目を細めて見上げれば



 世界はこんなにも広く、眩しいものだと改めて知る。








第71夜 -5-







 扉をくぐり一歩踏み出すと、しっとりとして、けれどちくりと刺すような。
 そんな冷たい空気が頬を撫でて過ぎていく。 冷たさに少しだけ目を細めつつも朝特有の白乳色の空を見上げれば、天気は快晴そのもので曇天とした雰囲気は全く見えず、流れる雲は空の色にぼんやりと溶けてしまっていた。
 森の香りを体全体に満たしてから、薄い色の空の下で、あたしはぐっと伸びをする。

「うーん、きもちいい〜〜」

 爽やかな出発日和になって何よりだ。
 一度満足気に呟きながら笑みを浮かべ、背後に佇む機械兵士の護衛獣に”行こうか”と声をかけてから、水筒がいくつも入っている木製の桶を持って浅い小川が流れている水場へと駆けた。
 そんなあたしの背中に”あるじ殿、転バナイヨウニオ気ヲツケクダサイ”と機械的で無機質な男の人の声で言葉をかけてくれるけど、相変わらず心配性だなぁと笑って小川を覗き込む。
 透明で、季節的に冷たさも申し分ない澄んだ水は、空と雲と、あたしの顔を鏡のように映して流れ、手でそれを軽く掬い上げてから口に含んでこくりと喉を鳴らし、水の甘さに満足そうに頷いてからあたしは桶から水筒を取り出して水を汲み始めた。
 どうして水筒に水を汲んでいるかって? それはもちろん飲むためです。

( ここからトライドラはそこまで距離は長くはないらしいけど・・・・)

 それでも渇くものは渇くから、旅立つ時は水は欠かせない。
 距離が短くとも何が起こるか分からないし、歩いている途中で水が必ず手に入るという保証はどこにもないのだと旅慣れしているフォルテとケイナに教わった。
 事故や災害だけならいざ知らず、リィンバウムは故意に人を襲う<はぐれ>がはびこっている世界でもあるのだ。(比較的にはあたしの世界とそう変わらない部分もあるだろうけど)
 怪我が元で歩けなくなってしまい、そんな中で喉が渇いて水を飲もうにも手元には水もなく、そのまま終わり・・・・という話も珍しいわけではないらしい。
 ”どっちにしても何事も、準備をしなくちゃ死ぬってことね・・・”と呟いて、 レオルドが要領良く手伝っているのを横目に見ながら、あたしはぼんやりとした表情で空を仰いだ。


 ―――これから向かうは、指折りの騎士達が輩出されると名高い都市・トライドラ。
 フォルテとシャムロックの説得によって、その都市があたし達の次なる目的地として決定したのだ。 そこはシャムロックの故郷でもあり、<聖王国の楯>として名を馳せる都市。

 あの夜に、フォルテはネスを見事に説得した。
 説得が困難とされていたネスなのだけど、けれどフォルテから聞いた話によれば、どうやら彼はもともとからデグレアの軍事力に対抗するために<聖王国の楯>とされるトライドラの力のことを考えていたらしく、話を持ち出してきたフォルテとシャムロックに「とアメルをトライドラの力で保護してもらう」という条件をつけて、それをシャムロックが了承したため全てがあっさりと通っていったらしい。 ・・・・・まぁ確かに、狙われてるのはあたしらだけど・・・・。

(でもあたし達だけ保護してもらっちゃったら、その場で皆と別れるってことになるんじゃないの・・・? アメルがいるからリューグとロッカはここに残ってくれるだろうけど、でもマグナたちは派閥を交えてデグレアと戦うことになるから、話し合いのためにもゼラムに帰っちゃうんだろうな〜・・・・)

 しかしそれは、保護をしてもらえれば、の話である。

 それを思って、ふぅとため息を吐くしかなかった。
 ・・・・無理だと。 保護をしてもらえることは無理なのだと、あたしの頭の中の冷静な部分は確信を持って告げていた。 何が起こるか知っているあたしだからこそ、確信を持っている。


 保護を求めるそれ以前に、あそこは既に滅んでしまっているのだから―――。


 けれどやっぱりそんなことを、口には出せないあたしです。

「・・・・落ち込むな〜・・」
「何がだい?」
「いやー、ちょっとね・・・・って、うわっ!!?

 レオルドの声ではない別の声に返事をしてしまってから、驚きのあまり水筒を手放してしまった。 手から離れた水筒はどんぶらこっこどんぶらこっこと美しい小川を流れていく・・・・って、あああああマグナの水筒がぁぁぁぁ〜〜!!
 しかしそれを掬い上げたのはレオルドだ。
 小川に落ちないようにバランスをとりながら、大きく太いその腕で水を掻きあげるように振り上げて、水面をざばぁっ!と波立てると流されていた水筒はその勢いに掬い上げられ、空を高く舞って・・・・軽い音を立ててあたしの背後に落ちた。 いわゆる金魚すくいの豪快版と言ったところか。
 ていうかブラボー! レオルド!(拍手喝采)

「ありがとうレオルド−! あぁ良かった・・・って、驚かせないでよシャムロック!」
「わ、す、すまない。 まさかそんなに驚くだなんて思わなくて」

 レオルドによって救出された水筒に水を入れて、きちんとフタを閉めてから桶の中にそれを入れる。(量が量なので桶に入れて運ぶと楽なのだ) そしてあたしの背後に立って、困ったように苦笑しつつも詫びるシャムロックに肩眉を吊り上げた。

「驚きます。 あたしは一般ピープルなんです、シャムロックたちみたいに達人のごとく気配なんて読めないわよ」
「ぴーぷる?」
「早い話が庶民よ!」
「庶民って・・・でも君は召喚師だろう?」

 傍らにいるレオルドを見ながらシャムロックはあたしの隣に膝をつき、袖を捲り上げると空の水筒に水を汲み始めた。 どうやら手伝ってくれるらしい・・・あぁいやいや、逞しい二の腕に見惚れている場合ではないわあたし。

「別に、あたしは召喚師じゃないわよ・・・それより、怪我の具合はどうなの?」
「もうすっかり良くなったよ、ありがとう」

 優しく細められた茶色の瞳に、思わず眩暈がした。
 初めて、こうしてまともに笑ってくれたような気がするけれど、なんというか、色々な意味で目の毒だ。 おかげで振り払った邪念も甦りつつある・・・恐ろしいスマイルだ。 これがタダ(無料)で見られるなんてリィンバウムも恐ろしい。 ていうかぜひテイクアウトで!(そろそろ落ち着くべき?)
 しかしすっかり良くなったというのは本当のようで安心した。
 顔色だって良いし、動きにぎこちなさも見られない。 少し前のこの人が心身ともに重傷を負っていたなんて思えない・・・・そこまで考えてから、あたしは彼の顔を見れなくなって視線を水面に落とす。
水に沈んだ水筒の口から水泡が零れていった。

「良かったね」
「あなたのおかげです」
「ん・・・どういたしまして」

 お礼なんか言われても、困るだけだ。
 これからもっと傷つく事を知っていて、それでもあたしは口を噤むばかりなのだから。

「でもお礼は皆に言ってちょうだい・・・・看病してくれたのは彼らだから」
「だが」
「いいのいいの、気にしないで」

 ひらひらと片手を振って、あたしはシャムロックに笑った。
 そんなあたしに彼は戸惑うような表情を見せてから、水汲みが終わったあとの水筒を桶に入れると”少し、時間をくれないか”と問うてくる。 ひどく遠慮がちなのに、何故か断れないのは真摯な眼差しを真っ直ぐに向けられているからか。
 あたしははぁーっと一息つくと、レオルドに向き直る。

「ごめんレオルド、先に戻っててくれる? あ、こっちはあたしが持って帰るから」
「イエ、自分ガ持ッテ戻リマス」
「大丈夫? 水入ってるから重いよ?」
「心配ハ必要アリマセン」
「そう? それじゃお願い・・・ありがとう」

 大きな体なのに、それでもどこか動きの鈍さを感じさせないところがロレイラル技術の驚くところというべきか・・・・あれだよね、ロレイラルって絶対ガン●ムいるよね。 いつかネスに召喚してもらおう。
 そんな事を考えながらシャムロックに向き直れば、彼は”少し歩こう”と促した。 どうやら小川に沿って歩こうということで、彼の隣に並んであたしも歩き出す。 小川の音と重なるように冷ややかな風が頬に触れて、寒いかと訪ねられてから首を横に振り、”話って?”と今度はあたしが促した。

「その・・・・」
「ルヴァイドたちのこと?」

 シャムロックの瞳が、ほんのわずかに睫毛で伏せられたのを見逃さなかった。
 けれど彼はそれにゆるりと首を横に振って否定して、思案するように沈黙を保ち・・・しばらくして、そっと言葉を紡ぎ始める。

「あなたには、本当に、迷惑をかけた・・・すまない」
「気にしないで」
「あなたは・・・・関係ないのに。
 彼らの事をどうすることも出来ないのに・・・なのに、あの夜、あなたを傷つけようとした。
 ・・・ ―――あなたも、傷ついているのに」
「・・・大事な人が殺されたのよ、憎くなって当然」

 ”あなたも傷ついているのに”・・・そんな風に見えてしまうのだろうか。
 ああ、でも、傷ついたのはあたしだけじゃないのよシャムロック。 今回も、皆が傷ついたわ。
 無力さに。 悔しさに。 恐怖に。 悲しみに―――そう、誰もが。

「おあいこよ」
「だが」
「謝るのならあたしは帰るし、お礼を言うだけでもあたしは帰るわよ」

 延々と続きそうだったので釘を刺してやれば、シャムロックはうっと言葉を詰まらせた。
 それでもどうにか会話を繋ごうと考えてるように視線をさ迷わせたけれど、他に話すことをさっぱり考えていなかったのか、降参したように”参ったな・・・”と呟きながら自分の長い前髪を掻きあげる。(そんな仕草にモエとか言い出したら全てがぶち壊しなのであえて我慢します)←すでにブチ壊しだよ

「それだけしか考えてなかった?」
「あ、その・・・・ああ、 あなたには謝りたいことばかりや、感謝をしたいばかりだった」
「その気持ちだけで充分よ。 ・・・それにあたしもシャムロックに謝りたくて、感謝したいこともあったけど・・でもやめとく。 こういうことは本人に言いたかったから」
「本人?」
「うん」


 でもその人はもうこの世界にはいないけれど


 頷いてからそう呟いて、あたしは小川に視線を落とした。












 どこか遠くを見るような瞳で小川に視線を落とすの横顔を、シャムロックは不思議そうに眺めた。
 彼女の言う人物は誰かはわからなかったが・・・フォルテの話を思い出して、自分の副官だった男の名を挙げるとその口元に微笑が浮かんだ―――どことなく、寂しそうな微笑だった。

「お墓参りしようにも、お墓ないしね・・作るにしてもたぶん、このゴタゴタが落ち着くまでは無理そうだし」
「・・・・ああ、当分はローウェン砦には近づかないほうがいい」

 そう呟いて思い出すのは、禍々しく燃え上がる炎の黒煙とその匂い。
 次いで、おびただしい血の匂い。 獣臭さ。 だらりと崩れ落ちている身体。 飢えた獣の瞳。 魔獣使いの少女の、耳をつんざくようなあの嗤い声―――それは体に、目に、耳に、脳に、心に、いつまでも残り、響いて、繰り返された。
 鮮明に浮かぶそれの惨さに思わず、視界が大きく歪みを見せた。
 ぐらりとよろめく体を慌てて支えてくれたのはだ・・・急激に血の気が失せて体温が下がっていく自分の体に伝わる彼女の体温に酷く安堵して、強張る身体は徐々に緩んでいく。
 ・・・生きている人の体温に、胸の奥が熱くなる。

「・・すま、ない」
「ちょっと座ろう、たぶんまだ本調子じゃないだろうし」

 はシャムロックを支えながら小川から離れ、柔らかな草に覆われた地面にゆっくりと座らせた。
 世界は冬の時期を迎え始め、自分が立っている場所はあまりにも穏やかで、あのときの出来事は全て夢ではないのかと逃避したくなる。

 けれどそれは決して、夢ではなくて。

「顔色、悪いよ」
「いや、大丈夫・・」
「朝ごはんまで時間もあるし、ちょっと横になりなよ」
「いや、だが」
「膝貸すわよー」

 にやりと口元に笑みを浮かべながらぽんと膝を叩くに、シャムロックは思わずぎょっとして彼女から身を引いてしまった。
 膝を貸す・・・膝枕?!
 頭を預ける自分を想像して、トンデモナイと思わず首を横に振る。

「何その反応。 別に獲って食いはしないわよ」
「いや、その、女性にそんなことをさせるのは(というかリューグやルヴァイドたちが怖い)」
「・・・・フォルテの言ったとおり愉快だわシャムロック」

 ・・・一体、何の話が彼女の耳に入ってしまったのだろうかと思うと、なんとも微妙な表情を浮かべてしまった。 それに気がついたが”いやまぁ、そんな人って可愛いと思うから別にいいと思うよ”と慰めるように言葉をかけてくると、頭を抱えたくなった。
  この歳になって可愛いだなんて言われても。

「とにかく横になりな、顔色青いよ」
「わっ」

 押される力に逆らえず、そのまま地面に倒れてしまえば小石がごつりと頭に触れた。
 その感触に顔をしかめればの細い指がシャムロックの両脇のこめかみに触れて頭を持ち上げて・・・・・すると、小石の感触は失せて代わりに柔らかな感触が後頭部に触れる―――。

「わ、な、・・!」
「ちょっとの間よ、ほら、目を閉じて」

 動かそうとした頭をやんわりと押さえつけるように、掌が目元を覆った。
 先ほどまで水に触れていたからひやりとしたその手の心地よさに、無意識に目を伏せる・・・・何度も繰り返されていたあの光景や眩暈がすぅっと落ち着いて、に抗う力も消えた。

 代わりに、何だか、申し訳なくなって。

「・・すまない」
「どういたしまして」

 忍び笑いにも似た声が鼓膜に触れて、自分も苦笑するように口の端を持ち上げた。

 の手がシャムロックの髪を撫で始めると、何となしにそろりと目を開けて、広大な世界を視界に入れる。 白い空は青みを増して、薄い青へと変化していた。 それをぼんやりと眺めている間にも、髪を撫でる指の感触、肌に触れる冷たい風、優しい日差し、木々のざわめき・・・そこには争いも何もない、ただの安らぎだけがあると告げている。


 けれど安らぎは今だけだ。
 これからはこの国のために戦う。
 死んでいった、彼らのぶんまで守り抜く―――。


「・・・・・・っ」

 胸の奥から込み上げてくるものを堪えるように、息を呑む。
 それに気がついたはほんのわずかに髪を撫でる手を止めたが、すぐに再開した・・・けれどさきほどよりもずっと優しい、そんな撫で方。

「・・すみま、せん・・っ」
「いいよ、別に」

 仰向けになったまま、腕で目元を覆い隠した。
 情けないまでに歪められた顔を全て曝け出すことはしたくなかった。 けれどは何も言わぬまま、ただ髪を撫でて、頭を撫でている動作を繰り返している。
 それがなお込み上げるものを増やしているのに、止めて欲しくはないと心から祈った。

「っ・・」

 これが、最後だ。
 涙を流し、立ち止まるのは、これが最後だ。
 再び涙を流すのは、この国を守り抜いてから。
 
 それまでは、何があっても立ち止まるものか。

 何があっても―――誰かが死しても、止まるものか。



 やるべきことをやってから、全てを悼んで泣けばいい。



「”ちらちらと、夜空の下に雪は降る”・・・」

 どうにかして堪えようとしていた嗚咽が零れたそのとき、それを聞かなかったことにするように、それを隠すかのように、の唇から零れたのは歌だった。
 髪を撫でる手をとめないまま、少し恥ずかしそうに(恥ずかしい?)目線を周辺にさ迷わせながらも、彼女は静かに歌を紡ぐ。

「”ふわふわと、闇色の中に羽は散る”
”残酷に冷えた夜の外気は全てのものを凍らせる”
”木を、草を、花を”
”火を、そして生命でさえ”・・・」

 堪えられぬ嗚咽。
 それは一度零れると次々に溢れ出て、大きく息を吸い込みながらも唇を噛み締め、肩を震わせた。
 次第に呼吸は乱れ始めて、悔しげに零れる声が、そっと紡がれる歌を時折掻き消してしまう。
 は変わらず歌だけを歌っている。
 恥ずかしさが消えたのか、開き直ったのかわからないが、今では背筋を伸ばし、胸を張り、けれどそれでも声を抑えて、彼女は静かに謳い続けている。


「”ちらりちらりと雪が降る”」


 ―――雪。
 今年も彼らと見れるはずだった、雪。
 白い雪に文句を言いながらも、あの穏やかな、賑やかな、ひととき。
 

 それはもう、二度と戻らないけれど。



「”手に落ちた雪はまるで吸い込まれるかのように”
”儚く解けて、どこかへ消える”」



 ―――消えて、二度と叶わぬけれど。



「”残酷に冷えた運命は全ての生命を凍らせる”
 ”人の、神の、獣の”
 ”天使の、そして悪魔のものでさえ”・・・」

「”ふわりふわりと羽が散る”」

「”かつて大空を駆けた翼の欠片は地に落ちて”
 ”移ろい掠れて、どこかへ消える”」

「”ちらり、ちらり”」

「”ふわり、ふわり”」

「”雪は降り、羽は散る”・・・」


 ふっと、歌が途切れて思わず、じんわりと滲む視界のままを見上げた。
 彼女と視線が絡むことはなかった。 は空を見上げていた。 ぼんやりと、どこか遠くを見つめていた。 何を思い馳せているのか。 何を考えているのかシャムロックには全く理解できなかった。
ただ、は薄い青が広がる空をずっと眺めて。

「・・・・」

 空想から引き戻すように、身を起こして目元を拭い、そっと、の手を握り締めた。
 そうすればそこで現実に戻ったかのようにははっと我に返り、シャムロックを見下ろして・・・すっかり落ち着いた自分の様子に安堵のため息を吐く。
 真正面から見つめてくる瞳をシャムロックは逸らすことなく見つめ返せば、彼女の口元は柔らかに綻びを見せた。

「悲しいときは泣いてもいいんだよ」
「・・・・」
「でもそれだと立ち止まるって言うんだったら・・・泣いちゃだめよ」
「・・ああ」
「もう少しだけ頑張って」

 握り締めた手が、そっと握り返された。
 華奢で、細いその指に鼓動が一つ高く跳ねたのを自覚しながらも、それを振り払うことなくじっと眺める。 自分の手と比べれば随分小さく、細く、柔らかだ・・・けれどよくよく見れば、うっすらと赤い線がいくつも浮かんでいる。
 それを目にとどめてからを見れば、”こんなもの傷に入んないよ”と彼女は笑った。

「だがこれは私を助けたときに」
「いいのいいの、こんなのすぐに消えるから」
「・・すまない」
「謝ってばっかり。 ・・・でもそう思うんだったらあんなことはもうやめてよ?」

 じろりと睨むように釘を刺してから、すぐに柔らかな笑みに変えては笑った。
 表情がよく変わるなぁと見つめていれば、ふと、言っておこうと思っていたことがもう一つあったことを思い出す。




「ん?」

「・・・私は、デグレアが許せない」


は、そう、と頷くだけだった。


「ルヴァイド達も・・・許せない。 今の私に彼らを許すことは、とても難しい」

「・・・そのままでも誰も怒らないよ」

「でもあなたは、きっと悲しい」


 はっきりとそう告げれば、は苦笑した。
 頷くことも、否定もない・・・その曖昧な反応に、あの夜の”信じてあげられなかった”と泣いていた姿を思い出す―――思い出すと、自分も悲しくなった。

「あなたが悲しむのは、嫌です」
「悲しまないよ・・・ちょっと辛いだけ」
「辛い思いをさせるのも嫌なんだ」

 知り合ったばかりの自分がに出来ること。
 それはとてつもなく少ない。 本当に、本当に少なすぎる。
 彼女のために何をしてあげられるのか―――トライドラでを守るということのほかに、もっと、別の何かを。 自分の手で、何かをしてあげたい。

(今更過ぎる)

 けれどまだ間に合う。
 まだ出来ることがある。 この人に、してあげられることはまだあるはずだ。
 探すべきだ。
 このままにはしておけない。 このままにはしたくない。
 自分がこの人に出来ることを探すべきだ。 でなければ・・・・・・・。



(私は、この人と一緒にはいられないだろうから)



 いつか、それを、後悔してしまいそうで。


 だから。



「・・・ルヴァイド達に対して、もっとちゃんと、別の見方が出来るように・・努力しようと思う」



 の目が丸くなった。
 かなり驚いているようだ・・・・きょとんとしたその表情は”いきなり何を”と言わんばかりだ。
 そんな彼女の手を取って、誓いにも似た静けさを持って告げる。



「あなたが悲しくならないように」



 だから。


「努力をします。
 知り合ったばかりの私には、あなたにできることなんてそれこそ何もないのです。 あなたの好きな物も知らなければ、喜ぶことも、何も知らない」

「でも・・そんな、無理矢理見方を変えられても」

「変えようとしなければ、私はずっと彼らを許せない」


 何かきっかけがない限りは、きっと、ずっとこのままだ。
 これは戦争だ。 これは戦いだ。 そんなふうに割り切るにしても、きっといつまでも引きずっていく。 どこまでもどこまでも引きずっていく。 必ずどこかで断ち切らなければ。

 けれど、断ち切るにしても相当困難だ。
 縄を断ち切るようにはいかないのが、心で、感情だ―――とても難しい。



 けれど彼女の為ならば。


 やろう、と顔を上げることが出来る・・・・・自己満足だということはわかってはいるのだが。



 それでも。


(彼女は、すぐに離れていくだろうから)

 それこそ、恩を返す暇も与えず。
 彼女は離れていくだろう。
 だから今の内に、少しでも、今だけでも、の悲しみを減らしてあげたかった。


 そんな想いをこめて手を握る力を込めれば―――握っていた手がそろりと離れていった。
 離れていくそれに”何かやらかしてしまったか?”と項垂れていた顔を上げて、彼女の顔を見ようとすれば。

ぅわっ!?
「見るな!」
「ぇ、あ、ど、どうし」

 ”いいから黙って俯いてて!”と後頭部を思い切り押さえつけられた。
 首が微妙に音をたてたが(痛い・・!)、だがそれよりも何が起こったんだろうと理解できないこの状況をどうすれればいいのかという思考でいっぱいになる・・・何か怒らせるようなことを言ってしまっただろうか?

「あ、あの
「・・・・・」

 ぐすっと、鼻をすする音が耳に届いた。
 それに何も言えなくなってしまって、ただ、押さえつけられるがままに地面を見つめ続ける。
 見るなといわれたから見てはいけないのだろうと、そんな他愛ないことを考えながら。

 冷たい風が、頬を撫でて過ぎていく。




「・・・・シャムロックって、バカよね」




 ・・・・・・・・・・・・女性にバカと言われたのは初めてだ。
 少しばかりショックを受けつつも、黙って、言葉に耳を傾ける。

「憎い仇を、あたしなんかのためにどうにか別の見方をしようだなんて」
「・・・・・」
「・・・・・・でも」


 ありがと


 涙混じりで告げられた言葉に、胸がカッと熱くなった。
 衝動的なものが胸の奥から込みあがってくる。 を、この腕に―――何を考えているんだ自分は。 そんなこと、出来るはずがないだろうに。 そんなこと、したことだってないのに。


 知り合って間もない相手を抱き締めたいだなんて、そんな。


「・・・・なんか、悔しいわ」

 低い響きを込めて呟かれた言葉に、思わずばっと顔を上げてを見上げてしまった。
 今一度見た彼女の顔には涙の痕は残っていなかった・・・そこにあるのは、ただ、不機嫌そうな表情だけだ。 ・・・・ナゼ?

「すごく負けた気分になる」
「え?!」
「あたしだってちゃんとわかってるつもりだったんだけど・・・だめだわ、すぐに心が揺らぐわ。
 シャムロックでさえ切り替えようとするんだもの・・・あたしも、今度面と向かって謝れるように切り替えなきゃ。 後悔してるんだからあたしのほうがすぐに出来るはずよね」

 完全に置いて行かれたシャムロックだったが、は自分の中で何度か頷くと、そのまま立ち上がった。 草を払い、シャムロックが立つのを手伝ってにんまりと笑う。 先ほどよりもずっと清々しいものだった。

「よくよく話して思ったけど、やっぱりシャムロックっていい人だわ」
「え」
「だからフォルテもシャムロックが好きなのね、こりゃあたしも負けるわー」

 あっはっはっは、は笑っていたが、シャムロックは妙に気恥ずかしい気持ちに覆われた。
 ・・・・・フォルテにとって他人ではないと言われていることを改めて知ると、妙な居心地を持って、口元を覆ってしまう。

「んで、シャムロックもフォルテがただの友達じゃないでしょ?」
「あ、ああ・・・命を賭けてでも、守りたい人だと思うよ・・・・親友、だと」

 王家であっても。 王家でなくとも。
 彼は、大切な親友。

「親友って言うだけで照れてんじゃないわよー・・って、でもいいね!そんな友情! だけど命は賭けんのやめたほうがいいよ」

 ”あたしの友達にも言った言葉だけど”と彼女は一度笑ってから。

「いなくなったら悲しいから、かわりに命張って守ったほうがいいよ」
「・・・どう違うんですか?」
「賭けるよりかはなんぼかマシよ」

 そんな他愛ないことを喋りながら仲間たちの元へ戻ろうとすれば、先を歩いていたが一度空を仰ぎ目を細め、風に髪をさらわせながらこちらに振り向いた。
 その口元には小さく笑みを、視線は優しい眼差しを含めて、彼女は細い手を差し出す。


「ま、これからもよろしく」
「・・・・ああ、よろしく」





 遠く 遠く 遠回りをしたけれど




 きっと自分たちはこれから、もっと知ることが出来るだろう




 これから、多くの事が出来るだろう






 きっと、これからも生きていく






「――――――いやぁ、若いお人は初々しくて良いですねぇ」

 突然会話に割って入ってきたその声に、シャムロックはを背に庇うと腰に下げていた剣を素早く引き抜いた。 シュッとか細い音をたてて鞘から引き抜かれたそれは、柔らかな日差しの中でぞっとするほどの輝きを見せるのだけれども、相手を見据えたシャムロックの目と、同じく相手を視界に入れたの目が、きょとんと丸くなる。

 目の前には、見慣れぬ衣装を身に纏った男が立っていた。
 温和な雰囲気を醸し出す糸目と、柔らかな笑みに形作られた唇に端整な顔立ちと、真っ直ぐに肩に落ちた漆黒色の黒髪が酷く印象的だ・・・・「若いお人」と言った割には、彼も充分に若い顔立ちだが・・・・・・・・。
 そこまで考えていれば、が”キャー!”と黄色い声をあげた。

「シオン大将ーーー! 待ってましたーーー!!」
「お待たせしました、さん」
「いえいえそんなとんでもない〜、あぁっ美味しそうな天ぷらの匂い・・・朝から天ぷら蕎麦ってのもどうかと思ったけど、ときどきムショーに食べたくなるのよねぇ〜」

 男の足元に置いてあった木製の箱(これもまた見慣れない)のフタをあけて、その中身をいそいそと取り出しては至福極まれりと言わんばかりにくぅーっと声を洩らした。
 そんな彼女の手に乗っている底の浅いうわぐすりの箱(・・・これは皿か?)の中には、黄金色に揚げられたエビや野菜が収められていた。 その下には・・・・やはり見慣れぬものだった。
 の持つ箱の中身に首を傾げるシャムロックに、男はふわりと笑みを浮かべた。
 その笑みに、彼は自分よりも年上だと直感的に感じ取る。

「蕎麦を見るのは初めてですか?」
「ソバ?」
「はい、シルターンの料理の一つなんです。 貴方にも気に言って頂けると良いのですが・・・申し遅れました。 私は蕎麦処<あかなべ>の店主、シオンと申します。 気軽に大将と呼んでください」
「あ、はい・・私はシャムロックと申します」
「どうぞよろしくお願いします、シャムロックさん・・・あ、さん、他の方々は?」

 ふと、うっとりしていたのかぼんやりしていたのか、呼ばれては慌てて顔を上げて。

「っえ、あ、こっちよー! ・・・でも、大将、出前もやってたんですね〜」
「ええ、それにカザミネさんやマグナさん達にも手伝ってもらいましたから」

 ”彼らは先にあの家に入って行きましたよ”とシオンは笑っての後に続いた。
 ・・・・そういえば昨日、マグナとカザミネ(他にもレナードやネスティ)は準備を整えるついでに一度ファナンに戻ったという話を聞いたような気がする・・・・。

「トライドラに行く前に、大将のお蕎麦を食べたいってミニスやトリスが言っててね、これからの景気づけにってことでマグナ達に頼んだの」
「いやはや、これは光栄ですね」
「シャムロック、お蕎麦食べるの初めてだよね」
「ああ、見たこともなかったよ」

 が、笑顔をいつもの数倍に輝かせながらシャムロックの肩を叩いた。

「それじゃあたしがお箸の持ち方を教えてあげる! それこそ手取り足取り腰取り!
「箸を持つのに足も腰もいりませんよさん」



 ・・・・何となく、身の危険を感じたシャムロックであった。














「―――ああ、ネスティさん。 アメルさん、一つ聞いて良いですか?」


 この家にいる仲間達が食事を終えて、ファナンへと帰り支度をすませたシオンが台所にいた二人の姿を認めると、それを呼び止めた。
 ネスティは自分で飲んだカップの片付けをして、台所の掃除をしていたアメルもまた、自分を呼ぶ声の主へと視線をやる。

「はい、大丈夫です」
「・・何かあったんですか?」
「いえ、さんのことなんですが・・・・最近変わった様子はありませんでしたか?」

 アメルとネスティは思わず、顔を見合わせる。
 だが次にはネスティが微かに顔をしかめてシオンを睨むように目を細めると、それの真意を問い返した。

「何故そんな事を? 彼女の様子は何も変わっていませんが」
「本当に?」

 また逆に、シオンのそれはただ問うているのではなく、ネスティの嘘をあっさりと見抜いた上で問いかけていた。
 その言葉の意味に気がついてネスティが思わず黙り込んでしまえば、アメルが一歩前に出て前に立つと、シオンを見上げるその顔は、以前に見た儚い少女のものではなく、どこか凛とした強さが垣間見える・・・彼女は、シオンがただの蕎麦屋ではないことを薄々と感づいているようだ。

「久しぶりに会った貴方からでもそう思うところがあるんですね、シオンさん」
「はい」
「・・・確かに、色々なことがありました」
「アメル」

 咎めるように名を呼んでも、アメルの口元には柔らかな微笑が浮かんでいた。
 ”大丈夫”、”この人は大丈夫だから”と言外に告げていて、その信頼はどこから来ているのだろうと思考の隅に思いながらも彼女のそれに何を言えなくなったかのように口を噤めば、アメルはここ最近に起こった出来事をとつとつと語り出す。
 それを全て聞き終えたあとで、思案するかのように顎に手をやっていたシオンは、ぽつりと言葉を洩らす。

「まずいことに、なっていますね」
「え」
「色々と・・・嫌な予感がします」

 それはただ、脅しているだけではない。
 シオン個人の、シルターンの忍としての言葉だ。 いくつもの死線を潜り抜けてきた自分の胸をざわめかせる要素が、に身に起こっていたとは。

(己が消えると危惧することは、己以外の何者から干渉を受けているということ)

 何かが、起こっている。
 彼女の身に、彼女の奥底に、何かがいる―――それは直感的なものだ。 何ら確証もない。
 けれどそれはあまりにも当てはまりすぎている。

 何かが、いる。

 何かが、ある。

 いつになく真剣なその様子にアメルは何も言えず、ただ息を呑むしかなかった。
 この時のアメルはシオンの正体を知らないが、けれどそれでも一般人が持たない何かを、鋭い刃のような空気を―――彼女はシオンからひしと感じ取っていた。

 だがネスティは、そっと、口を開く。


「・・どうすれば、いいですか」
「・・・ネスティさん?」
を守るには、どうすればいいですか」



 彼女を、救いたい

 消えて欲しいだなんて、これっぽっちも思わない



(でなければ何のために)

 何のために、彼女をトライドラに預ける決意をしたのだ。
 そうしてしまえばきっと、自分達の旅はトライドラで終わる・・・それを知りながらも、をデグレアから守ることを優先した。


 でもこれでは、ますます離れられないではないか。


 俯いて、搾り出すかのような、苦痛の声。
 前髪をくしゃりと押さえつけて、自嘲気味に口元を歪める彼の背を労わるようにアメルがそっと触れれば、彼女の白いその手にわずかな震えが伝わったのか、聖女の表情は曇る。

 シオンは、じっと、年下の青年を見つめて。
 そっと彼らに歩み寄り、声のトーンを落とし・・・・・・・ひそりと、二人に告げる。

「目を、離さぬことです」
「・・・・」
「何かが彼女に衝撃を与えてしまえば、恐らく―――飲み込まれます」

 巨大な物に飲み込まれていく者の末路。 シオンはそれを知っていた。
 元来、人は巨大な物に阻まれ取り込まれれば何にも抗うことも出来ずに飲み込まれていく・・・・・それは一年前の無色の派閥の事件で目撃したばかりだ。(彼の場合は奇跡的に助かったのだが)

「・・・・まったく、この世界に来てから驚かされるばかりですね」
「え」
「いたのですよ、私の友人に・・・不肖の弟子の友達が、そういう人間だったものでして」

 ”そういう人間”とは、力ある者のことを指しているのだろうか。
 シオンはそれに頷くことも否定することもなく、ただ懐かしむように目を細め。


「・・・彼らも、お人よしでとても一生懸命な人でした」
















「ふぇーっくしょんッッ!」


 ―――同刻。
 サイジェントの寒空の下で、大きなくしゃみが響き渡った。
 ナツミは本能的に、素早い身のこなしで彼女から離れ、被害を被ることを本能的に避ける。

「うわ!アカネ汚なっ!」
「ごめんナツミー、でも今本当に悪寒が走ったのよ・・」

 シオン曰く、不肖の弟子はぶるぶると肩を震わせながら鼻をすすった。
 彼女の隣を歩いていたナツミは”風邪?”と首をかしげつつ、買い物袋を腕に抱えて向かい側から歩いてくる通行人をひょいと避けた ・・・・サイジェントの街も随分と活気が出てきたものだと内心感心しながらも。

「風邪をひいたんでしょうか・・・大丈夫ですか?」
「うん平気、今は治まったみたい・・・きっと師匠があたしの噂してるに違いない。 やー、照れるってば師匠〜〜っ! 自慢の弟子だなんて!
「・・・・・シオンさんの場合決していい噂だなんて限らないけどね・・・」

 呆れるようにため息を吐きながらもナツミはアカネの師匠、シオンの笑顔を思い浮かべた。
 身内に厳しく、他人に厳しく、けれどとても優しい薬屋<あかなべ>の主人・シオン。(ゼラムでは蕎麦屋を営んでいるとも聞いたので、そのうち食べさせてもらうことにしよう)

 アカネの師匠である彼の本職は、忍だ。
 密やかに闇に現れ、闇に紛れ、闇に溶け込み、闇に乗じて獲物を殺し、闇に生きるシルターンの忍・・・服装からして忍んでいないアカネ(彼女の衣装はオレンジ色でとても忍ぶ色ではない)を見ているとそんなことはピンと来ないが、物静かで、常に空気を乱すことのないシオンにはイメージ的にそれが当てはまる。
 彼は、真の忍だ。
 人が躊躇うところでは一瞬の躊躇なく刃を振り下ろすことが出来るのだろう・・・一年前に力を貸してもらって、その姿に、その強さに、戦慄を覚えたほどだ。

(そういや今は仕える主人がいないって言ってたけど、これから現れるのかな〜)
「それにしても、この間帰ってきたばかりなのに皆大丈夫なの?」
「はい・・・でもまさか、リプレさんやカノンさんが襲われていたなんて・・・」

 呟いてアヤが俯けば、真っ直ぐに落ちた艶やかな黒髪がさらりと揺れた。
 トーンを落とした深い紅色の衣装に流れるそれを目にやりながら、アカネもまた、俯く。

「うん・・・お師匠も、無事だといいけどなぁ・・・」

 ナツミとアヤがゼラムからこの街に戻るその前日、リプレとカノンは何者かに襲われた。
 帰ってきた途端にフィズやラミ、アルバが大泣きしながら迎えてくれたものだが、体の芯が凍るほどまでにぞっと悪寒がしたものだ・・・・・実際、リプレはそれほど怪我もなく、痛めつけられていたカノンも快復に向かってきていたようだったから、次の瞬間には安堵のあまり腰を抜かしてしまったのだが。

 しかし、彼らを襲った人物が何よりも気にかかる。
 銀の髪の吟遊詩人―――・・。

「ミモザたちにも伝えることもあるけど、あたし達を心配して船を使って出て行っちゃったガゼルたちとも行き違いなっちゃったし、そっちもどうにかしなくちゃ」
「今度は私がレヴァちゃんを召喚しますね、ナツミさん」
「ってゆーか上級召喚獣をそう簡単にホイホイと召喚しちゃっていいの・・? あたしは召喚術ちょびっとしか使えないから、ナツミたちには度肝抜かされちゃうよ」
「あはは、これでも誓約者だからねっ」
「まぁ、師匠におしょう油を届けるあたしとしては、一緒に連れてってもらえるだけでありがたいけどね」

 ”でも楽しちゃってるから、師匠にはナイショね!”と念を押されてアヤとナツミは渇いた笑いを零すしかなかった・・・・・・以前、シオンにバレたあとのアカネには、ちょっとしたホラーを感じたからだ。 恐るべし忍。 修業も反省も過酷だ。

 笑い合いながらも、三人はフラットの庭の門をくぐる。
 そこには荷物のチェックをしていたトウヤとハヤトの後姿があって、ハヤトはナツミたちの姿を視界に認めると、”おーい”と手を振った。
 アヤもまた、二人に微笑んで手を振り返す。

「ただいま、二人とも」
「おかえりー、あ、買ったやつここに入れるから貸して」
「でもトウヤ、本当に銀の髪の吟遊詩人に心当たりあるの?」
「ああ、・・ファナンを発つ前に僕は出会っているから」

 ”表は優しそうだったけど、あんまりよくない感じだ”と呟く彼に、ナツミはふぅんと言葉を返してから、出発するハヤトたちを見送るリプレたちに目をやった。 同じく出迎えてくれているカノンの、包帯を包まれた腕を持つ姿を見たら急に不安が込み上げる。

「ね・・本当に大丈夫? あたしだけでも残ろうか? またその、吟遊詩人が襲ってきたら」
「ううん、わたしたちは平気よ。 ナツミ・・・本当に危ないのはきっとあなたたちだから」

 思い出すだけで、吟遊詩人の、美しいほどまでに禍々しい暗い瞳が恐怖を駆り立てる。
 それを堪えるようにきゅっと唇を引き締めて、リプレはにっこりと笑った。

「トウヤが言うには、その人、ナツミたちが向こうで知り合った友達を知っている感じだったのでしょう? ならそのさんって人達にも知らせてあげなくちゃ・・・」

 彼は、危険だ。
 危険だ。 恐ろしい。 怖い・・・・とても、怖い。
 本能が警鐘を鳴らし、リプレの内に潜む恐怖を煽り、どうにか浮かべていた笑顔を曇らせて、自分のきゅっと肩を抱く。

 そんな彼女の細い肩を、ハヤトはぎゅっと抱き締めた。
 アヤもまた、リプレの背中を優しくなでて、大丈夫だと優しく囁く。

「・・ハヤト・・アヤ・・」
「大丈夫、リプレ。 もう二度と、こんなことはさせないよ」
「私達、きっと、皆すぐに帰ってきますから・・・・・・・皆で、帰ってきます」

 抱き締められていることに安心感と恥ずかしさを覚えながらも、アヤの言葉にリプレはほろりと涙を零した。 ハヤトの背を抱き締めて、何度も、頷いて、自分に言い聞かせる。


 皆、帰ってくるわ。

 皆、一緒にいられるわ。

 もうあんな怖い思いは、きっとないわ―――。


「・・きっとよ? 私・・待ってるからね?」
「うん、待ってて。 俺達の家はここだから、きっと帰ってくる」

 トウヤはフィズやラミ、アルバたちを抱き締めてからリプレの頭を撫でてやり、ナツミもリプレをぎゅっと抱きしめてから“行ってきます”とにっこりと笑った。
 アヤもナツミとおなじようにリプレと抱きしめ合った後、側にいた三人の子供達を安心させるかのように一緒に抱きしめて“行ってきますね”と微笑んで、待機していたレヴァティーンの背中に乗り込んだ。 その隣にはカシスが召喚したゲルニカが並び、誓約者や主たちが乗り込んだ姿を目にすると、巨大な翼をはためかせた。

 レヴァティーンの翼の白さに目を細め、薄い空の青さに向かって伸びをしてから、ナツミは唇を舐める。

「朝から力使うの大変だけど・・たちは放っておけないわね!」
「ええ、何事もなければ良いのですけれど・・」
「それじゃ、飛ぶぞ!」

 ハヤトの声にレヴァティーンが反応して、四枚の翼を大ばさりと大きくはためかせると、鋭い風が空気を踊り、叩きつけるような烈風が見送っていた彼らの髪を大きく煽った。
 レヴァティーンに乗りなれていないアカネはしょう油の壷を死守しながらもあまりの風の強さに”ひええええええ!”悲鳴を上げ、ナツミとアヤにしがみつき、レヴァティーンが生みだす風に顔を歪めて耐え忍ぶ。(ある意味修業だ!と叫ぶのは彼女の心である)

「行ってきます! みんな!」

 声と共に、その巨体はぶわりと宙に舞いあがった。
 その勢いに乗り、風に乗り、巨大な龍の姿はやがて、高く、高く、天に昇っていく。

ひぃぃやああああああ!!高い高い高い高い高いーーーーーーーー!!!
「ぁぁぁぁアカネ! お腹苦しいお腹苦しい! しがみつくのやめてーーーー!」
「それじゃみなさん、行ってきまーす!」


 高く、高く昇りいく。

 龍はひたすら、天高く。 空高く。


 次第に遠くなっていくその姿に、胸元を抑えながら心配そうに空を見上げていると、エドスがリプレの頭に手を置いた。


「大丈夫だろう、・・きっと何とかするさ」
「・・うん」
「ワシはどっちかというと、怒り狂って真っ先に出て行ったバノッサのほうが心配だがな、あっはっはっは!」

 その場にいた者の気を紛らわせようと豪快に笑うエドスの姿に、リプレもほんの少しだけ、元気と笑顔を取り戻す。

 けれどそれでもリプレの不安は晴れなかった。
 それは直にレイムを見て、彼の生み出す空気に触れたから。


 ・・・・あんな空気を持つ人、はじめて見た・・・・・・。


(・・初めて?)

 ふと思い返す。
 いや、初めてではない。
 1度だけ、一瞬だけあの空気を知っている。


(・・たしか・・)


 かつて、<無色の派閥の乱>と名づけられた年のこと。
 悪魔の森と化した魔王降臨の儀式の間に向かったハヤト達を見送った後の、数時間後。

(魔王・・?)

 このサイジェントの空を、黒い雲が覆った。
 分厚く、禍々しく、悪い予感ばかりが胸を覆い尽くす、あの黒雲。


 その黒い雲はまた数時間後に、小さな光の粒と共に晴れたけれど。



 けれど


 レイムの持っていた空気は


 その時に感じた、空気と確かに同じだった。



(・・・無事に・・帰ってきてね・・・・)



 リプレは再び、空を見上げた。
 青の濃度が高まり始め、いつものように、美しい、壮大な青空へと変化していくその世界は、よからぬ予感に胸を曇らせているリプレの心とは裏腹で。



 飛び立つ龍の散り行く羽根が、とても、とても美しかった―――。











NEXT





あとがき

第71話5をお届けさせて頂きました。
これで次の話へと進めます。大変お待たせしましたー!

スローな更新に関わらず、サモ連載へのコメントを頂けて本当にありがたい限りでございます…! ま、まだ見捨てられていない…!と狂ったようにキーボードを打ちました。 笑。

シャムロックとも一区切りつき(抱き締めたいとか言ってましたが恋はまだ芽生えていない…はず!)、シオンさんの蕎麦を食べて元気をつけ、シオンさんの謎めいた忠告を胸に、次回はトライドラへと向かいます。キュラーさんとご対面〜。早く出したいキュラーさん。 好きです。顎。AGO!(イジメか)

誓約者たちもまた再びゼラムに戻ってきます。
今度はレイムが危険要素を持った人物だという情報を持って……。書いている途中でレイムがリプレたちを襲ったのって何話だっけなぁと慌てながら…(忘れてたのかYO…!58話でした/笑)
バノッサさんは既に出て行ったあとです。カノンを傷モノにされましたから(違う)


それでは途中で出てきた歌を紹介をさせていただきますvv

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<癒しというもの>

ちらちらと、夜空の下に雪は降る
ふわふわと、闇色の中に羽は散る

残酷に冷えた夜の外気は全てのものを凍らせる
木を、草を、花を
火を、そして生命でさえ・・・

ちらりちらりと雪が降る

手に落ちた雪はまるで吸い込まれるかのように
儚く解けて、どこかへ消える

残酷に冷えた運命は全ての生命を凍らせる
人の、神の、獣の
天使の、そして悪魔のものでさえ・・・

ふわりふわりと羽が散る

かつて大空を駆けた翼の欠片は地に落ちて
移ろい掠れて、どこかへ消える

ちらり、ちらり

ふわり、ふわり

雪は降り、羽は散る

それは冷たい死の幻影
しかし同時に
それは優しい命の幻想

降り積もる雪は、死んでしまった心の欠片
散り続ける羽は、空を失った貴女の忘れ物

だがそれは、何よりも暖かく傷ついた心に染み渡る

ちらり、ちらり

ふわり、ふわり

雪は降り、羽は散る

それはまるで救いのように
それはまるで全ての癒しの序曲のように


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★一野ちい様のコメント★
(あぁ……タイトルがいつもながら苦し紛れだ<滝汗)
また何を考えているのかよくわからない文章です(汗)
冷たいものも、哀しいものも。
見る人によっては暖かく優しいとか、そんなことを書きたかったのですが。
文って難しいですね。こうゆうとき本当にそう思います。
雪とか羽って、とても捨て身のものに思えるのです。なんだかすごく儚いから。
自分の身を削って、誰かを暖める。そんなイメージがしちゃうんです。
癒し、なんだと思います。救い、でも良いです。
そしてそんな行為は本当に強い人にしかできないと思うんですが・・・。

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いえ、こちらこそ許可してやってくださってありがとうございます!!(><)
儚げな印象のある唄でして・・言葉だけでもこんなに綺麗な響きを持つんだなぁと思いました・・・本当に、素敵な唄をありがとうございました!


2005.9.3