ああ、なんということなのだろう。 第73夜 ―――バタァン、と扉が重々しい音を立てて閉じればそこは、暗闇に満ちた部屋だった。 闇に慣れてきた視界に映るのは、深い闇色を照らす月明かりの雫が零れることを拒むかのように隙間なく閉じられている赤のカーテン。 それから視線をゆるりと動かせば、部屋の主の不在を告げているかのように沈黙した燭台と、その台に立てられている、既に朽ち果てて役目をなさない蝋燭。 その傍らには壁に飾られた色鮮やかな風景画。 四本足の木製のデスク。 紺色の表紙の本。 羽ペン。 飲みかけの赤のワイン――――。 男は、えらく緩慢な動きでゆらり身を動かし、歩を進めた。 ゴツ、と重量のある靴音が部屋に響き渡り、男の肩を覆う緋色の外套の裾が男の動きに翻弄されて、ふわりふわりと舞いながら男の後を追っていく。 影のごとく、男を追う。 やがては、広い一室の中心で立ち止まった男の、固く引き結ばれた唇から血を吐くような声が零れ落ちた。 「・・ウ、う、・・・シャ、ム・・・・ロ・・・」 どこか悲しみを帯びた、呻き声にも近い声音で放たれたのは名前だ。 今にも途切れそうな、風が吹けば風の声に掻き消されてしまうような、そんな声音で男は、頼りない記憶を静かに探るかのように頭を抱えて膝をつき、肩を震わせながら再び、血を吐くような・・・・けれど、えらく嗄(しわが)れた声で名を呟く。 「う、ァ、・・・シャムロ・・・シ――――シャムロック」 その名に未練があるかのように。 最後の希望を現すかのように。 男は、ただ独りだけの部屋で名を呼び続ける・・・・そうしなければ、全てを失ってしまいそうだと脅えるかのように、男は彼を呼び続ける。 誠実な、若い青年の名を――――。 自分を心から慕ってくれた、優しい騎士の名を――――。 「シャ、ム、ロッ・・・」 「――――ああ、まだ意識が残っていたのですか」 どこからともなく届いた声に男の体がビクリと震え、両手で覆って俯いていた顔を上げ、微かな理性の光が残る瞳を恐怖に揺らし逃れるようにカーテンを引き掴むと、己の身を引きずるように大きな窓へと身を寄せながら背後を振り返った・・・それは背中を獲られまいと、無意識の抵抗だった。 闇に慣れた目が映すのは、先ほどまでにはなかったはずの、長身の男の姿だ。 「おま、エ、は」 「クックック、さすが武勲をも得たリゴール殿。 敵に立ち向かうその勇気は今もなお健在ということでしょうか」 座り込んだまま睨め付けてくるリゴールの姿に、歪んだ笑みがその口元に浮かび上がったのがわかる。 それは、男が引き掴んだカーテンによって暗闇に閉じられていたはずの空間に初めて、光が差し込んだからだ――――月光は、歪んだ笑みにビクリと脅える男へゆっくりと歩を進める人影を照らし、闇から浮かび上がるその輪郭は、男性の平均的な身長を軽く超えた長身の男の姿を明確に映し出す。 決して健康的とは言えない青白い肌と、高く通った鼻梁。 月明かりの眩しさに不快そうに細められた瞳は血の色を思わせる緋色だ。 「――――ですが、そのままだと困るのですよ」 男・・・キュラーはため息を吐いて指を軽く組む。 軽く組まれた彼の指先から赤い光が滲み出れば、途端にリゴールの両目が限界にまで開かれて、彼は頭を抱えながら嗄れた声で悲鳴を上げて地面に突っ伏すると雄叫びにも近い絶叫を部屋に響かせた。 頭部を苛む苦痛から零れ出るそれは、聞く者の表情を恐怖に引きつらせてしまうほどの響きを持った悲鳴。 「グォォオオオオォォオオ!!!」 「ワタクシの言うとおりに動いてもらわねば今後の行動に差し支えるのですよ。 貴方にはまだ、トライドラ領主・リゴールとして動き聖女たちを引きつけてもらわないといけません・・・お分かりですか?」 至極丁寧な口調の中に、有無を言わさぬ音が確かに響いていた。 絶叫で痛みを紛らわせなければ耐えられぬ苦しみから、閉じられることのないリゴールの口の端から唾液が零れ、額に滲む汗は玉になり、息を荒げる彼の頬を涙のごとく伝い落ちていく。 「お分かりですか、と聞いているのですよ」 「ッグぅゥう・・!」 さらに勢いを増した痛みにリゴールは何度も首を縦に振った。 何度も。 何度も。 口から零れるのは絶叫ばかりでまともに答えられないから、何度も何度も、首を、頭を縦に振る。 ひたすら許しを請うかのように。 「よろしい」 「・・・・・ッハ、・・ァ!」 苛むものが消えうせて、リゴールは大きな音をたてて崩れ落ちた。 キュラーはそんな彼を嘲笑うかのように低く嗤うと、崩れ落ちたリゴールの前に片膝をつき、優しい声音で言葉を紡ぐ。 「貴方は悪くはないのですよ」 「・・・ッ」 「ワタクシの術を跳ね除けようとしてもそれは、普通の人間には出来ないことですから」 ”貴方のせいではない”と告げている、優しい囁き。 優しい、優しい――けれどそれは、温かみのある優しさなどではない。 そんなものは、欠片もない。 ただ、嘲笑の意を込めて”お前などにはどうにも出来ないことなのだ”と言外に告げている。 「ですが、貴方の意識はもう、必要ないのですよ」 細く、骨ばった長い指が伸びて、リゴールのくすんだ金髪を絡めた。 恐怖に瞳を見開くリゴールの姿に歪んだ笑みを濃く浮かべて。 「貴方は既にワタクシの鬼なのですから」 ぐ、と髪を掴み顔を無理矢理持ち上げられて、窓へと顔を突き出された。 一点の曇りもないガラスに映る姿は、異形そのものだった――象牙色に近い皮膚を持って生まれてきたというのに、今の彼の顔を覆うのはどす黒い皮膚だ。 額からは、人間にはあるはずのない醜く歪んだ二本の角。 唾液まみれになってしまっている口周りの肉は削がれたようになくなって、歯を剥いていないというのに既に剥き出しの状態になっている。 耳は長く尖り、瞳はギラついた金色に輝いて、窓を見つめる自分を今にも食い殺そうとするかのように睨み返していた。 あまりにも変わり果てた己の姿に、絶望にも似た絶叫が迸る。 リゴールがこれまで生きてきた歳月を語っている複数のシワが刻まれた顔が、恐怖と混乱と苦痛に歪み、気が狂ったかのように振り上げた己の拳―――指の爪は、太く、鋭く、どんな肉でも切り裂くことも出来てしまうかのように凶悪なものだった―――振り上げたそれはあっけなく、ガラスの雨を作り出した。 けたたましく響くガラスの悲鳴が、静かな夜に木霊する。 「あぁ、あまり騒がないでください。 彼らが異変に気付いてしまう」 それを愉快そうに傍観しながらも、興奮したように肩で息をするリゴールの背を躊躇なく蹴倒すと、嗄れた声で短く悲鳴を上げて倒れる彼を追うように傍らへ歩み寄る。 骨ばった大きな手で彼の顔面を掴み、薄い唇から囁くような詠唱を紡げば赤い光がキュラーの頭上に現れて、血の色にも似た光から黒い霧が噴出し、ザワザワと不快な音をたてながらおぞましい形相を持った鬼の顔が模られた。 ――それは、鬼妖界・シルターンの憑依召喚術。 黒い霧に覆われながらも金色に光る二つの光は目なのだろう。 それは刃物のように鋭い瞳はぎらぎらとした輝きに満ちて、見る者の心を容易くへし折ってしまうよう。 「最後の仕上げをいたしましょう、貴方が二度と目覚めぬように」 キュラーの言葉に鬼は、リゴールと同じく嗄れた声で悦びを謳うと勢いよくリゴールの身体に突進していった。 襲いくるそれに悲鳴を上げる間もなく飲み込まれ、リゴールの身体に潜り込んで彼の意志を奪おうと触手を伸ばす鬼の力に、今ではか細くなってしまったリゴールの意識は急速なまでに遠ざかっていく。 ああ、なんということなのだろう。 抗えぬ己の無力さを呪いながら、リゴールの意識はそこで途切れた。 ああ、なんということでしょう。 「さぁさぁ様、湯浴みの準備が整いましたわ」 「アルサックの花びらを散らして湯船に浮かべてみましたわ、きっと様もお気に召されると思います」 「私たちもお手伝いをいたしますわ。 さぁ、早くお召し物をお脱ぎになって」 「お体も拭いて差し上げますわ」 ――――案内された部屋は、金の派閥のファミィさんの執務室よりもずっとずっと広くて、恐らく、元は貴賓室か何かとして扱われていたのであろう、きらびやかな調度品が目に付く場所だった。 ぐるりと一度見渡せば、どこかのホテルのように一人で寝るには少し寂しい感じのする広さで真っ白いシーツのかかったベッドや、優しい明かりを灯しているランプの炎。 赤くてふかふかとしたカーペットが床に敷き詰められている。 ・・・・何も知らずにこのベッドで眠ればとても良い夢を見られそうだけど、値段の合計を考えたら悪夢を見そうだわ。 (でも今、この状況も悪夢だわ・・・・) 「リゴール様には貴女様を大切なお客様と仰っておりましたわ」 「ならば私たちはその貴女に、最高の御もてなしをしなければ」 「湯浴みをしてから身体を清め、ドレスに着替えましょう。 きっとお似合いですわ」 「いいいいいいいいいえ! そんな! お気持ちだけでケッコーです!」 愛らしい唇からとんでもない単語がポンポンと飛び出してくるそれに思わず逃げ腰になりながらも、あたしはブンブンと首を横に振って断るしかなかった。 (いやもう、ほんと、な ん と い う こ と な の ・ ・ ・ !) 薄っぺらい笑顔がこんなにも集まるなんて、もう、本当、コワッ・・・! 出来れば二度と体験したくないです。 かみさま。 「しかし様・・・・」 「徒歩でこちらにいらしたのでしょう? 領主様にお会いになるならば砂埃を落として頂かねばお会いすることなんて出来ません」 「あ、いや、そりゃそうなんだけども〜」 どうしたものかと思考を巡らせて唸っていれば、あたしの傍らに立っているレオルドが、こんな事を言ってきた。 「あるじ殿、彼女タチノ言葉ニ甘エテ一度、入浴ヲサレテハイカガデスカ」 「え゛」 「先ホドカラあるじ殿ハ酷ク、疲労ノ色ガ伺エマス・・・・久シブリノ旅ニ体調ヲ崩サレタカト・・」 「う、うん・・・ちょっとだけ、疲れているには疲れてるけど」 よく分かったなぁと感心しながらレオルドの大きな体を見上げて・・・けれどすぐに我に返って首をブンブンと横に振った。 確かにお風呂は魅力的だけど(興味もあるし!)、でもこんな場所で孤立したら何が起こるかわかんないわ! 「しゃむろっく殿タチモ入ッテイルカモシレマセン」 「あ、そうか・・・ね、他の人も入ってる?」 「もちろんですわ、お客人様一人ひとりにお声をかけておりますもの」 にっこりとした微笑みに、あたしの心はグラリと傾いた。 皆が入っているんだったら別に、怖いことはないかな・・・いやしかし、ここにアゴ(キュラー)がいるかと思うとどうにも、最後の一線が踏めない。 でも・・・仕掛けてくるのはリゴールと出会ってからだろうし、大丈夫かな。 「あ、そうだ。 レオルド」 「ハイ」 「一緒に来てよ、お風呂」 「ハ――・・・ハ?」 あれ? 何故途中で止まる? 珍しく歯切れの悪い返答をした護衛獣にあたしは首を傾げながらも、自分の考えに”それがいい、そうしよう! 心強い!”とニマニマと笑みを浮かべて、メイドのお姉さん達に頷いた。 「お風呂、入ります!」 「え・・ですが様、そちらの護衛の方は・・・」 「彼は護衛だから一緒にいてくれなくちゃ困るの。 さ、行くわよレオルドっ」 ”こういう場所のお風呂ってどんなのか気にはなってたのよねぇ”とレオルドの手を引きながら、戸惑いの表情を隠せぬまま案内をするメイドの後に続いた。 * コンコン、と控えめなノックに顔を上げ、待ちわびていたように慌ててそれを出迎る。 「はい」 軋んだ音をたてながら開いた扉の向こうには甘い微笑みを浮かべたメイドが立っていた。 白いレースが連なるエプロンの白さが薄暗い暗闇にぼんやりと浮かび上がり、漆黒色の服は、背後の闇に溶けてしまいそうな錯覚に陥ってしまいそうだ。 メイドは優雅にお辞儀をして、柔らかな唇から言葉を紡ぐ。 「大変お待たせいたしました、シャムロック様・・・急用、とのことでしたので領主様にお伝えしましたところ、晩餐会は取りやめになって今すぐ、皆様方にお集まりいただくようにと・・・」 「そうか! わかった、それではすぐに皆に」 身を翻してからテーブルの上に置かれている剣のかかった革ベルトを腰に回し、赤い外套を翻すと、仲間達に伝えようと廊下へ大きく踏み出した。 しかしそんな彼をやんわりと押し留めたのは、ほっそりとしたメイドの腕と、微笑みだ。 「皆様方はすでに向かわれておりますわ・・・ただ、様はご気分が優れないとのことでして」 「さんが?」 「はい・・・なので、しばらくはお部屋でお休みになるようです。 領主様もそうしたほうがいいと仰いました」 シャムロックの脳裏に、青ざめた表情で眠りに落ちているの姿がふわりと浮かんだ。 あんなに元気そうだったのに・・・だがやはり、休みもなしの強行軍でここまでやってきたのだ。 きっと、旅慣れしていない彼女には相当な負担にもなったのだろう・・・。 (無理を、させてしまったんだな・・) それを思うと、心の中が酷くざわめいた。 そのざわめきは次第に焦りに似た感情へと変化して、何故か、今すぐ彼女の顔が見たくなる。 せめて大丈夫かと声だけでも――。 「少し、様子を」 「ですがシャムロック様、領主様は貴方をお待ちしております」 「だが」 「ご心配になるのはわかりますが、どうか・・・」 懇願にも近いそれに眉を寄せて、シャムロックは柔らかな鳶色の瞳を伏せた。 そうだ。 確かに、今は一刻も早く伝えなければ――なのに何故か、酷く、悔しい気持ちになるのは何故だろう。 彼女の傍にいてやれないことが、酷く、・・・悔しい。 そう自問しても答えは浮かぶことはなく、ただただ深く、沈んだまま。 (謁見が終わったら、すぐに、駆けつけよう・・) 苦渋の決断をするかのようにそんな考えを弾き出して。 けれど、どこか搾り出すような声音でシャムロックはメイドを見た。 「・・・・・・案内を頼みます」 「はい、こちらへ・・」 * 「様、お召し物を脱ぐお手伝いを」 「ギャアアアッいいです! いいです! 自分で出来ます!」 「それではお体を」 「ヒイイイイイッそれもいいです! 自分でやります! だからお気になさらずに〜・・・あ、レオルドは出ちゃだめ!」 困惑顔のメイドと一緒に出て行こうとする機械兵士のみつあみコードを引っ張ってそれを阻み、あたしはぐるりと脱衣所兼浴室らしき部屋を見渡した。 お城のお風呂とはどんなものかと思いきや、大浴場とかそういうのじゃなくて、意外とこじんまりしたものだ。 恐らく個人用だからこそだとは思うけれど・・・うーん、大浴場ではないのかぁ・・。 「あ、でも浴槽はすごく綺麗」 こじんまり、と表現したけれどそれでも一人には充分な広さのある、石造りの円形風呂だ。 靴を脱いでそれをそぉっと覗き込めば、水面から沸き立つ温かな空気と湯気があたしの頬に触れて、その中にふんわりと混じっている香りはアルサックの花びらだろうか。(実際に匂いを知っているわけでもないのよね) お湯に浮かぶ桃色の花びらや、鮮やかな緋色の花が水面に咲いてとても美しい。 「花を浮かべたお風呂って素敵ね〜、旅行のパンフでよく見るスパってこんな感じかなっ」 「すぱ・・・・デスカ?」 「えーと、・・・温泉、というか、何と言うか・・・あ、服はこのカゴにいれるんだっけ?」 浴槽の傍らにあるカゴを手に取ってレオルドに聞けば、レオルドはハイと答えて。 「本来ナラバアノ者タチガ衣類ヲ片付ケルノデスガ、あるじ殿ハソレヲ拒否シタノデ・・」 「拒否って言い方が気になるわね・・・ま、いいけど」 一番上のボタンに手をかけて、ふと、思いとどまって 「あれ?」 レオルドは既に背を向けていた。 ”・・・紳士だレオルド”とちょっと感動しながらも”脱いでるのを見られるのはやっぱ恥ずかしいわ〜”と笑いながら脱いだ服をカゴに落としていく。 それをせっせときちんと畳んでからタオルを体に巻いて、”レオルドいいよー”と背を向けたままの機械兵士に声をかければ。 「イエ、コノママデ」 「へ?」 「せんさーハ常ニ稼働シテオリマスノデ、あるじ殿ハゴユックリドウゾ」 「あっはっは、紳士だねレオルド! その心意気やよし!」 ぺたぺたと浴槽に近づいて、掛け湯をしてからゆっくりと湯船に身を沈めた。 温かなお湯が冷えた身体を一気に温めてくれてぞわぞわと肌が粟立ったが、やはり、もう・・・。 「あぁ〜〜〜気持ちいい〜〜〜ッお風呂最高ー!」 「ココ最近ハマタ、気温ガ下ガリマシタネ」 「そうそう、もう冬なんだなぁって思うよ・・・あたし、まだ秋の季節しか体験してないんだね」 掌でお湯と緋色の花を掬い上げてそう呟けば、何だか、まだ一季節分しかこの世界を見ていないことが改めて思い知らされた。 こちらに召喚されたのは秋の始まりかその半ばだったから・・・・なんだか不思議だ。 とても長い時間をこの世界で過ごしているような気がする。 「コレカラハ<白天ノ節>ト呼バレル季節ニ入リマス」 「<白天の節>?」 「ハイ、冬ノ季節ノ別名称デス。 聖王都デハ<春><夏><秋><冬>ト呼バズ、ソレゾレノ季節ヲ<動地ノ節><蒼天ノ節><静地ノ節><白天ノ節>ト呼ブノデス。 <えるごノ王>ノ時代ノ王都ノ四季ガ四ツニ別レテイタコトカラ、ソノ名ガ公式ニナッタソウデス」 「・・・エルゴの王の、時代・・・・かぁ・・」 ぱしゃんっと水音をたてて、遥か昔を思い馳せる。 初代の王はどんな人たちだったのだろうと考えて――それより昔の、栄華を極めた召喚師たちを思い出した。 そうだ、確か、マグナとネスと、アメルのご先祖(?)ってやつだったよね・・・? 「過去・・・か」 「あるじ殿?」 「んん、何でもない」 そういえば、最近はめっきり過去を見なくなったような気がする。 見たといえば、マグナとトリス、ネス、ルヴァイド・・・・。 「あ」 「?」 「しまった、・・・・・ルヴァイドにどうやって謝ろう・・・」 会えるのはまだ当分先だろうか。 何だかそれがとても切なくて、胸が締め付けられるような・・・・そんなものに似た思いに駆られてしまう。 (多分、あの顔のせいだろうな・・) 振り払ったときの、あの、表情。 驚きと、悲しみと――けれどどこか、諦めにも似た感情に揺れていた彼の瞳。 今もまだ、鮮明に焼きついている。 「・・・謝りたい、なぁ・・・」 ごめんねと。 たった一言だけでもいいから。 次会えるのって本当、いつだったっけ・・・と天蓋(よくお貴族様のベッドとかによくある織物の覆いだ)の天井をぼんやりと見上げれば、少し離れた位置に立っていたレオルドが”失礼シマス、あるじ殿”と振り向いた。 「どうしたの?」 「自分ノ背ニアル、無線ヲ取ッテクダサイ」 「無線?・・・・あ、ちょっと待って、今、手を拭くから」 慌ててタオルで濡れた手を拭ってから、あたしの身長でも無線が取れるように屈んだレオルドの背に乗り上げて、それを手に取った。(うあー、胸やお腹にレオルドの体が当たってちょっと冷たい・・) 「無線・・・ってあれよね、警察とかがよく使う、通信機みたいなの」 「ろれいらるニハ遠ク離レタ場所カラ会話ガデキル技術ガアルノデスガ・・・ソレデるヴぁいどト通信ヲシテミテハドウデショウカ」 一瞬、レオルドが何を言っているのかよくわからなくてポカンとしてしまった。 けれどその言葉の意味をじんわりと考えて・・・・次にはレオルドの首にガバッ! としがみついて無線を掲げた。 「も、もももももしかして! 連絡取れるの!?」 「以前、でぐれあ軍ノ駐屯地ニ向カッタトキニ・・・・・ぜるふぃるどト連絡ヲ取レルヨウ、彼ノ受信機ノ周波数ヲ教エテモライマシタ」 「えー! えー! ウソー! ど、どうやるの? どう使えばいい?!」 「マズハ、相手ノ周波数ヲ掴マナケレバイケナイノデ――――」 レオルドの指示通りに周波数ゲットのため色々といじりながらも(スッ裸で何やってんだあたしは・・・!)、鈍く、ノイズがかかった雑音が聴こえてくるそれに耳を傾けて、ダイヤルを調節する。 「えーと、テステス、ただいまテスト中・・・ゼルフィルドー?」 「・・・だいやるヲ一せんち、右ニ回シテクダサイ」 「一センチ? うううーん・・・これでどう? ゼールーーー! 聴こえるーー?!」 ザザッ・・と砂嵐を思わせるノイズが走ったあとで、ふと、ノイズがぶつりと消えてしまった。 ”あれ?”と首を傾げてもウンともスンとも言い出さない・・・ヤバイ、壊した? と自分の不器用さを呪いかけたそのとき。 『――――、カ?』 何だかとても久しぶりな声が、無線機を通してあたしの耳に優しく届いた。 感情も何も感じられない、淡々とした機械的な男の人の声・・・けれどとても優しい響きに聴こえるのは何故だろう。 最初は「無愛想ねー」と勝手に思っていたというのに。(機械兵士に愛想を求めるあたしもどうかと思うわ・・・) 「ゼル! あたし、。 聴こえてる? 元気にしてた?」 『アア、聴コエテイル・・・・我ガ将モ、いおすモ元気ダ』 「良かった。 ・・・・それで、あの、レオルドに無線機を貸してもらって・・・その・・・」 何だかものすごく言いづらくなって、もごもごと口を閉ざしてしまった。 レオルドの背中に頬を押し付けて、”そのー、あのー”と項垂れていれば。 『我ガ将カ?』 「・・・そ、そう! ・・・あの、ルヴァイドと少し、話したくて」 『少シ、待テ』 ブツ、と途切れる音がしてからあたしははぁーっと深く息を吐いた。 そしてレオルドの背を見つめて・・・彼の頬に、ちょんと口づける――冷たくて、硬い、感触がしたけれど全然嫌な気にもならなかった。 すると、しばらく間が開いてから、自分の身に起こったことをようやく理解したのか。 どこか不思議そうに言葉を紡いで問うてきた。 「あるじ殿?」 「・・・本当にありがとう、レオルドっ」 嬉しさが胸から溢れて、あたしは裸なのも気にせずレオルドの首に抱きついた。 炎の匂いを今もなお濃く残している落ちた要塞には、動かぬものが多かった。 黒く変色し、渇いてしまった血をこびりつかせたまま動かぬ肉の塊は、供養することも、されることもなくそのまま捨て置かれて、すでに腐敗が始まっている。 腐臭も漂い始めていたが、それでもルヴァイドはその場所を離れなかった。 (・・・変わらぬ、な・・・) 大地に突き刺さった剣、槍、召喚術によって生まれたクレーターもまた、あの時以来から何も変わることはなかった。 それを思って、呟いたその言葉にルヴァイドは一人、低く嗤った。 変わる? 何を期待していた? 変わるわけがないだろう。 何も変わらぬ。 我らの通ったその跡は、死体と瓦礫、腐臭と炎と血の匂い。 永遠に変わらぬ。 紫がかった赤髪を夜の風に攫わせながらその一帯を見渡して、瞼を伏せて、ひそりと祈った。 いつものように、死者に捧げる死の祈り。 それはただ、祈るだけ。 い つもはそこに悲しみや後悔に似たものが混じるが、だが、今は・・・・・。 「・・・・」 呟いた名が酷く、重かった。 死者のために祈りに来たが、それでも頭の中に過ぎるのは、たった一人のことばかり。 ”これでは祈りにならん”と黒の外套を翻して、平原に潜んでいる<黒の旅団>の仲間達の元へ戻ろうとすれば、今では聞き慣れた足音が聴覚に引っかかった。 それにふと顔をあげて足音の主を見やれば、思ったとおりに自分の部下である機械兵士だった。 「・・ゼルフィルド」 「我ガ将、戻ルマエニ、少シ、時間ヲ頂キタイ」 「何だ」 「――――ガ、我ガ将ニ話ガアルト」 抑揚のない声から紡がれた名にルヴァイドは驚愕に目を見開いて、辺りを素早く見回した。 ゼルフィルドの傍らにも、ルヴァイドたちの周りにも、生きている人間の人影一つないどころか、気配すら何もない。 ・・・・・・誰もいない。 少女一人の姿さえ。 困惑を隠さぬまま部下を見上げれば、ゼルフィルドがその体重を感じさせないほどの滑らかな動きでルヴァイドに背を向けて、背にある無線を取るように指示をする。 その無線機には覚えがあった。 確か、機界・ロレイラルでは遠くにいる相手の声を聞くことが出来るだけでなく、この機械を通して会話が成立するという・・・・だがこれは、話す相手のシュウハスウとやらがわからず、使うことが出来なかったのではなかったか? 「これは・・?」 「無線機デス、すいっちヲ入レテクダサイ」 「こ、これか・・・?」 ザザッ、と聞き慣れぬ雑音に驚きながらもそれを見つめていれば、雑音は失せて、静かな沈黙を保つようになった。 訳が分からぬままにゼルフィルドを見上げれば、”何カ一言、話シカケテミテクダサイ”と告げられて、どうしたものかとしばらく悩んだ末。 「・・・?」 彼女の名を、ひそりと呟いた。 そうすれば。 『ルヴァイド?』 ――――声、が。 薄い膜がかかったかのように少し曇ってはいるが、間違えるはずがない。 ほんの少しだけ緊張を帯びた・・・・・・の、声。 『あ、その、ルヴァイド、・・・・あたしの声、聴こえてる?』 「・・ああ、聴こえている・・・」 声に、抑えることが出来ないほどまでの切なさが溢れてきて、思わず顔を歪めてしまった。 こんな風に顔を歪めたのは初めてではないだろうかと思うほど、多分自分は、相当酷い顔をしているかもしれない――――ゼルフィルドが背を向けていることが幸いだったが、それでもどこか気恥ずかしくなって、手で顔を覆ってしまった。 こんなにも彼女の声が愛おしいだなんて、そんな自分が酷く滑稽だ。 姿を見れば止まらなくなりそうだ、と自分にくっくと笑えば。 無線機の向こうの彼女は、不思議そうな声でルヴァイドの名を呼んだ。 「いや、何でもない・・・それより、どうした?」 『あの、ね・・・ローウェン砦での、こと、・・・なんだけど』 言葉に何度も詰まらせながら、しばらくの間が開いて・・・の、息を呑む気配が機械越しに届いて、ルヴァイドも思わず息を呑んだ。 ローウェン砦・・・がその名に呟くと、彼らの腐臭が濃密になったような気がした。 『その、――――ごめんね』 「なに?」 『いや、その・・・あの、振り払っちゃって』 ――――ああ、参った・・・。 ルヴァイドは深く、深く俯いてしまった。 あんな状況の中で信じてもらえることのほうが難しい。 誰がどう見ても、自分は彼女を苦しめた・・・けれど、そんな、緊張を帯びた、震えた声で、彼女は思い悩んでくれていた――――。 「・・構わない、それより、俺も・・すまなかった」 『え』 「・・・ビーニャの暴走を抑えられなかったのは俺が迂闊だったからだ。 ・・・すまない」 耳に残るのは、耳障りな、少女の嘲笑だ。 全てを叩き潰してなお、全てを食い殺してなお、彼女は笑い続けた。 足掻く者をも、何の躊躇いもなく・・・・――――そんな女だと、わかっていたはずなのに。 『・・ううん、逃がしてくれて、ありがとう』 「・・」 『・・・仲直り、していい?』 恐々と。 問うて来るそれに、胸に溜まりに溜まりこんでいた重みが、彼女の言葉一言ですぅっと晴れてしまった。 唐突に、あまりにも軽くなってしまったそれに戸惑いながらも”いくらなんでも単純すぎる”とますます恥ずかしくなってきて、俯いたまま前髪をくしゃりと押さえつけた。 ・・・・耳が熱い。 たった一言が 一言に、全てを許されるような気持ちになってしまう 「我ガ将?」 「・・・・ムセンキとやらは、ある意味危険だな・・」 声だけというのは、かなり、危険なものだ。 普通に会うよりもずっとずっと、会いたくなる衝動に駆られてしまう・・・危険だ。 『え? ちょ、ルヴァイドー?! 大丈ぶぇっくし!』 「(・・・・・だいじょうぶぇっくし?)・・? 風邪か?」 『あ、いや、今裸だからさー・・』 ・・・・・・・・・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ハダカ? 「・・・・・・・・・・・・・?」 いくつもの戦いを超えてきたというのに思わず、震えた声で名前を呼んでしまった。 何故、そんな、裸なのだと、とてつもなく不吉な予感が込み上げてくる。 ・・・・・・ちらりとリューグの顔が浮かんでしまうのは、あの少年が彼女を想うそのひたむきさを知っているからだ。 けれどもはあっけらかんとして、楽しそうにはしゃいだ声で。 『いや、いまトライドラでさ、お風呂入ってんの。 すごいよー! お城のお風呂は! 肌もつるつるになるし花が浮いてて綺麗なんだよ〜』 「(良かった・・・)ああ・・・貴族は香り良い風呂に花を浮かべて入ることもあるからな」 『ただちょっと、ここの雰囲気が普通ならまだ楽しめるんだけど――――』 ブツ。 千切れるような音をたてて、無線機は完全に沈黙した。 何度か呼びかけても、彼女の声は全く返ってこない――――一体、何が? 「ゼルフィルド、切れてしまったのだが」 「・・・・・・・れおるどガ、通信ヲ打チ切ッタヨウデス、ソレモ、早急ニ」 「何・・?」 黒い機械兵士の長身を見上げて、ルヴァイドは眉を寄せた。 早急に、打ち切った――その言葉の意味が、酷く、曖昧で。 ルヴァイドの求める答えを、ゼルフィルドは淀みなく、呟いた。 「彼女タチノ身ニ、何カガ起コッタヨウデス――――」 腐臭を乗せて、背筋が凍るほどまでの冷たい風がルヴァイドの髪をさらっていった。 NEXT あとがき 第73話をお届けいたします。 何か、裸祭りだ・・・(何ソレ) レオルドとルヴァイドメインです。 機械兵士大好きです。ムフフ。 冒頭のシーンは後に繋がっていきます。 よろしければお付き合いをして頂ければ嬉しいです〜vv 無線機。 夜会話でレオルドには無線機能がついていたとあったので、もう使っちゃえーと使いました。 これでいつでもルヴァイドたちと連絡がとれるかも? 二人とも充分悶々と悩んでいたので、解決はあっさりと。 たった一言が全てを許されるような気持ちにさせてくれることもあるのです。 そして裸に動揺しまくりの黒騎士。 ライバルが身近にいると気が気でないようです。笑。 2005.10.7 |