頂ければ幸いでございます…!

2006.7.16