この世界には



 しあわせになってほしい人たちがいます









第71夜 -1-









 ――――少しばかり肌寒い空気に意識は穏やかな目覚めを告げた。
 今度は体を跳ね起こすこともなくゆっくりと身を起こし、薄明るく、静寂に包まれた世界の中で一度、ぐっと大きく伸びをする・・ズキ、と肩が痛むのは、まだ完全に治っていない証拠。

(・・だが、ちゃんと癒えている)

 清潔な包帯が巻かれている肩に触れてシャムロックは胸中で静かに呟いた。
 熱を生み、痛みを生み、苦しまぬ夜はなかった・・・それほどまでに、魔獣の爪はシャムロックの肩をえぐっていた。 深く、深く、骨に達するほどまでに。
 それでもあれだけの怪我を一週間という短い時間の中でここまで癒すことが出来たのは、アメルの力をおかげだった。 瞼を伏せ、静かに呼気を吐き出してその小さな掌(てのひら)から発せられるは優しくも穏やかな、魅せる光だ・・・慈愛に満ちた温かな光だ。

(聖女の奇跡――噂には聞いていたが、これほどのものだったとは)

 権力を持つ者が富と強大な力で無理矢理に望む事があっても、不思議ではない。
 それは個人の権力者だけでなく、自国や他国に御座す(おわす)王の名を背負う者も例外ではないだろう・・・・力はいつの時代にも好まれて、望まれる。


 軋ませながらベッドを降りて、椅子にかけられていた上着を外気に晒されている肩に羽織り、立てかけられていた剣を手にして扉を開けた・・・少しばかり足元がおぼつかないのは、久しぶりに歩いているからだ。
 壁を支えに、静寂に満ちた通路の中でゆっくりと歩を進める。

「っと・・」

 一歩進むたびに、体が休息を訴える。
 体は心よりも正直だ・・・だがそれでも歩く事をやめず、軽い眩暈が起こるたびに剣を固く握り締め、足に力を入れて歩みをしっかりとしたものにさせてシャムロックはようやく、出口のドアノブを掴んだ。



 ――――古びた木製の扉の向こうの世界は薄明るい、柔らかな乳白色に包まれていた。
 柔らかな草を踏みしめたと同時にひやりとした、澄んだ空気を肺に吸い込んで目を伏せる・・・・ 朝の穏やかな明るみが瞼を越えて、微かな眩さをシャムロックに伝え、その眩しさにほっとした安堵のため息が自然と零れ落ちる。

「・・よし」

 次に再び世界を視界に映した薄茶の瞳には、静かな決意が宿っていた。
 再び空を仰ぐ―― 一週間ぶりに見上げた空を巡る冷えた空気は肌を刺し、乳白色に包まれながらも晴れ渡る空は広大で、決意をより固いものへと変えていく。


(――護る)



 それはうなされながらも、何度も誓ったことだ



(トライドラを、この国を護る・・・・・・・彼らの分まで、生きる)



 それは 残された者が唯一出来る事だ


 残された者が、土に還った者たちに出来る唯一のことだ



(知らせなければ)

 脳裏に甦るは嘲笑だ。
 全てを嘲笑うかのよな響きを混ぜた、忘れられぬあの嘲笑。
 次いで浮かぶのは黒の鎧の集団と、餓えた瞳を持つ魔獣の群れ。
 金の髪の青年と、漆黒色の機械兵士。

 ・・・鬼神のごとき強さを見せたデグレアの将の後姿。


(知らせなければ――――リゴール様に、この国の危機を)


 国境を侵してまでの軍事強行。
 それは今まで密やかな動きだけを見せていたデグレアが完全に踏み切った証拠だ・・・聖王国を打ち倒さんと、軍事国家と謳われる国が大きく身を乗り出したことを深く意味する。

 <デグレアが踏み切った>。

 その意味は、二つの国の戦争を意味する他ならない。

 ならばこちらも応戦の準備をし、戦力を整え向かい討たねば。
 男を集め、武器を集め、召喚師を集め、聖王国が持てる限りの戦力を掻き集め、迎え撃つ。

 でなければ聖王国を深く忌み嫌う、デグレアの権力者達の集まりである元老院議会に支配される。
 忌み嫌う者に支配されてしまえばこの上ない圧政を強いられるだろう――その圧政は、多くの民を苦しめ、不安と恐怖に陥れ、やがては滅亡を招くかもしれない。

 支配されるわけには、いかない。


 アフラーン一族の少女の家を見上げ、背景に映る空の眩しさに目を細める。


(フォルテ様・・何も言わぬまま行くことをお許しください)

 救ってくれた親友のことと、に謝れないまま行くことが心残りであった。
 だが自分がこれから行くその先は常にデグレアに関わる・・・ならばこれ以上、彼らを巻き込むわけにはいかない。 彼らの身を案じるならこのまま黙って去るべきだ。
 黒騎士と刃を交えたからわかる。 あれらは強力で、意志が強く、国に完全なる勝利をもたらそうと動く集団――そんな手強い存在からずっと狙われていたということは、彼らには心休まる時もなかったはずだ・・・・今の彼らはひどく消耗している。

(だが)

 <黒の旅団>がデグレア軍を率いて聖王国を討とうとしているなら”今の彼らを狙う目はない”――――あったとしても、この戦争が彼らを覆い隠してくれる。
 聖女達があの国から完全に姿をくらませるにはこの戦は絶好の機会だ・・さすがのデグレアも、聖王国への侵攻とと聖女の追跡を同時に行うことなど出来ないだろう。

 そして、気にかかることはもう一つ。

(戦争になれば、聖王国は関わりを持ってくる・・・)

 親友の広い背と、彼が捨てた名を持つ厳格な聖王の姿が脳裏に浮かぶ。
 過去に出会った王の姿は今でも鮮明に思い出すことが出来る・・・それほどまでに、かの王は存在感を持った人間だった。

(・・王、か)

 あの存在感を身を持って知ったのは、剣を持ち始めたばかりの頃だ。
 聖王に仕えていた騎士の一人である父に連れられ、幼い自分(あれはいくつだっただろうか・・四、五才か?)は初めて謁見に望んだ。
 見上げるばかりの城に初めて入城し、謁見室の高い天井と、白亜の壁に囲まれた世界の中で鮮やかな、金糸の刺繍が施された赤の絨毯と赤の王座が子供心に印象的だった。
 白に囲われた中にある赤は、あまりにも鮮やかだったのだ。

 しかしその玉座の主は、その赤よりもなお印象的な存在だった・・・フォルテと同じ色である、淡くも 黄色がかった翡翠色の瞳が幼いシャムロックを見下ろす・・・シャムロックの薄茶の瞳に刻まれたのは、確固たる意思を持ち、何者を姿に映しても揺るがぬのではないかと思わせる光を瞳に宿した王の姿だ。
 見下ろす瞳に、自然と体が強張ったことを覚えている――この男は、まごうことなき王の器。


 ――この男は、この国を支える柱。


 少年として成長に向かっていた体と心は、その巨大さにおののいた。
 王の持つ空気に、その巨大さにあっという間に呑まれてしまった・・・だからそのあとで、聖王の大きな手がシャムロックの頭を撫でたことには酷く驚いてしまった。

 撫でるそれは剣をよく知る者の手だった――そして優しく、どこか温かいものだった。


 王子の病死が公式発表をされてから・・そしてローウェン砦守備隊長としての任を拝命してからそれ以降、その姿を直に見る機会は失われてしまった。
 だがしかし、これから再びその姿を目にすることになるだろう。
 スルゼン砦とローウェン砦で起きた一連の出来事をトライドラの領主・リゴールに報告をすれば、砦の生存者として必然的に王の謁見を受けることになるのだから。


 だからなお、彼に別れを告げる訳にもいかなかった。


(フォルテ様・・)


 彼が、名の重さに苦しむ姿は見たくなかった。
 外の世界に焦がれて、涙したときのあの姿も。
 窓の景色に目をやったときの、あの、羨望に満ちて止まない瞳もようやくなくなったというのに。
 
 今度は、自由を得た代償に、苦しんでいる。

 成長した今でも、苦しむ彼を救ってやれない自分の無力さを思い知らされるばかりだ。
 自分はただの騎士で、彼は第一王子の名を背負う――身分が違いすぎて、どうすることも出来なかった。


 それほどまでの重みが、あの名にあった。

 それほどまでの歴史が、あの名にあった。


 王の子として生まれた者は、その瞬間から名が背負う責任が生まれる。
 遠き祖先である初代エルゴの王の名残りを残す国を導き、民を導き、初代の王が召喚したとされる”至源の泉”を護り、聖王家の正当後継者のみが受け継ぐことができる”至源の剣”を持ち、護り続ける――――それが王家の持つ責任。

 王は護り、背負う者。
 表にある歴史も、隠された歴史も全てその肩に背負う・・・それもまた王の役割。

 それは自由を知り、それをどうしようもないほどまでに憧れ、自由を愛してしまった彼にはあまりにも重い枷でもあった。
 彼は、王家の名の重みに恐れ、耐えることが出来なかった。
 だから、彼は全てを捨てた・・・どんなに罵られようとも、彼は自由を手に入るために――そして今、彼は自分のした行為の意味に気付き、苦しんでいる。

 流れるその血は生まれ故に、彼を苦しめ続けている。

 ・・・だからせめて、臆病者と罵られても望んだ自由を得たあとの彼には出来る限り、王家との関わり合いを持たせまいと決めていた。


 王子である彼を救ってやれなかった。
 だから王子ではない彼だけでも助けてやりたかった。


(・・――ディミニエ様には、申し訳ないと思うのだが・・)

 自分を兄のように慕ってくれていたディミニエ王女。
 美しい金色の長い髪を持ち、フォルテと同じく黄緑色の瞳を持った愛らしくも優しい少女だ・・フォルテが捨てた名は必然的に妹の彼女が背負う事となっている。 そして彼女はいつか王となる男を選び、その名は再び受け継がれていく。
 彼女が王を決めれば、その王と共に彼女はこの国を護って行くだろう。。
 それは少しだけ遠い未来の話・・だがこの国は今、デグレアによって侵攻され支配されようとしている。


(護らなければ)


 彼女は、優しい少女だ。
 病弱で、控えめで、大人しくて、だが本当に優しい・・他人の痛みを自分の痛みにしてしまうほどまでに。
 そんな彼女が圧政を強いられる国を見れば、涙するだろう。
 そしてあの華奢な身体の中に流れる血ゆえに、デグレアが厭う的になるであろう・・下手すれば、その首は落とされることにもなる。

 敗北すれば、王は、確実に生かされない。
 その血を継ぐ者もまた、生かされることはない・・それは、フォルテも同じだ。



 流れるその血は生まれ故に、彼らの命を奪う。




(この国を護らなければ――――護る、なんとしてでも)






 彼らをよく知る自分だからこそ、その想いは何者よりも強く在れるのだ。














「た、たたたた大変ですーーーーーーーーー!!!」

「――あだっ!」


 心地よい空気の中で響く悲鳴に、和やかな惰眠を貪っていたあたしの意識は唐突に叩き起こされた。
 同時に背中からベッドに落ちてしばしその苦痛に悶える・・・おおぉぉぉめっちゃ痛い! ごっつい痛いコレ! 背骨ヤバイって! あたしも若くないんだから勘弁して・・!

「わーん! ご主人様しっかりしてくださーい!」
「だ、ダダダダイジョウブヨ・・・ゴシュジンサマ、ダイジョウブダカラ・・」

 応える言葉が思わずカタコトになってしまうのは、背中からの痛みのせいだとご理解願いたい。
 叩き起こしてくれた張本人である護衛獣(羊属性)は床の上で悶えるあたしの姿を見てなお悲鳴をあげて、慌てて、必死に助け起こしてくれた・・・あぁもうこの健気さがたまんないのよね。 いいよね、自分にはない健気さ。 眩しすぎるよ。(あ、これは自分で言ってて痛々しいな)

「ご、ご主人様、もう、眠くないですか?」
「うん、もうぐっすり寝たから全然平気・・・でもどうしたの?」

 にっこり笑ってそういえば、レシィはとても嬉しそうに笑顔を返してくれた。
 その笑顔が大好きだから、あたしも嬉しくなってしまう・・衝動的にぎゅっとその頭を抱き締めてやれば本人はかなり慌てふためくが、けれど次には我に返ってあたしの顔を見上げて。

「ご、ご主人様! 大変なんです!」
「?」
「しゃ、しゃしゃしゃ」
「何笑ってんのレシィ。 今時シャシャシャ笑いなんて流行らないわよ。 ガレアノなみの珍笑いよソレ」
「ち、違いますー! しゃ、シャムロックさんが、シャムロックさんがーーーーー!!」


 ・・・何事でござりまするか?


 爽やか白騎士、シャムロック。
 彼とは散々だったが、その彼がどうしたのだろうか・・・首を傾げるあたしに、レシィは必死の形相でしがみついてきた。


「シャムロックさんが、出て行っちゃいましたーーーーーー!!!」










「シャムロックが出て行ったってマジですかーーーーーーー!!!」
「へぶっ!!」

 皆が集まる部屋の扉を開けたと同時に速攻でフォルテに平手打ちをくらわせてやれば、もんどり打って倒れるのは現在行方不明白騎士の親友、フォルテだ。
 綺麗に弧を描いたあたしの平手にトリスとハサハがワーッと拍手をしてくれた・・尻餅をついたフォルテは頬を抑えたままあたしに叫んでくる。

「おいおい! いきなり何だよ!」
「や、あんたにはこの間のことで一発やっとかないと気が治まらないというか」
「うっ」

 気まずそうに視線を逸らしたフォルテの顔を両手で掴んで、無理矢理あたしと見つめあう形に持ち上げてやった。 唐突に近づいた距離に、突然のあたしの行動に彼の、黄色がかった翡翠色の瞳が大きく見開かれる・・・あたしはその顔ににんまり笑った。

「ま、これで何事も解決よ。
 あたしもすっきりしたし、あんたももう何も気にしないで。 いいわね?」
「・・わかったよ」

 にんまり笑ったあたしに、フォルテはどこか、ほっとしたように息を吐いた。
 それにあたしもほっと息を吐く――今までずっと眠っていたようなものだから、ケジメをつけることも出来なかったのだ・・良かった、あたし達笑えてる。


 笑えるなら、それだけでいい


 笑い合えることは、とても嬉しい


 だが今は取り合えず、シャムロックだ。
フォルテを助け起こしてやれば、彼はいつものようにへらっと笑いながら頬を抑えて言う。

「つーか今の、リューグよりキマったぞ・・いってぇ〜」
「自業自得よ・・っていうか今はそれよりシャムロックよ! いついなくなったのかわからない?」
「あいつ、相当早くから行きやがった。 ベッドにはぬくもりすら残ってねえ」

 フォルテが舌打ちをしつつ眉を歪めてそう言うと、あたしはため息を吐いた。
 ・・・・・・あたしの知ってるシャムロックの行動が大きく変わっていることに内心酷く驚いたからだ。

(ゲームだと一緒にトライドラに行く事になってたから、油断してたわ・・)

 何が、彼をこの行動に駆り立てたのかさっぱりわからない。
 ただでさえローウェン砦の出来事が大きく変わってしまっているというのに、彼が一人でトライドラへ行ったらまた大きく変わってしまう・・・あたしが来たことによって変わってしまったのなら――あたしの手で連れ戻さなくては。

「それじゃあたし、探しに行ってくるわ!」
「待て、君は病み上がりの身だろうが」

 外に出ようとしたあたしの後ろ襟首がネスの手にむんずと掴まれ、阻まれた。
 抗議しようと振り向いて――久しぶりに、その顔をちゃんとみたような気がする――相変わらず神経質そうで、色白で、知性的に整った顔だけれど、多少の痩せた感が否めない。

「・・あんた、ご飯食べなさいよ。 痩せたんじゃない?」
「君も少し痩せたぞ」
「マジで? 痩せたって言葉は女にとって最高の褒め言葉よ! いやでも可愛いって言われた方が寧ろ快感と言うか(ウワやばいこれじゃ変態だ!)」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・君の訳のわからない言葉全部に応答するつもりがないので要点のみを言わせてもらうが、君はここで休んでいるんだ。 シャムロックは僕達が探しに行くから」

 ネスの言葉の通り、マグナたちは武器とサモナイト石を持って家を出ようとしていた。
 その中にはフォルテやレナードもいる・・・マグナの護衛獣のハサハもついていこうとしたが、マグナにここにいるように言われてしょんぼりと肩を落とす。

「でも」
「まだ万全でないのだから休んでいるんだ・・・そんな空元気な姿を見せられても安心なんか出来ない」

 ぎくりと、身が強張った。
 ネスのくせに鋭い・・それを思いつつ見上げても、ネスは”全く譲る気なんてない”とでも言うように眼鏡の奥にある漆黒色の瞳をあたしに向けている――――心配してくれてるってのはものすごくわかるんだけどなぁ・・・。




”・・・・・たとえ君が、人でなくとも”




 ――ネスの瞳に、頭の中に唐突に浮かんだ言葉を首を振って振り払った。
 いやいや、今は考えてる場合じゃないんだよ。 今はシャムロックをどうにかしないと。 身体動かしていないと。 本能で突っ走っていないと。

(じゃないとまた不安になる)



 少しだけ、弱くなる



 俯きそうになる顔を無理矢理に上げて、”あんたって本当、男前になっちゃったよねぇ”と笑ってネスの肩をバンバンと叩いた。
 へらへら笑うあたしにつられて笑うことなく彼はただ、あたしの行動に眉をひそめている・・・あぁもうやっぱりネスにはこの笑顔が通用しない。
 それを確信してから”ふーっ”と息を吐いて、今度は空元気な笑顔じゃなくて普通に笑ってみた。

「大丈夫よネス、あたし、本当に平気」
「だが」
「いいの・・まだ、大丈夫だから」

 準備を始める皆に聴こえないように小さくそれを呟けば、ネスがぐっと唇を噛み締めるように顔をしかめて俯いてしまった・・・こんなに心配してくれるなんてネスって本当優しいよねー・・優しさが身に染みるわ。

 でもだからこそ、彼にはちゃんと言って、安心させたい。

「逃げとかじゃなくて、まだ向き合いたくないだけ・・あ、別にね、これが逃げでもいいんだけど」
「・・・・」
「・・でもどうせ向き合うことになるんだから、今はね、まだこのままでいたいんだ」



 まだこのままで



 ――――男性陣がシャムロック探索に、女性陣はその帰りを待つということになったらしい。
 モーリンたちが気をつけるようにとそれぞれに言葉をかけて、それに応える男性陣がぞろぞろとアフラーン家を出て行く姿が見える。
 そちらに視線をやりながらもネスは、あたしの言葉にじっと耳を傾けてくれていた。

「怖くて、辛くて、どうすればいいのかわからなくなってしまう前になったら、ネスに頼るから」
「・・・・・そんなときに頼られてしまっても間に合わなくなるかもしれないじゃないか」
「いいの。 ――そのときはまた手を握ってくれたらそれだけで」

 ネスが、はっとしたように顔を上げてあたしを見つめてきた。
 それでもあたしは笑顔だ・・いつものように少しだけ意地の悪そうな、にんまりとした笑みを向けて、この間の夜に握ってもらった手を掲げて。

「すごく安心して眠れたよ、ありがとね」
「っ・・君は、馬鹿なやつだ・・・・・・・・・・本当に」

 顔を歪めて、呆れたようにため息を吐いて、けれど次には”どうしようもないな”・・そんな表情を浮かべて呟いて。

小さく笑みを浮かべて彼は、あたしの頭を軽く叩いた。



「――――おかげで目が離せない」



 ・・・あれ?



 ネスはそのまま外套
(マント)の裾を翻して出て行ってしまったが、あたしはそこで唖然と立ち尽くしてしまった。 色鮮やかなその色ををぼんやりと見つめて、考え込む。

(・・いや、今の目は相当、優しい感じだったので・・・・・・・・びっくりしてしまった)

 いとおしむ、ような。
 そんな、感情が、溢れんばかりにあるような。

(・・・あんな目で見られたら、誰だってコロっと恋しちゃうわよねぇ〜やれば出来るじゃん兄弟子! その調子で周りと触れ合ったらそれこそハーレムだって出来ちゃうわよ! ・・・いいなぁ〜〜〜〜ハーレム・・ってあたしはオッサンか!

 今はそんな、オヤジ的妄想をしている場合じゃない。
 取り合えず今はシャムロック。 寧ろシャムロック確保。 問答無用で捕獲しなければあの騎士は途中で死んでしまう。 アメルの治療があったとしても一週間かそこらであの怪我が治るとは思えないのだ。

「ね、ね、ミニス」
、眠いのはもう平気なの?」
「あ、うんうんめちゃ元気だから大丈夫・・・・ね、ミニス。 召喚獣の力を便利な道具とは思ってはいないんだけど、でも、・・・ミニスの力をちょっとだけ借りてもいい?」
「・・・・・・・ネスティに怒られちゃうわよ」

 あたしがシャムロックを探しに行こうとしていることが分かってしまったのか、バレたときの説教が嫌なのか、呆れとうんざりとした感情を込めた表情をあたしに向けた。
 あーもう、分かってはいるのよ。 あの説教がウザいなんて充分分かってるのよミニス。
 でもアレも愛の裏返しだから。 勘弁してやって。

「でもね、シャムロックが心配なの・・ね? お願いミニス。 あの怪我じゃそう遠くまでいけるはずないし」
「・・ゼラムに戻ったらケーキ奢ってくれる?」
「いいわよ、好きなだけ食べて。 シャムロックにツケとくから」

 彼がどんな思いで出て行ったのかは知らないが、黙って出て行くほうも悪い。
 フォルテたちに心配かけまくったのだから多少の痛い目にもあってもらおう・・・財政的な痛い目だけど。

 あたしとミニスはトリス達に”散歩に行ってきまーす”と告げてから外に出て、ちょっとした小川がある場所に辿り付いてから彼女はポケットから獣属性のサモナイト石を取り出した。

「でも危なかったらすぐに逃げてくるって約束して、
「うん、もちろん! あたしだって死にたくないもの」
「どうかしら・・は変なところで熱くなっちゃうから心配だわ」

 ・・・・・・十一歳にここまで言われてしまうあたしって。

「皆いつも心配してるんだからね、本当に気をつけてよ」
「・・・・・うん、ありがとう」

 あたしの返事にミニスの甘やかな紅茶色の髪と同色の瞳は和らいで、可愛らしい顔は花が咲いたようににっこりと笑顔になった。 ・・・うーん、イムランたちと血が繋がってるなんて思えないほど可愛いわよね・・将来はファミィさんみたく大物になるかも。

 ミニスはあたしから数歩離れると、翡翠色のサモナイト石をぎゅっと握り締めた。
 そして囁くように、呼びかけるようにその石に詠唱を与える。

「古き英知の術とわが声によって今ここに召喚の門を開かん・・」

 一言目の詠唱。
 それによって石は森林を思わせる鮮やかな緑色を放ち、その光はミニスの体を柔らかく包み込む・・何度見ても、召喚石から溢れ出てくる光は魅せる光だった。
 淡い光は華奢な少女の全てを包み込み、光の粒子が彼女を周りで踊り舞い、満ちていくその幻想的で不思議な光景に、あたしは目を細めて立ち尽くした。

「我が魔力に応えて異界より来たれ、誓約の名の下にミニス・マーンが命じる・・フラップイヤー! 出てきて!」

 少女の声は、異界の者をこの世界に呼ぶ導だ。
 同時に異界の者を招く鍵でもある・・・主の声に門は開かれ、小さな石から解放されるかのように現れたるは、こめかみを根元とした灰色の羽根を持つ蒼い獣だ。
 小柄だが、牡鹿のようにしなやかな体を持つその獣の瞳は高い知性の光を持ち、彼の故郷を思わせる美しい翡翠色だ。

「来てくれてありがとう、フラップイヤー」

 ミニスが撫でると嬉しそうに目を細め、その小さな手に鼻を摺り寄せた。
 なんとも微笑ましい光景だ・・羨ましそうにそれを見つめて、”あ、あたしも触っていい?”と近づけば、そこで初めてあたしに気がついたフラップイヤーがあたしに目を向けて。

 
 勢いよく跳躍し、猛烈に乗りかかってきた。


「フラップイヤー!?」
ギャーーーー!!何事!? 別に獲って食おうだなんてこれっぽっちも考えておりませんよワタクシだから落ち着いてフラップさん!!」

 激しい勢いに押されて背中から転倒するあたし(アイタタ! また背中かよ!)にミニスが驚いた声をあげる。
 フラップイヤー・・小柄とは言えどその羽根の大きさを合わせればそれなりに大きい。
 何か怒らせてしまったのだろうかと不安がちらりと過ぎったが、顔を舐めまわしたり額を擦り付けてくるその姿に混乱も少しずつ落ち着いて、”あれ?”とあたしは身を起こした。

 身を起こすあたしに目を細めたまま、あたしの胸に額を擦り付けているその様・・・甘えているように見える。

「・・えーと?」
「・・・甘えてるだけみたい」
「やっぱりそう思う? や〜、こうも熱烈に甘えられちゃうとやっぱ嬉しいなぁ〜おお、よしよし」

 ムツゴ○ウさん的に可愛がってやれば、それに嬉しそうに鳴き声をあげてフラップイヤーはなおも擦り寄ってきた。 やー、懐かれると本当可愛いな・・・たまらん!

「これだったら心配はないわね。 あ、あとフラップイヤーは一人しか乗れないから私はついてあげられないけど・・でもこの子には、危なくなったら逃げるようにってしっかり言っておくから、もこの子に無茶言わないであげてね」
「シャムロックが倒れてたらどうすればいいのさ・・」
「うーん・・フォルテ達が傍にいると思うからフォルテ達を呼んだほうが早いと思う」
「了解! それじゃ行ってきまーす」

 ミニスにお礼を言ってから、フラップイヤーの背に”乗っていい?”と聞けば、彼はスッと座り込んで乗りやすいように体勢を整えてくれた。 (おお! こ、この子相当賢い!)
 おかげで何の苦労もなくその背に座り込んで、綺麗な毛並みに覆われた首にしがみつく。
 そしてシャムロックの包帯をポケットから取り出してフラップイヤーに見せた。

「血の匂いが嫌だったらごめんね? これでシャムロックの匂いってわかる? これ、彼の包帯なんだけど・・」

 血に汚れた包帯に嫌な顔一つ浮かべず、フラップイヤーはそれに自ら、鼻を近づけて匂いをかいだ。
 スンスン、と音を立ててシャムロックの匂いを嗅ぎ取って、すぐにその匂いを感じ取ったのか、蹄で地面を何度か蹴った。 どうやらわかってくれたらしい。

「ミニス、本当ありがとうっ」
「気をつけてねー!」

 ミニスの言葉を聞き届けて間もなく、フラップイヤーがその足で地面を蹴った。
 しなやかなその跳躍に視界は急上昇し、一種の浮遊感があたしに圧し掛かり、突然の状況に”ひぃやあぁぁぁーー!”と悲鳴が口から溢れ出しては尾を引くように零れていく。



 耳は、唸るような風の音だけを聞き取って。



 視界は、空の色だけに染められた。



 けれどいつもよりも多量な重力を身に感じれば、沈む、と思考が理解する瞬間に地面へと着地する衝撃が体全体に響いて、再び高く跳躍する獣がもたらす感覚にあたしの全ては奪われていった。
 どうにか開いている目には、灰色の羽根が大きく広がる光景と、ちょっとした幅の小川。

「お、小川・・!」

 しかしそれに怯むことなく、フラップイヤーは再び跳躍。
 軽々と小川を飛び越えれば、穏やかに流れる小川の水面に高く素早く移動する、フラップイヤーの影である一つの小さな黒点が映った。
 それは小川を越え終えて地面に引き継がれ、時が進むにつれて大きさを増し、それが獣の影であるのだと分かると同時にズサァッと大きく砂埃を立てて着地する。

 しかし休む間もなくザァッ! と勢いよく茂みの中に突っ込むと、冷えた森の中を颯爽と駆けて行く・・・その感動に思わず、ジンと胸の奥が熱くなった。
 やばい、相当気持ちいいよコレ! 映画で言うならもの○け姫のアシ○カとヤッ○ルな気分!

「さ、最っ高ーーーーーーーぅ!!」

 歓喜の悲鳴が零れ出れば、フラップイヤーは応えるようにグンと高く跳躍した。
 その脚力には思わず舌をまく・・・・あたしの視界には空、空、空、緑、緑、緑・・それだけだ。 着地の衝撃が大きく響くが、今ではそれすらも気持ちが良い。

 ザァッ!と茂みを抜けても再び茂みに突っ込む・・その繰り返しなのに、本当に気持ちがいいのだ。
 なにせ行けどもいけども森の中と言った景色が緑の色の洪水となってめまぐるしく変わっていくうえに、冬を思わせる風が叩きつけるように肌を刺し、フラップイヤーが力強く地面を蹴る衝動を全身で感じているからだ。
 不安な事は何もなかった。
 ぎゅっと太い首にしがみつけば温かさが身に染みて、不安を溶かしてくれる。

 途中で足や頬を擦りむいてしまうのはご愛嬌だ・・いやいやいやいや、これ最高に気持ちいい! なんか目覚めそう・・って落ち着けあたし! 爽快感に意識フッ飛ばしてる場合じゃない!

「でもっすごいすごい! はやーーーーーーーいっっ!!」

 憑依させれば動ける範囲が増えるという、フラップイヤー。
 彼がこんなに足の速い、俊敏な生き物だとは思わなかった・・・ああぁぁもうだめクセになりそう・・・!

 乗り手のあたしが何かに目覚めそうになっていても(あたしよ、マジで落ち着けェェェ!)、フラップイヤーはちゃんと目標の匂いを辿りながら森を駆けていた。
 このままでは森を抜けてしまう・・・・と、いうかシャムロックは随分な距離を進んでいたようだ。
 徒歩で探しているフォルテたちがシャムロックを連れ戻そうとしたなら、かなり時間がかかっていたかもしれない・・あ、あたしが行って良かったんじゃないだろうか・・!(じゃなきゃ行方不明のままだっただろう)


 ザァッ!と茂みを抜け出せば、【 禁忌の森 】を抜けた。
 広がるのは青みがかった朝の空と、冷気を帯びた風に吹かれながらも緑がすっかり色あせてしまっている草原が視界一面に映った。
 そこでようやくフラップイヤーは立ち止まって、首を振って絡みついた葉を振り落とす。


「あー・・シャムロック、随分歩いたのね〜」


 息すら荒げていないフラップイヤーの頭を撫でて、葉をとってやりながらあたしは呟いた。
 いやはや、どんだけ早朝に出て行ったんだ彼は・・・・。

「・・どうしても、知られたくなかったんだなぁ・・」

 外見からでも誠実さの塊のような彼の顔を思い出して、あたしは無意識に項垂れた。
 顔を思い出したのと同時に――あの、嫌悪する、憎む仇を見つめるような眼差しも一緒に思い出してしまって、先ほどまでの快感は全部泡となって消えていったのだ。

「・・・・はぁ・・・・・フォルテには一言くらい言っておきなさいよ・・バカ・・」

 なんというか、あたしを嫌うのは別に、全然いいんだが。(いややっぱ全然良くないが)
 あそこまで心配をしている人に黙っていくのはちょっと、よろしくないんじゃないだろうか。
 ・・・・・シャムロックが考えていることは、あたしは全く予想も出来ないものであるんだろうけれども。

「フラップイヤー、シャムロックの匂い、わかる?」

 問えば、フラップイヤーは鼻をひくつかせて、西に向いた。
 その方角の先にはローウェン砦やトライドラがある・・・あぁやっぱり、彼は一人で行くつもりだったのだ。


「近くにいる? 探せそう?」


 再び問えば、途端にフラップイヤーの表情が、様子が、険しいものに変わった。
 何かを威嚇するかのように毛を逆立てて、低い唸り声を上げる――ただならぬその様子に”何?”と、視線の先を追えば。





「シャムロック!?」






柄の悪い男達に囲まれているシャムロックの背を見つけた。











Next


第71夜をお届けいたします。


お久しぶり更新…!けれど次は早く更新できるかと…出来たらいいな…!
シャムロックと争った夜は明け、何も告げずに出て行く前のシャムロックの心境は、彼が出て行く行動を全て物語っています。

フォルテに、聖王家を関わらせたくないという想いから。

聖王家自体を嫌悪しているわけではありません。
ディミニエもいて、尊敬する聖王もいるのですが、王家の重みがフォルテを苦しめていると知っているので、その重みに何か思うところがあるようです。
重みが、大切な人を苦しめていると知っているからこそ、出来る限り遠ざけて、その人を護ろうとする。
その想いが今回の行動源。
トライドラに何が起こっているのか知らぬ彼の、行動。

…だから ここで全部を説明してるんじゃなくて 文章中で説明しなさい 羽依さん ・ ・ ・ !(泣)
おおおおぉぉぉ神様どうか文才能力の欠片でもいいんでください…!

えー、それで今日やっと私だけの王子様を読んだのですが。
見事なまでにシャムディミ…!笑。すみません、ドリームなのでシャムドリ主となります。
もう王女は完全に妹扱いになります、すすすすすすみませ…!ドリっ子(子?!)ですみませ…!
あと、アンケートでフォルテとも仲良くしたい…というコメントを頂いたので、近々彼も、ちょっとだけいい雰囲気にしてみようかとも…笑。


そしてさん、不安な気持ちを持ったままシャムロック探索。
フラップイヤー…猛烈に懐かれておりますね。笑。
牡鹿のようだと表現してますが、ゲーム画面では短足です。 牡鹿どころかチワワだよ。(小柄と言いたいらしい)
召喚獣が全体的に載っている攻略本、持ってなくて…どうにかあるのは、召喚獣が数体載っている本だけです…残りは全部実家ですオロロロロ。

それでは後編、お付き合いして頂けると幸いでございます。
ここまで読んでくださった方に、最大の感謝を…。


2005.6.7