力が 必要だった








第75夜 -1-








「ローウェン砦守備隊長シャムロック、御前に参上いたしました」

 淀みなく、朗々とした声で言葉は紡がれた。
 それは広間に漂う厳粛な空気に、誰もが口を閉ざす空間の中で呼応するように響き渡る。 だが青年は響く己の声に臆することなくベルトにかかった剣の鞘を手に取って脇に置くと、鎧の音を小さくたてながら緋色の外套(マント)をふわりと地面に滑らせて片膝を付き、片腕で鎧の胸に触れながら深々と頭を垂れた。
 ―――それは、完璧な礼。
 礼儀作法に疎くとも、彼が取った礼は完璧であり、なおかつ心からの礼であるのだということが充分に伺えた…その姿に、自分が立っている場所がいかに特別な場所かということを思い知らされて、トリスは内心「ひぇぇー」と悲鳴を上げてしまう。
 シャムロックの後方に控え、身を硬くして岩のように突っ立っていることしか出来ない。

(ううう、やっぱりこんな場所は合わない。 ニガテだ〜)

 シャムロックはまかせてくれていればいいと言ったが、フォローも出せそうにもなかった。
 というか、そんな余裕がない。
 慣れぬ空気にとんでもなく珍妙なことを口走ってしまわないか…そちらのほうが心配だった。 そうなれば兄弟子の説教だけではすまないことは目に見えていたし、目の前に立つ男はアメルのことやデグレアに追われることがなければトリスには一生縁のない人物になっていただろう。
 それほどまでに、相手は高貴とされる存在だった。

 ――― 一国の領主。
 国を、治める者…それは、新米召喚師である自分の身分など足元にも及ばない。 それを思うと身体はますます緊張に強張り、謁見を許可されて謁見室への入室を知らせる音楽と共に入場してからまだ五分も経っていないというのに、緊張のため無意識に拳を作っている掌(てのひら)は薄っすらと汗ばんでいた。
 あぁ、本当に、とんでもないことになってきたんだなぁと思い知る…不謹慎だが、これならばまだデグレアと戦っているほうが幾分気が楽だった。

 隣に立つ兄をそろりと見上げれば、厳粛な空気が満ちる空間に威圧のようなものを感じてか彼の唇は固く引き結ばれている。 それを見て緊張しているのは自分だけではないと安堵するも、相手の大きさを余計思い知らされてしまった。 見なきゃ良かったと、少し後悔。


(…でも、国の領主サマかぁ)


 ”今、目の前にいる人がそうなんだ”と、シャムロックの背後で起立をしたまま、玉座にも似た緋色の椅子に座っている男をちらりと盗み見た。(いや、一つの国を治める領主なのだから玉座の意味でも正解だろう)

 緋色の王座に座る男。
 鈍くくすんだ金髪を後ろにまとめ上げてすっきりとした印象を持たせ、その顔に刻まれているシワは彼が生きてきた年数を物語り、トリスよりも二周り以上は年齢を重ねてはいるにも関わらず老いらしい老いを感じさせない高潔さが滲み出ている、彫りの深い端整な面持ちだ。
 瞳は髪と同色で、強い意志の光を灯しながら真っ直ぐに、片膝をついているシャムロックを見据えている。

(…このひと)

 戦う人だ。

 見据える姿を一目見て、そんな印象を得た。
 それは、鍛えられた逞しい体や剣を振り下ろすであろう太い腕を見ただけではなく、トリスの本能が”彼は戦う人間だ”と感じ取ったのだ…それほどまでに、彼は戦士の目を持っていた。 

 シャムロックと同じ、祈りと願いと信念を持って剣を振るう人間の瞳。

 剣と戦場に命を晒し、その死線を幾度も繰り返し乗り越えて、ついにはあの緋色の玉座に座ることになった…聖王に任じられ、スルゼン、ローウェン、ギエンという名の砦とトライドラを治め、三砦都市トライドラの統治を任じられている領主・リゴール。

(すごいなぁ。 なんか、シャムロックが尊敬するのもわかる気がする)

 ―――王の器(うつわ)。
 リゴールという男はそんな言葉を思い出させてくれる。
 優秀な武人。 揺らぐことのない信念。 それを常に胸に抱えて、腕に抱えて、心に抱えて護りながら、支えにしながら彼は剣を振るい続けてきた…そんな光景さえも目に浮かぶような気がするほどまで彼が大きく見えて、圧倒されてしまう。
 この厳粛な空気を創り上げているのは彼だろうとすぐにわかるほどまで、その高潔さには平伏したくなるものがあった。

 そしてリゴールは、その唇を開く。


「―――任務、ご苦労であった。 シャムロック…顔を上げよ」


 言葉として放たれた低い声は威厳に満ち、はっきりとした響きを持って謁見室に広がった。
 この声で怒られたら恐怖が身に刻まれてしまいそうだとぶるりと身を震わせてしまえば、片膝をついたままのシャムロックが顔を上げてリゴールを見つめ返すと、ふと――リゴールの口元が柔らかく綻んで。

「よく帰ったな、数ヶ月ぶりだが…元気そうで何よりだ」
「領主様もお変わりなく、何よりです」

 リゴールはシャムロックの言葉にうむと頷いて、目を細めて笑みを浮かべ。

「変わりはないが、そろそろ歳を感じてきたようだぞ? 最近は眼鏡がなくては文字が見えん」
「え? …あ、その、り、リゴール様っ!」

 突然向けられたからかいに戸惑ったトリスたちだが、一番困惑したのはシャムロックだ。
 内容が内容なだけに領主の言葉を「はいそうですね」と肯定するわけにもいかず、あわてて諌(いさ)めるシャムロックの反応を愉快そうに笑うのはリゴールだ。
 ”軽き聞き流せば良いといつも言っているだろう”と、低く笑って楽し気な音を混ぜて呟く。

 予想外にも気さくな姿にトリスはあれ?と首をかしげた。
 少々強面(こわもて)な面構えのわりには随分気さくで大らかな人物らしい。 領主の言葉に厳粛な空気は少しばかり和らいで、緊張していたマグナやアメルはどこかほっとしたように口元を緩ませていた―――どうやら、皆それぞれが相当緊張した面持ちで謁見を望んでいたようだ。
 誰もがそんな自分に気がついて、ほんの少しだけ肩の力を抜くのを見届けてからリゴールは頷くと、柔らかに綻んでいた唇をきゅっと引き結び<領主>としての双眸でシャムロックを見据え、話を促す。

「さて、客人方も良い顔になったところで本題に入ろう」
「はい」
「何があった、シャムロック。 密書もなしに、お前自身がここに来るということは何かが起こったということだろう…全てを、隠さずに話せ」

 柔らかになっていた空気が、ぐっと張り詰めたものへと変化した。
 その変化を感じ取ってトリスはギクリと身体を強張らせてしまったが、シャムロックは頭を垂れ、息を呑み……望まれるままに、領主への報告を紡ぐ。

「―――ローウェン、スルゼンの砦は、デグレアの軍隊と召喚師により、陥落しました」
「何と」
「我らも奮闘しましたが、皆、デグレアの軍隊、強力な召喚術を操る召喚師に討たれ…」

 最後には、シャムロックの言葉は消えてしまっていた。
 この事実を思い出し、伝えることすら苦痛なのであろう…悔しげに唇を噛みながら、緋色の絨毯を睨むように視線を落としている。

 そんなシャムロックの柔らかな鳶色の髪を見つめたあとで、リゴールはゆるりと唇を動かした。

「そうか…皆、国のために戦ってくれたのか」
「…誰もが勇敢でありました」
「多くの兵が、死んだのだな」
「っ……、はい」

 振り絞るように紡がれた言葉を聞き届けたリゴールが、玉座から立ち上がった。
 縁(ふち)が金糸で彩られた緋色の絨毯を一歩進み、天高く広がる天井を仰ぎ、しばしその瞼を伏せる―――蝋燭の明かりに照らされる横顔からは何の感情も読み取れなかった。 彼が何を考え、何を思っているのかさえもトリスには何もわからなかった。
 けれどその姿は、死者たちへの祈りを、黙祷を捧げているようにも見える。

「続けてくれ」
「…現時点でわかっている彼らの目的は三つです。 一つは森の奥深くにあるレルム村で<奇跡の聖女>として敬われていた少女・アメル。 二つ目は異世界から召喚されたとされる少女・。 三つ目は聖王国への侵攻、および侵略かと」
「聖女と、異世界の少女…?」
「はい、デグレア軍直属部隊<黒の旅団>という集団にレルムの村は焼き滅ぼされ、村人は皆、殺されたと聞いております……彼女が、聖女・アメルです」

 シャムロックの言葉に、緊張した面持ちのアメルが一歩、前へと進み出た。
 柔らかな鳶色の瞳でリゴールの見据えたあとでシャムロックの隣に並び両膝を絨毯につけて跪(ひざまず)き、深々と頭を垂れてから再び、リゴールを見上げ。

「本当です、領主様」
「そなたが聖女か」
「はい、…村人で生き残ったのは私たちだけです…彼らは森に火を放ち、女子供も、病人も、無抵抗の村人にも剣を」

 紅い、炎。
 それは深い暗闇の中でも鮮やかで。 眩しくて。
 いつまでもいつまでも、脳裏にこびりついては輝いて、消えない。 離れない。
 悲鳴も。 動かなくなってしまった身体も。 灰になって燃え落ちる家や緑も。
 ―――全てはまだ、炎と共にいつまでも色鮮やかに刻まれている。

 思い出すだけで、デグレアが憎い。
 思い出すだけで、デグレアが恐ろしい。 悲しい。 悔しい。 もっと力があったなら、少し退屈ででも穏やかで日常を護れただろうか。 取り戻すことが出来ただろうか……それを何度、問いかけて、返らぬ答えに涙しただろう。 自分を嫌悪しただろう。


 ”何故自分が生きているんだろう”と


 そんな嘆きを何度繰り返しただろう―――終わった今では、全てが無意味だというのに。



 あの日常を


 あの村で暮らしていた大好きな人たちを取り戻すことは


 決して出来ないというのに、もう―――何度。




 無意味に、何度、繰り返して――――――…。




「可哀想に…」

 気がつけば、リゴールは跪いているアメルの前に片膝をついていて、気付かぬままに目尻から溢れて零れていた涙をそっと拭い取った。
 慰めるかのような、優しい言葉と同じでその仕草も、心から哀れんでとても優しいものだった。

「こんな少女が、平和な村が、軍に襲われ追われるとは」
「リゴール様…」
「心からデグレアが憎いだろうに…本当に、なんと惨(むご)いことをする」

 優しい、言葉。
 心からの哀れみがあまりにも心地よくて、涙が溢れそうになる。
 そう。 彼らは、本当に酷くて、残酷で、決して許してはいけない許してはいけない―――。


(ち、ちが、う――違う)


 アメルの胸の奥底の自分が、濁りかけた思考を否定した。
 確かに、彼らはひどい。 許せない。 リューグもロッカも、皆、許せないままだ。

 今も、彼らのしたことが許せなくて、悲しくて、夢にも見る。
 そのたびに悲鳴を上げて起き上がって、頬を涙でべっとりと濡らしながら泣き腫らし、あまりにも静かな沈黙が余計恐ろしくて震えながら朝を迎えた夜もある。
 鼓膜にこびりついた悲鳴と、木々が燃える炎の唸り声に、両耳を塞いで蹲ったこともある。


 何度も。

 何度も、自分達の心に響く。


 深く抉(えぐ)られた傷痕が疼くように。




 でも。









”もうやめてよ!!!”








(―――か、変わらなきゃ、だめ)

 鮮明に響いた声に感化して、それを心で呟けば、いつの間にか思考の奥深くに根付いていた、どろりと濁った憎悪が急速に溶けていくような気がした。

 何故、こんなにも激しい憎悪が、沸き立ってしまっていたのだろう。
 何故、こんなにも醜くて、自分でも嫌悪してしまうくらいまでの感情がどろどろになって、心を蝕もうとしていたのだろう……深い、深い思考の海から抜け出すように、アメルはぐっと顔を上げて真っ直ぐに前を見据えた。

 その眼差しに、リゴールは驚くように目を見張る。


「聖女殿?」

「…た、確かに、デグレアは、ひどいです―――でも」


 何故、弁解にも似たような言葉を、自分は紡いでいるのだろう。
 自分自身がわからなくなっていたが、けれど、今、が、が、泣いてた。


 震えた声で、が、泣いてた

 イオスに怒りと憎しみを向けられて、叫んでた

 殴られて殴られて血を吐いても殴られて殴り返したあの凄絶な光景



 それを見て、が泣いてた



 叫んでた




 心から 叫んでた




(決めた、の)

 返らぬ問いを、無意味に繰り返すことは無意味だ。

 けれど嘆きを、怒りを、悲しみを繰り返すことは決して無意味ではない。

 それは、心が叫ぶ証だ。
 膨大な時間の中でその傷はやがて薄れていくけれど、それでも心を叫ばせてやることは決して無意味ではない。 叫んでもいい。 悲しんでも、怒ってもいい。 傷ついたっていい。 喜ぶのもいい。 生きているのだから、それを失くそうとすることのほうが無意味なのだ。 失くそうと思っても失くせないのだ。 生きている限りは。


(変わるって、決めた)

 に言った。

 変わってみたいと。


 今もデグレアの彼らを許せないけれど、嘆きに明け暮れてばかりで周りの人たちに心配をかけることも嫌だと思ったから。
 ルヴァイドたちと戦う度にルヴァイドたちを責めて、言葉にが顔を歪めるのを見るのも嫌だから。
 もう二度と、彼女にあんな、血を吐くような叫びをさせたくなかった。
 本当に嫌だった。
 あのとき憎悪を沸かせたのはリューグだったけれど、でも、自分でも充分有り得て、そんな心を持っていて、いつ、それが爆発してを傷つけるんだろうと思うと恐ろしい気持ちにもなって―――とても辛くなった。

 許せないのに。
 散々傷つけられて、奪われて、二度と取り戻せなくなってしまったのはこちらなのに。
 何故か、心が痛くて、彼女の叫ぶ声が本当に辛くて仕方がなかった。


(だって、…さんのこと、好きだから)


 が、大好きだ。
 彼女は友達で、仲間で、互いが眠れない夜にばったりと出会えばギブソンに内緒で紅茶やお菓子をこっそり持って、月がよく見えるテラスで他愛ない話をしながら月を見上げてた。
 そう、眠れぬ夜は彼女も同じ。
 炎に彩られた夜が怖くて、悲鳴が鼓膜にこびりついて、震えていたのは彼女も同じ。


 みんな おなじ


「お、お言葉、ありがとうございます領主様―――でも、大丈夫、です」

 変わろう。
 変わろう。
 変われないかもしれないけど、頑張ろう。
 許せなくてもいい。
 憎いままでもいい。
 決して忘れたくはないけれど、苦しい想いはもう嫌だから夢もいつか薄れてくれると信じて。


 変わろうと思うこれは義務ではない。
 これは、願い。
 乗り越えたいという願い。
 いつまでもいつまでもその場に蹲っていれば、もう一度繰り返すだけだ。

 足掻いていても、また喪失の瞬間を繰り返すかもしれない。

 けれど、失ってしまうかもしれないそのときまでに。
 心配をしてくれている人まで、元気付けようとしてくれている人まで、悲しませてはいけない。


 悲しいままでもいい。


 けれど、そんな自分に心を痛めてくれる人がいることを忘れてはいけない。


 それだけは決して忘れてはいけない。


 大切な人に、苦しい思いをさせて、叫ばせてはいけない。




 そんなことになればまた、悲しいだけじゃないか。




「―――デグレアを、許すと申すか」
「領主様」
「…」
「許すのか、許さないのかは、まだ私自身にはわかりません。 ですがお言葉、本当にありがとうございます…とても辛いときもあるけれど、皆が今まで何度も助けてくれたから、私はもう、大丈夫です」

 どれだけの物を失っても、今まで守ってきてくれた。
 皆、皆、ここまで一緒にいてくれた。
 だから今度こそ、守る。
 マグナもトリスも、ネスティも、リューグもロッカも、みんな。
 彼らを救うためならば、奇跡の力を全て使ってでも救おう。



 これ以上誰も失くしたくないと願う、のことも



(…でも、何だろう)

 先ほどの、急激に湧き上がった負の感情は。
 何故あんなにもルヴァイドが憎く思ってしまったのだろう。 確かに彼らは、憎い仇でもあるけれど……自分でもわからないというのはおかしいではないか。


 それはとても不自然に勢いよく湧き上がった感情で―――…。


「…ッ?」


 ふと、臭いが鼻についた。

 それに一度、不思議そうに目を瞬いて鼻をスンと鳴らせば、強烈な異臭はますます鼻腔に入り込み思わず顔を歪めてしまった。

 異臭。
 そう、これは異臭だ。
 まるで何かが、肉が腐ったような、とても、とても嫌な匂いで、その臭いに視界がグラリと歪み、気分が悪くなって吐き気が込み上げてくる―――シャムロックにちらりと視線を向けても彼は何ともないようにアメルとリゴールの二人を見守っていて、この異臭にはまるで気付いていないようだ。

(どうして)

 どうして急に?
 どうして誰も気付かないの?
 こんなに酷い、ひどい匂いなのに。



 まるで 人が死んで



 その肉が腐ったような臭いが こんなにも立ち込めているというのに。



 奥底から込み上げる吐き気に耐え切れず思わず膝をついてしまえば、突然のそれに驚きを混ぜて放たれたシャムロックの声が広間に響いて、後ろに控えていたロッカとリューグがアメルの背を支えた。
 家族の温もりに安堵するもそれはつかの間で、むっと臭う異臭に、コホ、と小さく咳き込んでしまう。

「アメル!?」
「アメル、どうしたんだよっ」

 両手で口を押さえても吐き気はひたすら込み上げるばかりだ。
 涙も目尻に浮かび始めて、いっそ吐いてしまったほうが楽なのだろうと思うも、ここは謁見室であり目の前には領主・リゴールがいる。
 そんな無礼なことをするわけにもいかない……その一心でひたすら吐き気を呑みこもうとしてもそれは次第に喉奥にまでせり上がって―――もうだめだ、と我慢が限界を超えようとしたその瞬間。



 振り下ろされる刃が、涙で滲む視界に映った。



「ば―――」

 トリスの声が、ガキィンッ! とけたたましく鳴り響いた剣戟に打ち消された。
 それは何度も繰り返され、金属と金属がぶつかり合う音が次第に遠ざかっていくにつれ異臭の濃度も遠のいて薄れていく―――遠のいていくそれにようやく吐き気が収まり始め、それにほっと安堵しながらも力なく顔を上げれば、次には驚きに目を見開いてしまった。

 それほどまでに、アメルの視界が映したものはとんでもない光景だった。


「ば、バルレルくん?」
「ちょ、こら! バルレル何やってるのよ! 相手は領主サマ… いやーーっ!何だか高そうなカーテンが!

 トリスの悲鳴が謁見室に満ちたと同時に、バルレルの武器である槍が再びカーテンを引き裂いた。 ビリリリィッ! と鈍い悲鳴が木霊する(トリスの悲鳴も木霊する)が少年悪魔はおかまいなしに槍を手の中で巧みに操り、相手を―――領主を玉座へと追い詰めていく。

 バルレルの刃を受け流していたリゴールの背後に玉座が迫る。
 そこで初めて、リゴールの剣が反撃に出た。

 下から突き上げるように繰り出された刃を鞘で受け止めその切っ先をそのまま左へ打ち払い、バルレルの小さな身体がその力に流されるのを見て取ると、片手に収まっていた剣が細い首を切り落とさんばかりに躊躇なく振り下ろされた。
 振り降ろされるそれにバルレルは小さく舌を打つが、それを見越していたかのように力に流されてしまった身体を自ら大きく反らし、既(すんで)の所で首を狙う凶器を避ける。

 首を狙った刃が、ヒュッと空を切って通りすぎる音が鼓膜をくすぐった。
 それに低く笑いながら足の筋肉を盛大に使って上半身を持ち直すと、手の中で槍を素早く旋回させて再び、リゴールへと振り下ろした。

「ハァッ!」

 振り下ろされた長い槍とそれを受け止めた刃が火花を散らしながら合わさる。
 せめぎ合うようにギチギチと音をたてるが、リゴールは浅く膝を曲げ、力強く地面を踏み込みながら前に片足を進め、呼気を短く吐き出すと同時に槍を押し返せばその力に、小柄な身体は勢いよく弾き飛ばされた。
 力にせり負け、ガキンッ! と槍がバルレルの手から弾かれる。
 しかし後方に弾き飛ばされた小柄な身体は自身の黒い翼を大きく広げ、弾き飛ばされた勢いを殺し、ふわりと宙を舞ってゆっくりと着地すると悔しげに槍を握る自分の小さな手を見、毒づいた。


「ッチ、やっぱこの身体じゃ力比べじゃ負けちまうか…」

「こらバルレル!」


 見事な槍さばきを見せたバルレルを襲ったのは、召喚主の拳骨(げんこつ)だった。
 見事な音を響かせながら脳天に叩き込まれたそれにバルレルは”ギャ!”と悲鳴を上げて蹲るが、トリスはその首根っこを掴んで引き上げる。
 そして薄っすらと涙を浮かべている子供らしい大きな目を睨みやると、逆に、バルレルもその目をぎろりと睨み返した。

「何しやがんだ! ニンゲン!」
「それはこっちのセリフ! あんたこそ何やってんの! 領主サマに攻撃するなんて」
「信じられねェのはテメエらのほうだ! このクセェ匂い、ニンゲンにはわかんねェのかよ!」

 その場にいたニンゲンたちは、揃いもそろって首をかしげた。
 それにバルレルがケッと吐き捨ててトリスの手からするりと抜け出して、長い爪が生えている人差し指で別の方向を指す。

「…レシィ? ハサハ?」

 トリスが見た方向には、レシィやハサハが目尻に涙をためて蹲っている姿があった。
 どちらの顔色も酷く、流れる涙に頬を濡らしながら小さく小さく蹲って、浅い呼吸を繰り返している彼らの異変にようやく気がついた仲間達が彼らを診るが、少年少女はとても言葉に出せないようだ。
 ただひたすら小さく呻いて苦しげに蹲る。

「レシィ、しっかりするんだよっ」
「ハサハ、気分が悪いの? 大丈夫?」

 モーリンとミニスの声にもとても応えられないようだ。
 召喚獣の異変に戸惑いつつもシャムロックはバルレルを睨みやれば、バルレルは向けられたそれを鼻で嗤って。

「ンだよ、その目は」
「何故…リゴール様に刃を向けたんだ」
「ハァ?」

 問いかけに、バルレルの顔が呆れに歪んだ。
 しかしそれでも責めるような眼光を向けてくる騎士の姿に、レシィとハサハの異変に戸惑っている仲間達を見てから―――納得がいったように”フーン”と小さく頷いて、口元をニタリと歪めて嗤う。

「だからニンゲンはニブイって言われんだよ」
「何だと」
「ヒヒッ、知らねェほうが幸せだと思うぜ? 特に、テメエはな」

 からかいと、謎めいた声音を込めて放たれた言葉にシャムロックの眉宇がひそめられた。


 知らないほうが幸せとはどういうことだ―――?


 シャムロックの反応に満足気にまた一度笑って、弾かれて落ちた槍を拾い上げた。
 ひゅんっと軽い音をたてて少年の手の中で旋回するそれを眺めていれば、バルレルの瞳は再びシャムロックへと向けられ、槍の切っ先はリゴールへと向けられた。。

「そこのニンゲンがこっちに来た途端、臭ってきたんだよ。 俺は嗅ぎ慣れてっから別に平気だがよ、オンナやガキ共がビービー泣いてうるせぇからニンゲン…いや、<イキモノ>を遠ざけただけだぜ」
「…」

 先端を向けられたリゴールは、バルレルたちを静かに見つめているだけだった。
 しかし、彼の剣を握る腕が微かに痙攣しているのを見て取り、気遣うような光を瞳に浮かべてリゴールを見やるも、リゴールはシャムロックを見返すことはなかった。

 いや、今では誰の姿も映してはいなかった。
 ただ、先ほどの黙祷のように天井を仰ぎ、しかし目は最大にまで見開いて虚空を見つめている。 腕の筋肉が別の生き物のように大きく痙攣を始めても、彼自身は驚く様子もなく、ただ天を見上げている。

「リゴール、さま」
「げ、また臭いが濃くなったな…そろそろ剥がれるってかァ?」

 愉快そうにしながら<濃密になった臭い>にムズ痒くなったような嫌悪を浮かべて笑う悪魔を、シャムロックはゆるりと視線を動かして、見返した。


「……何が、剥がれるというんだ」


 問うてから、胸のうちに浮かび上がる予感がざわりと、大きく騒いだ。

 予感。
 それは、これから、シャムロックにとって決して良いことではないと告げている。
 それは、まるで、あのときのようだ―――脳裏に浮かぶ、燃え落ちた砦と同じ。


 緋色の瞳を持つ悪魔は、背を仰け反らせながらビクビクと痙攣を始めたリゴールの身体を呆然と見つめているシャムロックにニヤリと笑んで、告げる。


 剥がれ落ちていくものの正体を。






「死臭と腐臭を抑えていた、化けの皮が剥がれていくのさ」







 ―――バリッと、何かが裂けるがした。







NEXT

あとがき
ここまで読んでくださってどうもありがとうございました!
ようやくリゴール編です。
この間にさんたちはキュラーの奇襲を受けている時間軸でお送りします。
次で合流かな…?

リゴールは、素敵で渋いオヤジだと勝手に思っております。
オヤジ、めっちゃ好きやねん…!(台無し)

ちょっとあわてているので、こんなあとがきですみませ…!


2005.11.15