強く、鋭い衝撃に 何が起こったのか理解できなかった



 だが これだけは言える




 あの異質な存在の手から、確かに  逃れることが出来たのだと







第74夜 -3-







「―――ぐはっ、ァ…!!」

 鋭く、力強い蹴りが、キュラーのこめかみを容赦なく打ち込まれた。
 反動で吹き飛ぶように浴室の滑らかなタイルの上に叩きつけられ、脳を襲った突然の衝撃に眩暈と頭痛が幾重にも響きその間に思考能力がぶつりと途切れてしまっていたが、心は安堵で溢れていた。
 ただひたすら、今の衝撃をありがたいと思った―――あの衝撃がなければ、きっと、あの異質な存在の一部として呑まれ、消滅していたに違いないのだから。


「ぐっ…」

「そこで大人しくしていろ」


 衝撃に上手く動かぬ身を起こそうとすれば、感情に乏しい声がキュラーに投げかけられた。
 声の主へと視線を上げれば、この、異常なまでに冷ややかな空気を歯牙にもかけず、長く、艶やかな黒髪をなびかせながらへと距離を詰める姿が映る。

 それは、男だった。
 その男は、美しい顔立ちをしていた。 涼しい目元には気高さのようなものを漂わせ、黒と赤を基調とした服の下からは無駄のない、しなやかな体躯が浮かんでいる。 だが感情の起伏は薄そうだというイメージを強く持ってしまうのは、一度も笑った事がないと言わんばかりの完璧な無表情さが物語っているからだろう。

 その男の姿を視界に認め、キュラーは低く、笑い声を零した。

「クックック、まさか、貴方に助けられるとは…」
「助けたつもりもない―――ただ、お前が彼女の上にいるのは不快だ」
「不快? 貴方が、それを感じるというのですか?」

 男の赤い瞳が一瞬だけキュラーに向けられたが、それはすぐに逸らされて、男は、警戒に身構えているの腕を素早く捕らえるてあっさりと床の上に組み敷いた。
 元々体格差があるのだが、警戒している彼女を簡単に拘束出来たのは男の登場にが戸惑っていたせいだ…小さな悲鳴を上げてタイルに押し付けられた華奢な身体は、完全に男の支配化にある。

 男は、悔しげに唇を噛み締めるを見下ろして、低く呟く。

「主殿」
「…お前は…っ」
「主殿、眠ってはいけません」

 抵抗するにも構わず、爛々と輝く瞳を深く覗き込むように顔を近づけて淡々と言葉を紡ぐ男のこめかみから、ポタ、ポタと、雫が落ちていった。
 零れ落ちたのは、血だ。
 男は、傷ついていた―――衣服も破れ、血に汚れ、負傷者の有様だった。
 そんな男がどこから現れたのか…キュラーは、誰に教わる事もなくそれをあっさりと理解していた。 機械兵士が動かぬままに倒れていた場所へと目を向ければ、自分の部下が全て地に平伏し、腕や足を奇妙な方向に曲げながらびくびくとその身を痙攣させて倒れている。 その理由を考えれば誰にだって思いつく…しかしそれを信じるには難しい、有り得ない出来事でもあった。

 男は、の護衛獣でもある、機械兵士だった。

 鎖で拘束されていたのは機械兵士特有の大柄な身体だ。 今のレオルドならばその拘束は無意味となり、しなやかな体躯から繰り出される体技は充分な武器にもなっただろう。 その威力は、いまだに衝撃の余韻から解放されぬこの身が一番理解している。 下等の鬼が憑いて身体能力が上がったとはいえ、あの機械兵士の奇襲には敵うまい。

「主殿」
「離せ、うるさいっ!」
「お前は主殿の中に戻れ…お前は、異質な力だ。 表に出れば長くはもたない」
「…あんたも異質で、でもただの機械でしょう」
「そうだ」
「人の身体を得た機械兵士…その当時の記憶はなくとも、お前も、もう一人のあの機械も、あの女の道具として、どの命令を受けて改造をされたのか覚えてはいるだろうが!」

 口調が、空気が、とは全く別人の物として放たれた。
 放たれたそれは言葉と声を出すだけで強い魔力を帯びていて、叩きつけるようなその咆哮に大気が、再びざわりとざわめき脅えを見せた…さほど離れていない距離にいるキュラーでさえ、その力の波動に全身が粟立つのを自覚する。 恐ろしい。 喉まで出かかったその言葉をすんでのところで飲み込んだ。
 だが、誰よりも至近距離にいるはずの男の…レオルドの表情は全く変わらず、黒髪がぶわりと揺れるだけで、その力の波に眉を一つ寄せることもなく受け入れ、頷く。


「―――確かに、命令以外の記憶は、ない」


 ぽつりと零れたその呟きに、の瞳が驚きに見張られた。



「だがそれでも、悪意のある者から、お前から、あの方を護るのは今の自分の全てだ」



 赤い双眸に見つめられ、の、狂気に爛々としていた瞳がそこで初めて脅えを見せた。
 あれだけの力を持ちながら魔力とは縁遠い機械兵士に脅えるなどと、キュラーにはとても理解が出来なかった。 それより気になる単語がいくつも出てきたことに、好奇心が沸いて出てくる……あの女とは誰だ。 力とは。 命令とは。 改造とは。 一体、何のことだ―――?

(まだ何かあるのか)



 あの少女の中には


 まだまだ 多くの謎が秘められている?



 が、恐怖を振り払うかのように唇を噛み締めながら握り締めた拳を振り上げるが、その動作は、レオルドには届かなかった。 自分を拘束する男にぶつけようとした拳は、ぶるぶると震えを見せていた。
 それは怯えからではない。 自分の腕がいうことを聞かないような、そんな痙攣。 その自分の腕を忌々しげに見つめて、やがては呼吸を荒げながら、腕はくたりと冷たいタイルに落ちて行く。
 その光景に、レオルドはやはり淡々として。

「もう戻れ…二度と、出てくるな」
「っアハハ、カワイソウな機械! 飼いならされているとも知らないで!」

 狂気混じりの嘲笑が浮かび、はケタケタと笑い始めた。
 しかしその笑いをすぐに収めて、やはり、ニタリと薄く笑み。

「無理だよ、この女、また死ぬよ」
「死なせない」
「無理無理。 だって、あたしがちょっと話しかけただけで脅えてる」
「お前が中にいることを知らないからだ」
「知る機会は何度もあった。 あのイイ男や、眼鏡や、その弟子の双子? 彼らの中に入ることにも手を貸した。 しかももう一人のあたしと言葉を交わしたこともある…はあたし達を知っているけど、頑なに認めないだけ」
「……そう簡単に認められるものでもない。 お前の存在は異質だ」

 自分の中に、別の意志。
 理由もわからず、絶対に侵されない神域とも呼べる場所に全く別の意志が居座っているということは、己の中に安楽の場所がないことと同じだ。
 <別の意志>は決して、<自分>ではない。
 <自分ではない>存在に<自分>という存在を奪われるかもしれないと恐れる恐怖は、計り知れないものがある…自分自身を異常だと思うばかりで、とても認められないだろう。

「異質、ねぇ」
「……」
「ま、あの森の奥で死なないようにしっかり見といてやればぁ?」

 眠気に誘われているかのように、とろんとした瞳でがそう笑った、そのとき。



…ウオオオォオオオォオオオ……ン…!



 ―――低く、地割れのような大きな唸り声が城中に轟いだ。
 その声に、静寂だけが満ちていた城の窓ガラスはビリビリと震え、城の壁や床、高い天井に血を吐くような咆哮が幾重にも反響して満ちていくそれに、二人の光景を見つめていたキュラーは意識を現実へと引き戻し、自分が鬼を憑依させたリゴールの存在と自分の本来の任務を思い出すと、くらくらと眩暈が起こる頭を抑えながら立ち上がる。
 身体にダメージが残って入るようだが、それでも全く動けないというわけではない。

「どうやら、時間切れのようですね」
「…」
「貴方には借りが出来ましたが…返す義理もありませんか」
「―――何をした」

 レオルドの問いに、キュラーはおや?と目を細めた。
 次には響く声に心地良さそうに目を伏せて、細く長い指で顎を撫でて、”それではこれがお返しということで”と前置きを置いてから。

「あれは、この国の領主だった者の声ですよ」
「…鬼を憑かせたのか」
「そうです、今となってはもうその意識は消滅しているといっても等しいですが」
「エグイことするわねぇ」
「…貴女の存在のほうがエグイですよ」

 あれだけの魔力を隠し持っていたなど反則だと言わんばかりに、眠そうな目でニタリと笑うを呆れたように半眼で見下ろしてから、キュラーはとレオルドに歩を進め、彼らの傍らに立つ。

「貴女には二度と関わるまいと思いましたが…だが先ほどの会話はなかなか興味深い」
「お前も、主殿に近づくな」
「それは無理なお話です、機械兵士。 ……我が主は彼女を望んでおられる」

 ふわりと浮いて、キュラーの足が床から離れた。
 彼の向かう先。 レオルドはそれを理解していた―――今もなお、悲しみに満ちた声で叫ぶ鬼の元へ向かうのだろう。 自身の持つシルターンの力で鬼と化した住人や領主を操り、シャムロックたちをねじ伏せて、もう一つの目的である<聖女>を奪う…。


「ではまた、後ほどお会いしましょう」


 その言葉を最後に、赤い光がキュラーの身体から迸り、噴き出たそれは主であるキュラーの身体を赤黒い霧で包み込むと風を切るような音をたてて、その身体をゴボリと飲み込んだ。
 次の瞬間には、飲み込まれた長身は赤黒い粒子の名残りを虚空に散らしたまま掻き消える…空間を渡る力でも持っていたのだろう。
 今ではキュラーの存在感は完全に途切れていた。

 掻き消えるように姿を消したそれを見送ったあとで組み敷いたままのをレオルドが見下ろせば、寒さのためか唇は青く染まり、剥き出しの肩はその白さをより鮮明に醸し出しては、月明かりを受けて暗闇の中に淡く浮かび上がる―――眼を開いていなければ、死人のようだ。

「主殿」
「無理よ、この子、起きられないよ」
「…起きてください」
「あたしが深く沈めてやった。 深く深く、二度と出てこられないように」

 眠気に身を任せつつあるのか、はその瞼を伏せたまま呟いた。
 月明かりに照らされる寝顔のようなそれに僅かに目を細めながらも、青く染まってしまった、の唇から紡がれる言葉に耳を傾ける。

「あたしが今ここで消えてもは出てこない」
「…」
「仮に目覚めたとしても、これから、あんなちっぽけな魂があたし達の前を立てると思う?」

 嘲笑うかのような響きを混ぜて告げられた問いに、レオルドは、赤い瞳をに向け。


「立てる」


 きっぱりと、淀みなく告げた。
 それにの瞼が細く開いて、レオルドを見返す…今にも閉じてしまいそうな瞼を必死にこじ開けてレオルドを見返す瞳には、言葉にならぬ疑問が浮かんでいた。
 …何故、そんな、確信めいた響きをのせて告げることができるのだ?

「あの方は、お前の前に立とうとする」
「何故」
「そうしなければいけない理由があるからだ」

 の手が、覆いかぶさっている状態のレオルドの頬へと伸ばされた。
 その指先はとても冷ややかだが、青年の頬肉にやんわりと触れるとレオルドの熱が指先に移り、ちょっとした温もりが彼女へと宿るのが伝わる。

「主殿」
「…」
「―――シャムロックたちが、危険です」

 言葉に、の指先がぴくりと反応した。
 それに驚く表情を浮かべるは、信じられないような光を灯した瞳で自分自身の指先を見つめ、レオルドの赤い瞳を見つめ、小さく息を呑む。


「シャムロックたちが、あの声の主と戦っています」


 いまだに咆哮は鳴り止まぬ。
 元は人間。 今は鬼へと変じた哀れな魂の叫び声。 時折痛々しい悲鳴と変わるのは、シャムロックたちの戦いの激しさからだろう。 目の前に現れた危機に戸惑いながらも彼らは立ち向かい、元は住人のそれであった鬼たちの悲鳴に苦痛を覚えながら、剣を振るっているのだろう。

 …レオルドの言葉で震え出す腕に、が小さく呻き声を洩らす。


「眠りの声に耳を貸してはいけません。 貴女はまだ、消えるべきではない」
「…ぁ、ぁあ、っ」

 意味を持たない呻き声が数を増し、背が仰け反り、タイルに後頭部を押し付けるかのように喘いでゆく。 瞳は眠気から無理矢理解放されたかのようにはっきりと見開いて、レオルドの言葉を振り払おうと拳を固めて振りかぶるが、その腕はあっさりと取られ、タイルに縫いとめられてしまう。


「消えるべきではない」

「……っ」

「貴女はとして生を受けた。 それは何者にも侵し難い唯一無二の真実」


 自分の記憶は、酷く曖昧で


 だが、自分の中で絶対のものとして存在する ”命令” 



 < 護れ >



 それもまた、何者にも侵し難い唯一無二の真実



「…


 名を呼ぶ声は、温かみを帯びていた。
 それはレオルド自身も気付かぬ、ほんの少しの、ぬくもりだったが。





「貴女は 生きるべきだ」





 世界中の誰もが貴女を殺せと叫んでも 自分だけはそれを叫び続けよう














 ―――名を呼ばれて、眠気が、急速に遠ざかっていく。
 あれだけ淀んで、あたしを起こすまいと泥のようにまとわりついていた重みが、泥が乾燥していくかのようにパリパリに乾いて、ぼろぼろと綻び落ちて行くのがわかる。
 そう、まるで沼のような泥水の底に沈んでいたけど、急に浮上して、必死に呼吸して、沼を掻き分け、ようやく岸に辿り着いたような。 何重にもふたをして閉じ込められた世界から、ようやく抜け出せたような…だって、それくらいまでに身体が重く、ひたすら沈んでいくような感覚があったから。


 起きなきゃ


 まだ重々しい瞼を持ち上げて、何もない暗闇の世界の地面に腕をたてる。
 ガクガクと震え、力の入らない腕で身をを起こす。 なんて重たい。 こんなものを背負って寝ていたというのだろうかあたしは。 冬の布団より重い。 よく悪夢を見ないままですんだなぁとどこかで感心。


(起きないと…寝てる場合じゃない)


 誰かが、言っていた。


(シャムロックたちが、危ないって…言ってた)


 皆、危ない。
 だって、リゴールが鬼になってて、街の人の誰もが鬼になってて、そんな中で戦って、戦って、戦っているのに、どうしてのん気に寝ていられよう?
 でも、戦い方ってよくわからない。
 だから、そんなあたしが戦場ど真ん中でオロオロしていれば他の皆もオロオロするだろうし、逆に隠れていれば皆安心して戦えるんだろうけど、でも、あたしだって何か出来るかもしれない……… 例えばジョウユの実を投げるとか。 救急箱投げるとか。(キャッチし損ねたら余計瀕死だけど)……いや、ほんと役立たないなこれは…!


(いや取り合えず結果オーライな結果を目指してやるべきなのよ、うん)


 だって、あたしはこの先のこと知っているんだし
 あたしにしか出来ないこと、探せば、意外とあると思うのよ。

 探さなきゃ

 今、出来ること

 探さなきゃ



 あたしが、ここで出来ること



(まずは、目を覚ます事)


 その意識をしかと保てば、急に、何もない暗闇から色彩溢れる世界へと視界が開けた。

 色彩触れる世界。
 それは、いつもは意識しないような月明かり、優しい夜色が満ちている世界だ。
 しかし何よりもまず一番に目についたのは、あたしの上に覆いかぶさった体勢のままでいる、物寂しい光を灯す赤い瞳が印象的な、男。

 しかも、大変お美しい。

 突然別世界に転がり落ちたような錯覚を覚えたあたしは、目を丸くする。

「………アナタドナタサマ?


 間抜けそうにぽかんと口をあけてそう問えば、男はあたしの背を抱き起こして素早くコートを脱ぐと、あられもない姿のままで剥き出しになったあたしの肩にふわりとかけてくれた。
 寒さにすっかり麻痺をしてわからなくなっていた感覚が、コートから伝わる、じんわりとした温かなぬくもりを得て甦り―――頭が空っぽだったあたしの中に、感情がぶわぁっと溢れ出てきた。 喉奥や胸の奥でせき止められないまま込みあがる。

「う、うううう〜〜〜っっ」

 コートのぬくもりにしがみつくように身体を抱いて呻きながら、ぼろぼろと涙が零れていった。
 冷静さを取り戻して、他人の温もりに安心感を覚えて、途中からぶつりと途切れた意識がまたもう一度繋がった事に安堵してしまえば、涙を抑えることが出来なかった。


 怖かった。


 怖かった怖かった怖かった怖かった。


 子供のように嗚咽を零してわんわんと泣きじゃくっている間、男は、あたしの前に膝をついて、沈黙を保っていた。
 何も言わず。 何もせず。
 岩のような沈黙を保ちながらあたしを見つめているだけ。
 ―――そこには敵意も何もないのだと肌で感じて、遠慮なく無視して泣かせてもらった。
 訳も分からず泣いていたから、何故泣いている?と問うこともない男の沈黙はとてもありがたかった。



 …しばらくして、ようやく落ち着いてきたあたしに男が、(やはり)無言で服を差し出した。
 さっき脱いだあたしの服。 目元をぐしぐしと拭ってそれを受け取るけれど、コートの温もりがあまりにも名残惜しくて離し難い。
 だから、着替える前に言葉を紡ぐ。

「ひさしぶり」
「はい」

 その声は、あの時聴いた声と何も変わらない。
 以前、ルヴァイドの奥底に入っていったときにも彼は助けてくれていた…薄情だなぁと思うところもあったけれど、あれはあたしを心配してくれていたのだろうかと、今なら思える。(というか、この人にビンタをかましたことがあるんですが…!)

「なんでここにいるの?」
「…」

 言葉は返ってこなかった。
 聞かれたくない質問をしたのだろうかと顔を上げれば、無感情で美しい顔立ちに何ら変化はなかった。 静かに沈黙を通し、けれど逸らすことなく真っ直ぐにあたしを見つめ返して…その目に、惹き込まれるかのように見惚れてしまった。 ッハ、いかんいかん! ごまかされてる?!(色気で!)

 慌てて首をぶんぶんと振って誘惑(?)を振り払い、もう一人、この場にいなくてはいけない存在である機械兵士を思い出して辺りを見回した。
 一番傷ついていたのはレオルドだというのに何を忘れてたんだあたしは!

「って、あれ? れ、レオルド?!」
「…」
「え、ウソ、ちょ、ちょっとレオルド! レオルド?! …あ、ね、ねえ、レオルド知らない? そこに倒れてて、怪我して、危なくて…ッハ、まさか!

 思いつくように叫ぶあたしにそこで初めて、感情の色が見えない男の肩がビクと小さく跳ねた。
 しかしあたしはそれに全く気付かないまま、レオルドが倒れていた場所に目をやって、ひび割れた床の上には何もないという光景に唇をぶるぶるとわななかせ。

「あの顎、レオルドをさらったの!?」
「…それは」
「だってレオルド、誰の目からみても可愛いから! つぶらな瞳とか、機械なのにどこか天然入ってるっていうか…あああぁぁうちのレオルドが! あたしが不甲斐ないばかりに顎に拉致されてテゴメに〜〜〜〜〜〜〜!!! あ、だめよキュラー! レオルドにアルジ殿と呼ばれていいのはあたしだけなのにそんな(以下悶々と語り倒す)」

「落ち着いてください」

 とんでもない方向へと全速力でダッシュをしていくあたしを呼び止めたのは、男の手だった。
 あたしの肩にぽんと手を置いて、不思議そうに見上げるあたしを、情熱的な色なのだと称されることの多い赤色の瞳で、とても静かな眼差したたえて見下ろす。

「レオルドは、無事です」
「え、本当? ど、どこ?」

 安心にため息を吐きながら見上げるあたしから、男は初めて目を逸らした。
 逸らされた視線の先にレオルドがいるのかと思いきや視線を向けた先には誰もおらず、静かな空間が広がっているだけだ。 …一体なに?

「レオルドは?」
「……、その」

 はっきりと、淡々とした口調で喋る男がそこで初めて、言いにくそうに言葉を淀ませる。
 それに首を傾げて見上げて男の様子を何気なく観察していれば、男のことを無条件に心を許してしまっている自分に気がついた。 先ほどまではあんなに怖い思いをしたというのに、急に現れた男のことを恐れていない。

(えーと、だって、この前も助けてくれたし、名前を呼んでくれたのも、この人よね?)

 声は確かに届いていた。
 名前を呼んだ、低い声。 これがまた艶っぽいものだから忘れようにも忘れられない声であるものだから、間違いはないはずだ……って。

「ちょっと!」
「?」
「怪我してるじゃない!」

 赤黒い血が、男のこめかみにこびりついているのを見た。
 既に乾いてしまっているが、それでもまだどろりとした血液を零す傷は残っているはずだ。
 痛いはずなのにどうしてこんな我慢なんかして、泣きじゃくるあたしに最後まで付き合ってくれていたのだかとても理解できない―――。

「どうしてこんなに怪我してるの?」
「…」
「あたしのせい? あたしが顎に捕まってたから、だから…でもこんなになってまで助けてくれるなんて」
「―――貴女を護ることは、自分の全てです」


 ………ん?


 服が入っていたカゴの中にあった清潔なタオルを男の頭部に押さえつけて、こめかみに滴る血を拭いながら男の言葉に耳を傾けていれば、ふと、その言葉に首をかしげた。
 ん? 護るって何故だ?

「えーと、あたし、あんたに何かした?」
「いえ」
「よね? いやでも、全てとか言われても困るんだけど」

 思わずぽつりと呟けば、そこで初めて、男が感情らしい感情を表した。
 ただしそれは、顔に浮かぶものではない。
 彼は喜怒哀楽の感情が顔には出てこないようだが、彼の赤い瞳は表情よりも感情が浮かびやすいようだ。 赤の瞳に傷ついた色を感じ取ってしまって、ぎくりとしてしまう。
 ……え、だって、こんなカッコイイ人に「全て」とか言われたら本当、どうすればいいの?
 靴をお舐め!とかそんなこと言っていいはずがないでしょ?!(でも本当に実行されそうで冗談でも口には出せないが)

「困り、ますか」
「(え、ちょ、お、落ち込み…!?)いや、困るというか、だって、あんたのことよく知らないし」

 そこまで言ってから、あたしの、一番冷静な部分がそれを否定した。
 しかし冷静な思考がはじき出した答えは、とてもおかしいというか、寧ろ願望というか妄想というか……そんなレベルの悲しい答えで。(自分が悲しすぎて仕方がない、本当に)
 いくらなんでも、それはないでしょ?と自分で答えをすぱりと切り落とす。

「でも、あんたはあたしのこと知ってる?」
「はい」

…………。

「あの」
「…」
「………まさか、あんたがレオルドだったりして〜…とか?」

 言ってから、”なーんてね!”と大きく笑って、トンデモ発言をごまかした。
  アッハッハいくらなんでもそんなことあったらどれだけ叫べばいいのあたし。 さっきお風呂とか入ってたりそのほかにも色々と油断していたことがあったんですが。

「…って何、その顔」

 少しだけ、驚いたように見開いたその目は何ですか?


……。

………。


「―――え……本気でレオルド…なの?」
「………」

 目が、さっと逸らされた。
 何か知らんが、そういうことらしい。 ってゆーか……何で、人間に……。

「えええええええええええ?!?!」
「…………」
「あああああああんた! 本気でレオルド?! レオロボ!!? ってかレオルドはロボットで
あんたがレオルドで……えええええーーーーー!!!?」

 なんてこった! さっきの恐怖体験なんか吹っ飛んでただひたすら驚くばかりだわ!
 今まで「ロボ!」と勝手に心底思い込んでいたのに人間というオチが!
 …って、オイオイオイ…!

「あ…そのちょっと待って…頭本気で痛い…」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫…でも、何でもっと早く言ってくれなかったの?」

 ガンガンと騒ぎ出す頭痛にこめかみを押さえながら男…もとい、レオルドを見上げれば(なんていうか、余計輝いて見えるわ…)、無表情ながらきりっとした顔をあたしに向けて。

「機械兵士の身体のほうが貴女を護る立場からすると、様々な点から有利だったのと」
「うん」
「成人男性の身体を持っていますので、何かと不具合が起きるのではないかと」

 ……確かに。
 トリスの護衛獣のバルレルは子供の姿だし、レシィだって子供なんだから、今まで一度も咎められたことなんてなかった。 だから一緒の布団で寝ても全然平気だったし。

「もう一つは、機械兵士が人間になるケースは有り得ません」
「だよね。 どうしてそんな体質に?」
「…記憶が、酷く曖昧なので…」

 曖昧か。
 それならば仕方ないわよね…覚えていないものは覚えていないし。

「それじゃ、その姿はレオルドだけ?」
「……」
「……なるほど、ということはあれはゼルだったというオチになるのね…」

 レオルドはあたしに嘘を吐かないのか、ごまかせるはずのゼルフィルドのことへの質問は、無言という形で肯定の意を示してしまった。
 紫の瞳の、もう一人の男の姿を思い出しては”あの美しさも反則よね”とグッと握り拳を作りつつ、あたしはレオルドに向き直る。
 
「よくわかったわ」
「今まで、何も打ち明けず申し訳ありません」
「ううん、隠し事は誰にだってあるってば」

 ”まさかあるとは思わなかったけど”と笑ってから、レオルドの手をとって、ごつごつとした、大きな手にあたしの手を重ねてみた。
 そうすればレオルドのぬくもりがあたしにしっかりと伝わって、生きている人の体温が、冷えたあたしの掌に熱を送ってくる。 とても心地よい、人のぬくもり。

「すごいね、なんか、本物だわ」
「…気味が悪くはありませんか」
いや寧ろ得した気分というか

 思わず真顔でそう呟けば、レオルドが不思議そうな色を瞳に浮かべた。
 レオルドは一緒に過ごしていく事で少しずつ感情を覚えていくという力があるようだけれども、今のレオルドも、表情を浮かべるという面ではまだ未発達な部分があるようだ。(いやもとからこんな感じかも?)

 表情だけではわからないかもしれないけれど。
 でも瞳は、彼の顔よりもとても素直だ。


「機械でも好きだけど、今のレオルドも好きよ」


 そう言って、背伸びをしてよしよしと前髪を撫でてやれば、撫でられるがままのレオルドの瞳の光が、ふと、ふわりと和らいだ。
 嬉しそうに、その光はとても柔らかで。
 あんまりにも柔らかなそれにぎょっとして思わず手を離してしまった。


 そのとき。


 …ウオオオォオオオォオオオ……ン…!


 ―――ビリビリと、窓ガラスが震えた。
 苦痛に、悲しみをどろどろに混ぜ込んだような声で叫ぶそれは、広い城の中に木霊して、その苦しみを城中に轟かせていく。 老人のように嗄れたような声――けれどそれとはまた違う、おぞましい響きが尾を引いていることから「リゴールの声なのか」と、背筋が悪寒にゾクリと逆立つのを堪えながらぎゅっとコートを握り締めた。

「今のは」
「鬼使いが言うには、この国の領主だと」
「…リゴールの…」


 ああ なんて


 なんて、かなしい


 くるしい こえ


「行かなくちゃ…」

 シャムロックも、みんな、戦ってる。
 耳を澄ませば聴こえてくる。 刃と刃が重なる激しい剣戟。 召喚術の轟音。 リゴールの声。 その音が一つに重なって、状況をよくわかっていない間抜けなあたしにも充分、言葉で説明するよりも饒舌に、明確に伝えてくれていた。

「主殿」
「うん」

 レオルドに背を向けるように指示をしてから、あたしは急いで着替えた。
 ぬくもりの残るコートを彼に手渡して、ふと、傷ついてしまった、痛ましい身体に顔を歪めてしまえば、レオルドが首を横に振る。

「何ともありません」
「そんなわけない」
「本当です」
「嘘つき」

 レオルドは嘘は吐かない。 そう思った。
 そう思っていたけれど、彼もやはり、嘘を吐いてしまうようだ。

 俯いてしまったあたしにおそるおそると指先が伸ばされて、それは、そっと頬に触れる。
 
 指先から伝わるぬくもりは確かに、あたしと同じで。
 その身体には血が流れて、鼓動が動いて、生きた肉体なのだとはっきり告げている…あたしも怪我したことは何度もあるから、それが痛くないなどと言えるものではないのだとも、彼と同じ肉体を持つあたしがよく知っている。
 …機械の体でも、動けぬ意味は死にも近いのだと思っていたけれど。


 人間の身体も本当にあっけなくて。


 思わず、謝罪の言葉が出た。

「ごめん」
「主殿」
「でもあたし、また、レオルドに頼ってしまう」

 彼が、<護衛獣>だから。
 あたしを護ってくれるのだと、彼は言ってくれて。
 あたしは、その言葉に自惚れているから。

 だから、頼る。

「あたしまた馬鹿なことするかもしれないから、護ろうとしてくれるレオルドはまた怪我するかも」
「はい」
「それでも―――今から、みんなのところに行くわ」
「はい」


 頬を撫でる手を、両手でぎゅっと掴んで、胸元に寄せた。
 あたしよりずっと、大きな手。
 あたたかい、人。



 けれど、響く叫び声の持ち主も、同じで


 きっと、とても恐れている


 憑依された鬼に意識を喰われ、恐れている



 <意識が 奪われる>



 その恐怖は、あたしの身にも染みていて



 ほんの少しでも早く、彼を、その恐怖から助けてあげたい



 こんな悲しい、苦しい声で叫ぶのを止めてやりたい



 ……それを思うと、動かずにはいられなかった



「レオルド」

「はい」

「こんなあたしを、護ってくれる?」

「はい」



ごめんね、レオルド

もう少し、手伝って



「―――あたしと、一緒に来てくれる?」



 赤い瞳を見上げて、それを告げば。
 赤い瞳は見下ろしてから、ゆるりと身を屈め、地面に片膝をつき。
 流れるようなその動作のあとで頭を垂れ、瞼を伏せて、言葉を返す。



 言葉を、至上の喜びとして噛み締めんばかりに。



 どこか掠れた声で、言葉を返す。






「―――我が主の、望むままに」











NEXT


あとがき

第74話をお届けいたしました。
ここまで読んでくださって本当にどうもありがとうございますっ。
サモンナイト原作沿い連載とは名ばかりの連載です。(今更)
ようやくシャムロックとリゴールの決着に入ります。
シャムロックはまた悩みます。まだまだ悩ませたい…シャムロック自体が悩ましい存在ですから!(何この人)

何だか伏線をバリバリ張りすぎて大変なことに。
処理できるのかわからなくなってきましたオオオォォ…フンドシ引き締めて頑張ります…!
さんの存在の意味。 レオルドの存在の意味。 他にもたくさん書きたいことがあって、内容がかなり大変なことになってきておりますが、おおおおお付き合いして頂けると本当にありがたいです…!まだ74話って信じられない…!アヒ…!(脅え)


2005.11.5