第70夜








”――― 我々は 貴方の足枷になっているのですね”





「…っ!?」

 響く言葉に意識が目覚め、勢いよく体を跳ね起こした。
 途端に肩に走る激痛に顔を歪めて呻き声をもらし、外気に晒されている上半身の肩を庇うように触れ、蹲るように背を曲げる。 形の良い唇からは荒い呼吸が繰り返され、嫌味なく整っているその顔の肌には汗が浮かぶ―――震えているのは、冬季を迎えようとしている外気の冷たさか、肩の痛みか、それとも心の痛みのせいなのか。

「はっ…はぁ、はぁっ…う…」

 熱に浮かされたように潤む目の理性の光は、今にも掻き消えそうだ。
 荒く呼吸を繰り返し、鍛え上げられた胸部と腹部を上下させ、清潔な包帯で覆われている肩をぐっと抑える―――肩の傷が熱を生むのだ。 焼けるように熱い。

「……、みんな…」

 掠れた声が、外で騒ぐ木々のざわめきに掻き消された。
 胸の内で叫ぶのは、砦から一人、逃げ帰った自分に対する自責の念だった。



 どうして



 どうして こんなことに



 どうして 何もできなかったんだ



 どうして 誰か一人の命も救えなかったのだ




 皆が助かるようにと思って、あの決闘を受け入れたというのに





 一人でも生かそうとして なのに一人も助けられなかったなんて






 両手で顔を覆って、薄い茶の前髪を握りつぶして、唇を噛み締めて嗚咽を堪えた。
 全てが。 全てが脳裏に、鼓膜に、視界に、焼き付けられている。
 何度でも思い出せる。
 崩れ落ちた骸を。 鋭い牙と飢えた瞳を。 甲高くも残酷な響きを交えた嗤い声を。

 あの濃密な血の匂いを―――…。


「…何故…私、だけが…」


 助かったという事実は、本来なら喜ぶべき事。
 死ぬことがなかった―――だからたくさんのことが出来る。
 これからへの未来はいくらにでも広がって、ありとあらゆる可能性が自分の中に続いている……果たそうと思うことも、夢を追うことだって出来る。 自分が自ら動き出しさえすればいくらでも。

 けれどそれでも。

「…わたし、だけが…っ」


 それでも、今、絶望の底から立ち上がる気力など沸かなかった。



 部屋に届く、外の森の葉と葉がこすれあう音はとても優しい。
 この場所には黒煙の匂いはなく。 怒声も、重い鎧を身に着けて歩行する足音も、剣が交わる金属音も、何も。 何も、ない。
 ただ、戦場とはかけ離れた場所だった。

 痛みに顔を歪めながら、シャムロックは天井を見上げた。
 今だ慣れることのない部屋の天井はすっかりと夜の色に覆われていて、素朴な作りの窓の向こうにある世界は、夜色に染まり深く青い緑に姿を変えた森が眩い月の光に照らされて幻想的な光景を作り上げていた。

 ここは、召喚師アフラーン一族の少女の家だとフォルテは言っていた。
 ここには戦の炎も、大絶壁から響く獣のような唸り声の風音も、荒野に似たあの大地も、ない。
だた、優しく風が吹く音と、葉と葉がこすれあう音と、静かな夜の静寂だけ――――――。


「―――、ん…」


 そして、少女の声がシャムロックの鼓膜を優しく叩いた。
 そこで初めて自分以外の人間の存在に気がついて見下ろせば、シャムロックが横たわるベッドの傍らに配置されている椅子に座り、ベッドにうつ伏せて、深い寝息を立てているの姿があった。

 知っている。
 彼女は、あの人の仲間でそして―――黒の騎士、ルヴァイドが護ろうとしていた人。

「……、

 ぽつりと呟いたその名は、黒の騎士が呼んでいた名だ。
 彼は、飢えた瞳を向けて襲いかかる獣を斬り捨てて、己が傷つきながらもを護っていた。

 護っていた。
 彼女を、あの獣たちから―――奪わせまいと、殺させまいと、鬼神に見紛うごとくの強さを持って。
 返り血すらいとわぬままに剣をふるい、足元に魔獣の死骸を作り上げ、少女を背に庇いながらも荒野の大地に立つその姿には、背筋が逆立つほどだった。


 あの感覚は今も鮮やかに甦る――――――あれは、ルヴァイドの真の強さ。


 …がフォルテたちの仲間という話は、砦から逃げ帰る道中に、心身ともに立つ事もままならぬシャムロックの意識が途切れることのないように、支えながらも喋り続けていたフォルテから聞かされた。
 そしてを人質にしようとしていたこと、死んでいった兵士達、アルバートを看取ったという話を朦朧とした意識の中で耳にしながら、アフラーン一族が守っている森…【 禁忌の森 】の入り口についた瞬間にシャムロックは深い眠りに落ちていった――――――。


「―――、アル…っ」


 飢えた魔獣に全てを奪われた戦友を想うと、堪えきれない嗚咽が溢れた。
 それはここに辿り付いてから、何度涙したことか。

(――――――知っていたはずなのに)

 人が死に行くことが戦争で、戦いなのだと知っていたはずなのに。
 なのにどうしても。 どうしても辛くて、たまらなくて、もう二度と会えないのだと。 笑いあえないのだと、喧嘩をすることもできないのだと思うと情けなくてもみっともなくとも・・それでも溢れるのは熱い涙だ。

「っ、ルヴァイド…」

 傍らで眠るを起こしたくなくて、嗚咽を必死に堪えて…けれど低く、呟く。
 その言葉に秘められているのは暗く、深い感情だけだと自覚する―――だが大切な人を奪われて憎まぬ者がどこにいよう? 殺意を抱かぬ者がどこにいよう?

 人は他愛ないことで人を憎むことが出来るというのに、奪われて…憎まぬ者などいるはずがない…・。


「―――――――――、シャム、ロック…?」


 どこか寝ぼけたような少女の声に、びくりと体が強張った。
 慌てて目元拭っても遅く、まだどこか眠気が残るの目と視線が絡むと、はきょとんとシャムロックを見て。

「はい」

 ハンカチを、差し出した。
 差し出されたソレは淡いブルーのハンカチだ。 描かれた紋様はトライドラの露店でもたまに見かけるそれだった……ファナン特有の美しい紋様が、深い紺色で描かれている。 ファナンの海を思わせるほどの美しいブルーの染物だった。

「…」

 しかしシャムロックはそれを受け取らなかった。
 受け取ることが出来なかった……ただ無言でハンカチから目を逸らし、腕で一度目元を拭ってそのまま俯く―――部屋に満ちるのは、静かな静寂だ。

 拒否の意味を示すその行動には少しばかり顔を歪めて、ハンカチを膝に乗せてから、俯いた……窓から差し込む月光は、俯くの前髪と手元を照らしている。 華奢な指に収まる赤の指輪は誰かから贈られた物だろうか。 夜にも色鮮やかな、炎の塊を思わせるような紅の鉱石が銀細工の指輪を惹きたてていた。

「あの」

 戸惑いがちに、声が降る。

「具合は、どう? …どこも、痛くない?」
「……」

 ―――看病を、してくれていたのだろうか。
 の傍らにあるテーブルには水の入った器と、濡れたタオル。 花瓶に飾られた淡い黄色の花が眩しい色を放っている……それを虚ろなままに映して、に目を合わせることなくシャムロックは告げる。


「―――あなたの看病なんて、いらない」


 低く告げた声は、ただ否定の色だけを滲んでいた。
 その声音に響くものを感じ取ったのかの体がびくりと震えたのを見た。 …しかしこれは、今のシャムロックの本心だった。 今すぐにでもどこかに行って欲しかった。

(…あんまりだ)

 人は、自分を”優しい”という。
 けれどそんな自分が本当に優しいのかどうか、そして人を心から憎むこともあるということはシャムロック自身がよくわかっていた。

 でも彼女は。


「……あなたは、フォルテ様のご友人です―――だから、あなたにこんな感情をぶつけたくない」


 彼女はフォルテの仲間だ。
 が彼の友達なら、シャムロックも彼女を快く迎え入れて、優しく在りたいと思う。
 必要以上に、個人的に女性と話すことはとてつもなく苦手だが、でもはフォルテの友人で、仲間で・……だから、出来る限り優しく在りたい。
  親切に。 そして困っていたら手を差し伸べてやりたい―――代々から王家の使命を継いできた一族の名が重く、一族から背を向けた自分は臆病なのだと嘆くあの人が、敵意ある多くの魔獣からを護ろうと一人立ち向かったほどまでに心を許し、認めている人なのだ。


(なのに、あんまりではないか)



 彼女の立っている場所が ルヴァイドを「友」と呼ぶ場所だなんて



 顔を歪めて思わず、シャムロックは自分の前髪をくしゃりと握りつぶした。
 今にも溢れんばかりのどす黒い感情が胸の内を締め付け、自分が自分でいられなくなるような、平静を保っていられなくなる。

「どこかに、いってくれ……今は、一人にしてくれ」

 それはのためでもあったし、自分のためでもあった。
 抑えているこの感情に流されて、今、固く握り締めている拳が彼女へと振り上げてしまいそうで―――。


「―――――――――、嫌よ」


 シャムロックの言葉を、はきっぱりと否定した。
 真剣な表情から、彼女はシャムロックの胸の内に渦巻く感情を理解しているようだ・・たとえ拳が振り上げられても、それすらもあえて受け入れるような意思が瞳に宿る―――見開かれたシャムロックの瞳がに向けられた。

「何を」
「絶対嫌。 一人になんかさせない」
「……」
「怒るなら怒って。 殴るなら殴ってよ。 それで気が済むのならいくらでもそうすればいい」

 はっきりとした声音でそう告げて椅子から立ち上がり、シャムロックの手を握りしめてくる少女に感じたものは、言い知れぬ恐怖と戸惑いだ。

 何故、そんなことが言える。
 感情を素直に曝け出せる小さな子供とは違うのに。
 憎しみを持つ者の考えをわからぬ年齢ではないだろうに、何故。


 意思の強い瞳に、恐怖が溢れ出る。


 まるで、ルヴァイドが彼女を守ろうとしていたあの姿と同じ感覚が―――。


「は、離してくれ」
「嫌よ……苦しくて、腹が立って、どうすればいいかわからないくらいに憎いのでしょう?」

 手を握る力が強まって、恐怖に揺れる光がシャムロックの瞳に灯るのを自覚した。


(何故)


 彼女は、ルヴァイドたちに対する怒りも憎しみも何もかも一人でその身に受けようというのか。
 ……そんなことして、シャムロックの憎しみが晴れるとは思ってもいないだろうに――それでも。


「憎くて、しょうがなくて、…殺してやる。 あそこで死んでいった人たちの痛みの一部でも思い知らせてやる……そう思うでしょ? ならそうしなさいよ。 楽になりたいんでしょう。 ―――楽になっても誰も戻ってこないってことがわかってても、そうしたくてたまらないんでしょう?」


 握りしめてくる少女の手の滑らかさ、柔らかさにシャムロックの瞳に怒りの色が交わった。
 荒れていない手。 すべらかで、苦労を知らぬ貴族のような手。


 痛みも戦いも、何も知らない少女は、全てをわかったように口にする


 戦って、生きながらに喰われ死んでいった兵士達が冒涜されたような気持ちに覆われて、シャムロックは無理矢理にでもの手を振り払った。 振り払った拍子に手が、少女の頬を軽くぶつかったがそれに謝ることもなくシャムロックはを睨みつける。


「平和の中で過ごしていたあなたが、わかったような口をきかないでくれ!」
「……」
「あなたが何故デグレアに狙われているのか知らない…けれど、人の死はあなたが思っているほど軽いものじゃない! 騎士でもない、戦いの前線に立つことがない人がわかったように言わないでくれ!」



 …零れ落ちたものの全てが、もう二度と戻ってくるということはないのに



 なのにどうして、この胸の内の感情は泣き叫んでいるのだろう



 胸の内に宿る暗い感情が解放を告げられたかのように、シャムロックはの胸ぐらを勢い良く掴むと、華奢な体を自分のベッドに押し付けて組み敷いた。
 男の体とはまるで違う、細く、柔らかな体は抵抗することも出来ぬままにあっさりと束縛をされ、支配される。

 は、押さえつけられた痛みに顔を歪めることはあっても悲鳴を出すことはなかった。


 拳が振り上げられる。
 それは泣き叫ぶ怒りのままに―――。













 ――――――拳が、振り上げられる。
 まだどこか眠気を訴える身体の奥に殴られることに対しての恐怖心が沸き立つけれど、それでもあたしは歯を食いしばってそれを受け入れようと身構えた。 組み敷かれた体にいらぬ力が入ってしまうのは、”今から殴られるんだ”と思うと無意識に強張るからだ。

(殴られるのは嫌。 痛いし、怖いもの)

 でも、それでも受け入れなければならない。
 そうしなければならないのだ、あたしは――――――。


「やめろ!」


 鋭く制止がかけられたと同時に、振り上げられたシャムロックの拳は止められた。
 次いで彼は加減ない力で殴られて、その衝撃のままベッドから落ちると制止をかけた誰かがあたしの腕を掴んで無理矢理引き起こす。
 急な動きに目を瞬かせたあたしの視界に映ったのは色鮮やかな赤髪だ……彼は床に倒れたシャムロックとあたしに鋭い目を向けると声を張り上げた。

「何やってんだテメエら!」
「り、リューグ」
「お前もだ。 お前がこんなことして全部が戻ってくるわけねえってわかってるだろ……無駄に殴られようとすんな!」



『 無駄 』



 その言葉に、あたしの中に堰(せ)き止められていた何かが崩れた。
 ガラガラと音を立てて崩れて、やがては砂になって消えていく……解放されたのは、今までに溜めに溜め込んでいた激情だ。

「っ―――無駄じゃないわよ!!」

 勢い良く言い返したあたしに、リューグの目が驚きに見開かれた。
 あたしは掴まれた腕を払ってリューグを睨み返して―――けれど熱いものが胸の内に込み上げ喉までせり上がってきて……ぎゅっと目を瞑って自分の前髪を握りつぶし、叫ぶように言い返す。

「帰ってこないなんてわかってる!あたしがこんなことしたって誰も戻ってこないなんて知ってるわよ!」
「なら何で」
「あたしはこうしなくちゃいけないの! シャムロックが少しでも楽になれるんなら、あたしは受け入れなくちゃいけないの!!」

 ―――知っている。
 こんなことして、あたしが傷ついて、シャムロックが楽になっても、誰も帰ってこない。 戻ってこないことなんて知っている―――自分自身を傷つけて、あたしを楽にさせようとしてくれたルヴァイドを見て、それに気がついたから。

 でも、自分を傷つけてでも楽にしてあげたいと思う気持ちは、今、ようやくわかった気がする。


「―――あたし、シャムロックを見ていられなかった……!」


 涙声が、あたしの唇から零れ出た。
 それに気がついたリューグは顔を歪めて、振り払われたあたしの腕を再び掴んだ…ごつごつとした男の人の手があたしの腕をしっかりと、力強く掴む。
 一瞬、意識を手放せと囁くかのように眠気があたしに触手を伸ばすが、首を振ってそれを振り払うとあたしは彼を見上げた。


「だって! …シャムロック見てるとルヴァイドたちのこと嫌いになりそうで。 だから、泣いてるシャムロックを見たくなくて」



 見ていられなかった


 シャムロックが苦しんでる姿も


 そして自分がルヴァイド達を嫌いになってしまいそうな恐怖が沸き立ってしまう



 だからどうしてもシャムロックに楽になってほしくて



「あ、あたしはルヴァイドたちの友達だもの。 なのにあたし、る、ルヴァイド、信じるって決めたのに、信じてくれってあたしに言ったのに……あたし、信じてあげられなくて―――傷ついた顔、してたの。 …あたしが腕を振り払ったから、すごく、悲しそうな顔、してて」



 眠気でぼんやりとする脳裏に浮かぶのは、


 振り払ったときの、あの表情と



 ”信じてくれ”と呟く、小さくて、か細いあの声



「…
「なのに、なのにあたし、謝れないままここに来て。
 あたしは本当に口ばっかりで、なのに何もしてあげられなくて。 それに、フォルテに信じてもらったのに、フォルテに申し訳なくて、だから、だからせめて、シャムロックが少しでも楽になって、笑ってくれたらフォルテも」

 ぼろぼろと頬を伝うのは、熱を持った涙だ。
 顔をくしゃくしゃにして嗚咽を零して、力なく俯いて、泣き声をあげる―――けれど再び胸ぐら掴まれて。

パンッ

 ―――乾いた音が部屋に響き、頬に痛みが走った。
 それに一瞬何されたのかとわからないまま呆然として、しばらくしてから、眠気を訴えていた頭は痛みに目を覚まして―――リューグに叩かれたのだと理解する。

 彼を見上げれば、やはり真剣な、あの瞳と視線が絡まる。

「戦えねえやつが、わかったようなこと言ってんじゃねえよ」
「リューグ」
「あれは戦争の一つで、ルヴァイドの野郎のしたことが誤解であっても誤解じゃなくとも、お前が泣いても、誰が泣いてやめろと叫んでも誰にも止められるもんじゃなくて――――――でも今、シャムロックを楽にさせようとお前が傷つくのは、結局はお前が楽になりたいだけだろうが.」

 突き放すような声音で告げられた言葉に、ぐっと唇を噛み締めた。
 俯きそうになるけれど、リューグが再び胸ぐらをつかんで無理矢理、視線を合わせようと顔を寄せる。
 逸らす事ができない……強い瞳に心が怯みかける。

「ルヴァイドの野郎がやってることにお前まで背負い込むな」
「……」
「ダチだからって言っても、あいつらが生んだ憎しみに自分から傷ついてやる必要なんかねえ。
 それに、そんな事しても楽になんかなれるわけねえって、お前はちゃんと知ってるだろ? 村が燃えた夜にいたお前なら―――ルヴァイドを殺したいと思ったお前なら、分かってるはずだろ?」

 リューグの言葉に、シャムロックが驚きに目を見開いて息を呑んだ気配が伝わった。
 ……それは、皆に全部を明かしたときにあたしの言った、気持ちの一つだ―――殺したいと思った…そう思ったのだと、あたしは彼らに確かに伝えていた。


 リューグはそれを疑わずに信じてくれている。


「お前はちゃんと分かって、知ってるのに、どうしてお前が傷つこうとするんだよ」

 リューグの目は、真剣だ。
 それを見ていれば思わず唇が震えてきて、涙がまた溢れて、ぼろぼろと零れ落ちていく―――とめどなく溢れ、零れ、肩をしゃくりあげて、今にも俯きたい気持ちを振りきってリューグを見つめたままになる。


「…もう二度と、こんなことするんじゃねえよ」

「…っ…」

「そんなことしてお前や誰かが楽になれたって―――それで、どうするんだよ」


 言葉を返そうにも、嗚咽ばかりが喉からせり上がって、何度も引きつった声が出る。
 それにリューグがやっぱり顔を歪めて、あたしの前髪をくしゃりと撫でた―――それはどこか乱暴なのに、でもくすぐったくて、優しいと思うのは気のせいだろうか?



「もうこんなことするな。
 …―――お前が全部引き受けて傷つけられるのを見るのは、俺が嫌なんだよ」



 リューグの言葉に、あたしは驚きに目を見開いた。
 シャムロックはよろりと立ち上がってあたし達を見ている・・けれどそれに気付かないまま、あたしはリューグを見上げていた。

「リュー、グ」
「……」
「……ごめ、ごめん、…ごめんなさい…」

 あの砦から戻って目覚めたときからピンと張り詰めていたものが、一気に緩んだように思った―――途端に、意識が遠くなる。

(…あれ)

 世界が、急速に遠ざかる。
 瞬く間に眠気が思考を覆い尽くして、何も考えられなくなる―――ベッドに倒れそうになるが、リューグの腕があたしを抱きとめて、あたしを呼ぶ。

 がくりと崩れ落ちたあたしの身体は、力強い、大きな手に支えられる。

!?」
「―――」



 ごめんね



 リューグに抱きとめられたのを理解しながら、唇をどうにか動かしてそれだけを呟いて。
 目を伏せて、迫る暗闇の世界に意識を手放す・・手放す寸前に浮かぶのは、黒の鎧に映える、紫がかったあの長い赤髪だ。



 信じてくれと、彼らしくないあの声で呟いた友達の姿だ。



(…ルヴァイド―――…)





 あたしの意識は再び、深い泉に沈んでいくのだった。














 少女の意識は、完全に手放されたと思っていいだろう。
 深い眠りに落ちていることを示すかのように、深い寝息が部屋に響く…そんな彼女を抱き上げて立ち上がった少年は、一つため息を吐いてシャムロックを見た。

「おい」

 突然声をかけられて思わずぎくりとして彼を見返せば―――夜にも鮮やかな赤髪がシャムロックの視界に映る。 彼の赤髪を見ていると何故か、の指に収まっていたあの指輪が思い浮かんだ。

「…君は」
「リューグ。 ……騒がせて悪かったな」

 名乗ってから、の体を抱きなおす。 それにの唇から”ん…”と呻き声が洩れるが、すぐに深い寝息を繰り返す――――――何故、彼女はこんなにも深く眠っているのだろう?

「こいつ、まだ眠気が残ってるのをおしてテメエの看病にあたってんだよ」

 そこでシャムロックの脳裏に、焼け付くようなあの白い光が甦った。
 とてつもなく強い光だ―――召喚術とはまた違う、魅せる輝き。 その光を放ったあとで彼女は深い眠りに落ちた……深く。 深い、眠りだ。
 それでもしばらく昏々と眠り続け、最近になってようやく起きていられるようになったのが、起きていてもまだどこか、いつも眠たそうにしているのだと彼は言う。

「だが」
「余計な世話だって言ってもこいつがきかねえんだ」
「……」
「テメエも怪我人だ、寝てろ」

 俯き、黙り込むシャムロックに指示をして、シャムロックはふらつきながらもそれに従い、横になる。
それからはの寝息と、木々がこすれあう音と、風の音をだけが彼らの間に降り注ぎ……リューグはシャムロックを見やり、静かに問う。

「ルヴァイドを庇うこいつのこと、嫌になるだろ 」
「……」
「その気持ちはわかるからな、だから責めはしねえよ」

 自分よりずっと年下の少年の言葉に、シャムロックは数回、目を瞬かせた。
 年齢に合わぬほどどこか大人びた少年の視線は彼の腕の中に眠るに向けられていて……しかし次にはため息が零れ、彼はシャムロックを見て自嘲気味に笑む。

「俺の村もルヴァイド達に焼かれて、殺されたからな。 だからルヴァイドたちとダチ関係になったこいつを憎んで、傷つけたくなる気持ちはわかる」
「―――村?」
「レルムの村だ。 テメエがフォルテに教えた聖女の噂の村だよ」
「…―――まさか」

 血の気が引いていく音を聞きながらシャムロックは体を起こして、唇を震わせた。
 リューグはそんなシャムロックを冷静に見返しながら、を抱えたまま壁に大きく背を預ける。

「俺の家族が聖女で、あいつらは聖女を狙ってきやがった。 奇襲だ。 家に火矢を放たれて、燃えて炎が広がって、黒の鎧の兵士達は奇襲の事実を明るみにさせないため村人を全員殺した。 女も子供も病人も老人も、男も。 全員だ――――――俺と兄貴と、聖女以外の全員が死んだ」

 武器を持たぬ子供も女も、動けない病人も、老人も、全員。
 ―――あまりの非道さに、怒りに思考が支配されて、肩の傷の熱よりずっとずっと熱いものが胸の内に満ちて、血が滲むほどまでに拳を固め歯を噛み締める。

「なんて、ことを…!」
「アメルは―――聖女はまだ狙われてる。 そしてこいつも狙われてる」

 リューグの言葉に、シャムロックは彼の腕の中で眠るを見た。
 やはり狙われている……改めてそれを思えば、狙われているのに友達ということはどういうことなのだろう? ……ルヴァイドが彼女を護ろうとしていたのは、彼女がデグレアにとって必要だったからというのだろうか。

「アメルは奇跡の力を狙われてるって理由だが、こいつのことはわかんねーよ……最初はただの<はぐれ>だったのに」
「<はぐれ>?」
「何の力もねえ<はぐれ>だった…なのに、この間みたいな力とか、光とか…訳わかんねえ」

 ―――あれは確かに、巨大な力の源だ。
 召喚術や魔力に疎いシャムロックでもわかるほど、強く、思わず踏みとどまってしまいそうなほどまでの、あの力……あれは危険なモノかも知れないと、シャムロックの本能は警鐘を鳴らしている。



”あれは本当に、人が得ることが出来るものなのか”



「あれは……人間にはそうそう在り得ねえ力だ。
 聖王国を討とうとするデグレアが手に入れたがるのはわかる―――だがな、こいつらの事を化け物だなんて誰にも言わせねえ」

 リューグは低く、静かに告げる。

「化け物ってのは、人並みはずれた力を持ってるやつだけに言うことじゃねえ。
 ―――…命を、命と思わないで奪う奴にも言えることだ」

 村を焼き滅ぼされた少年の言葉に、シャムロックは静かに目を伏せた。
 見た目からして大人びてはいるが、彼はまだ二十にも満たない少年だ……なのに、村が焼かれたということ、の身に起こった現象を……目の前で起こった事実を事実として受け止めている。


「こいつもアメルも笑っていられるようになるまで、俺はくたばれねえ」

(―――強い、な)


 彼がそれを受け入れ、ルヴァイドの友となったをああして心配するまでに、たぶん、多くの事があっただろう。
 そしてそれらを乗り越えて、彼もまた、ルヴァイドの友であるを仲間として受け入れた人間の一人だ……そして彼女も護ろうと想う、意思を持った戦士だ。

(…彼が騎士だったら、とてもいい騎士になっていただろうな)

 もっとも、少年はそれを聞けば嫌そうに顔を歪めるだろう。
 彼が武器を振るう姿を見たことはないが、彼が振るう武器は自分が護ろうとしている人間を害する者を打ち倒そうとするものだ……国のためではない。 国に住む誰かのためだけに振るわれるものだ。

(…強い……彼は、強く在ろうとしている)

 目の前で、今まで当たり前だと思っていたものが焼け落ちていく瞬間を見た少年の瞳には、危うくも、確かな意思が宿っていた。


(―――生きようとしている、人の目だ)


 全てを失った人間には、自らの命も放棄してしまえと囁く声が耳元で響く。
 それはシャムロックも同じだ。 ”自分が変わりに死ねば良かったのに”、”どうして誰も助けられず自分だけが”……その思考はずっと、ベッドで眠り続けるシャムロックの中に渦巻いて、繰り返されていた。

 だが気が狂いそうになるほどまでの惨劇を目にしてもなお、リューグは生きようとしている。
家族を、仲間を護ろうとしている―――護ろうと思うモノがあるから、彼は生きていられたのだ。


(そしてそれは―――私にも、ある)


 悲しんで、怒って、憎んで、殺意に我を忘れて……けれど、そんな自分にも護ろうと思うものが、ある。
 絶望に打ちひしがれて座り込んでいる場合ではない…ローウェン砦は落とされた。
 それは聖王国の楯が崩れ去ったということだ―――すなわち、聖王国の危機を意味する。


(護らなければ)


 聖王国を。 故郷を護らなければ。


 死んでいった彼らの代わりに、彼らが護ろうとしたものを護るのだ。


 固く拳を握り締め、密かな決意の灯火を瞳に宿したその時。
 リューグはを連れて部屋を出ようと背を向けた。

「大人しくしとけよ、じゃねえと治るもんも治らねえ」

 彼は自分より年下の少年だ。
 けれど心は哀しくも、人の死を知り痛みを知り、それでも生きようと自分の足で立っている男のものだ。
 ……自分も座り込んでいるわけにはいかない……そんなことを思わせてくれる。


「…ありがとう、リューグ」


 弱々しく微笑みながら告げた礼に、リューグが足を止めた。
 彼は眠るを一瞥してからシャムロックに振り返り、笑顔の一つも浮かばぬ、むっつりとした顔で視線を返してくる。

「礼なんかより、あとでこいつに謝っとけ」
「……?」
「さっき言い合ってただろお前ら―――こいつは人の死も、痛みも、何も知らねえやつじゃねえよ。
 俺らはルヴァイドたちのことで散々喧嘩してきたが、それでもこいつはちゃんと、レルムの村で死んだやつらのこと覚えてくれて、泣いてくれる」
「…あ…」

 彼が何を言いたいのか、シャムロックは理解して言葉を詰まらせた。
 彼女は知っている―――痛みも、奪われていくことの意味を。

「自分が楽になりたかっただけかもしれねえが、それでもお前の傍にいたんだ。 目が覚めてからずっと……立っていてもすぐに眠っちまうほど朦朧とした意識のままで、お前の看病を続けながらな」

 ―――驚きに目を大きく見開いたままを見てしまった。
 深く、深く眠る…辺りが暗いために気付かなかったが、頬には涙の痕やリューグやシャムロックに叩かれた痕とは別に、固い何かで殴られたような痕がうっすらと残っている…。

「お前が傷の熱にうなされて叫んで、暴れた拍子に殴られても、ずっと手を握って傍にいてお前を呼んで……お前が持ってる全部を、ルヴァイドの変わりに全部受け止めようとしたんだ―――そんなこと、そうそうできるもんじゃねえ」
「………」
「こいつは憎まれるのも嫌われるのも覚悟でルヴァイドとダチをやってる・・俺らもそれを承知でこいつを仲間だと、護ろうと思ってる……こいつはただ知り合っちまっただけで、ルヴァイドたちのやっている事とは何の関係もねえんだよ」

 ……それはどこか、自分に言い聞かせているような響きがあった。
 まだ複雑な部分があるということだろうか・・彼らに助けられ、まともに話したことがないが―――それでも彼女は彼らと確かに繋がっている。

「リューグ…」
「ルヴァイドたちのしたことは許せねえかもしれねえがな、こいつに全部をぶつけるのはやめろ」
「…わかった」

 シャムロックの頷きを確認してから、リューグはほんの少しだけ、口元に笑みを浮かべる。
 それは年相応の、あどけない名残りの残る笑みだった。

「じゃねえとブン殴ってやるからな。 フォルテみてえに」



 ――――――フォルテ様みたいに?



 シャムロックの意識が、一瞬、遠ざかったような気がした。

「……な?! ふ、フォルテ様を殴ったのか?!」
「あいつが殴ってくれって言ったから遠慮なく殴ってやっただけだ……って、フォルテ、様だぁ?
 何だよ、あいつそんなにイイトコ育ちなのか?」

 いぶかしむリューグの表情に、彼らはフォルテの生まれを聞かされていないようだと察知する。
 公式には病死とされている王子でもあるのだ……この事実は国に関わるものだから国家機密の一つでもある。下手すれば漏洩罪で捕まりかねないほどのもの。

 嘘を吐くことが得意でないシャムロックは、しどろもどろ答えながらも言葉を詰まらせる。

「い、いや・・ただ、その、ちょっと」
「……ま、別にどうでもいいけどよ。 あいつが王でも騎士でも俺には関係ねえしな」

 ―――鋭い。
 リューグの言葉に思わず悲鳴をあげそうになったが、彼は本当にどうでも良さそうだ。
 を抱きなおして足で扉を開け、そのまま廊下へと出る。

「とにかく怪我治せよ、話はそれからだ」
「ああ」



 けれどそんな彼らだからこそ、彼はここにいる彼らを護ろうと思って立ち向かったのだろう。














「…よっ…と」

 をベッドに寝かせてから、リューグは一つ、ため息を吐いた。
 シャムロックやに偉そうなことを言ったが、それでも自分にはまだまだ複雑な部分が残っていることを思い知らされたからだ―――なんで、ルヴァイドたちのことで悩まなくてはいけないのだろうと、毒づきたくなる。

「…もとはといえば、テメェがあいつらをダチだなんて言うからだぞ…」

 深く眠るの鼻をつまんでやれば、次第に、息苦しそうに顔を歪め始める。
 しかしやはり、腹の中にたまる苛立つ心は収まらない……何も知らないままでいられたなら彼らをただひたすら倒す事だけを考えていられたのに、彼女は見事なまでに掻きまわしてくれた。

 ルヴァイドがマグナにを預ける際の言葉が、脳裏に甦る。




”彼女を、頼む―――”




(……頼む、じゃねえよあの馬鹿野朗が)


 最後を自分達にまかせるくらいなら、最初から傍に寄る事がないように彼女を突き放せばいいものを。


(……それだけはしたくないってか?)


 その理由を考えると、ますます苛立ちが沸いた。
 自分が知っているルヴァイドは、女子供にも容赦なく剣を振り下ろし、周りにどんな被害が出ようとも構わず、騎士の名を汚してでもデグレアを勝利へと導こうとする、最低な人間で……。


(―――なのに)



 何故、だけに”信じてくれ”などと呟くのだ――――――。



「お前、ルヴァイドに捕まってる間に色仕掛けでもしたのかよ」

 あの黒騎士に色仕掛け(しかもの<失礼だ)なんぞが通用するとは思えないが、思わず呆れたように半眼でを見下ろす……いつもうるさくて、口が悪く、色気という言葉にも程遠いというのにどうして。

(……人のことをとやかく言えねえが……納得いかねぇよな……)

 思わず真剣に悩んでしまう。
 自分も、黒騎士も、どうして彼女に惹かれるのだか―――。

「……」

 の寝顔を眺めて、リューグはやはりため息を吐いた。
 自分にもルヴァイドにも、惹かれる部分があったというだけの話だ……惹かれてしまうときは惹かれてしまう。 きっと、ただそれだけなのだ。


「…―――あんまり男を引っ掛けんじゃねえぞ、バカ―――…」


 それは、酷く優しい声音での耳元に囁かれて。
 深く眠る彼女の頬に、触れるか触れないかの唇でそっと触れて、リューグはそのまま背を向けて扉を見やった……この扉の向こうの廊下に響く靴音を耳にしたからだ―――それはこの扉の前で立ち止まり、コンコンと控えめなノックが部屋に響く。
 リューグがそれを開けてやれば、彼は、眼鏡の奥にある瞳を数回、瞬かせた。

「リューグ?」
「…今寝たばっかだ、起こすなよ」

 すれ違いざまにそう告げて、リューグは暗闇の満ちた廊下の中に消えていった。
 それに彼は…ネスティは”何だったんだ”と呟きながら、の部屋に足を踏み入れる…護衛獣たちの姿が見えないのはが眠り続けるのを妨げたくないのだという。

「…しかし一人にしてしまっては護衛獣の意味もないだろうに」

 ため息を吐きつつも呟きながらベッドサイドの椅子に腰掛ければ、彼女の頬の薄く腫れた目に付いた。
 あれはシャムロックの看病をしていたが、熱にうなされたシャムロックを抑えようとしてそのときに殴られてしまったのだと、本人が言っていた。


 笑って、言っていた。


「…笑えるほど、軽いものじゃないだろうに」

 この間に話を聞いて、ようやくを分かる事が出来たと思ったのに。
 なのに何故かが酷く遠い存在に感じてしまう――――――。

「……、

 何者なのだ。 何故あんな力が君にあるのだ。
 それを問いかけることは、にとって最も恐れている事なのではないかと思う……きっと彼女にも分かっていないのだろう。


 あの眩い光は、一体何だと恐れているのは彼女自身。


「―――、ん」

 頬に触れようとすれば、が小さく声をもらして慌ててその手を引っ込めた。
 次には彼女の瞼がゆっくりと持ち上げられて、の瞳はぼんやりと、焦点が定まらぬままに天井を見上げている……そして傍らにいるネスティに気がつくと目を細めた。

「ネス…」
「無理に起きるんじゃない、そのまま寝ているんだ」
「……大丈夫か?の一言もなしだなんてつれないねぇ〜」

 心配なんて、いつもしている。
 けれどそれを表に出すことなく、彼女の望む言葉通りに”大丈夫か”と言ってやれば、とたんには声に出して笑った。

「あんたにギャグを求めたあたしが悪かったわ…あー、頭が働かなーい」
「疲労がたまっているんだろう」
「…みんな、何か言ってた?」

 あの光のことは、レオルドから聞いているのだろう。
 しかしネスティは何の感情も表情に浮かべないまま”いや、何も”と否定をした。
 それは事実だ。 マグナたちは何事もなかったように自然で、に関しては”大丈夫かな”と心配の言葉ばかりを繰り返していた―――それは本物の心配だ。

「僕らはスルゼン砦でアメルの光を見ているから、何故君までと首をかしげていた者や、君も聖女なんじゃないかとからかいに笑っている者はいたな」
「聖女…いやー似合ないね〜」
「確かにな」
「即答かよ」

 の突っ込みに、どこか安堵するような気持ちが胸を過ぎる。
 だが天井を見つめたままぼんやりとしているその姿に沸き立つのは、紛れもない不安だ。

「―――本当に、大丈夫なのか」
「…わかんない…」

 声には、今にも眠りの世界へ落ちてしまいそうな響きがあった。
 それにギクリとして思わず彼女の手を握ってやれば、は首をほんのすこしだけ動かして、ネスティに目を細める。

「…なんであんたがそんな顔するのよ…」
「……」
「あはは、大丈夫大丈夫…心配、しないで…さっきまで起きていられたんだから、またすぐに目を覚ますわよ…」

 どこか力のない、虚ろな笑い声が唇から零れながらも瞼が、閉じようとしていく。
 それに慌てて立ち上がって顔を寄せて”眠るなっ”と軽く頬を叩いてやれば、瞼は再びゆるゆると持ち上がって、が視線を合わせようと瞳を動かす。

「痛いってば……こんなに眠気あるのに眠るなって言うのは鬼畜よあんた…」
「…」

 不安に、駆られる。
 眠ればもう二度と目を覚まさないのではないか……そんなことを思う。


 そんな事を思ってしまうほどまでに、彼女の眠りは深いのだ。


「…なんか、ね…怖い、感じはしないのよ…」
「え」
「…ただ、ときどき…眠ってる中で、自分が消えそうになる気がする―――」

 言葉にさらに煽られたのは、不安と恐怖だ。
 ”自分が消えそうになる”とは何とも不吉な発言だ。 思わず、無意識に力を込めて力のない手を握り締めてやれば、はそれを握り返した―――あまりにもか細い力で。

「なーんて、今のウソ。 だいじょうぶよー…」
「嘘じゃないだろう」

 あれは、口から自然に出てきた言葉だ。
 虚ろな意識の中にいればいるほど、彼女は全てを隠そうという思考を保つ事ができない。

「…」
「…君にもわからないんだろう」

 ネスティの言葉に、は無反応だった。
 まるで重傷者を相手にしているような気分になる―――その思考を振り払って、ネスティは眠りに落ちかけている彼女を見下ろした。

「わからないんだろう。 わからないことが、消えそうになると思うことが不安なんだろう」
「……ネス?」
「僕もそうだ。 いつ薬がきれて、苦しみながら死んでしまうのかわからない」

 手を離し、首を覆うものを剥ぎ取ってそれを晒せば、の目はほんの僅かに見開かれた。
 それは肌そのものに溶け込んで、何ら凹凸もなく、人間の皮膚に浮かぶ痣のように違和感なく鈍い色が浮かんでいるそれは―――人には有り得ぬもの。

「でも、生かしたのは君だ」
「…」
「あの時に死んでしまうはずだった僕を生かしてくれたのは君だ…だから僕も、君を生かしたい」
「…ネス」
「―――たとえ君が、人でなくとも」

 再び手を握り締めてそう告げれば、の瞳が恐怖に揺らいだ。
 今まで人だと信じていたものが大きく揺さぶられてしまったのだ…不安を直接、彼女に与える言葉とわかっていてもそれを承知で、ネスティは告げる。

「でも君がそれを否定しても何も変わらないんだ、
「で、でも…あたし…」
「君の中には確かに何かがあるんだ…それは君が一番よくわかっているはずだ」
「でも! …あたしは、この世界に関係なかった……」


(…この世界に、関係なかった?)


 どういう意味だ。
 この世界に関係がなかった…それは、彼女の中でどういう意味になのだろうか。
 思わず不思議そうな瞳を向ければ、ネスティの表情にははっと息を呑んで目を伏せて…けれどすぐに、笑う。 ―――ぎこちない笑みだ。

「でも、たぶん、大丈夫だから」
「……今の言葉がどういう意味かは、僕は聞かない」

 言葉にの笑みはあっさりと崩れて、彼女は慌てて布団の中にもぐりこんだ。
 それを逃がすまいと引き剥がして両手をベッドに押さえつけてやれば、驚きに染められたの顔が視界に映る……初めて、彼女をこんな風に見下ろしたような気がする。

、僕は君が何者であるかなんてどうでもいいんだ」
「……?」
「何者であっても僕は君が―――」

 告げる寸前に我に返って、ネスティは口をつぐんだ。
 言いかけた言葉を無理矢理呑みこんで…けれど言葉を、別の言葉に変えて告げる。

「―――君を、大切な仲間だと思ってる。 いなくなってほしくなんか、ないんだ」


(僕は馬鹿か)


 先ほどのあれは告げるべきではない言葉だ。
 こんな状況で言うべきことではなくて……ただ困らせるだけで、戸惑わせ、気を遣わせてしまう。
だからあの言葉は、ずっと胸の奥に封じておくと決めている。

 どんなに愛おしさに溢れていても、それでも告げることを禁ずるべきものだ。

「…ネス…」
「何でもいい。 気分が悪くなったり異常な眠気を感じたら―――君が感じる違和感を僕に教えて欲しい。 トリスたちに知られたくないのなら秘密は守る。 君の光に関することを調べてみる…、だから」
「……」

 の瞼が、閉じかける。
 それに再び頬を軽く打って意識を呼び戻し、自分の身体の下にいる少女に呼びかけた。


「だから、君も自分をしっかり保つんだ」


 の身に起こったことは、検討もつかない。
 あの光に対処できる方法がこのリィンバウムにあるかどうかもわからない―――けれどそれでも、が不安に思っていることは確かで。 せめて気持ちだけでも浮上させて、またマグナ達と騒いでほしい……馬鹿をやって、そして以前と同じように。


 どうか穏やかなあの日々を。


 ―――ふと、の腕がゆっくりと、ネスティの背後に伸びた。
 それを不思議そうにして見やれば、それはネスティの首に回され、急に後頭部を押さえつけられて自然にに覆いかぶさる形になる―――いつもは低い自分の体温に異常な熱が込み上げる。

「な…」
「…ネス…」

 耳元に、すぐ近くに聴こえるのは、声。
 押さえつけている手は力という力は入っていないというのに振りほどけなくて、静かな声に体は強張り、たまらずにぎゅっと目を瞑ってシーツを掴む―――溢れるのは、相手に対する恋慕の情だ。


 抱きしめたくなる。


「……ネス…ごめんね……ネスも、大変なのに」
「ひ、人のことを気にしている場合じゃないだろう、君は馬鹿かっ」

 格好悪くも、声が上ずってしまった。
 それに舌打ちをしそうになるが、が笑ったのが、空気で伝わって。

「―――うれしい、なぁ」
「…?」

 後頭部を抑えている手が、くたりとシーツの上に落ちていった。
 思わず顔を上げれば、の意識はもう、どこにあるのかわからないくらいたゆたっている瞳があった。

「でも…いいよ、ネス…気持ちだけ、受け取っとく…」
「だが
「……だけど…一つだけ、お願い…」
「?」

 力ないまま、ゆっくりと、彼女はネスティの手へと手を延ばす。



「―――眠るまで、手、握っててくれる…?」


 淡い笑みに、彼女の手を握る手に思った以上の力をこめてしまった。
 しかしそれに苦痛の表情を浮かべることなく、は満足そうな笑みを広げて。


 本当に、心底、安心をするといわんばかりの笑みを称えて。



「…ありがと…」



 そのまま瞼は閉じられた。
 慌てて呼びかけてみても、の睫毛はぴくりと動く事もなく、ただ穏やかに呼吸を繰り返している―――深い眠りに落ちて、きっと大きな音をたてても彼女は目を覚ます事がないだろう。

「…っ」

 限界が、きた。
 繋いだ手を離すことがないまま片腕をの背に回し、意識のない体を半ばに持ち上げるように抱きしめて、その首筋に顔を埋める。
 それでもの意識は目覚めずただ穏やかだ―――温もりも変わらず、服を通してじんわりと伝わってくる。

「……っ」



 不安だろうに



 不安で、不安でたまらないだろうに



 なのに望むのは、自分の手だけ





 それだけで、彼女は安堵するかのように微笑んで





(…っ…)




 込み上げるものは 愛おしさ



 ただただ それだけで




(―――君を、護る)



 ネスティの漆黒の瞳の奥に宿るものは、確かな決意と言う名の光。





(君を、失ってたまるものか―――)







 たとえ彼女の中にあるものが底知れぬ、不可解な力であったとしても













NEXT



あとがき

第70話をお届けいたしました。


シャムロック、リューグ、ネス、出番はないけどルヴァイドの夢(?)です。
んもう大好きだコンニャロー! 愛おしいぞコンニャロー! 半分寝ててすみませんコンニャロー!
…………いえもう、意識がないのは寧ろ私だったりします。 早く来て日曜日。(現在木曜日)

シャムロックとリューグ。
ゲーム本編ではありえない組み合わせとなってしまいますが、私の脳内では意外と仲良しですこの二人。(お前のかよ) こう、友達!というわけではなく、なんとなく仲良し。
 さんと一番喧嘩してたのもリューグですが、レルムの村のあの夜の出来事を痛みとして受け入れた彼だからこそ「お前は分かっているだろう」と告げることが出来ます。 さんも素直に受け入れることができます。
ある意味、対等な友情。(リューグが哀れですが)
でもさんがあんまりにもルヴァイドを気にするため、大変納得がいかないようです。笑。

シャムロックと和解(というかなんというか…)するのは次…かな?

ネスティは、最初は全く、出てくる予定はなかったです。
ですが更新アンケートで頂きまして、うっかりモエてしまったので情熱のままネスティを追加してしまいました…もう本当に情熱のままに…!笑。
→「サモン2の本編で、主人公が心配でネスティがつきっきりの甘い夢が見たいです。 本編の続き、とても楽しみに待ってます♪ 」

たたたたた楽しみにしてくださってありがとうございます…!甘くなくて申し訳ない…!(土下座)
ですが「つきっきり」というのは最高です。健気…!(愛) ネスも、マジで恋する五秒前です。
いやもうすでに恋してますが。 ますます護ってあげたくてたまらないといった具合です。
リューグは他の男を引っ掛けるんじゃないぞとか言ってますが、さんますます心を射止めてしまっております・・・・いまいち積極的になれない男ネスティ・バスク。好意を寄せる相手には奥手であってほしい。
・・・・・・やばい、自分で萌えてしまった。おおおお奥手ーーーーッ!(落ち着け!)


すみません。変な語りですみません。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございました…さん大忙し…!
でも次の日からはちゃんともとのさんに戻るかと…。


少しでも楽しんで頂ければ、何よりも幸せでございます。


2005.5.19