力が 必要だった




それがなければ守れないものが多過ぎた




だから 力を得た





―――――そのつもりだった―――――。








第75夜 -3-








 ――――雪を、思わせるような。
 儚く白い、けれど硬質な欠片たちが、
 見開いた目が捉える視界の中で舞った。


「ぐっ、ぁァアァ…!」


 同時に鼓膜を叩くのは、男の叫びと、砕かれた陶器の悲鳴。
 それらに身が竦むような感覚に襲われ、声高に鳴り響いたそれにシャムロックの体は強張った。 だがすぐにその強張りは解けて、逆に、冷静な思考を取り戻す。

 ――砕けた音は、全てを現実に引き戻すのに充分なものを持っていた。
 冷静さを取り戻したシャムロックが事態を把握しようとしている間にも、薄暗い世界の中、細やかな欠片が男の黒髪から滑り落ちるように赤い絨毯へとバラバラと散っていく。

「ぐ、おのれぇぇ…っ」

 こめかみを押さえながら苦悶の声を零し、男は後ろへよろめいた。
 陶器の破片をまともに浴びて傷つけられたのか、青白いその頬に一筋の赤い線が浮かんでいる。
 しかし、壷が壊れてしまうことは彼女にとって予想外だったのか、額に汗を浮かべているからは驚きの声が零れた。

「はぁ、はぁ、え、ウッソ…?!」

  よろめくように数歩後ろへ後退していくキュラーを前に、呼吸を乱しながら彼女が砕けた壷の破片を手に持って、息を呑む気配が空気を通して伝わった……”これっていくらなんだろう”という呟きが聞こえたのは気のせいだと思いたい。

、…っ…ぅ、ぐ…っ」

 どうにか名前を呼ぼうとして、それはか細いものとして終わった。
 しかし見上げる彼女の姿は、本当に、何ともないように見えた。
 彼女は、無事だったのか―――それを確かめたくて立ち上がろうとしても、背骨に激痛が走りそれを許してはくれなかった。 …ああ、頼むから、もう一度動いてくれ。
 そんな呟きさえも、身体に痛みを与えてくる。


 だが彼女は再び、予想外の行動へと踊り出た。


でぇえええいっ!!

 その猛攻は一度で止むことはなかったのだ。
 気を取り直して、追い討ちをかけるようにキュラーを追うと、彼女は再び、もう一本の細腕をスイングするように振りかぶり―――どこから見つけてきたのやら―――振りかぶる片手に握りしめていた鉄製のフライパンを、一撃目によろめく男のこめかみをしかと狙って躊躇なく振り払う。
 躊躇なし、容赦なし。
 寧ろ容赦する気もなければかけてやる情けもないと言わんばかり。

 ゴォーンッと、鉄が震える重みを持った音が響いて、それをまともにこめかみにくらったキュラーは、強烈な連撃に堪らず声を零して膝をついた。

「が、っァ――――――!」

 女の細腕とは言えどそれでも勢いをつけてぶつけられた力はキュラーの脳を荒く揺さぶり、不愉快な鈍痛を招き入れただろう。
 その鈍痛は一瞬の思考を妨げるが、それでもキュラーには何が起こったのか、何者から攻撃を受けたのかしかと理解しているようだ。 怒りを灯した赤い瞳が襲撃者である彼女を睨みつける。

「っ…おのれ…!」

 しかし、当の彼女はすでに、キュラーを視界に認めてはいなかった。


 ただ。

 目の当たりにした光景を呆然と眺めていたシャムロックへと、駆け寄り。



「シャムロック―――!」



 体当たりをするように、シャムロックに飛びかかった

 華奢な身体が勢いをつけて、唖然としている騎士へと突っ込む。


「う、わ、うわぁっ!」

 当然、この身体ではまともに受け止めることも出来ずシャムロックは押し倒されるように背中から転倒した。 突然の体当たりに背骨がビキ、と悲鳴をあげて、身体中に走る激痛に堪らず苦悶の声が零れるが、はシャムロックの顔を掴むと引き寄せて、呼吸を乱したままぺたぺたと触れてくる。
 ――その行動の意図が全く把握できず、シャムロックは、驚くしかない。

「な、…」
「はぁっ、はぁっ、ど、どーやら、…無事っぽいわ…」
「―――――――――、あ」

 息が荒い。
 触れている手は熱を持ちながら汗ばんで、息を切らしているその姿から彼女が全速力で走ってきたのだということがわかる。
 運動効果の血色良好のためか頬は艶を帯びるように淡く色づいて、疲弊しきった表情混じりでシャムロックを見て安堵するようにが笑うと、彼女が何者にも害されていないのだという何よりの証拠となった。
 ――――途端に、シャムロックの心の内に安堵が広がってゆく。


「はぁ、はぁ、はぁ……ま、まにあって、よかった」

 ぐったりと肩の力を抜き、シャムロックを抱きよせてその肩をばしんと叩きながら(再び、苦悶の声が零れたが彼女には聞こえなかったようだ)。 ”よかった”――それをもう一度呟きながら俯くように、そっと、首筋に顔を埋めてきた。

 いつになく近いそれに、吐息でくすぐるように、耳元で呼吸が繰り返される。
 酸素を取り込もうと浅く上下を繰り返す小さな肩に、おそるおそる、手を伸ばせばその身体は熱く。 いつになく激しく脈打つ鼓動が掌に、確かに伝わる。
 ……彼女はちゃんと人の肌を持っていて、歪な部分を露にしていなかった。


 彼女の熱が、触れる肌を通してしみこんでくる――――。


「――――」

 無事だ。
 五体満足。 大きな瞳に灯る強い意志の光もまた何者にも侵されていない。
 は無事だ。
 今のリゴールのように、何かが憎くて憎くてそれを喰らいたくてたまらないというような目とは違う。
 死臭も、腐臭も、何もない。



 彼女はちゃんと、生きているヒトの全てを持ってここにいる。



「―――――――」

 それを理解すると、何故か、胸の奥から熱いものが込み上げてきた。
 泣きたくなる感情のようだ。
 しかし涙を流したいわけではない。



(…感謝、します)



 ただ、誰かに。



(感謝します、感謝します、感謝します―――――――)



 無性に、誰かに感謝を、したかった。

 を守ってくれた誰かに。
 が無事であったことに。
 感謝したかった。
 感謝を。
 ありがとう。
 彼女を守ってくれた誰か。
 彼女を守ってくれた何か。
 彼女が無事だった真実。



(感謝します―――――――)





 色々なものを取り零してしまった自分がそう思えたことにもまた、熱いものが込み上げた。















 そんな彼らの光景を見て。「うううううううう〜〜〜〜っっっ!」

 八の字に眉を歪め、唇を噛み締めて呻くような声を零すトリスにマグナはぎょっとした。
 鬼との戦闘中に妹の唐突な異変である。
 兄でなくとも誰もが驚く。

「と、トリス?」
「うううぅぅ…さん、無事だった〜〜〜〜っ」

 杖をぎゅっと握り締めて、泣きたくなるような感情を押さえつけて搾り出したのはその言葉だった。 リゴールの異変を目の当たりにしてしまったのだから、その不安は当然かもしれない――――トリス自身も召喚師で、その術の恐ろしさも、常識を超えたその非常識さも全て知りえている。
  この世界は、それを容認する世界。
 だからこそ誰に降りかかるのか、誰の全てを変えてしまうのかわからない。

「無事だった無事だった無事だった〜〜〜〜っっ」
「…うん、きっと、レオルドがしっかり守ってくれたんだ」
「うん、レオルド偉いぃ〜〜〜っっ」

 くしゃくしゃになった顔も隠さず、トリスは杖をより強く握り締めて俯いて―― 顔を上げた。
 一番奥底にあった、心の不安は掻き消えた。
 心配で心配でたまらなかったから、ただ、不安に苛まれていた。

 だがそれももう、終わり。 
 次はこの状況を打破するために立ち向かうのみ。
 ――シャムロックには申し訳ないが、ここで死ぬわけにはいかなかった。


 鬼の呻き声満ちる空間に、若き召喚師の詠唱が木霊する。


「古き英知の術と我が声によって、今ここに召喚の門を開かん」


 霊界を指す紫光の粒子が踊り、紫石を通して小柄な身体をやわらく包み込んでゆく。
 閉じられた門を開く少女は召喚師。
 非現実的世界は非現実的力で切り開き、自らの意思でその力を使役する者。
 幼く未熟だったその力は少しずつ、そして確実に成長している―――トリスの心に呼応するかのように、その力は彼女が本来持つ真の物へと目覚めてゆく。

 少女に対する危険を本能で感じ取り、術を阻止せんと疾走(はし)る巨体が、少女の姿を影で覆った。
 岩のように硬い筋肉を引き締めて、紫光をまとう少女を引き裂かんばかりに振り下ろされるのは、醜く歪み、長く生え伸びた鬼の爪――― 、だが。

「遅ェよッッ!」

 振り下ろされるそれを、鋼の槍が迎え撃つ。
 巨体の鬼に怯むことなく立ち向かうのは小柄な身体。 長い耳は咆哮を聴き、赤い瞳は鬼を見上げ、けれどその口元は愉快そうな笑みに歪め、握り締める槍は確実に、少女へ向けられた攻撃の全てを弾き返す。
 ―――少年は霊界サプレスから呼ばれた、少女を護る者。
 人には有り得ぬ一対の赤い翼の形状は、少年が悪魔だということを示していた。

「オラ、さっさとこいつらブッ飛ばせよなァッ、ニンゲンっ!」
「わかってるわよー! でも急かしたせいで巻き込まれても知らないからね!」

 憎まれ口に気分を害するようにトリスは顔を歪めたが、それは一瞬のこと。
 その横顔は神秘の術を操る術師に相応しいものへとすり替わり、静かな面を鬼へと向けて、少女は声高にその真名を紡ぎ、異界の者を召喚する―――!

「パラ・ダリオ!」

 告げられた真名。
 それは瞬時に扉を開き、霊界サプレスに生きる命をリィンバウムへと呼び寄せた。
 たとえそれが一方的な召喚であろうとも、人間が無理矢理に束縛され、顔を覆い隠すかのように仮面を被り、身にまとうかのように仮面を身体を飾る、霊界より出でたソレは不気味な静けさを持って鬼を見据えていた。
 視界を閉ざさぬようにぽっかりと開いた面の穴の向こうは、生きる者の瞳ではなく、ただの虚無を称えている。

「―――永劫の、」

 ソレを傍らに従えて、紫光の粒子をまとうまま、トリスは静かに呟いた。
 召喚獣とは交わされた誓約に従い、命令に背くようなことがあれば主の意思によりその身は身を裂くような痛みに苛まれるという。 
 そして、命令に従わねば自分の世界に戻ることも出来ない。
 だからこそ多くの召喚獣は誓約を嫌い、誓約に縛られてしまえば彼らの帰る道はなく、従うしかなかった。

 ―――フ、ォ、ォ、ォ…!

 仮面越しに零れたそれは声なのか、呼吸なのか判別がつかない。
 だが永劫に縛られ続けるであろうことの定めを持つソレは、主のため、自らの世界へ戻るためその力を解放する。
 縛られたその身が放つのは、紫の雷光。
 雷が互いに触れ合い、バチバチと弾けるような音を立てながらそれは、鬼へと狙いを定める。

「―――、獄縛っ!」

 雷雲の中で弾け合う雷のごとくの威力を持って鬼へと疾走(はし)るその力は、瞬き1つの瞬間に鬼を捕らえた。
 熱と光に苛まれて、鬼を襲うは神の雷にも似る地獄の力。

 凄絶な悲鳴が肉の削げた大口から溢れ、身を焼かれ肉が焦げる匂いが、謁見室に満ちていく。
 その光景に顔を歪めながらもトリスはそれから目を離すことなく最後まで見据え、電撃が収まるのと同時に、彼女の視界の隅で小柄な影が飛び出した。

 身の丈の長い槍が、少年の手の中で軽やかに踊る。
 天高く跳躍したその身体は槍を下方に構えながら、重力の力を得て激しい豪雨のように鬼へと迫り。


 そして、鋼の槍が鬼の心臓を貫いた。


 ―――どす黒い皮膚を貫いて、肉が濁った血と共に裂かれて行く。
 大口から溢れ出るのもまた、血。 それを喉に伝わらせながら鮮血を零して崩れ落ちるそれを最期まで見送って、彼女は護衛獣へと目をやった。
 絶命したそれから槍を引き抜き、頬にかかった血を拭いながらバルレルはそれを見返して、顔を歪める。

「フヌけたツラ、見せてんじゃねェよ」
「…、うん」
「こいつらは殺すしか助からねェよ、わかってんだろ?」
「――うん、わかってる」

 仲間を見回すと、誰もが、鬼を切り伏せていた。

 助からない。
 もう、誰も助けられない。
 誰もが、その事実に、表情を曇らせて。



 それでもここで死ぬわけにはいかないから、彼らは屍を乗り越えてゆく決意をした。



「―――うん、あたしも、まけない」



 生きるために、綺麗な手であり続けることは無理だ。
 大切なものを守るために、汚れないままの手であり続けることは無理だ。
 そんなこと、ずっと昔から知っている。
 ずっとずっと昔から、知っている。


 きれいなものなんて、この世界にはないのだ。


「―――オイ」
「ん?」
「…そういうツラも似合わねェからやめとけ」

 静かに注意されたそれに、トリスは苦笑した。

「兄妹揃ってホントそっくりだな、オマエら」
「そりゃー双子だし」
「オラ、さっさと他の鬼もぶっ潰すぞ」

 シャムロックが聞けば、俯いてしまうであろうそれをあっさりと言ってのけると、バルレルは身の丈に似合わぬ槍を手の中で鮮やかに旋回させて、赤い絨毯を蹴って駆けた。
 トリスもまたそれに続き、杖を持ち、短剣を持って、襲い掛かる鬼たちを迎え撃つ。



 濁った、黒い血が視界で舞う中で。



(ああ、でも)




 この世界には、きれいなものなんてないけれど




 本当に嬉しそうな笑顔で笑って、
 とても苦しそうに涙を流すひとは、知っているような気がする






 そんなことを、ぼんやりと考えた。















(セェェェェェェフ! ほんとにセーフだったぁぁぁ!)

 すっかりぼろぼろになってしまって倒れている騎士の体を抱きしめながら、心の中で、何度も何度も神様に感謝した。

 いや本当、神様ありがとう。
 何かヤバ気なものをかけられそうになっていたシャムロックは無事救出できたっぽいです。
 満身創痍ながらも元気そうです。(いや満身創痍なら元気とは言わないか)

(よし、あとは)

 ようやく酸素が体内で満たされて、いつものように巡り始めたのか息切れが収まり、、あたしはフライパンを握り締めて立ち上がった。

 睨み見据える先は、ようやく打撃から立ち直った鬼を操る召喚師。
 背に、立ち上がるあたしの身を案じるように名前を呟く白の騎士を庇い、あたしはビシィッ!と、フライパンを召喚師に向けて。

「さっきはよっくもやってくれたわねこのエロ顎、今度はこっちの番よ!」

 目に見えぬ果たし状を、青白いその顔面に向けて叩きつけてやった。
 それを叩きつけられた男の顔が微妙に引きつったが、無視だ。

 ―――ぶっちゃけ、この男はガレアノやビーニャよりも”苦手”と認識された。
 多分この男は、レイムの目を背けたくなるような部分を濃く深く受け継いでいるような気がする……人が嫌がっているというのに嫌がることをするとか……これはもう上司が上司なら部下は部下という法則か。

 しかしそんなことを思考の片隅で考えたあたしに。


「――今とてつもなく不愉快な想像をしませんでしたかあなた」


 キュラーの顔に、本当に、不愉快そうな感情が色濃く浮かべた。
 あ、この辺りはまだ常識人的感性なんですね。 失礼しました。 悪魔なのに常識人的感性というのもまた変な感じだけど。

「とにかく、 鬼になった人たちを戻して!」
「おや、まだ戻せると思っているのですか貴女は」

 そこで、キュラーがきょろりと首を巡らせて、あたしの傍にいるであろう男の姿を目で探し始めた。
 しかし辺りには鬼と、鬼と戦う仲間達と、リゴールと……の姿しか見当たらない。 それでもこの空間の隅々へと目をやって――――どうやらレオルドはキュラーに<危険人物>としてリストアップされてしまったようだ――――そこで探索を諦めて、再びあたしへと視線を戻してから、くつくつと喉奥で嗤う。


「――あの機械兵士に全てを知らされて、戻すことは不可能だと知らされているのかと思ったのですが」


 さらりと言い返されても、あたしはうろたえる事なく赤い瞳を見返した。

 知っている。 そんなこと。
 この都市の全ては間に合わないのだと知っている―――けれど、背後で声を失っている騎士に思い知らせるには、割り切るようにその心を断ち切るには、キュラーの、確かな言葉が必要だった。

 あたしはシャムロックへと向き直って。

「シャムロック、聞いたでしょ」
「…」
「あたしたちじゃ、誰も助けてあげられない」

 言葉に、鳶色の瞳が弱々しく、あたしを見上げた。
 その姿に思わず、ルヴァイドの姿を重ねてしまう――ああ、彼もあの国の事を知れば、こんな目であたしを見上げてくるのか、と。

「腹をくくって。 覚悟を決めて」
「……」
「そして考えて。 今、誰が一番苦しいと思っているの?」

 鬼へと変わり果てた人間。
 憑依の術は、その人間の魂と心を侵すのだ。
 その苦痛。 その恐怖。 それは、自分が自分でなくなっていく感覚と共に死を宣告されることと同じこと。
 死にたくないと悲鳴をあげても、それさえも鬼の糧として飲み込まれて沈む。
 
 

 ”自分が、得体の知れぬ力によって消失する”という事実は、本当に恐ろしい。

 

 ―――ずっとずっと。
 悦びと、根深い恨みを持つような咆哮を耳にしながら、暗闇に包まれた回廊を延々と走り続けて。(そのときに間違って食堂に辿り着いてしまったのだけども、そこからフライパンを拝借)

 その声を聴いているうちに、”あたしもああなるのか”と思った。



 自分が自分でなくなって


 いつか、何かが憎くて堪らないような声を出して、


 最期には、何もなかったかのように消えるのかと。



 数十分前に思い知った自分の異常さに、ぎゅっとフライパンを握り締めつつシャムロックを見下ろす。
 彼は、完全に項垂れていた。
 深く、深く俯いて、ぎゅっと目を伏せて、唇を噛み締めている。

「シャムロ―――」

 シャムロックの肩へ手を伸ばそうとした瞬間、頭上に、深い影が落ちた。
 顔を上げれば、いつの間にか複数の鬼があたしを見下ろして。 

「!」

 危険を察知して本能のままに、伸ばそうとした手をそのままにしてシャムロックを突き飛ばした。
 あたしのそれに、身構えてもいなかったシャムロックの身体はあっさりと吹っ飛ぶのだけれど、頭上を影で覆い尽くした何体もの鬼の、何本もの手があたしへと迫る。
 どす黒い皮膚と醜く歪んだ爪が眼前に迫り、あたしの身体を掴もうとその掌を広げて―――。

 その手は、空を切った。


「え」


 視界が、目でその動きを追えないほどまで目紛(めまぐ)るしくブレる。
 そしていつの間にか、突き飛ばしたシャムロックの真横にあたしはいた。
 ……瞬間移動(?)ってこんな感覚なのか?と目を丸くしつつあたしを腕に抱く男を見上げると、物静かな赤い瞳が黒髪を揺らして、あたしへと向けられる。
 …どうやら、彼があたしを抱えてここまで走ってくれたようだ。 それもすごい素早さで。

「――お怪我は」
「な、ない」
「…シャムロックを、説得できなかったようですね」

 隣でぼんやりとあたしとレオルドを見上げるシャムロックには、戦意も何もなかった。
 この国の騎士はこの状況に完璧に置いてけぼりにされて、再び立ち上がってくれると勝手に期待をしていたあたしは、シャムロックから目を逸らす。
 ――あたしなんかより、トリスやマグナの説得のほうが充分に効果的だったかな…。

「主殿はここを動かないでください」
「レオルド」
「鬼が貴女を見ました――、貴女は彼らの獲物になる」

 そう。
 何故だかよくわからないが、あたしは召喚獣に狙われやすくなったらしい。
 最初、この世界に来たときはそんな傾向は全くなかったのだけれども…今ではその異常さが、あたしの中にあるモノと関係しているのではないかと、推測できる。
 推測できるのだけども……とてつもなく迷惑な話だわ……。(げんなり)

「鬼からは出来るだけ距離を置くようにしてください」
「あ、…レオルドは?」
「自分は、――貴女をお護りすることに必要なことをするだけです」

 あたしをそっと降ろしてから、レオルドの言葉が終わると同時に彼は緋色の床を蹴った。
 地面を蹴る足に緋色の絨毯は大きく乱れるも、体勢を低くして、しなやなか肢体を持って獲物へと駆ける豹のように、彼は鬼へと接近する。
 それは本当に、風を切るように。
 鬼は、迫る黒い影を本能で敵と察知して身構えるが、力強い跳躍を持って黒い影が宙に踊り、長い髪をなびかせて現れたレオルドは懐から取り出した銀を指へと絡ませると、巨大な鬼の眼前に迫り。

 鬼の目を狙い、指の間に挟んだ銀色のナイフを矢のように放った。

「ゥガアァアアああああぁああぁッッッ!!!」

 狙いを違えることなく両目を打ち抜いたそれに、鬼が絶叫を上げた。
 あまりにも凄絶なその叫びに鬼と戦っていたマグナたちが驚いてこちらを見るが、レオルドはそれらを全く、眼中にもいれず次の標的に向けて再び、銀の刃を放つ。
 視界を奪い、動きを鈍らせようという算段か。
 あたしがフライパンを拝借したときに、レオルドも包丁ではなくナイフを拝借していたが、レオルドが操るとそれは充分に、驚異的な武器と化けた。

 鬼の隙間を縫うように疾走(はし)り、黒髪を躍らせて銀の刃で鬼の両目を撃つ姿はどこか、優雅な演舞のようにも思える。
 というか、ただのナイフだというのに何なのこの優雅さは…!


 両目を押さえてのたうつように地面に膝をつく鬼が増える中で、あたしはレオルドの予想以上の猛者ぶりにもう、唖然とするしかなかったのだが。

「やめろ!」

 しまった、と思った時には遅かった。
 動けないはずだったシャムロックが、赤い外套を翻してあたしの真横から飛び出して、リゴールに刃を向けようとしたレオルドへと剣を向けて振りかぶる。

「(ギャー!) シャムロック! やめて―――っ」

 しかし動けてもやはり、満身創痍のシャムロックだ。
 レオルドへ振り下ろす剣はいつものキレがなく、動作も鈍く、あまりにも覇気がない―――案の定、レオルドはそれをあっさりと交わすと銀刃のない拳を硬く握り締め、シャムロックとの間合いを一息に詰める。

 そして、白い鎧に覆われた腹部へ、手加減なしの掌底を放った。

「――がっ、はァ…!」

 硬い拳と、頑丈な鎧がせめぎ合い、強烈なその拳に鎧が敗北を認めるように、どごっ、と鈍い音をたてて形を歪めた。 それでも抑えきれぬ圧力に圧迫された腹部はシャムロックの口から呻き声を吐き出させると、大柄なはずのその身体をあっさりと弾き飛してしまった。
 
 ぶっ飛んだ騎士の姿に思わず、あたしの頭が真っ白になる。

「れ、れれれレオルドーォ! て、手加減くらいしてよ!
 あぁ、シャムロックしっかり! 白目剥いてる場合じゃないわよ!」

 パパパァンッ!とビンタを3発くらい当ててから叩き起こすと、シャムロックも無事に意識を取り戻したようだ。
 腹部を押さえて咳き込みながらも、ぼんやりとした目であたしを瞳に映して――その目は、いつの間にか背後に現れた鬼の姿に見開かれて。



―――!」

「え」



 バシンッ!




 ―――大きな手に、払い倒されて。


 全身が地面に叩きつけられた衝撃と共に、今度はあたしの意識がぶっ飛んだ。













 視界の中で、華奢な身体が強い力に横払われた。
 それはまさに飛ぶように宙を浮き、地面に叩きつけられてそのまま、ぴくりとも動かなくなる。

「主殿―――!」
「いかせませんよ」

 動かなくなった主に駆けつけようとするレオルドの前に、キュラーが立ちはだかる。
 その顔には愉悦の笑みを浮かべ、その腕にはシルターンの力で召喚された鬼の負の念で出来た泥をまとわりつかせて、レオルドを見据えている。

「安心なさい、あの娘の命を奪うようなことはするなと命じてあります」
「…お前は、知らないのか」
「―――?」

 言葉に促されるようにキュラーは視線を動かすと、リゴールは静かに、シャムロックを見下ろしていた。
 シャムロックは、剣を杖にしてよろめきながら立ち上がり、リゴールを見返してその名を呼ぶ。


「リゴール、さま」


 ―――しかしその彼もまた、丸太のように太い腕に払われた。
 の隣に並ぶように地面に身体を打ち付けるが、気を失っているの姿に、途切れかけていた意識をどうにか繋ぎとめて、シャムロックの剣を拾い上げて迫り来る鬼からを護るように背に庇う。

「やめてください、リゴール様…これ以上、誰も、傷つけないでください…」
「―――」
「元に、もどってください、…それが無理なら、どうか、どうか、命令を」



 あなたをころせという、めいれいを。



 そうでなければ、自分はとても、この鬼に剣を向けられそうにない。



 だがリゴールは何も言わず、無言のままシャムロックを再び、払う。
 横殴りにするように再び地面に叩きつけられ、それでも、意識を途切れさすまいと、激痛に苛まれる身体を精一杯に起き上がらせて、倒れたままの少女を見下ろしている鬼の名前を呼ぶ。

「リゴール、さま―――」

 その後の鬼の行動に、おそらく、誰もが驚いた。
 シャムロックだけでなく、リューグたちまでも…しかし誰よりも驚いたのは、彼を鬼へと変え果てた召喚師だろう。
 彼は知らなかった。
 が、召喚獣によってその身が喰われそうになるまでに欲されるときがあるということに。

 だからこそ神経質そうなその細面全てが、驚愕の色に塗りたくられた。

「リゴール! お前は何を―――」
「退け!」

 レオルドが、キュラーの真横をすり抜けて鬼へと疾走(はし)った。
 目指すは、を太い腕に抱き上げ、謁見室の出口へと身を翻すその鬼へ。

 ナイフは既に底を尽きかけていた。
 背後から一撃を与えればいい…そう考えて、その考えはすぐに斬り捨てられた。
 目はともかく、鬼の身体は鋼にも似たものでもある。 たかが城の調理器具であるこのナイフでは、あの身体に突き刺すことすら困難だ―――この一撃で確実に仕留めなければ、レオルドの、遠距離からの攻撃をする術はなくなる。
 だからこそ、確実に仕留める瞬間を見極めなければ―――!

「待ってくれ!」
「っ」

 シャムロックに腕を掴まれ、レオルドの動きが強制的に止められた。
 その瞬間に鬼の姿は闇に消え、それでも望みをかけてナイフを放つが、暗闇の向こうに消えた闇の中では悲鳴の一つも響かず、ただ、沈黙だけを称えるだけだった。

 レオルドは、怒気にも似た光を瞳に浮かべ、シャムロックを見た。
 眼差しだけで切り伏せられるほどの冷ややかさにシャムロックは息を呑むが、レオルドを睨み返し。

「私が、行く」
「…お前では殺せない」

 シャムロックの剣を奪い、をさらった鬼。
 主であるキュラーの制止すら聞かぬまま逃亡した――今頃は、相当な苦痛に喘いでいることだろう。 召喚主は、召喚獣に対し、凄絶な苦痛をもたらすことで絶対服従を強いることが出来るのだ。 キュラーの表情が苛立ちに歪んでいることから、今、その術は、間違いなく発動されているに違いない。
 の命を喰らおうとすることはその術によって止められているかもしれないが、もしも、のことがあれば――――。

「違うんだ――聞いてくれ、レオルド」

 シャムロックが告げた名前に、フォルテが「何ぃぃぃ!?」と叫ぶ声が聞こえた。
 他の鬼たちはすでに地面に沈んでいることから、彼らのほうでも、ようやく決着がついたのだろう。
 黒い血だまりに沈んでいるその光景にシャムロックは顔を歪めるが、一度拳を硬く握り、強い意志を再び瞳に灯し、レオルドを見据えた。

「貴方が今、何故、その姿かは聞かない。
 そんな時間もない。
 そんなことは関係ない。
 今の私に分かることは、を救うべきだということと、リゴール様を―――討つ、べきだということだけだ」
「……」
「頼む、少しだけ時間が欲しい―――あの方を、私の手で……殺させて、ほしいんだ」


 払われたあのときに、ようやく、気がついた。

 今回もまた、本当に、
 取り戻せないほどまでに、こぼして、失ってしまったのだと。

 もう、何も取り戻せない場所までこの国は喰われてしまったのだと。



 そして誰もが、喰われて、苦しんで変えられていったのだと――――。



 それを今、ようやく気がついた。




 は何度も、それを伝えてくれていたのに。




「少しだけでいい、私に、あの方を殺す時間をくれ」
「……」
は、絶対護る。 私の身体を表に晒して、この命と引き換えにしてでも必ず。
 だから―――」

 言葉を紡ぐ声が震える。
 満足に動けないこの身体で彼を討てるのか疑問だが、それでも、を護って、かつての主を討たねばならない。


「――――頼む、レオルド」


 感情の起伏が薄い、端整な顔を、赤い瞳を見つめながらシャムロックは請う。


「あの方のために、最期に、唯一出来ることをさせてくれ――――」


 レオルドは無言のまま、シャムロックを見下ろしていた。
 彼は、痛みで叫ぶ身体が生み出す熱に呼吸を荒げて、崩れ落ちることを必死に耐えている。
 剣はない。 それは領主・リゴールに奪われてしまった。
 だが彼はそれでも、領主に仕える騎士としての役目を果たそうとしている。


「―――お前が一瞬でも躊躇えば、私があの鬼を殺す」


 冷徹さを思わせる言葉が、シャムロックの鼓膜を震わせた。
 だがシャムロックは何度も”すまない”と呟いて、今にも泣き出しそうな呻きを洩らし、気を引き締めるように、決意をするように顔を上げてキュラーを睨んだ。

 キュラーは肩を竦め、その睨みをやんわりと受け止めて。
 散々で予想外の結果ばかりだというのに、満足そうに、呟いた。

「聖女につられて構ったせいで、とんでもない誤算ばかりで本当に、割りに合いませんねぇ」
「……」
「ですがまぁ、ある程度の鬼兵は得られましたし、ワタクシも引き上げ時ですか」

 キュラーの長い指先に、赤い光がぽつりと灯る。
 その雫は足元に落ちると、ごふり、と、吐き出すように赤黒い泥が生まれた。
 それは彼の足へと絡みつき、そのまま、キュラーの身体がゆっくりと沈んでゆく。

「あの娘には驚かされてばかりで、まったく、興味が尽きません。
 我が主のためにも死なせる訳にもいかないのでリゴールの居所だけを教えて差し上げましょう……アレは、この都市の中央にある、庭園の中にいますよ」

 自分でどうにかしようという気はさらさらないらしい。
 ごぼごぼと泥に呑まれながら沈んでいく身体で、ゆるりと優雅な礼をトリスたちに向けると、
 赤い瞳は喜悦の色を込めて、歪んだ笑みを彼らに見せた。



「それでは、またいつかお会いすることになるでしょう――さようなら」



 そうして泥は、主を呑んで消えていった。











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あとがき

長編75-3をお送りいたします。
あんまりにも展開が進まなかったのが納得いかなかったので、書き直ししました。
ネスの部分をサクっと削除。そのうち使いまわしで出てくるかと(お前ェェェェ!)

まだ続く…?と自分で思います。あと2話くらいは続きそうな予感?です。

前回、全く出てこなかったマグナーズサイドで。
パラダリオの鳴き声がフォーというのはただの希望なので。ラモンじゃないです。笑。
トリスとバルレルは、バルレルがとてつもなく人間不信なので少しづつ信頼していくような感じです。ドリームなので、くっつくことはありませんが…こういう二人も好きだなぁと思います。
他にも森っ子やモーリンたちも出したかったのですが取り合えずこれで…いえダラダラと続くのもアレかなぁと…今でも充分ダラダラ続いていますが。(だめっぽい

レオルドが、ものすごく強い感じになってます…。
機械のときより強そうな感じです。もっとスピード感とか、重圧感とか出してみたい…で、出てくれ頼むから…!(もはや懇願)

ここまでお付き合いくださってどうもありがとうございました…!

2006.2.10
2006.2.11大幅加筆